○淺野家探訪
  ASANO family roots reserch


七周忌にあたり、子供の頃、家系の歴史やエピソードを膝の上で語ってくれた亡き祖父一郎に捧げます。

示現流と笠間藩

伝正寺と淺野家

淺野修次郎政盛伝

                               



淺野家家系図(赤穂以前)


赤穂淺野家は、その元を笠間藩(現在の茨城県笠間市)に拠っています。
当時笠間から赤穂に淺野長直が転封になる際、留守役として
長直の叔父(伯父?)に当たる人物が客分として残った(氏名不詳、調査中)。

しかし、子孫がないためその後断絶同然となった。
時代は下り、最後の笠間藩主であった牧野侯の仲介で、
当時笠間藩の御典医であった寺尾家の次男(剣豪として名が通っていた)を
淺野家の養子として迎え入れ、以来5代に亘って淺野家を承継し、現在に至る。

以上は祖父その他関係者談によるものではありますが、

1.  弊家の家紋が俗に言う赤穂淺野家の家紋と同じ「虫喰い違い鷹の羽」紋であること

2. 明治維新の際、江戸の淺野屋敷を引き払うにあたって出てきた
   参勤交代時に江戸詰で亡くなったという「淺野林左衛門政堅」なる人物のお墓を、
   関東圏内で遠戚を辿った結果、一番近親であるとされた弊家が預かることとなり、
   現在も供養をしていること

この2点から、ほぼ上記の話は事実であると認識しています。

しかし、前述の様に笠間に残った客分の名前が不詳であったり、
現在(広島本家以外の)淺野家はどのような広がりを見せているのか?
赤穂・三次両家は断絶したと聞いているが、子孫の方はいないのか?
等、疑問も多くあり、こららを今後解明して行きたいと思っています。

また、曽曽祖父のエピソードを調べているうちに、
薩摩藩に端を発すると言われる「示現流」が実は茨城県鹿島神社にその源流があり
笠間藩で隆盛を極めていたことなど、興味深い事実も知るところとなりました。

この「示現流」についても今後フォローしていきたいと考えています。

是非、当HPをご覧になった「笠間〜赤穂淺野家」関係の皆様やこれに類する事実、「示現流」
等について、情報や興味をお持ちの方がいらっしゃったら、ご連絡頂ければ幸いです。

ご連絡先


○譜入り違い鷹の羽、通称虫喰い違い鷹の羽紋について(準備中)

○笠間淺野家の系譜(準備中)

三次淺野家の系譜(準備中)

案内板

鳳源寺(三次淺野家菩提寺)

大石内蔵助手植の松

最後の広島藩主淺野長勲(ながこと)公と奥方の像(伝正寺)

伝正寺門に記された淺野本家(広島藩)の家紋
=いわゆる淺野鷹紋(渦巻き鷹)

cf.赤穂淺野家とは羽の重なりが左右逆で、模様も違うので冒頭家紋ご参照方


<リンク集>

忠臣蔵HP

忠臣蔵(赤穂高等学校)

NHK大河ドラマへ


△Back to Hyperion Island

Created by Asano Enterprises Inc.

asanos@mars.dti.ne.jp