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日時計 1999年1月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

<1999年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

<1998年> 9月 10月 11月 12月 


990131(日)  
  購入本:   なし    

 気温は低いが風がないので割に暖かな一日。『五輪の薔薇(上)がだいぶ先が見えてきたので(下)を予約しに図書館へ行くが、しまった、今日は月の最終日なので休館である(しゃれではない)。
 そうか、明日はもう2月なのだ。

 同居人のNTが昨晩から不調のため、私の使っているお古が仕事用にお役立ち。わたしは日中はメイルチェックのみ、やろうとした作業は半分もできずがっかりだが、安房直子のページをとりあえず独立させる。

 午前中、NHKFMからベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトが流れてくる。シェリングの演奏らしいが、昨年聴いたヒロ・クロサキ(命)のベートーヴェン(コンチェルトじゃなかったけど)が耳に甦ってきて、彼のベートーヴェンはなかなかのものだったんだなと改めて驚く。
 次がそのヒロさんも演奏したスプリングソナタであったが、これはシェリングと、私の愛するルビンシュタインのコンビだった。シェリングももう亡くなって10年になるのだと聞き、ちょっと驚いてしまった。そのシェリングは私はあまり好きではないが、相方のルビンシュタインがこれは素晴らしかった!1958年の演奏と言っていたが、いやこれが、明るく、やさしく、細やかで洒脱で、天才!褒めほめ!指の先まで目の前に見えるようなタッチ、自在なペダルの醸す響き!もう!!マークふりまきです。
 スピーカーに耳をつけんばかりにして聴いてしまった。うーん、幸せ!

990130(土)  
  購入本:   活字倶楽部 ’99冬号   雑草社

 夕方から同居人と落ち合うべく池袋へ。時間まで、西武リブロで『活字倶楽部』を捜す。 
 この雑誌はこの2,3日、長野まゆみ関係掲示板ほか、複数掲示板で話題に上っている。何でも『ぱふ』の活字関係別冊が独立したものとの情報に、なーるほど、と納得してそれらしい場所を探索したが、見あたらず、時間がないのでまたレジで訊ねる。
 しばし資料を見ていたお姉さん、「お取り扱いないようです」と言うので、「ぱふの別冊のようなものらしいんですが」と訊くと、「お待ち下さい」といったまま鉄砲玉である。じたばたするおちびをなだめつつ、しばし待つ。じりじりしてきた頃、長が付きそうなおじさん店員が現れてにこやかに「どう言った雑誌でしょうか?そう言う名前の雑誌があるんでしょうか?」再びさっきの発言を繰り返すと、あ、そうか、と言う顔で、既に私が捜したあたりに戻って尋ねている様子。と、すぐに帰ってきて「先ほど売り切れたそうです」あいやー、たっぷり7分はかかったぜ。

 無印良品でさまよっていた上の息子を回収して(だからわざわざ西武に来たのだ)、待ち合わせ場所の東武・旭屋へ。無事同居人と合流後また捜すが、ここでも見あたらず、また尋ねる。怪訝な顔の店員にやはり「ぱふ」の一言で通じるが「売り切れたんじゃなかったかな…」のつぶやきを残しまたも待たされること5分ほど。あー、でもここではしっかり裏から出してきてくれたのでした。ゲットゲット。「コンビニ書店旭屋」もこんな時にはお役立ちである。
 私の第一の目当ては長野まゆみの「新世界」完結記念Faxインタビューである。うーん、若干1ページながら、へええと思わせるような発言がある。興味深し。'98年マイベストブックの方にも彼女の回答有り。ふむふむ!ただし定価1020円は、ちと高い。

 安房直子『遠い野ばらの村』 『花豆の煮えるまで 小夜の物語読了。この人のものって一見はかなくやさしげな「童話」らしい体裁を取っているが、実はこれも「境界文学」だなあと思うことしきりである。だまされたと思って読んでみるべし!

990129(金)  
  購入本:   山田慶兒   『中国医学はいかにつくられたか』   岩波新書
      平野啓一郎   『日蝕』   新潮社
      特集アスペクト65 子どもの本がおもしろい!   アスペクト

 ただいま入荷!の芥川賞作品『日蝕』、つい買ってしまった。『理由』と並んで両方ともまあたくさんあること。宮部みゆきのほかの本も増刷されたのか、文庫からハードカバーから、あるわあるわ、ずらずらぞろぞろ、カラフルに並んでいました。なんでもノベルス版の『蒲生邸事件』『理由』が品切れの間を縫って出たので、売り上げ1位とか(ここ1週間のだったかな?)。私も売り上げに一役買ってしまったけど。
 『子どもの本がおもしろい!』は、面白くないって?1冊しかなかったのを買ってきたのになあ>
ヒラノさん

 先日の読売新聞に、痛みの単位「hanage」に関するジョークがまことしやかにインターネット内で広まっている、というニュースが載っていた。同じ記事に、「どらえもんの最終回の筋」というのも同様に広まっていると書かれていた。聞くところによるとこの「hanage」は、テレビのニュースでも取り上げられていたとか。

#長さ1センチの鼻毛を鉛直方向に1ニュートンの力で抜いたときに感じる痛みを1hanageとすることが国際学会で決められた。

というのがその骨子で、ジョーク本文にはこの単位を提唱したのが日本のある大学の教授であると、大学名と個人名入りで伝えられている。
 しばらく前に私の所にもこのニュース?が伝えられた。
 へー。へー? へへへ、誰が考えたんだろね、オッカシー!と、職場の同僚2人と、受けそうな知り合いに教えたりもした。もちろん、ジョークとして。ところが、である。
 同僚の1人は、ジョークと知ると怒っちゃったんである(>大学生、中学生の母)。「ひまな人もあるものね!心の痛みはどう測るの?」なんてもっともらしいコメントつき、即座にジョークと看破できなかったのが不快と見えます。
 もう1人の同僚は(超有名高校出身、高校、中学生の父)、ひとがジョークだって言ってるのに全く聞き入れようとせず「いや、この大学の職員リストがあるはずだ!」 「1ニュートンというのは、うんぬん」 「鼻の粘膜とは、云々」 「すごいニュースだなあ」と、突っ走ってしまった。ジョークだってば!
 さらにもう1人内科のドクター33才は、「ほう〜?痛みだから、麻酔科の人かな?…うーむ、なんかおかしいな?ふむふむ、冗談かなこりゃ(ニヤリ)」 これフツー。

 こんな具合だったので、職場の人間にはそれ以上教えてやらないことにしたのであった。先日この話題がニュースで取り上げられたのを知ったらしく、このお二人、さっそく 「ジョークなんでしょう?」 「さあ…でも、確かにこんな名前の教授、その大学にはいないんだよね、おかしいんだよ。」(と、さっそくまたしったかぶったかで検索している様子) 「なんなの、これ。訳わかんない」 うう……だから、ジョークだってば!!!

 新聞では、例のネットたたきの並びと言った論調で、考えもなくこんなデマが広まって困ったもんだ、風の記事だったようだが、それとはちょっと違った意味で私も「はあ〜、困ったもんだ」と、くだんのふたりの同僚のやりとりを聞き流すのであった…。(この項、「…」多用)

990128(木)  
  購入本:   なし  

 先日珍しく昼間からBSを見ていると(てことは、日曜ですね)、なぜかゴールデン・レトリーヴァーのルーツをたどるというような内容の番組をやっていた。
 イギリスの、レトリーヴァーの研究家が説くには、、一般に流布している説(何でもロシアのサーカスに連れられて来た犬が元だという説)ではなく、イギリスで猟犬として飼われていた2種類の犬がその母、父であったそうな。野外で行われるレトリーヴァーのコンテストの模様も詳しく見られたが、実際に飛んでいるキジを撃ち落として、それを飼い主の指示に従い、いかに手際よくかつ喜んで持ってくるかが見所である。飼い主のホイッスルの吹き方を聞き分けては熱心に指示を待つレトリーヴァーが実にいじらしくて、息子なんか喜んじゃって「ママ!レトリーヴァー、飼おう!決めた!ゴールデンじゃなくてチョコレート色のがいいんだ!」なんて鼻息を荒くしている。うーん、たしかに好みの犬のひとつではある。でもサ、ここ、マンションなんだよね。ドーブツならすでにキミたちを飼ってるし。それに私、猫派だし。

 で、このレトリーヴァーという名前であるが、「持ってくる」と言う意味の英語retrieveから来ている、という字幕入りの説明があり、それを聞いてはたとひざを打つ私であった。
 ていうのは、
文献検索のとき、引っぱってくる文献を選んだあとに「これでヨシ!」と押すボタンが、“retrieve” なのだ。もちろん意味は分かっているのだけれど、なんだかピンとこない単語で、そのたびに「変なの」と思いながらクリックしているのである。でもこれでひとつ、腑に落ちた。そうかあ、レトリーヴァーだったんだ。というかその逆なんだけどね。いやはや、学生時代以後に知った単語って、なんか身に付かないと言うか…。

990127(水)  
  購入本:   なし  

 『五輪の薔薇(上)』あんど『遠い野ばらの村』並行読み中。だもので宮部みゆきの山はそのままほったらかし。

 このごろおちびが字に興味を示し、自分の名前の字を見つけては、「あった!あった!」と喜ぶ。紙を要求しては、宇宙文字の草書体をずらずら熱心に書いている。昨日急に名前を正しく書けるようになり、おまけに「ママ、ママ、ままってかいたよ、見て見て!」見るとえらく上手に「まま」と大書してある。本当に覚え始めると速いものだ。そこで、「じゃあ、にに、と父さんのとう、っていう字を教えてあげるね」とお手本を書いてやると、いやー速い、すぐに見ないで書けるようになっちゃった。ねね、はやはり難しいようでギブアップ。

 娘は4才になってすぐ、絵本を読んでやっていると字に対する興味が強く出てきて、本の中味より文字を読むことに熱心だった時期がある。このときも速いスピードであらかたの字を読めるようになり、平行して書くのもできるようになった。あまりこちらが率先して教えた、という記憶はない。
 上の息子は反対に、絵本の絵を非常に集中して見ているタイプだった。時折水を向けてもちっとも字に興味がなく、案の定小学生になったときにつまずいた。就学時に自分の名前が読めれば大丈夫、と言うのは嘘。ないしは、教師によっては駄目。うちの場合は、教師によっちゃったんです。それでおちびにはひととおりの読み書きは教えておこうと思っていたから、とりあえず興味あるらしいので一安心である。ちなみに彼は4才9ヶ月だから、ぜんぜん早くないけど。あとは本、1人で読めよ、って、字が読めても、本を読んでもらうのって独特の楽しみなんだよね!わたしも朗読の時間なんて好きです。

 さて私みたいに本に埋もれてるのが大好きな人の子どもたちは……マンガ本に埋もれるのは、間違いなく大好きみたいだ。SFなんて、彼らがきっといつか読むに違いないと思って取ってある、と言う部分があるのだけれど、いまだにじぇんじぇん。私なんか彼らの年の頃、あれこれワクワク読みあさっていたけどなあ。がっかりだわー。でもかまわん。私は私の道を行く、今日も職場に来た本屋さんに、注文した本の催促など。

990126(火)  
  購入本:   大野晋   『日本語練習帳』   岩波新書
      SFマガジン 2月号   早川書房
      プチフラワー 3月号   小学館

 昨晩は日頃の睡眠不足がたたって、おちびと一緒に墜落睡眠。ちらっと目が覚めたときに早めの時間に目覚ましをかけておいた。
 朝、目覚ましが鳴ったとき、ちょうど夢のなか。止めてもまた鳴る式のなのでとりあえず止める。夢では高いビルの上の方のガラス張りの部屋のような所にいて、下を見ている。するとピカチュウの形のビルがあって、自分はそれを鳥瞰している感じ。そんな場面が続いて……やや!ひええ、すっかり寝坊だあ!!

 予報通り春を思わせる気持ちの良い日である。この湿り気が、春らしい。そう言えばいつの間にか、沈丁花のつぼみもふくらんでいる。落葉樹の中で一番遅くまで葉をつけている柳も、さすがに年が明けてから葉を落として淋しい姿になったが、またじきにほかの木に先駆けて新芽がみられるだろう。2月、3月の寒さをすっかり忘れてそんなことばかり思ってしまう。

 『プチフラワー』、お目当ては波津彬子であるが、連載が最終話ではあーりませんか。もう買ってやんないぞー。

 『SFマガジン』では『青猫の街』の書評などあり。昨年気づかなかった、ピーター・ディキンスンの新刊『時計ネズミの謎』(評論社)を発見、さっそく注文する。この人は検索しにくい名前のひとりで、「ディッキンスン」では出てこない(TRC)。岩波から良く出ているマーガレット・マーヒーなんて、著者名では全然引っかからない。あれこれ検索しても(と言うほど徹底的にしてる訳ではないが)こうして落ちこぼれているものってたくさんあるのだろうなあ。 

 銀河通信の安田ママさんが、2才のお嬢さんがインフルエンザから来る肺炎で入院してしまったとのこと。一日も早い回復を、と言うのみ。
 うちでもン年前、娘が生後7ヶ月くらいの時、風邪から気管支肺炎になり、2週間入院の憂き目をみた。親付き添いでの入院と言うことだったので、年休はなくなるわ、自分も一緒に風邪をひいて高熱が出るわで思い出すと良く乗り切ったと思う。いやーな思い出をちょっと。
 最初は口から食べられず点滴オンリーだったのが、やっと食欲が出てご機嫌よく食べられるようになった頃のこと、まさに今快調に食べ始めた、と言うときに「時間だから点滴します」と、看護婦が来たので、食べ終わるまで待って欲しいと言うと、医者の指示だから食事はそこまででやめにしろと言う。せっかく快復してきて食べているのだからと、食事を点滴に優先してくれるよう頼んだが、じぇんじぇん通じない。医者に聞いてくれるように言っても、「時間だから」の一点張りである。また別の時、食事が終わる頃、まだ口にものが入っているときに医者が来て診察だと言う。そして口を開けて見せろと言うので、まだ食事中だったのでと言うと、あからさまに不愉快な顔をして見せるのだ。一体何なんだあ!!○○中央病院には行かないように!!近所にほかに医者がなくて仕方なしにそのあとも行ったけれど、引っ越して良かった。

 その年は、そのあとで入院中の父が危篤になって2週間詰めていたりした関係で、年休は使い切って欠勤扱いになってしまうし(その時は父は快復した)、さんざんな年だったが、今思うとやはり若かったのねー、と言う感想である。
 子育てばかりはやはり体力に依存するから、その点からいえばやはり若いときの方が絶対に楽です。出産の社会的適齢期はたぶん確実にあがっているが、生理的適齢期はそうそうあがるものじゃないからなー。

 というわけで、本当に風邪には注意しなくては。

990125(月)  
  購入本:   なし  

 朝からどんよりとしてまたも雨、月曜の雨はホントゆううつ。おちびを「はやく、はやく」とせかすが、結局いつもより遅くなってしまい、傘さして自転車ができない私はたくしい。小銭が足りなくて、まけてもらっちゃった。

990124(日)  
  購入本:   なし  

 久しぶりの雨である。朝は降っていなかったのに、昼前から小雨が降り出し結局一日そのまま。でも乾燥しきっている東京には焼け石に水という感じ。

 娘が塾に行ってしまったあと(日曜もご苦労なことで)、上の息子は本調子でないのか、出かけるとも言い出さず一日おちびの相手をしてやったり一緒にTVを見たり。おかげで私は読書にいそしむ。

 借りてきた安房直子を年代順に読み始める。まず1979年刊『天の鹿』、大好きなスズキコージが「鈴木康司」という名で表紙と挿し絵を描いている。ついで1981年刊の短編集『遠い野ばらの村』、9編のうち2編を読む。どれも色彩の美しさが印象的。

 19世紀初頭のイギリスから始まる『五輪の薔薇(上)』は、新聞の書評を見る限り面白そうと思ったが、以前Webで検索したところ、「厚い」「高い」「読みにくい」「わざわざ買って損した」などの感想が目についた。いざ読み始めるのにもやはり厚さについ構えてしまい、第1章の1に、やはり読みにくいのかと思わされたが、次項に進むと、いやいやそんなことない、どんどん読めて面白いじゃない。著者パリサーはアメリカ生まれのオクスフォード出で、ディケンズの再来というような形容がついている作家だとか。『秘密の花園』(もちろん子供向けではなくて完訳版)を読んだときの雰囲気を思い出す。うん、わりとすぐに下巻をリクエストしても良さそうみたい。

990123(土)  
  購入本:   宮部みゆき   『長い長い殺人』   カッパ・ノベルス
       〃   『蒲生邸事件』   カッパ・ノベルス
      ポール・J・マコーリイ   『フェアリイ・ランド』   早川書房
      A・V・フォイエルバッハ   『カスパー・ハウザー』   福武文庫

 風邪ひき息子は、昼までしっかり寝ていたが、きのう医者に行かせたのが功を奏したか幸いに悪化せずに済んだ模様。さすがに一日ごろごろしていた。
 この子は我慢強くて、けがをしてもなかなか言わないので、あとで傷を見てびっくり!ということもある。具合が悪いときも、だまって部屋に引き上げてしまう事が多いので、眠くて寝ているのか具合が悪いのか、わからない。口に出すときはよほど辛くなってからのようなので要注意。まあ今日は第4土曜で学校が休みだったからゆっくり休めて良かったわい。

 2,3日前に、職場近くの「マツキヨ(マツモトキヨシ)」が、意外に大きいことがわかり、この所マツキヨコールをしている娘を連れていってやった。私がサンプルにもらった口紅をくれと言うんだけれど、中学生がべっとり口紅つけるかいな、ホントに…。彼女はそのまま、お友達の家へと去ってゆく。愛犬が死んでしまったのでお見舞い兼お昼をご馳走になりに、とのこと。何を持っていってあげよう、と悩んで、「○○ちゃん、みかんチョーすきだからみかん持っていこう。へん?」と、八百屋でみかん一山買って、自転車に積んでいった。別に変じゃあないけどねえ。
 その帰路寄った本屋で、きのうは見あたらなかった『フェアリイ・ランド』を見つけ、購入。ちと高いかも。
  『蒲生邸事件』はハードカバーからノベルス装になったもの。厚い。宮部みゆきは、昨晩『パーフェクト・ブルー』を読んでしまった。3時近かったから、今朝か。どんどん読めちゃうのがいいようなもったいないような。一杯たまったがどれから読もうかな?

 その帰り、図書館でパリサー『五輪の薔薇(上)』、安房直子『天の鹿』『遠い野ばらの村』『花豆の煮えるまで』、ドゥリアン『チョコレート王と黒い手のカイ』、ウォー『ブロックルハースト・グローブの謎の屋敷 メニム一家の物語1を借りる。おちびはアンパンマンの紙芝居。
 色々収穫のある日があるもので、今日は腕一杯になってしまった。読む順番を言えば最初はやはり厚い『五輪の薔薇(上)』かも。他館の所蔵本なので延長ができないからだ。

 夕方、息子と洗濯物たたみなどしながら、以前娘がダビングした「フェイク」を見た。マイク・ニューウェル監督、ジョニー・デップ、アル・パチーノの共演による97年作品。マフィア壊滅作戦のためパチーノ扮する中年やくざに近づくFBIの囮捜査官がデップの役どころである。
 よかったー、
ジョニー・デップ。さえない下っ端マフィアのアル・パチーノも、さえなさがさすがである。デップは、「シザーハンズ」以来好きなんですとても。「ギルバート・グレイプ」、「エド・ウッド」しか知らないんだけど、あのシャイなほほえみが良くって……ううっ!!物語も、どうしてばれないのこんなことしてて、というあたりを思考停止しさえすれば、なかなかいける。6年も潜入していて、兄貴分のパチーノと弟分のデップには友情が築かれてしまうんですね。裏切りか、友情か?みたいなキャッチコピーがついていたような気がする。検索したら、たくさん、たくさんありましたね、デップ、パチーノ、フェイク。かの淀川さんの解説を載せたページもあって、さも淀川さんが言いそうなコメントだなあと思いつつ読ませていただいた。
 デップ&ティム・バートンの新作はいつ見られるのでせうか。

990122(金)  
  購入本:   宮部みゆき   『我らが隣人の犯罪』   文春文庫
       〃   『ステップファーザー・ステップ』   講談社文庫
      堀越千秋   『アンダルシアは眠らない』   集英社文庫
      中野 雄   『丸山眞男 音楽の対話』   文春新書
      上遠野浩平   『ブギーポップは笑わない』   電撃文庫

 東京ではたいていの私立高校の推薦入試が今日なので、中3は4時間授業である。うちの娘は一般入試だが、同僚の息子が推薦入試を受けるのでそんな話題がでているところへ、娘から電話。
 今度は、中2の息子が熱と頭痛で早退していると言う。およよ、順番だよ。医者にかかるように言いつけるが、受験生またぶり返さないかなあ。インフルエンザだったりしたら、受験生をはじめ私や同居人がかかってももちろん大変だが、おちびがかかるとさあ大変。母は近所に住んではいるが、八十を過ぎているから、インフルエンザ人間を預けるわけには行かないし、私も長く休むのは無理だし。ううーん、なんとか大事ないことを祈るのみ。看護休暇とか、病児保育って、何とか充実しないのォ?(このあと、この件について色々書きたくなるがきりがないので書かない<怒りモード)

 まだ『パーフェクト・ブルー』1/3位残っているのだが、本屋に行ったらさすがに宮部みゆきの本が増えていたので、買い足しておく。50冊だか60冊だかあるらしいから、買っても買っても(読んでも読んでも)きりがないかも。気長にゆきましょう。

 『アンダルシアは眠らない』の著者、堀越千秋さんは、以前福音館の雑誌『母の友』に連載を持っておられ、毎号大変面白く読んでいたので、この本にも手を出す。スペイン在住20年で、本業は画家だが、カンテ(フラメンコの歌)の名人でもあるそうで、愛するスペインでのはちゃめちゃぶり(彼自身の、友人の、登場人物の、スペインの、などいろいろ)がぎっしり詰まっているらしい。
 「アンダルシア」ということばは、なぜか郷愁を誘う言葉。中学生の頃に出会ったノーベル賞作家のファン・ラモン・ヒメネス『プラテーロとわたし』によってしっかり刷り込まれてしまったのである。理論社刊のハードカバーだったが、本がぐずぐずになるくらいよく読み返したっけ。

 電子本・電子出版に関する話題で某複数掲示板方面が賑わっているが、Web新規参入者でありそっち関係無知人間の私は、指をくわえてへー、とか、ほー、とかハ行の発音しかできない状態。
 先日買った『本とコンピュータ 冬号』に、絵本作家/ミュージシャンの長谷川集平の記事があり(pp.22〜35)、彼のWeb版エキスパンドブックがそのWebページで公開されているというので、さっそく見てみた。
 エキスパンドブックは、『新潮文庫の100冊』で経験しているが、目はつかれるし、ページめくりはのろいし、どうも違和感があって、あんまり…という記憶しかない。だが今日くだんのエキスパンドブックを見てみると、ページめくりは記憶にあるのより速いような気がするし、やはり縦書きだからよみやすいし、思ったよりは良い印象。注釈部分をポイントするとすぐに見られるのもgood。ただし、これはふだんディスプレイの画面を見なれてしまったから言える感想であって、やはり画面を見つめて字を読むのは、決して楽なことではない。最近のパソコンラックには、ディスプレイ(通はなんていうの)を斜めに落としこむようにセットする形のが見られるが、あれなら視線の関係でベターかも。
 昔の上司は、パソコンが一般に広がり始めた頃、あたかもパソコンさえあればボタンひとつで書類の印刷でも何でもすぐにできると錯覚して、実はそうではない、何でも教えてあげないとコンピュータは何にもできない事を知って怒りまくったものだ。それに似て、電子本の現状はまだ、「電子本」と聞いておぼろげに想像するものとはずいぶんかけ離れているけれど、いずれにしても遠くない将来に市民権を得ることは間違いない。その過程でまた、ヴィデオの規格が統一化できなかったのと同じような、いやもっとぐちゃぐちゃの多様な形が併存する事になるのだろうか。それもまた、メンドクサイなあと思うが、どうせきっとミーハーだから手を出すんだろうなあ。

 それでもってミーハーだから、あちこちでみんなが「いい!」「傑作!」と言っている『ブギーポップ〜』本屋に出現していたので買っちゃったのである。しばらくなくて、増刷したみたい。すすすっと読めて、いいかも。

990121(木)  
  購入本:   なし  

 風邪ひき娘も一夜で無事立ち直り、とりあえず胸をなで下ろす。

 おちびをスイミングに連れていってくれた上の息子が、「食べてみ」と差し出すものあり。「なにこれ」状態で味見すると「ブルーベリーケーキまん」とのこと。ううっ、おいしいというかなんというか。ファミリーマートで売っているほかほか饅頭であった。ほかのコンビニもあわせ、各種ホカまんばやりらしいのは知っていたが、息子に聞くと「豚キムチまん」「肉じゃがまん」「チーズまん」「チョコまん」「チョコバナナまん」etc., etc. 次から次へ、でてくるわでてくるわ。
 おちびを迎えに行ったついでに、つい「チョコまん」を買ってしまった私であった(もうブルーベリーまんとかは売り切れてしまっていたのだ)。

 きのうの大島弓子の件、1年前に手術なさって今はもうとっくに元気で復帰とのこと、よかったよかった。情報有り難うございました。

990120(水)  
  購入本:   宮部みゆき   『地下街の雨』   集英社文庫
      植木等   『夢を食いつづけた男』   朝日文庫
      堀井和子   『早起きのブレックファースト』   KKベストセラーズ

 やられました。娘がけさから気持ち悪い、起きられないとダウン。インフルエンザではないようなのだが、あえなく休みである。夕方電話を入れると、朝から眠って気がついたら3時だったと。医者にゆこう、と言うと「ふらふらするし、髪がぐちゃぐちゃだからやだ!」 良くも悪くも、お若いのねー。あと3週間に迫った試験日にダウンしないでね。
 夜にはしっかり長電話ができるほどには回復したようだけど…いい加減にせいよ、連日の超長電話。家に帰るとほかの何かをしている時間より電話している時間の方が長いんじゃないかと言うくらい、毎日毎日電話に次ぐ電話である。かけるのもかかってくるのも両方なんである。「ごはんだから、あとでかけ直すって言いなさいよ」「わかった、すぐだよすぐ」でもやっぱり、あ・と・で、の一言を申し述べるのに約10分はかかるのはなぜ〜。

 昨晩、宮部みゆき『理由』読了。この題名を付けた理由を今更ながらううーん、とずっしり感じる。本の厚み以上の中味の厚みを感じさせる作品であった。続いて『パーフェクト・ブルー』に突入。事件が起こっちゃったあとまでさしかかった所である。

 今日の収穫は、古本屋にて。植木等のは、部落解放運動家であるその父植木徹之助(のちに徹誠てつじょう)について語った、副題「おやじ徹誠一代記」である。昨年職場での同和問題の研修で取り上げられた人物で、植木等が息子とは一見ミスマッチで滑稽さを感じさせるが、逆にそういうおやじさんあっての植木等かも。

 本屋でもらった角川書店の広報誌『本の旅人』1月号には、大好きな大島弓子が連載をしているが、しばらくこの本を見ないうちに今号は何と大島弓子自身が入院して腫瘍を切除する手術を受ける場面だった。ええっ、大島さんどうしちゃったのぉ。このごろは新しい作品も目につかないし、悠々自適なのかなあ、いくら何でもちょっと早いんじゃん、などと思っていたのだ。一体どうなさったのでしょう。心配だあ。

990119(火)  
  購入本:   なし  

 ひたすら眠い。ちょうど帰宅時に雨が降り、傘さして自転車に乗れない私は泣く泣く歩きで帰るが、ちょうどその時間だと保育園に着くのは延長保育に入ってしまっておやつがでてくる時間である。おちびはとにかく食べるのが(も)遅いので、まず20分は待たされる。自転車なら十分おやつ前につくのに、せっかく早く帰ろうと思ったのにー、と憮然。ばっと無情にも雨は途中ですっかり止んでしまったのであった。
 そこでどうせだからと、図書館によって、貸し出しカードをなくしたのを作り直してもらうことにした。いったん仮カードを作り、それから1週間だか捜してそれでも見つからなければ作り直し。仮カードは既に12月1日に作ってもらって、今朝持ってでたはずなのに、職場で探すともうなくなっている。何やってるんだか。カウンターで身分証明に免許証を出して、2,3分でできあがり。予約したのは『五輪の薔薇』(上)(早川書房)である。
 これは、でたときに本屋で見かけ、買おうかなと思って手に取ったら、分厚いのが上下二巻、そしてお値段がニャンと各4000円の計8000円也。さすがの私も有り難く棚にお返しして、その後も通るたびに横目で見たり見なかったりしらんぷりん。いつの間にやら姿を消していたのであった。”どういう趣味してんの”メイル友だちが今読んでいるというので、ミーハー癖がでて予約した。上下いっぺんに借りるときっと読み切れないと思われるので、とりあえず上のみ。『8(エイト)』に多少似てたりするのかな?などと思いつつ。

990118(月)  
  購入本:   なし  

 夕食にロールキャベツを作る。娘が塾にゆく時間の関係から、このところ手間いらずの献立に偏っているが、今日は塾がないのと、私が比較的帰宅が早かったのとで久しぶりである。なんかロールキャベツっていいよね。

 相変わらず『理由』読中。昼休みのわずかな時間ではなかなかはかが行かない。年上の同僚に何の本かと聞かれたので、直木賞を取った作品だというと、「あーあ、なんかすごく若い人でしょ?」それは芥川賞だと説明するが、直木賞も芥川賞も区別がついてないみたい。ふつう、そんなもんなのか、やっぱり。と、ちと淋しい思い。

990117(日)  
  購入本:   なし  

 どの子も珍しく一日予定の入っていない日である。おのおのし放題に朝寝をして(含む私)、ぱらぱらお茶を飲んだりパンをつまんだりテキトーな午前中。休みの日と言ってもこの所ずっと、子どもたちは塾だ部活だ遊びだ買い物だ、とてんでんばらばらだし、同居人も最近忙しいと見えて、ぱそこんに貼り付いて御仕事か頼まれ用事でいなかったりと、あんまり休日らしくない感じ。

 でもって、今日は久しぶりにみんなでお買い物。と言っても、受験勉強のお嬢はおるすばん。まもなく誕生日の長男の誕生日グッズの物色である。意外にも目的物はすぐに決まり、ケーキを買って帰宅。本屋にもちらっと寄ったが、さすがに今日は机周りの本の山が脳裏に浮かび早々と退散である。
 ケーキは池袋東武の地下に最近出店したKIHACHIで選ぶ。すごい行列よと聞いていたが、今日はそれほどでもなかったので話の種にと並んでみる。さて順番が来た、と思いきや、横の方から注文の声。「お並びいただいているんですが」という店員の返事に「ずっと待ってるのよ!」とスゴイ顔の年配の女性である。おいおい、私たちが並んだときにはぜんぜん居なかったやん。でも顔で勝ちである。ちなみにケーキはなかなか美味であった。

 『理由』のつづき。分厚いのであす職場に持っていくのにもちょっとした荷物だが、チャリ通だからまあなんとか。

990116(土)  
  購入本:   なし  

 3連休、と思っていたら、中学校は第3土曜なので、学校あり。いやはや、教師のみなさんもご苦労様なことです。こういうお休みの谷間は、学校も休みにしちゃえばいいのに、と無責任な意見。

 午後の便で、第10回日本ファンタジーノベル大賞の選評のコピーがu-kiさんから届く(『新潮』9月号掲載)。夕方から読んで、選評の評、というか感想を書く。一日たらたらと、片づけをしたり造山運動をしたりしていたので、頭の中もたらたら気味である。

990115(金)  
  購入本:   ロアルド・ダール   『王女マメーリア』   ハヤカワ文庫HM
      宮部みゆき   『スナーク狩り』   光文社文庫
        〃   『パーフェクト・ブルー』   創元推理文庫
        〃   『理由』   朝日新聞社
      キネ旬ムック 『マンガ夜話 vol.2』   キネマ旬報社
      季刊 本とコンピュータ 7   トランスアート

 朝から(と言っても9時半頃起床)空が白くて寒いので、雪まちがいなしか?と期待したのだが、降らず。

 今年もすぐ近くの体育館で成人式の式典が行われ、午後外に出るとそこから流れてきたらしい和服の女の子たちをたくさん見かける。毎年少しづつ着物の柄や色使いの流行があるようで、今年のはわりにくどい感じのが多いような印象。髪型、というよりやはりヘアスタイル、は軽い感じのが多いかな。たむろして写真を撮ったり。ピアスに、ケータイ、たばこ、何でもありだね。でも足を肩幅に広げて立つのはやめようね。

 上の息子は朝からどこかへ、同居人も別のどこかへ午後から行ってしまったので、ぼちぼち塾へゆくという娘と一緒に、おちびをつれて外出。
 JR巣鴨駅ホームのキオスクで、先日たまたま見つけた柿チョコ冬季限定版(ホワイトチョコ)をまた3袋買う。柿チョコとは、柿の種にチョコレートコーティングしたものであるが、これがなかなかいける。意外に無印良品のが、甘くて辛くてよろしい。キオスクのは、元祖柿の種の製品である。小袋なので、手頃。ちなみに一袋210円であった。
 このごろ、チョコレート界では冬限定バージョンが流行で、ことし息子が発見してきておすすめなのは、「キノコの山」ホワイトチョコ版だが、職場ではアルバイトの女の子が「タケノコの里」ホワイト版をご推薦である。私は息子と同意見で、「キノコの山」派。ホワイトチョコとクラッカーの出会いが思いがけずあと引きです。って、宣伝か。

 池袋西武リブロに寄る。というかわざわざ気晴らしにここに来たようなものだ。
 直木賞受賞を受けて、さっそく宮部みゆきフェアのポップが目につく。まあたくさんたくさん山積みになっている事よ。一方、芥川賞の方は、実物がもうないらしい。
 私はへそまがりなので、ふつうこういうとき、まず絶対と言っていいくらい、受賞作なんかに手を出さない。それにもともとあんまり直木賞方面には興味ないと言った方が正しいかもしれない。だが今回は、ちょうどこのところ宮部みゆき月間状態になっているので、やだなあ、と思いながらも手を出す。抱えている間、裏表紙側を外に向けていたりして。
 ちょうど昨晩『龍は眠る』を読了したところなので、帰宅後分厚い『理由』にとりかかった。今まで読んだのと、やや感じが違うわね、と思いつつ。

 『マンガ夜話』と言うムックを発見。萩尾望都・岡崎京子・大島弓子が取り上げてある。いったい何の本だろう?研究しなくっちゃ。
 『本とコンピュータ 7』は、日本語の読み書きタテ派かヨコ派か、とか、電子出版と従来の本の形に関する話題が満載だが、山之口洋さんの名が11ページに見える。読みかけだがいくつか興味深い記事があって、津野海太郎「本の生命をいかに長びかせるか―オン・デマンド出版、オンライン書店、そして電子図書館」がわかりやすく面白かった。

990114(木)  
  購入本:   なし  

 あらま、直木賞、宮部みゆきの『理由』が取ったんですって。ううう、今日本屋を通過したときに買えばよかった!まだこの前買ったのが何冊かあるから今日はやめておこう、って思ったのだ。今日はアンテナさえてなかったぜ。おまけに家に『龍は眠る』をおいて行ってしまったので、昼休みに読むものがなかったのだ。

 そこで、u-kiさんが『青猫の街』に関連してふれていらした、いとうせいこう『ノーライフキング』を職場の本の山から引っぱり出し再読。これ、10年前に書かれたのである。全然古くないと言うか、現実の方が足踏みしていると言うべきか?『青猫の街』のすぐあとなので、つい共通するものを捜すように読んだり。

 ひさしぶりにおちびが、スイミングにゆく。朝、「今日は保育園終わったらプールだよ」と言うと、「いきたくない…。ほいくえんおわったら、ママが迎えに来て、それでー、すぐうちに帰る」とおっしゃる。6時前、気が変わったかな?と思いつつ迎えにゆくと、顔を見るなり「やっぱり体育館プール、いくー!」とニコニコである。きっと上のクラスの、一緒のスイミングに行っているおにいさんたちに、プール行こうよって誘われたのでしょう。機嫌良く行って、機嫌良くかえってきた。あとは風邪ひかないように…。

 明日は久しぶりに天気が悪く、ひょっとすると雪かも。わあ、うれしいような、いやなような(こわくはないけど)。

990113(水)  
  購入本:   なし  

 たくさん仕事をした気がする。忙しかったナー。明日1日がんばると、めでたく休みである。鼻先に人参をぶら下げられた馬みたい。

 そう言うわけで、『龍は眠る』を読んでいるのだけれど、昨日読み終えた『青猫の街』がまだ頭に残っていて、完全な現実復帰ができていない感じ。それにまたこの2作、ちょっとした部分が似ていて一層混乱するのだ。どちらも未知の相手から脅迫されていて、アパートの入り口(場所はやや違う)に、赤ペンキで警告が書かれるのだ。デジャヴかと思っちゃった。扉に文字で、アリババなんかも思い出してしまうし。珍しく連続で、今日も『青猫の街』感想できました。書かないと頭から出ていってくれないのだもの。疲れたー。

 昨日、アルバイトの女性が、吉祥寺の「小笹」の最中を持ってきて下さった。これ、おいしいんです!母は最中が好きでよく買ってきていたが、子どもの頃私は最中ってだいきらいだった。この「小笹」の最中は、おいしい最中もあると私が知った最初のものなり。

990112(火)  
  購入本:   なし  

 はあ。やっと火曜日終了。1週間て、長いのね。

 『青猫の街』読了。昼休み、机に置いて読んでいると、「何読んでるの」と聞かれた。「小説」 「?」 誌面を見て怪訝な顔の同僚に、「横書きの小説」と説明する。やっぱり目が点、だったみたい。
 大変面白かった。パソコンの中味はさっぱりわかんないけれど、ハチハチとかキュウハチとかは使っていたので懐かしいです。94年の4月から1年育児休暇を取り、95年春に復帰してみたら研究室はMacの世界になっており、それからすぐ1人1台状態に。
 この作品は96年が舞台。わからないながらも多少はなじみのあるコンピュータの世界と、家から近い池袋の芳林堂書店なんていうのも出てくるので、追体験しやすかったし、現実との混乱を招くような錯覚すら覚えたりした。うん。なかなかだった。

 先に読み始めていた宮部みゆき『龍は眠る』再開。

 読売新聞夕刊のきのう今日の文化欄で、『イギリスはおいしい』等の著者林望が、社会工学の林雄二郎の息子であることを知る。なーんだ、そうだったのかあ。
 読売新聞と言えば今日の朝刊一面に村上陽一郎のインタヴュー記事が掲載されており、科学者の社会における責任について述べられていた。うちの研究所も、ただ研究のための研究をしていればいい時代ではなくなり、研究成果の一般への還元なんてものを考慮すべく迫られている。財政状態の悪化に伴うものだが、その視点からのみならず村上氏の述べるような科学者自身の自覚というものも意識して変えて(変わって)ゆかなくてはならない時期であるのは確かである。少なくとも科学者(理科系人間)の特権意識のようなものはもうなくしてもいいんじゃない。

990111(月)  
  購入本:   夢枕 獏   『猫弾きのオルオラネ 完全版   ハヤカワ文庫JA
      おざわとしお再話   『日本の昔話 5』   福音館書店
      本の雑誌 2月号   本の雑誌社
      SWITCH 1月号 特集・星野道夫[星を継ぐ者たち]   スイッチ・パブリッシング

 作日のうちに、安房直子『風と木の歌』読了。いつもながら、それぞれの作品を染める透明水彩のような美しい色あいが印象的だ。
 何となく日本の童話作家、というか児童文学作家のものは敬遠してきたので、この人とはほとんど出会わずに来てしまった。とはいえ、たくさんの作品を書いてきた人なので、いくつかの作品にはそれと意識せずに出会っていたようである。遅ればせながら、今後まとめて読んでみたいと思う。ただ、たくさん作品がある割には書店ではそれほどお目にかかることがないのは残念である。たしかに、その多くは今や古風になってしまったのかもしれない。けれども必ずや再評価されるに値するひとだと思う。

 午後から定期検診のため市ヶ谷まで出向いたが、思いがけず早く終わったので、帰りがけに池袋西武リブロに立ち寄る。最近は東武の旭屋に寄ることが多かったものだから、ちょっと久しぶり。

 児童書のコーナーにはいると、おやどうしたこと、以前1から4まで購入したのに5を買いそびれたままになっていた『日本の昔話』が、山積みになっている。まだあるか調べなくてはと思っていた矢先なのでちょうどよかった、と5を抱える。
 なぜかというと、実は、暮れに「かさじぞう」を取り上げようと思ったのだ。これ子どもの時に絵本を持っていて、それ以来大好きなんだ。これ、大みそかの話でしょう。だから、ぜひ紹介したくて、手持ちの『日本の昔話』1〜4の索引を見たら、なんと持っていない5巻にでているではないか。もうその時点で図書館は休みに入っていたので、あきらめてしまったのであった。
 折しもこの何日か、雪の便りが続いている。どこかで雪に埋もれているお地蔵さんたち、いるんじゃないかなあ……。

 雑誌のところでは、星野道夫の特集記事がでている「SWITCH」を捜すが、どのジャンルの雑誌なのかとんと見当がつかなず見つからない。アウトドア、写真、旅行…、結局レジで訊ねて、普段は音楽関係が定位置とわかる。
 探索中、「本の雑誌」2月号が早くもでているのが目の端に入る。
銀河通信の安田ママさんの記事がでているはずなのでサッと手を出す。おおっ、10ページというはじめの方の目立つところじゃあーりませんか。見たぞみたぞー。だけどURLが出てないのはなぜだ。
 
「本の雑誌、銀河通信オンラインに脅威を感じる!!」
と言うわけ?すごいね、安田ママさん!

 さて、あとはおきまりのコースを徘徊。文庫とか、新書とか。と、手に入らないものと思いこんでいた『猫弾きのオルオラネ』があった。へー、どうしてこれ、知らなかったんだろう?
 さらに近くの棚に、創元文庫版の中井英夫全集があるので価格を見る。1400なにがしから1700円、厚いも厚いがなかなかなお値段である。まだ刊行途中である。ううむ、どうしようかなー。いずれにせよそのうち入手することにはなるでしょう。
 と言う具合で、短時間の割になかなかな収穫であった。

 帰宅途中、図書館から連絡のあったリクエスト本、涼元悠一『青猫の街』(新潮社)を借りる。ああ、売り上げに貢献しなくてごめんなさい、ニャーサイド・涼元さん。早く読みたくておとといリクエストしたんです。今日大きい本屋に行くって、予定外だったんだもの。許せ。現在、2/5ぐらいにさしかかっている所。

990110(日)  
  購入本:   なし

 しっかり寝坊してしまって、起きたら9時半だった。たらたら新聞を読んだり、洗濯したりしながら朝ご飯のようなものを食べたり。

 『オルガニスト』読了。うーん、なかなか材料をたくさん持っている人で盛りだくさんだなあと思う。もともとミステリと言うわけじゃなかったというのがよくわかる。ただし帯のバロック・ミステリーという言葉はやめた方がいいかな。印象が薄れないうちにと感想をあげたが、なんか論文調になってしまったのは作品のせい?

990109(土)  
  購入本:   ファインマン   『ご冗談でしょう、ファインマンさん』I、II   岩波書店
      ディーノ・ブッツァーティ   『待っていたのは』   河出書房新社
      S・R・ディレーニイ   『バベル=17』   ハヤカワSFシリーズ

 よく晴れた寒い日。空がキンと冷たく、典型的な西高東低の冬型の気圧配置である。昨夜山形から帰ってきた同居人が「雪!」と言っていた。

 午後おちびと買い物ついでに古本屋と図書館に行く。ファインマンのはカバーなしで2冊一くくり200円。
 水曜日行ったときはなかった『待っていたのは』に目が止まり、おおっと購入。
 この店は神保町の店の支店だそうで、結構ものも良いようだし―ほかをあまり知らないが―整理もきちっとしていて、へえこんなものが、と言うような雑誌や文庫などもある。もちろん値段は高い。
 店番は年配のおじさんとおばさんで、ときどき息子と思われるよく似たお兄さんが居ることもあり、この人は商品に詳しい。さてこのおばさんがレジの打ち間違いの名人で、いまだかつて1度で済んだ試しがない。今日もしっかり余計に取られそうになってしまった。隣でにらみを利かせていたおじさんがもう一度打ち直してくれて事なきを得たが、じつは水曜に行ったときに1000円も余計に打ったのはおじさんの方だったのである。店を出てから、どうも高すぎる…と立ち止まってレシートを見ると、おいおい、1000円余計に打っているじゃない。すぐ戻って打ち直してもらったけれど、値切れば良かったわね。
 おちびは絵本コーナーのウルトラマン写真絵本に引っかかった。つきあってくれて、ありがとうね、と2冊買い与える。

 帰り際に図書館に寄り、安房直子『風と木の歌』(実業之日本社)を借りた。なんかどこかで聞いた題名…あっちは「詩」の字ですね。安房直子はかなりたくさん並んでおり、今日の目当ては「きつねの窓」である。片端から目次を見て捜すと、4,5冊目に行き当たった。よかったー。そうか、このひとは山室静の弟子なのね。いいなあ!
 この本には他に「さんしょっ子」「鳥」「夕日の国」等8編が収められている。「きつねの窓」は、子ぎつねの染め物屋にききょうの花の汁で染めてもらった指で、ひし形の窓を作ると、そのなかに自分の一番見たいものがみえる、という話。彼女独特の、二度と取り返せないものをどうしようもなく恋うる気持ちが、この話にも秘められていて切ない。

990108(金)  
  購入本:   森まゆみ   『長生きも芸のうち』   ちくま文庫
      磯淵 猛   『金の芽−インド紅茶紀行』   角川書店
      宮部みゆき   『龍は眠る』   新潮文庫
        〃   『本所深川不思議草紙』   新潮文庫
        〃   『火車』   新潮文庫
        〃   『とり残されて』   文春文庫

 スペルシンガー・サーガ5『不機嫌な魔界の旅人』読了。ペランビュレーターのイメージがすてき。ナルニアのなかでも気に入りのひとつ『銀のいす』の、北の地底の国で、さらに地下の割れ目の中にサラマンダーが姿を見せるところがあり、そのイメージがすさまじくも美しいのだが、それを連想してしまった。

 銀河通信の安田ママさんから宮部みゆきのお薦めをいくつか伺って、おととい入手したものに加えてさっそく購入。
 でも今日はまず年末に購入したままの『オルガニスト』に着手である。

 主人公らが大学に入学したのが東西ドイツの統一の直前とあるから、1990年。そして作品における「現在」はさらに6年プラス9年で、2005年という事になる。21世紀が無理なく作品の舞台になる、そういう時代になっているのだなあと思う。ずんずん読んで半分を超してしまった。途中、時折文章がこなれていない印象を受ける。
 『パラサイト・イヴ』は細胞培養などを行っている研究室が舞台で、そっち方面のテクニカル・タームがいっぱいでてきた。全然知らない人にはいまいち実感がつかめないか、もしくは実際以上にホラーな雰囲気が強く感じられるかどちらかだろうと思う。
 『オルガニスト』ではそれにあたるのが音大とその周辺であり、バッハをはじめとするオルガン曲である。音大自体はともかく、バッハとかなんとかは私にはかなり近い世界なのであまり違和感なく(または逆にうーん、そうかあ?と言う部分も)すんなり入れるが、どうだろう、『パラサイト・イヴ』に比べ、こちらの作品ではオルガンのしめる比重が高いか、ないしは質的に違うのではないか?
 『パラサイト・イヴ』ではミトコンドリアが母系遺伝だと言うことだけわかればよいので、あとは舞台装置としてそんなもんかと思えばよい。
 または疑似科学理論に頼るSFなんかでも、必ずしもそれをちゃんと理解しなくても、やっぱりそんなもんかとそれなりに楽しめると思うのだけれど、このあたり、すでにしてオルガンの音が頭の中に響いてきてしまうので、判断ができない。と言っても、「BWV何番」と言われたってよくわかんないだけどさ。
 今日は教授がくだんの教会で演奏会を行ったその後まで。

990107(木)  
  購入本:   なし

 ようやくほんとの木曜日。火曜から出たのに、今週は長いなあ。
 先月から、私が回り番のラボ・ミーティングが2回も延びて、ようやく今日終了。一月もたつと中身は忘れるわ、レジュメはどこかへしまっちゃうわ、論文は古くなるわ(と言う気が)、いいことなーし。

 ミーティングにて管理職の会議の内容報告。来年度の研究費は20%削減、と言うのが一番の大きな事。研究所の本来目的に直結する研究費そのものを削ってしまって、どうせよと?研究所の存在価値をどう考えているのだろう。外部の研究助成費を稼ぐしかないと言うこと。

 今日は子どもたちの冬休み最後の日である。息子に朝可燃ゴミ、段ボール、新聞などを出してもらったお駄賃としてデート、もとい、お昼に落ち合って食事。ほんとはカレー屋がよかったが定休日のためスパゲティ屋にゆく。
 小柄な息子も最近大きくなる前兆か、足が大きくなり始め、ついこの前買った靴がもうきついと言い出す有様。食欲も増してきて、スパゲティひと皿にピザ3/4をぺろり。こんなもん人に比べたらどうってことないかもしれないが、赤ん坊の頃からかなり小食のこいつとしては、結構な量なのである。まだ私より数センチ背が低いが、追い越されるのも時間の問題である。娘にはとっくに越されているし、だんだん親の権威もすり減り気味(もともとなかったか)。

990106(水)  
  購入本:   伊藤典夫編   『ファンタジーへの誘い』   講談社文庫
      アシモフ編   『世界SF大賞傑作選7』   講談社文庫
      サン=テグジュペリ   『夜間飛行』   新潮文庫
      宮部みゆき   『東京下町殺人暮色』   光文社文庫
      宮部みゆき   『魔術はささやく』   新潮文庫

 昼休み、郵便局へ行ったついでに向かいの古本屋に寄る。ほうら、はまった。宮部みゆき。まあ、そうでもないか。この本屋には意外に少なかった。『夜間飛行』はずうっと前に読んで、どこかに埋もれた。本も、記憶も。長野まゆみの同名の作品は当然この題を借りている。彼女の「反則技」のひとつ。TVドラマの「人間・失格」なんかの反則とはちがうけんね。

 『世界SF大賞傑作選7』は、1973年、74年のヒューゴー賞受賞作「世界の合い言葉は森」「オメラスから歩み去る人々」(アーシュラ・ル=グウィン)、「死の鳥」(ハーラン・エリスン)が収録されている。この本自体は79年の刊行だが、解説によるとその時点では「所有せざる人々」も「ロカノンの世界」も、「幻影の都市」も未訳であったとのこと。時代の流れを感じる、なんちって。

 『ファンタジーへの誘い』は1977年刊行である。これはちょっとオイシイかも。「死神よ来たれ」(ピーター・S・ビーグル)、「ゲイルズバーグの春を愛す」(ジャック・フィニィ)をはじめとする13編のファンタジー(全部列挙したいくらい)が収められている。
 例の福島正実氏の選になる海外SF傑作選が、氏の死去で6巻で終わってしまっていたものを、予定通り第7巻ファンタジー集として伊藤典夫氏が編んだものとのこと。77年というと私は何をしていたかなあ?せっせと本を買える身分でなかったことは確かである。
 裏表紙の惹句
「茫漠たる宇宙における人間と言う小さな存在。その大いなる孤独をSFならではの手法で描く、ファンタジーSF13篇」には、おやおや、お手軽な文句をくっつけちゃって、と思った。
 「SF選なのになぜファンタジー?」という(たぶん多くの人が抱くかもしれない)疑問に、伊藤氏自身が解説でふれているのにも関わらずこの文をつけるっていうのは、20年前のものにせよあまりにも安易にすぎる。ともかくもSF読みのためのファンタジー集なのだから。
 古本屋から帰ってくるなり真っ先に読んでしまったのは、巻頭を飾る「死神よ来たれ」である。うーん、やっぱりこういうのには弱い!!収穫、収穫。

 で、読み差しのスペルシンガー・サーガはあまり進まないまま。最終巻ではやっぱりジョン・トムがこの地球に帰ってきてめでたし、めでたしという結末になるのかなあ。なんだかなあ。それともクロサハンプの跡継ぎに?いや月並み。ええと、あちらの世界のどこかの都市にリクルート?うう、早く読みたい。

 息子、無事帰宅。「雪?なかった」少ししかなかったのだそうだ、山梨の富士見スキー場の近く。すごいがらがら声と一応雪焼けでの帰還である。あすは宿題、やれよ!

990105(火)  
  購入本:   宮部みゆき   『今夜は眠れない』   中公文庫
      ティム・バートン   『オイスターボーイの憂鬱な死』   アップリンク

 一応初出勤。帰宅するなり、「あーあ、明日は木曜日!…じゃない、まだ水曜日だぁ」とすでに週末気分である。今日まで同居人は自宅で仕事。明日はもう泊まりの仕事であるが、入れ替わりに明日夜、4日朝から雪中キャンプに行っていた息子が帰宅予定である。なんだかこのお正月はすれ違いだなあ。
 息子はクロカンスキーの手ほどきを受けて来るはず。何年来したくてたまらないので、やつを味方に付けて私も、と目論んでいる。雪中散歩がしたいんだ!

 やりたいものと言えば、知人からの年賀状に、「バロックダンスと出会いました。いっしょにいかがですか」と言うのがあって、これもやりたいもののひとつ。オリヴィア・ハッセイの出た方の「ロミオとジュリエット」の舞踏会シーンでのしずしずとしたダンスが(ニーノ・ロータの曲も)ずうっと印象に残っていて、舞曲というと潜在的にあのシーンを思っている。この何年か、そのバロックダンスをやっているサークルの存在は知っていたのだがなかなか手が出せなくて。今年は出会いがあるといいな!

 『鳩笛草』収載の「朽ちてゆくまで」「鳩笛草」昨晩のうちに読了。なんかいいなあこのひと。しょっちゅう写真がでているのは目にしていて、「ミステリーの女王」ぽくないなあと思っていたが、ふーんこういう作風のひとだったんだと妙に納得。とっぽい感じのひとです。まゆみの次はみゆきか。

 アラン・ディーン・フォスターのスペルシンガー・サーガ5『不機嫌な魔界の旅人』再開。せっかく最新刊の5に追いついたと思ったら、次の6でシリーズ終わりとのこと。まあこの辺でやめておくのがいいところかも。折しもちょうどジョン・トムがクロサハンプにスペルシンガーとしてなんとか認められたところ。
 そう言えばトム・ホルトの他の作品は出ないのだろうか?

990104(月)  
  購入本: なし

 お正月休みも今日までである。日中ほとんど読書ですごす。このページのタイトルの言葉みたいな貴重な一日で、『クロスファイア』(上・下)読了。この人のものを読むのは2作目であるが、文章の細やかさと作品全体に感じられる暖かさが大きな魅力なのであろうと思う。
 『鳩笛草』収載の「朽ちてゆくまで」読中。

 あいまにお茶・お昼・お茶・、また夕方のお茶、そして夕ご飯と、おなかがく、く・る・し・い…。

990103(日)  
  購入本:   季刊 パロル 7,8,9号   パロル舎

 朝のうちから、年末より予定していた、<クラフト・エヴィング商會>の展覧会に行く(新宿・紀伊國屋画廊)。昨年出た『クラウド・コレクター』(筑摩書房)、『すぐそこの遠い場所』(晶文社)に収録されている作品の展示である。
 行くなり「これでご覧下さい」と双眼鏡を渡される。見るとわずか3メートル四方くらいのロープで囲まれたスペースに、別世界アゾットのさまざまな精緻なものたちが並べられている。『すぐそこの遠い場所』の元本である「アゾット事典」もある。雲母で作られた「雲母印本(きらいんぼん)」、「紙石鹸に記されたD氏の肖像」、、数々の瓶類、受付の机上にはうさぎ年らしく、忘却事象閲覧塔におさめられている「2羽の兎の肖像画」も。これらのものたちを双眼鏡で見るのは、もちろん至近距離に近づいて見られないからという実用的な側面のほかに、「すぐそこの遠い場所」を体感するという一種独特の効果があった。
 いったい、このひとたち(クラフト・エヴィング商會)って、何者!?

 紀伊國屋書店では児童文学の季刊誌「パロル」が全巻そろっている中から、新しい方の3冊を。7:「翻訳って何?」、8:「これからどうする子どもの本」、9:「子どもって何だ!?」話には聞いていたのだが手にとって見るのは初めてである。7は猪熊葉子、梨木果歩、矢川澄子らの名が見えるのでおいしそう。8は第1期終刊号、9が第2期創刊号とのこと。その辺の事情はよくわからないが、ぱらぱらっと目を通してみても、「ちょっと毛色が変わった雑誌」という印象が9では薄れているようだ。機会があったらさらに古い方を見てみたいと思う。

 まだ11時だったので昼食調達のため伊勢丹による。すると今日が開店のため、大変な混雑で、福袋を二つ、三つと下げた人ばかりである。池袋はきのうから東武も西武も開店していたので、新宿もそうだとばかり思っていたのは迂闊である。でもせっかく来ちゃったからなんかちょうどいい福袋ないかなーと思って多少見回ってみたがやっぱり特にナシ。
 百貨店の開店日に福袋を買いに行くということが全く思い浮かばないのはどうしてかなと思ったら、いつものお正月は信州の義母の所へ行って過ごしているからだと思い当たる。大抵元日は自宅で迎えて、その晩か二日に向こうへ行き、場合によってはスキーなど。今年は娘の塾のため行かなかったんだ。しかし、そう言えばニュースでは福袋に殺到する人々の姿なんぞを見るけれど実際にそれを間近にするのは初めてである。売場によっては結構すごい行列などもあり。当方は適当にお昼を見繕い帰る。
 昼食後、「パロル」をつまみ読みしつつ、はっと気がつくと昼寝。窓辺の「安眠ソファ」で読んでいたので、昼下がりのぽかぽかした日差しが気持ちよかったナー。

 きのうのタクシーの忘れ物は、朝7時頃に、これから帰るという運転手さんから電話があり、幸いに営業所が比較的近かったので新宿に行く前に同居人と車で取りに行き、一件落着であった。ホッ。

990102(土)  
  購入本:   宮部みゆき   『鳩笛草』   カッパ・ノベルス
      クラフト・エヴィング商會   『どこかにいってしまったものたち』   筑摩書房

 娘は今日からまたお気の毒にも塾である。連れ合いが、正月早々たまった仕事を片づけるべくパソコンに張り付いて尻を上げないので、ブーたれて午後から息子ふたりと池袋へ出かける。この数年、正月休みには皆でジグソーパズルをひとつ完成させるのが恒例になっているのだが、年末につい買いそびれたのでそれを買いに、と言う口実である。

 目指すは東武百貨店の「わちふぃーるど」のコーナーである。ネコのダヤンをはじめ、変わった動物たちが暮らす世界のいろいろなグッズを扱っている。パズルは、最初300ピースをつくり去年は約1000ピースのを完成した。今年は日にちがあまりないので、息子と相談の結果500ピースに決める。ホントは2000に挑戦したかったんだけど、来年のお楽しみ!
 ほか、ハリボテのうさぎの飾り物とか、ハーブショップの福袋なんかを買い求める。この福袋は最後の1個だったので、3000円にプラスして定価1500円のセットがおまけにつき、さらに「じゃあ最後だったから、三々七拍子で閉めましょう!」なんて店員が言い出して、盛大に手〆がついた。ちょっと恥ずかしかったがせっかくなのでしっかりのってしめてきました(汗)。

 「わちふぃーるど」は、旭屋書店と同じフロアなので当然そっちにも寄る。
 『鳩笛草』が平台に並んでいたので購入。年末の25日に増刷とのことである。帰宅後収載の「燔祭」を読了。『クロスファイア』がこの続編というので、これを読んでから、と思っていた。入手不可と聞いていたが『クロスファイア』が売れたので増刷したわけね。
 私はノベルスにはほとんど手を出さなくて、宮部みゆきもこれが初めてである。非常に細やかな文章であるなと感じた。ともかくこれで心おきなく『クロスファイア』が読めるというもの。

 時間が前後するが、池袋からの帰路、最寄り駅からのバスがなかなか出ないことが判明、タクシーで帰る。マンション前で降り、入り口へ…あれっ?「荷物は?」ジグソーパズルなど大荷物の入った袋を持っていたはずの息子、手ぶらである。あっと顔色を変えた息子がタクシーを追いかけるが、既に先の角を曲がったらしく姿なし。Uターンするタクシーが2台あるが、どちらも私たちの後続車である。あああああ!!行っちゃった!
 
ようやくタクシー会社を探し当てたが連絡待ちである。あーあ、今晩パズルやろうと思ったのになあ!新年早々サイテー…。
 それでも買った本はしっかり自分で持っていた私なのであった。

 『どこかにいってしまったものたち』さっそく読了。アラン・ディーン・フォスターのスペルシンガー・サーガ5『不機嫌な魔界の旅人』読中。4ではスペルシングますます好調?だったが続けて5に突入したところ。

990101(金)  
  購入本:   なし  

 今日ばかりは平成11年1月1日と書く方が見た目にきれいかもしれない。お正月らしく抜けるような青空の上天気である。

 昼過ぎから根津神社に初詣。2月には娘の受験、また1年後には息子も受験なので念を入れてお参りする。ここにはたびたびお祭りの度に来てお参りしているから、私のお願いきいてよね。
 年末にこの地域の情報誌『谷根千』が届き、つい昨日読んだばかりなので、記事にあった、境内の駒込稲荷のふしぎな狛犬にも目が行く。古い狛犬とおぼしいのだが、耳がすり減ってしまったのか、ちょっと犬にも獅子にも見えない。貂(てん)だと言う説があるとのこと、そう言われればそうみたいな気も。
 『谷根千』はこの地域・中、津、駄木の頭の文字を取ったネーミングで、現在作家として活躍中の森まゆみら3人の女性が作った、地域情報誌のはしりである。発刊当時は、「ただの主婦」がこんな雑誌を作った、なんて言い方で言及されていたものだが、どうしてどうしてただの主婦なものか。(ホントにどうしてどいつもこいつも何々と枠でくくらないと気が済まないんだろう?くくる方も、くくられる方も。「私はただの主婦ですが」しかり、「こんなおばさんが」しかり。その他諸々。)
 下町らしい情緒を色濃く残すこの地域が私は大好きで、わずか数年住んでいただけのこの地を離れてもこうしてことある度に足を延ばすのである。それにしてもさすがに夕方になってからの寒かったこと!


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最終更新日 01/01/08 11:59:11
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