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日時計 2001. 2月

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日記へのリンクは<http://www.mars.dti.ne.jp/~gmotaku/diary2001/hdkmm.htm#mmdd>へお願いします。

▲最新の日記▼読了本

2001.0228(水)

 昼から風。どうやら春一番らしい。2月は短いと言ったってたった3日短いだけ。と言いかけて、3日ってひと月の一割だと気づく。それは大きい。

 『ゼノサイド』下巻。何をトチ狂ったか、おとといの日記で書いた、エンダーの「妹ヴィクトリア」って誰なのそれ>直しました。それはともかく、出てくるのはまたも超人的な人物ばかり。決して派手な事件が起きているのではないが、問題の重さにうーんと唸りながらいっしんに読んでしまう。

2001.0227(火)
購入本
『SFマガジン4月号』/早川書房

 おととい、昨日今日と、夕方の西空には細い月と金星のハッと目をひく眺めが見られる。 帰宅時ほぼ同じ時間に見るが、日ごとにそれぞれの位置関係がぐっと変わっていて、宇宙のダイナミズムを目の当たりに感じる。金星も三日月と同じように欠けているのだなと、同じような高度に並んだ月星にしばし見入る。するとまだ明るい夕空に、それと並んで不意に飛行機雲が現れる。天頂から東の方へぐるっと見渡すと、この所ずっと仲良しの木星と土星、冬の王者オリオンも、いつのまにか厳冬のころとは場所を変えていて、たしかに季節が動いているのを実感する。

 SFオンライン賞にようやく投票。昨年はアンソロジーがたくさん出た割りには短篇はあまり読んでいないので、いくぶん後ろめたく思いつつ投票した。おおかたの投票するところとはずれているのだろうけれど。

★F長篇:池上永一『レキオス』(>『エンディミオンの覚醒』は一昨年の11月だったのだ)
★ファンタジー長篇:アンジェラ・カーター『夜ごとのサーカス』(>『マーリンの夢』も挙げたかったところ)
★SF短篇:グレッグ・イーガン「貸金庫」(>イーガンのどれにしようか迷った)
★ホラー・ファンタジー短篇:キース・ロバーツ「ポールターのカナリア」(>『パヴァーヌ』の復刊、ロバーツの死去とあって、やはりこれを挙げたい)

 SFオンラインの『かめくん』評(冬樹蛉)。また、『ネシャン・サーガ』評の中で、井辻朱美が、現在訳しているファンタジーに言及している。期待。

 『ゼノサイド』はさらにジェインという唯一無二の知性体の生死も関わってくる。もうじき上巻終わり。しかし木目たどりって何(^^;; 

 肩から首のあまりの痛みに、職場の、心得のある人に頼んでマッサージと整体をしてもらう。「首がちょっとずれちゃってるのねー、首が長いから頭の重みですぐずれちゃうのよ」わたしゃカメか、ツルか。「ちょっと痛いわよ、ばきばきばきばき」ものすごい音を立てて肩、肩胛骨がバラバラになったのであった。おかげでだいぶ軽快したけれど、いっぺんじゃダメなんだって(泣)。

 湯川さん私も読みました>SFM4月号の菅浩江。わははの連想です(2月27日)。『かめくん』のクロスレビューも読んだのだった。

2001.0226(月)

 日差しは暖かいのに、風は冬だ。土日にすっかりベランダの鉢の水やりを忘れ、今朝久しぶりにご対面。この前は長男に水やりを頼んでしまったので…。すると、放りっぱなしの寄せ植えに、チューリップの芽がいつのまにか幾つも出ていた。枯れかけていたかと思ったミニ薔薇にも、山椒にも、ミントやセージにも、小さな新芽が出始めている。久しぶりの寒い冬を越えてやっぱり確実に季節は春へと滑り込んでいる。職場では日溜まりの沈丁花が甘い香りを放っていた。

 『ゼノサイド』上巻の半分くらい。このところちょっと頭が(興味が)あちこちへと分裂気味。これの何十倍何百倍のことを、評論を生業としている人たちは恒常的にやっているのねえと感心。
 ゼノサイドとは異種皆殺しのこと。人類以外の知的生物を対象に進歩した学問、ゼノロジーとゼノバイオロジー。惑星ルジタニアには先住民である知的生物ピギー(ペケニーノ)が住んでおり、人間のコロニーの中ではゼノロジストとゼノバイオロジストがピギーらを研究している。ピギーがそれなくしては生きられない【一応ネタバレだと思うデスコラーダウィルス】は、人間に対しては【殺戮ウィルス】として働く。人類を【デスコラーダウィルス】から守るには【デスコラーダウィルス】とその宿主ピギーを絶滅させるか(=ゼノサイド)、またはルジタニアから人間が手を引く(=ルジタニアの人間を全滅させる)かの二者択一が目の前に迫っている。この事態を利用してルジタニアの病気(【デスコラーダウィルス】)、そして反乱という病気を殲滅しようとするスターウェイズの艦隊を押し止めるにはどうしたらいいのか。エンダーとその姉ヴァレンタインが再会を目前にそれぞれ頭を絞る。乞うご期待!

2001.0225(日)
購入本
ローズマリー・サトクリフ/『アーサー王と円卓の騎士』サトクリフ・オリジナル/原書房
スティーヴン・キング/『ドラゴンの眼』上・下/アーティストハウス
佐野洋子/『ほんの豚ですが』/中公文庫
加納朋子/『掌の中の小鳥』/創元推理文庫

 『紫の砂漠』について、愛蔵太さんが書いておられることには非常に共感を覚える。いいえ、続編でも決して解決はされません>愛蔵太さん。この作品で、社会の構成だの科学的側面だの、言い始めたらきりがないのである。紫の砂漠を真ん中にしてそのまわりの人の住んでいる地域をさらに外に出てしまうと、次第にボーっとかすんでいって辺境の何もない地域になってしまい、そこで世界は終わってしまう、そんな小さな平面的な物語宇宙をイメージして読んでいたのが、いきなりそこは【ネタバレやっぱり丸い惑星で、普通の物理定数にしたがっているらしい世界】だったと知らされたときには、あれえっと思ったものである。最初の思いこみのような世界だったら、単なる「おはなしの世界」として何も突っ込む必要はないのだが、そうではなかったと知ったときに、やっぱり突っ込みたくなるのは仕方ないだろう。愛蔵太さんのご指摘「文学系の作家が、ファンタジーみたいな世界作りで自分が書きたいテーマの話を書いたらどうなるか、という実験みたいなものですか。」というのはその通りだと思う。さらに「書きたいテーマ」というのが実は性の分化のあたりなんだと(作家に)言われたとしたら、それじゃこの物語は破綻してるでしょとしか言えないので、願わくばどうぞそうは言わないで>松村栄子さま。
 素人が言うのも何ですが、少なくとも、細かい用語の点については担当の編集者がアドバイスしたりしないのだろうか、とこの作ばかりか続編についても疑問を抱いたのも事実。
 ただ読後に、じゃあマルとバツとどっちに落ちるかというと、私の単なる好みとしては、やっぱりマルのほうに落ちるのである。全体の雰囲気の好き嫌いなので仕方ない。これをキャラ萌えというのかもしれない>詩人(とラフィエル)。でもそれを言い出してしまうと【ネタバレシェプシが詩人の姿をなぞってしまい更にその恋人が詩人に生き写しとなると、やっぱり納得いかないかも…】。うーん、全体としては確かにかなり好きなんだけれど、作品の出来栄え、ことに商品としてはどうかと言われると愛蔵太さんの方に手を挙げざるをえないなあ…困った。いや、べつに、そう言う作品だということでかまわないと言ったらかまわないのだが、これ以上弁護できないです。ていうか最初から弁護してないか(*^_^*)
『紫の砂漠』感想(2000.11.23)追加(2000.11.25)感想リンク集(十夜さん)

北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』関連
 『かめくん』(>感想)についてもマドカさんの言うこの点をつよく感じたのであった>わからないと気付けないし、気付かないとわからないし、気付かないと気付けないし、わからないとわかれない。さらに、わからないことには、「わからないことがわからない」。『かめくん』は単にほのぼのしているのではなくて、全然違う、もっと焦燥感や緊迫感を抱かなくてはいけないんじゃないか、という、一種の不安感。茫漠とした、けれども強い不安感を、読みながら常に背中の後ろの方で、あるいは足元の地盤の遙か下の方で(間もなくおこるかも知れない地震のようにか)感じながら読んだのだが。そこがはっきり掴めないので、また後で書くつもり、と書いたのではあるが、クラゲを読んで更に謎は深まる、ていう感じ。『昔、火星のあった場所』にも行ってみますね<なぜか前から持ってる

2001.0224(土)
購入本
長尾真/『「わかる」とは何か』/岩波新書
天野礼子/『ダムと日本』/ 〃
林望/『パソコン徹底指南』/文春文庫

 『クラゲの海に浮かぶ舟』読了。マドカさんが引用した部分の松本楽志くんの感想もたしかにわかる。引用していない部分での疑問あるいは不満は、「作品の必然」ということが回答になるでしょう。
 そう、「つじつまは合います」(byマドカさん)なんだよね。で、そのネタばれ【コメントとして記述】を見て、破顔一笑。わはは。そうなんだよねマドカさん。半年とは言わずもうしばらくしたら再読してみます。やっぱりキチンと追えているとは到底思えないので。この人の作品は、まだ読んだのは2作だけれど、SFの醍醐味の一つの形だと思う。ばりばりSFで、同時にSFとしてもSFという枠組みを離れても読者に訴える普遍性を持っているのではないか。あーでもSFと思わないと普遍性に気づかない可能性がある。そう言う意味でも北野勇作の作品はおかしな(んー、何と言ったらいい?奇妙?変わった?strange?)小説かも。

 続いて『ゼノサイド』を読み始める。『エンダーの子どもたち』が出るまでには読み終えていたかったのだが、逃げてゆく2月の日々の速さにだまされた。もう月末ではないか。息抜きとしては『パソコン徹底指南』、課題図書『ファンタジーの文法』。よく見たら小谷真理さんて薬学出身だったのね(^^;; 

 予定:『ゼノサイド』>『エンダーの子どもたち』>『キング・ラット』or『ワイズ・チルドレン』?ラテアメとSFMの消化はどうするの。

 『幻想文学60号』bk1に予約。

 毎週土曜の読売新聞朝刊に連載の「はなしの民俗学」(野村純一)は面白い。何ヶ月か前は「くだん」が話題になっていたし、口裂け女、トイレの花子さんなども取り上げられていた。先週までの話は、こう。暗い部屋の四隅に四人の人が立ち、一人が隣の隅に移動し、そこにいた人はまた次の隅に移動する。4人目が、最初の人がいた隅に移動すると、空っぽであるはずのその隅にはちゃんと人がいる、という話。ぞ、ぞーっ!今日のは、座敷わらしにかごめかごめ。ここにも取り上げられている宮沢賢治の座敷わらしの定義(「ざしき童子のはなし」から)は昔から大好きだ。次男に「ざしきわらしって何?」と問われると必ず賢治の例を挙げて説明してやる。「最初10人いたのに、いつのまにか増えている11人目がざしきわらしなんだよ。どの子もどの子も知っている子なの。でもどの子が増えた子なのかわからないの。」日がさんさんと射す昼下がりの座敷から、箒で掃く音がする。行ってみると座敷はしんと静まっていて日の光があるばかり、というのも怖いより懐かしい。この感じは都会の子にはピンと来ないかも知れない。このコラムがゆくゆく本にまとまること希望。

2001.0223(金)
購入本
オースン・スコット・カード/『エンダーの子どもたち』上・下/ハヤカワ文庫SF
山之口洋/『われはフランソワ』/新潮社

 「時代」という言葉の使い方については別に普段何も考えているわけでもないのに、それでも人が何かこだわっているのを見てやはり自分もどこかどうもひっかかっている気がしてなんか言ってみたくなるのはなぜだろう(息継ぎ)。

 「時代」とはあまり私が使う用語ではないと思うが、たしかに既定の過去ばかりか現在までを含むひとつの時間的区切り、時には幾分未来にはみ出しつつある分についても使えるというのが私の感覚。でも多分後のふたつの場合の立ち位置は、既にフライングしてほんのちょっと未来であるように思う。だから「これこれの時代」と今を規定してしまうためには使いたくない(規定>既定に非ず)。今を理解するための方便としてならば可。

 「思い出づくり」という言葉が大嫌いだ。主体である自分が瞬間瞬間の今を生き、のちに過去になった物事を振り返るときに記憶に残ったものが思い出なのだろうに、あたかも仮に未来に立って振り返った時に後悔しないように、と作為的に「つくる」思い出って何なのだろう。それこそ本末転倒、どこか意識の時制が混乱していると思う。「時代」という言葉の使い方に、このあたりに抵触するものを感じるのだろうと思う。

 「後悔先に立たず」という格言は、あまりにも当たり前で一種自家撞着的、でも素晴らしい言葉だと思うが、じつは「思い出づくり」という言葉はこれに似ていなくもない。今つまらないことをして後でああすれば良かったこうすればよかったと思わないように…と。でも「後悔先に立たず」はいわばその時々を十全に真摯に生きることを言っているのであって、「思い出」の作成が第一義なのでは断じてない。思い出は自然と出来るもので、作るものではないのだ。
 そうそう、この格言は、人間に学習能力があることと、その学習能力に限界があることの両方を表しているとも言える。

 でもって、今日は次男の保育園生活最後の保護者会で、子供らと一緒にクッキーづくり、ドッジボールなど。一旦仕事で大手町の会合に行く。夜は謝恩会のための準備でまた保育園仲間の大多数が集まり、担任に贈る予定のビデオレターの作成や、謝恩会当日のプログラムの打ち合わせをした。
 こうして間もなく末っ子の保育園時代も幕を閉じようとする今、後に悔いを残さないように卒園式と謝恩会が楽しい思い出となるべく努力する母親たちの一人として、私はうららかな春のような一日を過ごしたのであった(*^_^*)

 あまりに暖かいので体はすっかり春モード、せっかく乗った地下鉄でも読みさしの『クラゲの海に浮かぶ舟』を何度も取り落としそうになるくらいうっとりと寝入ってしまった。だが、ちょ、ちょっと待って、いまの部分は何だったの?という思いについページを戻すのは、眠気のせいばかりではないぞよ。

2001.0222(木) にゃんにゃんにゃんの日
購入本
アンジェラ・カーター/『ワイズ・チルドレン』/早川書房
キングほか/『レベッカ・ポールソンのお告げ』/文春文庫

 実家のどこかにあるはずのアンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』にアンジェラ・カーター「ご主人様」が出ていると知り急ぎ読みたくなったので購入。見ると他にジョナサン・キャロルやトーマス・ディッシュも収録されていた。持っているのに読んでないのでは本当に宝の何とやらと、大反省は今日も続く。

 『クラゲの海に浮かぶ舟』の半分ほど。君とは?機一郎とは?『かめくん』でも感じたが、どこか椎名誠に似ている。擬音などの言葉遣いだろうか。そう言えば迷路ならぬ迷宮の本読まねば。

 bk1に予約した『エンダーの子供たち』、発送のお知らせはあったがまだ届かない。どうせクラゲ読んでから『ゼノサイド』、そのあとにならないと読めないのだが。うう読みたい本目白押し。<目白ってやっぱり十姉妹みたいに止まり木にぎゅうぎゅう並んで止まるのかしら?

 先日自宅に最も近い、商店街の中にあるごく普通サイズの本屋で、おぢ(い)さんが店員に訊いている。「ちーずの本、どこ」あ、あれだな、ちょっと訛ってるが例のチーズの本だな、とピンときたが、店員「地図はそこです」「…どこっ」「お客さんの目の前」「…違うよ、ちーずの本だよ」「だから(とせかせかそばまでやって来る)そこが地図ですよ」「ちがうよー、チーズの本だよっ」「ああ〜、チーズの本ね。ないです。売り切れ。」「なんだっ(ケッ、と去る)」応対したのは店長の奥さんだと思うのだけど、しっかりせいよ。でもそんなに面白いのかしら、話題のチーズの本って。

 間もなく発売の『ドラゴンの眼』(スティーブン・キング)の装丁がなんと、たむらしげる(2/11参照)。

2001.0221(水)
購入本
J.R.ヒメネス/『プラテーロとわたし』/岩波文庫
別役実/『道具づくし』/ハヤカワ文庫NF
田中啓文/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』/ハヤカワ文庫JA
デュアル文庫編集部編/『Novel21 少女の空間』/デュアル文庫
梶尾真治/『さすらいエマノン』/ 〃

 肩こりは相変わらずで、昨晩も日記書き始めでばったりのびてしまいそのまま朝。肩と言ってもン十肩のように腕の付け根ではなくて、首から背中にかけてがパンパンに腫れたように痛い。うー鍼に行きたい。

 『詩人の夢』読了。瑕疵(と言っていいのではないか)にもかかわらず、魅力ある作品だ。でも、ほんとに、ああ落ちちゃうのね?それと前作でもそうだったがやっぱり詩人のイメージはラフィエル@綿の国星なのだ。

 読みたい本があれこれありすぎて嬉しいを通り過ぎて困った悲鳴。初志貫徹で『クラゲの海に浮かぶ舟』へgoぢゃ。

 しかしこんなに暖かくなっていいのかほんとに。明日は最高気温が16度の予想だとか?そのせいか、先日から、操作無効にしてあるはずのケータイがいつの間にか設定がはずれていて、とんでもない人宛てに発信していたことが3件も判明。そのうち1件はカワカミムツさんで、もう1件は東へんしうちょう。なぜにー(しかし気温とは全然無関係だよね)。

DASACON5

2001.0220(火)
ご恵贈本 from KANAZAWAさん
石川淳/『紫苑物語』/講談社文芸文庫
荒巻義雄/『時の葦舟』/講談社文庫
『別冊新評 SF-新鋭七人特集号』昭和52年7月10日/新評社

 『少年マガジン』に連載中の「魁!!クロマティ高校」は面白い。長男が、単行本を探してもどこにもないないと騒いでいる。「気に入った!おもしろい!」と言ったらバックナンバーを引っ張り出して見せてくれた。絵がきたならしくないのもいいな。

 『詩人の夢』読み途中。つい詩人の恋@シューマンと言い(書き)そうになる。

 『別冊新評 SF-新鋭七人特集号』にて、美しい人の横顔など(*^_^*)

2001.0219(月)

 きのう今日と暖かく、外気が心地よい。娘に言わせると「マフラー要らず」だ。いつの間にか梅が満開である。普段梅の木があるところを通らないので、先日思いがけず白梅紅梅が日だまりに咲いているのを見て、その色彩にあらためてこの冬の寒さを振り返らされた。

 昼休み、ようやく『血染めの部屋』を読了した。最後の「狼アリス」も、素晴らしかった。狼に育てられた少女アリスが助け出されて修道院でしつけを受けるが、そのうちさじを投げられて預けられた先の公爵が実は狼男、という設定である。鏡とアリス、花嫁衣装と血。人間と狼という裏表が反対である二人。怪我による血をアリスに舐め取られるうちに鏡の中に公爵の顔が浮かび上がるさまが、言いようもなく美しく余韻を残す。降参。

 『紫の砂漠』の続編である『詩人の夢』を本格的に読み始める。前作に比べて、程良い余白(具体的にも抽象的にも)があるように思う。が、途中ながら、前作と同じ様な小さな、けれども興を削ぐような点が目につき気になる…。たとえば守る性なら守る性、生む性なら生む性と統一したまえ〜。こうした点がまたもや中途半端なので、いわば信用度が低くなってしまう。構築された世界が独特で魅力あるだけに、余計もどかしい。しばし口チャック、見ないふりをして読み進もう。

2001.0218(日)
購入本
アリソン・アトリー/『西風のくれた鍵』/岩波少年文庫
キット・ピアソン/『丘の家、夢の家族』/徳間書店
稲垣足穂/『稲垣足穂全集5』/筑摩書房
東雅夫/『新訂 クトゥルー神話事典』/学研M文庫
ロバート・F・ヤング/『ジョナサンと宇宙クジラ』/ハヤカワ文庫SF
小林敏也・画、宮沢賢治・作/『画本 やまなし』/パロル舎
『SFが読みたい!2001年版』/早川書房

 久しぶりに娘と二人で外出。表参道のクレヨンハウスのランチバイキングが食べたい!と言う娘のかねてからの希望である。到着するとちょうど12時を回ったところだったので、まず地下のレストランへ直行して食事。鯵のマスタード焼き、ブロッコリとカブのトロロオーブン焼き、コンニャクと青菜の柚みそ和え、ほか数種の野菜中心のおかずと玄米ごはんという献立のバイキングである。ここのお昼ごはんはつい食べ過ぎてしまうのだが、脂っこくないので食べ過ぎたときによくある、いやーな感じの満腹感とは違った、あー、いい食事をした、という満足感がある。本の売り場、おもちゃ売り場をぐるぐるっと回って、おなか以外も何とはなしに満足する。
 お散歩日和の表参道をふらふら原宿方面に歩くと、キディランドあたりから人間の数が急に増えて年齢層もぐっと下がる。明治通りを千駄ヶ谷方面に歩く。道の向かいにブックオフが見えると急に娘が「寄っちゃダメ!」と足を速める。「原宿のブックオフがダメなら目白のブックオフ〜」「だめっ」「じゃ要町のブックオフ〜」「だめっ」などとアホなことを言いつつ、栗原はるみの店「ゆとりの空間」に行ってみた。意外に狭くて思ったような品もなく、これなら池袋東武百貨店内の彼女のコーナーと大差ないとがっかり。せっかくだからと2階でお茶とケーキ。オレンジチャイなるものは、大振りのカップの泡立ったチャイ(濃いミルクティ)のなかにオレンジの厚めのスライスがどっぷりひたっているもの。始めはほんのり、次第にしっかりとオレンジの香りが付いて、これは美味だった。原宿へ戻るためにン年ぶりに通った竹下通りは、近郊からやってきたとおぼしき中学生(かそれ以下)がわんさか溢れていて、まるで巣鴨だね、などと言いながら歩いた。意外に何でもある池袋は、捨てたもんじゃないと思ったり(*^_^*)

 でもって池袋、おきまりのリブロへ。娘がときどきカレシとジュンク堂へ足を運んでいると聞き、ちょっと見直す。

 『SFが読みたい!2001年版』をあちこち拾い読みする。普段から自分と趣味の合いそうだと思っている評者の選んだベストをみて、読み落としているものをチェックするが、これが結構あるのだった。ファンタジー系統を読んでSFも読んで、ということになるとずいぶんな数になる。最近はWeb上で情報が得やすくなったためか、SF系統よりもファンタジー〜幻想系統で読みたいものが多くて困るのことよ。
 それから意外に穴なのがSFMに掲載される短篇なのだけれど、どうやって消化したらよいのか悩むところ。だらだらしていないでステッパーを踏む時間を取って、踏みながら読めばいい!と思ったが、考えてみると最近では「だらだら」イコール「家事をしないで本を読んでいる」状態だからこれ以上読書時間の増やしようがないので困る。あ、今こうしているのを止めて読めば良いのだがそれがなかなかむにゃむにゃ>インターネット中毒の私

 『ジョナサンと宇宙クジラ』は、持っていると思っていたのに、実家を整理したとき見あたらなかったので、復刊を期に購入した。ありがとう復刊。
 また『画本 やまなし』は小林敏也氏の絵が非常に美しく宮沢賢治の「やまなし」の情景を目の前に浮かび上がらせてくれる、素晴らしい本である。宮沢賢治ファンには一見をお薦めする。

2001.0217(土)
購入本
土屋賢二/『人間は笑う葦である』/文春文庫
重松清/『定年ゴジラ』/講談社文庫
光瀬龍/『夕ばえ作戦』/ハルキ文庫
和泉雅人/『迷宮学入門』/講談社現代新書
天沼春樹・文、大竹茂夫・画/『アリストピア』/パロル舎

 朝なかなか起きられず。ボーっとして高校生ふたり(チュー坊ならぬ高校生は何と呼ぶのぢゃ)を送り出した後、めったに飲まないコーヒーを淹れる。最近時々飲むのは、ヴァニラとかアイリッシュクリームなどのフレーバーコーヒーなのだが、先日、これらのフレーバーだけが別売りされているのを発見。ちょうど今日でヴァニラフレーバーのがなくなったので今度買ってこよう。ただし眠気覚ましが目的なら、コーヒー一杯より緑茶や紅茶の方がカフェイン含量は多いと言うことになっているので念のため。

 先日行けなくなった次男のお友達のところからお誘いがかかり、買い物がてらに送ってゆく。おかあさんもドーゾと言われて、寒かったのでついおじゃましたっきり3時間経過。ほとんど四方山話をする機会もないのだがたまにおしゃべりするのは楽しい。4月からの小学校の話のほかはお互いの職場の話に終始する。医療関係者のモラルとか。

 このお宅に、我が家のと同じステッパー(歩くキカイ)があったので「きゃーうちのと同じ」と言ったら「すでにオブジェ化してます」とお返事。そこも我が家と同じ、でもこの頃うちではまた復活しているのだ。今日も20分せっせと歩いたら足がだるい。たいてい本を読みながら歩くのだが、集中するといつの間にか足が止まって立ち読み状態になっている。『血染めの部屋』は確かにこれには不向きらしく、止まってばかりだ。
 これは昔話の語り直しとはいえ、よくある安易な語り直しとはまったく違うそれ自体一級品の作品だ。夢の中の情景のような語り口、クリスタルのような切り口、独特の色彩感覚。今日読んだごく短い「雪の子」も生のイメージがそのまま放り出されたような、雪と棘のモチーフがぐさっと痛い。

2001.0216(金)
購入本
James Tiptree,Jr./"Out of the Everywhere, and other extraordinary visions"/Del Rey

 『血染めの部屋』(カーター)と『詩人の夢』(松村栄子)を交互に読んでいるが、強烈な睡魔に一日言い寄られているのであまり進まない。カーターの強烈なヴィジョンに、村松栄子はやや顔色なしといったところか。別々に読んだ方が良さそうだ。

 職場のキャンパス内で、顔見知りの三本足のねこちゃんが、イエバトを捕獲して一心に食べているのを目撃。その辺から飛び立ったカラスが口に何か長いものをくわえて私の前をすうっと横切ったのを見て、何だろうとその姿を追いかけた。くちばしにくわえられていたのは、十センチくらいの細長い骨。ちかくにゴミ置き場があるわけでもなし、と思ったら、少し先に、鳩の羽根が盛大に散らばっている修羅場あとが。あー、ネコちゃんだな、と思った瞬間、その奥の方で、いましも丸ごとの鳩の胴体をくわえて、くだんのネコがお食事中。一口ごとに口の回りや鼻の頭に鳩の羽根がふわふわぺたぺたとくっついてくるので、邪魔がって頭を振り、フンフン鼻息をたてながら食べているのが笑いを誘う。一度バシッと目があったが、こちらがただ眺めているだけと納得したのか、またはぐはぐ一心に食べ始めた。

 投票によって選ばれた2000年に刊行された「SFベスト20」をみると、ここにあがっている作品を、自分の認識よりは結構読んでるじゃん、と思う。『エンディミオンの覚醒』『レキオス』など(ヤッホー)上位作品はともかく、『黄金の羅針盤』が良く健闘していて嬉しい。気になっていながら読んでいないものの中では『隠し部屋を査察して』が目をひく。『夜ごとのサーカス』は候補に入っていなかったのね。

 "Out of the Everywhere, and other extraordinary visions"がAmazon.comから届いた。1999年に掲示板がひとしきりティプトリー・ジュニアで盛り上がった頃に注文して、品切れだったのをそのままにして置いたら、先頃「古本がありましたよー」と連絡が来ていたのだった。すっかり忘れていたのでちょっと驚いた。収録作の中でも特に"Slow Music"の一部でよいから原文で読んでみたいと思ったのだ。…うー、最後の美しいところだけ読んでみたけれど(難)、やっぱりとても素晴らしく、非人間的でもある胸をかきむしるようなあこがれと喪失感とが、一種激しい夢の景色のように目の前に立ち現れてきた。言葉の力ってすごいと改めて思う瞬間。

2001.0215(木)
購入本
佐野洋子/『猫ばっか』/講談社文庫
村松栄子/『詩人の夢』/ハルキ文庫
『ネムキ』3月号/朝日ソノラマ

 Webをさまよっていたら出身高校の同窓会のサイトに再会。前に見たときから若干更新されたリンク先に行ってみると、思いがけない写真に出会った。正門からすぐの校舎の入口をはいって、そのまま建物をくぐり抜け校庭側に出ると、目の前にはまん丸い池と噴水がある。両側には大きな木が立っている。その池を校庭側から撮った写真なのである。校舎は建て替えられてしまったので、もう二度とこれを見ることはないと思っていたが、なんとこんな所でお目にかかれるとは…。花どきには教室まで芳しい香を振りまいてくれた大きなユリノキ…体育祭や卒業式の後には必ず誰かが放り込まれた池…秋にはこの回りで用務員さんの燃やしている焚き火で焼き芋をするのが常だった。ほかにも、スペインなどに題材を取ったおおらかな絵を描かれた美術の先生のご消息(残念ながらご逝去)、えらくしごかれた英語の先生の近影(ぎょ!)が見られ、しばしボーっとさまよってしまった。
 カマ○リというピッタリのあだ名のこの英語の先生は、特製の、わら半紙裏表びっしりタイプ打ちのプリント教材をどっさり作成されて我々を容赦なくしごいてくれたので、私に英語力というものが多少なりともあるとすればそれはほとんど全てこの先生のおかげだと思っている。当時はちょーいやな先生の筆頭であったけれど。高2の娘にその授業の様子を話すと、「いいなあ、そんな授業だったら面白いと思うよ!うちの先生、そんなことちっともやってくれないもん!」とうらやましがられた。でも当時は大変だったけどね。
 ほかに、校歌や応援歌、第二校歌の歌詞も載っていて、思わず口ずさんでしまう。ついでに口をついて出てくるのは、古文のおまじない「るーらるゆーらゆすーさすしむす、ずーむーむずじ、まほましふ!きーけりつーぬーたりたしけむ!」なぜって校歌や応援歌の後には続けてこのおまじないを怒鳴るのがお約束だったから(おまじないの意味、おわかり…ですよね!)。ひやー、いったい何年前になるんだろう、な・つ・か・し・いっ!

2001.0214(水)
購入本
チャイナ・ミーヴィル/『キング・ラット』/アーティストハウス

 職場に、『血染めの部屋』を持っていったと思ったらすっかり忘れていたので、代わりに手提げに入っていた『イギリス新鋭作家短篇選』からノーフォークを読む。「ボスニアン・アルファベット」と言う題で、Aから順に項目を建ててあるので言ってみれば『悪魔の辞典』みたいなものか、と思ったが、そう言うわけではなくてじきにギヤが入ったようにひとまとまりの話として動き始める。

 先日青山に行ったとき、道ばたで「キャンペーン中でえす」と呼び止められて三角くじを引いたら、無欲の次男はハズレ、無心の私が2等を引き当てた。1等だったらTDL招待券だったのに、残念、当たったのはケータイだった。なーんだどうせキカイだけただでくれて、契約手数料も払わなくちゃならないんだろう、とあっさり断ろうと思ったが、EZWebつきで月々の使用料だけでいいんです、と言われてつい心が動く。
 昨年娘が内緒で祖母にケータイを買ってもらい、それがばれてすったもんだあったのだが、実際娘にしろ長男にしろ、行動範囲が広くなってくると連絡が取れなくて不便だったり不安だったりすることも多い。ケータイと言うものが世の中にそもそもなければそれきりなのだろうが、なまじあるものだから、こんな時にはケータイあると便利よねえ…とつい口走ってしまうこともままあるのである。そういう下地があるものだから、毎日じゃなくても必要なときに持たせられるように、もう一つあってもいいわよねえ、なんて思ってしまったのだ。サインして、カード番号を書いて…ここでさすがに一抹の不安があったので、しっかり彼らの名刺をもらったりして契約。ところが帰宅してから段々不安になり、あれは一体何のキャンペーンだったんだろう?などと考え始めると気になってたまらない。カード番号を悪用されたりしていないかと、翌日も銀行に行って残高を確認しちゃったり(最初から断ればいいのに)。2,3日気になっていたが、あっという間に忘れた頃のきのう、現物が到着していた。幾分古いモデルのような気はするが、ま、いいや。それにしてもこういう商売って一体なんなんだろう。謎だ。

2001.0213(火)

 昼休みに行った郵便局で、多分受験料の払い込みをしようとしている若い男の子がいた。今日が締切なので急いで払いたいと言っているらしい。
 係の人が「締切と言っても、今日払い込みすればいい締切なのか、今日向こうに着いていなければいけないという締切なのか、わかりますか?」と訊ねている。男の子はそれがどういう意味かよくわからないらしくボーっとしている。「なにか応募要項みたいなものを確かめた方がいいですよ、持ってないのかな?」「……」「応募要項あるといいんだけど」「…えと、あります(ボーッ)」「あるの?」「はい。持ってる」「今持ってるの?」「はい。」でも動かないでただボーっとしている。「今持ってるなら、見せて」「あ、はい…」とやっとここで動いて、外に止めてある自転車に取りに行く。書類を渡された係の人が「えー(と書類を見て)、あー、今日届いていないとダメだわ。ここで送っても今日は届かないから、受け付けられないのよ。」「そうですか」最後まで淡々と返事をして帰っていったけれど、どうするのかしら。終始呑気というか何というか…。うちの息子もああなんだろうか、と急に心配になった。それにしても郵便局って意外に親切なのだなと思う。

 アンジェラ・カーター『血染めの部屋』の表題作を読む。青髭に題材を取ったいわば語り直しである。これがまた面白い。時代はほぼ現代、覗いてはいけないと言われた禁断の部屋(=血染めの○○部屋)を覗いたために、夫である侯爵(といっても実業家)に処刑されようとする主人公(ピアニストの卵)を救うのは、馬に乗って駆けつける彼女の母親。母親は若い頃の武勇伝を持っている。
 カーターはフェミニズムの人ということだから、もちろんそう言う目で寓意を汲み取りながら読むのも大事だろうが、まず素直に話を追って行くだけでその描写の簡潔で美しいことが印象に残る。たぶん原文もそうなのだろう、修飾の多い、必然的に読点の多い文なのだが、すんなり頭に入ってくる気持ちの良い文章でもある。これに対して、続けて読んだ小谷真理の解説が、意外にわかりにくい文章だった。主語述語の対応がはっきりしない、と言うか、意味が曖昧と言ったらよいか。
 訳者の解説に、マジック・リアリズムへの言及あり。「彼女(カーター)はイギリスにおけるマジック・リアリズムの第一人者である」とも。最後の作品『ワイズ・チルドレン』もぜひ読みたい。

 所用でいつもより一時間ほど帰宅が遅くなる。やっと最寄り駅に着いてちょうど来たバスに乗り家に電話すると留守。次男の保育園のお迎えを頼んだ連れ合いの携帯に電話したら、なんと安易に「中華やさんにいるよ」と言う返事である。しかもそのお店はそのバスに乗ったのではむしろ遠くなってしまう場所にあるのだ。せっかく電車もバスも電話をする間もないくらい珍しくタイミング良く来たのに、それが逆にあだとなって、バス停でおりてからまたもやたくさん歩くことに…折から冷え込みが厳しく、とっても悲しい気分だった。うー。

2001.0212(月)

 スキー部の長男が石打に遠征(なんかの大会だそうだ)。三連休最後の日なのに朝5:30起床。眠!
 とりあえず起きて、何か食べ(させ)て、連れあいの車で二人が出掛けてゆくまではがむばっている。出掛けたとたんに布団に潜り込み寝る。二度寝は甘美なのよ〜。娘も中学時代の友人の家にお泊まりなので至って静かな朝である。

 まだ風邪っぽくやる気なし。たらたら過ごしつつ、『夜ごとのサーカス』の残りを読む。なんて美しく軽やかなのだろう。名残は惜しいがついに読了。「ああ、面白かった…!すごく良かった!」と喜びの嘆息まじりに言うと娘が「この頃ずっと当たりばっかりじゃない?」と言う。「厳選してるもん!」と即座に答える。無意識にか、意識してかはともかく、確かに厳選しているという言葉に嘘はないと思う。

 シベリアの地に住む部族のものたちは、「時間の経過を、光と闇の単位、雪と夏の単位によって測っていた。」彼らは、「十九世紀が二十世紀に変わらんとするときの、まさにその瞬間が、猛烈なスピードで近づきつつあることには気づかないままだろう。」
 このあたりさらに1ページか2ページは、歴史や時間のあり方、神話と歴史、過去・現在・未来のとらえ方のあるビジョンをぱっと見せてくれる、簡素で親しみをすら覚える記述だと思う。p.442〜444にかけて。どうもこのあたりは特に、舞台となるのが北の国でシャーマンが出てくると言う共通点がある、と言う以上に、先日から読み続けている(今はちょっと休止状態)『ゴースト・ドラム』とその続編"Ghost song" "Ghost Dance"に見られる変容と重なるように感じられてならない。

 母のところに行き、北野勇作『昔、火星のあった場所』『クラゲの海に浮かぶ舟』を持ってくる。自宅の本棚から出したのはアンジェラ・カーター『血染めの部屋』。題名が何やら刺激的であるよ。

 夕方になって、メイルで6MB以上もある添付ファイルを送ってきたお馬鹿があり、大迷惑。そんなどうでもいいものをやたらにでかい絵なんかつけて送ってくるな〜!!しかもちょっとした案内状をなぜかExcelで作っているのはどういうわけ。これって普通するのでせうか。イヤもう。

2001.0211(日)
購入本
恩田陸/『MAZE』/双葉社
柴田元幸訳/『イギリス新鋭作家短篇選』/新潮社
アンジェラ・カーター/『シンデレラあるいは母親の霊魂』/筑摩書房
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/『砂の本』/集英社
ロドリゴ・レイローサ/『船の救世主』/現代企画室
アイザック・アシモフ/『ゴールド−黄金−』/ハヤカワ文庫SF

 次男のランドセルとか卒園・入学式用の服とかを仕入れに行く。ランドセルは結局一番普通の形のものに落ち着く。色だけは本人ご希望の紺色になった。結局デザイン優先のものは留め金などが強度に欠けていたりするので、消去法で無難な形のものが残るのである。つまんないけど。
 久しぶりにリブロで本を仕入れる。これから重松清のサイン会があるということで児童書売場の入り口をふさぐ形で会場設営をしていたが、彼らは、そばを窮屈そうに通り抜ける客(私たちとか)にはまったく気遣いがなく、なぜか態度がでかい。

 その次男、日曜洋画劇場の「ホームアローン2」に大受け。一人で大爆笑している。その姿を見ている方がよほど面白い。

 昨晩『上と外 4』読了。ちょうど娘が『上と外 2』を読みかけているらしく、「超おもしろいよねこれ!」と言っていたので、さっそく回す。カレシがホラー好きだというので、先日小林泰三と乙一を貸してやったら、やはり乙一のほうが面白かったらしい。カレシはいちおう理科系なのでいけるかと思ったのだが、小林泰三はもうすこし大人向けなのかもしれない。

 『イギリス新鋭作家短篇選』には『ジョン・ランプリエールの辞書』のローレンス・ノーフォークの「ボスニアン・アルファベット」という短い作品が掲載されている。

2001.0210(土)
購入本
恩田陸/『上と外 4』/幻冬舎文庫
田口ランディ/『縁切り神社』/ 〃
上遠野浩平、菅浩江他/『NOVEL21少年の時間』/徳間デュアル文庫

 午後お友達の家に行くはずだった次男、向こうのおかあさんが風邪のため延期になってしまった。我が家のおかあさんも二日続きの寝不足がたたって、頭がぐらぐらしている。先週の土曜に行った小林敏也展にもう一度行くつもりだったがさすがに取りやめる。三連休だというのについてないなあ。

 近所での本屋では『上と外4』はあったが『MAZE』は見あたらず。重い頭にカーターはもったいないので、『上と外4』を読むなどしてひたすら休養する。
 DVD『ナビィの恋』を見る。ナイマンのテーマミュージックが、さほど耳に印象が強いというわけではないのに実は半ば無意識下に強く働きかけているようだと気付いた。
 昨年この映画を見たあとに『風車祭』など池上永一を読んだので、彼の世界がすんなり頭の中で映像化できたのだろうと思う。

2001.0209(金)

 昨晩、職場関係の書き物のため、寝たのが3時半近くで、起きたのが7時過ぎ。よろよろ状態で出勤する。うー。

 職場の所長とお話。彼のお父上は私の高校の大先輩なので、何となく親近感がある。彼自身は以前、私の直属の上司のお連れ合いの双子の兄弟の同僚だったりする(複雑)。前の所長という人は所の運営については全然ペケの人だったので、余計この新所長の長所が目立つ、とはもっぱらの評判である。

 『夜ごとのサーカス』は幻想的な度合いを増してくる。シベリアの雪原に、ドラムを持ったシャーマンが出現したのには驚いた。『ゴースト・ドラム』がそのまま現れたかと息をのんでしまった。これは一体どの地域のシャーマンの姿なのだろう?
 サーカスの道化たちも霞のように消えてしまった。頭の中味がぶっこわれてしまったウォルサーが「コケ、コッコースキー!」と啼きながら羽ばたく姿さえ美しい。

 でもってTVで「タッチ」を録画しながらつい眠気に負けて目を閉じたら、次に気付いたのが2時半だった。真面目に寝直したのだが、それからがさあ大変。いびき(連れ合い)・蹴飛ばし(次男)攻勢で、いましも眠りに落ちようとするのを何度引き戻されたことか…!輾転反側、そのうち朝刊が配達される音が…うーん死にそう。

 有里さん思い出させてくれてありがとう。先日ジュンク堂で実物を見て気に入った『アリストピア』、改めて買おうと思ってそれきり忘れていたのだった。というわけで、ひとさまの本の購入記録はじつに有用なのでございますよ>風野せんせい

2001.0208(木)

 大きな満月。

 『夜ごとのサーカス』はペテルブルクの章を終わり一路シベリアへ。翼のある空中ブランコ乗りの大女フェヴァーズは、ペテルブルグでのサーカスの最後の晩、ダイヤモンドに惹かれて大公の晩餐の招待を受ける。等身大の彼女自身の氷像がぽたりぽたりと鼻先から融けて行く。護身用のおもちゃの短剣も折られてにっちもさっちも行かなくなりそうになった瞬間、模型のシベリア鉄道を床に置き…彼女はすんでのところでそのシベリア行きの列車に乗り込むことが出来た。
 列車はサーカス団を乗せて酷寒の雪原を行く。と、列車は何かに衝突して炎上する。虎たちは客車にあったおびただしい鏡のかけらの中に消えてしまう。
 このあたりのシーンの美しさと言ったらない。それまでも、物言わぬアビシニアの王女とはかないミニヨンとの二人一組と、猛々しい虎たちの対比が心を奪うばかりであったのに、この列車の破壊を境に、今までフェヴァーズに次ぐ存在感を誇っていた虎たちが、雪原の静けさに吸い込まれたように消えてしまうのだ。カーターの筆はますますさえ渡る。
 ここに出てくるのがミント・ジュレップ。出番ですよ、にじむさん

 彼はバーボンをたっぷりと持参しており、さっそく食堂車の給仕に、彼が先見の明をもってペテルブルクの園芸家から調達しておいた鉢植えのミントの小枝を使って、それなりのジューレップを作る方法を教え込んでいた。

 おっと、今日は職場関係の書き物があるのだった(珍)。

2001.0207(水)

 帰宅する頃は氷雨。傘に当たる雨音が、幾分ばらばらと硬い。夜には雪に変わるのか、と思っているうち本当に雪になる。食事が始まる頃に帰宅した娘が、「うー寒いなんてもんじゃない、凍る凍る〜!」といいながら駆け込む。「ほれ、さわってみ!」と突きだした足先は赤く凍えている(バレンタインには毛糸のぱんつでもプレゼントしようかなっ)。しかし冬はやはりこのぐらい寒くないといけない。吐く息が白くないなんて冬じゃない。昨年は気味悪いくらいの暖冬だったが、今年はびしっと寒気が心地よいまっとうな冬である。こんどの連休あけには長男がスキーの大会だ。雪がたくさん降りますように。

 昨日の読売新聞の夕刊の記事。池田清彦(構造主義進化論の人)の「ヒトゲノム解析の行き着く先」という記事(13面、活字のレイアウトが凝っているのでどれがタイトルかよくわかんない)が面白かった。ヒトの個人間のゲノムの塩基配列の違いはトータル30億の塩基対のうち約0.1%の300万。この配列の違いのほとんどはスニップ(SNP、単一塩基多型)と呼ばれてDNA上でたった1個の塩基の違いによると言われる。

スニップは単独では表現型の違いをもたらさないが、沢山組合わさって個人間の微妙な差異の原因になると信じられている。

 日進月歩の遺伝子工学技術により、あなたの子供のスニップを入れ替えて、身長を高くしたり知能をよくすることが出来るかも知れない。自分の都合に合わせて自分を変えることが出来るようになるかも知れない。しかしそこに一種のパラドックスがあると池田氏は続ける。

 ヒトの都合とはヒトの欲望と言い換えても良い。欲望もまた遺伝的基盤を持つならば、都合を変えると言うことの意味がおわかりであろう。
 人類は欲望に併せて社会システムを構築してきたが、欲望そのものが変われば、話はまったく違ってしまう。多くの人はヒトの性質を変えてしまうなどとは、とんでもないと思うであろう。私もそう思う。しかし、ことの正邪を決定するのもヒトであり、ヒトが変われば正邪もまた変わるかもしれないではないか。

 て言うような文化欄などの記事はネットでは読めないのかな。

 相変わらず『夜ごとのサーカス』。映画「道」のジェルソミーナのような感じの女性が、虎たちの檻の中で、飾り気のない美しい声で「君よ知るや、南の国…?」と歌い、虎たちは耳をそばだてる。ほかの作品もこんなふうなのだろうか。

 相変わらずの肩こり(痛〜)。

2001.0206(火)

 おとといの晩、右肩に一カ所、しっかり凝っている部分があった。昨日起きるとそれが両側に広がり、まるで肩にずしっと砂袋でも置いたように苦しく、しかも細かいチクチクという感じに痛い。赤く腫れているんじゃないかと言うくらい。振り向くのにも一瞬覚悟が必要だ。あ、これを称して首が回らない、と?いででで。

 今日は比較的暖かい一日。職場のキャンパス内では立木の枝おろしをしている。気の毒なくらいに幹だけになってしまった木々に、やたらに空が広い。さすがに「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うだけあって、桜は切られていない。よく見るともう桜の枝には小さな蕾のもとがたくさん用意されている。ふと通りがかった生垣では、かすかに沈丁花の香りがした。逃げて行く2月は、もうすぐ中旬になってしまう(ちょっと早すぎか)。

 アンジェラ・カーター『夜ごとのサーカス』の続き。背中に翼のある空中ブランコ乗りフェヴァーズへの長いインタビューは結局朝まで続く。彼女に魅入られた記者ウォルサーは、自分がサーカスの巡業に同行して記事を書いたら?と思いつく。ロンドンの章を終わりペテルブルグの章へ。ウォルサーが道化としてサーカス団員になっていて、逃げた虎に怪我をさせられてしまう。
 カーターを読むのはこれが初めてなのだが、大変に面白い。こういうテンポはやはりイギリスの作家の系譜を継ぐものなのだろう。最近の『大聖堂の悪霊』『五輪の薔薇』とか『ランプリエールの辞書』とかと同系列のテイスト。

2001.0205(月)

 きのう長男が『スクリーム3』を見ている最中、ちょっと来い!早く、早く!と呼ぶので行くと、「このおばさんスターウォーズに出てた人!?」と訊く。画面を見て「う、うう?」と答えあぐねているとさらに「ブルースブラザーズにも出てた人でしょ?」と言う。よっく見るとそのおばさんは確かにあのレイア姫なのであった。長男、ひとこと「太った。」そうか、こんなところに出ていたのですか>キャリー・フィッシャー
 
 ついつい、北野勇作『かめくん』読了。途中の猫の肉球のくだりはツボ。ワープロをかたかた言わせながらあれこれ推論するかめくん。言葉を発さないだけに聞き上手なかめくん、そのせいか周りの人はかめくん相手につい本音を言ってしまう。田んぼの中の巨大迷路のような所で温泉に迷い込む。いつも淡々としているかめくんの頭もくらくらしてくる(読者はもちろん)。カメの甲羅の中にするりと潜り込んでしまうかめくん、世界の中の世界?世界の裏側の世界?どちらが裏で表か、そこに内と外の区別があるのかないのか、外から甲羅の内側への敷居がメビウスの帯のひねりにあたるのか。
  戦争のための木星への旅に冬眠が可能なものをという理由でカメが選ばれたという、このレプリカメたちは不要な記憶は意識の外にしまわれていて思いだそうとしても思い出せない、けれどもかめくんはラストにその冬眠を思い出す、というのはつまりかめくんに冬眠が必要になったという事、すなわち【(また)木星へ…か】?
 エピソードが多すぎて、気になるところに付箋を貼っていたら、付箋が林立してしまったのことよ。クーラーもどきの段で中庭に【目のある杭が一斉にこちらを向くところ】はシュールだ。
 面接に行ったかめくんが、運転席だけが闇に浮かんでいるフォークリフトを操作するシーンだが、お正月のSMAPの「世にも奇妙な物語」のキムタク編を思い出してしまったのだ。あれはまた見たい。
 読んでいるときも面白かったが読んだ後の存在感がある事よ。かめくんについてはまだ書くつもり。読了したので晴れてリンク集が読めると思ったのだが、まだ自分の中でまとまらないのでお預け。

 土曜に銀座に行ったとき沖縄物産店「わした」で『ナビィの恋』のDVDを買おうとしたら、生憎と品切れ。これから注文するので3週間くらいかかると言われたが、急ぐものでもないし、と連絡を頼んだら、昨日「スイマセン、今日入っちゃいましたー」と電話。たまたま連れ合いが、今日まさにその前を通るというのでお願いして取ってきてもらう(正しくは「買ってきてもらう」)。これで娘たちにも見せられる。TSUTAYAで探して、と前から言っているのだが、どうも目につかないらしい。

 そうだ9日に『タッチ』が放映されるのだ、忘れないようにしよう。

2001.0204(日)
購入本
中村融、山岸真編/『20世紀SF3 1960年代 砂の檻』/河出文庫
王 超鷹/『トンパ文字 生きているもう1つの象形文字』/マール社

 エンジンのかからない日。しっかり寝坊して雑用をしているようなしていないような…うちに、昼12時を過ぎる。
 本を読む気もいまいち起きず、代わりにHTMLのゴミ掃除(わかるところだけ)。む、むなしい。Frontpageってそんなにゴミが生成されるソフトだったわけ?うう。感想のリストをいじったり、あんまり成果のないことに時間を費やして午後が過ぎて行く。

 そこらの本を例のごとく右から左、あるいは上から下へ動かしている時、話題の『かめくん』をちらっと手に取り、そのまましばし立ち読み。これと前後してマドカさんに販促(ていうか読促)グッズを投函する。

 TVで『追跡者』を見る。トミー・リーはなぜすてきなんだろう。全力疾走しているところとかフェンスを乗り越えるところとか、うーん、好きです。

2001.0203(土) 
購入本
たむらしげる/『ダーナ』/ほるぷ出版
 〃 /『サイレントビジョン』/河出書房新社
 〃 /『標本箱 日記編』/架空社
 〃 /『標本箱 博物編』/ 〃
 〃 /『標本箱 発明編』/ 〃
宮沢賢治作・小林敏也画/『賢治草子』/パロル舎
  〃 /『賢治宇宙』/ 〃
  〃 /『シグナルとシグナレス』/ 〃
遊馬疾風編/同人誌『イバラード気候2』

 南青山ピンポイントギャラリーの小林敏也個展『賢治を引っ描く』に行く。しばしば名前は聞いていたが足を運ぶのは初めての会場である。落っこちそうな螺旋階段をくるくる降りた地下にある小さな画廊だ。ポスターにもなっているこの絵はちいさな非常に細かい絵。画本『やまなし』、『よだかの星』『オッベルと象』などの絵をスライドにしたものを小林氏手ずから見せていただく。とくに『やまなし』は、透過光が、川の水の中から見上げる光や水の泡の揺らぎに非常に美しい効果を与えていた。楽しい時間を有り難うございました>小林敏也さん

 近くのクレヨンハウスに寄って、同行の次男がフィンガーパペットの山に目の色を変える。特に、へび。身長120センチ程の彼が首からかけてぎりぎり床に着かないくらいの長さ、直径は10センチくらいで、のどのあたりから手を入れて口をぱくぱく動かせるようになっている。芸が細かくて、口からものを入れるとちゃんと飲み込めるような作りになっている!気に入っちゃってタイヘン。なんとか勘弁していただく。

 次はプランタン銀座に移動し、井上直久版画展を見る。直筆の油絵も数点あって、よだれ流しっぱなし。いいなあ、このイバラードの世界…。イバラーダーの力作の同人誌を買って、井上さんにサインを頂く。今日流行のサインは、羽根めげぞう。
 離れ難くてさまよっていると、隣のブースに素敵な猫の版画があって吸い寄せられて行ったら、それはフジタの猫シリーズで、中の1点はサイン入りのためサインなしの10倍のお値段@_@。すてきだー(値段が、ではない)。

2001.020(金) 

 『夜ごとのサーカス』の続き。フェヴァーズは、若い頃のロンドンでの生活をアメリカ人記者ウォルサーに語り続ける。その間窓の外では何度かビッグベンが時を打つが、それは部屋にある止まったきりの時計と同じに、くりかえし夜中の12時を告げるのだった。彼女がいくらしゃべっても、まだ・また12時。

 保育園ではぶじ豆まき終了。一山、ふた山、三山越えてやってきた青鬼・赤鬼は、なぜか屋上から現れたそうな。「鬼が来るから保育園を休む〜」と言っていた子も、先生に「鬼退治の大将になれば」と言われて張り切って登園したし、親が休みなので保育園を休もうかと言っていた子も、「鬼が怖くて休んだと言われるから行く!」と言って来たそうだ。ひいらぎもめざしも役に立たなかったらしいが、子どもたちの攻撃には尻尾を巻いて退散したと言うことだ。本当の節分は、明日。
 この、節分にヒイラギとめざしと言う習慣は、いったいどこのもの?

 このサイトはずっとFrontpageを使って作成しているが、心を入れ替えて(どこが)HTMLを克明に見てみると、思いの外にすごい。たとえばフォントの色などをあれこれボタンを押してで変えたりするわけだが、指定を変えるその都度ソースを見てみると、タグがやたらにだぶってしまったり、消したはずの指定がそのまま生きていたり、と、いつまでたっても初級者に私の目にもものすごいものがある。>よく英語を翻訳ソフトで訳した結果を笑うけれど、それと同じくらいにかそれ以上、大変なことになっているのであった。また何か余分なタグが入ってしまって、せっかく直したのが変になっているのではないかと思うと、ボタンが使えなくなってしまいそうだ。うー困った(と、ここまで書いて、今度はどうなっているかまたソースを見たくなる。病気になりそう)。

2001.0201(木) 

 新世紀とか言っているうちに早や2月。

 ちびちび読み続けている"Ghost Dance"(今日はホンの数ページ)、この地球上ではなく全くの物語世界の出来事と思っていた『ゴースト・ドラム』が、巻を追うごとに様相が変化して、2巻目ではエッダの世界のこだまが聞こえてきたかとおもうと、この3巻目ではついにイギリスとかオランダとかこの地球上の地名が出てきて、主人公の属する民がCzarの都の人々には「ラップ人」と呼ばれていることがわかる。
 我々の世界とは別の物語世界と思って読んでいた私には、これは非常な失望ではあったのだけれど、3作目のテーマともからんで、これら3作はなかなかにメタな構造を持っているのではないかと思うようになった。単純に「なーんだ、現実の世界の話だったのか!つまんない」というのではなくて。環境破壊、南の人々の意識など…、それこそプライスよおまえもか、ちょっと安易じゃん、と言いたくなる気持ちが兆すのも否めないが、やはりそこには何かこう、止むに止まれぬ動機、焦燥感が感じられる。
 
 人々が自分たちの生き死にの世界にのみあった北の国(1作目)が、じつは外の世界と交流を持ち、世界観に影響を受けていることが示され(2作目)、ついに、今まで彼ら北の国の人が生きてきた世界が地球上で確とした位置を占める事を知り、彼らは他者によって「ラップ人」という名を与えられる(3作目)。3作目のこの仕掛けと、他者から名前を与えられることによって神聖な木が別物にすり変わって主人公の手から離れてしまう『ノスタルギガンテス』との共通性に思い当たる。美しくも荒々しい北の神話が、無惨に高みから引きずりおろされた感を深くした。現実世界を取り込むことが作品としての瑕疵につながる、と言うのではない。この今、この世界に生きる人間として読むとき、こうした変遷は1作目から年月を経て書き継がれた姉妹編が現代の作品として当然たどらざるを得なかった宿命であり、現実世界の哀しくも凄絶なこだまが響いている、と思うのだ。
 
 また、べつにこの3作はべつに時間軸に沿っているわけではなく、物知りの猫が語る物語という枠が共通しているだけの別個の物語として読む分には、それぞれの舞台となる世界の性格が違っていても、作品を楽しむのにはもちろん別段支障はない。
 でもって、今日のところは都に着いたばかりのShingebissら群衆の目の前で、Czarに疑義を呈した罪のため死刑になろうという貴族を、彼女が魔法で救ってしまうところまで。

 メインの読書『夜ごとのサーカス』は、やっとエンジンがかかってきた。と言っても作品の方ではなくて読み手の私の方が。原題は"Nights at the Circus"、単純な題だけれど、含蓄のある美しい題名だと思う。"Out of Africa"(ディーネセン)と同じくらい好きだ。翼のある大女の空中ブランコ乗りフェヴァーズが、楽屋で記者に来し方を語る。もう1行1行、次々と美しい。今はちょうど彼女が娘の頃、翼が生えて間もなく、鳩の雛のように初めて空を飛ぼうとするところを語る。昔からの付き人リジーと彼女の会話はこう。

「夏の盛りで」とリジーが言った。「ミッドサマー・ナイト(6月24日の前夜)というか、その日の朝早くだった。あなた、覚えていないかしら?」
「ミッドサマーよ、そうだったわ。一年が緑の季節に移る蝶番の日。そうだったわ、覚えてるわ、リジー」
 心臓が一つ鼓動を打つ間の沈黙。

ずっと引用してしまいたいくらい。

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ニムの木かげの家
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最終更新
2001.12.31 01:11:34