日時計 1999年5月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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<1998年> 9月 10月 11月 12月


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990531(月)
  購入本:なし

 きのうはせっかく薔薇の写真を少しだけupしたつもりだったのに、完全に頭が寝ていたらしくてリンク先がローカルファイルでした〜。直したので見てやってくださいませ。

 makorinさんが図書館の講座で赤木かん子さんの講演を聴いたと言うことから、YA(ヤングアダルト)という言葉の意味、YAAC(アダルトチルドレン)の関係について、掲示板の話題になっている。有里さんヒラノマドカさんのところに関連情報や考察があるので、参考にされたい(と、ひとに振る)。

 YAとは私にとってはいまいちピンとこない言葉(概念)で、単にいわゆる児童文学と大人向けの文学との間に位置するものかなあ、という感じ。自分自身が、べつに「児童文学」を特別なものとして見てこず、区別なく「児童文学」も読めば大人向けのものも読む、ただその中で気に入るものが「児童文学」の方に多い、と言う風な認識でしかいなかったから、なんだか出版社サイドの勝手な区分だろうぐらいにしか感じていなかった。「対象年齢○才〜」ってよく書いてあるではないか、子供向けの本には。そもそもそれはすっかり無視してきていたので、YAと書いてあっても同じように(出版社が勝手に想定した)対象年齢を指すだけと、別段気にせずにいた。

 こうしてネットの世界に参入すると、世の中にはいろいろな本を読む方がいるものだと言うことがわかってきた。その中で知ったのが、YA文庫の存在である。電撃文庫とか、コバルト文庫とか。未だに私自身はほとんど手を出したことがないが、それは単に優先順位の問題…そこまで手を広げる時間がないからと言うのが理由で、興味がないというわけではない。
 しかし、このYA文庫の「YA」は、漠然といだいていた私なりの「YA」とは、ちと違うぞ。YAはもうすこしシリアスだぞ。まんがを活字に移しただけみたいな(偏見あり)、ページの下半分が真っ白で、行替えばっかりの本がYAかぁ〜?

 出版サイドが勝手につけた(と思われる)こうした呼び名と、図書館職員ら(児童文学畑の人々)が用いてきた呼び名と、それぞれの指すものはもともと似て非なる内容であったと思われるが、現在はそのギャップがいろいろな形で埋まってきているのだろう。人が勝手につけたジャンル名で悩むのもバカみたいだが、ひとつのまとまりを指すのに何か都合の良い呼称があると便利であるのも確かだから、ここらでちょっと、世間では何を指してYAと言うのであるか、見てみても悪くないかなあと。

 YAとACについては、ヒラノさんの主張のように(YAが何であるかについては措くとしても)YAと言う用語の現状の中では赤木かん子さん的把握はやはり特殊例ではないかと思う。けれども、特殊例に真実がないかというと、決してそうではないから、YAとACの関連性についてきちんと述べられればよいと思う(って、誰が)。
 何故かん子さんが、目が据わっちゃうほどAC(とYA)に執着するようになったか、その正確なきっかけが私は知りたい。
 「本の探偵」として知られ始めたかん子さんの講演を、そういう期待で聞きにいった10年前、いきなり思いっきりACにベクトルの向いた話を聞かされたので、なんじゃこりゃー、と思ったのは確かである。その際の話で、彼女はACという事例に非常に個人的執着があるように感じたのである。ここんところ、いまふたたび質問してみたいものだ。

 「子供のために」、「良い本を」「読ませてやろう」という「おばさんたち」に、彼女が反感を抱いているのは確か。そのあたりは自分自身が小さいときから本を読んできた人間にはよくわかるだろう。子供の頃、自分が面白いと思った本は、絶対人となんか分かち合いたくなかったもの。絶対に独り占めしたかった。
 これは、面白い本は人に勧めたい、面白い本を教えてほしい、と積極的に思うようになった今でも、奥底に残っている感情。だから、本の話をする相手とは、「どの辺が同類か」ということを無意識のうちに意外に鋭く嗅ぎ分けたりしているのである。くんくん。

 あー支離滅裂。あすは信州へお葬式に走る。


990530(日)
  購入本:なし

 調布にある神代植物園の薔薇園を見に行こうという趣向の、某掲示板方面のオフ会。隣接する深大寺では深大寺そばを食べようと言う、花より団子、いや、薔薇とそばと両方楽しもうという欲張り企画である。

 11時半に調布駅北口で待ち合わせ、初対面の方が今日は多いが唯一面識のあるデデさんご夫妻が声をかけて下さった。あとから来る方々もあるらしく、とりあえず今いる5人は一足先に、すでに直行組が待つという深大寺山門目指してバスに乗る。既に5人いるのに、いったい総勢何人になるんだろう?

 なんだかんだと楽しくおしゃべりしていると「神代植物園正門前〜」というアナウンスがある。「降りるのは「深大寺入り口」だよね?」などと言いつつ、またおしゃべりに興じるが、おや〜、おかしいぞ、植物園を回って深大寺に行くというのならこの先曲がらないと行けないのに、ひたすらバスはまっすぐ突っ走っている。皆の頭の上に?マークが。ひとりが運転手に尋ねると、「とっくに過ぎましたよ」どことも知れぬ停留所でぞろぞろ降りる。ここはどこ?

 結局とぼとぼ歩いてひと停留所戻り、戻るバスに乗ったが、何と目的の停留所はさっきの「神代植物公園正門前」よりひとつ駅よりなのであった。すごいお上りさん軍団…。

 山門につくと、なんたるちゃこの人数。たぶん、14人?友だちの友だちは皆友だち的集団が出現したのであった。とりあえず「雀のお宿」(と言う名前のそば屋)で腹ごしらえ、散々迷って、くず餅とみそおでんのついたもりそばセットを注文した。のんびり食べたあと緩やかにまとまりつつ深大寺境内を経由して植物園に向かう。

 門を入るとちょっとした山の中の雰囲気で大木が日差しを遮りひんやりと涼しい。それを抜けると、薔薇園である。ちょっと遅いのではないかと危惧していたがそれほどでもなく、まだまだ盛りである。ここは相当な広さで、1種類1種類全部丹念に見るとなると午後中費やしてもなお足りないくらいの薔薇が植えられているのだ。
 天気はと言えば、薄曇りであってほしいという願いもむなしく、ものすごい上天気。持参した日傘が有り難い〜。夏だ、夏!
 うわー、みてみて、すごい!を連発しながらさまよっていく。忘れずに香りも楽しむが、品種ごとに香りも相当バリエーションがあるのを実感する。実物には比べるべくもないが、とにかく薔薇の姿を…。
これと、これ。名前は、あまりにたくさんありすぎてどれがどれやら…。ただ薔薇とのみ。

 大温室も見てさんざん歩き、それでもまだ見足りないくらいではあったが、いい加減くたびれたので皆でお茶、この時点で9人。そのうちに日も傾き、名残は惜しかったが、試験中の娘を抱える私は、「天ぷら〜」に後ろ髪を引かれつつもまじめに帰宅したのであった。薔薇の香りでいっぱいの、素晴らしい一日!


990529(土)
  購入本: 尾崎翠   『不思議の国のララ』   メタローグ
    荻原規子   『西の善き魔女 5』   C★NOVELS
    シュテンプケ   『鼻行類』   平凡社ライブラリー
    バルトルシャイティス   『幻想の中世II』   平凡社ライブラリー
    寮美千子   『ラジオスターレストラン』   パロル舎
    恩田陸   『不安な童話』   祥伝社文庫
    長野まゆみ   青い鳥少年文庫2『ヒルサガリ』   作品社
    季刊 『幻想文学 55号』    アトリエOCTA

 何故か洗濯物の量がすごーい。しかしいまいちの天気だったので気持ちよく乾かずがっかり。あれこれ用事が済み、3時を過ぎてから池袋に繰り出す。と言っても息子はどこかへ脱走、娘は試験の最中なので、例のごとくおちびを連れての珍道中。何もわざわざ夕方から行かなくても良さそうなものだが、池袋リブロで6月20日に行われる長野まゆみのサイン会の整理券を配り始めたらしいので、とりあえずゲットしに。

 ついつい、その他にもいろいろ買ってしまった!重かったよう。『季刊 幻想文学55号』は、巻頭傑作短篇と称して山尾悠子さんの作品がVIP待遇(もったいなくてまだ読んでいない)。
 また、書評欄に先頃出た『幻想文学大事典』に関する座談会があるが、司会の「ハンサムな」東編集長の写真だけがなーい。これはあとで、東さんが写真を撮ったからだと判明。何かほかの理由があるのかと思っちゃった。

 寮美千子の作品は前回来たとき(しばらく前)にはなかったと思われる。表紙にはモノクロで恐竜の絵があり、パッと僕のメカザウルスを思い起こす。

 夕食後、遅くなってから義母から電話があり、先日から急に病状の重くなった義父の義理の母(?でもそうなのだ)が予想より早くつい今し方亡くなったとの連絡であった。田舎のこととて、親戚関係がなんだかようわからん状態なので、どういう風に対応したらよいか明日の連絡待ちである。とりあえずカレンダーで友引を確認する。娘はちょうど試験中のため、どうしようと悩んでいる。学校は休みたくないと言うが、きっと行かないとあとで後悔すると思う。一番いいのは試験中にお葬式があること、それなら進んで休む、と。残念ながらそういう日取りにはならないでしょう。
 亡くなったこの人は、したがって私たちの義理の祖母、うちの子たちにとっては義理の曾祖母と言うことになるが、私の母と同い年なのである。同い年の人が亡くなったとあっては母が落胆するだろうと、娘は「おばあちゃん(私の母)に言いたくないよ〜」としきりに繰り返している。う〜む、こればかりは仕方がない。


990528(金)
  購入本:なし

 きのうの、回り番のゼミ当番も無事何とか終わりしばしホッ。1週おきで5人のメンバーだから、およそ二月半に一遍である。ついこの前終わったばかりなのに、と、いつも思う。あとは夏休み明けまでないぞう。

 久しぶりに演奏会へ。お茶の水のカザルスホールにて「ヴィオラ・スペース」。今日、明日と2晩催される、ヴィオラの祭典?だが、今日は世界に誇る今井信子が、ヴィオラ・ダ・モーレをひくので、これは行かにゃあならんと言うわけである。
 つごう5人のヴィオラ弾きが出てきたわけだが、うーん、今井さんは別格!とまたまた確認して帰ってきた。
 休憩の時に何故か未使用で手許にあったドリンクチケットで連れ合いと「キティ」と「エリー」を飲む。キティは、赤ワインとジンジャエール半々のもの、エリーは白ワイン版。う〜ん、限りなくジンジャエールだねなどと言いながらずるずる飲んでいると、ありゃあ、何気なくカウンターにやってきたのは、今まで舞台に立っていた今井さんじゃあーりませんか。
 彼女は割合小柄で、私の年代の平均身長である私自身よりも、もう少し小さい(彼女の方がずっと年上ではあるけれど)。舞台衣装はやや赤いラメがかった黒のジャケットにほとんど同色のスカーフを巻き、黒のパンツと言うスタイルなので、そのままフロアにおりてきてもまったく違和感ない。舞台にいるとあんなに大きく見えるのに、人混みに紛れてちっとも目立たない。ちゃんと500円払ってドリンクを買っていたぞ。

 結局図書館本『1809』に軍配が上がり、昨晩から読み出している。何の数字か、おまじないかSFチックなものかと思っていたが、西暦の年号なのであった。
 佐藤亜紀は
ホームページもあるが最近は更新がないようだ。小説の新刊も出ていないようだが、消息を知りたい。そうそう、ここのページの一番下で、彼女が『日蝕』について触れているので、『日蝕』どうなんかなー、と思われる向きはちらっとご覧になっては。


990527(木)
  購入本:なし

 深夜からの雨と風が朝になっても続き、公園の木々も大きく傾いでまるで森ででもあるかのようなざわめきをたてている。天気予報でもこれから風雨は強まり、夕刻には大雨、などと言っているので、もう頭はそのつもりになりきっている。自転車はダメ、髪は結わえて、靴は雨用の靴、おちびには長靴、上の子たちには長い傘!などと。

 出かける頃になり雨はほんの小降りなので、ラッキー!
 昼休みは外へ出ないでひたすら本読みに集中。業者が来ると「雨はどうですか?」と訊ねる。「今は降ってないですよ、暑いし、風がすごいですね」とどの業者も答える。その間中、頭の中では外は大雨だ。

 3時頃になり、ひょっと外を見ると、おんや、地面は乾いているし、あまつさえ日も射している。業者さんたちの言ったことを思い出し…そうなのだ、大雨だったのは私の頭の中だけ。

 昼休みに、しばらく前から読み返している佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』を読み終えた。これは確かファンタジーノベル大賞をとったときに雑誌・新潮に掲載されたのを読んだ気がする。これが一作目だとすると、確かにすご〜い(何作目だとしてもすごいと思うが)。翻訳本と思ってもまったく不思議はない。
 ともかく昼休みの真ん中でこれが終わってしまったので、買ったまま起きっぱなしになっているブッツァーティ『待っていたのは』を読み始める。ちょうど手頃な短篇が集められている。一気に引き込まれ、15篇中5篇を読了。短篇の醍醐味を味わわせてくれる作品群である。特に似ているわけではないが、ポーを思い出すのは、ホラー(と言っていよいのか)テイストとともに作品の密度/集中度だろうか?それとともにある種の映画にあるような、両者に共通する独特の色彩かもしれない。

 ポーは、題名を思い出せないが、妖精が小舟に乗って島の周りを巡ってゆき、日の移ろいとともに次第次第に年老いて行く様を描いた作品が後々まで印象に残っている。
 これをはじめとしてポーは、むかしむかし、世界文学全集がはやったとき(そういう時があったんだ!)集英社だかのグリーン版世界文学全集で出会った。主な古典はこのシリーズで読んだ。同級生の本好きな男の子と、昨晩はこれを読んだ、今日はこれを読んでいる、等々、競うように読み合ったことを思い出す。
 先日古本屋でこの全集の端本が10冊ほど100円コーナーにあったので、思わず買いそうになってしまったが、とりあえず止めた。『レベッカ』なんて、そうなんです、これで読みました。当時の定価380円、今では文庫も買えない。

 夕食後、寮美千子『小惑星美術館』がどんなふうかちらっと見てみようと思いそのまましばし読みふける。ヴィジュアルな描写が素晴らしい。一気に銀河盤の中に入り込んでしまったところの描写で、食後の眠気にとらわれていた頭が一気に目覚めた。
 何故また寮美千子が?それは、代理購入をお願いした『ノスタルギガンテス』(サイン入り)が溝口大人より先日届き、噂の装丁(カバー)を目のあたりにしたところだったのである。私はカバーナシの図書館本で読んだのだが、このカバー写真によって物語がきちんとそこにおさめられたという、「正しくそこにあるべきもの」的感覚を抱いた。
 たぶんこれは温帯雨林か?やや植生が違うようでもあるが、この写真一枚では詳しいところは(私には)わからない。温帯雨林の写真もたくさん撮っている星野道夫の写真絵本『森へ』では、雨林の木々はこんな風に描写されている。

 さまざまな地衣類が、枝から着物のようにたれ下がった木々は、そのまま歩き出しそうな気配でした。

 そういう木々の写真の着物を着せられた『ノスタルギガンテス』は、鋭い切っ先を内に秘めてしっとりと美しい。

 図書館本の佐藤亜紀『1809』が先なんだけど、どうしようかな、『小惑星美術館』とどちらを先にしようかな、と迷うのである。


990526(水)
  購入本:なし

 昼休みに郵便局に行ったついでに、あまりの気持ちよさにキャンパス内の池の側のベンチでしばし座り込む。といっても、池の水面はよどんで油膜が張っている。だがこれは見ない振り、もっぱら頭上を覆う桜の枝と空だけしか気づかない振り。

 お弁当を超特急で食べて、ひたすら佐藤亜紀『モンティニーの狼男爵』の続き。夕食後また続き。おおっ、ついにそう来たか。この人は、なってない、情けない男を書かせると天下一品。出版点数はそんなに多くないから、制覇しちゃおうかなという気が起きる。ものも言わずに読んで、読了。ああ、面白かった!
 とにかく、ページ数と言うより字数が多く、紙面はペタ黒いのである。読者もその中にみっちりとはまりこんでしまうのだ。こんなのが読めて、幸福…。

 息子の足の傷も何とか順調な経過をたどっている模様。いつもニニと一緒にお風呂に入っているおちびは、ニニの足が治るまで一緒に入ってもらえず、相方探しにネネ、ママ、とうさんのところを巡礼して歩いている。明日から試験のネネと、仕事しているとうさんに振られ、ママのところへ。汗と泥でばばっちいおちびを見捨てるわけに行かず、次の佐藤亜紀を読みたい心を振り切って、おちびの洗浄作業にいそしむ。寝かしつけるのはとうさんにおまかせ!


990525(火)
  購入本: バルトルシャイティス   『バルトルシャイティス著作集1
 
アベラシオン
  国書刊行会
     〃   『バルトルシャイティス著作集2
 
アナモルフォーズ
   〃

 うって変わって、またも晴れ!しかも、!最高気温が30度を超え、日傘の下も今日は夏の風である。

 中3の息子が、しばらく前から、足の親指の付け根あたりに何かグリグリが出来て場合によっては当たって痛い、ともらしていた。最近これがすこしずつ気になるようになり、自分から外科に行くと言いだした。今日は中間テストが終わる日なので、ちょうど良い。良性のものなら来月はじめの修学旅行後に取ってもらいなさいと保健の先生のアドバイスだそうだ。

 私とおちびが帰宅すると、おちびは出迎えた息子の足を見て「うわあ!どうしたの?」という。見れば親指と指の付け根に真っ白な包帯が痛々しげに巻かれている。
 「ありゃ!取っちゃったの!?」
 娘が「そこ見て、見て」と指すテーブルの上にはバイアル瓶が載っている。手に取ってみると、半分ほど入った液体の中にはちょうど大豆ほどの白いかたまりが揺れている。これがホントの「脂肪の塊」。ホルマリン漬けである。こんなに大きいものが足の裏にあれば、そりゃ鬱陶しいわな。
 外科で切るに至った状況を聞くと、それだけで痛くてゾクゾクしてしまう。さすがに足の裏だけに、ていねいに4針も縫ったのだそうだ。夕食後には麻酔がすっかり切れ、さすがの辛抱強い息子も、痛み止めを飲んだにもかかわらず「くぅ〜っ、痛てぇ…!」ともだえ、「痛いから寝る」と早々と寝てしまった。修学旅行までには充分治ると言うことだけれど、うう、痛そう!明日は担任の許可をもらって、大手を振って自転車通学である。「松葉杖を借りれば良かった」と、息子、いたく弱気。肩貸してあげるよ>まな息子

 今日古本屋から引き取ってきたツバツケ本は、もともと2冊なら1万円もする本だけれど、半額なら買いでしょう。これらは図版多数いりの、持つととっても重い本で、一種の美術史の本である。たとえば「アナモルフォーズ」のほうは、帯の惹句は「光学の魔術、奇妙な遠近法」などとあり、一例として、円筒アナモルフォーズは、渦巻き様の、コマのようなおかしな絵があり、その中央に銀色の円筒(無地のアルミ缶のような)をたてるとそこに写った絵は正しく人の顔であったり、景色であったりする、と言う仕掛けだ。安野光雅の絵本にもこの仕掛けが取り入れられたものがあった。これは図版だけ見てもとっても面白いので、残りの2冊「イシスの探求」と「鏡」(!)も欲しいなー。でも定価では高すぎる!どこかに転がっていないでしょうかー。

 今日は佐藤亜紀『モンティニーの狼男爵』に突入。また、はまっているのだ。


990524(月)
  購入本:なし

 天気予報が当たって、昼にはすっかり雨。しとしと霧雨かとおもえばけっこう雨足が強まったりする。銀行に行った昼休み、足元ばかりか体もずいぶん濡れてしまった。

 一時待機させて置いた『戦争の法』を脇目もふらず読む。今日のお弁当は貧しかったが、読みながら食べたおかげで貧しさを感じなくてすんだ。でもちょうどゲリラ戦が激しくなるあたりだったので余り食事時向きではなかったかも。

 夕食後もひたすら読む。この2,3日、けっこう集中して読書しているので、ちょっと疲れたかも知れない。深夜になってようやく読了。脱力感におそわれる。
 帰宅途中、図書館によってリクエスト本・佐藤亜紀『1809』『モンティニーの狼男爵』を借りる。いっぺんに来ちゃって、読めるのかいな?頑張りましょう。


990523(日)
  購入本:なし

 夏ってこんなに暑いんだぞう〜、というのを思い出させるような今日の暑さ。でもまだ昼過ぎでも木陰を吹きすぎる風は爽やか。

 なのに、今日は2時からマンションの管理組合の総会なのである。今年は回り番で役員に当たっているためどうしても出席しなくてはならないのだが、連れ合いは何故か今日仕事が入ってしまい私が代理出席…。会場の、マンション隣の小学校の体育館は、開けた窓からそよそよ気持ちのよい風が吹き抜ける。周りの木々がさやさや音を立て、緑陰が目にしみるようだ。ああ、日曜の素晴らしい昼下がり…。
 それなのに、おじさんたちが入れ替わり立ち替わり昨年度の活動報告やら何やらを妙に元気に発言するのを聞いているのは、辛いことこの上ない。30分ほど経つとあくびの連発、気づけば舟を漕いでいる私である。長かったよう、3時間の総会は!

 おまけにそのあとまた1時間半も新旧役員の引き継ぎとやらがあったんである。旧役員のおじさんのオハナシの、それはそれはくどいこと。
 幸いに、うちの係(総務)の責任者の方は、ちょー合理的な考え方の持ち主で、「総務は雑用をひきうける何でも屋」という先任者と違い、「総務は仕事の割り振りをしてほかの係にやらせる係」と言う認識の持ち主である。しがらみや慣例にひきずられてずるずる泥沼にはまるタイプとは大違いとお見受けした。声の大きい、はっきりした物言いのこの(比較的若い)おじさんは、なんでもどこかの検事さん。今年の役員はけっこうすっきり、楽かも。

 梨木香歩『からくりからくさ』読了。先年の『西の魔女が死んだ』『裏庭』の生硬さがとれ、成熟した印象。これら2作の底流に流れるものがよりはっきりした形で表せたのではないかと思う。それに加えて前には出てこなかったテーマも、あふれんばかりに文字通り織り込まれている。
 植物への偏愛、スピリチュアルなものへの傾倒、グローバルな視点からの価値観の転換、フェミニズム的問題提起、民族問題、蛇と龍とメドゥーサ、など、たくさんの題材がひしめき合って、消化不良…というか、物語の進行具合によって今までの題材が新しい題材のためにおろそかになったりするような感は否めない。やたらに「あとになって思えば」的お断りが入ることもめざわりだった。
 また、前作よりははるかによくなっているが、どうしてこれだけ細やかに書いているのにこの人の描写にはどこかパースペクティヴを欠くのだろう。部屋ならその部屋、家ならその家、旅をしていればその周辺だけしか脳裏に浮かんでこない。

 しかし、この作は、素敵だ。力がこもっているし、うちから突き動かされて書いているのが感じられる。作者が新たな世界観を形づくろうとしているのが感じられる。同性、同世代としての共感を強く感じる。『裏庭』と同じくらいの厚さだが、ほとんど一気に読んだ。お奨めである。
 ただし例のごとく帯の文句はよくない。いわく、

懐かしく楽しい四人の女たちの植物的な生活。最強無敵の四人の、
その強さの秘密はたぶん手仕事にある。(池澤夏樹)

ふつう、「植物的」という言葉は、潔癖で静的なイメージを引き起こす。しかしここに描かれた主人公たちの生活は、題名からして想像できるように植物に囲まれたものには違いないが、それをさして「植物的」という言葉で評するのは不適当だろう。彼女らの内面は決してこの言葉から喚起されるようなものではない。描かれる植物さえも生命力にあふれたむしろ息苦しいほどのものであるからだ。「植物的」ということばに新しい意味を持たせたいならともかく、帯に着ける惹句としてはよくない。この言葉以外にも全体として帯はまるで不作。絵は、とても綺麗です(早川司寿乃)。若い女性の共同生活に、石井桃子『幻の朱い実』を思い出すところもある。ともかく、おすすめ!

 先日来書こう書こうと忘れていることの落ち穂拾い。
 ・ベランダのオリーブがたくさん花を付けて、盛大に花粉を散らしていること。
 ・チューリップについたアブラムシを見つけて、おちびが、「あっ、花食い虫だ!」と叫んだこと。


990522(土)
  購入本: 梨木香歩   『からくりからくさ』   新潮社
    小林泰三   『玩具修理者』   角川ホラー文庫
    井上雅彦 監修   異形コレクション10 時間怪談』   廣済堂文庫
    花郁悠紀子   『白木蓮抄』   秋田書店
     〃   『アナスタシアとおとなり』    〃
     〃   『風に哭く』    〃
     〃   『カルキの来る日』    〃
     〃   『四季つづり』    〃
     〃   『幻の花恋』    〃
     〃    『夢ゆり育て』    〃
    ますむらひろし   『ギルドマ』   朝日ソノラマ
    川原由美子   『川原由美子選集第1巻』    〃

 佐藤亜紀『戦争の法』は、文字通り措く能わざる面白さ。なんでこれが、品切れ/絶版なのか、新潮社の判断は理解に苦しむ。昨晩もネット巡り終了後、もう寝ないといけない時間であるにも関わらず、つい座り込んで、もう一段落だけ、と思いながらそのままずいぶん先まで読み続けてしまった。今日はうさぎのおめめ。

 先日めがねを新しく作った際に、それまでのものをねじの修理に出して置いたのだが、連絡があったのにすっかり取りに行くのを忘れていた。と言うのを口実に、池袋の芳林堂書店コミックプラザほかへ娘と出かける。ここはいつも車で通るときに看板を見ては「ここだな」と思いつつも寄ったことがなく、だいたい何でも揃うよと話だけ聞いていたところ。花郁悠紀子の『白木蓮抄』、ますむらひろしの『ギルドマ』を探しに。というより、きのう職場の数少ないまんが友だちが、ここに花郁悠紀子の昔のコミックがずらっとあったぞ、と言う情報をくれたので、なくなる前にと思い急ぎ買いに走ったというのが真相である。

 西口ロータリーのすぐそば、第一勧銀の地下がそれである。これはかなりある!どこになにがあるかよくわからなかったが、さいわい秋田書店と朝日ソノラマは隣り合った棚であった。
 めざす花郁悠紀子は、ありゃー、本当だ!平積みになっている新刊の文庫『白木蓮抄』と並んで、過去に出版されたプリンセスコミック版が、これも平積みになっている!『白木蓮抄』を除く、彼女の全ての単行本8冊である!以前
花郁悠紀子のファンページを作っておられる有里さんから譲っていただいた2冊(『フェネラ』、『踊って死に神さん』)を除く全てをゲーット!棚の前でうひょー、と言っていたら、後ろから「お〜や、こんなところで何してんの」と声をかけられてびっくり。やはり職場の数少ない本貸し友だちであった。いや〜、隠密行動をとったつもりだったんだが、敢えなく露見してしまったか。

 その後重い荷物を提げて娘の靴探し。東口のサンシャインまで歩かされてくたびれる。さらにもう一度駅隣の東武百貨店でなんだかんだ物色後、三島から戻ってきた連れ合いと百貨店内の旭屋池袋店で落ち合う。購入予定のホラー文庫のところへ行くと、連れ合いは「あ、これある。これも買ってあるよ。それと…」と、ひそかに数冊を購入・隠匿してあることを暴露。自慢げに鞄から「ほれ」と取り出したのが小野不由美『東亰異聞』(新潮文庫)。
 連れ合いはずっと以前から風水だの何だのと言って、荒俣宏本、水木しげる本、などなどを買い込んでいるようではあったが、ひそかにホラー文庫にも手を出していたとわ。帰宅してからいったい何を持っているのかと問いただしたところ、荒俣本などのほか、『水霊 ミズチ』『見知らぬ私』『亀裂』『蟲』…計10冊が山になった。最後に講談社文庫の高橋克彦『白妖鬼』がポンとのっかる。同居する見知らぬ他人…あんた、誰。<ホラーだ!

 しめくくりに児童書コーナーへ行くと、ちょうど立ち止まった目の前の平台に一冊、梨木香歩の見知らぬ装丁の本がころがっている!知らないぞ、これ!あたりを探すと、ほかの本に隠れて、『からくりからくさ』が積んであったのである。帰宅するや、措く能わざる『戦争の法』をむりやり脇にどけて突入。まだ4分の1あたりであるが、これは面白い!
 先日掲示板の話題のついでで須藤真澄『振り袖いちま』を思い出したが、これに呼応するような題材。そして今の時期、花や草木に意識の行っている私の前に、忽然と時を得たように現れたこの本は草木染めが大きな比重を占めている。内容と共に、暗合を感じるのを禁じ得ない。本に呼ばれた、と言うか、相呼応したと言うか、私のところに本が来てくれたのだ。今からまた読むぞー!


990521(金)
  購入本: マイク・レズニック   『キリンヤガ』   ハヤカワ文庫SF

 てのひら、指先の「主婦湿疹」のため職場の音楽サークルにご無沙汰して1年半近い。その間、同じ職場ながら一度も会わない人も多い。広いからなあ。
 そのひとり、よく隣で同じ譜面を見ながら弾いていたMちゃんに、帰りがけばったり出会った。会わない間に彼女との見えないしがらみがいろいろ発覚していたので、お互いに開口一番「ねーねー、あれ!あれ!」。彼女の昔のヴァイオリンの先生が、うちの連れ合いの昔の音楽仲間で、そのまた仲間が別な方面から彼女のまた知り合い(またいとこみたい)だったり、そんな関係がずるずると、これでもかと出てくる。実に世界は狭いのだ〜。

 職場でちょっとしたトラブルがあり、庶務係長に対処を求めに行く。へらへら「いや〜、忙しくってよぅ」と逃げんばかりの態度のヤツに文句を言うと、「だから対応してるんじゃねえかようっ!」と青筋を立てて怒鳴る。こいつ、ほとんど初めて口を利くヤツだが、いままでこういう言葉遣いをしてあちこちを渡ってきたのかと、信じられない。ちんぴらさんか、あんたは。チョー不・愉・快!

 佐藤亜紀『戦争の法』に突入。どうも私はこの人がすごーく好きみたいである。帰路、図書館で『1809』『モンティニーの狼男爵』をリクエストした。しかしなんでこの館には佐藤亜紀、ひとつも置いてないんだあ。


990520(木)
  購入本: 別役実   『もののけづくし』   ハヤカワ文庫NF
    R・ファン・クーリック   『四季屏風殺人事件』   中公文庫

 朝には雨もすっかり上がって、きょうはチャリ通(傘を差しながら自転車に乗れない)。暑くなる暑くなると言っている割には、昼休みまではそれほどのことはなく、湿気、不快指数も大したことなし。日傘のおかげか。
 このところの楽しみは、あちこちに咲く薔薇である。目に美しく、そばによって鼻にも愉しいよき薔薇よ。近所の古い木造の平屋の垣根に、奔放に絡まりはびこるみずみずしい蔓薔薇。その一角だけ急に眠り姫の茨のしげみが世界の垣根を超えて蔓を伸ばしてきたかのようだ。こうして方々で薔薇に頬寄せて(じつは鼻を寄せて)心ゆくまで香りをすいこむ。天国、天国。

 今日のような雨の匂いが残る日には、そろそろ紫陽花が気になる。露地植えの紫陽花は、大概がまだ小さいつぼみを枝先に大事に抱えている。あと2週間もすればこれらも色づき、梅雨を呼ぶ。

 日暮れ、空気が蒼くなって行くほんのひととき、ベランダの花色がくっきりと鮮やかである。この時間の光の成分が長波長に片寄っているせいで、日中ならくどいほどのサフィニアの牡丹色や金魚草の紅色も紫に偏移して蒼い空気に浮かび出している。下の道を通るひとの話し声が突然一言ふたこと花々のそばにたゆとう。世界をこの形につなぎ止めている力がわずかに弛む。

 ネット上のイベントに気を取られたせいで遅々として進まない『鏡の影』もようやく佳境に入り、ヨハネスは付き従う少年シュピーゲルグランツの眸の奥底を見つめたりしちゃうのであった。いやはや。やっぱりこの人一流の諧謔がなんとも心地良くって。
 しかし、「新潮社」をローマ字でかくと「Shinchosha」ではなくて「Sinchosha」なのか。このように『鏡の影』のカバーには書いてある。ローマ字でも何式、かに式とかあっていくらかスペルが違ったが、どっちがどんなスペルだったか、もはや記憶の彼方なのであった。

 後刻、無事読了!

 唐突であるが、某所にてこんなページへのリンクあり。ぴったり当てはまる人が身近に(家庭内ではない)、それもふたりもいるのでもうたーいへんである。

訂正
 先日(
5月10日)、テニエルの描いたアリスは、短い髪であると書いたが、涼元さんところの5月11日付の記事で改めてテニエルの絵を見て「やや!」と思った。
 しっかり見覚えのあるこの小憎らしいようなアリス、どうして私の記憶の中で短髪になっていたんでしょう。熊田千佳慕のアリス程ではないが、肩より長い髪なのである。記憶の中ではくるくるカールした幼げなうなじまで印象に残っているのにもかかわらず、久しぶりに見るテニエルのアリスは全然違和感なく確かにテニエルのアリスだったのだ。手持ちの『鏡の国のアリス』も引っぱり出して見たが、これも同じような髪だ。では、あの金髪のベティちゃんみたいな髪のアリスは誰のアリス?


990519(水)
  購入本: パトリック・バルビエ   『カストラートの歴史』   ちくま文芸文庫
    テりー・ブルックス   『スターウォーズ エピソード1 ファントムメガス』   ソニーマガジンズ文庫
    銀林みのる   『鉄塔 武蔵野線』   新潮文庫
    篠田節子   『アクアリウム』   新潮文庫
    タニス・リー   『パラディスの秘録 幻獣の書』   角川ホラー文庫
     〃   『パラディスの秘録 堕ちたる者の書』   角川ホラー文庫
     〃   『白馬の王子』   ハヤカワ文庫FT
     〃   『死霊の都』    〃
     〃   『タマスターラー』    〃
     〃    『血のごとく赤く』    〃

 今朝早くに連れ合いが台湾出張(若干2泊)に出かけていった。4時半かなんかに目覚ましが鳴る。おお、わたしは2時半に寝たのよ〜。いってらっしゃ〜い。へろへろ〜。

 2度目の目覚ましの音に呆然と起き出して行くと、昨日とは打って変わってしとしと雨降りの朝。
 目の前の公園の緑濃い木々の葉が一様にうなだれ、町中ながら鬱蒼とした木立という趣である。娘は前夜から「明日は買い弁ね!」と言っていたので、お弁当作りはナシ。

 昼休み、霧雨の中、昼食の買い出しをかねて古本屋に行き、懸案のバルトルシャイティスの本の取り置きを頼む。『バルトルシャイティス著作集』(全4巻、国書刊行会)の1、2巻のみなのであるが、もともとけっこうな値段の本。のこりの3、4巻も欲しいなあ。
 これらはローカルには「じゅるじゅる本」というくくりの本である。なぜって…
ここをみよ。いわく、「ゴシックの夜に跳梁する異形異類、繁茂する動物文・植物文…」だの、「頭部をいろいろに組み合わせて作る怪物」だの、「ワクワク樹」だの、「<死の舞踏>と朽ち果てた死骸」だの…。列挙するだけでよだれがじゅるじゅる出てくる、とは某・大ネコ氏のご発言である。
 ちなみに「ワクワク樹」は「動物を実らせる植物」のさまざまな変奏で、たとえば、梢にアダムの息子の頭を実らせ、それらの頭は朝な夕なに「ワクワク」と叫び声をあげる、とかなんとか。うう。

 銀林みのる以下は古本屋にての収穫。タニス・リーの一番下のものは確か持っていないはず。ホラー文庫の2冊は従前から目についていたが、しばらく前の掲示板のやりとりで購入することに。


990518(火)
  購入本:なし

 保育園の遠足で、葛西臨海公園へ行く。ここの水族館が出来て間もなく一度行ったことがあり、当時は海からの風がびゅうびゅう吹く吹きっさらしと言う印象だったが、あれからずいぶん整備されて、公園らしくなっていた。

 おもに西なぎさと言う人工の渚で遊んだ。海に向かって右手奥は羽田空港にあたり、離陸した飛行機が大して高度を上げる間もなくいきなり海に向かって急旋回するさまがよく見え、失速でもしないかとちょっと気になったり。

 渚はけっこうきれいで、潮だまりには2.3pから5pくらいの小魚の群がめだかのようについついと泳いでいたり、ヤドカリがいたり、また波打ち際には大小の透明なクラゲの死骸が驚くほどたくさんうち寄せられており、うちの子はクラゲにびびってしまって鼻にしわをよせていやがっていた。ふわふわしているかと言う印象のクラゲも、つついてみると意外に分厚くて重く、ゼリーのように溶けるかと思いきやいつまでもその様子がないのが妙に期待はずれだったり。

 左手には、東なぎさというもう一つの人工の渚が隣接しているが、ここへは簡単にわたれるような浅瀬はないらしく、野鳥の楽園として人の立ち入りが出来ないようになっている。
 そのためかこの西なぎさにもカモメより小さくて軽やかな白い鳥がたくさん群れており、目の前までやってきては水面をじっと見ながら空中でホバリングし、やにわに真っ逆さまに水面につっこんで小魚を獲っているのがスリリングで見飽きない。この様子のいい魚刺しは、
コアジサシだろう。

 遠くにはかなり大きな船の影も見え、ときおり流れてくる太く低い汽笛の音が逆に静かさを印象づけ、時間のエアポケットに落ち込んだかのような気さえする。
 今日は高速道路がまったく混んでいなかったためバスが予定時間の半分でついてしまったのと、渚で遊ぶのを主眼にして、よくある親子遊びのイベントもなかったのとで、芝生部分でのお昼タイムのあとまで時間を気にせず妙にのんびり過ごすことが出来、思わぬ格好の息抜きの日となった。
 やや雲が多く、海風でいくぶん肌寒い時もあったが、総じて野外にいるにはちょうどよい暖かさ。ときおり差す日は肌を灼くには十分で、厚塗りした顔はともかく、むき出しの腕はあっという間に腕時計のあとがくっきりついてしまい、あわてて塗った日焼け止めももう役に立たないのであった。


990517(月)
  購入本: 山本文緒   『恋愛中毒』   角川書店

 今日から同じ部署の6人中3人が学会出張で1週間不在なので、人口密度が低くていい感じ。

 きのうとはうって変わってまぶしい日差しの一日だ。けれども、日傘を差して日差しを遮ると風は涼しくからりとしているので、高原の夏のようだ。いつの間にか柳も盛大に葉を茂らせ、柔らかな新緑の色から濃緑へと印象を変える。構内の他施設への行き帰りは、一番木々の多いところを通るので、こんな日は役得、役得。あまりに素晴らしい天気なので、最後に建物にはいるのがどうにも残念で、足取りがすごぅく重くなるのであった。

 この日傘、わたしは高校生の頃から大好きである。帽子は頭が蒸れてあんまり好きではない。日傘を差していると、小さな木陰を連れて歩いているようで本当に好き。少しだけレース模様になって穴が開いていると、木洩れ日がちらちらするようでなお好きである。木陰を連れていった古本屋で、某氏おすすめの『恋愛中毒』を見つける。
 明日はおちびの遠足で葛西臨海公園、ここには日傘は連れて行けないなあ。涼しいのも困るけれども日差しはどうかそこそこでありますように。

 『鏡の影』まだ読み途中。なんだか読書時間がとれなくって、これ、掲示板巡りのせいに違いない。くろきげんさんの『もののけづくし』(別役実)からの引用には大笑いである。


990516(日)
  購入本:なし

 予定通り近所の寿司屋で昼食会。相当涼しいので、潮干狩り決行しなくてよかったと胸をなで下ろす。

 玄関のドアにフックをつけて、簡単なリースを懸けたりしているのだが、今は小さなかごをかけてベランダに咲いた花やハーブを飾っては、順繰りに入れ替えている。先週は毎年目を付けている野ばらの茂みから枝を折り取ってきたのを新たに加えた。今年は、今頃咲いた頃だなあと思いつつ、そこを通る機会を逃がしてしまったので、もう満開を過ぎてしまい、飾ったもののすぐに花びらは落ちてしまい悲しい思い。

 あとはひたすら掃除の一日(悲・悲)。


990515(土)
  購入本:なし

 午前中、中学の保護者会へ。長男が中3になって初めての参加である。年度始めの保護者会へは、担任が代わったので本当は行きたい気持ちはあったのだが、例年、実のある話はほとんどないままPTAの新役員決めでみんなだんまりの何十分かを過ごすのが習いなので、申し訳ないが行かなかった。

 今回は進学説明会であるが、学校作成の冊子をだらだらなぞるだけに1時間以上で、退屈きわまりなーい。前もって配って、要点を説明し、質疑の時間を設ければよいのに。学校側は毎年反省も改善もないのかと、うんざり〜

 さて、明日は楽しい潮干狩り。と、海の苦手な私はげんなりしていたが、首謀者、じゃなかった、主催者である同級生のおかあさんが、参加予定の人たちに「大変なのよう〜」と言う。「下の子(小1)が、おたふくになっちゃったのよ!」口々に「あらー、じゃあ行けないじゃない」などという反応。しかし私は思わずにっこりしそうになり内心「よかったー…」と胸をなで下ろすのであった。
 息子とその同級生たち数人とその母親の珍道中・潮干狩り編と言う予定なのだが、主催者と私のところはそれぞれ下の子を連れての参加なのである。主催者一家は自称潮干狩り一家なのでよいが、私はどうも苦手だ、海。べとべとするし、日には焼けるし、着替えその他は山のようにいるだろうし、アサリは重いだろうし、etc.ともかく、めでたく中止だぁ!と思いきや、いつの間にか延期と言う決定に。でも潮の関係もあり6月にずれ込む、と言うことは、梅雨である。きっと中止だろう、よかった!
 そしてあしたは、既に取ってあった電車の指定席券をキャンセルして、その分で寿司屋で昼食会と相成ったのであった。.す、すごい決断(主催者)。ずるずるついて行くだけのオマカセな私である。『ノスタルギガンテス』の作者による朗読&パフォーマンス(?)とはすごい落差であるが、あちらは相模大野と少々遠く、しかもよく見たら夜だからどちらにしても参加は無理なようである。

 午後はひたすら片づけ、夜は某掲示板関係の掲示板(なんのことやら)を見ていてやたらに時間がつぶれる。気がつくと今日は本を一文字も読んでいない、まずい。

 午後、ネット上でゲットした山尾悠子『オットーと魔術師』が届く。ちょうど午前中に図書館で借りたこの本を返却したところであった。
 
溝口本買い日記に同『角砂糖の日』お勧めの記述あり。曰く、「是非読んでもらいたい句集だ。 はい、ぜひ読みたいです。読ませて下さい。


990514(金)
  購入本: ローレンス・ブロック   『頭痛と悪夢』   光文社文庫

 一月ほど前、職場の構内にあった某銀行のキャッシュコーナーが取り払われてしまった。多少の手数料がかかるにせよ、金曜の帰りがけに財布が空だ!と言うときなどにも現金がおろせて便利であった。今日、職場出入りの本屋が一月分の本代を集金に来たのだが、あいにくと手持ちが足りず、そんなときのいつものせりふ(この事態よくある)、「ちょっとおろしてきますから先に他へ行って来て下さいね」を言いかけて、はたと思いだした、キャッシュコーナーはなくなったではないか!すでに昼休みも過ぎ銀行に行く時間もなく、「スミマセ〜ン!」とハエ女になって手をする私であった(足はすらない)。


990513(木)
  購入本: なし

 きのうは日差しは強かったが風がからりとしていて気持ちよかったのに、今日は湿気があってややうっとうしい感じ。保育園の入り口付近の木々が、春先に「カラスのたまり場になった」と言う理由で気の毒なくらい刈り込まれてしまったのが、いつの間にかまた緑の葉を茂らせて木陰を作っている。
 うちの前には道を挟んでちょっと広めの公園があるが、ちょうど目の前が竹藪である。突然去年の竹の葉群から抜きんでる細い槍が何本も。ついこの前出たばかりの筍が、もう4階の我が家よりも高く伸びてしまったのだ。去年の竹の方はそろそろ竹の秋。

 夕方、生協の荷物を取り込んで片づけていると、台所の片隅からなんだかくさ〜い袋が。それは先週届いたキャベツであった。表の方の葉が何枚か痛んで…というか正確には腐ってとろとろになっている。うえ〜と言いつつ痛んだところを取り去って始末したが、腐ったキャベツのにおいと言うとネビル・シュート『渚にて』を思い起こす私である。
 核戦争による地球の破滅を最後まで淡々と描く名作だが、主人公がのっている潜水艦の中に、積んでいるキャベツが次第に痛んでいくにおいが充満して行く。文明社会の終焉が腐ったキャベツのにおいで色づけ、というかにおいづけされてなんとも切なかった。日常の生活が淡々と続いている中にじわじわと終わりの日が忍び寄ってくる、大スペクタクルでないだけ余計実感を持った怖さであった。たとえ来年には地球が滅びるとわかっていても、ひとは種をまいたり木を植えたりするのだろうね(いや、今年の7の月か)。

 佐藤亜紀『鏡の影』昨夜より読み始めたが、これはおもしろい。バルタザールより好きかも。平野啓一郎『日蝕』が佐藤亜紀と引き比べられる訳が分かった。やっぱり軍配はこちらでしょう。
 佐藤亜紀は、そのユーモア感覚(というのか)が好きだ。これは女性にしか書けないのではないかと直感的に思う。

 おちびを寝かせている時、敵がクスクス笑ったりしてなかなか寝ないと「寝ないんだったらママ向こうに行っちゃうよ」と言うのだが、これいつも言いながら可笑しい。なぜって、敵が寝入った暁にはやっぱり「ママは向こうに行っちゃう」のだもの!


990512(水)
  購入本: 星野道夫   『長い旅の途上』   文芸春秋
    川端康成   『万葉姉妹/こまどり温泉』   フレア文庫
    デ・ラ・メア   『なぞ物語』   フレア文庫
    福原麟太郎   『イングランド童謡集 ほか   フレア文庫
    西条八十   『世界童謡集』   フレア文庫
    富永明夫   『赤毛のリス』   フレア文庫
    アレクサンドル・グリーン   『深紅の帆』   フレア文庫

 連れ合いのテニス肩だが、知り合いの鍼灸師に訊ねたところ、市販の湿布薬では炎症の熱がこもってしまって余りよくないので、「うどん粉を水で練って貼るのが一番!」なのだそうだ。
 この「うどん粉」って、何?いやもちろん私は知っているけれども、「銀紙」、「こうもり」と並んで私より上の年代のボキャブラリだなあ。「まえかけ」だの、「つっかけ」だの。
 でも「えりまき」、「とっくり」は言ってしまうなあ。

 ちなみに、うどん粉=小麦粉、銀紙=アルミホイル、こうもり=傘、まえかけ=エプロン、つっかけ=サンダルなのであった。

 書店で星野道夫の本の所在を訊ねたら、ついでに、注文してあったフレア文庫が入っていると言われたので、地域振興券の利用対象とする。フレア文庫は溝口本買い日記で存在を知ったもの。児童向けの文庫というので多分偕成社文庫のように紙質の厚めの実際は新書サイズのものかと想像していたら、まったくのいわゆる文庫本の体裁である。この6冊は1996年から98年にかけて出版されているが、誰がどう言った基準で選んでいるのか、興味あるところ。

 『スターウォーズ・エピソード1 ファントム・メナス』を買ったという友人、表紙が3種類あるんだってねと言うと「知らなかった…大きい本屋じゃなかったから」と落胆。見せてもらったそれは、少年アナキンのだったが、黒いバックに顔の部分の写真だけ小さく載っているだけなので、他のも似たようなデザインなら通りすがりにはちょっと見分けがつかないかも知れない。おまけに彼、「しかも今日知ったんだけど、文庫がもう17日にでるんだってぇ…?」小説版のスターウォーズをしっかり追いかけている彼であるが、今回は情報に疎かったようである。「いいじゃない、マニアならハードカバーも3冊買って、文庫もまたしっかり買うんだよ!」と元気づけてあげたが、その割に意気が上がらない様子であった。しっかりせよ!


990511(火)
  購入本:なし

 ひたすら、眠い。ひたすら、眼前の仕事をこなして昼の部を終了する。

 せっかく昼休みに行った本屋では、星野道夫の新刊がまだ入荷しておらず、空手のまま戻る。天気予報通りこのころから涼しく、次第に怪しい空模様になってきたが、一時的に小雨がぱらついたのみで何とか降られずに済んだのは幸い。

 帰宅後、夜中に帰宅予定の連れ合いから電話が入る。「腕が痛いから、帰る。」日曜あたりから腕の付け根というか肩というか、○十肩じゃないのというあたりが痛いと言っていたが、痛みには辛抱強いこの人がそう言うのは、かなり重症だ。以前かかっていた接骨院ならかろうじて滑り込める時間だろうということで、一応電話を入れておいてあげた。

 われわれは食事も終わり、我が家自慢の催眠ソファでうたた寝をしていると○十肩の持ち主が帰宅。接骨院で症状を述べると、「う〜ん、テニス肩だねえ」と言われたと白状する。「サーブをやりすぎたでしょう」さすが繁盛している接骨院のオヤジである。
 お天気のよい休日のど真ん中に、テニスの予定をどかんと入れて、○○公園に行きたいようと言うささやかな希望を聞かぬふりした天罰じゃあ。

 『ドーム郡ものがたり』読了。善と悪の戦いでなくて、よかったぁ。書かれた年代が不明の感じのするちょっと不思議な作品。
 次は、書店では入手不可になってしまった、佐藤亜紀『戦争の法』『鏡の影』。鏡と言えば、『仮面物語』、『ドーム郡ものがたり』、『鏡の影』と続いて鏡が象徴的に用いられているものが続くのがいかにも鏡の不思議を感じるところである。 


990510(月)
  購入本: 熊田千佳慕   『ふしぎのくにのアリス』   神奈川新聞社
     〃   『ライオンのめがね』   神奈川新聞社
     〃   『みつばちマーヤの冒険』   小学館
    ダーレス他   『恐怖と怪奇名作集1 シデムシの歌』   岩崎書店

 昨日行かなかった熊田千佳慕の展覧会であるが、最終日の今日になってやはり、行かなかったら後悔するに違いない!とぎりぎりの時間に決断し、時間休をとって浅草・松屋に行く。

 最終日の午後であったが、相当数の客が入っており、細密な絵でそばによってじっくり見るため、なかなか前に進まず、閉場の5時が気になってならない。

 会場を入るとすぐの、ファーブル昆虫記に即して描かれた繊細で丹念に描き込まれた絵がすごい迫力!カブトムシやコガネムシなどの昆虫、、花びらや葉、土の中などの質感がすばらしい。
 熊田千佳慕はことし88才・米寿を迎えるひとである。地面に何時間も腹這いになり、虫や花の目の高さで彼らを観察しては描くのだそうだ。
 作品の昆虫たちは、いかにもそうやって描かれたものらしく、目の前にあくまでも大きく拡大され、自分が親指姫になって虫や花、鳥たちを間近で見るような迫力である。しばしその精密さ、美しさに圧倒され近景ばかりを仔細に見るが、その向こうに描き込まれた遠景は、これも小さなものたちの目にはこう映るであろうように、あくまでも遠く別世界のように、普通の絵画とは違った遠近法で描かれている。かたすみに几帳面な「KUMACHIKA」のサインが入っている。

 昆虫の絵をしばし堪能すると、私にとっての今日のメイン、「不思議の国のアリス」の絵本の原画である!もうこれはなつかしくなつかしい、大好きな絵本で、数年前にその絵を描いた熊田千佳慕を知ったときには、それこそ「神様、ありがとうございます!」と言った心境であった。
 アリスの原画は、しかし残念ながら全部ではなくて、一番印象が強く、したがって一番見たかった、トランプの兵隊たちが白ばらに赤いペンキを塗っているシーンは展示されていなかった。けれども、表紙のラッパを吹いている白ウサギ、きのこの上に乗って水ギセルをふかしている毛虫とアリスがしゃべっているシーン、三月うさぎのお茶会、木の上にチェシャ猫が乗っているところ、などは記憶のままに鮮やかに美しく、びろうどかサテンのようなその独特の質感は覚えているとおりのものだった。見ていると展示されていない絵が次々と脳裏に浮かんできて、気づくと泣きそうになっていた。
 これらは後年原書の有名なテニエルの挿し絵を知ったときに、非常によく似ていると思ったものだが、形を変えて復刊されたものの後書きを見ると、必ずしもテニエルを参考にしながらアレンジして描いた、と言うわけでもないらしい(それにしてはよく似ている感じはするが)。
 テニエルのアリスは、くるくると巻き毛の短い髪の少女だが、千佳慕のアリスは、腰まで垂らしたゆるやかなウェーヴの長い髪に赤いリボンをヘアバンドのように結んでいる。また、私の中のチェシャ猫は、あくまでも千佳慕の描いたものだ。再会できたね、チェシャ猫!これらの絵には本名の五郎からgoroのサインが見られた。

 たくさんたくさんある原画は、みつばちマーヤなどいくつかの絵本の原画、さらに昆虫の絵、花や鳥の絵、と続く。これらは非常に細密なため、たとえばアリスの原画26枚を描くのには2年かかったと言うことである。しかしご本人は堅い一方の人かと思うとそんなことはなく、闊達な感じのおおらかな方だ。

 図録は人気のため売り切れで注文販売。これをもちろん注文し、さらに絵本を買ったが、ポスターに「売り切れ」と貼り紙のしてあるのが実に恨めしい。意を決して、店員に、会場貼りのポスターを譲ってもらえないかと訊ねたところ、最終日の閉場間近というのが幸いしたのか、意外にも「画鋲の穴がありますが、それでよければ格安でお譲りします」と快く応じてくれて、人混みから見えない片隅で大小2種類のポスターの闇取引成立。ありがとうねぇ!

 何十分か電車に乗ったので、『ドーム郡ものがたり』がかなりはかどった。和田慎二のイラストのためいっそうきちんとした清潔な感じ。ふと『童話物語』の人物の言葉遣いの汚さを思いだし、作者芝田勝茂が今これを書いたらどんなふうかなどという思いが浮かぶ。

 そういえば土曜日、書店にスターウォーズ・エピソード1「ファントム・メナス」のハードカバーが山積みになっていたが、さてどうしたものか?どなたか買いましたか〜?


990509(日)
  購入本:なし

 きのうは日中ずっと歩きっぱなしという感じだったので、今日はくたびれてしまい10時近くまでオヤスミ。まあまあのいい天気なのに寝過ごしたのでこれ以上活動する気を失う。って、まだ何にも活動してないのに。上の子ふたりはそれぞれどこやらへ、連れ合いも昼から自分の用で外出。

 懸案の、広い庭(=うちのベランダの固有名詞)の苗の定植その他。最近はこの作業をがあでにんぐとも云うらしい。植木鉢(最近はこんてな、とかぽっと、とかに改名したらしい)は先週買ってきてあったので、テキトーに植え込む。バジル(一年草)、シソ(一年草)、スペアミント(多年草、去年根腐れして枯らしてしまった)、マウンテンミント(多年草)、スカビオサ(多年草、西洋松虫草)、などなど。ほか、各種匂いゼラニウムの株の更新など。つまり植木鉢が小さくなったり株が古くなったりしたものを、大きい鉢に植え替えたり、ばっさり切って親株を捨てて挿し芽をしたりということ。
 今日は幸いに日差しもそこそこできのうほど暑くないが、やはり薄曇りの日を浴びているとかなり汗ばんできてそれなりに疲労する。たまに日を浴びるのもヴィタミンD生産に有効か。

 ちょうど今頃は、もすくすく伸び、は朝と夕方で違いがわかるほどの速度で茂って、植物たちが一番元気な時期だ。
 が見られるのは、ミニ薔薇、キンギョソウ、サフィニア、ヴィオラ、ローズマリー(咲き残り)、匂いゼラニウムたち、セージ、ラズベリーなど。
 百合もしばらくしたら咲く。ひょろひょろ枝ばかりのオリーブも、花芽のようなものがついているらしい。
 ラムズイヤーというハーブは、ちょうど白緑色のうさぎの耳のような形と大きさをしたやや肉厚の葉を茂らせている。一面に柔毛が生えているので、触ってもなめらかで本当にうさぎの耳のよう。しおれて変色した下葉を取り去るとき、ほのかに甘い、赤ちゃんのような匂いがする。これが妙に気持ちを無防備にする不思議な匂いなのである。ラムズイヤーというからには名前の元は子羊の耳なんだろうけれど、至近距離で子羊の耳を観察したことがないのでどのくらい似ているかは定かでない。この匂いはどこか動物的でもあるので、もしかしたら匂いからの連想か?ラム肉の匂いねえ…そういえばそうでもあるような気も。

 さて、ふた袋の土もあらかた空になって、土に親しむ作業も終わり。それにしても、だんご虫わらじ虫がいっぱい棲息していたのには閉口。やだなあ。

 下の息子は、この時間、昨日買ったダヤンのCD-ROMをあてがって、ナレーション付きのお話を見せる。ときどき「おはなし終わった〜」の声に、次のお話を選択してやったり。でも「またおわっちゃった〜」と、表紙ページに戻ってしまっていたりする。本人は肯定しないが、触らないのよ、と言い聞かせておいたマウスを、やっぱりいじっては、つい泣き声。「ダヤン、赤ちゃんになっちゃった」などと結構楽しんだ様子ではある。

 夕方、誰も帰宅しないままに散歩がてらおちびと洗濯屋方面へ。初夏めいた明るい夕方は、本当に気持ちがよい。人気のなくなった公園のけやきの大木の下、おちびはぶらんこや滑り台で遊ぶ。私は高い高い梢を仰いで、葉群のそよぎにうっとりとする。

 夕食後、こそこそしていた家族が、お茶だお茶だと騒ぐ。洗濯物を畳んだりして気づかないふりの私、それも疲れるよ、もう。いつの間に調達したか、どこからか姿を現したケーキでお茶をしていると、これまたこそこそやっていた息子ふたりが、くすくす笑い声をこらえつつ戻って来た様子。
 ニニを従えて顔中笑いでいっぱいのおちびが、体が隠れるほどの大きな花束を持って現れた!
 「ママ、いつもアリガトー!」恒例の母の日の薔薇の花束である、くすんだ淡いオレンジ色の薔薇がどっさり!ありがとう!と握手すると、「キシュしてあげる!」チューッ!と、大きな音をたててほっぺに暖かく湿っぽいキシュである。誇らしげなおちび。みんなありがとうねっ!

 『オットーと魔術師』読了、読み始めていながら後回しになっていた『ドーム郡ものがたり』再開。このところ図書館本オンパレードである。次は『鏡の影』ね。ただでさえ社会不適応症候群なのに、どんどんますます現実離れして行く私である。


990508(土)
  購入本: 李 碧華   『さらば、わが愛 ー覇王別姫   ハヤカワ文庫NV
    神林長平   『戦闘妖精・雪風』   ハヤカワ文庫JA
    東雅夫 他編   『架空の町 書物の王国 1』   国書刊行会
    須永朝彦 他編   『吸血鬼 書物の王国 12』   国書刊行会
    季刊  本とコンピュータ 1999 春号   トランスアート

 先日SFセミナーの際に有里さんから、猫のダヤンで知られるわちふぃーるどを描く池田あきこの原画展に行ったと伺い、私も過日わちふぃーるどのホームページから申し込んで原画展のただ券をもらってあることを思い出した。「すごーくよかった!」とお勧めだったので、今日、会場の日本橋高島屋に出向く。日本橋は行きにくいよーと言いつつ娘をひっぱって行く。第2土曜日で学校も休みなので朝起きるのも遅く、到着したら既に11時すぎで、かなりな混雑の模様。入り口前には行列が出来ているので見ると、池田あきこご本人がたった今からサイン会を始めたところであった。サイン会があるなんて聞いてないよと思いつつまたミーハー心で係員に尋ねると、次の1時からの回も既に締め切って、3時の最終回の整理券ならあるとのこと。次の用事もあるし3時では無理、とあきらめる。お目々の大きなチャーミングな方で、にこやかにサインをしておられた。

 さて会場にはいると、あるわあるわ、わちふぃーるどが誕生して初めての原画展と言うことで、相当な数の絵がこれでもかこれでもかと展示してあった。かなり大きな作品も数多かったが、本のサイズとほぼ同じくらいの小さなものもたくさんあり、そのどちらもが非常に緻密なタッチで描かれていて、いくらでも見ていられる。多くはパステル、水彩など。本よりずっと色彩が美しくて透き通った感じの気持ちのいい絵だ。それにしてもあまりにたくさんあって、娘はそのうち「おなか減ったよぅ、たくさんありすぎ〜、まだあるよぅ〜」と文句を言い出すほど。いやあ、堪能、堪能。いくつもあったジオラマも力作ですばらしかった。

 グッズや本の売場が広く取ってあり、図録の他、絵はがき、手提げ、それに高かったけれどCD-ROMを購入。先日HDDがいかれる直前に液晶ディスプレイに取り替えたので、絵を見るとなかなか透明感があって綺麗なのである(ちなみに今の壁紙はイバラードの絵でものすごく綺麗だよ〜ん)。

 あまりにおなかが減ったので(もう1時過ぎ)高島屋内でお昼にしてから、東京駅まで歩き、せっかくなので八重洲地下街で古本屋をのぞいたところ、先日TVでやっていたのを見た香港映画『さらば、わが愛 ー覇王別姫』の原作本を発見。中国語から英語に訳されたものの重訳とのこと。よく見る時間もなかったが、他にはめぼしいものなし。娘にせかされつつ、今日の用事(娘の夏の制服を取りに)のため新宿に寄り、さらに池袋へ。娘、おようふくだのリュックだのとうるさ〜い。東武・旭屋書店によって物色。このところどこでも見かけない『架空の町 書物の王国1などがあった。古本屋にも頼んであるがどうしようかなー、と躊躇するが、どうせ又あとで後悔するのがおちなので、ちょっと息を吸い込んでから手に取る。2冊とも、既に読むことが出来たものではあるが山尾悠子の作品が掲載されているのだ。
 山尾悠子の新作は近々発行の『幻想文学55号』で読むことが出来るが、
東雅夫氏によると相当期待できる模様!

 ところで、地下鉄の乗り換えの際、駅貼りのポスターでちらっと見かけたのが「熊田千佳慕(くまだちかぼ)の世界」展である。むかしむかし、講談社大日本雄弁会(逆かな?)から出ていた絵本で、『不思議の国のアリス』や『みつばちマーヤの冒険』など、非常に細密で不思議な質感の絵が印象的なものがあった。幼い頃これらの絵本は大の気に入りで、アリスの方はまだどこかにあるはず。それが先年、『季刊 銀花』でファーブル昆虫記の細密画を描いている画家の特集を偶然見つけたとき、「もしやこれは!」と思ったら、やはりそれがこの絵本を描いていた画家で、熊田千佳慕というのがその名前であることを初めて知ったのであった。行きたい!でも行けるのは明日しかない。行けるかなあ!


990507(金)
  購入本:なし

 昼休みに、寮美千子『ノスタルギガンテス』読了した。数日前から本腰を入れて読み始めたものだが、あちこちからの評判通り、これはすごい。

 クリスタルのように綴られた文が、とても繊細で同時に勁い。また村上春樹の文章と共通するものを感じた。『ノーライフキング』をも思い出させる内容でもある。
 これは、決して子供向けに書かれたものではない。けれども、われわれの、日常に埋没してしまった、あるいは風化してしまった内なる子供にじかに迫ってくる。
 私はいつも見ている世界を本当の世界ではないような気がしていて、意識の辺縁にこの世界の本当の捉え方が引っかかっているのを感じるが、それを捕らえられずにいる。多分こういう奇妙な意識は多くの人が持っているのだと思うが、『ノスタルギガンテス』には、そういった、世界の「本当の」捉え方が垣間見えるように思う。
 主人公の少年の名は「櫂(カイ)」、これはつい先日読み終えた山尾悠子の『仮面物語』の登場人物のひとりの名でもあり、そんなところにもあたかも私の目の前に正しい順序で現れた本、という気がしてしまう。

 『イバラードの世界』の画家井上直久さんが先日展覧会の時におっしゃっていたことだが、「モジリアニならモジリアニの展覧会を見たあと、すれ違う人が皆モジリアニの描いた人に見えるでしょう、そういうふうでなくちゃ本物でない」、これは本当で、井上さんの絵を見たあとは見るもの見るもの皆イバラードの世界のもののように見える。
 同じように、いま、世界を見るとき、カイの目から見るように世界が見えている(ような気がする)自分を感じる。

 未読の向きは、買ってでも読め! ほんとにおすすめ。

 これは、ぱろる舎の刊行なので、思い立って数少ない手持ちの季刊『ぱろる』を見てみると、寮美千子×田村隆一の対談があるようなので、同じく手持ちの寮美千子『小惑星美術館』と併せて読んでみようと思う。あぁぁぁぁ、また読むべき本が増えたぁ…。

 おちびを保育園に迎えに行った足で歯医者に行く。しばらく前にホンの少し欠けた歯がいつの間にかさらに欠けて、舌が引っかかって痛いのである。ついでに歯医者初体験のおちびも診て頂くと、親とふたり揃って「ガー」という羽目に。あ〜、私は歯医者は苦手、苦手!おちびには「おぉ、えらい、痛くなんかないんだよう、ほら、なんでもないよ」と言いながら、自分はこっそり「せんせぇ〜、痛くしないでくださいね〜、痛いのやだよぅ」とほとんど涙状態なのであった。


990506(木)
  購入本: 岬 兄悟・大原まり子編   『SFバカ本 たいやき篇プラス   廣済堂文庫
    篠田節子   『絹の変容』   集英社文庫
      〃   『神鳥 ―イビス   集英社文庫
      〃   『聖域』   講談社文庫
  図書館本: 佐藤亜紀   『鏡の影』   新潮社

 ニュースなどではゴールデンウィークも終わったかの様な物言いだが、世の中にはまだあと4日休みが続いている人もいるに違いないと気付き、我が身の不運を嘆く。しかも良い天気。

 さっそく本屋でちぇろ子さんの新作が載っている『SFバカ本 たいやき篇プラス』を探す。どこの出版社か忘れてしまい目につかなかったので店長に尋ねるが、なんかこの書名を口に出すのにやや躊躇。しかも「え?」と2度言わされる羽目になり汗をかく。これ、SFセミナーで初めて口に出して発音されるのを聞いたが、「ふるほん」というのと同じイントネーションで言うような気がしていたのが「天才バカボン」とおなじに「カボン」のように言われていた。書名のいわれは何?
 昼休み中にちぇろ子さんの「液体の悪魔」のみ読了。彼女の日記も近頃彼女らしさを発揮しなかなか快調じゃない、と思っていたが、この作品にも普段の言い回しが散見されにっこりしながら読む。「パラ○○○・○ヴ」か、こりゃ。ハッハ!いけるじゃん、これ。

 セミナーでもホラーに関しての話題の時に思ったことだが、たとえば「パラサイト・イヴ」の実験室の部分の描写などは、一般の人々と異なりわれわれみたいな仕事をしている人間にはあまりに日常に近すぎてちっともホラーの舞台装置として働かない。それと同じ様な事情で、ここに出てくる「放射能を照射する」という言い回しについ引っかかっちゃって若干ソンした気分だ。やっぱり「放射線を照射する」っていって欲しかったなあ、と興ざめなことを思ってしまうのである。ちなみに放射能というのは放射線を出す能力があるという意味。照射するのはあくまで放射線。一般的には混同されて使われているから、どうでもいいと言えばいいのだが、いちおう書名にSFを謳っていることでもあるのでちょっと苦言を。

 ついでに脱線するが、先日娘の高校のカリキュラムを見てびっくりした。2年生から理系、文系に分かれるのだが、文系を選択すると、高校ではいっさい物理というものを習わないのである。ということは一生物理とは縁がないということだ(かろうじて生物、地学、化学はある)。これって、普通?
 私の高校では当時このようなコース分けはなくて全員が全ての授業をとった。つまり、理系志望のものも3年まで漢文古文、世界史日本史などぜーんぶ習い、また文系志望のものも物理化学、微分積分、ぜーんぶ習ったのであった。学校側いわく、高校でこれらを勉強しないと言うことは一生勉強しないと言うことになってしまうから、うちの高校では全員に全部やらせるのだ、と。私はこれはとても大事なことだと思うしこの方針に今でも感謝している。まあ、勉強が嫌いでいやいや高校に行っているような子たちには辛いだろうなとは思うけれど…。
 で、娘は一生物理と縁がないかも知れないのだ。この宇宙時代(死語)に、物理を知らないなんて…。そりゃあ私も理系の授業の中で物理がもっとも苦手ではありましたが、ストーリーとして、というか概念として物理の知識がなかったら、世界観は全然違うと思うぞ〜!たとえばル=グウィンの世界だって、ピンとこないぞう。地球だって救えないぞう。ふえぇぇ、こーんなカリキュラム、許せない〜。

 そして、篠田節子、買い込んでしまいましたよ。あちこちの文庫に分散している模様(最初から文庫ねらい)。『絹の変容』は気持ち悪いよう、絹のシャツなんて着られなくなる!と、有里さんからセミナーの時に伺ったのでわざわざ買う(悪趣味だ)。

 帰宅時、図書館によって謎のリクエスト本を借りる。KANAZAWAさんお薦め&話題の絶版本『鏡の影』であった。以前ださこんのとき、山尾悠子『夢の棲む街/遠近法』三一書房版の美しい装丁に使われた絵が、佐藤亜紀の本と同じだと聞いていたが、どうやらこれがそうらしい。ボス『快楽の園』より「世界の創造」とのこと。
 そうらしい、というのは、私が『夢の棲む街/遠近法』を図書館から借りたとき、函もカバーもはがされた哀れな姿だったからで、函の絵はださこんオークションで見たきりなのである。しかし世界の破滅を描いたこの山尾本に「世界の創造」を用いるとは。まあ題名がそうだと言うだけで、絵自体はぴったりであるが。

 しかし読みでのある本ばっかりたくさん図書館から借りてしまって、困ってしまう。今日もさっきまでおちびといっしょに眠りこけてしまったので、また一文字も読めなかった。ううむ。

990505(水)
  購入本:なし

 かなしいかな、長かった(はずの)連休ももはや今日まで。今日は何とか晴れた!と言いながらも起床したのは遅かったし、連れ合いが11時にテニスに行ってしまってからは片づけも何もせずにこっそりセミナーのレポートなんか書きかけたり。

 午後も遅くなって、家の中の片づけを一応終わらせて、根津神社のつつじ祭りに行く。本当はもっと早い時期に行きたかったのだが、なぜか今年は最終日になってしまった。予想通りすでにつつじはほとんど咲き終わってしまったあとである。けれども晴れた暖かい夕方、程良く混みあって活気のある神社の境内で、大きな木々が新緑を風にそよがせているその下でのんびりたこ焼きを食べているのなんて、じつにいい気持ちである。息子ふたりは恒例の射的とスマートボール。
 帰路、不忍通り沿いに歩き千駄木駅へ向かう。その途中、道の向かい側に見るからに怪しい店が。…おおっ、これこそ
風野さんに教えていただいた紅茶とカレーの店、「ダージリン」ではありませんか。ううむ、これは確かに怪しい…。おもわず即、道を横断してお茶!と思ったけれども、理性がそれをとどめて「今日は遅いから今度ゆっくり来ようねっ!」と連れ合いに念を押す。ばっと振り返ること数回。

 西日暮里へ出てから池袋へ出て、先日作った眼鏡をとりにビックカメラへ行く。今までとほとんど同じデザインのものを選んだので、違和感はほとんどなし。
 JR改札前で近頃話題(らしい)「雪苺娘(ゆきいちご)」と言うケーキを売っている店を見る。先日、連れ合いが仕事先でたまたま頂いてきたので、前から食べたい食べたいと言っていた娘が、小躍りして喜んだ。
 どれどれ、と箱を開けてびっくり。「おじゃる丸」に出てくる貧乏神みたいに、角の取れたぷっくりした三角といった趣の不思議な物体が箱の中にびろ〜んとあふれている。大福の皮のようなものの中から、ところどころ、いちごや、スポンジケーキが顔をのぞかせている。「なんじゃこれー」という私の声にのぞいた娘は「ひえ〜、こんなんじゃないよぅ、つぶれてるよぅ!」と盛大にがっかり!味は良かったのだが何とも言えないお姿であった。2,3日して我慢できずに娘、おこづかいでちゃんとした姿のそれを買って帰ってきたのであった。
 ご存じない向きのために説明すると、見かけは大きな雪見大福。中にはなぜか、いちごショートケーキがすっぽりくるまれている、というものである。意外にいけるんです、これ。
 でもさすがに今日は買わず、家の近くで正しい柏餅を買って帰る。

 『ノスタルギガンテス』読中。ヒラノさんたちが強力にお薦めの理由がよくわかる。
 ところで、1日午前中にリクエスト本『オットーと魔術師』を借りたあと、夕方ふたたび図書館から留守電でリクエスト本が入ったという電話があったのだが、翌日がSFセミナーだったためそれ以後すっかり忘れていてまだ借りに行っていない。いったい、複数のリクエスト本のうちどれが入ったんだろう?明日、行ってみなくっちゃ。


990504(火)
  購入本:なし

 きのうまでの上天気とうって変わって、雨〜。なのにきのうの分とあわせてたくさ〜んの洗濯物に困惑。きのうの続きで家の中の片づけをする。

 夕方、娘が以前から「カラオケいこうよ〜」と連呼していたので、子供の日を控え、しょうがないなあ、行ってやるか。と、なぜか一家でカラオケに。しかし歌っていたのはほとんど娘ひとりなのであった。ずいぶん投資してる模様。お小遣い、減らしちゃうぞう。
 そのまま中華やに流れて夕食。辛いネギラーメン、水餃子など、店の見かけによらず意外に本格的でおいしかった。しかしほんとうにざあざあ音を立てて降るすごい雨である。あしたは晴れるようにと、日中からおちびはてるてるぼうずを作っていたのであった。


990502(日)〜03(月) SFセミナーレポート
  購入本: 山尾悠子   『夢の棲む街』   ハヤカワ文庫JA
    菅 浩江   『メルサスの少年』   新潮文庫

 水道橋・全逓会館でのSFセミナーに参加のため、フツーに起床する。いい天気なので洗濯もしたいし、ふとんも干したいし、買ったまま植えていない苗も世話してやりたいし…なのに、ほとんど何もできないまま9時には出発。

 ださこんな人々と改札で待ち合わせ。競馬新聞を持って黙々と後楽園方面に吐き出されるたくさんのオジサンの人波は、計算外であった。朝から(疲)という感じ。
 みんな濃〜いSFものと思いきや、意外にセミナー初参加の人が多い。むろん私もそのひとりだ。待ち合わせは顔見知りの人ばかりだが、
有里さんだけはみな初顔合わせ。おお、目印の角川文庫リバイバル復刊の金色の表紙を持っているこの方ですね!初めまして!(ところでこの文庫のうち何を携えていらしたのか、聞き忘れた。)

 溝口大人が現れ、他のメンバーもやっと揃った。総勢9名、これ以後終始ださこんな人々は小心さを発揮し、やたらに団体行動をするのであった。ああ空は五月の美しい空。なのに私はこれから一日、日の当たらないセミナー会場へゆくの。アンビバレントな心を抱きつつ、会場へと足を踏み入れるのであった。9階の受付では予想外の事態が私たちを待ち受けているとはつゆ知らず…。

 さて、待ち合わせ中に商談成立の『夢の棲む街』は、つい数日前、ださこんな某氏が有り難くも古本屋で見つけて代理購入しておいて下さったもの。やたー!ラッキー!なんてグッドなタイミングでありましょうか。さらに、『メルサスの少年』は、有里さんから格安で譲っていただいた。
 後刻の古本オークションは、すでにこの2冊の収穫があったので、見ていただけで参加は見送り(やや脚色)。『たんぽぽ娘』に食指が動いたんだけどあまりの眠さにパスしたというのが実状に近いか。

 いやはや、実はセミナーの前日、いつもよりも遅いくらいに就寝したせいか、セミナー夜の部では当人の意欲とは別に、気づくとこっくり…(おっと!)、またしばらくして、こっくり…(おっと!)なんていう哀しい状態になってしまったのだ。夜は強いはずなのに、どしたことでしょ。

 すでにセミナーについては他のサイトの皆さんがいろいろ書かれているようなので、とりたてて詳細は書かない。ちょっと書いてはみたのだが、どうも上記のような状態なので(泣)。以下印象に残ったことをトピック的に挙げる。(後日追加、あるいは書き直しする可能性あり。)

★★昼の部★★

 受付に到着したださこんなわれわれであったが、「開会前に行けば絶対大丈夫」との事前情報に基づき、私を含めその多くが当日受付である。参加票に記入し受付に出すと、予想外の着物姿の受付嬢が「夜の部は締め切りました」と、これまた予想外のお言葉。そ、そんなあ、と言いつつそれとなく圧力をかけるわれわれ、待つこと数分、ようやく「今いる人だけよ!」と念を押されつつ無事すべりこみセーフ!しかしあの着物姿は何(よかったけど)。

 会場を見渡すといやこれが何とも皆さん年齢不詳、しかもこの人たちの共通項は何?第三者が見たら絶対にわかりそうもない。ただ、後刻の篠田さんの発言ではないが、「一般人の集まり」じゃないことは確か(どうして)。販売ブースの『宇宙塵』発行人ご夫妻(お名前存じ上げない)など、結構なお年とお見受けし、そっと胸をなでおろす(どうして)。

文庫SF出版あれやこれや

 われわれのひとつの強い願い、絶版および品切れ文庫の復刊・再刊については皆が耳をそばだてていたところであるが、「SF界が冬と言うわけではなく、そもそも出版界全体が冬」だという発言は、ずっしーんと重かった。しかし「復刊の話ばかりしていると後ろ向きになるので、新刊の話をもっと」などとというあたりでは、出版事情ばかりでなくやはり内容的にも今の新作SFは冬なのかななどと、「むかしSF」ファンのわたしなどはつい思いがちであった。
 しかし、創元の小浜徹也さんは、前半はともかく後半はまあえらく早口で快調に飛ばしましたねえ。と思っていたら、夜の部ではあちこちに神出鬼没でつっこみを飛ばす、そういうキャラクターだったんですね!

スペース・オペラ・ルネサンス

 スペオペというと反射的にレンズマンを想起する私であるが、ここは『星界の紋章』の著者森岡浩之氏を迎えてのセッション。最近の翻訳スペオペはおろか、『星界の紋章』も読んでないよ、私。1938年生まれとおっしゃる大宮信光氏がしきりに作品における時代性の反映にこだわりたがるところが(その内容はともかく)笑えた。話がいまいち噛み合っていなかった印象である。

「雪風」また未知なる戦域へ

 『戦闘妖精・雪風』の神林長平氏の新・雪風シリーズ完結、単行本化に会わせた企画。神林氏は「戦闘機はとにかく速いほうがかっこいい。ステルスなんかレーダーにうつらないなんて、姑息だ。かっこわるい!」なんて過激発言をなさるが、見かけは長髪をひとつに結わえた、細くてソフトなおじさまで、「猫は…カワイイ!」と、とろける様な笑顔をお見せになる。このギャップにだまされちゃいけないのね、と思いつつ、書店に先駆けて会場で売られていた新刊『グッドラック 戦闘妖精・雪風』をしっかり購入してサインを頂く(ミーハー)。もちろん、『戦闘妖精・雪風』も未読なので、おいおい読ませていただきますネ。

篠田節子インタビュウ

 ああこのセッションも、わたしは『ハルモニア』しか知らないのだ。それもTVドラマ…。しかし、その時の新聞記事などによって、この方は八王子市役所に勤めておられたこと、文章講座に通われて初めて作品を書かれたこと、チェロを20年くらい(?)習っておられること、それに一応外見など、という予備知識を持っていた。チェロをなさるという点で親近感を勝手に抱いていたが。あとそれから大森望さんの日記で、篠田節子の正体なんて言うものも読んでいたり。
 篠田さんは、写真通りの、線の細いどちらかというと骨張った感じの印象の方ではあったが、実物は写真よりずっとずっとソフトな印象で、むしろノーブルな感じの、とても美しいかた。巧まざるユーモアをたっぷりお持ちとお見受けした。
 SFを書く人間は思考がどんどん外へ向かって行く拡張型で、ミステリを書くような人間は反対に思考が収束するタイプであるという分類には、そうかっと膝を打つ思いであった。やっぱりものを書くひとね。もちろん篠田さんご本人は、拡散型なのだ。
 途中、壇上の篠田さんが、にこやかな表情のままやおら「大森っ!」と大森望氏をご指名するのには爆笑!マントル対流を持ち出して体勢の立て直しを図る「大森」であった。大森日記いわくの篠田節子の正体とはコレね、とその含みもありなおさらおかしい!正体をみたかったが、夜の部にはちょっと顔を出されてすぐにお帰りになってしまったのが残念だった。チェロの話とかも聞きたかったんだけど。

★各セッション中、録音する者、メモを取る者、発言に対してなのかブツブツつぶやく者、など色々あり。いっぽうセッションをBGMに、机につっぷして盛大に睡眠する者も見受けられた。こういう大きな集まりは初めてなので、どういう人種がどういう行動をとっているのか観察するのも面白い。頭髪方面に特徴のある人が2,3おられたが、行動には特に目立ったところなし。コスプレの人々というのも多少はおられるのかなあと思ったが、それはないのね。

★昼食、夕食ともださこんな人々と台湾料理屋にて食す。実はここは以前からu-ki総統と私がそれぞれ別個に出入りの店。

★★夜の部★★

 東大前にある本郷郵便局の裏手のふたき旅館に会場を移し、夜の部(合宿)である。。
 おかしかったことをひとつ。大広間、企画部屋のほとんどは4階にあり、寝部屋は3階。しかるべき時間が来ると寝部屋から大広間などへ出て行くわけだが、大広間と言えばなぜか1階か2階という思いこみがあって、3階からぞろぞろ階段を半分くらい下りてから互いに顔を見合わせて「4階だよ〜」といいながらまた上へ戻る、ということを繰り返してしまった。ださ〜。

スターウォーズの部屋ホラーの部屋フェミニズムSFの部屋ネットものの部屋などに出没。あいまに『幻想文学』の東雅夫さんをつかまえて、山尾悠子本情報など伺う(むふふ、あとでね、有里さん)。いやこの方、声がすご〜く素敵だったんだ…!幻想的掲示板に時々でてくる黒猫ミーコちゃんは、赤いリボンを結んで、ホラー部屋の最前列で目を光らせていました(夜の部開会の頃は篠田さんに抱っこしてもらっていたね)。ここでも創元の小浜氏は話題にあがったホラー作品に「それSFじゃん!」と乱入し、それを聞いては倉坂(鬼)さんとか東さんとか、大森さんとか、三者三様の思いでやっぱり目が光っていたり。

 スターウォーズの部屋では少年時代のダース・ベイダーの写真に「かっわいい〜!」とみな歓声を上げる。「わあ、うちの子に似てる!」と親ばかな私は(いつも持ってる)おちびの写真を取り出し、安田ママさんにお見せする。ありがたや、「ほんとだ、似てる!」というご賛同のお言葉を頂きました。レポートされた渡辺麻紀さんはこれも年齢不詳なのだが、お話からすると私よりすこしおねえさん?公開当時私もリピーターでしたよん。仕事が終わって、ピューッと今は亡きテアトル東京(大画面でど迫力だったのだ)に駆けつけたものだ。

 途中で裏番組のフェミニズムSFの部屋に移動。フェミニズムについては勉強不足で語る資格はないが、最近は拳を振りかざし男社会ハンタイと運動するのではない、女性(男性も)が自分自身の視点から自分と社会のあり方を問い直す作業がなされてきているのではないかと感じているので、時間は少なかったがみらい子さんらの発言を興味深く拝聴。

 一こまお休みしたのちネットものの部屋。もう一つの目玉「ほんとひみつ」と重なってしまいがっかりだ。途中でそちらに、と思っていたが最後までネットの部屋で過ごす。
 ここではネットならではの相互作用が改めて認識される。たとえば読む本を選ぶとき、ネット上の書評や評判などをどのくらい参考にするか、など。これは私自身もかなり参考にしている。評判を聞かなければ読まなかっただろう本、また存在すら知らなかった本も多い。
 また思うに、ネットならではと言う点については、紙メディアでの投稿には、自分のスタンス、バックグラウンドなどは現れにくいが、ネット上のたとえば掲示板の書き込みでは、書き込み者各自がページを持っていればそういう点が見えて来やすい。そもそも私がページを作ろうと思ったのもその辺の動機があったわけだから。
 一方、なぜオフ会をするかと言う話題での
u-kiさんの「書くよりしゃべる方が速いから!」発言には一同笑った。彼が言うと説得力ある。でもu-kiさん、書くのだってすごいぞ。
 なぜオフ会をするか。やはりそれは、生身の人間と触れあいたいから!生身の人を知っていればいっそう理解が深まる。書いたもののみで勝負する文筆業ならともかく、やはりそれぞれの意見を持っている人自身に接して、話したり聞いたりしたいではないか。

★深夜2時頃からオークション開始である。『たんぽぽ娘』ほか2,3興味あるものがあったが、日中すでに2冊げっとしていたのと、あまりに眠いのと、じつは持ち合わせもごく少なかったのとで、途中退場(ぐすん)。

★旅館到着時、ださこんな女性で寝部屋一部屋を占領しており、オークションリタイヤ後ZERUさん、おともだちのピパちゃんと雑談。眠かったので大した話はせず。ださこんのときは同室にYAMAMOTO夫人が居られたのに、今回は別の部屋だねーなど。YAMAMOTO主人の方はホラー部屋などでお見かけし恭しくご挨拶。ださこんのときは黒眼鏡をかけてやや近寄りがたい雰囲気だったが、今回は黒眼鏡がなかったせいか、「意外とかわい〜」なんておうわさを少々。

★結局3時半過ぎに就寝、8時起床。めでたく閉会、その後本郷のルノアールにて12時までださこんな人々で朝食を取りつつまたまた本の話題が尽きない。谷田貝さんにプレイボーイ誌の池澤春菜さんの記事のコピーを見せていただく。ネット上でちらっと見てはいたが、こりゃあ確かに濃いわ〜。でもやっぱり池澤夏樹の娘が春菜なんて冗談でないかい。
 こうして無事にSFセミナー初参加は幕を閉じたのであった。あっ
KANAZAWAさんに郵政省メイルの切手代をお渡しするのをすっかり忘れた!

 セミナー終了後、なんだかんだで半分寝ながら昼過ぎ帰宅した私は、上天気なのに午後から懸案のたんす、納戸の片づけに突入したのであった(惨)。


990501(土)
  図書館本: 山尾悠子   『オットーと魔術師』   ハヤカワ文庫JA

 水曜日以来いかれていたHDDが昨日ようやく復旧し、自分専用ぱそこんに戻る。復旧と言っても、無事だったデータファイルだけ保存して、HDD自体はなにやら今までより速いのに入れ替わって来たのだそうだから、OSから入れ直しである。まあおおよそは専門家にやってもらっちゃって私がしたのは言われるままにプリンタドライバを入れたりシェアウエアの復旧をしたり、と言った程度である。だからぱそこんの知識に一向に進歩なし。

 がっかりだったのは、メイラーの送受信簿がなくなってしまったので、いくつかアドレスをなくしたものがあること。もちろんメッセージも…。
 メイルに関しては現在なぜか送信がまったく出来ないので困っている。

 ネット孤島にいる間、『仮面物語』『ムッドレのくびかざり』読了、また今日は図書館から山尾悠子『オットーと魔術師』が入った旨連絡があり、さっそく借りて読み始めた。
 夕方買い物から帰るとさらに図書館から留守電があり、もう一冊リクエスト本が入ったとのことだが、いったいどれだろう?書名を言ってくれると有り難いのだが、いっぺんに何冊もリクエストする人ってそう多くないのだろうからまあ仕方ない。でもどれが入ったのかなあ。 

 この『ムッドレのくびかざり』は、これ私の本です。って、もちろん本自体は図書館本であるが、中味は私のものである。どうして子どもの時に巡り会わなかったかなあ。
 リンドグレーンの『ミオよ、わたしのミオ』は気に入り本のひとつだが、その中に、「夕暮れにささやく井戸」と言うのが出てきて、夕暮れ時にミオたちがその井戸の回りに座っているうちに井戸の中からいろいろなお話を語る声がするのだ。この井戸は、それはもうわたしが欲しいもののひとつなのだが、『ムッドレのくびかざり』は、その井戸の中から聞こえてきそうなお話なのであった。そういえば挿し絵も『ミオよ〜』によく似たタッチである。

 また29日には尾崎翠の映画「尾崎翠を探して―第七官界彷徨」を千駄ヶ谷の津田ホールで見たりしたが、そのレポートなど、また後日あらためて空白は埋めようと思っている。うん。


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最終更新日 01/01/08 12:28:52
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