日時計 1999年12月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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<1998年> 9月 10月 11月 12月


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991230(木)
  購入本: 中井拓志   『クォータームーン』   角川ホラー文庫

 朝何とか起きて、塾に行く長男を起こす。始まる時間をたしかめると「10時何分からだよ」と言うので、ゆうべは9時何分といっていたのに1時間まちがっていたのだな、ちょっとはいつもより寝坊できるわい、ああよかったと一安心。
 長男が食後ゆうゆうと整髪(死語)している最中に電話が入る。「○○塾ですが、今日は9時10分からなのですが、××くん(長男の名)がまだですがどうされましたか?」「えっ、10時何分からだと言って今出かける用意をしていますがやっぱりまちがいですか」どうも虫の良すぎる話だと思ったよ。

 仕方がないので片づけの続き。父親ににらまれた娘は率先して(というふりをして)窓拭き。こちらは台所の掃除と並行して洗濯、雑誌の整理などなど。午後からお供えなど買い物に出る。帰宅するともう暗くなりかけており、また食事の準備。休みの日は、食事を作るか、片づけ(掃除)か、どっちかだけにして欲しいと思う。両方するのではちっとも休みじゃない〜。頭は「本が読みたい〜、CDが聴きたい〜」と思ってじたばたしているのである。
 例年、出来るだけ28日から年休を取っているので30日は掃除はそれほどしないで良い日になる。今年は曜日の関係で28日が休めなかったので、年末の休みが一日少ない勘定になり、掃除もおせちも手抜きしまくり。今日は一日黒豆を煮ていたので家中いい匂いだ。明日一日で一体何が作れるだろうか。
 結局本棚から未読・既読に関わらず当分読みそうにない本を抜き出して実家へ移すべく分類。床の上の積ん読本(文庫)を文庫本用ソフトケースに入れてクロゼットへしまいこむ。ハードカバーを優先的に書棚へいれる。この家には書棚が少ないので入れるところがないのぢゃ。実家に何本も書棚があるので、引っ越してきたとき連れ合いから無言のうちに「これ以上本棚は増やさないぞ!」という圧力がかかっているのである。しかし本棚が増えようと増えまいといっこうに関係なく、本は増えるのである。今日届いた角川のPR誌『本の旅人』に群ようこが同じようなことを書いていた。

 今年のお歳暮はなぜかハム類が多くて、都合5件くらい集中して届いたので、もう見るのもうんざり(贈って下さった方はよもやこんな所見てないだろうが、ごめんねー)。ハムはともかくとしても、一緒に詰め合わせになっている焼き豚と称するものとかパストラミポークとかいうのって、どうも頂けないのぢゃ。
 一升瓶入りの蜂蜜が2件来た年、砂糖の山の年、ジュースばっかりの年など、その年によって流行があってたーいへんである。紅茶がやたらに来た年は嬉しかったです。
 最小限にしていたはずのお歳暮・お中元もいつの間にか増えてしまっているのであった。

 そろそろトップページが雑然としてきたので整理したいのだが、いつどこからどのように手を着けたらよいものやら。おまけにIE付属のフロントページエクスプレスがいかれていてタグ打ちをまったく受け付けないので、なにかソフトを仕入れないといけないようだ。
 さて明晩には何かおきるのであろうか…?


991229(水)
  購入本: なし

 昨晩寝るころから今朝まで手首が痛くて、副木で固定したいくらい。ミイラのように胸の上に右手を置いて寝たのであった。ううう、と朝起きだして、先日おそわったように肘のそばのツボをぎゅっと押さえておそるおそる手首を回そうと試みると、ああ、よかった、引っかかっていた筋がとれて、同時に痛みも退いたのであった。昨晩は健が切れたりしたらどうしよう、と、こわいのと痛いのとでこれが出来なかったのである。

 なんとか活動が出来る状態になり、衣類や本の片づけ。
 小さくなった子供服でおちびにはまだ大きいものを実家に移動するため分別する。
 編み物の材料も、未練たらしく手元に置いておいたが、主婦湿疹が治らないのと他のことに時間を取られる(言わずと知れた…)ので当分しそうにないのでこれも移動組。
 で、…。今興味あるものはやはり手近に置いておきたいから、戻せるものはこれも実家へ。それにしても置き場が足りないからやっぱりこれは本棚の購入だと秘かに決意。大みそかに宝くじが当たった暁には、あそこの壁を直して作りつけの本棚にするのだ!当たらなかったら…つっぱり本棚かな。

 あすは黒豆を煮るので、夕食後、味を付けた煮汁を煮立て、いきなり豆を放り込み朝まで放置。手抜きで乱暴のようだが、これが一番簡単で失敗もなく、出来上がってもしわが寄らず、味も良い。じつは黒豆の袋の裏に印刷してある方法なのだ。娘が、どんぶりを抱え込んで食べるくらい黒豆が好きなので、数年前お正月が過ぎてもう一度作ったときにこれを試してみたら当たり。以来もっぱらこの方法で作っている。ほかはおせちと言っても大したことはしないが、昨年は受験のためお正月も塾だった娘が、今年はあてに出来るので、一緒にいくつか作ろうかと思っている。
 かわりに長男が元旦以外は塾、それも明日から3日までは9時頃から5時過ぎまでだという。ということは、げげっ、
朝寝坊が出来ないと言うことではないか、そんなこと考えてなかった(悲惨)。

 『クラウド・コレクター』読了。


991228(火)
  購入本: 山形浩生   『新教養主義宣言』   晶文社
    SFマガジン 40周年記念号   早川書房

 終わったー、休みだー!!
 保育園の帰り、おちびが「あしたからおやすみ?いくつおやすみ?十ぐらい?」と言うので数えてみると(12/29から1/4だから)7日である。「なな、かな」と返事すると「やたー!!」と喜んでいる。改めて数えた当の私は、なんだー、1週間か…とややがっかり。もうちょっと長いような気がしていたのだが、単なる希望的観測であった(落胆)。
 例年なら一応明日から掃除とおせち作り、となるはずが、どうも今年は予定が立たない。というのも、先日来の手首の筋違えがいまいちも二も治らないのである。次第にわずかずつ良くなってきた、と思っていたが、また先ほどからイタイのだ〜。捻挫と骨折の権威である長男に、いっぺんちゃんとレントゲンを撮ってもらいなさいと説教される。ほんとはきのう今日に行きたかったのだが、年末進行のおかげでそんな時間取れなかったんだよう。ちょっとまじめにかなり困った事態かも。

 FMでは連日、年末恒例のワグナーの楽劇を放送している。一遍もまじめに聴き通したことはないのだが、今年も何となくBGMに流している。きょうのプログラム、パルシファルは、時々断片が耳に入ってくる限りでは天上の響きで美しいなあ。しかしこれをまじめに聴いたら一体何時間の拘束になることやら。

 『二人がここにいる不思議』少しずつ読む。といっても単に時間がないだけ。さきほど、「最後のサーカス」でじわじわ、最後になってぐぐっときた。「オリエント急行、北へ」も素敵だ。

 角川ホラー文庫の『クォータームーン』がなぜか目に入らない。
 今日ようやく『二人が〜』を買ったという友人が、表紙を見ながら「こんなに大きくブラッドベリって書いてあるのに、全然気がつかなかったよー、題名の方ばかり捜していたから」という。確かに一番上に幅いっぱいに大きな活字でレイ・ブラッドベリと書いてあり、題名のほうは帯のすぐ上にそれより一回り小さい字で書いてあるので、埋もれてしまって気づきにくいのであった。『クォータームーン』もその類か?
 しょうがないなあ、年内にもう一度本屋に行かなくちゃあ!実は口実が出来て嬉しいのであった。今度はジュンク堂に行こうかな〜♪(殴)<<連れ合いの視線


991227(月)
  購入本: なし

 今年の出勤もあと一日。その一日がつらいのよ〜。昼休みATMコーナーに行って通帳の記帳をしようと思ったが、考えることは皆同じらしく、私の目的の所ばかりかどこの銀行も長蛇の列であった。今日でこれだから明日以降はどうなる事やら。
 ようやく飲料水だけはそこそこ確保。そんなにたくさん用意しないといけないでしょうか>デデさん?キャンプ用のストーブ類はいちおうあるが燃料は何日分もないぞよ。
 私はこんな時いつでも泥縄で、それもなんとか縄がなえればよいが、たいていは縄の材料すらあるかどうかあやしいと言う具合。そういえば年賀状も昨日それこそ泥縄で作り、一言コメントを半分ほど書いたところ。

 終業後、津田ホールにて佐々木節夫メモリアルコンサート「音楽」。古楽の4グループと一人が出演、全自由席で6時半開演と少し早めだったが、急いで到着した6時15分頃すでにめぼしい席はほぼ埋まっているという盛況である。望月通陽さんのうつくしい染色作品による記念冊子が入場者に手渡され、思いがけず嬉しいプレゼントであった。出演者はほとんどノーギャラではなかろうか。 
 寺神戸亮がビーバーのロザリオのソナタの終曲パッサカリアを弾いたが、これは私の気に入りの曲であるのに、むやみに力んだ演奏で、何も胸に迫るものがなく以下略なのであった。ただ拍手に対して嬉しそうにほほえんだのを見るとこの人もけっこう人のよい好青年かも、などと思ったり。最後がいつにも増してノリの良いタブラトゥーラで、ついでにアンコールもやっちゃえ!と期待したがさすがにそれはなし。しっかし『夜の蟹』(またの名ナイトクラブ)での田崎くんの酔いっぷりは凄まじく、昔の芸大の天才少年の身に何が起きてこうなったのか心配になるくらいであった。ダイジョウブ〜?

 ちょうど帰りに通った水道橋では、ドームでドリカムのコンサートが終了した直後で、もう少し後だったら大混雑だったところ。うーん、こっちもよかったなあ。

 今日はブラッドベリ『二人がここにいる不思議』を読んでいる。かなり執筆年の古い作品も含まれるようで、一種安心して読める感じ。


991226(日)
  購入本: なし

 昨日買ったブラッドベリの文庫が行方不明なこともあって、クラフト・エヴィング商會の『クラウド・コレクター』をまじめに読む。買ってからあちこち拾い読みをして全部読んだ気になっていたが、他のと一遍に買って読んだので実はちゃんとは読んでいないことを発見。これは不覚。円田探偵が…。ううむ。
 ブラッドベリは勝手に積ん読本のなかに入り込んでいるのをあとで発見したのであった。

 クリスマスの窓用雪のスプレー、後始末が大変だから今年はやめようと娘と言っていたのに長男がいつの間にか盛大に吹きつけてしまっていたのを、仕方なくふき取る。一見濡れ雑巾で簡単に落ちるようだが、実は下に細かい屑がおちるしガラスにも跡がこびりついて取れないのだ。やった本人に取らせよう、と言っていたのだが、一日中冬期講習という大義名分に助けられる都合のよい長男。

 すっかり気分はお休みモードである。明日、あさってと普通通りの出勤なのに、あたかも休みの日に仕方なく半日出勤、とでも言うような感じがしてたまらない。行きたくな〜い!

 連れ合いがどういう話のついでだったか、荒俣宏『アレクサンダー戦記』3冊を引っぱり出して子供らにあてがう。北村薫を読んでいた娘がはまっている様子。息子はと言えば「なんかこわい話〜?」と物色したそうにしていたので『新耳袋1』を置いておいたら手を出している。一応受験生なのにそんなもの置いたのはまずかったか?


991225(土)
  購入本: レイ・ブラッドベリ   『二人がここにいる不思議』   新潮文庫
    アベリャネーダ   『贋作 ドン・キホーテ』上下   ちくま文庫

 きのう娘は友人たちと月島でクリスマスもんじゃぱあてぃ開催。5人ほどで楽しく盛り上がったとさ。もんじゃ振興会のページとかブルドッグソースのもんじゃ焼きのページとか。そのうちの一人が泊まりに来たが、一晩中おしゃべりに花が咲いて結局徹夜。娘は彼女が所用でそのまま帰ったあとは「ごはんだよ」と起こされるとき以外は一日ベッドとお友達、起きていても眠さのあまりろくに口も利けないご様子。隣接する部屋の長男こそ一晩中の騒音にいい迷惑である。

 この長男も、次男と同じで朝早く起きて窓の外のプレゼントに飛びつく。次男はサンタさんに写真付きお手紙を書いて窓に貼ってあったのだが、望み通りのセイバータイガー(ゾイド)をもらってご満悦。これがよくできていて、長い牙をきらめかせて口を開閉しながらのそりのそり歩く姿はなかなかなものである。こちらに向かってくるのを至近距離から見ると、つい向こうを向かせたくなるくらいコワイ。
 ちなみに次男と暦年齢は10才近く違うのに精神年齢はあんまり差がない長男は、MD・CDラジカセ(カセットテープはないからなんていうのか?)のお手軽なもの。MDも安くなったものである。

 昼すぎから長男・次男を連れ新宿の紀伊國屋画廊で開かれているクラフト・エヴィング商會プレゼンツ『Think 夜に猫が身をひそめるところ展へゆく。写真とThink(シンク、黒猫の名)がどこからか持ち帰るsouvenirで構成されている。本にあるのよりたくさんの写真とモノの醸し出す不思議な世界。片隅には猫専用の英字ビスケットが、黒猫もようのお皿にのせてある。本の方は始めの方を読みかけのままで見に行ったのだが、帰宅して残りを全部読んだ。私の大好きなブルックナーの7番が出てくるのである。著者である吉田音とは3代目クラフト・エヴィング商會の娘だそうだが、読み進むうち次第に、これはもしや初代クラフト・エヴィング商會の吉田傳次郎のような人物か?と思えてくるのである。謎だ〜。

 帰りがてら例の目白のコーヒー・ケーキ屋さんに注文しておいたクリスマスケーキ(ピスタチオロール、超美味!)を引き取り、さらに近所の鶏屋さんでローストチキン(岩手産香味鶏とか)を買って帰る。
 長男はきのどくに塾の冬期講習だのオプション講座とやらだの、年が明ければ正月特訓だので、冬休み中は今日と元日しか空いていないので、必然的に今日がクリスマスの食卓となったわけ。チキンとシャンペン(子供はシャンメリー)、ろうそく、クリスマスっぽいCDで気分はクリスマス。しかし帰宅する途中の商店街では、明日から店開きする正月飾りのさしかけ小屋がもうすっかり出来上がっているのであった。
 食卓で娘が持ちだした悩みも、「クリスチャンの友人に年越しのミサに来ないかと誘われたが、行ってみたい反面、除夜の鐘と初詣というのもはずせないしどうしよう?」という、いかにも仏教神道キリスト教なんでも来いの日本らしいものだった。
 明日はクリスマスツリーを片づけてしまおうかどうしようか、毎年悩んでしまうのである。

 ブラッドベリの新刊の他、久しぶりにCDを何枚か買って気分だけは満足。本は急いで読むことも出来なくはないがCDを聴くには録音された時間だけはきっちりかかるからなかなか消化できないのである。


991224(金)
  購入本: なし

 暖かいクリスマスイヴになりました。西洋ではクリスマスに雪が降らないとお墓(の土)が肥えるからといって嫌うのだとは何の本で読んだのだったか?

 有里さんうさぎ屋さんあたりで「ファンタジー」という言葉についての話題が。

 私も『クマのプーさん』『メアリー・ポピンズ』『ナルニア国ものがたり』『ドリトル先生』などなどから入ったのが小学校3,4年くらい。どれも大好きだったが、『まぼろしの白馬』が、「これは私(だけのため)の本」というふうに好きになった最初の本であった。1964年発行のこの『まぼろしの白馬』の前書き(「はじめに」)に、訳者の石井桃子が次のように書いている。

 私たちが、目のまえに見ている世界では、おこるはずのないふしぎなできごと、それをあるとして書いているお話を、ファンタジー(架空の物語)といいます。「まぼろしの白馬」は、そういう物語です。
 ファンタジーの作家たちは、ふしぎなできごとのなかに読者をさそいこみ、そして、自分のいいたいことを、そのふしぎな形にかえて、読者にかたりかけます。(後略)

 中学生の頃だったか、NHKTVの児童文学を取り上げた番組を見ていた母が「ファンタジーとは何ぞや」というので、この本を取りだして、この前書きを見せ、この本こそファンタジーであると説明した記憶がある。
 もちろんこれはいまの「ファンタジーとは何ぞや」の答えにはならないけれども、私にとってのファンタジーはまさにこの定義と『まぼろしの白馬』が原点なのである。
 だから(無知と偏見のそしりを承知で言えば)ゲーム方面の「ファンタジー」は「ファンタジーまがい」と読み替えるし、指輪以降の類似品は「真似っこ漫才」と思うし、SF系のファンタジーはあくまでもファンタジーぽいSF、なのだ。和製ファンタジーについてはやっぱりまねっこ漫才という認識だったので最近までほとんど読んだこともなかった。
 要するに私も児童文学から入った人なのですね。ただ妹尾さんとは少々異なり、小学生のうちからジュブナイルSF(翻訳物が主)は大好きでしたが。SFとの最初の出会いは、講談社の絵本「そんごくう」かも。小学校の低学年の時に学級文庫として新しく入った『キノコ星星人』?という本がSFらしい本の最初の記憶である。次の記憶は『暗黒星雲の彼方に』なのだ。

 有里さんがおっしゃる「「ファンタジー」をセルバンテスに端を発する西洋の非リアリズム小説の系譜で眺める」という視点は必要、とまでは言わないけれど(わたしゃ文学・文学史については専門知識なし)、そう言う視点はあった方がよいには違いない。それに今言われるファンタジーって、少なくとも日本では、もともと作る側の都合によるジャンル分けのような気がする>ってちゃんと追ってないから単なる印象ではありますが。

 この話題も頭に置いて、『妖魔をよぶ街』の井辻朱美の解説、それから同じく井辻朱美の、SFonlineにおけるハリー・ポッターおよび『魔法の庭』の解説を読んで下され〜。あー、かゆいところに手が届いたー。

 昨日寮美千子さんのBBSで教えていただいた月齢を表示するフリーソフト「TMoon」、とても素敵。幾分アバウトのようだが、この程度の精度で充分。

 先日行方不明になったおちびの保育園バッグは、きょう体育館に電話したところ、落とし物に届いており、無事返ってきたのであった。その時はさんざん捜してもなかったので、多分誰かが間違えて持って帰っていたと言うのが真相だろうと思う。ご心配おかけしました〜。


991223(木)
  購入本: なし

 先日見に行った宝永たかこ展で、題名に用いられていた「月宿」に興味を抱いてWebを検索。本来の目的は果たせなかったが、こんなページを発見。古今東西の暦に加えてホビット庄暦やゲセン暦、火星暦などが載っているのがなんとも(嬉)。

 最近休みの日には返って一文字も本が読めないと言う悲しい状態。単に朝寝坊のせいという声も…。昨日の『妖魔をよぶ街』まで読みがいがあるものが続いたので、ちょっと気が抜けたということもある。順番としては『順列都市』なのだが、今日はなんだかおあずけ。

 日中おちびがビデオで久しぶりに「バットマン」を見ていた(長男が見せていたというべきか)。ティム・バートンはいいなあ、マイケル・キートンは好きだなあ、と、つい通りがかるたびに見入ってしまう。そうなんです、マイケル・キートン好きなんです。


991222(水)
  きのうの購入本: シャーロット・マクラウド   『牛乳配達退場』   創元推理文庫
    水木しげる著・京極夏彦編   京極夏彦が選ぶ!
 水木しげる未収録短編集
  ちくま文庫
    アンジェラ・カーター   『血染めの部屋』    〃
    本の雑誌増刊号 おすすめ文庫王国'99   本の雑誌社

 昨夕、おちびの今年最後のスイミングのため、保育園から区営体育館プールに直行しロビーでおにぎりを食べさせていた(私はここぞと読書)。食べ終わって、「おてて〜」というので、タオルが入っているはずの保育園バッグを…あれれ?あれー?ありゃ。どこにもない。荷物を間違えるほど混雑しているわけでもなかったのに、保育園バッグが忽然と消えてしまった。保育園まで来た道を辿って戻ったりしたのだが、とうとう出てこず。連絡帳と、うさこちゃんの(ミッフィーと呼ぶのより好きなんです)手袋が、惜しい。それにも増して、ウルトラマンのマスコット2つとお守り3つ(戸隠神社・根津神社・諏訪神社)が惜しい〜。いったいどこの異次元へ紛れ込んだのじゃー!帰ってこーい!

 『妖魔をよぶ街』下巻ほとんど一気読み。デ・リント張りかと思っていたらだいぶ違う展開ではあった。ランド・オーヴァも面白かったが、こちらの方が好み。暗めの所がツボを押すのかも知れない。
 スターウォーズのルークか、と思ったら、そういえばファントム・メナスを書いたのはこの人だった。はてしない物語の虚無か、などなど以下略(最近乱用気味)。

 訳者の井辻朱美の解説が一読の価値有り。書きすぎの気がするくらい。『はてしない物語』の名も出ている。トールキンらに関する言及等を始めとして、彼女と同年代の読者としては、年来感じていることをすっぱり言ってくれたように感じる。
 ロビン・ウィリアムス主演の映画「フック」の原作もブルックスが書いたそうな、また1巻しか出ていない『シャナラの剣』もこの作者だとある(続きが出たら読もうと思っているのにいっこうに出ないのはどういう事情か)。そう俯瞰してみると実際「ファンタジイ界の巨匠」なのかもしれない。いずれにせよ私にはおあつらえ向きの作品であった。うーん、このごろ当たりが多くて幸せ〜。

 きょうは近所の本屋に新潮文庫の新刊は入荷なし(昼休みの時点)。ブラッドベリはおあずけである。

 梨木香歩作品は最近作の『りかさん』をはじめとして、雑誌掲載作も含め手にはいるものは大体読んでしまったのであるが、はじめのころに『西の魔女が死んだ』の感想を書いて以来、まとまった感想らしいものが書けない。
 『裏庭』のあとに『西の魔女〜』を読み、しばらく間があいてから『からくりからくさ』、『エンジェル、エンジェル、エンジェル』、『丹生都比売』、そのあとに雑誌掲載作、と読んだのである。
 『からくり〜』でどうしたわけか梨木香歩の作品に強い因縁を感じ、『裏庭』『西の魔女〜』も読み直したりして今は以前抱いた感想とはずいぶん違った感想(作品像)を自分の中に抱いている。『西の魔女〜』についても、以前はむしろ否定的(懐疑的)なものであったが、もし今感想を書いたらまったく違ったものになるだろう。
 けれども、書けない!少なくとも
まこりんさんのように今の時点での思いを書き留めておきたい、と思うのだが、切れ切れの感想・意見しか出てこないのである。感想を書くにはあまりにも深く柔らかなところに触れられているからかも知れない。かんちゃんの感想とも、多分まったく違う。うー、段々と形をなしてくるのではないかとは思うのだが…いやー、梨木さん、どうしてこういうふうに私をとりこにしてしまうわけ?
 須藤真澄の『振り袖いちま』は大好きなまんがであるが、りかさんはすごーくあれと共通するものを持っていると思うのだ(いちまさんのじつはシリアス部分)。こんなことを言ったら梨木さんは気を悪くされるだろうか、けれどもこれは『トムは真夜中の庭で』を引き合いに出すのと同じくらい、誉め言葉なのである。


991221(火)
  購入本: なし

 『妖魔をよぶ街』上巻を読了。ひゃあ、これは好み。有里さんおすすめの井辻朱美訳だし。ハリー・ポッターと設定が似ているところがあるが、読んでからのお楽しみということでここでは触れない。まあ、善と悪、邪なものと邪ならぬものの対立を扱っているかぎり、どこかしら似てくるのもむべなるかな。ところでテリー・ブルックスって「ファンタジイ界の巨匠」なんだろうか。
 これを読んでいると、やはり女の子が主人公のものの方が主人公が元気だし底力があるように感じるのだが。最近の『黄金の羅針盤』、『リトル・カントリー』、『ジャッキー、巨人を退治する』などのデ・リントの作品、ダイアナ・ウィン・ジョーンズのものなど。『ユニコーン・ソナタ』もしかり。いやいや、近ごろ人気のハリーだって、ちゃんと元気に悩んでいるんだぞ!でもなんだか底が浅いのである。

 下巻を持参しなかったので、待機本としてずーっと荷物の中で待っていた『順列都市』上巻に手をつける。ややや、そういうことであったか〜。始めからずいぶんな設定だこと。
 内容の話ではないが、大森望さんだったか、これは上下巻なのでベストテンからはずして『宇宙消失』を採る、と言う記述があったが、文庫本としての厚さは、このくらいのが好みだ。『妖魔〜』も上下巻それぞれの厚みは文庫本としてちょうどなのに、実際厚すぎの文庫が多すぎ。

 右手首は昨日の状態とおっつかっつ、というより幾分つらいかも。
 今日になって、字を書くのがつらくなった(キーボードは大丈夫)。
 そう言えば、ぱそこんフリーズのため、手首を痛めた経緯を言ってなかった。大掃除の後遺症ではありません。金曜の帰宅時、自転車に子供と荷物を載せていて人をよけようとしたら、浅い溝に後輪を取られて倒れそうになったので、必死にハンドルを握りしめて倒れまいと頑張った、そうしたら重みに耐えかねて手首の筋がこきっ、と違ってしまったのである。手首を回すたびにこきっ、こきっと鳴るのを面白がっているうちが花でした〜。湿布して寝たが段々痛くなり、悪化の一途を辿る。というわけ。

 昨晩、娘が、そうそう、これが言いたかったのよ、というような勢いで、「ママ、『ガラスの麒麟』読んだのよ!超、超、面白かった!!」と、いたくお気に入りのご様子。よかったねー、なくした図書カード再発行してもらって、どんどん借りていらっしゃい。重松とかも。今日は北村薫の文庫をおすすめ(私は読んでないのに)。仁木悦子なんてどうだろうか。最近仁木兄妹の作品集が2巻本で出ていたようだったが。


991221(火)
  購入本: なし

 『妖魔をよぶ街』上巻を読了。ひゃあ、これは好み。有里さんおすすめの井辻朱美訳だし。ハリー・ポッターと設定が似ているところがあるが、読んでからのお楽しみということでここでは触れない。まあ、善と悪、邪なものと邪ならぬものの対立を扱っているかぎり、どこかしら似てくるのもむべなるかな。ところでテリー・ブルックスって「ファンタジイ界の巨匠」なんだろうか。
 これを読んでいると、やはり女の子が主人公のものの方が主人公が元気だし底力があるように感じるのだが。最近の『黄金の羅針盤』、『リトル・カントリー』、『ジャッキー、巨人を退治する』などのデ・リントの作品、ダイアナ・ウィン・ジョーンズのものなど。『ユニコーン・ソナタ』もしかり。いやいや、近ごろ人気のハリーだって、ちゃんと元気に悩んでいるんだぞ!でもなんだか底が浅いのである。

 下巻を持参しなかったので、待機本としてずーっと荷物の中で待っていた『順列都市』上巻に手をつける。ややや、そういうことであったか〜。始めからずいぶんな設定だこと。
 内容の話ではないが、大森望さんだったか、これは上下巻なのでベストテンからはずして『宇宙消失』を採る、と言う記述があったが、文庫本としての厚さは、このくらいのが好みだ。『妖魔〜』も上下巻それぞれの厚みは文庫本としてちょうどなのに、実際厚すぎの文庫が多すぎ。

 右手首は昨日の状態とおっつかっつ、というより幾分つらいかも。
 今日になって、字を書くのがつらくなった(キーボードは大丈夫)。
 そう言えば、ぱそこんフリーズのため、手首を痛めた経緯を言ってなかった。大掃除の後遺症ではありません。金曜の帰宅時、自転車に子供と荷物を載せていて人をよけようとしたら、浅い溝に後輪を取られて倒れそうになったので、必死にハンドルを握りしめて倒れまいと頑張った、そうしたら重みに耐えかねて手首の筋がこきっ、と違ってしまったのである。手首を回すたびにこきっ、こきっと鳴るのを面白がっているうちが花でした〜。湿布して寝たが段々痛くなり、悪化の一途を辿る。というわけ。

 昨晩、娘が、そうそう、これが言いたかったのよ、というような勢いで、「ママ、『ガラスの麒麟』読んだのよ!超、超、面白かった!!」と、いたくお気に入りのご様子。よかったねー、なくした図書カード再発行してもらって、どんどん借りていらっしゃい。重松とかも。今日は北村薫の文庫をおすすめ(私は読んでないのに)。仁木悦子なんてどうだろうか。最近仁木兄妹の作品集が2巻本で出ていたようだったが。


991220(月)
  購入本: テリー・ブルックス   『妖魔をよぶ街』上・下   ハヤカワ文庫FT

 手首は相変わらず不自由だが幾分好転か?
 午後、職場の知り合いの女性(鍼灸・マッサージのセミプロ)に、接骨院なりなんなりに行った方がいいか相談する。骨折していないようだからちょっと伸ばしてみるね、と簡単な手当をしていただく。肘ちかくのツボを押さえてゆっくり手首を回すとか。あら不思議、だんだん動くようになってきた。目を閉じて、ああ、この地点までは動くが、その後は筋がひっかかってだめだとか感じながら繰り返し動かしてみる。
 すると、なんだか変だ。よよよ、脳貧血状態に…。くちびるがつめたーくなり、むかむかして来るし、手指もこわばって、冷や汗が出てきて目を開けるとくらくら〜。仕方ないので1時間ほど横になるが、いまいち回復が悪く、今日はどうせ手を使わないと出来ない仕事しかないので、結局早退。
 どうも私は日頃から痛い思いをすると脳貧血状態に陥りやすい傾向があるようで、そもそもこの捻挫をしたときも頭から血の気が引く思いがしたのであった。治療中大して痛い思いをしたわけではないが、じつは結構な負担だったのだろうか、やはり横にならずに簡単に椅子にかけたままやってもらったのがあまりよくなかったのだろう。
 以前異様に肩こりをしてつらかったとき、鍼灸の治療をしてもらったことがあるが、これはなかなか不思議で良く効くものだと実感し、人の身体って思わぬ箇所に思わぬつながりがあるものだと、その精妙さに感じ入ったのであった。

 夜もくらくらがとれず、結局おちびと一緒に早寝を決め込む。

 とりあえずハリー・ポッター、おもしろく読了。続き物のTVアニメを見ているような感じを抱いた。いろいろな魔法的ガジェットが盛りだくさんで楽しめる(というだけ、に近く、それほどの深さは感じない。ハリーも生い立ちの割にはあんまり悩んだりしないしね、以下略)。
 作者は子供の興味を本に取り戻すことが出来た、と言うようなことを言っているようだが、少なくとも日本語訳のこの本を見る限り作品自体の持つ力だけでなく、やたらに活字を変えるような視覚的効果がそれに一役買っていることは間違いない。(原作本では呪文などがイタリック調になっているだけ)。いったい何種類の活字を使っているんだか。単なる趣味と慣れの問題だろうが今の所私はあまりこの紙面(効果)は好きではない。用いている活字が私好みだったりしたらまた別かも。


991219(日)
  購入本: 倉阪鬼一郎   『白い館の惨劇』   幻冬舎
    宇月原清明   『信長 あるいは戴冠せる
    アンドロギュノス
  新潮社
    森青花   『BH85』    〃

 昨夜はぱそこんがフリーズしたため、せっせと書いた日記がみんなパァになってしまったので脱力であった。

 忘年会の参加者のみ書いておこう。ヒラノマドカさん七沢透子さん安田ママさん雪樹さん寮美千子さんりなりなさんKANAZAWAさんカワカミさんジョニィたかはしさん溝口さん森太郎さん森山和道さん谷田貝さんu-kiさんWimさん、小笠原さん。
 寮さんのHPがたぶん年内に出来そう、というお話をうかがう。

 溝口さんから『フランス怪談集』(河出文庫)、マドカさんから『イーシャの舟』(新潮文庫)を譲っていただく。

 さて、今日はしっかり朝寝坊を決め込んで、起きたら10時である。うう、天国、天国。
 午後はまたも長男の高校見学、それに続いて連れ合いと神保町で落ち合ってサンタ用品を買う(ヤツのテニスウェア)。三省堂にて日本ファンタジーノベル大賞関連を購入。山之口洋さんおすすめの優秀賞(森青花)のほうは吾妻ひでおのかっわいい表紙である。ついでにハリポタのペーパーバック(最初の2冊)をつい買ってしまった。うーん、訳本で活字がゴシックとかいろいろ変わっている部分は、ペーパーバックで見る限り、イタリックぽくなっているだけだが、どういうわけで訳本ではあんなにうるさくフォントを変えるかなあ。子供受けを狙ったのか?しゅみわる〜い。

 帰宅すると、一日家でぐたぐたしていた娘は、昨夜から読み始めた『ハサミ男』読んじゃったという(私は未読)。ゆうべは『りかさん』を読んでしまったようだ。『ハサミ男』を読み始めたときにどういう話かと訊くので、なんでも犯人は絶対これだ!と思っていると、えええ、そう来たか!という展開になるらしいよ、と返事。すると「そんなことないよ、絶対犯人は…、あ、ママ読んでないのね(ニッ)」と言っていたが、読み終わって「やっぱりえっ、そうだったか!っていう展開だった!」そうです。何かよこせと言うので『ガラスの麒麟』をあてがっておいた。「何書いた人?(『ななつのこ』の人だよ。)ああ、あれ、ちょう面白かったよね!」明日は成績表をもらいに久しぶりの登校なのに、夜更かし娘である。とうさん、娘の夜更かしを叱らないでぇ、私が本をあてがったのが悪いのよぅ。血は争えないとも言う。

 右手首の捻挫は悪化の一途を辿っている。手首をねじることが出来ないので、ものを持つこと以外に、食器洗い、箸やスプーン、歯磨き、ヘアブラシ、掃除機、洋服の袖やリュックに手を通す、お釣りをもらうためにてのひらを上に向ける、などなど様々な事に不自由が発生している。顔も猫みたいに片手で洗う。テーピングしてその上から強力サポーターで固定。いででで…。キーボードを叩くのやマウスの操作はてのひらが下向きなので大丈夫。
 今日はグラタン、と言うことになっていたのだが、木べらでかき混ぜてホワイトソースを作るのもだめそうなので娘にご指導、かぼちゃも長男に切らせる。これはらくちんなり。
 あー、明日自転車に乗れるだろうか?もしかして仕事に支障大か?あらっ、病欠を取って読書にいそしむいい機会だ(即刻クビかも〜)。


991218(土)
  購入本: なし

 右手首を捻挫。痛いんだよう。何をするにも不便きわまりない。

 夜、新宿にてSFボーダーな忘年会。

 以上についてばっちりたくさん書き、さてリンクを張ろうとIEをいじったらとたんにフリーズ。
うがー、こう言うときに限って作業中にじぇんじぇんセーブしていないのであった。

がっかり〜!!

寝る。


991217(金)
  購入本: 手塚治虫、水木しげる他   『人外魔境』   角川ホラー文庫
    上遠野浩平   『ブギーポップ・カウントダウン
    エンブリオ浸蝕』
  電撃文庫
    大島弓子   『つるばらつるばら』   白泉社文庫
    文藝別冊 総特集 金子みすゞ   河出書房新社
    ガロ 1月号   青林社

 昼休み、さっそくハリー・ポッターを読み始める。紙面の感じ(活字、紙、装丁等どれも)はあまり好みではない。美しくないと思う。大きくて厚くて以下略。妹尾ゆふ子さんが某掲示板で触れておられたが、呪文のフォントがゴシックまるもじになっているのはどういうわけ。どうもその辺のセンスが再び以下略。
 それはさておき、内容は、あら、面白いじゃない。やっと本題にはいった、というところである。こんな風にやたらにはやって話題になってしまうと手を出したくないというひねくれ者の私ではあるが、今のところオッケー。ちょっと人名が奇妙だ。

 『ガロ』復活!!という文字につられてつい買ってしまったガロ。昔買ってました。今日のは、やまだ紫の名があったので買ったが、780円もするのであった(高)。

 梨木香歩『りかさん』『からくりからくさ』の前日譚というか、彼女(梨木香歩)の言葉を借りれば伏線にあたる物語で、『裏庭』よりもむしろ『エンジェル、エンジェル、エンジェル』や彼女の短篇のテイストが好きな私にはストライク。よよよ。彼女の作品を読んでいると、彼女の、少女であり同時に母である、という部分が非常にひしひしと感じられる。自分は子どもの時のままで変わっていないのに、母親でもある、と言う部分。登場人物としての母親は、割合平面的・一面的なのだが。ああ、これが講演でも述べておられた、入れ子(マトリョーシカ)のように幼い自分、子どもの時の自分、過去のその時々の自分、を今の自分の中に連続的に持っている、というそのことの体現なのだな、と感じる。『からくり〜』を拾い読みしては「やっぱり!」とか声に出してつぶやく。
 この路線もどんどん出して欲しいし、例のイギリスを舞台にした大長編も一日も早く読みたいものである。どんどん書いて下さあ〜い。

 読了本のところで『人獣細工』の上に『りかさん』というのもどういうものであろうか、と自分の精神構造に疑問を覚えないでもない(ちょっとだけ)。


991216(木)
  購入本: キャロル・ジェイムズ   『マツの木の王子』   フェリシモ出版
    テリー・ブルックス   『妖魔をよぶ街』   ハヤカワ文庫SF
    ジョー・ホールドマン   『終わりなき平和』   創元SF文庫
    アンジェラ・カーター   『血染めの部屋』   ちくま文庫
    別冊太陽 日本のこころ108 絵本と遊ぼう   平凡社

 休みを取り午後から娘(試験休み)と買い物、銀行など。4月頃、職場近くの銀行が支店統廃合のためなくなってしまって、電車に乗ってゆかなくてはならなくなってしまった。昼休みだけでは行って帰って来られないので通帳の更新を延ばしのばしにしていたのを、ようやく済ませる。なんのことはない、延ばしすぎたので新しい通帳もどっさり記帳されて帰ってきたので、またすぐにいっぱいになりそうだ。公共料金その他引き落としは全部この口座からだから当然記帳項目も多いわけで、あっという間に通帳がいっぱいになる。支店が遠いのはまったく困る。かといって、自動引き落としを他の銀行に替えるのもあまりにも手間が多いからいかんともしがたい。なんとかしろー!

 気に入りのコーヒー店でお昼のサンドイッチとケーキ(別腹)を食べる。待っている間に『りかさん』読了。うー、ツボ。とーっても好きです、これ…。

 池袋の東武百貨店にて開催中の宝永たかこ展。この画家はイバラードの井上直久さんのお弟子さんであるが、レメディオス・バロにも通じるような作風である(こちらの方がずっと優しい。バロは、イタイ)。作品を扱っておられるアートスペース(ここでいくつかの作品が見られる)のフクオカさんにお会いし(にーはお!)、この作品のことや、井上さん情報などを伺う。ちなみに井上直久展覧会のスケジュールはこちら

 夜はカザルスホールにてセクエンツィア公演。本当は連れ合いと行くはずだったが、2,3日前、スケジュールの変更のためシンカンセンで戻ってくる時間が遅くなり間に合わないと判明。そのため久しぶりに娘とのカザルスホールである。中世の歌と器楽のグループで、まるで日本のたとえば平家物語といってもおかしくないような語り物が非常に面白く、迫力があった(あー、ふらんす語がわかったらなぁ!)。会場でタブラトゥーラのつのだたかしさんをお見かけする。

 あしたこそ、ハリー・ポッター読むぞう(かんちゃんに負けた)。


991215(水)
  購入本: 梨木香歩   『りかさん』   偕成社
    アンドレア・カミッレーリ   『モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン   ハルキ文庫
    オーソン・スコット・カード   『赤い予言者』   角川文庫

 職場の忘年会。正職員、非常勤、アルバイト、研究生など合わせて13人全員参加と言う珍しい記録である。場所は職場の近所、ということは自宅から自転車で5分あまりなので、一次会で失礼してくるとまだ9時過ぎ。一気にシャワーを浴びてああ気持ちよかった〜。

 はりぽたを読むつもりで職場に重いのをわざわざ持ってきたが、昼休み、どうせまだ入荷しないだろうと足を向けた本屋で、店長が「入りました!」と掲げてくれた、出たばかりの『りかさん』。さっそく職場へ戻って1/3ほど読む。ああ、しあわせ。はりぽたは今しばらくおあずけである。

 このところ自宅から繋がらなくなっていたあとだま系掲示板が、雷鳴に書かれていたように中旬(今日は15日)になったからどうかと思いながら試してみたら繋がった。時間の無駄と思いつつもつい件の方の動向などうぉっちしてしまうという、不毛な習慣から抜けられない。


991214(火)
  購入本: なし

 まだクリスマス本の未消化分が残っているのだが、ちょっと中だるみなので、この近辺で(ってどこのこと)誰も読んでいないらしいはりぽたを読んでみむとす。
 実は職場に本を持参するのを忘れたので、昼休みにはその辺に積んであったカルヴィーノ『冬の夜一人の旅人が』を読み始めたのであるが、部屋が薄ら寒かったので暖房を入れたのが運の尽き、うっとり甘美な眠りの国へ行ってしまったのであった。
 あらためてカルヴィーノの著作リストを眺めてみると、半分も読んでいないことを痛感する。ひとところに集めて、持っていないのは揃えなくては。

 リブロにいつもあるデ・ラ・メアの三巻本(大日本図書)が、先日は1冊だけになっていた。クリスマスプレゼントに買おうかな、と思っていたのでちょっと残念だった(もちろん自分向け)。

 おちびと寝入ってしまった私を、ぎゃーぎゃー言って起こす娘。先日から「びんぼうパーマするんだ〜」と騒いでいる。何のことはない、髪が生乾きの状態で細かく三つ編みにすると翌朝には今はやりのウェービーな(ぼさぼさのというべきか)ヘアスタイルになる、というわけ。もちろん学校はパーマ禁止なので、本当のパーマではないびんぼうパーマで代用というわけ。でもって、寝る前に三つ編みをしてくれと騒ぐのである。そのくらい自分で出来るように修行せよ。
 高校は、はやばや試験がおわり、成績をもらうまでまる一週間試験休み(休みばっかり多いぞ、学費返せー)。また本読め〜、と申し渡したのだがいかに。


991213(月)
  購入本: ネムキ 1月号       朝日ソノラマ
    ピーターラビットと仲間たち   アルク地球人ムック   アルク
    星と遊ぶ本   アスキームック   アスキー

 『人獣細工』の3編のうち最後の「本」読了。ああ、またこれは眩暈誘発。「人獣細工」のようにいわば形而上的に「私は誰?」と自己認識が危うくなるのを感じるばかりか、ここではすべてのレベルでの現実の認識の足場が揺らぎ、傾き、消滅するのを感じさせられる。比喩でなくて実際にくらぁっと来るのだから…。

 本屋で取り置きしてもらっていた別冊「太陽」を見たら、話に聞いていた日本の絵本特集ではなくて、ゴジラとかの映画特集(映画のヒーローとかいう感じの題名)だったので有り難くお返し。こっち方面もはまると面白いんだけれど、ちょっとキャパシティーオーバー。
 そう言えば、おととい通った池袋パルコのフィギュア屋さん(なんでも有名らしい)が、しばらく見ないうちにリニューアルして広々となっていた。SWの登場人物の実物大(C3POとかR2D2とか、その他いくつか)がひゃくなんじゅうまんえんの値で並んでいたが、確かに一家に一つは欲しいなあ。ほかにも大から小まで、いろーんなフィギュアが実にたくさん並んでいたので、時間があればよーく見るのに、と息子と振り返り振り返り通り過ぎた。


991212(日)
  購入本: なし

 マンション自治会の餅つき大会。昨日帰宅してみると大鍋と洗い桶にいっぱいの、水に浸かったもち米がどどーんと出現している。聞いてないよ、役員の家に持ってくるなんて。40kgを数人でわけて、うちには6kgだという。時間がたつに連れてふやけて行き、終いにはあふれそうなほどである。どーすんのこれ、って感じである。

 今朝は9時前から、近隣の自治会の餅つき名人たちの助けを得て、餅つき&ビンゴ&ゲーム大会の本番。昨日とは違って寒いので、長男の山用防寒スパッツとオーバーパンツをはいたのは正解。
 きなこ、あんこ、辛味、おしるこ作りに、おじさんもおばさんもフル回転だ。私は、寿もちと称して高齢の方にお餅を配って歩いたのだが、インタフォンごしに述べる「お早うございます、自治会からおもちをおもちしました〜」という口上に自分で吹き出す。
 しかし恒例とはいえ高齢の方にわざわざお餅をお持ちするとは、あんまり縁起が良くない気もする(何だ、この文は)。
 お餅やポップコーン、綿あめの売れ行きはよく(もちろん無料)、なかなか盛会。中に一人、要注意人物あり。孫がいるらしい年配の女性で、お餅がつき上がるや否や、何べんも何べんも何べんも現れ(それだけならまだどうってことはない)、しかも毎回ごーっそりさらってゆく。いやー、すごい神経である。直径15cmの紙皿に山盛り10回として一体何人で食べるのやら。持って帰るばかりでなく、たびたび端の方に行ってはぱくついているようでもあったから、その食欲もすごい(驚)。昨年は衣装替えまでして繰り返し獲得しに来たと言うからもはや名物かも。

 なんだかんだで3時近くにお開き。それ程動いたわけではないが、半日寒いところに立ちづめだったので、いったん帰宅したらそのままどっとくたびれ〜。

 昨晩『人獣細工』収載「吸血狩り」読了。8才の少年が見た、15才の従姉を襲う吸血鬼。筋立て自体は突出したものではなく大体想像通りでそれ程意外性はない。しかしノスタルジックな雰囲気を背景に、彼一流の正気と狂気の境目のせめぎ合いが絡み合って、ラストでその境を踏み越える所に戦慄を覚える。この正気と狂気の間を揺らぐ、ここのところが小林泰三の醍醐味だ。ホラーと称するものをいくらか読むようになってもやはり私はげちょげちょずるずるは苦手だが、彼はそれを目的に書いているわけではなく眼目が上記の点にあるので非常に面白い。いやー、読んでみるもんだてー。


991211(土)
  購入本: ゲーテ 作/池内紀 訳   『ファウスト』    集英社
    ポーリン・ベインズ絵   『ナルニア国の住人たち』   岩波書店
    ディケンズ   『クリスマス・ブックス』   ちくま文庫

 先週に続き、朝から高校見学。ようやく2時過ぎに終わってから、にわかサンタになって、池袋のビックカメラにおもちゃを仕入れに行く。満員電車並みのすごい人出に、つかれる…。おちびがサンタさんにこれが欲しいとお手紙でリクエストしたものをなんとかゲット。その後リブロに寄るが、この時点でかさばるおもちゃとケーキと暑さ(寒くなるって言ったのはだれだー)に、グロッキー(死語)。む、むすこよ、ちょっと待って〜、荷物持ってくれ〜。

 電車の中で『人獣細工』の表題作を読み終わる。これ、ずっと「んじゅうざいく」と読むのだとばかり思っていたが、「んじゅうざいく」が正しいと知る。主人公が人間と獣の境界線に苦しむ内容であるから、「にんげん」という読みから来て「にんじゅう」なのだろうが、唐音だの呉音だのから言うとどうなるのだろう?
 それはともかくとして、たしかに小林泰三の作品は、いままで読んだうちのどれも、まちがいなく戦慄を感じさせる高水準の出来だ。話の持って行き方が一種エレガントと言おうか。

 寮美千子『星兎』をよく見かけるようになった。池袋リブロでも、児童書の平台と棚、女性作家のところにも。神保町の三省堂にもあったし、近所の本屋にもちゃんとある。寮さん、そろそろブレイクかな?ほかの作品も一緒に置けー!パロル舎の営業は本気で頑張れー!

 営業で思い出したこと。り○ロの児童書の棚を見ていると、後ろに机を出してギフト用ラッピングをしていたらしい店員らが、ハリー・ポッター(略して「はりぽた」とかなんとか言っていたような)の話題を。
 やたら大声でいやでも耳に入ってくるそれは、「○○さんが隠してあったハリー・ポッター何冊、出しましたから」「えー、出しちゃったんですか」というような会話に始まり、既に誰かが何冊か追加注文したのにそれを知らずにまた注文したとかしないとか、版元の誰が入荷予定についてああ言ったとか、それは社長が言ったのかとか、いやそれは営業代行の人でそれはまったく頼りにならないとか、こういった事情を(り○ロの)店長は何にも知らないんだ、とか、云々。耳に入ればそれなりに面白い話題ではある。でもね。これは全然美しくない。
 店員の皆さん、それ、客に聞かせるために大声で言っているの?それとも客なんか目に入らないで大声で裏事情をしゃべっているの?内容もさることながら、店員のあなたがたの話し声が売場で一番うるさいよ。一段落ついたところでほかの客に声をかけられて、うって変わった営業向け声色で「ハイ、いらっしゃいませ」なんて言ってもだめだよ。電車の中で堂々とへーきでお化粧直ししている女の子とおんなじだよ、それ。まったく店長は何をしてるんだか。

 読みかけの本が次々と増え、把握しきれない有様。溝口氏に習って、こーんなにいい加減で中途半端な読み方をしているということを人目にさらすページを作って抑止力とすべきか〜。


991210(金)
  購入本: 『本の雑誌 1月号』       本の雑誌社

ささやかなぼうなすの日である。あーよかった〜。

今日は『人獣細工』を読もうと思い職場に持参したのだが、昼休みにパンを食べながらと言うのにはちっともふさわしくないことに気付き、1ページで『本の雑誌』に乗り替え。山之口洋さんが嘆いていた読者の投稿(ちょうど今NHKFM夜10:45よりドラマが放送中の『オルガニスト』について)などを読む。これ、誉めているには違いないのだが、たぶんこれを選んだ編集のひとは、作品ではなくて投稿の文面のほうを選んだのでは?選んだひと(だれだろう)、『オルガニスト』読みました〜?

 梨木香歩『りかさん』の発行日についてゆうべ偕成社にメイルで問い合わせたところ返事を頂く。14日取り次ぎに入り、15日店頭に並ぶ予定とのこと。待ち遠しい。


991209(木)
  購入本: 吉田音   『Think 夜に猫が身をひそめるところ』    筑摩書房
    J・K・ローリング   『ハリー・ポッターと賢者の石』   静山社
    小林泰三   『人獣細工』   角川ホラー文庫
    牧野修   『スイート・リトル・ベイビー』    〃
    角川ミステリ12月号       角川書店

 昨晩からの眠りの国の滞在時間は9時間半以上、結局30分以上寝坊したので、朝は戦争でありました。

 おとといの火曜日は、長男の学校の面談であったが、今日は塾の方の面談。志望校のほぼ最終決定である(これからぐぐぐっと成績が伸びれば別だが以下略)。普段通っているところは違うが、塾の本校のある水道橋へ行き、予想より早く終わったため迷わず神保町へ足を延ばす。もう少し時間があれば古本屋回りだったのだが、保育園のお迎えというタイムリミットがあるため、最初からあきらめて三省堂1軒に絞る。それでもくたびれたのでしっかり息子と紅茶「タカノ」に入りダージリンセカンドフラッシュで一休み。

 三省堂でおめあての『りかさん』が見あたらないので調べてもらったところ、「出たという情報もないし入荷もない、児童書の売場にもない」とのお返事であった。きのう近所の本屋で聞いたら「出ているようだが入荷していない」というお返事だったのに、一体どっちがほんと?
 かわりに『ハリー・ポッターと賢者の石』をつい買ってしまった。これではずれたらがっかり。
 『Think
 夜に猫が身をひそめるところは、「クラフト・エヴィング商會プレゼンツ」とあり、商會3代目の娘が吉田音(おん)という名で、ミルリトン探偵局というものを設立したらしい。造本の雰囲気はクラフト・エヴィング商會ぽい。

 通りがかったチケット屋で安売り図書券とはどのくらい安いのかと貼り紙を見たが、96%だというので今日のところはやめておく。90%以上希望<無理?

 昼休みから食事抜きで『死のかげの谷間』を読み始め、水道橋までの車中、「タカノ」にて、そして帰りの車中で、目出度く読了。結構読みでがあるようだったのに非常に早く読めてしまった。水道橋で降りるとき全く気づかず、息子にはたかれてあわてて降りたり、帰りも気がつくと思ったより先の駅まで来ていたり。
 おきまりの核戦争後の、生き物がほとんど死に絶えた世界なのだが、ここでの主人公は16才の誕生日をちょうど話の最中に迎える女の子である。詳細すぎるほどの解説があるので、これ以上なにをかいわんや、と言うくらいであるが、主人公のひたむきさと結局は人を憎みきれない素直さが非常に印象に残る。これが憎しみの淵に落ちて行く姿を描かず、さらに西に(いつでも希望は西に!)一縷の望みを暗示したのは、作者の人間というものに対する良心と希望だろうか。ディッキンスン『エヴァが目ざめるとき』は、核戦争こそないが人類の活動は次第に低下して行き、チンパンジーたちとの生活を選んだ主人公の意識は全く希望なしに原始の大海に沈んで行くのだけれど(実際は海ではなくて森)。


991208(水)
  購入本: なし

 昼休み、読みたい本はあれこれ持参しているのに、銀行で2件と郵便局で2件、振り込みの用があったので思わぬ時間を取ってしまい、1ページも読めず。

 アルバイトの子が、本業のほうの都合で休みのため、なんだかんだと忙しい。そのせいでもないだろうが、帰宅するとからだがぐずぐずとしてしまって(ほら、小さい子がオネムの時にぽうっと暖かくなるみたいに)、おちびを寝かしつけながらそのまま眠りの国へ。いったん12時頃に意識が戻ったが、起きる努力をする元気もなく再びまぶたを閉じる。

 要するに、慢性睡眠不足というわけである。自業自得〜。


991207(火)
  購入本: なし

 よく晴れて北風が強い一日で、桜の枝もほとんど裸になってしまった。銀杏の葉はまだ半ば緑のまま、もぎ取られるようにばらばらと落ちてゆき、風の吹き溜まりに山のように積もっている。木立の下を歩くとき、カラスの取り残した柿の実が頭を直撃してきそうで思わず足を早める。ことしは柿の当たり年なのだろうか、まだまだ枝にたくさん残っている。

 北国からは冬の嵐の便りが聞かれる。きのうから仕事で東北に行っていた連れ合いも、飛行機の欠航にあってしまったらしい。
 この風で夜の空は澄んで美しい。木星が空の真ん中で勝ち誇るように光を放ち、土星がそれに追随する。東の空には白いシリウスが輝くが、さしものシリウスも、この木星の明るさには顔色なしである。シリウスの光が日暮れ過ぎに目立つようになると、冬も本番なのである。そしてオリオンが地平線から登ってくるといよいよ真冬となる。

 クリスマス特集のために、エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』を読み直す。ああ、これはいいよう。昔繰り返し読んだのとまた違った感慨がある。ことに先生たちやマルチンの両親ら大人の描かれ方が、やはり子どもの時では理解しきれていなかったことを感じる。そして大人も子供もくべつなく互いを独立した個人として尊重しあっている、そのやり方がとてもうらやましい。良くも悪くもこうした尊厳って、個の尊重を言うわりには現代には逆に薄れていると感じる。

 かんちゃんによれば梨木香歩『りかさん』が出たそうだ。近所の本屋には入っただろうか、いままで一冊も梨木香歩は見たことがないのだが…。明日の帰りに池袋へまわって来ようかなあ!


991206(月)
  購入本: ダン&ドゾワ編   『幻想の犬たち』    扶桑社ミステリー
    島津忠夫 訳注   新版 百人一首』   角川ソフィア文庫

 一日やや不調。ゾンビ状態で仕事していたのであった。したがって特記事項ナシ(涙)。

 帰宅してクリスマス特集をせっせと書いていたら、時間ばかりが過ぎて日記がお留守。本読みもお留守。あきらめて帰ろ〜♪(「メケメケ」♪)。


991205(日)
  図書館本: ロバート・C・オブライエン   『死のかげの谷間』    評論社
    恩田陸   『三月は深き紅の淵を』   講談社
    加納朋子   『ガラスの麒麟』    〃

 長男が模擬試験を受けに行くので、平日とほぼ同じくらいに早起き(うう)。その後なんべんもなんべんも洗濯機をぐるぐる廻したりだらだら片づけをしたり、昼近くなってようやく図書館へ行ったり。

 先日姥姫さんから伺った『フリスビーおばさんとニムの家ねずみ』の作者オブライエンのもうひとつの邦訳作品『死のかげの谷間』を図書館で借りる。古そう&マイナーそうなので先にリクエストカードを書いてしまってから念のために検索したら、何のことはない、この館の閉架に所蔵しているではないか。所蔵と言うより死蔵みたいなものだが、こうしてたまに眠りからさまされる本もあるというわけだ。ほかの2冊は、どういう感じかな?と思って。

 待ち人数の多い本のリストが貼りだしてあったが、ダントツの一位はやはり『五体不満足』で150数人待ち。どこの図書館でもこういうふうか。私は何かのはずみで買ってしまったので、図書館の前で捧げもち、ダフ屋よろしく「『五体不満足』1回10円で貸しますよ〜」と呼ばわってみようか。10円×150人=1500円、こりゃ儲からないな。

 昨夜遅く、イーガン「祈りの海」読了。天使とか肉体がないとか移住したとかいうことばについ『エンジン・サマー』を想起するが、中味はずいぶん違っている。橋とかいうあたりでは長野まゆみ『新世界』だのル=グウィンだのを思い浮かべる。総じて目新しいわけではないのだが、やはり核となるアイデアがイーガンらしさなのだろう(この前のイーガン特集のSFMも『順列都市』も未読なので推測)。いや、なかなか面白かったです。

 そんなこんなで、なかなか『バビロン行きの夜行列車』が終わらないのである。


991204(土)
  購入本: エレン・ダトロウ編   『魔猫』    早川書房
    サイモン・ウィンチェスター   『博士と狂人』    〃
    町田純   『カワカマスのヴァイオリン』   未知谷

 午前中はエンジンがかからないまま。だらだら2時間くらいかけてようやく洗濯ものを干し終えたり、あいだに食器を洗ったり、時々起きて居眠りをする、じゃなくてぱそこんのスイッチを入れてついWebをうろうろさまよったり(これをやめろって)。

 午後はまたまた長男の高校見学。室内のあまりの暖かさに、説明を聞きながらうっとり半分夢の国である。帰り、突然目の前に出現したBookoffに吸い込まれる。ドアを開けた目の前に『魔猫』『博士と狂人』の2冊が、ばん!と並んでいたのでそのまま抱える。ことに前者は図書館本ではなかなか読み切れないのでそろそろ買わなくちゃと思っていたもの。『瞬きよりも速く』もあったので思わず手を出しそうになってしまったが、これは持っていることにハッと気づく。いい人に買われるんですよ〜。『カワカマスのヴァイオリン』はMLで目にしてちょっと気になっていた、ネコのヤンのシリーズの最新刊である。ほかのもまだ読んだことがないのだが、この本も先の2冊に並んで表紙を見せており、連れてって〜、と口を利いたのであった。

 なぜか持って出たSFマガジン1月号のイーガン「祈りの海」を読みつつ、やっぱり半分寝ながら銀座1丁目へ。長男がどうしても伊東屋に行きたい、と先日からせっつくのである。伊東屋の暮れのカレンダーフェアにはずっと以前から毎年恒例のように行っているのだが、今年はあれこれせわしいので池袋で済ませようと思っていた。すると息子がなんだかごねるのでよく聞いてみると、父親から時々もらう伊東屋のサービス券がたまったので、それが使いたいのだという。ステーショナリって、串田孫一ではないが、見ていると実に楽しく、息子もこの楽しみを知っているというわけ。「忙しいのにまったく〜」とか言いつつ、私もカレンダーの他にあれこれと要るような要らないようなものを(熱心に)物色。
 最近ポストイットの細いのやミニサイズが出ているので、本の付箋用にいくつか買う。透明・カラフルバージョンがかわいいのだ。ほかアドベント・カレンダー、クリスマスカードなど。やれやれ、帰宅が遅くなってしまったじゃないか。

 夕食後娘を中心にやっとクリスマスツリーを出す。昨年はイルミネーションの電球がいくつか切れており、コンセントにつないでもぴかとも言わず、切れた電球を見つけだすのに家族総出の騒ぎだったが、ことしは一つ抜けていただけで間もなく生き返り、さっそく部屋の照明を消してはちかちかひかひか追いかけっこをする夢のような光の群にしばし見とれたのであった。これは無音の状態で見るのがベスト。毎年廻りどうろうを見るときと同じ静かなときめきを感じる。それにしてもクリスマスツリーにこの暖かさは異常。

 西の夕空にみえるワシ座に、新星が出現したときのう寮さんから情報。たまたまきのうはちょうど5時前後に西の空を見ていたのだが、さすがにそれとは知らなかった〜。惜しかった。国立天文台ニュースはここ


991203(金)
  購入本: ガルシア・マルケス   『ママ・グランデの葬儀』    集英社文庫
    種村季弘・編   『日本怪談集 上』   河出文庫
     〃   『日本怪談集 下』    〃
    『母の友 1月号』   福音館書店

 やたー、1週間が終わったー!!
 あー、なんだか今週はくたびれて始まってくたびれて終わった1週間であった。ってまだ終わってないのだが、土日はまた別。ご飯が入る胃袋と、お菓子が入る胃袋が別なのと一緒なのだ。

 娘の中学の同級生が、高校をやめるらしいと言う。高校生になり見る間に金髪・ガングロ・ちょうルーズ煙突ソックスその他いろいろ、になってしまった彼女、オベンキョウはもともとたいして得意ではないが、英語は好きで、通訳になりたいと英語はしっかり勉強し英検も率先して受けたりしていたのに、入学後半年ほどでやめたいと言いだし始めたらしい。「高校行ってても意味ないからー」と。なにか「意味」を与えられるのを待っているのだろうか。「やめてどうするわけ?」と娘に訊くと、「何にも考えてないんじゃん?」働くと行っても早晩お水っぽい方に行くしかないだろうに、と思うが娘に言わせると「そうじゃん。フツーだよ」とどこか投げたように言う。
 この人達って、「夢」とか「本当に面白いこと」とかないわけ?「楽しいこと」って言ったら学校をフケて目立つ格好して盛り場で遊ぶことしかないわけ?と、こちらも短絡的に思いたくなる。あれこれ聞いていると、彼女は家庭も崩壊しかけているらしく、いろいろな意味で拠り所がないらしい…もともと明るくてさっぱりのびのびした子なのに、どうしてその良さが生かされないのだろう。
 娘は彼女と仲良しだったから、僅かでも彼女の拠り所になれるとよいと思う一方、やはり朱に交われば…との思いがあるのも否めない。うーん(悩)。

 先週書くのを忘れたが25日安房直子『ねこじゃらしの野原』読了。
 とうふ屋さんの話、と副題のあるこの本も、どれも懐かしくほのぼのした味わいの短篇集である。このうち「ひぐれのラッパ」は、安房直子おなじみの、怖ーいお話で、岩の後ろにある穴から見える地下の灰色の村
、ここは村全体、人も家も空気も灰色で、しかも無音の世界。引き込まれそうなおそろしさだ。

 あちこちで話題(らしい)J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社)とは何?昨日本屋で入り口前の平台にきらきらしく積んであったが、例のごとくすごい人気かつ映画化決定云々という帯に手を出しかねていると、中で会った友人(れいの美術館友だち)がすでに腕に抱えていたのですかさず「貸してっ。『黄金の羅針盤』貸すから!」と、交渉成立。ボリュームの割りには安いかも(1900円)。
 『日本怪談集 上下』はWebで注文した古本。目次に連なる佐藤春夫、吉田健一、森鴎外、泉鏡花、折口信夫などの名と作品を見ると、はっきりと意識しなくとも私はどうも昔からこちら方面に親和性があったらしいと認識を新たにする(佐藤春夫と言えば『西班牙犬の家』がとても好きだ)。


991202(木)
  購入本: なし

 昼休み、ゴッデン『クリスマスの女の子』、へラー『思いがけない贈り物』読了。ふたつとも、偶然、クリスマスプレゼントとお人形の話。
 お人形は、自分から持ち主を選ぶことは出来ない受け身の立場である。けれどもこのふたつのお話のお人形たちは、自分の持ち主となるべき女の子をちゃんと知っていて、ゴッデンのお人形ホリーはひたすら祈ることによって、ヘラーのお人形はサンタクロースに問いかけられることによって口を利き、それぞれ持ち主の女の子の元に行くことが出来る。
 なかでもゴッデンの「お人形は自分の女の子をもらう」というお人形側からの発想は、彼女の柔軟さと優しさを表していて、この本は他にもあちこち抜き書きしたいくらいの暖かさと真実にあふれた作品だった。ゴッデンと前後して読まれたのではヘラーも分が悪いかも。

 父さんのお迎えでスイミングから帰ってきたおちびは、久しぶりに父さんとお風呂。でもそのあと寝かしつけるのは私、今日はどういう訳かやたらにくたびれてしまったのでそのまま爆睡。目が覚めると1時だったが観念して寝る。


991201(水)
  購入本: なし

 職場のキャンパス内の木立に、クリスマスのイルミネーションが飾られた。大木の上の方を頂点に、地面に向けて10本ほどの光の綱が張られて木の形をつくっている。キャンパス内の他施設に行くため3時前にそこを通ったときは、木にはしごが掛けられているのみだった。ようやく5時過ぎに用が済んで戻るために外に出ると、すっかり暗くなってしまっている。ずいぶん遅くなったね、と話しながら角を曲がると、わあっ、さっきの所が特大のクリスマスツリーの形に光っている!施設外の人がそうたくさん通るところではないので、ちょっともったいないくらいだ。見に来てね〜。

 終業後、お茶の水・カザルスホールにてロンドンバロックを聴く。今回はVn3本とチェロ、チェンバロの5人の来日である。いつもながら、「音楽する愉しさ」を堪能させてくれる演奏会であったが、ことに前半の17世紀の音楽の数々(マリーニ、ガブリエリ、パーセル)が、このグループの特色が良く現れており、音楽の香気が立ちのぼるようで聴きほれてしまった。なんてしあわせ〜。ただひとこと言えば今日はチューニングがやや甘かったのが残念。

 『クリスマス・ファンタジー』読了。どれも素敵だけれども、宗教ものの映画を見るような、サンタクロース伝説の「道」、惑星シドーでのシドー人からのクリスマスプレゼントを描く「クリスマス・プレゼント」、古い屋敷の女主人にまつわる「クリスマスの恋」、そして異教的な恐ろしさにあふれる「幸運の木立」などが印象に残る。
 ふたたび読みかけの『バビロン行きの夜行列車』に戻っている所。


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最終更新日 01/12/31 01:11:43
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