日時計 2000年10月 日記

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▲最新の日記▼読了本

2000.1031(火)  

  すっかり忘れていた。先日…27日(金)の夜8時半過ぎだったろうか、家族で外食をした帰りのこと。公園を歩きながら南東の空、ひときわ明るい木星と土星を見上げていると、南西方向から木星目指して非常に明るい光がヒュウッと走って木星近辺でふっと消えた!音も聞こえなかったか?久しぶりに見た明るい流星だ!次男は「UFO?怖〜い」と声を震わせていたが、私は高校時代に見た大きな火球を思い出してわくわくしたのであった。

 『ホークスビル収容所』表題作を何年ぶりかに読み返す。舞台はまだ陸上に生命の存在しない後期カンブリア紀の灰色の地球上にもうけられた政治犯の収容所である。21世紀になり過去へ人や物資を送り込むことは可能になったが、それはあくまでも一方通行で、再び21世紀に戻ることは技術的・理論的に不可能なのだ。従ってこの囚人たちはもとの時代に戻るすべをまったく持たない。
 21世紀からこの時代に送り込まれた囚人たちは、三葉虫の炒め煮のようなものを食べているらしいが、以前読んでから今までの間にカンブリア紀の大爆発なんていう知識を得てしまったので、海中にはシャコのお化けイカのお化けクラゲのお化けの類ばかりでなく、あれもいるだろうこれもいるだろう、とついつい想像してしまい、そのイメージが邪魔なことこの上ない。そういう目をもって見ると、この作品が書かれた時代はずいぶんナイーブだったのだなあと思う。

2000.1030(月)  

  肝心の我が家もこの数日のどさくさで、まるで空き巣に入られたかのような状態だ。精神状態が悪化しつつあるので、やむなく休んで、半日はこの片づけに費やそうと決意し、とりあえず母、姉の様子を見に行く。と・こ・ろ・が。母のもとに泊まった姉、今日も来てくれたその友人、私の3人のテンポは、色々とんちんかんな母のおかげでめいっぱい遅くなってしまい、結局自宅に戻って片づけを始めたのは4時頃。あぁぁぁぁぁ〜。読みたい本がたまりにたまっているというのに〜!晴れて洗濯物が乾いたのだけがせめてもの救いだ。

 母、ガス料金の口座振込依頼書が新聞受けに入っていたから明日手続きに行くと言う。ガスも電気も、水道も電話も、みんな今までの口座から引き落とすように継続の手続きが済んでいる、と紙に書きながら説明する。しかしなおも自分の使った分は自分で払う、と言うから、もちろんそれはもともと母の口座であることを説明し、全部電話して継続手続きが終わっている、と繰り返した。それでもハゲシク誤解してあれこれ述べ立てるので、最初のメモを見せながらもう一度同じことを説明する。すると母は「最初からそう言ってくれればいいのに!」と怒るのであった。疲。一日こんなふう。

 憂さ晴らしに、自宅で、一度読んだ本(ことにハードカバー)の中からとりあえず読まなそうな本を選んで段ボール2箱ほど母の所に移動。ついでに当座使わない洋服類2箱も移動。わー空いた空いたー、本が片づくー!というわけで今私のまわりは整理すべく選り分けつつある本の山。結局家中ぐちゃぐちゃ状態からくるストレス状態は余り好転しないで明日に突入するらしい。とほほ。
 3日続けて外食だったので、時間が遅くなってしまったがキムチ鍋+うどん(そばに非ず)。洗い魔と片づけ魔のこびとさん求む。おおびとでも可。

 新・妖精文庫3『ものぐさドラゴン』がスタンバイ。相変わらず『ホークスビル収容所』途中。たまに、ちょっと読んだきりのSFM12月号に視線を投げるがあきらめのため息をつく。

 倉阪さんどうしてドヴォルザークは小声なんですか…私は大声でもはずかしくないでえす。ブルックナーもシューベルトもシューマンもいいでえす。ヘンデルもいいでえす。みみちゃんは元気かしら心配。

2000.1028(土)〜29(日)  
購入本
コラゲッサン・ボイル/『血の雨』/東京創元社
シンシア・アスキス他/『淑やかな悪夢』/ 〃
フランク・ディレイニー/『ケルトの神話・伝説』/創元社
『ボルヘスの世界』/国書刊行会
山之口洋/『0番目の男』/祥伝社文庫

  土曜は母の引っ越し当日。朝9時からきっちり作業が始まったのに思いの外積み込みに手間取り、なんだかんだで荷下ろし、家具の据え付けまでが終わったのが夜の8時半になってしまった。夕方からは冷たい雨である。何が多いって、私の本です。夜到着した姉と何とか母のベッドまわりを整えておしまい。

 日曜は一日雨。姉、姉の友人と私の3人で終日片づけ。母の生活空間を確保するのみ。本の箱の山はどうなるの…。
 昼、引っ越しそばを取る。普段近所の2軒の日本そば屋はまったく利用したことがない。何年も前に一度食べた方はうーん、という感じだったので、大丈夫かなあ、と言いつつ、もう一件の方に注文した。すると…。あれっ、私、天ざるうどんって注文したかなあ?ずいぶん細いがこれはそばじゃないよなあ…ンンン?大方の意見としては多分そばであろうと言うところに落ち着いたのではあるが、あれは一体何だったのだろう。この疑問は後刻車で出掛けた帰りにそのそば屋の前を通過したときに判明。店の看板に「そばうどん」とある。そうか!あれは「そば」でも「うどん」でもなく、「そばうどん」というものだったのだ!

 昨日の夜、家族で外食をして帰るとき、公園を歩きながら南東の空、ひときわ明るい木星と土星を見上げていると、南西方向から木星目指して非常に明るい光がヒュウッと走って木星近辺でふっと消えた!音も聞こえなかったか?久しぶりに見た明るい流星だ!次男は「UFO?こわいっ」としがみつく。

2000.1027(金)  

  母の所の引っ越し荷物づくりの日。「引っ越しらくらくパックで、荷造り要員男性2名女性1名が助っ人に来た。洋服や布団類、乾物類はこれまでに荷造り済みで、あとは主に本、台所まわりなどだが、さすがプロの仕事で、4時間あまりでほとんどすべてが段ボールの中に。積み上がる段ボールの山。

 今日は物忘れ老人の実例オンパレード。

 母も今日が荷造り、明日が引っ越し、と、わかってはいるのだが、昨日電話を入れたにもかかわらず、そのために今晩と明日必要な身の回りの品をバッグに入れておくというようなことにはまったく思い至らなかったらしい。着替え、歯ブラシ、化粧道具、薬、貴重品などを、小学生に言うようにして用意させるが(この言い方も哀しい)、遅々として進まず。姉が整理した衣装ケースからあれこれ引っぱり出し始めるのを押しとどめ、やっと揃った物をシルバーカーに入れるが、5分か10分後に見ると、また何かしらそこから引っぱり出してそこらに広げているので、あわや片づけの荷物の中に入れられてしまいそうだ。一日、賽の河原のように、私がしまっては母が出す、というのを繰り返す。

 これも母が何もやっていなかったので、新聞、牛乳、ダスキンの配達の中止の電話をかける。母に連絡先を尋ねても「さあ、わからないねえ」と言うばかりなので、まず連絡先さがしから。
 なんと新聞は朝日読売毎日の3紙と契約していたことがわかったが、本人に言わせると「入れろとも言わないのに勝手に置いていく」。でもちゃんと契約を交わした形跡が…。1紙のみ残して解約する。
 牛乳も2軒と契約していることが判明、とりあえず両方解約し集金に来てもらう。
 ダスキンは、長いモップと短いのと二つ契約しているらしいが、短い方の本体が行方不明になってしばらく使っていないと言い、未使用のモップが二ヶ月分転がっている。「一つはやめたと思ったんだけどなんで勝手に置いていくのかしらねえ」それは断ってないからです。ダスキンのフリーダイヤル100番100番にかけても営業所がわからず、こちらの住所を手がかりに調べてもらうことにして連絡待ち。

 さらに、台所の換気扇フィルター、引っ越し先では使えない形の物を、つい10日ほど前に山ほど新契約しているのが発覚。クーリング・オフは8日以内なので返すに返せない。「引っ越しが決まる前に買ったんだもの」と主張する母であるが、引っ越しはふた月も前に決まったんだよぅ。ガス検知器も同じく。

 「お昼はどうするの」と言うから「お昼代を渡した」と返事するが、しばらくして1万円札を握って「お昼はどうするの」とまた言う。「もうお金をあげたよ」「あらそうなの…はい(1万円)」これまた数回繰り返し。

 父の仏壇の梱包にかかっていた女性が「キャー、ごきぶり」と小さく叫ぶ。「仏壇の中にいますよ、まだ」お位牌など中味を全部出したところで、ちょろちょろ出てきたのを、扉をぱたんと閉めて閉じ込めたと言う。うっそー、と思いそーっと扉を開けると、いるいる、1匹、奥の方にフンと共に。母はもともとゴミの始末は良い人だし、以前から住み着いたゴキブリはいないはずと思っていたが、どうしても仏壇には生ものやお菓子を供えるから、どうやらここが、たまたま入り込んだゴキブリの格好な巣になったらしい。ごく小さな、大したこともない仏壇なので、一存で捨てることに決め、彼女とおそるおそる大きなビニール袋に入れて密封した。来年はもう十三回忌だし、引っ越しを機に新調しよう。

 思ったより早く3時前に始末が付いたので、私も一旦自宅に帰って家事など。
 夕方再び母の所に戻ると、箱にしまって封をしたはずのガステーブルが出してある。おいおい、ホースはチョン切ってあるのに、と見ると「つくかと思ったらつかなかった」と言うが、うーん、どこから出したかそばにマッチが…(幸い使った形跡なし)。近くに積み上げてある段ボールを見ると「食器類」と書かれた箱が二つほど、ガムテープが剥がされて口があいており、あれこれ食器類が出ているのだった。食器は2,3残して全部しまっていい、と母も納得ずくだったのに、「勝手にあの人(引っ越しやさんの女性)がしまったんでしょ」と怒る。

 比較的早く帰宅した連れ合いに手伝ってもらい、壊れ物やすぐ要るものなど数箱を、先に引っ越し先に移動させる。ここで「あ、冷蔵庫の電源抜くの忘れた」と気付き、母に電話する。
私「冷蔵庫の電源、抜くの忘れちゃったんだけど、今すぐ抜いて」 母「抜いた」
「じゃメモ帳持ってきて」 「持ってきた」
「冷蔵庫の電源は抜きっぱなしにしておく、て書いて」 「書いた」
「その紙を冷蔵庫に貼って置いて」 「貼った」
「コンセント、また差しちゃダメだよ、抜きっぱなしにして置いてね」 「わかった。…いつまで?」 「(絶句)…引っ越し終わるまで!」
 今晩また、ヒョッとコンセントを見て「あら、どうしたんだろう、抜けてるわ
」と再び差し込むのでは、という気がしてならない。貼り紙はコンセントの隣にさせるべきだったか。

 物忘れが激しくなった母も、日常的なことなら、とんちんかんなだけで大した混乱もなしに過ごして行ける。新聞の勧誘などを断りきれず、あるいは年寄りをおだてる口車に乗って多少の無駄が出ても、それはまあお笑いの範疇である。母は火の元の始末も良く、ガスを使ったらその都度元栓を閉めるなど、一人暮らしでも心配は少ない。だが、この引っ越しのように、いつもと違うことにはまったく対処できないのだ。いままであまり見えなかった母の物忘れの程度がじつはどれほどであるのか、こうして明らかになってきたのである。

 夕食後ソファで『ホークスビル収容所』を、時々起きて読む。チューゴクより娘帰国。なんだ手ぶらだ。成田から荷物を宅配便で送るという手を使うとは高校生の分際で以下略。

 そういえば本日発売『アスキーネットJ』11月10日号「ウェブ書評サイト50選」に、見たようなサイトがいっぱい…ちょっと取材がお手軽でわどこやらもちらっと掲載

2000.1026(木)  

  私の所にも、先日、bk1から図書券が一枚、お馴染みの黄色い封筒で届いていたのであった。アンケートに答えたのは覚えていたが、抽選で図書券があたるということは頭に入っていなかったので、封筒を見た瞬間、bk1がまた何かやらかしたのかしらなどと不謹慎なことを想像してしまった(ごめーん)。アンケート期間が短かったから確かに抽選はなかったかもしれない。代引きで注文すると支払いに図書券が使えるとか。←うそです

 昼休みに、妖精文庫2『黄金の川の王さま』を終わってしまったので、昨晩読みかけのSFM12月号を読もうと思ったが、悲しいかな持ってくるのを忘れたらしい。そこで、持ち歩いてはいる物のどんどん後回しになっている"The Golden Compass" の続きを読む。うーん、結構読めるじゃん。と思ってはたと気がついたら、文法はわかるが単語の意味がちっとも分かっていないのであった(惨)。

 『黄金の川の王さま』は最後のフォード・マドックス・フォード「空飛ぶお姫さま」のナローランドのお姫さまエルドリーダが、とても好き。構成はなんだか中途半端な感じの作品だけれど、お姫さまがとても普通でまっすぐなところと、コウモリという登場人(動)物の意外性がよかった。だって最後にお姫さまが人民に対して王さまとして推薦するのは、彼女の盲目の恋人だろうと思っていたのに!

 悲しいことに、既存の工場の取り壊しが進んでいた近所のマンション予定地で、道沿いにどっしりとした姿を誇っていた大きなおおきな椎の木が、昨日の帰宅時に通りかかると姿を消していたのである。このところ建物が壊されて空がひろびろ見えるようになり、ずいぶん急にさっぱりしたとは思っていたが、道沿いの木々は残されていたのでやや安心していた、その不意を突かれた感じ。あんなに大きく立派になるまでには一体何年かかったことか。切り倒すのはほんの数時間。「ひどいねぇ…」「もったいないねぇ…」と言いつつ、振り返り振り返り歩く。ならびの大きな銀杏の木(雄)は残されるらしいが、いったん伐ってしまった椎の木は戻らない!返せー、あの素敵などんぐりの椎の木を!

2000.1025(水)  
購入本
長野まゆみ/『ぼくはこうして大人になる』/大和書房
坂田靖子/『塔にふる雪』/潮漫画文庫

 昼休みに『黄金の川の王さま』を心愉しく読んでいると、保険屋のおばちゃんが約束より20分も早くやってきたので内心ふくれ蛙。エドワード・リアはやっぱりヘン。

 先日、婦人之友社から家計簿ソフトが出たので導入したが、この手のソフトはどれも設定が面倒くさいのだ。ずっと手で付けていたもののパソコン版ver.1なので(と言ってもこの2年ほどはお留守)、考え方はわかるのだが、カードの締め日がいつで引き落とし日がいつだとか、元から頭に入っていないので調べて入力するのが面倒このうえない。この分では設定が済んだころにめでたく新年と言うことになりそう。

 またも、夜、次男と沈没する。8〜9時間も寝ているのに、枕があればいつでも寝てみせると威張れる状態。

2000.1024(火)  
購入本
J・L・ボルヘス/『論議』ボルヘス・コレクション/国書刊行会

  保育園の年長クラスの次男の芋掘り遠足。子供たちと保育士(これまでの保母、保父の呼び名がこう変わった)だけで、園から駅まで歩いて、電車に乗って行くのである。幸いに夜のうちに雨もあがって、お弁当もちで出掛けていき、ぶじ巨大おいもをおみやげに持って帰ってきた。うー、リンゴとサツマイモの重ね煮がおいしいのだが、まだリンゴがないのだ。何にしようか?スイートポテト?さつまいも御飯??本人に訊くといつもながらの答えが帰ってきた>「カレー!」

 夜、次男と沈没する。昨日の日中、普段なら夜寝付けないほどたくさん寝たのになあ。

2000.1023(月)  
図書館本
サリ・ソルデン/『片づけられない女たち』/WAVE出版

  クラクラ眩暈がぁ…。昨日のほこりでやられたか、のど・鼻も痛い。あきらめて、次男を保育園に送って家に逆戻りし、ひたすら寝る。気付くと1時半、また寝たり起きたり(Web徘徊も含む)、ちょっと本を読んだり、また寝たり。夕方再びぐっすり寝てしまい、玄関のチャイム(長男)で起きると既に真っ暗。娘は今日からチューゴクへ修学旅行で不在、連れ合いは泊まり、と、夕飯を作るのもリキが入らない。
 でもあすは次男の芋掘り遠足(親は行かない)なのでお弁当だ。雨は現在たくさん降っているが、上がるのだろうか。

 午後たらたら『アンネナプキンの社会史』を読み終わる。「〜だろう」と推測ばっかりなのはある程度は仕方ないとは思うが、全体に突っ込み不足の感は否めない。アンネの社長が若い女性だったこと、生理用品の開発に主に男性が貢献してきたことなどは初耳だった。今現在でも様々な女性の問題に女性が主導権を取れずにいることをつらつら思う。取れずにいるのではなくて取らずにいる面も大いにあるだろう。

 図書館にずいぶん前にリクエストした『片づけられない女たち』が入った。およ、意外に厚い本ではないか、うーん。

2000.1022(日)  

  午前中から母の所で引っ越し準備。本棚のうち、いちばん人に触って欲しくない部分を箱詰め。鏡花全集も装丁が綺麗なので本当は自分で箱詰めしたいのだが、これ以上時間が…。で、SF文庫、FT、サンリオ、岩波、妖精文庫などを気持ち整理しつつ詰める。SF関係は以前、たとえばハインラインのある部分が鼻についたときにいくつか売っぱらってしまったせいもあって、持っていると思ったのにない物も結構あった。FTも100番以内の物もいくつか気に入らないものは売ってしまったらしい。ここまでで4冊欠け。それ以降は、必ずしも欲しいと思えないものも多く、ぽろぽろ抜けているが、リストと付き合わせると、ああ、買いそびれたぁ、と言うものも散見。職場にも置きっぱなしになっている文庫が結構あるので、母の引っ越しを機にぼちぼちと持って帰って整理しなくては。今度の土曜には母引っ越し。うう。

 いつも利用している古本屋が、処分する分を引き取りに来てくれた。段ボール箱4箱ちょうどくらいで、母や姉の本少々、雑誌や実用書などもけっこうあったが、全部で1万円。新しめの小説本などはかさばるばかりでちっとも値にならず、売値に貢献したのは一番期待していなかった新書と文庫だった。料理本は意外に売れるとのこと。おじさんは他の棚を見回して、「次はちくま文庫と妖精文庫ね」と言って帰った(売らないよーだ)。

 その古本屋が、私の本棚に光琳社版『空の名前』『宙の名前』があるのを見て、「うちにたくさんあるから宣伝しておいて」と言っていた。倒産するときにたくさん引き取っておいたのだそうだ。京都書院の本も、京都まで行って大量に引き取ったと言っていたので、併せて宣伝しておきます<ご用の方はニムまでどうぞ

 掲示板で触れた『ほんとうの空色』(バラージュ・ベーラ)は、こんな話。

 ★まずしい少年フランツルは、友人に借りたプルシャン・ブルーの絵の具をねずみに食べられてしまい返せなくなってしまう(食べたねずみは真っ青なねずみになるし、そのねずみを食べたねこのからだも真っ青になって、これは珍しいと高く買われて行くーそしてそのたびに逃げ帰ってくる)。困り果てていると、小使いさんが、お昼の鐘が鳴る一分間だけ咲く青い大輪の花を教えてくれた。その花の絞り汁で絵の空を塗ると、そこでは本当の空のように日が照り、雲が湧き、雷が鳴り、夜には月が昇るのだ。この秘密をフランツルはグレーテと共有する。
 絵の具の持ち主に花の汁をあらかた巻き上げられたフランツルは、わずかな「ほんとうの空色」で大きな道具箱のふたの裏を塗り、箱の中にすっぽり入っては絵の空を眺めて寂しさを紛らわしていた。
 あるとき再びその花を摘もうとしてフランツルとグレーテは庭番に捕まってしまい、なんとか逃げ出すことは出来たが、「ほんとうの空色」の補充をすることは叶わなかった。フランツルが道具箱の中で絵の空を眺めていると、持ち主の指図で箱は運び出され、中に隠れたままのフランツルは危うく箱ごと焼かれそうになる。「ほんとうの空色」で塗った側を上にして隠れていると、絵の空に月が昇って、まるで水たまりに月が写っているように見えたため、すんでの所で難を逃れ、箱のふたをかかえて逃げ出す。
 川にさしかかって、泳げない彼はふたをボート代わりにして乗っていたが、川岸から見るとまるで水の上を歩いているように見えたので、聖人扱いされ、たくさんのご馳走をもらって帰った。しかしこのためふたの裏の「ほんとうの空色」はすっかり流れ落ちてしまい、ただ一滴、半ズボンに落ちたしずくだけが、「ほんとうの空色
の最後のひとかけらになってしまった。彼はその後小さな空のひとかけらのついた半ズボンを大事にして長いことはいていたが、あるときグレーテに「もう子供の格好はやめて長ズボンをはくようにしたら」と言われてようやく、半ズボンと「ほんとうの空色」に別れを告げるのだった。
 #私が最初に出会った版(不明)では、初めのきっかけの、友人に借りた絵の具の色名は講談社版の「あい色」ではなく「プルシャンブルー」となっていた。この名と「ほんとうの空色」がイコールになってしまった私は、後にこの色の絵の具に出会ったとき一遍に気に入ってしまったのは言うまでもない。

2000.1021(土)  
購入本
山田正紀/『超・博物誌』/集英社新書
小野清美/『アンネナプキンの社会史』/宝島文庫
工藤佳治・兪向紅(ゆ・しゃんほん)著 丸山洋平写真/『中国茶図鑑』/文春新書
『ムー』11月号/学研
図書館本
ウォルハイム&カー編/『ホークスビル収容所』/ハヤカワ文庫SF

  いったい昨晩はいつ寝たのか、覚えていない。多分次男を寝かし付けてそのままだとは思うのだが。ゆうべは確か更新をしようとして途中まで書いたような…、と微かに覚えてはいるのだが定かならず。ぱそこんがちゃんと覚えていてくれた(夜中に帰宅した連れあいが電源を落としてくれた模様)。

 11時過ぎから、近くに出来たユニクロに野次馬根性で出掛ける。あらー、近い。自転車でほんの5分だわい。でも買いたいものは特にはなく、目当ての、次男用のジーンズ、ベスト、フリースジャケット、トレーナースーツ(寝間着代わり)など、子供物ばかり買う。来週から保育園では似たような格好をした子が増えるに違いない(*^_^*)
 私としてはあの建物のサイズなら、ユニクロよりブックオフが出来てくれれば良かったのだけど。

 夕方、歩いて10分ほどの所でやっている区民まつりに次男と行き、県人会などの出店で、いつも買うことにしている上州の焼き饅頭、鹿児島のかるかん、どこか不明の岩魚の塩焼きなどを買う。
 付近では終日パレードの類をやっているが、夕方は区内の阿波踊り連の出番で、幾つもの連が次々に踊りを披露している。一つ終わるとまた一つ、もうおしまいかと思うとまた次の連、と、どこからともなくわらわらと際限なく湧いて出てくるのがこわい。5団体ほど見た中でおかしかったのは富士銀行の連だ。「ヤットナー、ヤットナー」のかけ声に続いて男性陣がこだまを返す。「ローンは〜」「フジギン、フジギン、富士銀行」「ナントカは〜」「フジギン、フジギン、富士銀行」「カントカは〜」「フジギン、フジギン、富士銀行」(ぶっ) 

 『ホークスビル収容所 ワールズ・ベスト1968』は、遠い昔に読みました。ワールズ・ベスト1965(『時のはざま』)、66(『忘却の惑星』)、67(『追憶売ります』)は間違いなく持っているはずだがどうやらこの68年のものは手許にないらしい。ただしこれらは時期的に見て刊行間もなくしっかり読んでいるとはいえ、中味をちゃんと覚えているかという段になると俄然声が小さくなる。今回はキース・ロバーツの再読のために借りた(「コランダ」)。

2000.1020(金)  
購入本
南條竹則/『蛇女の伝説』/平凡社新書
 〃 /『ドリトル先生の英国』/文春新書
山本夏彦/『百年分を一時間で』/ 〃
村上春樹・柴田元幸/『翻訳夜話』/ 〃
早川書房編集部編/『海外ミステリ・ベスト100』/ハヤカワ文庫HM
トーベ+ラルス・ヤンソン/『恋するムーミン』ムーミンコミックス4/筑摩書房

  朝から薄暗い空だったが、昼から予報通りに雨がぱらつき始め、終業後外に出ると微かな霧雨にうっすらともやがかかって、涼しいようなそれでいてむっとする曖昧な天気になっていた。今月は休みの度ごとに母のほうの片づけがあるので、自宅の秋冬物をちゃんと出していない。ようやく「寒い」という言葉が出てくるようになったと思うと、それもそのはず、もう10月も下旬にさしかかっているのだった。

 なぜか今日の収穫はあらかた新書。最近南條竹則はずいぶん本を出しているように思う。『ドリトル先生〜』をぱらぱら見る。私は小4の夏休みに一人で田舎に滞在することになり、その時父が田舎で読むようにと『ドリトル先生と月からの使い』を買ってきてくれたのがこのシリーズとの出会いだった。 月シリーズをまず読み、あとは初めに戻ってアフリカ行き、航海記と次々読んでいった。久しぶりに懐かしい絵と文に触れて、いかに頻繁に楽しんで読んだか、今更ながらに思い出される。トーマス・スタビンズが座り込む堤防に自分も並んで座り、ぽちゃっと何かが川面に落ちる水音さえ確かに聞こえる。プークマの最後のシーンのように、いつでもいつになってもその頃の自分がいる場所というものはいくつも記憶の襞の中にたたみこまれているが、今日はパドルビーの運河を描いたロフティングの絵がそれを思い出すきっかけとなった。

 『黄金の川の王様』の表題作。夕日に映えて黄金に輝く川という美しいイメージがそのまま題名だ。

2000.1019(木)  

  きのうの冷たい北風は、木枯らし一号だったそうな。今朝、きんもくせいの花はあらかた茶色くなり、最後の香りを放っていた。まもなくさざんかのシーズン。さざんかは「山茶花」とも書くが、秋の花の一つにお茶の花がある。
 子供の頃近所に、昔の農家の名残がうかがわれる家があった。そこには同級生がいたので、よく遊びに行ったのだが、町はずれとはいえ住宅街の中にあるその家には野菜畑があり、畑を守るおじいちゃんおばあちゃんはまだ外便所を使っていた。敷地を巡る生垣の三方は、低く刈り込まれたお茶の木で、秋になると木瓜の花に似た乳白色の花が咲く。その頃はちっとも意識しなかったが、大きくなってから「秋に咲く花はなんだ」という話題が出たとき、コスモスとならんでお茶の花もそうだと言われて初めて、ああお茶の花が咲いていたのは秋だったのかと懐かしく思い起こしたのであった。
 畑の端に植わっていたのは最近余り見かけなくなったバナナの木で、小学校の入学式のあとで、遊び友だちが集まってこの木の前でおじいちゃんに写真を撮ってもらったのを、その時のまぶしい日差しと一緒に思い出す。東京は本来あるべき所より寒いからバナナの実がならないのだとずーっと思っていたが、じつはこれはバナナではなくて芭蕉なのだそうだ。とはつい最近知ったこと。

 ゆうべはなんと寝たのが4時。10時半頃から次男を寝かし付けて2時間寝てしまったとは言え、ちょっと乱れすぎ〜(起きたのは6時半、うぅーん)。3時近くに、泡盛のお湯割りをキュ〜ッとかっくらって寝ようとして、次に読もうと置いてあった『光の帝国 常野物語』をちょっと手に取ったのが運の尽き。さすがにこの時全部は読めなかったが、今朝お行儀悪くパンを頬張りながら最後の一編を読了。あ〜、面白かったぁ!
 みんなも、そしてご本人も言うようにたしかにピープルシリーズだが、同時に『クロスファイア』あたりを想起する部分も。ヒの一族なんてのもいたっけね。こうしたちょっとどろどろしたものをも感じさせるのはやはり一族のルーツがピープルと異なり(多分)日本に根ざしているからなのだろうか。それとも期待される続編ではぢつはそれは日本ではなく…という衝撃の事実が明かされるのか?
 さっそく娘にお勧めする。ピープルもくっつけてあげよう。

 昼からは懸案の新・妖精文庫1『幸福な王子』を読む。ワイルドの小さい話4篇で半分、あと半分はラングの「プリジオ王子」である。このラングがとっても面白く、声を立てて笑っちゃう所が幾つもあった。それは主に今書かれたものと言っても通るような近代・現代性で、あとがきにもあるようにこの時代(ヴィクトリア時代)の幅広さの一端を感じた。
 つぎは同じく2『黄金の川の王さま』に入る。小学校の図書館で、古ぼけたこの本やマクドナルド『王女と小鬼』を繰り返し借りたものだ。「黄金」は何と読ませるのだろうか、私は「きん」と読みたい。リズムのよい「きんのかわのおうさま」が私の記憶にある題名である。手許にあるこの本にはラスキンのほか、ディケンズ、リアなどが収められている。

2000.1018(水)  

  昼から晴れる、と言う予報であったが、北風がだいぶ強くなって、上着がないと薄ら寒くなかなか日が差さないまま。きんもくせいの花もずいぶん落ち、木の足元一面に丸く散り敷いていて、点描画のようだ。

 『眠りと死は兄弟』読了。ディキンソンのミステリは初めてなので、なかなか面白く読めた。訳がさすがに古い感じではあるが、そこが妙に釣り合っているような気がする。事件が起きているのやらいないのやら、主人公ピブルの目を通さないとそれ自体よくわからないという感じの不思議なシチュエーション。終盤の火事にいたってようやくあれこれが収束してくるが、不注意な読者(=私)にとってはやや意外な結末に。ピブルが警察を辞めることになったいきさつが気になる。全体として淡々とした印象でありながら個々の部分は非常に饒舌で緻密だ。
 サンリオ文庫刊行当時ディキンソンとの出会いであった『キングとジョーカー』も一種のミステリなのかもしれないが、あちらのほうが舞台が狭いせいか(イギリス王室そのもの)すっきりした印象がある。独特のユーモアは『キング〜』のほうが表に押し出されてはいるが、共通している。この人はやはり日本人が日本語で読む限り、言語の問題や文化的背景の点で、充分には読みとれないのではないかという気がする。

 次は『光の帝国』か、それともずっと懸案の、新・妖精文庫か。

2000.1017(火)  
図書館本
ライト/『なぞの惑星X』世界の科学名作15/講談社

  日比谷図書館からやってきたのは、昔々わくわくして何度も読んだ『なぞの惑星X』だぁ!何年ぶりの再会だろうか。昭和40年、290円。
 テラフォーミングされた火星に住む少年ボブは、宇宙軍の士官候補生だ。父親のグリフィス司令官の率いる第9航空隊と共に、冥王星と海王星の間に見つかったなぞの遊星Xの探査に向かうことになった。遊星Xから来た真っ黒な鉄アレイ型の宇宙船団は、宇宙軍船団の目前でぴたっと止まったと思うと、そのまま後ろ向きにものすごいスピードで飛び始めた!
 ぴかぴかの私用ロケットだの、陽子砲だの、慣性航法だの、今やおなじみの(古くさい?)ガジェットがたくさんでて来る。中でも不気味なのは光を吸い取るほど真っ黒な鉄アレイ型のなぞの宇宙船だ。海王星の衛星上に放置された、撃墜された黒い宇宙船に、ボブとその友人のサイモン、イオ星の少年ジョアンは離陸管制をくぐり抜けて急行するが、それは
おとりのダミーの宇宙船だったのだ。危うし、地球文明!

 原作は"Mysterious Planet" by Kenneth Wrightであるが、元の登場人物や筋はどんなだったのだろう。
 同じシリーズの『百万年後の世界』(ハミルトン)は『時果つるところ』の少年向けリライトだが、原作にはでてこない少年少女が主人公となっていて、なぜか子供部屋にはゼロ戦の模型があったりするのだ。

 日下実男の解説に続いて、福島正実の「SF 人類はどこからきたか?」という記事が末尾に載っている。同じハミルトンの『虚空の遺産』(ここには題名を挙げていないので、後にこれに出会ったときは嬉しかった)やラインスターの「なきさけぶ小惑星」、ベン・ボバの『星の征服者』などがかなり詳しく紹介されているので、当時読みたい読みたい!どこで読めるんだろう!と非常にもどかしい思いをしたのだった。ことに「なきさけぶ小惑星」は未だにわからないので、未訳なのかも知れない。
 黄ばんでだいぶくたびれたこの本、頑張って生きながらえておくれよ〜。

先日の『ウィッチクラフトリーダー』は、近所の図書館で国会図書館から借りてもらえることになりました。何日かの期間、図書館内で閲覧のみ可。

 『眠りと死は兄弟』は約2/3のところ。幾つもの金属の名を使い分ける人物や、幼時、虐殺の墓穴から甦ったために「タナトス」と言う名を与えられた大富豪などが登場する。

 娘のお茶碗を割ってしまい、フローリングがすごい傷きずに…(涙)。

2000.1016(月)  
購入本
小野不由美/『風の万里 黎明の空』上・下/講談社文庫
松村栄子/『紫の砂漠』/ハルキ文庫
筒井康隆/『細菌人間』/出版芸術社

  職場でエクセルが不調だと思っているうち、何頁も何頁もあるエクセルのブックが開けなくなる。オーイオイオイ、とうとう救えない模様。朝のうちに必要な部分をプリントアウトしておいたのが不幸中の幸いだが、これをシコシコ入力し直すかと思うと…よよよ。

 『眠りと死は兄弟』の原題"Sleep and His Brother"はシェリーの詩からの引用(p.56)?「死」の一言がないところが美しく残酷。ただし本編は別段今のところ残酷ではない。私の感じたとおり、作者自身キャシプニー患者の子どもたちを魚にたとえていた。主人公は元警官のピブル、これはシリーズだというから先立つ2作も読まねばなるまい。

 きんもくせいがあちらでもこちらでもほろほろと花を零している。一方いつまでも暖かいので、銀杏もけやきも未だに緑色を保っている。もうすこしするとさざんかの季節だというのに、おしろいばなや朝顔もまだ咲いている。今が一番よい気候で、寒くならないでこの気温が続いて欲しいのは山々だけれど、それはやっぱり困ります。

 おお、東京でも夕方5時半頃、北の空低くに若田さんの乗るスペースシャトルが見えるそうだが、実際に見えたのだろうか。光度は金星くらいと言っていたが、地平線から5度?うーん。

2000.1015(日)  

  しっかり寝坊してから、母の引っ越し準備。古本屋に引き取ってもらう本が段ボールに4箱(ぎゅうぎゅう詰めではない)。持っているつもりの本がなかったり、思わぬ本がでてきたり。『母の友』のバックナンバーが捨てがたいのよ〜。

 合間に、昨日から浮気していた『上と外』1に続き2も読み終わる。ネットの上と外という連想もあながち違っていないかも。
 恩田陸に村上春樹を思い起こすのは、注意深く選ばれた台詞や、細心の注意で配置された舞台装置のせいだと思う。(以下ネタバレ反転)
二人が密林に分け入るための仕掛けであるクーデター、練がサバイバルに必要な知識(行動様式)を持っているわけ、など、小説世界を構築するのにはもちろん当たり前の設定であり伏線であるのだが、とても人工的。密林の描写もそれなりになされるが、生命の充満している様はちっとも感じられない。けれども、これらは欠点とか瑕疵というのではなくて、それ自体が恩田陸の魅力なのである。次作は12月刊行、せめてひと月に一冊にして欲しい。しかしこの薄さでこの値段…。

2000.1014(土)  
購入本
ハンス・フィッシャー・作、さとうわきこ・ことば/『るんぷんぷん』/架空社
谷川渥/『幻想の地誌学』/ちくま学芸文庫
稲垣足穂/『稲垣足穂全集1 一千一秒物語』/筑摩書房
『チョコエッグ百科ボックス』/小学館

  この前の週末に布石を打っておいたので、母の引っ越し準備をさぼり大手を振って次男と池袋へ行く。つまり(品切れをよいことに)隣近所への挨拶の品の取り寄せを頼んでおいたのですね。それと東武百貨店の北海道物産展で六花亭のマルセイバターサンドと柳月の三方六を入手。
 でもって危うく忘れるところだった『チョコエッグ百科ボックス』を辛うじてレジカウンターで発見し無事ゲット。帰宅後娘に「どうして急に○○(次男)はこれが好きになったの」と問われ、「いや最近ファミマ(一番近いコンビニなのだ)で置くようになって買ったのがきっかけでムニャムニャ…」つまり私が気に入ったのであった(今更ながらの言い訳)。

 近刊のボルヘス作品集が頭にあるので、お値段の張る稲垣足穂全集は見送ろうと思っていたのだが、実物を見たら手に吸い付いて離れず連れ帰る。筑摩の個人全集の装丁は気に入るものが多く、このクラフト・エヴィング商會の装丁もその例に洩れない。1970年頃の宮沢賢治全集に通じる感じの、ソフトな造本とすっきりして品のよい、同時に人を惹きつけるチャーミングな紙面であるおお馬から落ちて落馬。まさか活版印刷ぢゃあるまいな>活版希望。函も本体カバーも素のままの紙なので、実際に読むときにはカバーを掛けなくては汚れてしまいそうだ。だいじ、だいじ。

 なぜか突然『上と外1』を読み始める。それにしても字が大きい。上と来たら下、外と来たら内だろうが、ネット(Web)については「ネット上、ネットの外」のように言うように思う。でも今のところ中味はそういうものではないらしい。約半分のところ。中米と言ったら真球に近い石とか唇の分厚い顔を刻んだ彫刻とかを思いだしてしまう私はグラハム・ハンコックに影響されすぎ?(ボーヴァルの『オリオン・ミステリー』は面白かった〜)

 3時過ぎに帰宅し、連れ合いが昨日買ってきた柿の葉寿司でお昼兼お茶。今日のは、鯖、鮭のほかにあった穴子、秋刀魚がヒット!んまいっ!一緒に買ってきてくれたわらびもちがこれまたふんわりとろっとして美味。娘曰く「秋が食欲の秋って言われるのがよくわかるよ…!」同感ですウェップ。
 母の所で7時頃まで片づけと盛大にゴミ捨て。いるものはなく、いらないものはある>ってスフィンクスが言いそう(いる=要る)。

2000.1013(金)  
購入本
『ネムキ』11月号/朝日ソノラマ
ロバート・シルヴァーバーグ編・風間賢二訳/『伝説は永遠に1』ファンタジイの殿堂/ハヤカワ文庫FT

  めでたく嬉しい金曜日、しかも13日なのであった。先週は第一土曜で子どもたちは学校だったから「明日は休みよね!」と思いこんでいたら、長男の学校は元々土曜休みはないのであった。うっそー。

 キース・ロバーツ(アリステア・ベヴァン名義)「スーザン」を読む(創元推理文庫『年刊SF傑作選6』収載)。『年刊SF傑作選』は持っていたりいなかったりで、6は図書館本。ちょっと「なんでも箱」を思い出させるような、女教師と生徒という設定だ。当時はいざ知らず、いま読めばその題材はとりたてて特徴的ではないけれども、その醸し出す雰囲気は読み終えても印象深い。文字を追って行くとそのまま、頭の中での変換のラグタイムなしに追体験として丸ごと味わえる、そんな感じ。

 どなたか朝日ソノラマ海外シリーズ14『ウィッチクラフトリーダー』をお貸し下さいませ(願)。図書館経由で都立中央図書館まで捜してもらったけれどないのですって。

 『眠りと死は兄弟』に入る。ややっ、面白い。『レナードの朝』をちょっと思い出した。動作もしゃべり方もゆったりした、知恵遅れの子どもたち。一日20時間も眠り、その体温は異常に低いという奇病キャシプニー患者だ。水底に沈むお魚のように、宏壮な屋敷を改装した施設の、高価な絨毯の上をごく緩慢に遊泳する彼ら。おお伝染した。

2000.1012(木)  

  『大聖堂の悪霊』残りを一気に読了。ぜひ諸君も読みたまえ@ワトソン
 やはり、邦題に幾分惑わされていたようだ。原題"The  Unburied"をそのまま頭にインプットすべきであった。邦題でよけいなイメージと期待を頭の中に作ってしまった。
 しかし「悪霊」という言葉は、必ずしも幽霊をさすものではないにせよ、物理的な闇を抱く大聖堂の内外で引き起こされた、過去そして現在の事件にまつわる、人間の心の内にわだかまり時にほとばしる真っ暗な闇・人間の悪の部分をさすものでもあるので、邦題としてはベストではないが、内容をある意味良く反映したものとして評価しても良いだろう。

 ロカード夫人との会話の後にコーティンが闇から解き放たれて得ることができた心境がすがすがしい。「編者あとがき」にみるように「コーティン文書」の編者が長い年月の間囚われていた闇とそこからの解放もまた、驚きと共に静かな感動がある。
 しかしこの謎解きは!いそいそページを戻して序章の老婦人に再び立ち戻るのであった。

 久しぶりに紀尾井ホールで連れ合いと落ちあいクレマン・ジャヌカン・アンサンブル。古楽ファンはこれ以降、今日の「ラブレーの饗宴」を見たものとそうでないものとに区別されるだろう(ちょっと大げさかしら)。1時間半個性的なドミニク・ヴィスの声を聴き詰めというのも、ちょっと苦しい気がしないでもない。
 きんもくせいが本当に花盛りで、今日の暑いくらいの日差しにむせ返るほどに匂っている。紀尾井ホール2階のビュッフェのテーブルにも活けてあった。むかいのホテルオークラは要人が滞在するのか、ものものしい警備体制。
 終了後おなかがぺこぺこで、四谷駅ビル内の中華「炒り屋」であれこれ食べて、うー、心身共にたらふく。

2000.1011(水)  
購入本
坂田靖子/『カヤンとクシ』坂田靖子セレクション3/潮漫画文庫
井村君江/『妖精の輪の中で』/ちくまプリマーブックス
 〃 /『妖精とその仲間たち』/ちくま文庫
西崎憲・監訳/『巨人ポール・バニヤン』アメリカの奇妙な話1/ 〃
『ユリイカ 特集・泉鏡花』/青土社

  昨日買った『本とコンピュータ』秋号は、森山さんはご自分には合わない(10月8日付日記)とおっしゃるが、私には、オンライン書店のあれこれ(永江朗氏らも書いている)、図書館の電子化、佐藤亜紀もでている座談会、谷根千のサイトを最近立ち上げた森まゆみ、などなどが読めて面白いと思えた。

 読み始めには今日読了の予定だった『大聖堂の悪霊』、まだ3/5くらい。昼休みも、帰宅後も、あれこれ雑用が…。たった今その家を辞してきたばかりの老人が惨殺されるかと思えば、250年前の殺人が悪臭と共に露見する。

 『巨人ポール・バニヤン』は、西崎憲さんの監訳だった。読んで楽しい彼の解説を読む。井村君江は似たような題名の本ばかりで、どれを持っているのかいないのかもはや不明。

 チョコエッグの本(フィギュアつき)を注文する<ゴーカケンランのほう。一冊入ったがすぐに売れたのだそうだ。うちにあるのは今のところたったの3個(イルカとカブトエビとアカショウビン)。次男がお気に入りなのだ。

2000.1010(火)  
購入本
『本とコンピュータ』14号/トランスアート

  実験ノートやデータに「1010」と日付を書き込むたび、アレ?という感じが抜けない。昨年までずっと10月10日は体育の日として休みだったからである。7、8、9日の思わぬ3連休はそれなりにうれしいが、もともと10月10日は晴の特異日だからという理由で東京オリンピックの開会式の日と決められ、それを記念して体育の日となったのではなかったろうか?そのせいかどうか、見事に昨日9日の「体育の日」は雨。

 ひんやりと心地よい一昨日の夜、近所まで出る用があった。マンションの玄関を出
て歩道へ曲がるとき、ふと流れてくる香り。そう、きんもくせいの香りだ。みるとまだ花はほとんど開いていず、緑がかった黄色のつぼみがポチポチとたくさんついているのであったが、その匂いはもう人の足を引き留めるのに充分である。今日は良く晴れたせいか、あちこちで漂うきんもくせいの香りにあるいは振り向き、あるいは足を止めて香りの元の木を捜す。きんもくせいはこうしてちょうど10月10日頃に咲くので、運動会と聞くと思い浮かべる秋晴れの空には、きんもくせいが匂っている思いがするのである。  

 『大聖堂の悪霊』は、とうとう姿を現しました、墓から甦った影が。墓から?
 コーティンの時代である19世紀後半、そこから250年前の17世紀、、そして12世紀前半、と3つの時代が大聖堂を焦点として交錯している。パリサーの心理描写はなかなか真に迫っているのでぐうっと引き込まれてしまう。ほぼ半分。昨日から引っかかっているのだが、どうやら原題は字義どおりに解釈するのが正解かも(謎)。

2000.1009(月)  
図書館本
ピーター・ディキンソン/『眠りと死は兄弟』/H・P・B

 久しぶりにゆっくり起きると大層な雨。朝から母のところへ行って、昼過ぎには戻ってこよう、と言っていたが、出鼻をくじかれたというかやる気がないのに輪をかけられたというか。連れ合いに「早く行って早く帰ろう」と急かされる。長年の雑物、子どものおもちゃ等のほか、ないないと思っていたベルトとかスカートとか、とんでもないところに混じっているのを発見。
 娘の三歳ときの七五三の衣装などが、とんでもない段ボール箱の中に無造作に突っ込んであるのも発見し、がっかりする。もともと一揃い、ちゃんとした箱の中に収まっていたはずなのに、なぜその箱からばらされてこんなふうにぐちゃぐちゃになっているのか…。母は三年半前に一度引っ越しているのだがその時にこんなふうに荷造りしてしまったのだろうが、着物の状態にがっかりすると同時に、胸を突かれるような思いもする。いつまでたっても母は母だと思っているのに、実はいつの間にか手も若い頃のようには自分の思うように動かせなくなって来ていたのだなあ、と。
 結局昼食をはさんでゴミ捨てまで済ませて帰ると4時。いっときは大層な稲光と雷鳴もあったのに、この頃にはすっかり雨も上がっているのであった。

 昨晩遅くに『竜の年』を読了。不思議な味わいの物語であった。独特な雰囲気は気に入ったのだが、どこまでが象徴でどこまでがそうでないのか(文字通りを受け入れたらよいのか)、判断しかねる感じ。私の常でいちおう書いてある通りを受け入れて読んだのではあったが。

 ようやく『大聖堂の悪霊』を本格的に読み始める。19世紀後半、夜の闇がまだ真っ暗だった頃の英国。ガス灯やカンテラ、蝋燭で辛うじて灯りの輪は出来ても、その外側からは暗闇がじわじわと領分を取り戻そうとしている。
 史学者のコーティンは、もし見つかれば自説を支持することになる12世紀前半の文書を捜しにサーチェスターの大聖堂に来ている。そもそも二十年以上前にあるトラブルで別れた友が大聖堂間近に住んでおり、彼からの突然の誘いを受けてこの地へ足を延ばそうと考えたのであった。この大聖堂にはここ250年あまりの間、ある殺された男の幽霊が出ると言われている。いっぽうコーティンを誘った友人・オースティンの言動はどことなくいぶかしい…。
 乞うご期待!原題は"The  Unburied"(墓から掘り出された男)、いまのところ件の幽霊は悪霊と言う感じではないけれども、これから悪になって行くのか?

2000.1008(日)  
購入本
恩田陸/『上と外 2』/幻冬舎文庫
トレッセルト・作 デュボアサン・絵/『きんいろのとき』/ほるぷ出版
ルイーゼ・リンザー/『波紋』/岩波少年文庫
『ホラーウエイヴ01』/ぶんか社

 午前中母のところの片づけをするがいやになり(もうずっといやになってる)、百貨店に用があるという連れ合いに便乗して次男を連れ池袋へ行く。連れ合いは所用でMIBにならなければならないのだが、スーツでなくともよい、というので黒いシャツを捜す(仕事柄スーツは手放せないのだが元々スーツ嫌い)。ワイシャツタイプではなくスタンドカラーがいい、というがこれが意外になくてしばし探し回る。

 連れ合いを見送ったあと、2,3の頼まれ用事ほかのため売場をあちこち回る。やっぱり人がいるところは疲れる。と言っても今日は割合百貨店も空いてはいたのだが>紳士服売場なんてがら空き

 今日こそ『妖精にさらわれた男の子』イエィツ(岩波書店)を買おうと思ったのだが、なぜか今日に限ってリブロ(児童書、各国文学とも)にも旭屋にもない(涙)。
 『まるごと一冊ロアルド・ダール』は実際大きくて分厚かった。うーん、見送り。
 東武百貨店の旭屋には晶文社の棚があって便利していたのだが、最近なくなってしまったらしくがっかり。一方リブロにも旭屋にもハヤカワ文庫の復刊本がたくさん入荷していたのが何だか嬉しい。
 来月になって母の引っ越しが落ち着いたら、ひさしぶりにジュンク堂へ行ってみようと思う。

 『大聖堂の悪霊』に手を伸ばしかけたものの、その前に薄めの『竜の年』を読み始める。これはポーランドの作家のものである。14歳の少女が主人公で、現代が舞台だが、突然竜が現れ行方不明になる人が続出する。しかし日が経つに連れ、竜の出現も人々には交通戦争や環境問題のように厄介だがあたりまえのことになっていく…。
 この本は出版元の未知谷にメイル注文したものであるが、同時に注文した『文学の贈物 東中欧文学アンソロジー』に『美しい鹿の死』のオタ・パヴェルの作品が載っているので、彼のほかの作品をぜひ出して欲しい、と書いたら、ただ今一冊翻訳中とのことであった。期待。

2000.1007(土)  

 長男の体育祭。何やら埼玉の遠いところにあるグラウンドで行われるので、5時半起きでお弁当作り。見物には行かない。母の引っ越しの雑用など。
 午後帰宅した娘は、異様な眠さにすっかり負けてソファで昼寝。友だちへの受け答えも怪しいくらいの眠さだという。目の前の公園(グラウンド)で行われていた幼稚園の運動会(うるさすぎ)も終了して、野球の練習や、子どもたちの呼び合う声など、晴れた秋の午後らしい物音が伝わってくる。次男はお友達からお誘いがかかり、不在。

 静けさに助けられ、片づけ、感想など。「ユニコーンの谷」「薔薇の荘園」を書く。『ローワンと魔法の地図』は珍しく「私にはダメ」評価だ。

2000.1006(金)  
購入本
天澤退二郎/『宮沢賢治の彼方へ』/思潮社
林完次/『天の羊』/光琳社
オーソン・スコット・カード/『地球の呼び声』/ハヤカワ文庫SF

 律儀に古本屋へ行ってありがたや天澤退二郎を引き取る。カードは、ごく最初のものしか読んでいないのだ(と白状)。『無伴奏ソナタ』とか。 

 積ん読本では、モリス全集、(新しい方の)妖精文庫、デ・ラ・メア物語集、フランシス・ジャム散文集、怪奇小説の世紀、国書の魔法の本棚シリーズ、『アラビアン・ナイトメア』なども読まねば。
 未購入ではポターの『妖精のキャラバン』(福音館、H2さんの言ってるやつ)や、『まるごと一冊ロアルド・ダール』(評論社)も気になる。あっ、『ファンタジーの殿堂』!

2000.1005(木)  

 海外ロマンチックSF傑作選1『魔女も恋をする』(コバルト文庫)収載「ユニコーンの谷」は、「薔薇の荘園」の前日譚だったので、『薔薇の荘園』(ハヤカワ文庫SF)を取り出す。これは長いこと絶版だったが、たまたま最近の復刊で甦っているはず。『薔薇の荘園』を最初に読んだ当時は、表題作より「火の鳥はどこに」のほうが印象が強かった。「薔薇の荘園」はぜひ「ユニコーンの谷」と続けて読まれるべきだとおもう。ジョンとスティーヴンの友情の発端、彼らの背景、マンドレイクの怖さ、などが良く理解できた上で一層この美しい物語が生きてくると思う。図書館で借りてでも読まれることをお勧めする。ameqさんのリストからトマス・バーネット・スワンの著作リスト

2000.1004(水)  

 保育園の運動会。次男は今年年長クラスなので、これが最後の保育園の運動会である。昨夕の空の感じからみると今朝は上天気、のはずなのに、今にも雨が落ちてきそうなどよよーんとした空ではないか。
 お弁当は(どうせ次男は小食だし見に行くのは私だけだし…)鶏の照り焼き、青梗菜とウィンナ・人参の炒め物、チーズの餃子皮巻あげ、それと究極の手抜き・昨日の連れ合いのおみやげである柿の葉&笹の葉寿司。あーなんてラクチン。「ぶどう、持ってく?」「いらない」「ほんとに?」「(無言で首を振る)」で、フルーツなし。

 案の定、オープニングに引き続く年齢順のかけっこから雨が降り出し、1歳児、2歳児クラスのあたりでは結構降ってきたのだが、その後何とか持ち直す。わが次男くんの出走はクラスでも一番最後の組だ。早い子ばかり4人であったがいつも競る子が一つ前の組で走ったので、見事ぶっちぎりで一着(ぱちぱちぱち)。
 その後次第に天気は上向きになり、彼の白組は総体的に勝ちが多く、縄引きで、玉入れでも、そして期待のリレーでも勝ったので、点数付けこそないが、当人たちとしては大満足で終わったのであった(ぱちぱちぱち)。

 今年度から保育園は園長が変わり、それと共に園自体もこんなに雰囲気が明るくリラックスしたものになるのかというくらい、良い方向に変わっている。園の生活にセレモニーめいたものが減り、運動会でも「見せる」要素よりも楽しんで体を動かす要素が強くなったので、運動会の練習の過程でも昨年までの「練習練習また練習」がなくなったのがなによりだ。

 『ローワンと魔法の地図』読了。パトリシア・ライトソンらと同じ賞を受賞しているというが、これとライトソンを比べて考えるに、児童文学の賞だけに選考に当たっては実際に子供らにどれだけ読まれているかが加味されるのではないかと思う。この本は書店では子供らに大変な人気なのだという。その点もハリーポッターに似ているようだ。

 廣済堂アテール文庫『蜜の眠り』から恩田陸「睡蓮」を読む。『麦の海に沈む果実』の主人公・理瀬がここでも主人公だ。『麦の海〜』の学校長らしき人物も登場する。文庫書き下ろし(平成12年4月刊)とあるだけで執筆時期は明らかにされていない。『麦の海〜』は長野まゆみを想起させるものがあったが、その点においてはむしろこの短篇の方が顕著かもしれない。

 海外ロマンチックSF傑作選1『魔女も恋をする』(コバルト文庫)をださこんの際にmutさんより頂いたが、このところ長いものを読んでいるので、間奏曲のようにこれを読む。マーガレット・セント・クレア「光、天より堕ち…」に続きトマス・バーネット・スワン「ユニコーンの谷」の途中。いやーん、このあたりはツボぢゃー。海外ロマンチックSF傑作選は、2も3も去年からこちら手に入れたのだがまだちゃんとは読み終わっていない。もったいないから早く読みませう。

2000.1003(火)  
購入本
ヨアンナ・ルドニャンスカ/『竜の年』/未知谷
小原雅俊・編/『文学の贈物 東中欧文学アンソロジー』/未知谷

 午後、静かな頭痛がやってきて起きていられず、休憩室でしばし横になる。二日遅れの睡魔。

 『ローワンと魔法の地図』を昨晩から読み始めたが、意外に字が大きいので時間の割りに早く読み進める。舞台はどことも知れぬ土地なのに、魔女の特徴はとんがった鼻だというのはクラークばりの未来の記憶かい。

 いつの間にやら10月になっていた。ことしは銀杏の葉がいつまでも青々としている。桜も場所にもよるがまだまだ葉をつけているし、おしろい花の茂みはまだまだ花を咲かせている。このおしろい花は普通赤いのと白いのがあるが、このあたりにはなぜか黄色い花が多い。この花が咲いている街角のたたずまいは、ちょっと昔にトリップしたようで好きだ。

 夕食の窓から細い月が目の高さに見える。すでに月齢は5。

 古本屋から電話。母の引っ越しにともなって、読み直しそうにない私の本を少し売ることにしたのでその件。「おかあさんが引っ越すんですか」「そうです」「お宅が引っ越すんじゃないんですね」「ちがいます」「あーよかった!」「どうして?」「天沢退二郎の『宮沢賢治の彼方へ』が手に入ったから売りつけようと思って」はあ有り難いこってす。
 ちなみに売る本はどれも大したことがない本ばかり。先日のださこんでSF関係を少し処分しようと思ったのだが、そこまで手が回らず断念。次回オークションあるいはディーラーズで出すかも知れない。喜んでくれる人の手許に行くのが一番だから。

 明日は次男の保育園の運動会。彼はリレーで白組のアンカーである。がんばってくれー。ほかに体操だか遊技だかの中で、側転を披露するのだという。ずっと足が曲がってクモみたいな側転だったのが、遊びの中で先生がゴム段をとりいれたら、足が伸びて一ぺんできれいな側転になり、今日もレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図のようにのびのびした大の字でくるくる回って見せてくれた。うーん着地がもう一歩だな。

2000.1002(月)  
購入本
アシモフ編/『ヒューゴー賞傑作選1』/H・P・B
早川書房編集部編/『SFマガジン・ベストNo.2』/ 〃
A・V・フォイエルバッハ/『カスパー・ハウザー』/福武文庫

 ださこんでまこりんさんが撮って下さった、怪しい物体が四方に写り込んでいるポラロイドは、ワタクシが確保しております(<本来の被写体は東、倉阪、有里、ニム)。これそのまま写真屋に持っていけば焼き増しできるのかな?

 ださこん4の感想を書きましたがあとで書き直すかも知れません。

 『青い鷹』読了。タロン、盲目のシニューの神官長、不具の光の神官長の三人で満月の晩に行う、神の呪いを解き放つためのただ一度きりの偉大な儀式。神と人とは互いにどのような関係にあるのか、というタロンの考察は宇宙的広がりを感じさせる。児童文学というくくりでこういうことが出来るのかと思う反面、この縛りを逃れて書かれたらどのようだったかとも思う。こうした形而上的広がりに『エヴァが目ざめるとき』との共通点を感じた。

10月1日分は9月末尾に(ださこん4)。


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最終更新日 01/12/31 01:11:36
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