●長崎の児童文学散歩●

 じゃがたらお春−聖福寺


福田清人・作、太田大八・画の長崎出身作家コンビによる短編民話集「じゃがたらお春」(さ・え・ら書房)
 今から300年ほど前のおはなし。当時、幕府は、外国人の妻や子を探し出しては、ジャカルタに追放していた。長崎の筑後町に住む娘・お春も、オランダ人の父と日本人の母との混血だったため、役人の目から逃れてひそかに暮らしていた。が、15才になったとき、ついにお春が混血であることがばれ、ジャカルタに連れていかれてしまう。その後も、お春は長崎への望郷の思いを抱きつつ、異国の地で暮らしたという。お春は「日本にかえりたい」という手紙を幾度も出し、当時お春が流された地をじゃがたらといっていたことから、その手紙は「じゃがたら文」と呼ばれるようになった。
 −というかなしいお話の碑が、この聖福寺に建っている。この碑の文字は「広辞苑」の編者・国語学者の新村出の筆によるもの。裏には吉井勇の句が記されている。
 上の表紙写真は、福田清人・作、太田大八・画の長崎出身作家コンビによる短編民話集「じゃがたらお春」(さ・え・ら書房)。同書には「じゃがたらお春」のほか、長崎県下に伝わる民話が掲載されている。あとがきには、福田清人の長崎・大村での幼時期の記憶などが若干つづられている。




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