師、のたまわく
ISO9001
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翻訳
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うそ800
なんてね!
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「ISOを良く知るには、ただひたすらISO規格を読むことです。しかし日本語で読んだり、言葉が分からないからと広辞苑を引いてもだめです。英文を読んで、分からなければ英英辞典を引きなさい。」
この言葉、それ以降しかと胸に収めてまいりました。
ISO規格は英語で検討され、英語で制定されます。フランス語などでもISO規格は発行されますが、これはその言語で書かれた規格も正式とみなすというだけで、審議過程では英語でのみ議論検討されます。
もちろん日本語訳はISO規格ではないのです。あれはISO規格の和訳でもなく、JIS規格というものです。
このように英語で審議・検討され、英語で制定された規格ですから、それが日本語に訳されたものをいくら読んでも本来の意味かどうかは定かではありません。
分からないところは英語を読む、読んだ人の考えが一致しなかったら英文を見てみる、ということが必須です。
この状況を悲しいとかみじめといってもしょうがありません。現実は現実です。
もちろんはじめから英語を読んでもいいのですが、私の英語力のレベルではちょっと無理です。
たとえば規格に「確実にする」とあったとき、いったいどういう意味だろう? 裏書することか? 誓うことか? などと悩むことではありません。
元の言葉はなんと書いてあるのだろう? と調べることが第一歩
すると、「確実にする」といっても、あるところでは「establish」だったり、「ensure」だったりするわけです。もともとの単語が違うのですから、日本語が同じであっても箇所によって意味が違うじゃないですか。
逆に原文は同じ「review」であっても、日本語訳が「確認」や「再確認」、「レビュー」あるいは「見直し」であったりするわけで、日本語を真剣に一語一句読んでもあまりというか全然意味ありません。ですから日本語を100回読んでも語義を広辞苑を引いて調べても、本当の意味がわかるはずがありません。
(ISO9001:1987、ISOI14001:1996、ISO14001:2004などさまざまな規格から引用してます)
私はISO14001に関する本は相当読んでいるし、毎月出版される本をチェックして主なものは購入している。
ISO関連の本代だけで毎月1万円はくだらない。くだらない話だ・・
最近出た初心者向けのISO14001の解説本を読んでいたら、次のような記載があった。
「手順とは手と順、すなわち、手は手段手法の手、順は順序順番の順で、順序とおりに手段が記述されているものをいいます。」
う〜ん、これは冗談なのだろうか? 本当にそう考えていたのだろうか?
これは初心者向けだからそういうたとえを使ったと善意に解釈すべきなのだろうか?
原語はprocedure、すなわち"the act or manner of proceeding in any action or process"何事かを行うときのプログラムや様式ということで、タマタマ結果オーライという感じである。
そんなことを考えていると、似たようなものを思い出しました。
そうです、
日本国憲法です。誰がなんと言おうと、日本国憲法は英語で作られ、そしてそれが日本語に翻訳されて制定されたという事実は否定できないでしょう。
当時はマッカーサーの独裁下であったこと、マッカーサー草案があるという状況証拠だけでなく、現実に官報英語版で英文日本国憲法が公告されてしますし、かっては六法全書に英語版日本国憲法が掲載され、疑義あるときは英文によって解釈するという時代があったと聞きます。
まさに今現在のISO規格の英語版と日本語版の位置づけと同じではありませんか。
日本国憲法の理解においては、日本語の法律での言葉の定義とか、言い回しがどうということには意味がないのです。いやそれどころか、日本語の日本国憲法を読んで解釈することは意味がないのです。
英語原文ではどう表現しているのか? そして英語本来の意味を知り、憲法をどう理解すべきかと考えなくてはならないのです。
そういうスタンスですので「法律の読み方の初歩も知らないでは恥ですよ」といわれても、私は恥とは感じません。
出発点において、お互いにずれています。どちらかが間違っているのでしょう。
法哲学とか文字解釈がどうこう以前のはなしです。まず、そういう現実を認識すべきです。
実は、
私のような考えの方は、日本国憲法について私と正反対の見方をしている方々にもいらっしゃるのです。
まったく話が飛びますが、般若心経って知ってます?
般若心経をありがたがって、その意味を知らずに一心に唱えている方も、毎晩写経されている方もいらっしゃいます。それをどうこうはいいません。でもその意味を知らずにいては般若心経の価値は半分も理解できないでしょう。
恥をさらしますが、私はずっとシャーリーシーってなんだろうか?と疑問に思っていましたが、あれって単なる固有名詞、釈迦の弟子の名前なんですよね。
昔、原始人が流れ着いたコカコーラのびんを、珍しいものだとご神体に祭った映画があったような記憶があります。もしかしたらフィルムケースだったかもしれない。
英語で作られたマッカーサー憲法の日本語訳を、一生懸命自分たちの定義で読み、理解しようとする姿を見ると、その原始人を思い出してしまいます。
マッカーサー憲法の価値はない! なんて乱暴なことは申しません。
マッカーサー憲法は英語で読むべきで、日本の法律用語でいくら読んでもしょうがありません。
日本国憲法ができて既に60年、もうしっかりと日本に根付いているじゃないか?
だから制定時は英語版が原典であっても、今では日本語版を原典としてもいいんだ、と言う方もいるかもしれない。
しかし、そうなんでしょうか? 私はそうは考えません。やはり私には原始人に見えてしまうのです。
ところでしっかりと日本に根付いているってほんとうでしょうか?
今の日本はいろいろなところにひずみができているんじゃないですか?
国の基本は憲法、日本の背骨は日本国憲法、
じゃあ、日本のひずみは日本国憲法が曲がっているからか?
私はそう思っています。
根付いているんじゃなくて、具合が悪くて寝付いているのかもしれません。
それにね、私はもう還暦、生まれたときの着物を着て、おしめをしろといわれても、そんなことできるわけありません。
60年前の日本国憲法が今の日本に通用すると思うこと自体、間違いでしょう。
本日のまとめ
ひとつ、日本国憲法は英語で読みましょう。
ひとつ、日本国憲法は一刻も早く建て直しする必要があるようです。
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ISO14001規格 4.4の題名は「実施及び運用」です。
実施と運用って何が違うのでしょうか?
広辞苑を引くと、実施とは「実行すること」、運用は「ものを働かし用いること」だそうです。
「実施及び運用」という違いというか意味が、お分かりになりました?
私はゼンゼン理解できません。
原題は「implementation and operation」です。
implementationとは、軍事では展開、ITでは部品の組み込み、一般には道具などを段取りすること。他方、operationといえば、手術や作戦の実施など実行そのもの。これは「実施及び運用」ではなく「段取りと実行」としたほうが良かったのではないでしょうか?
実際、規格の
「4.1一般」→「4.2方針」→「4.3計画」→「4.4実施と運用」→「4.5点検」→「4.6見直し」
よりも下記のようにしたほうがよさそうです。
「4.1一般」→「4.2方針」→「4.3計画」→「4.4段取りと実行」→「4.5点検」→「4.6見直し」
これは誤訳なのかしら?
三題話とは・・・お客様から、お題を3つもらい、それをネタに作る即興の落語のこと。
私が語るのは落語のような芸術ではなく、ダジャレでございますが・・・