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日時計 2001. 1月

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▲最新の日記▼読了本

2001.013)  
購入本
岡野玲子/『両国花錦闘士(りょうごくおしゃれりきし)』1,2/平凡社
Diana Wynne Jones/"The Chronicless of Chrestomancy vol.1, 2"/Fantasy

 すっかり日が長くなってきて、つい先日まで5時には暗かったのに、この頃はだいぶ明るくなってきたように思う。週末は節分、暦の上では季節が変わる。次男の保育園には山から保育園に向かう途中だという鬼からの手紙(巻物)が届いた。血のしずくらしいしみがついてぼろぼろになった巻物…。保育園は大騒ぎになったらしい。鬼は保育園までの道中のうち、ふた山越え、あとひと山を残すのみだという。鬼の来襲に備えてめざしとヒイラギを園中に貼りつけ回る子どもたちである。

 図書館本ジョーン・エイキン『魔法のアイロン』(岩波少年文庫)読了。以前掲示板で話題になったエイキン、関連サイトをメモっておく。

ジョーン・エイキンのリスト(amazon.com)
同じく(sfsite)

Puffinの作者紹介

 ざんねんながらこのおっもしろい短篇集は手に入りにくいようだ。ウィロビー・チェイスとか、また読みたいなあ。『魔法のアイロン』は9編の短編からなるが、どれが好きかって、うーん、それは難しい質問だ。強いて言えば「オウムになった海賊と王女さま」、「料理番になった王女さま」、「一晩じゅう立っていた王さま」、「ふしぎなレコード」、おやもう半分だ。昔ながらのおとぎ話風であってそうでない、彼女らしい自由自在な不思議な肌合いの物語。

 同じく図書館本アンジェラ・カーター『夜ごとのサーカス』(国書刊行会)を読み始める。

 amazon.co.jpからのダイアナ・ウィン・ジョーンズのペーパーバックは、まるで聖書のように厚い。クレストマンシー・クロニクルとは、『魔女集会通り26番地』の姉妹編4篇(3篇は未訳)を指し、このペーパーバック2冊にそれが収められているというわけ。表紙はしゃれていて猫本だということがありありわかるけれど(その1その2)、うう、いったいいつ読むんだあ。

2001.0130(火)  
購入本
恩田陸/『六番目の小夜子』/新潮文庫
小説june3月号/
梅原猛/『古事記』/学研M文庫
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/『不死の人』/白水Uブックス

 夕方4時半まえの明るい青空に金星、ちかくに月(月齢6)、その付近をもくもく雲を引きながら飛ぶ高度の高い飛行機。こんなに明るい空でも、金星は突き刺すように金いろに光っていました。見えないだけでじつは青空一杯に星がぎっしりつまっているんだろうか。

 痛風患者発生。親指の付け根周辺が真っ赤に腫れています>連れ合い。体格は中肉中背だし、酒飲みでも肉大好き人間でもないのに、考えてみればその父親が存命中たしかに痛風もちだった。体質的なものとなると食事でコントロールしにくいぞ。ううむ。

 『ラヴジョイの庭』読了(日本語だと速い〜)。きびきびして精力的な妹アンジェラと、現実に疎くぐずぐずしている姉オリヴィア。中産階級の彼らは「広場」の花壇をつくる花壇委員会の一員だ。この姉妹は、それぞれ40代と50代なのである。オリヴィアは妹のように経験も豊富でなく臆病だが、曇りのない目で子供たちを見ている。
 第二次大戦が終わって日も浅い頃、爆撃の跡も新しい、復興し始めた街に働く労働者階級のひとびと。新聞売り、場所にそぐわない理想を掲げるレストラン経営者。子供らは通りに出て、彼らなりの毎日を過ごしている。男の子らはギャング団をつくり、幼い少年はそこへの参加を認められるのを楽しみにしている。独立心の強い少女ラヴジョイの母は旅回りの劇団の花形女優だ(とみんな思っている)。一年の大半を留守にし、その間ラヴジョイはレストランの奥さんに預けられている。ひょんなことから彼女は花の種を手に入れる。満たされない心と感性を持つ彼女は、種を植える庭がぜひとも欲しくなるが、街の真ん中に彼女が自由に出来る庭を手に入れられるわけもなく…。

 ラヴジョイと、その庭造りの奮闘を助ける(羽目になる)少年ティップ。少年・少女時代を抜け出そうとする時期にある彼らの微妙な心理、また初老にさしかかろうとする独身女性オリヴィアのものの見方、どれも素晴らしいウィットをこめて描かれている。あんまりにもツボをぐさぐさ突いてくるので、とうとう終わり1/3くらいからはずっと鼻水が出っぱなしだった。ゴッデンはファージョンやピアスなどと共通する、包容力にあふれた女性を感じさせる。好きだー。ああ、泣きましたとも!

 本屋に行ったら一発で目についちゃったので、へっぴり腰になりながら買いましたよ『小説JUNE』>有里さん。でも目玉の採録『らっぽり やおい特集号』はお宝ですね〜。本文の方は…ええと、いずれそのうち、かな…。

2001.0129(月)  

 見事討ち死に。どうやら風邪?からだが眠りを欲している(*^_^*)

 なんだかんだ言ってその後もちびちび読んでいる"Ghost Dance"、あれこれ思うところはあるので後日改めて。

 佐藤亜紀インタビューがあったのでリンクしておく。

2001.0128(日)  

購入本
アストリッド・リンドグレーン/『よろこびの木』/徳間書店

 昨日大雪で出掛けるのをあきらめたため、かわりに今日は新宿まで出ようと思っていたのだが、ああそうだ、日程変更で昼前から次男のピアノだったんだっけ。じゃあ午後からにするか、と昼食後いったん近所にお使いに出ていると連れ合いから電話。保育園の保護者の集まりがあるのをすっかり忘れて、お呼びがかかったとのこと。いやだー。仕方なく1時間遅れで参加。卒園式のあとの謝恩会の相談である。昼の部と夜の部にわかれ係決めなど。連絡が面倒なので「メイル使える人〜」と訊くと、昼の部(私はこっち)7人のうち5人がパソコンのメルアド持ち、残り2人もケータイでメイルが拾えるとのこと。パソコン組のうちふたりは嬉しそうに「最近買ったの!」と言う。普及率高い。というわけで、いとも簡単に「じゃあ、あとはメイルでね」と相成った。あーラクチン。十年前…上の子たちの頃は、保育園にしろ学童保育にしろ、連絡やミーティングが大変だったのだ。大げさに言うと隔世の感がある。どうせなのでこの連絡網をそのままMLに移行させようと思う。

 あっ、きのうあわや札幌で空港ホテル宿泊かと思われた連れあいは、チケットを取ってあった最終便だけが飛んだので、無事深夜に帰って参りました。

 "Ghost Dance"はようやく1/3に達した。寝不足、雑用などもあって進みは遅々たるもの。Czarの宮殿でイギリス人のWitchがCzarに見せるいかさま魔法。WitchはCzarを馬鹿扱いしながらも内心では自分のいかさまがCzarにお見通しなのではないかという恐怖に駆られる。次章ではそんなCzarの宮殿に向かいつつあるShingebissのことが(猫によって)語られる、というところでひとまずこの本を脇に措く。図書館本の返却期限を思い出したのである。でもって、先週借りたルーマ・ゴッデン『ラヴジョイの庭』を読み始める。

2001.0127(土)  
購入本
田口ランディ/『ぐるぐる日記』/筑摩書房
東雅夫編/『陰陽師伝奇大全』/白泉社
稲垣足穂/『稲垣足穂全集4』/筑摩書房
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/『夢の本』/国書刊行会

 土曜も休みのない長男のためにいつも通り起床。うっすらと雪が積もり始めている。どうせそのうち雨に変わるか、やんでしまうかだろうとタカをくくっていたら、どうしてどうして。次第に雪は降りつのり、昼過ぎには10センチほどになる。
 札幌に日帰りという連れ合いは、飛行機が飛ぶかどうかといぶかりながら出ていったが、羽田の雪のために到着便の欠航はあっても、札幌への出発便は大丈夫らしいと言う連絡を残してどうやら飛び立った模様。昼頃成田が雨になっているというので、帰りの最終便が着く頃は羽田も雨になっているだろう、と。ところが未だに雪が降っているぞー>東京17時。

 雪と思うと俄然やる気が萎えてしまい、朝食から続けてそのまま本を片手にお茶など…だが一日家に籠もっていても仕方ないので、昼頃雪靴を履いて散歩・買い物。次男のエネルギー発散である。人けのない向かいのグランドで、雪だるま作りをさせたりしながらたらたら雪の中を歩く。さ・さむい…。手袋をして、中がモコモコのブーツを履いているのに、手も足も指がかじかんでいる。"Ghost Dance"でold Grandfather Frostが"Are you cold, children? Are you cold?"と凍った息を吹きかけて回るが、うきゃー、それが本の中から出てきてしまったに違いない。雪の降りしきる静けさの中で遠い北の国の雪と、この雪とを引き比べる。

 『こんなにカンタン!ホームページデザイン』(園田)でお勉強。目をしばしばさせていると、雪の中クロネコがbk1からの本を届けてくれる。ご苦労様ですホント。

2001.0126(金)  
購入本
山本弘/『時の果てのフェブラリー』/徳間デュアル文庫
ロバート・J・ソウヤー/『フラッシュフォワード』/ハヤカワ文庫SF
串田孫一/『文房具56話』/ちくま文庫
SFマガジン3月号/早川書房
ロイス・マクマスター・ビジョルド/『スピリット・リング』/創元SF文庫
 〃 /『バラヤー内乱』/ 〃
図書館本
アンジェラ・カーター/『夜ごとのサーカス』/国書刊行会

 唐突ですが、ちはらちゃん、むかし私オリオン書房の本店(今は変わっちゃったみたい)でバイトしてました。いつのまにかあの辺の大書店になっていたのねえ。

 昼休み久しぶりに本屋に出掛け、もどってお弁当のおにぎりを食べながらSFM3月号イーガンの短篇を読む…つもりで気が付いたらそれはバクスターだった。水星から見た地球/月って、どんなふうに見えるのだろう?うーむ見当が付かない。

 "Ghost Dance"にでてくるイギリス人は太ったWitchで、弱い赤い悪魔ににらみを利かしている。赤い悪魔はベルベットみたいな毛がみっしり生えていて、しっぽの先はとんがってるの>虫歯菌みたいに。と思ったら着ぐるみの悪魔だった。

2001.0125(木)  

 結局"Ghost Dance"に突入。凍れる北の国の物語、樫の木に黄金の鎖でつながれた物知りの猫が語る物語。
 Czar(皇帝)は、北の国に人々をどんどん送り込んで、木を森を次々切り倒しては街を作り、また次の街を作るために木々を切り尽くす。。動物たちを殺して毛皮を帽子やコートにし、それでもなお殺し尽くす。北の国は死んでしまう!狩人たちはshamanをさがして、これを何とか止めさせてくれるように頼み込む。しかしいまや死にかけている女shamanは、「何事も変化するのだよ。shamanには何もすることはできないのだ」と言って彼らを帰し、死の世界に旅立ってしまう。彼女は、まだwitchにしか過ぎない弟子の女の子(その「本当の名前」はShingebiss)に、東に住む姉の所に行ってshamanになる修行を積むようにという指図を残す。けれども女の子は、北の国が死んで行くのに何もすることが出来ないならshamanなんて何の役に立つの!と、shamanの忠告を無視して、Czarの住む街に旅立つ。Czarに呪文をかけて北の国を死に追いやることを止めさせようというのだ…。
 『ゴースト・ドラム』の世界は、物語それ自体の独立した世界だった(と思った)が、"Ghost Song"ではそれが北欧神話を通じて我々の世界と繋がりを持った。この
 "Ghost Dance"には、いきなりイギリス人(Englishman)が出て来ちゃうのである。神話的世界も、こうしてだんだん卑小化してしまうのか…。ああ、メタだ!

 冒頭からまもなく現れる女shamanの言葉"The world must change, always, because to be unchanging is to be nothing"は、"Ghost Song"の最後の部分で眠りにつこうとするAmbrosiの言葉"Only cange is everlasting"に呼応するものだ。ちなみにAmbrosiの「本当の名前」はSyngva。Shingebissと似ている。

 ああこのところ、このghostシリーズを読むことしかしていない気がする。

 また週末に向かって天気が悪そうだ。帰る時、案の定冷たい雨が降っていたので、職場に自転車を置いてとぼとぼ歩いて帰る。なんだか惨めっぽい。

2001.0124(水)  
購入本
G・ガルシア・マルケス/『落葉』/新潮社
 〃 /『十二の遍歴の物語』/ 〃

 "Ghost Song"読了。ほとんど泣かんばかりの思いでクライマックスに向かう。怒!!!!なんて奴だ、クズマって奴は!あまりにひどいので読んでいて怒りと悲しみの涙が浮かぶ。

 Ambrosiはクズマの呪いで昼も夜も悪夢に悩まされて雪原にさまよい出てしまい、老いた父Malyutaだけがとある村に残される。
 さて狼の呪いはAmbrosiが死の国に行って「呪いの骨」を打ち砕かなくては解けない、とクズマは言う。一方雪原でクズマに迫られたAmbrosiが、それでもなおクズマの弟子になって死の国へ行くことを拒否し続けると、クズマはMalyutaを殺して首を切り、彼が父親の首(と魂)とを持って死の国へ来ない限り父親の魂が安らうことがない、否が応でも死の国に行かなくてはならない、という状況に追い込んでしまう。クズマの呪いを誘う元となった若い狼に導かれてAmbrosiは死の国に向かう。この死の国の描写は、『ゴースト・ドラム』と共通している。「語り物」のお約束。死の国の門へ至る橋あたりからの描写は凄まじくも美しい。
 Ambrosiは死の国の鉄のトネリコに登り、「呪いの骨」をうち砕くが、自身は最後までクズマの執拗な誘いを拒絶して死の国での時のない眠りを選ぶ。狼の呪いは解けるが、彼らは四散し、そののちAmbrosiらの名を伝えるものはもはやいない…。

 題に関して少し言えば、この物語の中では、呪い(まじない)は歌として歌われるのである。クズマは呪いを歌でかけるし、また半人前のshamanにすぎないAmbrosiでさえ、何気なく歌を歌うとそれは人の耳と心を惹きつけ、人々はその日一日仕事にならなくなってしまったりする。

 クズマは最後にカラスの姿で現れるが、と言うことはオーディンを模しているわけだ。巨大なトネリコが出てくるところは北欧神話からの明らかな借景だが、この北の雪と氷の国の独特な物語の中で別段違和感はない。けれどもクズマの語る話にあからさまにバルデルとロキ、フリッガが出てくるのは、やや興ざめであった。クズマをなにもオーディンそのものに重ねる必要もなかったのではないだろうか。
 しかし最後がこのように結ばれるとは…。無常・無情を感じるし、やはり北欧神話やニーベルンゲンの歌などに見られるような、みんな死に絶えてしまう、あるいは目覚めのない眠りに入ってしまう、というようなモチーフとの共通性を感じずにはいられない。このあたり勉強したらどんなに面白かろうと思う。
 ところでシャーマンshamanはshamと語源的に関係あるのだろうか?

 さて『ゴースト・ドラム』の姉妹編"Ghost song"を終え、もう一つ"Ghost dance"が待っているが、どうしようかな、終えるのに1週間くらいかかるぞ。この世界にまたひたりたいのと、積ん読が増えるという危惧と、ジレンマだ。

2001.0123(火)  

 相変わらず"Ghost Song"。次第に残り少なくなり、惜しいような気がする。

 ところで恩田陸『上と外4』はちゃんと2月に出るのだろうか。また他にも新刊が出るというのに、『Puzzle』を読んだときに姫川みかげさんから薦められた『象と耳鳴り』もまだ読んでいません。はよ借りよう。

 きのう連れ合いあてに寒中見舞いが一通来ていた。喪中のため年賀状を失礼した、と言うその葉書の差出人は、連れ合いの、中学の同級生の奥さんなのであった。連れ合いは驚いて同級生の一人に連絡を取ったが、昨秋あったという同窓会では、彼に関する話は出ておらず、もちろん彼が亡くなったという連絡も今までにはなかったそうだ。何年か前から、親の不幸で、という喪中の葉書はかなりの数舞い込むようになったが、同級生本人のご不幸を知らせるものは初めてである。私はその方とは面識はないが、ほぼ同じ年齢の、自分の連れ合いの同級生が亡くなったと聞くと心穏やかではない。残された家族の方々の胸中を思うとなおさら…。

2001.0122(月)  
購入本
Susan Price/"The Ghost Dance"/ Faber and Faber
  〃 /"Foiling the Dragon"/Scholatic
北野勇作/『かめくん』/徳間デュアル文庫

 "Ghost Song"はようやく半分を超えた。面白いのだあ。
 クズマ(Kuzma)は、狩人Malyutaの生まれたばかりの息子を、自分が200年間待ちに待った弟子となるべき赤ん坊だと言って連れて行こうとするが、断固拒否される。その後クズマ(そう、シロクマのなりをしていたシャーマンはクズマだったのだ)はトナカイの民に、代わりの弟子として子供を一人よこせと迫るが、彼らがそれを拒みクズマに刃を向けたので彼らに呪いをかける。未来永劫、彼らが夜の間は狼の姿になるように、と。いっぽう、Malyutaは、自分にも亡き妻にもない才能を顕すようになった息子Ambrosiを村に置いておけなくなり、冬の猟に連れて行くようになった。ところが雪の野原でAmbrosiは、幼いときから夢の中に現れ続けてきたシロクマ/人間に出会うのだった。
 ここまででおよそ半分、遅〜。わからない単語は先達の教えに従ってとりあえず無視、どうしてもわからないのだけたまに辞書を引く。

 気が付くと、別段乱暴に扱ったりはしていないのに、あるページでパカッと背表紙から束が剥がれようとしている。んもう、ペーパーバックのぼろさって言ったらひどいんだから。紙質は悪いしかさばるし。いかに文庫本がしなやかで丈夫で優れた造本であるか今更ながらよくわかる。

 次男は間もなく保育園を卒園する。ひとりひとりに卒園文集の原稿依頼があったのが年末だった。…すっかり忘れていた。

2001.0121(日)  

 集英社のPR誌『青春と読書』に連載中の恩田陸「蒲公英草子」が最新号の2月号で完結した。ちょうど「みれにあむ」の敷居を越えた私たちに、常野の彼らからの問いかけを残して。
 また同誌には1月号から3回連続で乙一「Closet」が掲載されている。そういえば『失踪HOLIDAY』、まだ読みかけだったっけ。

 きょうは母のところで本部屋の片づけ。ずっと放っておいた段ボールの山を、いい加減に切り崩さなくては…と渋々の作業である。SF文庫は、箱詰めするときにほぼ著者ごとに分けて詰めたつもりなのだが、本棚の都合で整然と順番通りに並ぶというわけには行かず、結局あれもこれも混在するようなことになってしまうのが悲しい。ハヤカワFTは、ほぼ番号順にし、幾つかはシリーズでまとめる。
 ほか雑多な本はいったいどうやって整理したらよいのか、いい加減うんざりして、かまわず捨てたくなったり(でも捨てない)で後回し。カルヴィーノのイタリア民話集の上巻が2冊あるのはなぜ。結局自宅の片づけを含めると夕方まで片づけものに終始した一日であった。せっかく暖かい晴れの日だったのに。

 "Ghost Song"をちびちび読み進める。独特の雰囲気を出すのに倒叙法が多用されているが、意外に語順のままで頭に入ってくるから有り難い。
 トナカイを追う種族のところに、突然、白熊の皮をかぶったシャーマンらしいよそ者がやってきて、もてなしの代価にと言って物語を語る。それはバルデルとロキの物語、すなわちバルデルがヤドリギの投げ矢でロキに殺され、誰あろうロキ自身が、死後の世界(Ghost world)に行ってしまったバルデルをこの世に呼び戻すべく死の世界の女王に会いに行くという話である。凍り付く外界とテント一枚で隔てられたに過ぎない室内で声色とジェスチャーたっぷりに語られる物語は、淡々とした物語ではなくて、今現在のトナカイの民の上に落ちかかる運命のように聞こえる。文字通り凍るような怖さだ。

2001.0120(土)  大寒
購入本
小野不由美/『図南の扉 十二国記』/講談社文庫
眉村卓/『閉ざされた時間割』/ハルキ文庫
赤江瀑/『ニジンスキーの手』/ 〃
菅浩江/『メルサスの少年』/徳間デュアル文庫
野田昌宏/『図説 ロボット』/河出書房新社
『月刊メロディ』2月号/白泉社
図書館本
ルーマー・ゴッデン/『ラヴジョイの庭』/偕成社
ジョーン・エイキン/『魔法のアイロン』/岩波少年文庫

 うう寒い。片づけ、買い物、掃除。天気が悪いときほど洗濯物が多い、という法則にぴったりあてはまる。

 フルタイムの仕事を持っているので、普段の買い物は主として生協の宅配に頼っているが、その所為か、つい多めに買い置きをしてしまう悪い癖がある。粉類、乾物、缶詰、瓶詰、醤油、酢、油、等々。今一番ゴロゴロころがっているのが缶詰、なかでも大豆缶である。これとひじきの缶詰をあけて、ひじきの煮物にするのであるが、一体何回分ある…?ほかにトマト缶、コーン缶、ツナ缶、サケ缶、エトセトラ、エトセトラ。つまり、この山をどう片づけようか頭を悩ましている最中なのであった。

 "Ghost Song"に、あのクズマが出てきましたよう、ゴースト・ドラムをひっさげて。
 ところで、この本は、送料と在庫との兼ね合いでuk.bol.comに注文したのだが、同時に注文した"Foiling the Dragon"と"Ghost Dance"(いずれもスーザン・プライス)は、これより2日ほど先に発送されたことになっているのに、まだ来ないぞ。

 月曜が長男の誕生日なので、時間的余裕のある今日、ご希望の焼き肉屋でお祝いをする。近所のこの店は、韓国美人のママが作るオイキムチ、ユッケビビンバほか文句なしに美味。夕方から湿った雪が降りだした中を久しぶりに揃って出掛ける。次男は1センチほど積もった雪に喜び、ズルズル滑ったりかき回したりしながら歩くうち、みごと靴の中までぐっちょりになってしまった。優しいママさんがあったかいおしぼりで足を暖めてくれてほっと一息をつく次男である。彼女が昨日電話したら、ソウルもマイナス17度だったそうだ。あつあつのチゲを食べてすっかり暖まる。帰路はすっかり雪に白くなった夜道を歩く。キュッキュッと新雪を踏む音が嬉しい。街が明るいせいか、雪の結晶が荒いせいか、積もった雪がガラスの粉をまぶしたように光るそのきらめきが、雪国で見るより大きいように感じられる。

2001.0119(金)  
購入本
ハワード・カーター/『ツタンカーメン発掘記』上・下/ちくま学芸文庫
ブルース・スターリング/『タクラマカン』/ハヤカワ文庫SF
七北数人/『猟奇文学館 人肉嗜喰』/ちくま文庫
ラルス+トーベ・ヤンソン/『ムーミンコミックス7 まいごの火星人』/筑摩書房
Susan Price/"The Ghost Drum"/ Faber and Faber
  〃 /"Ghost Song"/ 〃

 連れ合いはきのう雪の山形方面へ出張、今日の帰りは在来線も新幹線も止まっていて、電車が動いているところまで車で送ってもらったそうな。東京の夜空は曇って、雨か雪の気配がするが、明日は何か降るのだろうか。今日の最高気温は5.6度だったそうだ。

 『百年の孤独』を昨晩というか未明に読了。終わり方もまた、ぴたりと環が閉じられて、胸にずっしり納まる。

 『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』と、Susan Price "Ghost Song"を併読中。
 "Ghost Song"は"The Ghost Drum"(邦訳『ゴースト・ドラム』)の姉妹編ということらしい。ページを繰ってみると、おお、たしかに出だしの部分はおなじ「教養ある猫」が遥か彼方の北の地で巨大な樫の木に金の鎖でつながれ、木の回りを歩きながら、歌いながら、語ったのがこの話である、というふうに始まる。凍れる北の国の物語。厳冬の狩りの旅をするCzarの猟師Malyutaが、自らの願いを大声で叫ぶところから始まる。語り口だけでゾクゾクする。寒いのと、期待と、両方。

 モンゴメリの方は、彼女が『赤毛のアン』シリーズだけで出来ている人間ではない事を跡づけている。篠崎書林からアン以外のたくさんの作品が出ていて半分くらい読んだと思う、自伝も読んだ記憶がある。そう言えばこの著者梶原由佳のサイトはかなり以前から知っているのだった。そうか、この人が書いた本だったのか、とようやく一致。

2001.0118(木)  

 同じ様な名前がわんさか出てくる『百年の孤独』は(一族だからしょうがない)、中盤を過ぎて、彼らに対して「孤独」という言葉が繁く用いられるようになってくる。これを読んでいて想起されるのは、池上永一。『百年の孤独』みたいな作品を指して、マジック・リアリズムと言うのだろうか?ずーっと以前、最初にこの言葉がついた作品を読んだのは、たしかルーシャス・シェパード『緑の瞳』あるいは『戦時生活』だったように思う。いや、『ジャガーハンター』が最初かな?そう言えばシェパードはどうしているのだろう。

 ジョナサン・キャロルに出会ってそろそろ1年。近々新作が出るそうだが、その前のは翻訳されないんでしょうか。新作も読みたい。彼の英語は読み易いってホントかな。

 昼休み、食事をする間も惜しんで読書にいそしんでいるので、ここのところちっとも本屋に行っていない。めぼしい本はとりあえず暮れまでに出尽くした感もあるし、いま実のところ、頭も部屋も飽和状態なのだ。もうひとつ、単に外が寒すぎるから、という説も有力。

2001.0117(水)  

 『百年の孤独』順調に半分ほど。次男が眠がっているのを幸い、早く寝かせて続きを読もうと、9時半過ぎに寝床に追いやる。が。次に目が覚めたらすでに2時であった。哀しい。

 『百年の孤独』の通奏低音は、彼らに共通する淋しげな影。

 新宿の京王百貨店で恒例の駅弁大会。これを聞き込んできた娘が、ぜひ行きたい、ついては帰りに寄って晩御飯に幾つか買ってくるからお金ちょうだい、という。しょうがないなあ、ということになって、今晩のご飯は各種駅弁+アルファ。かにめし、いかめし、あなご弁当、鮭・いくら弁当。
 あとでちらしを見直した彼女、うに・いくら弁当と山形の「どまんなか」(米沢牛がいっぱいのっている)を見つけてくやしがる。

2001.0116(火)  

 今日も引き続き寒波。「冬将軍」という言い方はどうした。
 きのう今日は普段より一枚多く着る。そして襟巻き。文字通り首にぐるぐる巻いたら、自転車に乗っても暖かかった。 
 

 朝食を食べながら『すももの夏』読了。まぁお行儀悪い。遠い昔の、そこだけスポットライトが当たったように色鮮やかで、すべての感覚全開だったあの時。色も匂いも音もすべて意味を持ち、時の帳のせいでかえって不思議な輝きを放っている、あの夏。ぎらぎらしながらも物憂い雰囲気を湛えた語り口のまま物語が終わるのかと思うと…!とんでもない!事態は急転直下、開いた口がふさがらない。
 この作品は初期のもの(1953年)。他のゴッデンの長い作品をぜひ読みたくなった。『ラヴジョイの庭(偕成社)、『バレエダンサー』(上・下、偕成社)など。

 昼休みには『百年の孤独』を本腰を入れて読み始めた。うきゃー、なんだ!そういうのだったの!\(^O^)/

 昨日「高二のお子さんのおかあさんですか」と塾の勧誘の電話。リポーターの東海林何とかさんみたいな声としゃべり方の人。食事の最中だったので適当に返事する(というより返事しない)が、途中「勉強はお子さんにすっかりお任せですか」「…エ?」「勉強は専らお子さんにお任せですか」「エッ…?お子さんにお任せって、…勉強は子供がするものでしょう!?」一体何考えてるんだ?
 ところで「お任せ」された当のお嬢さんと坊ちゃんは早々にお休みである。いいのか?

2001.0115(月)  

 とにかく、寒い冷たいスースーするゾクゾクする。暖房を入れても窓際はどこかが開いているのではないかと思うくらい寒い。閉まっているのを確かめると、窓ガラスは凍るように冷たい。熱いお茶を飲んでもすぐに体から熱が逃げてしまう。
 この冷たさに、空に開いた一つ目のように強く輝く金星。

 『すももの夏』にはすっかり魅了されてしまっている!ピルチャー『シェルシーカーズ』にも似ていると思う。いそいそ。原題”Greengage Summer"のGreengageも、すもものこと。すももと言ったらplumしか知らなかった。ちょうど半分くらい、いよいよ物語は動き出すのだろうか。あまりにあちこちの光景が美しいので、付箋をたくさん貼り付けた。まだ増える予定。あっ倉阪さんが『百年の孤独』を読了している!わたしも図書館本をおえたら本腰をいれて読もう。

2001.0114(日)  

 過去のお守りや破魔矢が、処分し忘れたままたくさんたまってしまったので、昼前、根津神社にお参りに行きお納めしてくる。今日はきっぱりと晴れて爽やかではあるが、いかんせん寒い!境内はすでにお正月の賑わいはまったくなく、スケッチをする一団が思い思いの場所に陣取っている。きっと皆それぞれに懐にホッカイロを忍ばせているに違いない、と思うほど寒い。本殿の中ではちょうど結婚式の最中で、雅楽が流れ、綿帽子をかぶった花嫁さんの後ろ姿が暗がりの中に浮き出している。参列する家族らは靴下のまま吹き込む風に晒されて腰掛けている。2年ほど前の冬、私も神社での結婚式に参列したことがあるが、その寒いことと言ったら!今日の寒さではなお辛かろう、と同情しながら、お賽銭を投げてお願い事をする。次男の引いたおみくじは大吉。
 帰りがけに不忍通り沿いの鯛焼きの柳家を通りかかると、寒いせいか、それともまだ昼前のせいか、珍しく人が並んでいないので、迷わず買う。この鯛焼きは天下一品。一匹一匹の型で焼き、その皮は薄くかりっとして香ばしく、全身あんこで出来ているような幸せな鯛焼きなのだ。あー久しぶり、実に嬉しいぢゃないか(と下町口調)。

 後刻、自宅の近所で次男と二人で、隣の町会の会館の前を通りがかると、年取った町会長さんが次男に「お餅もらったかい?さあさ、もらって行きなさい」と声をかけてくれた。道理で人がたくさんいると思ったら、餅つき大会がひととおり終わりかけたところだったらしい。次男にあんころもちときなこもちの一パック、「おかあさんにも」一パック、包んでもらっている間に別なおじさんが「おとうさんにも辛味もち」ともう一パック。「有り難うございます〜」と何度もお礼して帰り、そのままお餅がお昼ごはんになった。やっぱり大吉!

 頑張って既読本の感想を書こうと四苦八苦。未読の図書館本がまだあることを思い出し、ゴッデン『すももの夏』を2頁読む。

 うー、昨年末に読んだ"Holes"が強烈だったのと、実は昨年4月に読んだのに98年に読んだとばかり思っていたのとで、昨年読んだ本のベストに『神秘の短剣』を入れるのを忘れた。98年に読んだのはシリーズ第一作『黄金の羅針盤』だった。月日の経つのは速いというか、去るもの日々に疎しと言うか(この喩えは違うか?)。

2001.0113(土)  

 本屋に行ったのに、何も買わなかった。新年会で天ぷらをたくさん食べた。遙か昔から話には聞いていたものの食べたことのなかったアイスクリームの天ぷらを、初めて食べた。香ばしいモナカアイス、という感じでおいしかった。

 『吸血鬼伝承』を読み始める。「I フォークロア的前提」の章。
 昨日の「ロマ」について、掲示板で眞明さんからお教えを頂いた。「ロマ」とは彼らの言葉(ロマーニ、ロマニ語)で人間のことだという。ではロマとルーマニアで"roma"という部分が共通なのは偶然なのか、ロマニ語とは実際どんな系統の言葉なのか、Web上で「ロマ」、あるいは「ジプシー」で検索してみたが、そのあたりの解決となるものは見あたらず。
 またどうやら「ロマ」あるいは「ジプシー」に特有と思われている生活様式は決して彼らが好んで取ったものではなく、他の民族からの迫害・差別などによって仕方なく取らざるを得なかった様式だ、という記述が散見された(>その例)。
 この『吸血鬼伝承』のジプシーの項を拾い読みしてみたが、その注釈によれば、著者は、ロマニ語を話す人々をロマと呼ぶのはよいが、もともとロマニ語を話さない民族でも生活様態が似ているために「ジプシー」と呼ばれている人々がいるのだから、ジプシー全体をロマと言い換えるのは必ずしも正しくないという意味のことを述べている。うーん、このあたりの事情は歴史的に複雑でちょちょいとWeb検索したり数行の解説を読んだりするだけではすっきりした知識が得られそうにはない(お手上げ)。

2001.0112(金)  
購入本
『MOE2月号 特集キュリアス・ジョージ』/白泉社
『本の雑誌 2月号』/本の雑誌社

 SFonline12/25号で井辻朱美がグウィネヴィアの話を誉めている。私は胡散臭いと思って買わなかったのだけれども、どこかで見かけたら中を見直してみよう。
 しかしこの人(井辻朱美)は解説がほんとにうまい!『螺旋階段のアリス』の評をご覧なさい!ネタバレもなしにほんとうに上手に書いていること。既に読んだ人には物語をふたたび頭の中に展開して味わう愉しさを与え、未読の人にはおおこの物語にはそんなにおいしいところがあるのか、と興味をそそらせる。うーん、うまいっ!

 長男、2月にスキー部の遠征、ってことは2日ほど学校を休んでの参加だ。「いいなあ、学校休んでまたスキーなんて!」と言ったら、「よくないよ、だって授業遅れちゃうよ、いやだよ!」おおおお〜、どうしたの、こんな言葉をキミの口から聞く日が来ようとは母はよもや思いませんでした。学校側が求める水準の成績にやっと達したと言う程度の長男ではあるが、そうかキミも高校生になってちょっとは目覚めたのね。
 
それじゃ、また頑張んなさい<這えば立て、立てば歩めの親心、と言う。

 『夜の子供たち』読了。いやー、怖かった。どこまでが史実に基づくものなのかはわからないけれども、ドラキュラ伝説のもとになったヴラド串刺し公の残虐さには戦慄を禁じ得ない。すぐに串刺しにするのはハイペリオンみたい。あ、そうか!ダン・シモンズだもん。

 この本にはジプシー(=ロマーニ)があちこちに顔を出し、その中には大きな役割を果たす男もいる。最近ジプシーは差別語だと言うことでロマという呼び名を良く聞くようになった。そうか、ロマ>ロマーニ(>ロマニア)>ルーマニアか!リーダーズ&リーダーズプラスで引くと確かに

Rom・a・ny [r_m_ni, r_u-]: ジプシー (gypsy)
Rom・a・ni [r_m_ni, r_u-]:ジプシー(語) (Romany)
Ro・ma・nia [roum_ini_]:ルーマニア (=Rumania, Roumania)

などの記述がある。ではロマ(ジプシー)はローマの末裔ってことなのだろうか。「ロマンス語を話す人」のことなのか。

Romance languages:ロマンス諸語 《紀元 800 年以Vulgar Latin から派生した French, Spanish, Italian, Portuguese, Rumanian などの諸語

などとあるから、元を辿ればそんなところなのだろう。人種的にはどういうことになるのだろうか。「ロマ」ではないルーマニア人との関係はどういうことになるのか。いわゆるルーマニア人がどういう人種的背景を持つのかも、もちろん知らないのではあるけれども。疑問は尽きない。

2001.0111(木)  
購入本
平賀英一郎/『吸血鬼伝承 「生ける死体」の民族学』/中公新書
園田誠/『こんなにカンタン! ホームページデザイン』/ASCII

 有里さんがお薦めの園田誠『こんなにカンタン! ホームページデザイン』を、早速amazon.co.jpで購入。アラ速い、昨晩注文したらもう届いた。注文時には24時間以内配送だったのに現在は2,3日以内配送になっている(なぜ今回はamazonって、それは予約したい本がなかったのでbk1だと配送料がかかるから)。
 私はまさに有里さんのおっしゃる「HTML作成ツールを使ってWebページを作成しているが、タグを打ってページを作成するやり方も勉強したいと思っている人」なので
ある。ただし「勉強したいと思っている」が実際にどのくらい勉強できるかはわかんない。すぐ眠くなっちゃうし(*^_^*) 成果が現れるのは一体いつのことであろうか、と予防線を張っておこう。

 私が使っているのはMicrosoft FrontPageなのだが、ちょっといじろうと思ってHTML編集ページを開くと、そこはまるっきりタグをじか打ちするしかない。ワープロのように文を書いていっていろんなコマンドボタンを押せばよいだけの「標準ページ」との落差の激しいこと。主要なタグが簡単に打てる、軽いHTMLエディタってないんでしょうか。私など秀丸ほどの機能はいらないし。先日Mac用に教えていただいたJeditはなかなか都合の良いエディタだと思うが、こういうののWin版があったらよいのに。
 少しは自分でタグを打つようになるとFrontPageでやたらに余計なタグが挿入されるのが気になる。例えばちゃんと「コメント」タグがはいるコマンドがあるがそれを用いると<!--  -->の中に余計な記述がくっついてくるとか。

 『夜の子供たち』は下巻の2/5くらい。闇の一族の儀式が始まった…。コワイっ!

2001.0110(水)  

 今年からはしっかり感想は感想ページに書こう!と決意しているのだが。反語にならぬように…。

 SFオンラインの12/25号の書評欄を読んでいると『吸血鬼伝承 「生ける死体」の民俗学』(中公新書)がとりあげられており、本文からの次のような引用があった――

「このささやかな研究の基本的な視点は常に東欧にある。西欧が『発見』し、『戦慄の快楽』のお気に入りの対象とした吸血鬼は、西欧の問題である。西欧が扱えばよろしい。本書は東欧、ヨーロッパの吸血鬼信仰の起こり広まった場に視点を据える」

――まさに東欧のドラキュラ一族が主人公であるような話を読んでいるときにこういう記述を目にするとは>シモンズさん。と言うわけで早速この本を注文。『夜の子どもたち』の生化学的なお話はどのくらい理解されているんでしょ。上巻まで読了、面白いです。やっぱり神父が出てきて大きな役割を果たすあたりがシモンズの宗教的なものへのこだわりだろうか。

2001.0109(火)  

 午後からおなかがなんとなくシクシクしてきて、帰る頃にはうーんちょっと痛いかな、になり、帰宅して横になる。大丈夫そうなのでしばらくして起きたらまた痛む。横になっている分にはまあ大丈夫だが縦になるといけないらしい。めずらしく早く帰っていた連れあいに夕食をでっち上げてもらい、そのまま沈没。頭の方は何ともないのでしばらくふとんの中で『夜の子供たち』を読んでいたが、さすがにホカホカ暖かいのでいつの間にやら寝入ってしまう。

 『夜の子供たち』はドラキュラの生化学的解釈本だった。はじめはチャウシェスクのルーマニアが出てきたりするので、ひょっとして読みにくいのではなかろうかと思っていたが、すぐに「何じゃこりゃ」の世界に突入。これでもかこれでもかと悲惨な光景が>うう、シモンズさん〜

2001.0108(月)  成人の日

 昨日の夕方降りだした雪も深夜過ぎには弱まってしまい、朝寝坊して起き出してみるとみぞれまじりの雨に変わっていて、あたり一面がうっすら雪で覆われている程度の積雪だった。けれども昼近くまでは風が比較的強く、着物を着るにはまったく不向き。

 寒いのでお籠もりを決め込み、片づけやサイトの手直しなど、ぐうたらして過ごす。

 『祈りの海』『ケルトの白馬』を読了。『百年の孤独』を横目にダン・シモンズ『夜の子供たち(上)』を手に取る。

 『祈りの海』はうわさ通り瀬名正明の解説がうますぎ。表題作だけは以前SFM掲載時に読んでいる。たしかに最近のものの方が巧くて瀬名氏の言う「清冽」さを強く感じるが、私はむしろ初期の作品の方が短篇としては好みだ。長篇に比べ短篇にはひたむきさを強く感じさせられた。目が離せない作家に違いない。

 『ケルトの白馬』は比較的短いがサトクリフ特有の力強さと美しさが満ちた作品だ。この短さ=簡潔さが、全体をきりりと引き締まったものにしている一要素に違いない。紀元前一世紀のイギリスの一地方を舞台にしているが、他部族との戦いに先日読んだ『青い鷹』を思い起こした。同時にディキンソンの力量を改めて感じる。

2001.0107(日)  
購入本
チェット・レイモ/『夜の魂 天文学逍遙』/工作舎
レシェク・コワコフスキ/『ライロニア国物語』/国書刊行会
樋口隆一/『バッハの四季 ドイツ音楽歳時記』/平凡社ライブラリー
J・R・R・トールキン/『星をのんだかじや』/評論社 てのり文庫
 〃 /『農夫ジャイルズの冒険』/ 〃

 今日も朝寝坊をしたが、午後から明日にかけて雨か雪になると言うので、あわてて次男を連れて新宿紀伊國屋に『らくだこぶ書房21世紀古書目録』の展覧会を見に行く。
 長細い机の上に並べられた大きなガラス瓶の中に3センチほどの砂を敷いたところに、『らくだこぶ書房21世紀古書目録』に登場する本が一冊ずつ収められている。どちらかというと大概の本が思ったよりも小さめで、リリパットの本がむしろ大き過ぎると思った。本を読んだときにも首を傾げたのは、茶柱の本には紙魚が開けた(という思い入れの)虫食い穴がたくさん開けられているが、左右のページでそれが対称でないことである。どうせやるならそこまで本当らしくやればいいのに、と思うが、何かの理由で確信犯なのだろうか。
 また『らくだこぶ書房21世紀古書目録』の中で、中のページの様子が見られなかったものが展示では見られるのでは、と多少期待していったのだが、やはりそれはなかったので、ちょっと残念。せっかくあれだけ凝った作りをしている本の中味が一部を除いて全くの白紙では味気ないではないか。
 個人的には、出前の本と、屋上の本、3回語られる本などの中味が大いに気になる。

 SFミステリの売場あたりをちらっと見て、池袋に戻り久しぶりにジュンク堂へ足を延ばす。まだ増床したフロアとそうでないところとがあり、店員が本の整理をしている最中だ。1階で集中レジ(なんか大きな円形のカウンターが豪華)をする方式になっていたが、やたらに空いていてもったいない気がした。研修の名札をつけた人が何人もいたが、ちはらちゃんはいませんでした。
 ここで見つけたトールキン、まさかてのり文庫になっているとは思わなかったのでびっくり。奥付を見たら1991年とすでに10年前のものであった。まだ持っていない誰かの手に渡った方がいいのかなあとも思ったが、やっぱり買ってきてしまったのであった(欲張り)。
 さらにリブロに寄って帰る。6時前から小雪。

2001.0106(土)  

 曜日の感覚またも失う。昼から出掛けると思っていた連れあいが、用事は夜だというので、展覧会に行くのを延期して、押入、納戸、クロゼットなどの片づけをする。懸案の不要寝具を粗大ゴミにし、あるいは分別ゴミ(布・衣類)にし、残りはまとめてクリーニングに出す。粗大ゴミ受付センターに電話したが、ゴミを出せるのは来週の土曜日。せっかく押入を空けたのにこの布団の山を一週間どこに置けっちゅうねん。仕方ないので、どーんとまとめて台車に乗せて、数十メートル先の母の所に押し込んできた。

 どういう風の吹き回しか、娘が先日から漱石の「心」が読みたいという。いちおう全集は持っているがまだ母の所の段ボール箱の中。きのう片づけついでに漱石全集だけ探して本棚に詰め、くだんの「心」の入った巻を持ち帰った。「はい!」と娘に渡すと「今日借りてきたんだけどー」と文庫を差し出すので、脱力。
 この文庫は「こゝろ」とひらがなの題名であるが、全集の函では「心」と漢字表記である。高校の時現国の授業でこれを教材に班単位でレポートをした。ある班の発表者が「なぜ”こゝろ”とひらがなで題を付けたかについて考えました」と始めたとたん、いぢわる教師が「もともと初版の題は漢字だった」と涼しい顔で言ったのでその班は大いにずっこけたことであった。そんなことを思い出しつつ函から本体を抜き出してページを繰ると、中味の題はひらがな表記なのであった。

 さすがに寒らしい寒さだ。次男に言わせると、「いまは『おおさむ』?『こさむ』?」言わずと知れた大寒、小寒のこと。先日寒のことを説明したので、このあいだ読んだ絵本の登場人物の名前からこう言ったのだろう。はい、きのうから「こさむ」です。

 なかなか読書時間がとれず『らくだこぶ書房21世紀古書目録』あともう少し。本の整理をしている最中、以前のSFMにイーガンの短篇が時々掲載されているのを見て、あとで読まなくちゃとチェック。

2001.0105(金)  

 しっかり休み。目覚ましのならない朝はしあわせだ…。と言っても結局暮れのうちに出来なかった片づけの続き。その大部分は言わずと知れた本の片づけである。自業自得とも言う。

 『祈りの海』をしばし措いてクラフト・エヴィング商會『らくだこぶ書房21世紀古書目録』(筑摩書房)を読む。明日かあさってにこのタイトルの展覧会にゆくつもりだからだ。

展覧会 『らくだこぶ書房21世紀古書目録』
2001年1月3日(水)〜1月16日(火)
10:00〜6:30(最終日のみ6:30まで)
紀伊國屋画廊(紀伊國屋書店4F)

(ずる)休みをしたばちが当たったか、夕方本当におなかが痛くなったので冷や汗もの。この4連休寝て過ごしてはなるまいぞ。といってもどうせ掃除と片づけの日々だけれど。あわてて胃腸の薬を飲み、うがい励行。何より大事なことは「あれ、風邪かな?」と思ったりして風邪に付け入る隙を与えないこと。ホラ、ちゃんと直りました(*^_^*)

2001.0104(木)  

 都知事の職員への年頭の挨拶は、あたりまえなのかもしれないが、国歌斉唱から始まるのだそうだ。時代錯誤、って言ったらそれこそ現状に対する認識不足なのだろう。それにしてもなぜに国歌?国の機関じゃないのに。といっても都の歌って何だっけ。

 今日はどうしても出勤しなくてはならず、寒い中を出るが、すっきりと晴れた冷たい空気は、数日の間だらけきった心身には意外にも心地よい。職場に着いたとたんにこのさっぱりした気持ちは跡形もなく消える。
 昼休み『祈りの海』表題作を残すのみの所まで読む。

 元旦、TVで『アンの青春』を途中から見た。「ぎゃー、ギルバートがちがう〜」と思いっきり否定する。うそー、全然違うじゃん、とか言いながらそのまま座り込んで真剣に最後まで見る。チカラ入った。
 アンシリーズは、シリーズが進むに連れ、鼻っ柱も独立心も強い型破りの愛すべきアンが、結局、少し変わり者ではあるもののおおかた平凡な主婦に納まってしまう、という点で評判悪い。けれども中学以来何度もこれを読み返して育った私としては、ある年齢をはずれてしまったアンはすでにご用済みで、新しい主役(脇役)がとっかえひっかえ出てくるからとりあえずかまわないのだ。もちろん、あれ〜、アン嬢さん、こんなはずだったっけ?と不満は覚えるが。で、この映画は原作との様々な違いはあるが、原作にある印象的なエピソードはたっぷり盛り込んである。細かい人間観察や人生の機微、昔風の質素ながら手の込んだ衣装、そして美しいプリンスエドワード島の情景に触れ、おもわず涙したり。原作と一番違うのは、原作のアンはすらっとした木の精のように手足が長く背が高いはずなのに、映画の彼女は小柄で子供っぽい体型のままであることだ。うーんこれは重大な差異であるぞ。

2001.0103(水)  

 なぜか洗濯物の山。幸いによく晴れた洗濯日和である。午後久しぶりにゆっくり座って、紙切れの山の整理や読書、居眠りなど。明日は仕事の都合でどうしても出勤しなくてはならない。8日(月)の休みは嬉しいことは嬉しいが時期的に早すぎて損したような気がする。

 『祈りの海』は2/3くらい。どれもまったくハズレがない。自分というアイデンティティそれ自体を得ることが叶わない話の連続。「自分」が「選択」する。しかしどの自分が?今の自分はさっきの自分と連続しているのか?
 出来得れば世紀末に滑り込みで読めれば良かったかと思わないでもない。

 夕飯はおせち料理の後かたづけ。昨日とあるチーズ&ケーキ屋で買った「ケーキ福袋3000円」の一品を食べる。ほっぺ落ちそう!それにしても暮れからずっと食べ過ぎが続いている…うう。

2001.0102(火)  

 義母の所へおせちをそっくり持って行き、またお正月の食卓の再現である。初詣、父のお墓参り、他にすることがないので初バーゲン。神社では義母が家内安全のお札を買おうとしたら、2001と書いてあるためにあっという間に売り切れてしまったとのこと。
 いったん家に戻ったが最後、寒くて外に出る気にならず
持参した『祈りの海』を読む。自宅を出る前に、他の積ん読本はいつのまにか位相変化してしまい辛うじてそれをまぬかれたのがこの本だったのだ。位相変化とは何ぞやって?いやその、私が先に寝てしまったそのあとで、積ん読本が連れ合いによって紙袋にどさどさっと詰め込まれてしまっていたのであった。『祈りの海』は最初の「貸金庫」にまず参る。陳腐だが新世紀最初の本にふさわしい選択と言っても非難されまい。

 早くも上りの交通ラッシュ、我々も夜10時半頃再び自宅目指して戻る。1時半頃帰着。眠。

2001.0101(月)  

 なにごともなく新年、新世紀を迎える。紅白歌合戦を適当なところまでみて、今年はサザンのライブでカウントダウンを。その後3ちゃんねるで古い日本の音楽界の映像を見ながら寝る。中村紘子16歳の振り袖ライブがすごいというかマンガというか。すねた顔をして弾き飛ばしているのが彼女らしい。

 しっかり朝寝をして、昼近くに近所に一人住まいの母を呼んで、お屠蘇におせち、年賀状と、一通りお正月らしきことをする。

 早夕飯をすませて7時過ぎ、信州の義母の所へ向かう。空が晴れていて星が実に綺麗だ。到着してからもう一度よく見に出ようと思ったが、あまりの寒さに意気も萎えてしまった。マイナス6度。

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ニムの木かげの家
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最終更新2001.12.31 01:11:36