日時計 1999年10月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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<1998年> 9月 10月 11月 12月


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991031(日)
  購入本: なし

 活字倶楽部もそろそろ行き渡ったかと思い、長野まゆみファンの掲示板に実に久しぶりに行ってみると、なんだかメンバーがすっかり入れ替わっている感じ。若ーい学生さんが多いようだから新陳代謝が激しいのだろう。そういえばアリ里さん、かつくらのカラーページにつきご教示ありがとうございました。

 昨晩、娘がいきなり「なんだこりゃあ〜!」と叫びだしたので、一体何事かと台所から飛んでいって見ると、川島誠『800』を読んでいた娘がソファの上でひっくり返らんばかりに「いったい何なんだ、こりゃー、どうなっちゃったんだぁ〜!」としきりにページをめくったり戻したり。「どうしちゃったのー?」と声をかけると、「ママ、ひどいよ、これここで終わっちゃうの〜?うわー、いったいどっちが勝ったんだァ!?ヒエー、ひどいよォ〜〜、ここで終わりなんてぇ!!」と叫びまくっている。
 うひひ、そうかそうか、『800』のラストで、広瀬と中沢が800mのレースで初めて勝負を真剣に意識して走り抜き、今ゴールした!という所で、結果に言及せずスパッと終わってしまう、そこのところでもだえていたんだ!君もついに『800』仲間だ。ヒラノさん、救ってやって下さい>娘。

 『幻想文学』56号の続きを読む。普段だったら「くだん」よりミノタウロスの記事の方を先に読むだろうという志向の私だが、小松左京「くだんのはは」を読んだ勢いでくだん関係を先に読んでいる。これが、面白い。くだんはほとんどなじみのない妖怪?だが、このように流布する類似の話がたくさんあるとは。広隆寺など古い寺々をつなぐ因縁、牛の燔祭、寺で行われる謎の神をまつる門外不出の儀式、ミトラ信仰等々にまで話は広がり、松本清張か日本の奇祭か、昔か今か、というくらいに壮大なものになってゆくのであった。
 話には聞いていた内田百閧フ「件」、ほかに小松左京の「牛の首」、とりみき「パシパエーの宴」などを合わせて読めるのもサービス満点である。いやー、面白かった、って、まだ途中だけれど。

 そろそろ梨木香歩の新刊が出る時期が近づいたので、ちょっとずつ彼女の作品の読み直しを始める。まず『裏庭』から。
 これは最初に読んだ梨木作品で、このあとに『西の魔女が死んだ』を読んだのちも、こういうタイプの作品が身上の人と思っていた。けれども、その後『からくりからくさ』をはじめとして、短篇を含む他の大体の作品を読んでいるうちに、彼女の『裏庭』以外の側面がいろいろ感じられてきた。今また改めて『裏庭』を読み直したらどのようなものが見えてくるだろうか、と期待しながらの再読である。

 このサイトで紹介したいもの、自分としてもまとめておきたいものなどはいろいろあって、例えばカドフェルシリーズ、フィリパ・ピアス、ファージョン、K・M・ペイトン、ジョアン・リンガード、等々がそれである。うー、いったいいつになったら紹介できる日が来るのでしょうか。ゴッデン神沢利子もそう。なんか殆ど強迫観念である。時間が欲しい!

 今日はハロウィーンだったので、たむらしげるのCD-ROM『ファンタスマゴリア』で、年に一度賑わうゴーストタウンを訪ねる。フープ博士が最初の挨拶でちゃんと「今日はハロウィーンじゃ」と言うのだ〜。けれどもちょうど日付が変わったところでいきなりアプリケーション終了のメッセージ。ううむ。あたらしいヴァージョンが出る、出ると言いながらもう半年、あれはデマだったのだろうか?期待しているんですよー、たむらしげるさま。


991030(土)
  購入本: 井上直久   『ジパングへの道 イバラード博物誌III』    架空社
  図書館本: ルーマー・ゴッデン   『ハロウィーンの魔法』    偕成社
    加納朋子   『魔法飛行』   東京創元社
    梨屋アリヱ   『でりばりぃAge』   講談社

 きょうもまた半袖の日。10時過ぎからリュックを背負い、自転車のおちびと外出。まず、近所の公園のポニー乗り場へ。いつもは直径十数メートルの馬場を一周でおしまいなのだが、人が少ないせいか今日は二周ずつ。秋の金色の木洩れ日を浴びて真剣な様子でポニーの背に揺られる子ども達の姿は、まるで記憶の中のワンシーンのように鮮やかだった。終わって、公園内でひなたぼっこをする三毛猫に遊んでもらう。

 リュックの中味は図書館の返却本である。ポニーの次は図書館へ。おちびがあれこれ絵本を物色している間に、表紙が目についた『キリンさん』(まどみちお)を手に取る。これは「まどみちお詩の絵本2」とあり、南塚直子の美しいエッチングによって飾られている。まどみちおのぐっとくる詩は言うまでもないが、南塚直子の絵が本当に美しいので感動!この人は安房直子の作品にもいくつも絵をつけているので、安房直子のところを見に行く。きょうはなぜか本棚がとてもきちんと整理されている印象だ。読書週間だから気合いが入っているのだろうか?ここで見たのは『たんぽぽ色のリボン』。さびれかけた文房具屋「たんぽぽ堂」が、たんぽぽ色のリボンですてきによみがえり、店主のおじいさんはたんぽぽ色のリボンで出来たなわとびでたんぽぽの女の子達と空を飛んでゆくーという安房直子らしいお話。あまりに可憐で、そのうえおじいさんとたんぽぽ色の取り合わせが印象的なので、立ち読みしていて涙が出てきてしまうほどだった。そのたんぽぽ色の美しいことと言ったら…。絵と物語が一体となって夢のような本になっている。先日読んだ『うぐいす』や、『うさぎのくれたバレエシューズ』などと同様、宝物のような本だと思う。

 図書館を出て、きょうも川沿いを散歩。おちびは自転車なので、付いて行く私は否応なしに「ウォーキング」という感じになる。図書館本をあわせて7冊背負っているので、重たいよー。どんぐりの木の下を、おちびは一足先に走ってゆく。それを追い越すおばさんの自転車に、道ばたのみかん猫がびっくりしてベンチの下に逃げ込んだ、と思ったら勢いあまってベンチの後ろの溝に落っこちてしまった〜!見たぞみたぞ、大笑してしまった私が追いつくと、猫は溝の中からおばさんを怖そうに見送っているところ。こちらに寄ってきたいのに、怖さが先立つと言った風情の臆病猫だ。ようやく呼び寄せに成功してなでなでするが、いじめられたことがあるらしい様子。なんだか不憫である。しばらくお相手。

 その後もまたキジ猫、白黒ぶち猫など、全部で6匹と遭遇して今日は猫日和である。どの子もぽかぽか陽気にお昼寝。猫は、いいなぁ。結局全部で3時間近い行程で、歩きづめの私は草臥れたよ(この字ぴったり)。

 夕方長男と塾の面談にゆく。れた。しかし疲れたのは母だけらしく、ご本人はどうも受験という実感が未だにないらしい(嘆)。

 夕食後読んだのは今日借りてきた『ハロウィーンの魔法』である。息もつかずに半分、お茶を飲んでまた半分。原題"Mr McFadden's hallowe'en"、たしかにハロウィーンの日がクライマックスに来ているのだが、それだけでない広がりも深みもある、スコットランドの田舎を舞台にしたあったかーい物語である。今日昼間眺めたポニーが、主人公セリーナの忠実な?仲間なのも偶然だ。う〜ん、これは拾いもの。ルーマー・ゴッデンのなかから、どれにしようかな?と季節ものを借りてきたのだが、あたり。というより、ゴッデンのものはどれもお薦め、と言うことかも。ああ、満足。


991029(金)
  購入本: なし

 先日届いた角川書店の広報誌『本の旅人』に、角川の新刊『ぼっけえ、きょうてえ』の紹介文が載っているが、これは霊の、もとい例の『幻想文学』編集人の東雅夫さんが書いたもの。そういえばこの雑誌にはしょっちゅうホラー小説大賞の告示が載っているなあと改めて思い出す。季刊『怪』も角川だったっけ(連れ合いが読んでいる様子)。彼にに割り当てられた応募原稿の箱に、この作品が入っていたのだという。それは強烈なインパクトだったそうだ。いわく、

 払暁近く、箱の中からパラリと黒髪を垂らした白塗りの遊女が這い出して、耳元に囁きかけるいやな夢を見た。

おお、まるで鏡花。そしてこの作家岩井志麻子その人が、実際「妖艶なロングヘアの女怪」もとい「淑女」だったのだそうである。うーん、これはとてもそそられます。とりあえず『幻想文学』誌の岩井志麻子の記事から取りかかるとしようか。

 相変わらず『恐怖の愉しみ 下』ちょびちょびずつ。日中頭が痛いほど眠く、さすがに夜はおちびと一緒に墜落睡眠。久しぶりの8時間睡眠であった(まだ眠)。


991028(木)
  購入本: グレッグ・イーガン   『順列都市』   ハヤカワ文庫SF
    妹尾ゆふ子   『魔法の庭 3 地上の曲』    プランニングハウス
    活字倶楽部 '99秋号 巻頭大特集 長野まゆみ   雑草社

 この一週間ほどトイレの水の出が日に日に細くなり、ついに今日は使用に差し障りがあるほどにまで悪化してしまった。仕方なしに修理を頼む。配管の中に水垢や錆がたまって詰まってしまったらしい。住まいのメンテってお金がかかる、ごみをとって4000円也。「いいですか?」って言うから「よくなかったらどうなるの」と訊くと「うーん、むずかしいことになります」。
 そのあと相次いで一般紙と日経の集金が来たので、お財布が一挙に重力を逃れてゆくのであった(軽)。

 遠足のお弁当作りに目覚ましで起き、殆ど開かない目で半分雨を期待しつつ(昨夜なかなか寝付けなかったのだ)カーテンを引くと、おお、嵐のあとの晴天である!名残の切れ切れの雲が南風に吹き飛ばされて行く。
 願ったりの土手滑り&ざりがに釣り日和、子ども達のみの小遠足である。一日春のようなみずみずしい陽気、小春日和と言うにはあまりにも馬鹿陽気(ああ、エンジン・サマー!)。大雨のあとだったのでざりがにの釣果は上々だった模様。但し芋掘りとは違っておみやげはありません>保育園で飼育。

 夕食はなぜかきりたんぽ。ちょっと暑かったかな。おちびが食べ終わるまでの間に『タランの白鳥』を読み終わる。無駄な言葉の省かれた、簡潔な文章がつよさを感じさせる。見かけはちっとも強そうではない神沢利子さん、『おばあさんになるなんて』(晶文社)でお姿をもいちど拝見。勁い(つよい)という字がぴったりだ。ラストの二重の虹は、最近見たのを思い浮かべ、北の地のそれをはるかに思う。いやー、この人の存在は本当に財産

 今日も本屋でオールズバーグを立ち読みする。『急行「北極号」』(河出書房新社)、これはクリスマス本だ。筋立てはそれ程新奇なものではないが、ややもやのかかったような雰囲気の、押さえた色調の緻密な絵が強い魅力を持っている。しかしどうして、何冊もまとめて入っているのだろう?店員のひそかな趣味か。ドノヒトデショウ。

 活字倶楽部秋号は長野まゆみ特集だがモノクロのいかにも雑誌という誌面なので、せっかくたくさん載っている表紙や本人のイラストの図版も興ざめ。一方読者投稿のイラストが巻頭カラーなのは天秤に掛けてこちらを取ったわけ?それともいつもこうだっけ?


991028(木)
  購入本: グレッグ・イーガン   『順列都市』   ハヤカワ文庫SF
    妹尾ゆふ子   『魔法の庭 3 地上の曲』    プランニングハウス
    活字倶楽部 '99秋号 巻頭大特集 長野まゆみ   雑草社

 この一週間ほどトイレの水の出が日に日に細くなり、ついに今日は使用に差し障りがあるほどにまで悪化してしまった。仕方なしに修理を頼む。配管の中に水垢や錆がたまって詰まってしまったらしい。住まいのメンテってお金がかかる、ごみをとって4000円也。「いいですか?」って言うから「よくなかったらどうなるの」と訊くと「うーん、むずかしいことになります」。
 そのあと相次いで一般紙と日経の集金が来たので、お財布が一挙に重力を逃れてゆくのであった(軽)。

 遠足のお弁当作りに目覚ましで起き、殆ど開かない目で半分雨を期待しつつ(昨夜なかなか寝付けなかったのだ)カーテンを引くと、おお、嵐のあとの晴天である!名残の切れ切れの雲が南風に吹き飛ばされて行く。
 願ったりの土手滑り&ざりがに釣り日和、子ども達のみの小遠足である。一日春のようなみずみずしい陽気、小春日和と言うにはあまりにも馬鹿陽気(ああ、エンジン・サマー!)。大雨のあとだったのでざりがにの釣果は上々だった模様。但し芋掘りとは違っておみやげはありません>保育園で飼育。

 夕食はなぜかきりたんぽ。ちょっと暑かったかな。おちびが食べ終わるまでの間に『タランの白鳥』を読み終わる。無駄な言葉の省かれた、簡潔な文章がつよさを感じさせる。見かけはちっとも強そうではない神沢利子さん、『おばあさんになるなんて』(晶文社)でお姿をもいちど拝見。勁い(つよい)という字がぴったりだ。ラストの二重の虹は、最近見たのを思い浮かべ、北の地のそれをはるかに思う。いやー、この人の存在は本当に財産

 今日も本屋でオールズバーグを立ち読みする。『急行「北極号」』(河出書房新社)、これはクリスマス本だ。筋立てはそれ程新奇なものではないが、ややもやのかかったような雰囲気の、押さえた色調の緻密な絵が強い魅力を持っている。しかしどうして、何冊もまとめて入っているのだろう?店員のひそかな趣味か。ドノヒトデショウ。

 活字倶楽部秋号は長野まゆみ特集だがモノクロのいかにも雑誌という誌面なので、せっかくたくさん載っている表紙や本人のイラストの図版も興ざめ。一方読者投稿のイラストが巻頭カラーなのは天秤に掛けてこちらを取ったわけ?それともいつもこうだっけ?


991027(水)
  購入本: なし

 昨晩、月はどうかなと外を見ると雲が出ていて、いよいよ天気も怪しいなあと思っていたら、朝から雨である。レインコートを着て出る。意外にちっとも寒くない。
 帰宅時はまあ普通の降りだったのが、保育園を出ようと言うときになって、ものすごい土砂降り。やったあ!良かった、レインコートにぬれてもいいパンツで!玄関先で様子を見ている何組かの親子を後目に、喜んでおちびと豪雨の中へ出て行く。しぶきでけぶっているほどの降り、時折紫色の雷も光る。じつは大雨の中を歩くのって、大好きなのだ。もちろんこれから出勤、と言うときはゴメンだが、今日みたいに濡れてもかまわないなりをしていて、ダシになる子どももいて、おまけに寒くも暑くもなく風もたいしてないとなれば絶好のチャンス!いっそ傘もささないで歩きたいくらいだがさすがにそれは良識がストップをかける。
 ひざから下はふたりともぐっしょり、玄関をあがれないくらいになって帰ったが、いや〜、楽しかった!

 相変わらずあちこちつまみ読みをしつつ、図書館本の、神沢利子『タランの白鳥』を読み始める。今週末に返却しなくてはならないのに忘れていた。面白い!!『銀のほのおの国』もおもしろかったものなあ。明日には読み終わりそう。

 あすはまたおちびたちの遠足(子どものみ)。電車に乗っていって、川で土手滑りほか。でもこの天気で本当に明日は予報通り晴れるのだろうか?またお弁当作りだよ。

 天沢退二郎の児童文学を再版しろ〜!とここで言っていてもしょうがないので、筑摩書房にメイルしようと思ったら、あそこってホームページがないのであった。むす。


991026(火)
  購入本: ミラン・クンデラ   『不滅』   集英社文庫
    SFマガジン 12月号    早川書房

 昨日デデさんから教えていただいたこれ、あまりに面白すぎなので掲示板からこちらに昇格。私としては現代思想文バージョンが最高に気に入り。内容空疎なところがぴったしのニム・トップページ現代思想文風変換版(祝祭的興奮)

 久しぶりに本屋へ。そうでもないか。SFマガジンをぱらぱらみて、グレッグ・イーガンの『順列都市』が出ていたことにまったく気づかなかったということを知る。おかしいなあ、池袋でも新刊文庫はチェックしているのに。確かにこの本屋では見かけていないぞー。
 『不滅』をいちおう購入したがうーん、1000円。最近お昼代を節約している私にはやっぱり高いという実感がある。
 中学生の頃、風邪で数日寝付いていたとき、母が何か本を買ってきてやるというので、それまで高いので図書館本で我慢していた『星の王子様』を喜んで頼んだ覚えがあるが、当時600円。大人になったら好きなだけ本が買える、と期待に胸をふくらませていたが、大人になってみてもやっぱり本は高かった。いや、それでも本の値段は安すぎる、なんて言わないで〜、単なる「実感」なんですからー。

 『山尾悠子作品集(仮)』について国書刊行会にさっそく問い合わせたところ、発行時期は来年の4月頃、1巻本で700ページ程度(うひー)とのこと。装丁はどんなふうか訊くのを忘れたが、ともかく大変なヴォリュームになりそう、上下巻くらいにしてくれないかな。
 また『怪奇小説の世紀』は品切れと聞いていたのでこれについても訊いたところ、再版検討中とのお返事であった(嬉)。筑摩書房はよく見習うように>天沢退二郎関係。

 先日来、あちこちのサーバーの2000年問題対応のメンテのせいで使えなくなっていたFTPソフト『小次郎』が、作者のすばやい対応のおかげでめでたくバージョンアップ(3.10)、再び使えるようになった。ああ、よかったー。お世話になります。


991025(月)
  購入本: なし

 この数日、あれこれちょっとづつつまみ読みをしているので、あまり読んでいる実感がない。けれども『恐怖の愉しみ 下のなかの「失踪」「色絵の皿」「壁画の中の顔」はいずれ劣らぬ面白さで、こういうものならいくら読んでも飽きず、尽きない楽しみ。
 こうなるとしばらく前に買って置いた『怪奇小説の世紀』、2と3しか持っていないのでやはり1も欲しくなる。すっかりはまったかも。

 このところ、毎夜皓々とした月が見られる。9月のお月見とは違い、地上はすっかり静まりひっそりとした風情。反対に月は凄みを増している。月齢は15.9。旧暦では9月の17日。月見とは8月十五夜、9月は十三夜だというが、土曜の夜見た月はだいたい十三夜ということで(13.9)。

 『月 書物の王国4から、山尾悠子「月齢」を読む。
 夏前にある程度まとめて彼女の雑誌掲載作を読むことが出来たが、これは未読(「NW-SF」1982年12月収載)。さまざまな作品の中で、月の描写には忘れられないものがある。凄惨で、白く、目を灼くような冷たい熱さを放射している。
必ずそのようなシーンではある種のこの世ならぬ音楽を感じるが、この作も例外ではない。
 やっぱりこの4巻は、ちょうどきのうあたりの満月を意識して出されたのだろう…いつもならしばらく様子を見てから購入するのに、帯に大きく書かれた
 月 と言う文字に、殆ど反射的に手が出てしまったのである。

 月ならやはりしゃれみたいに月並みかも知れないが竹取物語だろうか。最後のシーンはエキサイティング、というイメージがある。

 幼い頃古本屋で買ってもらった「コドモノクニ」の、武井武雄(だと思う)の月の本が今も印象に残っている(いつの何かはわからない)。洋服を着たきつねの男の子が夜道を走って行く、空にはお月さまがどこまでもついてくる。満月に照らされた川の、泡立つ流れに洗われる岩の上には、たくさんの蟹がハサミを振りかざしている。今思うとあれは、満月の夜、己の影におびえる蟹、なのかもしれない。井戸の底のカエルをまっすぐにのぞき込む月。井戸は見事にまっぷたつの断面として描かれている。夜空が黒く描かれていないものが多く、子供心に新鮮だった。この本は実家のどこかに紛れていると思うのだけれど。

 また、ファージョンの『銀のシギ』、これは本来戯曲として書かれたものだが、トム・ティット・トットの伝承と月から落ちてきた男の話の二つを融合させて、最後がやはりかぐやひめを連想させるような夢幻的なシーンである。"Silver Curlew"という原題に、"Curlew River"を連想したり。どちらも気が触れているところが確かに共通しているかもしれない。


991024(日)
  購入本: A.E.コッパード   『郵便局と蛇』   国書刊行会
    バルトルシャイティス   『バルトルシャイティス著作集4 鏡』     〃
    須賀しのぶ   『帝国の娘 前編   集英社コバルト文庫

 昨晩、小松左京「くだんのはは」を読み返してから『幻想文学56号』のくだん特集を少し読む。人と牛で「件」。これは牛の身体に人面とか。いっぽう「くだんのはは」は少女の身体に牛頭の「牛女」。うーん、どうも連想するものが気色わるいぞ。
 今号には山尾悠子作品は載っていないが、かわりに『月 書物の王国 4に彼女の「月齢」が収録されている。と思っていたら、
こちらのほうに久しぶりにご本人が。
 折しもすばらしい月夜である。

 午後、金曜日に電話がかかってきた古本屋に行く。国書刊行会の本がまとめて入ったから見に来いと言うのである。魔法の本棚シリーズからA.E.コッパード『郵便局と蛇』、これで全冊揃い。ほかに書物の王国から5冊(これは金欠病なので来月ひきとり)、あと既刊分は『18.妖怪』と『19.王朝』のみ。
 「電話したあとで、これもはいりました」と、バルトルシャイティス著作集4 鏡』が出てきたのは思いがけなかった。さらにそのあと裏から「3もありました〜」と、『イシス探求』も登場。これ、もとが高いのでとても新本では買えません(これも来月おひきとり)。
 帰りがけに天沢退二郎のオレンジ党関連5冊をお願いする。するとおじさんが「あれはすごくいいよね!ほら、あれ」と言うから「光車!」と言うと、「そうそう、光車。あれ、いいよね!私、1冊持ってるんですよ、でも1冊しかないからね」とニッコニコしておっしゃる。たまに出るそうなのでしっかりお願いした。
 以前ここで購入した牧神社のデ・ラ・メアの本3冊は、じっさい掘り出し物だったらしく、「あれ、お客さんでしょ、買ったの。店番のものがこっち(児童書)に置いちゃったから、(幻想の方へ)ならべかえなくちゃと思っていたら、すぐ売れちゃった、よく見てるなあと思って」と嬉しそうである。「あれは自慢させていただきました」「そうでしょ!」
 最近はマンションの古紙・雑誌の回収日にはつい、回収場所に出ている古本の束に引き寄せられてしまう私である。「児童書とSF、幻想関係は回収に出す前に当方にご一報を!」と貼り紙をしようか、と半ば本気で考えもする自分がオソロシイ。

 このあと帰りながらさらに2軒、今まで寄ったことのない古本屋にひっかかり、2軒めで先日買いそびれた『帝国の娘 前編』を発見。きのうリブロになかったのでラッキー。

 さすがに半袖にベストでは寒くなってきた夕方、帰宅してきのうから懸案のカレーを作る。
 買いすぎた紅玉がゴロゴロしているので、娘に声をかけると、「ちょうど勉強に飽き飽きしたところ」といって、先日調理実習で作ったという「アップルレーズンタルト」なるものを作成してくれた。「すっごいアバウト」というそれは、タルトというかパウンドケーキのおともだちというか、じっさい
超簡単なレシピで、そのわりにはとてもおいしい。きのうからお菓子を食べ過ぎで、うーん、確かに秋を満喫には違いない。


991023(土)
  購入本: ガルシア=マルケス   『百年の孤独』   新潮社
    カール・シューカー   『龍のファンタジー』   東洋書林
    東雅夫他・編   『月 書物の王国 4   国書刊行会
    幻想文学 56号 くだん、ミノタウロス、牛妖伝説    アトリエOCTA

 朝寝坊してみれば、きらきらと輝く秋の日が窓の外に広がっている。黄色みを増した葉群が風にひるがえり、わけもなく胸がざわつく。
 午前中に用事を済ませて午後はこの素敵な一日を堪能しよう…と思ったのも束の間、なんと10時から自治会の役員の打ち合わせに、連れ合い(今から名古屋へ)の代わりに出席せよとのお達しである。聞いてないよ。うえーん、そうと知っていればちゃんと早めに寝て早起きしたのに、もう取り返しのつかない9時なのであった。あわてて洗濯その他。一週間たまった家事なんか30分やそこらで済むわけないぞよ。……終わって帰ってくると1時半。ああ、失ってしまったかけがえのない秋の日を、返せー!

 憮然として食事など。その後、家事などどうでもいいや、とちびを連れて散歩兼本屋。バスのかわりにてくてく歩いて、最終的に池袋に出る。今日は西武百貨店に用事。

 25だか26だかに発売と聞いていた『幻想文学56号』をリブロで早くも見る。こういう特集、と言うのは先頃から聞いていたけれども、実際に表紙をみると「ぶ」と言ってしまったほど何とも面妖というか冗談きついよというか。

 『月』を含む数冊を背負い、おちびと手をつないで歩いて帰ってくると、もう日も暮れ、東の空には見よ、満月近い月がかかっているのであった。


991022(金)
  購入本: 重松清   『エイジ 1998 6.29〜8.15   朝日新聞社
    パトリシア・マクラクラン   『明日のまほうつかい』   ベネッセ
    ルーマー・ゴッデン   『クリスマスの女の子』   ベネッセ
    神沢利子   『ちびっこカムのぼうけん』   理論社

 ゆうべからずっと、いつも使っているFTPソフト「小次郎」が、「サーバー側のタイムスタンプを要求」というところでビジー状態になったきりで、まるきり転送できない。むこうのメンテかなにかかなあと思ったが、今朝もだめ、帰宅後もだめ。小次郎の掲示板に行くと、なんでもso-netでは確かにメンテのせいでそのような状況が出ているらしいが、うちはso-netではない〜。
 仕方がないので、日本語で一発転送できるソフトを捜したところ、いいのか悪いのかわからないが、「FTP Exchange」というのを見つけて、ぶじ転送終了。うーん、小次郎いかれちゃったかな?

 『エイジ』の、新聞連載時のままの版が出たというので見に行く。あたかも長谷川集平のイラストのみの本のようだが、そういうわけではない。新聞のようなざら紙に、大きめの活字が用いられ、見開き2ページが一日分で左頁の上半分がさし絵である。あっ、これすてき!と、一冊しかなかったそれを急いで抱え込んだのであった。
 私は重松清のものは、娘に先に読んでもらおうと思い何冊か購入はしたが、自分ではまだ『ナイフ』しか読んでいない。この薄い『エイジ』はあの分厚い『エイジ』とはどうちがうのだろう?後ろの、山本周五郎賞受賞の『エイジ』の広告のところには「新聞連載に大幅に加筆した傑作少年文学」と書いてある。なんだか楽しみ。

 この新刊書店に続いて古本屋に足を向ける。店の外の100円の棚に、児童書がどさっと出ており、上記3冊300円で買う。
 帰宅後この店から電話、だいぶ以前に国書刊行会関連をいくつか頼んでおいたが、何冊か入ったから見に来いとのこと。うーん、金欠病なのに(重症)。

 きのうの演奏会がはねたあとの、寮美千子さんとの食事の際は、もうめいっぱい笑って頬の筋肉がだるくなってしまったくらい。
 ださこん2の寮・東対談で伺った、「うっかり」ネパールに行った話、だから、どういうふうに「うっかり」しちゃったのか?とか、天沢退二郎はいかにすごいか!とか、ホームページというものの作家にとっての有用性について。どういう訳でうちには子どもが3人いるのか。親離れ、子離れと医者の話。廊下と老化の共通点について。うさぎのおめめはなぜ赤い。レイプとお友達について。長野まゆみと寮美千子の大きな差異。『プラテーロとわたし』そして散文詩について。幻想文学編集長・東さんは一体女性を恋愛の対象と見ることがあるか?その他諸々、あっちこっちと話題は飛び回るのであった。

 さて、最後の客となりそろそろ会計である。「私がはらう!」と寮さん、おもむろに○○カードを取り出すが、出すより早く「○○カードはお取り扱いしておりません。それ以外でしたら…」と鼻先でぴしゃり。あわてて「じゃ現金で…」とあせって財布をかきまわすが、現金が…その…。(以下自粛)
 かくしてわれら働く女性は割り勘ですっきり!<書いちゃった、寮さーん!またお会いしましょうねぇ。

 その寮さんのサイン本『しあわせなキノコ』『ほしがうたっている』読了。やっぱり寮さんは、詩人、と名乗りましょう。絵を描く人、音楽をする人、ものを書く人、そのほか用いる媒体が何であっても、詩人、としか言えない人っている。

 今日日中、FMでドヴォルザークの弦セレ(あんまり素敵でない略語、=弦楽セレナーデ)を聴いた。指揮はヨゼフ・スーク、演奏はたぶんその仲間、弟子たちに当たる連中だろう。この曲は本当に胸を騒がせる、だい大好きな曲。ドヴォルザークゆかりの地で生まれ育っただろう彼らの演奏は、さすがに美しい…。でも、なにかが違う。
 彼らの演奏は、よそから来て去って行く観光客、と言って悪ければ、すぎさってゆく旅人の視点だ。
 なぜそんな風に感じたのだろう、音質も良くないポータブルのラジオの音で。地球が急速に狭くなってきて、どこへ行っても均質化してきている、そんな現れなのだろうか。ドヴォルザークの地の演奏家だからと言って、必要以上にローカルな香りを求めるのは今の時代、もう無理で無駄なことなのだろうか。人ってそういう拠り所がなくてやっていけるのだろうか。
 それにつけても、先年亡くなったヴァーツラフ・ノイマンを痛切に思い出す。彼はマーラーのすぐれた解釈者であり、チェコフィルの指揮者として長く活動してきたが、彼の演奏ぶりはまさに詩人と言うべきものだった。実際に演奏会に行く機会があったのは、いずれもチェコフィルで「わが祖国」全曲、ドヴォルザークの交響曲7,8,9番(すごい!)、マーラーのたしか5番、この3回きりだったが、初めて見て聴いたときに「ああ、この人詩人だぁ!」という思いがぱっと浮かんできたのである。以来、彼はずっと私の中で詩人であり続けたが、どうやらそれも記憶と記録の中に残るばかりの、過去のものになってしまったようだ。

 えらく保存状態の良いマンモスの死体が発掘されたらしいが、あいやー、ほんとにキリンヤガネタが現実に〜!?


991021(木)
  ありがた本: 寮美千子   『しあわせなキノコ』   思索社
     〃   『ほしがうたっている』    〃

 目覚ましに起きると今日こそ上天気!まだ薄い水色の朝の空は、冬の気配に満ち、ガラス窓を開けると冷気が流れ込む。晴れている分、冷え込んでいるのだ。日中は暖かくなりそうな様子、芋掘り遠足にはおあつらえ向きの天気である。お弁当、お箸、お茶、シート、お芋を入れる袋、お手拭き、そして忘れてはならない着替え。朝からリュックはパンパンだ〜。

 夕方、ゼミの順番をようやく(低空飛行で)クリヤーした後、急ぎお茶の水・カザルスホールへ。御大グスタフ・レオンハルトのオルガン・コンサートである。きょうは寮美千子さんとご一緒。当日券は完売で、実際ホール内は大盛況、ただでさえ狭いロビーは人でぎっちりである。おまけに煙たい

 カザルスホール、紀尾井ホール、津田ホールなど、大体同じくらいの規模の小綺麗なホールはいくつかあるけれど、どれも喫煙所がきっちり分かれていないのはどうしてだろう。いずれもここ10年ほどの間に出来たホールだから、この点に関してはもう少し配慮されていても良いのに、意外にダメダメなのだ。割りによく行くこの3つのホールのなかでもっとも煙たいのが津田ホール。ホール自体はとても好きなのだが、飲み物を買いに行くにも、トイレに行くにも、煙幕地帯を抜けて行かなくてはならないので、ちょっとつらい。
 上野の小ホールはロビー自体が広いので、それ程煙害は感じずに済んでいる。
最近ここにはご無沙汰だが、独特な雰囲気で、やっぱりここが一番好きかも。

 終演後近くのロシア料理「サラファン」で軽く食事。とか言って、最後の客として長々居座り、おにーさんの「早く帰んないかなーこの客」視線を見て見ない振り。人生談義&文学談義(ほんとか)に女ふたり盛り上がったのであった。
 この店は今を去ることン十年前、ロシア人のおばさんと日本人のおじさん(ご夫婦のはず)がやっていた小さな洋食屋と言った趣であったが、のちに場所が変わり、おばさん達もリタイアしてしまってからは初めてである。いくぶん取り澄ました感じの今風の店に変わってしまい、メニュウにも「○○(TVの番組名)でおなじみ!」などのコメントがついていたりで、う〜ん、あのころのあったかい雰囲気が懐かしい。
 あるときメニュウの中からいつもと違うものを、と思いなんだかよくわからないもの(忘れた)を注文すると、おばさんがカウンターの中のおじさんに聞こえないように顔を寄せて言ったものである、「だめだめ、それはおいしくない!こっちにしなさい、これはおいしい!そっちはよしなさいね!」おばさん、まだお元気でいらっしゃるのだろうか!

 『怪奇小説傑作集1』(「秘書奇譚」「炎天」「緑茶」)を終え、『恐怖の愉しみ(下)』にとりかかる。デ・ラ・メアの名に惹かれてなぜか下巻から。携帯の利便性から、つい文庫が先になる。


991020(水)
  購入本:なし

 目覚ましの執拗な音にいやいや早起きすると予想通り外は暗く、雨。あーあ、芋掘り遠足も明日に延期だ、お気の毒。おちびはかぜ気味なので、延期となって良かったかも。実際、帰宅後の感じではどうやらきのうよりは体調良くなったようす。

 昼休み「いも虫」(『怪奇小説傑作集』収載)読了。それ程気持ち悪くなかったので許す。いも虫といっても何となくお蚕さんのような感じ。唯一蚕だけは(今はともかく)高校時代、かわいいとすら思い、飼ったことがあるのである。手に乗せてなでなでしてやる位、きれいなものだと思った。
 この話のいも虫は、足がまるで蟹のようだと言うので、登場人物が「キャンサー(蟹)」と言う呼び名を与えるのだが、キャンサー(cancer)にはガンという意があり、夜中にいも虫の大群におそわれた男は後にガンに冒され、そもそもそのいも虫は末期ガンの患者が泊まった部屋から発生したのだった、というようなオチ。

 これは昼休み前半に読んだのだが、後半は睡魔があまりに強力だったので、休憩室に行ってタイマーを目覚まし代わりに30分仮眠。
 小間切れに寝てもなんとか持つ、というのは、子育てをしている女性が多かれ少なかれ獲得する(せざるを得ない)習慣ではないだろうか。
 赤ん坊の頃のうちの子たちは、夜は殆ど起きたことのない親孝行の娘はともかく、長男、それに輪をかけて次男は夜の寝が浅かった。しょっちゅう泣いたり、おっぱいを欲しがったり、2時間と続けて眠れることがなかった。次男は5歳になった今も、しょっちゅう夜中に盛大に寝返りを打ったり蹴飛ばしたり寝言を言ったりするので、相変わらずこちらの眠りはずたずたに分断される。7月に子ども抜きで釧路に行ったときは、何年ぶりかで長時間続けて寝た、という実感があった。いや、ほんとに。
 今も10時前後におちびを寝かしつけてそのまま2時間ほど寝てしまい、真夜中頃起き出してネットに接続、2時頃更新、と言うことがしばしばあるので、人からは「いったいいつ寝ているの」と言われるが、こうした長年にわたる習慣のおかげで、毎夜のネット遊びにも耐えていると言うわけである。でもやっぱり眠い〜。

 昨日のシベールのお菓子、食べようと思って個装を手にとってみたら、そこにはちゃんと電話などが記載されていたのであった。失礼!


991019(火)
  きのうの購入本: ポール・ゴーギャン   『ノア ノア』   ちくま学芸文庫

 突然寒いくらいになってしまって、またもや着るものに困る。季節が変わるごとに、「一体去年の今頃は何を着ていたっけ?」と思う。
 急に気温が低くなったので、子ども達もそれぞれにやや風邪っぽく、特におちびは、のど・鼻・そして眼の粘膜に炎症がおきてしまって、泣いた後のようなうるうるおめめになってしまった。おまけにあしたは芋掘り遠足(親は付いて行かない)なのに、外は今、冷たい雨である。迎えに行ったとき見ると保育園のベランダにはてるてるぼうずがたくさん結びつけられていたっけ。頑張れ、てるてるぼうず達!

 山形から帰ってきた連れあいが、どさっという感じでよこしたおみやげは、シベールの焼きチョコレート、リンゴのケーキ、ごまのケーキの詰め合わせ。わーい、わーい、嬉しいな!この店はラスクがおいしいので、ここで紹介しているのだが、今日買ってきたものを見ると、包装紙にも箱にも、袋にも、どこにも連絡先が書いていない。販売戦略上重大なミスだよ。だって、このラスクの記事にたいして、今まで何件かお問い合わせを頂いたが、どれも「ひとつ頂いておいしかったのに連絡先がわからない」と言うようなものだったからだ。ちょっと電話番号でも書いておけばいいのに〜。

 風野先生も要町のブックオフにいらしたんですね。どの人も「ブックオフは古本屋じゃない!」とか何とか文句たれながらも、ついいっぱい買っちゃうというのが、何とも…。

 昼休みなどにちょっとずつ読んでいる『怪奇小説傑作集1』は「幽霊屋敷」「エドマンド・オーム卿」「ポインター氏の日録」、あまりにも有名な「猿の手」、そして「パンの大神」まで到達。
 怪奇、と言ってしまうと最近のホラーから連想して血が、臓物が、でろでろのスライムが、うんぬんのおぞまし〜いものを想像しがちかも知れないが、これらは決してそれらのようにはえげつなくない(時にグロテスクであっても)。まして30年前の訳文は未だにやや文語調を残し、まるで講談か江戸川乱歩か(乱歩って文語調だったかな?)という感じ。
 つぎが「いも虫」と言う題なので、なかなか手が出ないでいる。ぢつはカフカの『変身』も、伝え聞くに気持ち悪すぎて、未だに読んでいないという体たらくなのであった。


991018(月)
  購入本: なし

 いつものごとく、あせって自転車で出勤しようと、ひとこぎ、ふたこぎするとひどいガタガタ。後輪の空気が抜けている。金曜日にも同じことがあって、マンションの管理人室へ走って空気入れを借りてぱんぱんに空気を入れたばかりだ。とても乗っていけるようではないので、再び空気入れを借りる。うう、ほとんど遅刻。
 そして帰宅時、なんとまたもや空気が抜けかけている。途中の自転車屋に寄って、ムシを替えてもらうが、「これで明日また抜けていたらパンクだね」と宣告される。なんだかこの自転車は、はずれ。ブレーキの具合も良くないし、スタンドも調子悪いし、ライトもやたらに音がするし、天下のぶりじすとんなのに。

 ひさしぶりに失礼小説集をよむ。面白すぎー!(マドカさん口調) 
 これでまたネット地獄にはまってはイケナイ、と次回、もとい自戒。

 昼休みに本屋でオールズバーグの絵本を探す。『西風号の遭難』をまるまる立ち読み。よほど買おうかと思ったが、先ほど銀行口座の残高を確認してきた結果を思い出し、断念。でもすてきだったよ〜。だいいち「西風」の響きが良いではないか。なぜか西風、と言うとC・S・ルイスの『愛はあまりにも若く』(いや、すごい邦題)を思い出す私である。

 オールズバーグの絵本については、MAKIさんから情報を頂きました。有り難うございます。河出書房新社の他にほるぷからも出ているとのことです。しかしほんとに検索しにくい、この人。


991017(日)
  購入本: 小野不由美   『月の影 影の海 上下』   講談社X文庫
    J・K・ジェローム   『ボートの三人男』   中公文庫
    重松清   『幼な子われらに生まれ』   幻冬舎文庫
    池澤夏樹   『南の島のティオ』   文春文庫
     〃   『スティル・ライフ』   中公文庫
    H・P・ラヴクラフト   『ラヴクラフト全集 1〜5』   創元推理文庫
    C・V・オールズバーグ   『ハリス・バーディックの謎』   河出書房新社
    須賀しのぶ   『帝国の娘 (後編)   集英社コバルト文庫

 朝、連れ合いがおテニスにいってしまってからぱそこんを立ち上げると、なんと池袋・要町交差点近くにブックオフが出来たとの情報が。おおっ、池袋ならこれから東武百貨店の北海道物産展に行って六花亭のお菓子を買おうと思っていたところである。なんとグッドなタイミング。上の子達がまもなく定期試験のため、少しは静かに勉強に専念させてやろうという配慮から、おちびというお荷物を連れて行かなくてはならないが、池袋から有楽町線に乗れば一駅だからまあ楽勝だ。
 六花亭のマルセイバターサンド、生チョコ、それに長男のリクエストのイカめし(六花亭ではない)を仕入れたのち、もうひとつの懸案・秋冬用の靴を買ってから、要町に向かう。

 要町で降りると地下鉄の通路にはすでにブックオフのポスターが。おお、なんと、10/16開店、それはきのうではあーりませんか。道路向こうの大ネコに向かって手を振ってから、突入〜。
 先日の町田・巨大ブックオフほどではないが、1階・コミック、CD、雑誌など、2階・単行本、文庫本類と、そこそこの量はあった。ただし目玉のようなものはこれといって見あたらず、ごくフツーのものばかりのような感じ。上記の須賀しのぶ(有里さん、買いましたよん。でもよく見たら後編だったのだ)以外はここにて購入。電車賃をかけてもやっぱり安いよなあ、と思う。
 長男などは、喜んでCDやヴィデオをさがしに来るのではないだろうか。

 このうち『ボートの3人男』は、昔から愛読している、J・K・Jのテムズ川下りの観光案内兼抱腹絶倒ユーモア小説で、最近まで手に入ったようだが今はおそらく絶版のもの。機会があったらぜひ一読されることをおすすめする。

 おちびのためにわずかしかない子どもの本のワゴンを物色していて見つけた『ハリス・バーディックの謎』は、絵本の国際的な賞、コルデコット賞(この本ではカルデコット賞と表記)を受賞したオールズバーグのもの。といっても、近所の本屋でしばらくその数冊を表紙を見せて飾ってあったのを見て興味を持ったのみで、この時は、絵本は結構高いので手を出さずにいるうちに見えなくなってしまった。これをたった300円で(定価1550円)。白黒の写真のような感じの魅力ある絵に、さっそく開いてみると、内容にちょっとした仕掛けがあって、独特な夢の中のような雰囲気に一遍でファンになってしまった。オールズバーグはTRCでもヒットしにくく、先日検索したときは訳者の村上春樹の名で引いたら引っかかってきた。この本の表紙カバー見返しに何冊か他の作品名が出ていたので、捜してみようと思う。


991016(土)
  図書館本: ピアス   『まよなかのパーティー』   冨山房
     〃   『それいけちびっ子作戦』   ポプラ社
    神沢利子   『タランの白鳥』   福音館書店
    『飛ぶ教室』   51,52,ファイナル号   光村図書

 朝からどよよ〜んとした天気、せめて声だけでも「おはよう!」と。
 土曜の雨模様は困る。家の布団関係とか、保育園のシーツとか、上の子の給食の白衣とか、上履きとか、とにかく洗いたいもの・洗わなくてはいけないものがどーーっさりあるので、「雨だから洗濯休み」と言うわけにはいかないのである。今度宝くじに当たったら、浴室をリフォームして乾燥機能付きにする予定、そして地球温暖化に一役買うのである。ああ…。

 なぜか昼から息子の部屋の掃除。あまりのごみため状態にさしもの見て見ぬ振りの私も堪えられず、ゴミ袋を持って「いらないのはどれ!?」もとい、「要るのはどれ!?」これ肝要。要らないものを選んでいるとなかなかものは減らない。要るものを選ぶ。
 とか言うが、実は私はものを捨てるのが本当に下手で、りすのようにため込む、いわば貧乏性なのだ。本は…、本は要らないものはない(と言っておこう)。

 これに思わぬ時間をとったので池袋へ行こうと思っていたのもやめて、夕方図書館へ。『飛ぶ教室』などの梨木香歩関連をコピーして返却、かわりに残りの3冊を借りる。ほかピアスとか神沢利子とか。帰宅してそのまま、『飛ぶ教室』51号、52号、53号(ファイナル、1995年)の梨木香歩ものを読む。
 51号「プライドチキンの長い助走」、52号「「狭間」を読む」(評論)、「吹雪の夜ウィリアム・フォースが屋敷奉公を決意するに至った話」、53号「月のふたご」である。どれもおもしろかった!「吹雪の夜〜」は長篇の巻頭部分とのことなので、続きはどうなっているのか、気になるところだ。意外にこの人は、評論が面白い。文のクリヤーカットなところが、気持ちよいのだ。『飛ぶ教室』終刊以後に発表した短篇などはほかにないのだろうか。

 ピアス『まよなかのパーティ』はもう忘れてしまったよ。
 もうひとつの『それいけちびっこ作戦』は、ああ、読んでいなかった。
 このポプラ社のシリーズ「世界こどもの本」は題がひどい。ピアスの作でなければ絶対に手を出しません。カバー見返しによると、他の本は『ちびっ子魔女』 『はちゃめちゃ作戦』 『小さな魔法つかい』 『トムのあだなは大頭脳』 『ジェットコースター作戦』 『自転車どろぼう大さわぎ』 『小さな郵便屋さん』 『ハイ、ぼくらちょこまか族』 『びっくり学園ピンチ大混戦』そして『それいけちびっこ作戦』というすごさ。小学中学年以上向きとあるが、当時(1983年)にしてもちょっとこの題は無神経すぎ。いや、今もこの手のは目に入らないだけで、まじめに児童書の棚を見ればそうなのかも。おそろしや、おそろしや。ちなみにこの本の原題は"The Elm Street Lot"、これを見ると、ああ、ペーパーバックで持っているということがわかった。

 他にジョン・クロウリー『ナイチンゲールは夜に歌う』を数日前からきれぎれに再開。発売直後買って読みかけのまま長いこと見えなくなっていたが、その後も見つけてはちょっと読んで後回しになると言う、不運な本。読んだ分ももう忘れちゃったよ〜。後日改めて再読となるのは必至。


991015(金)
  購入本: 坂田靖子   『堤中納言物語』   中公文庫
    蒲原聖可   『肥満とダイエットの遺伝学』   朝日選書

 一日肌寒い、霧雨の日。こういう日は傘があってもあまり役立たない。めがね人間にはいや〜な天気である(<めがねに細かい雨滴がつくのだ) せっかくのきんもくせいの小さい花が、木のぐるりに散り敷いている。枝についている間はあんなに香る花も、散ってしまうとあまり匂いがしなくなる…。

 おととい、デンタルフロスでコシコシ歯間を掃除して、気持ちイイ〜とか言っていたら、フロスを抜きしなに手応えあり、あぁっとおもうまもなく、光るソレは、微かなぽちゃんという音とともに配水管の彼方へ消えていったのであった。…よかった、保険ので。というわけできょうは保育園に迎えに行った足で歯医者へ(きのうは休み)。極端な痛がりだとご存じなので、先生は私がなにか言う前に「じゃ、麻酔しましょう」 ありがたい先生じゃ。

 先日図書館にリクエストしておいた『飛ぶ教室』他が届いたという連絡があり、昨日取りに行った。貸し出し限度が5冊のところ、7冊一遍に来たので、『飛ぶ教室』を年代順に3冊(48,49,50号、1993〜94)と、『日本児童文学』(1996年1月号)をまず引き取る。これらは、hiroshiさんHermanaさんの情報で、梨木香歩の掲載作を読みたくてリクエストしたもの。

 お目当てとしては『飛ぶ教室』では「信じるものは」(48号)、「ボストンをいま読んでみると」(49号、エッセイ)、「夏の朝」(50号)が掲載されている。著者紹介を見ると、48号(1993年秋号)では、「児童文学作家志望」とのみ、49号(94年冬号)では「児童文学作家、著書「西の魔女が死んだ」(近刊)」となり、50号では「近刊」の字がとれている。『西の魔女が死んだ』楡書房版が、処女作として1994年に出版されたのだ(現在は小学館版)。
 また、『日本児童文学』では「渡りの一日」が掲載されている。
 短篇では、長篇と違い、彼女のユーモアがかなり前面に出ていて、いままで読んだ4作とは違った趣が味わえるが、これは初めて読んだ短篇(講演会の際に配布された毎日新聞掲載作)「ムシに遭ってムシしなかった話」ですでに感じたこと。
 50号では今江祥智が見開き2ページの評論「癒すということ」で梨木香歩をべた誉めしていて、「まだ若いお母さんらしい」と書いている。最近知ったが彼女は(たぶん10歳くらいの)男の子のお母さんだと言う。『丹生都比売』を読んだとき、これは子どもの側の物語であると同時に、母の、こわーい物語だと思ったのだが、独身だと思いこんでいたので、私が物語の母親の部分に過剰反応したのか、などと考えたものだった。
 どれを読んでも非常に頭の良い人だと感じる。物語の構成に、強い興味がある人だ。「夏の朝」の語り手の「私」の使い方などみると、こんどの『りかさん』(偕成社から近刊、たぶん11月)もこの線かなあなどと想像するが、彼女のことだから、また違ったアイデアを持ってくるのだろう。
 さっさと読んで書いて、残りの3冊を借りてこなくては!

 ほかに50号に若干3ページの川島誠「犬の朝」を発見。なかなか、いいぞ。
 この50号は、記念号らしく、それまでの掲載作品の索引が付いているので便利である。ただ、『飛ぶ教室』は区内の図書館になく、他区から借りなくてはならないので、手軽に利用できるとは言えず。

★あっはっは!有里さんにも定着したu-ki語。

「一気読み! 面白かった〜!!! 超おすすめ! 読め!」

ちなみに須賀しのぶ『帝国の娘』だそうdeath。これもu-ki語だ。
そういえば有里さんで思い出した、今日はネムキ11月号も買ったのであった。

 紅玉を買いすぎて(生協)、あせって焼きリンゴ。明日はまたワイン煮を作ろうっと!美味。


991014(木)
  購入本:なし

 年休を取り、朝から上野へ。西洋美術館のオルセー美術館展と、先頃開館した芸大美術館が目的である。

 改装後の西洋美術館は初めて。というより、西洋美術館に行くのは本当に久しぶりである。なんだか都美術館ぽくなっていて、ちょっとここはどこ?状態。
 「オルセー美術館展ー19世紀の夢と現実」は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての作品を、5つのセクションに分けての展示である。I.人間と物語、II.人間と歴史、III.人間と現代生活、IV.人間と自然、V.孤独な人間の5セクションがそれで、さらにその中に小項目がふられている。だから、ひとりの画家の作品が題材ごとにあちこちに展示されていたりする。

 神話、宗教などから題材を取った作品群から引き続いて、戦争そして「共和国」が題材となり、戦火に焼かれる遠景・ぼろぼろの三色旗などは、見たくない。セピア色の写真のような色調の、シャヴァンヌ「気球」と「鳩」はその中にあって静かで、不穏で、美しい。ルソーの「戦争」のようなものは初めて。
 足を進めると一転して家族の群像。このギャップははなはだしく、色彩もモチーフもまるで違うので、逆にこの彩りにあふれた家族像がまるで欺瞞のように思える程だ。労働、余暇。この中の、いくつかの写真が、趣にあふれて見飽きなかった(エマーソンによる「沼沢地からの帰り道」ほか)。
 自然はやはり画家たちにとっての格好の題材で、ドガ、セザンヌ、ボナール、などは何と言っても眼の喜び。クリムトの息詰まるような葉群、ゴッホのるいるいと輝く星。さらに多くの工芸デザイン、ガレ、ドーム兄弟など。
 最後のセクションでは、バジールの傷つき横たわる男の硬質な目の光が印象的だったし、見たかったルドン「目を閉じて」は期待に違わなかった。掉尾を飾るのがモネ「死の床のカミーユ」で、この画面の奥底から輝き出るこの世とも思えない光は、展覧会の最後にふさわしく、暗示的ですらあった。(12月12日(日)まで、月曜休館)

 上野公園を通り芸大奏楽堂を通り過ぎたところにあるのが芸大美術館で、ちょうど今、「開館記念 芸大美術館所蔵名品展」が開催されている。こちらも結構な人出で、やはり先ほどと比べると年齢層がぐっと高い。ポスターやチケットのキャッチコピーが「見たことあるでしょ。教科書で。」というふざけたようなもので、高橋由一「鮭」が用いられている。半身を欠いた新巻鮭が荒縄でぶら下がっている、あれである。
 下村観山の「天心岡倉先生」、上村松薗「序の舞」など日本画の超有名なもの(どれも非常に大きい)のなかに、出ました、という感じなのが狩野芳崖「悲母観音」である。これがあるという予備知識なしに行ったので、本当に驚いた。子どもの頃読んだ児童文学全集の中の一冊の表紙がこれで、なぜかとても馴染みがあったので、こんなところに!なつかしい!とか言いそうになってしまった。東西の名画が本の表紙になっていたが中味とは全然無関係。結構目に焼き付いているものも多いから「情操教育」にはあながち無駄ではなかったのかも知れない。洋画では原田直次郎「靴屋の阿爺」、黒田清輝「婦人像」(うまい!)、林武「梳る裸婦」などが見るからに光っていた。好きなのは小倉遊亀「径(こみち)」。あ、これは日本画か?この辺になると日本画、洋画って境界がないように思える。

 うう、3時間歩いて疲れた〜。職場へ戻る途中池袋で降り、三越裏のうどんやで冷たいなめこおろしを食した後しばしショッピングのまねごとをしてからいやいや職場へ戻る。
 帰宅後もやたらにくたびれて、子どもたちと金八先生を見てそのまま死んだように朝まで眠る。


991013(水)
  購入本: ブラックウッド   『妖怪博士ジョン・サイレンス』   角川ホラー文庫
    ホジスン   『幽霊狩人カーナッキ』    〃

 そこらに堆く積み上がった文庫の山をちょっとだけ整理(のつもり)していたら、きのう購入した『山荘奇譚』(ハヤカワ文庫)は、以前買った『たたり』(創元推理文庫)と同じものであることが判明。知っていればともかく、むすー。

 先日読み終わった『鏡 ゴーストストーリーズの感想を書いたら疲れた〜。

 夜歩きボード加藤隆史さんに教わり、さっそく昼休み古本屋に走りブラックウッド『妖怪博士ジョン・サイレンス』と、一緒にあったホジスン『幽霊狩人カーナッキ』を買う。これはまったくあるとは思わず、捜してもらおうと思って有里さんの角川ホラー文庫のリストで調べてメモしていったもの。おーやびっくり。まさかじつは加藤隆史さんがあそこの古本屋の店主だとか…そんなことはないですよね。だって他にはホラー文庫(海外)は殆どなかったんだもの。
 いやしかしこれらの題名はすごい。原題はそれぞれ "John Silence""Carnacki the Ghost-finder"なんだけど。妖怪博士に幽霊狩人って、まるで水木しげるの世界。

 今日も10月とは思えないような陽気に、ハンカチが手放せない。日中ある程度暑くても夕方になるとすっと涼風が吹くのが秋なのに、この時期になって夜窓を開けて寝るなんて、やはり異常気候だ。昨晩食事時に上の子たちと南極の氷が溶ける話をしていたら、わかってかわからないでか、おちびが「そういうはなしをしてるとこわくなっちゃうからやだー」と言い出したのであった。実際、これはかなり怖い話なのである。特に(いわゆる)先進国は率先して地球温暖化に対処しなくてはいけないのに、何をしているんだぁ!といいつつ、日中の暑さにエアコンを入れて仕事している私。ああ、やっぱりコリバだ。<意味不明の方は『キリンヤガ』参照のこと。


991012(火)
  購入本: 小松左京   『くだんのはは』   ハルキ文庫
    坂田靖子   『闇月王』   白泉社文庫
     〃   『水の片鱗』    〃
    シャーリイ・ジャクスン   『山荘奇譚』   ハヤカワ文庫NV

 『幻想と怪奇 1』読了。どうやら昨年の復刊では、このの方は対象にならなかったようだ。1956年初版なので43年前のものということになる。
 もっとも気に入ったのは「柳」「パイプを吸う男」。吸血鬼ものである「アムワース夫人」は2階の窓から吸血鬼である女性が部屋をのぞき込んでいるあたりが怖いが、このように即物的でない「柳」などの怖さの方に、より面白さを感じるようだ。が簡単に入手できないと分かれば、あとは創元文庫版『怪奇小説傑作集』とか『恐怖の愉しみ(上下)』とかを味わうとしよう。う〜ん、まもなくハロウィーン、ちょっと怪しい季節であるぞよ。

 三連休から仕事モードに復帰したくない病か、どうも今朝から胃が重く、お昼頃からなんだかおなかが不調。風邪かもしれない。うう、気持ちわる。


991011(月)
  購入本:なし

 7日の晩に井辻朱美『パルメランの夢』を読了していたのを忘れていた。先日の町田ブックオフとカロリーオフであと3冊井辻朱美ものをゲットしたので(『エルガーノの歌』『トヴィウスの森の物語』『ヘルメ・ハイネの水晶の塔(上下)』)しばらく楽しめるかと思う。

 連休3日目の今日も秋晴れに恵まれ、気温が比較的高いせいかきんもくせいのよい香りがあちこちにただよっている。午前中は家事と買い出し。午後は3時頃からゆうべのID4で寝不足の息子ふたりが昼寝してしまうと、娘は勉強(と称している)、連れ合いはぱそこんで仕事と、それぞれの部屋に引きこもり、静かな昼下がりである。向かいの公園の木立がさやさやと風に揺れる音、その向こうの方でテニスボールを打つ音、そして時たま車の通る音だけがする。日差しがごくゆっくりと移ってゆく、濃密な金色の午後である。ソファに埋もれて読むのはハヤカワポケミス版『幻想と怪奇 1』というのがなんだかという気も。

 全7編のうち、レ・ファニュ「緑茶」(怖い)、マリオン・クローフォード「上段寝台」、J・D・ベレスフォード「人間嫌い」を終わり、ちょっと飛ばしてブラックウッド「柳」にさしかかったところである。「上段寝台」では幽霊が出るかと思いきや、冷たい濡れた実体に触れ、主人公が骨まで折るのには驚かされた。
 ポケミス版は本文が上下2段に分かれているが、その1行の長さがちょうど良いせいか読みやすい紙面だとつねづね思っている。

 夕方娘と一緒に近くの川沿いの遊歩道を往復1時間ほどウォーキング。Be-Palに歩くフォームが出てたよね、ちょっと照れるよ、などと互いに言いつつ早歩き。確かに腕を軽く曲げてちゃんと振ると、肩の力が抜けて足がすっすっと前に出て歩きやすい。その上脚の裏側の筋が伸び、腰の筋肉まで動くのがよくわかり、気持ちがよい。うっすらと汗をかき、戻ってくるともう6時過ぎで夕闇が濃い。途中まだ水色の残る西の空に、すでに地平線下に沈んだ太陽の光を受けて光る細い三日月が、ごく低くかかっていた。

 安田ママさんのところがノートンのおかげでぱそこん記憶喪失状態とのこと。4月にHDがいかれて痛い思いをした私も、喉元過ぎれば何とやらで、その後MOにデータを保存するのをすっかりさぼっていたので、反省して急いで保存する。その手間なんて大したことないのに、習慣になっていないためつい一日延ばしにしてしまってもう数ヶ月。あぶない、あぶない。ママさん、一日も早いご回復をお祈りします。


991010(日)
  購入本: 荻原規子   『これは王国のかぎ』   C★novels fantasia
    レ・ファニュほか   『幻想と怪奇 1』   ハヤカワポケットミステリ
    リチャード・ミドルトン   『幽霊船』   国書刊行会
    北村薫   『スキップ』   新潮文庫
    殊能 将之   『ハサミ男』   講談社ノベルス

 午前中はまじめに家事。秋らしい気持ちの良い天気なので、洗濯やら普段出来ない布団干しやら。午後から息子ふたりと池袋へ。リブロで、先日ページ裁断不良だった『くまのこウーフ』を交換など。
 次男はともかく、長男も別に用もないのに池袋に一緒についてきた。先日保育園で一緒のお母さん(やはり上に中3の男の子を持っている)が「うちのお兄ちゃんは絶対外で親と一緒になんか歩かない。そんなこと考えられない!」と言っていたのを思い出し、それとなくそういうふうな友人はいないのかと訊いてみた。「あ、それは馬鹿だね」と言うから、「そんなことにこだわってるようじゃガキってこと?」ときくと「いや、一緒についていけばなんか買ってもらえるね」ぎゃふん。「でも、それでも一緒に歩くのいやってことないの?」と食い下がると「いや、ない」と妙に力強く断言する。なんかやっぱりガキ…。ああ、いつまで一緒に歩いてくれるだろうか、長男。

 ハヤカワポケミス版の『幻想と怪奇1』(もちろん昨年の復刊)を買ったが、このは品切れなのだろうか、ハヤカワのサイトでも、ヒットしないようだ。

 夜、見ると何もできなくなるからやめよう、と思いつつ、TVのある部屋で洗濯物を畳んでいると始まってしまったので、もうこれは途中からはやめられない。なにが、って日曜洋画劇場『インデペンデンス・デイ』。予備知識は、でっかい宇宙船がいっぱいやってきて世界の各都市の上に居座り、そのエイリアンには人類を絶滅させる気しかない、ということのみ。…見てぶったまげました。はあ、こういう映画だったとわ。
 SWの宇宙戦闘シーンと一緒だぁ!とか、またまたアメリカ中華思想だぁ!とか、ウィル・スミス=MIBだ!とか、この笑い顔は『博士の異常な愛情』!とか、巨大UFOの主砲は『天空の都市ラピュタ』とおんなじ!とか、
エリア51ィ!?とか、またまたグレイとあいのこのタコ宇宙人にイカUFOか?とか(以下略)、随所で笑えた。ウィル・スミスが、エイリアンをぶん殴るところは見もの。
 落っこちて砂漠に突き刺さった宇宙船は、はじめ直径24kmとか言っていた割に小さいなあと思う。あの残骸はどうするんでしょ、と人ごとながら心配をする。トンネル内に爆発の業火がおそってきてもほんのちょっと脇に逃げたウィルの恋人は無傷だったり。この映画はもしかしてトンデモ映画か。でも見ている間はそれなりに面白かったので笑って許す。ところで日本での評判はどうだったんだろうか。

 ピアスの『こわがっているのはだれ?』(岩波)を読み直そうかと見ると、やはり見えない犬、というより犬の幽霊がでてくる「黄色いボール」は載っていたが、本当に怖い「影の檻」はこちらではなく『幽霊を見た10の話』(岩波)の方に収録されていると判明。これは実家の方にあるので持ってこなくては。

 ★時たま拝見していたCAFE LUDENSのウェブマスターであるLudens古川さんがお亡くなりになったということを複数の掲示板で知る。本の他にオペラがお好きでそちらの方が一応メインページとなっていたが、先日のださこん2に参加され、そこで初めてお顔を拝見したばかりである。ネット自殺は見かけたことがあるが、お顔を存じ上げているウェブマスターが亡くなられたのには初めて出会ったのでショックである。ご冥福をお祈り申し上げる。


991009(土)
  購入本:なし

 天気予報通り、薄曇りから晴れのちょうど良い運動会日和。今日は町会連合(10町会)の運動会だが、うちは今年自治会役員なので、連れ合いは審判役、私は人数調整に二つ出番など。「大福さがし」「防災レース」がその出番である。前者は片栗粉の中に埋もれた大福を手を使わないで口でくわえ取りゴールまで走る、という、まあ良くあるレース。後者はふたり一組で走り、途中ヘルメットをかぶり、次に防災袋を背負い、そしてひとりは三角バケツを持ち、さらにもうひとりはメガホンを拾って「地震だ〜、逃げろ〜」と大声で叫びながら走り続けて一緒にゴールする、という今年初めての種目である。これはダントツの一位!と思いきや、相棒のおじさんがゴール目前で盛大にこけてしまい、だがそれでも三位。その後もゴール付近でやたらにこける人が多いので変だなーとよく見ると、なんと会場の中学のトラックは、その付近がすさまじく波打っているのであった。こんなトラック、あり?
 連れ合いはラグビーボールをドリブルする「ラグビーリレー」と綱引きに、おちびは玉入れと宝拾いに出場。参加者にはお弁当と缶飲料が出るので気楽である。お弁当作るようじゃ誰も出ないって。
 事前に配られたプログラムの隅にスタンプで押された番号が抽選番号となっていて、下二桁15番がみごと当たって区の商品券1000円也をげっと!

 終了後役員を中心にお疲れさま会、食べ物は割に乏しかったがなんだか盛り上がって、連れ合いは帰宅した7時半頃からおちびと墜落睡眠である。おかげで私は8時過ぎから読書ターイム!
 フィリパ・ピアス『まぼろしの小さい犬』読了。いつもながら彼女のすばらしい心理描写に深い満足を覚えつつ読み進むが、いったんじわっと涙が浮かんできたらもうあとはおしまいまで涙モードであった。ピアスは翻訳されているものはだいたい読んだがこれだけは未読、しかし有名なのでごく簡単なあらすじと評判だけは知っていた。けれどいざ読んでみると、ううっ、これは本当に傑作です。
読了本のところにはためらうことなく気に入りおすすめ星マークをつけた。

 この本は1989年の初版、『トムは真夜中の庭で』はなんと1967年初版。トムが日本に紹介されて30年以上経つとは、驚きである。最初に読んだときの驚きと感動がいかにありありと刻印されていることか。
 どちらの本もいかにも岩波らしい装丁だが、違うのはタイトルに使われている表紙のゴシック活字が『まぼろしの小さい犬』のほうがやたらに太いことである。すごく押しつけがましくて美しくない。これは福武の児童書を引き継いだ徳間書店の児童書の装丁にも言えることで、こちらのほうは目次ページもやたらに太すぎるゴシック活字が用いられていてさらに美しくなーい。他の出版社の児童書がどうかはあまりよく知らない。パロル舎のはきれいという印象はある。ほかはとりたてて印象ないかも。

 昨日触れた『文藝春秋 No.228』には、ほんの1ページだが、ださこんゲストの山之口洋さんの「わが心の町(静岡県富士市)」も載っているのであった(p.469)。


991008(金)
  購入本: 村上春樹   『レキシントンの幽霊』   中公文庫
    ダニエル・キイス   『アルジャーノンに花束を』   ハヤカワ・ダニエル・キイス文庫
    クーヨン 11月号    クレヨンハウス
    別冊 文藝春秋 No.228   文藝春秋社

 『クーヨン』11月号に先日の梨木香歩の講演(東京)の記事が出ていると聞いてさっそく本屋へ。「ダイジェストするのはとても難しいおはなし」と、ごくごく一部だけが載っていた。椎名誠のような人の講演会の様子は、カラー写真入りで巻頭に近いところに持ってくるのになぁ。
 『からくりからくさ』に続く近刊『りかさん』は、新潮社ではなくて偕成社から出るということだ。素敵な装丁にしてね(願)。

 この本のとじ込み特集の「詩をよむココロ 詩をかくココロ」の中で、ポエトリー・リーディングが取り上げられている。先頃(9/25)の寮美千子・リーディング・パフォーマンスは、まさにこれに含まれるべきもので、そういえば当日の司会の酒寄進一氏は、リーディング・パフォーマンスと言うよりポエトリー・リーディングという用語をより自然に口にしていたように記憶する。そののち寮さんがあちこちで告知された、10/2都内某所でのパフォーマンスにおける「オープン・マイク」とは、リーディングが行われる会場(書店、カフェ、等々)で、詩を読みたい人が自由にエントリーしてマイクの前で朗読するというもののようだ。
 ポエトリー・リーディングは近ごろあちこちで行われるようになったらしく、谷川俊太郎によると「(アメリカなんかでは)楽器を入れたりしてパフォーマンスにするやり方」と「できるだけ(略)ストレートな読み方」をするやり方とに大きく分かれるのだそうだ。寮さんはどちらかというと前者?ラジオ(セントギガ)のための詩の仕事も長くしてこられたと言うが、その番組では音楽も詩に強く結びついていたのだろうか。
 それにしても寮さんの活動もちょっと載せて欲しかったぞ>クーヨン編集部

 『文藝春秋 No.228』はひとつ前の号。重松清「ライオン先生」が、この号と最新号(先日購入済み)とに分けて掲載されているのを、読了。ライオンのような(ちょっと時代錯誤の)髪型をした熱血?高校教師が主人公。ちょっとクサイ気もするが、やはりこの人はうまい。いつものごとく主人公ほか登場人物のどうしようもない弱さを描く。

 さてこの本には森まゆみが「才色双絶ー林きむ子の生涯ー」という連載評伝を書いている。林きむ子とはなんでも「明治から大正にかけての有名な美人であり、代議士日向輝武の未亡人、社交界の女王」とのこと。大正8年に36歳の日向きむ子は27歳の林照久と再婚、マスコミによる非常なバッシングにあったのだという。それからおよそ80年経った今日でも 、「性のダブルスタンダ−ド」はなくなるどころか、まったく健在であると。

以下別冊文藝春秋No.228、p.468より引用:

 見てみよう。夫の死後ほどなくして明石屋さんまと再婚した大竹しのぶは手ひどいバッシングを受けた。さんまと別れ野田秀樹と一緒になると”魔性の女””略奪愛”と一方的に責められた。一方、妻安井かずみの死後、オペラ歌手と再婚した加藤和彦はちっとも非難されなかった。
 見てみよう。一回り年下の大澄賢也と結婚した小柳ルミ子は長らく年の違いを原因に不和説を噂され、性的欲求の激しい女性のように書かれる。娘のような年の女性と結婚した歌舞伎役者中村富十郎は祝福されたのみであった。七十近くで娘のような新妻に子どもができた上原謙は「お元気ですね」とうらやましがられた。

:引用終わり

 例がとってもわかりやすくて思わず笑ってしまったが森まゆみの指摘の通りナリ。

 おととい、おちびとお風呂にはいると、おなかに集中して、ほかに背中、首や腕、足にもぱらぱらと発疹がある。なんだか虫さされっぽいが、何だろう?と、とりあえずレスタミンコーチゾン軟膏をつけておき、昨日保育園で看護婦さんに訊いておいてもらった。すると、これはたぶんチャドクガによるかぶれだろうとのこと。この毛虫の鱗粉、フンなどはとてもかぶれやすいのだそうだ。成虫も?今日仕事がぎりぎりで医者に間に合う時間に終わったので、駆け込んで見てもらうと、やはりそれだとのこと。保育士(今までの「保母」さんの呼称がこう変わった)さんが「裏の木の生えている当たりに(毛虫が)いるんですよ〜」と言っていたが、他にもかぶれた子がいるのだからしばらくその近辺で遊ぶのを控えたらどうかと思うのだけれど。少し過保護か?でも保育園の玄関にそれに関する新聞の切り抜きがわざわざ貼ってあるのだから、やっぱりちょっと避ければいいのにナ。

 たったいま連れ合いが「これあげる」と差し出したのは『さむけ』(祥伝社文庫)。高橋克彦、夢枕獏、井上雅彦、倉阪鬼一郎、京極夏彦、等々のアンソロジーである。安倍清明から陰陽道、ホラー文庫へと流れているヤツに、「買ってしまったの?」と訊くと嬉しそうに「読んでしまったの!」なんか、はまっているんでない?>オット


991007(木)
  購入本:なし

 おちびと一緒に8時間睡眠をとるが、日中かえって眠すぎ。朝も、先に起きていた娘によろよろ「早いじゃない、どうしたの」と言うと「別に早くないよ、いつもと同じだよ」と言われて時計を見ると、確かに寝坊。この頃お弁当つくりにもご無沙汰で、ごめんよ娘。

 先日よりとぎれがちながら井辻朱美『パルメランの夢』読中。かなり風変わりな作品だが、お気に入りの恐竜の化石などがあちこちに顔を出す。独特の時間感覚も、地質学的年代に慣れているからか。かなり気に入った。

 溝口さんに続き有里さんもネット自粛とか。先を越された〜という感じかも。最近は牛さんウォッチングもしていないしいちおう自粛してはいるんだけれどなぁ。もうすこし読んだ本のコメントをまとめたいのだが、書くためには考えなくてはならず、それがなかなか。
 『古書店巡りは夫婦で』も途中だし、創元文庫の怪奇関係もたまったし、ちょっとペースダウンのこの頃。


991006(水)
  購入本:なし

 先日、角川から『ハックルベリー・フィンの冒険』の新訳が出ていたのを見つけたが、どうなのだろう。何せ結構なお値段なので(2800円)。以前『不思議な少年 第44号』(角川書房)『アダムとイブの日記』(福武文庫)、もちろん『アーサー王宮廷のヤンキー』(角川文庫、入手不可)など読んで面白かったが、肝心のトムハックは大人になってからは読んでいないことに改めて気づいた。TRCで「・」なしの「マークトウェイン」で検索するとかなりたくさんヒットしたのでちょっと驚く。


991005(火)
  購入本: ジョーゼフ・ジェイコブズ   『ケルト妖精物語 I 』   原書房
    草下英明   『星の神話伝説集』   教養文庫
    母の友 11月号 特集「キャラクター商品と子どもたち」   福音館書店
    こどものとも 年中版 11月号   福音館書店

いちにちいすがし。すぎかえる(て、別に酔っぱらっているわけぢゃありません。『クマのプーさん』を参照のこと)。ちょいと忙しかった、なのに結果が…、という、どうもトラブル解決がうまく行かないいや〜なドツボにはまっている今日この頃なのだ。

 『鏡 ゴーストストーリーズ読了。児童文学作家によるホラー・アンソロジーということだが、こういうタッチのホラーは大好きだ。偕成社のせいか、いかにも紙面が「児童」むき。もうちょっと見て美しい紙面にしてくれると一層いいのだけれど。中でも気に入ったのは、ああ、どれもいいのだが、やはり「クジラの歌」か。マーガレット・マーヒー、キット・ピアスンも筆が立つ。門野栄子の表題作は、長い割にいまいち。

 本屋では教養文庫がなぜか増えており、その中から『星の神話伝説集』はギリシャ神話ばかりか日本、世界各地の話が載っているのが気に入って連れ帰る。


991004(月)
  購入本: なし

 きのうから一応10月らしい陽気になり、朝晩通勤の自転車を飛ばしていると風がすうすうと服を通して肌寒い。

 きのう、今日と本読みモードも沈滞気味だが、安房直子『だれにも見えないベランダ』『南の島の魔法の話』(いずれも講談社文庫)を読了。どちらも持っているのに未読だったもの(アンソロジー)だが、前者はどれもまったく未読、後者はちょうど半分未読。前者はかなりバイアスのかかった選択がなされており、すごいとしか言えない作品揃い。童話、なんて言えないものばかりだった。いやはや、本当に惜しい方をなくしたという感が深い。

 そこらに『買ってはいけない』が転がっているのを見て息子たちが「これ買ったんだー、これ見て何を買ったらいけないか知るため?」という。「そう言うわけではない」と言うと、連れ合い曰く「こわいもの見たさ」。なんだそれは。いったいどんなふうに世の中の「主婦」が踊らされているのか見ておこうと思って買ったが、この値段は高すぎるぞ。
 生協のパンフレットなどでもいろいろ「危ない」商品について取り上げられているが、いわんとすることはわかるがどうもデータの示し方や解釈が偏っているように思う。この『買ってはいけない』はそのうんとものすごい版と言おうか。

 読売の夕刊に大江健三郎が書いている記事(石原都知事の障害者に関する発言に関連して、ファシズム、センチメンタリズムへの言及)がなかなか考えさせるものがあった。それにしてもどうして彼の文はこう分かりにくい?

 今日もこんな時間(2時半近い)だが、ちゃんと10時から12時までおちびと一緒に寝ていたのでした(>ご心配の皆さま)。


991003(日)
  購入本: なし

 天気予報通り午前中晴れ・曇り、昼すぎからぽつぽつ雨。長男の運動会である。中学ともなると運動会も気合いが入らない、と言うより、いまいち見ても面白さに欠けるので、家族の熱の入れようもさほどでもなく、観戦者もずいぶん少ない。お弁当はたらたら作ってあとで手渡すことにして、最初の出番に間に合えばいいや、と、お弁当作りの他、3時からの「カロリーオフ」参加のため夕食の準備や洗濯、などなど。

 校庭は強い風のためものすごい土埃である。競技自体は当人もたいして気合いが入っているわけではないが、小柄で身の軽い長男は組み体操では例年通り一番上の役(今年は4段ピラミッド)、ほかに「選抜ロイター板」と称して、身の軽い十数人が宙返りなどを披露するアトラクションのようなものがあり、これに出る長男はこの所毎日練習を重ねてきたので、しかと見に行く。首の骨でも折りはしないかと、ひやひやもの。
 男女に分かれて行う大ムカデは、かなり練習したらしく「うちのクラス、優勝決まりだからね!」と言っていたとおり、ダントツの一位。私の高校時代には大ムカデは鼻緒が十幾つもついた長い長いぞうりをはいたが、この学校のは縄で足を結び合わせて歩く。ちょうどこのころから雨粒が飛んで来始め、これが最後の出番なので退散、埃まみれになってしまったので超特急でシャワー。とりあえず遅刻の電話を入れ、急ぎカロリーオフへ向かう。

(ごめんなさい、オフレポは追記します。とても楽しかったです、溝口さんの新呼称が決まったりして>溝口少年>>彼はこの所ネット自粛状態なので今なら何を言ってもへーき!)


991002(土)
  購入本: なし

 今晩は某所でまた寮さんのパフォーマンス・ミニ版が行われたはず。レポート期待>マドカさん

 9月30日の東海村の臨界事故、あちこちのサイトをまわってみる。BBCの YOUR views and experiences がなかなかだ。でもなかなか読めない〜。

 空は美しい秋の雲で風の気配も秋なのに、この暑さは何。
 暑くなると言う予報に午前中おちびと散歩がてらの買い物。最後に図書館に寄って、今借りている天沢退二郎の本4冊の貸出期間延長。
 ほかに梨木香歩の短篇が載っている『飛ぶ教室』を数冊リクエストした。私と同じくらいの年代(って謎)の職員で、普段から割にいろいろ知っていそうな感じの方なのだが、この雑誌の名前も知らない。同時に『日本児童文学』のバックナンバーもリクエストしたのだが、これもご存じない。う〜ん、公立図書館ってこのレベル。
 ビーチサンダルを履いて、本を入れたリュックを背負い、買い物の荷物を持ってずるずる歩いていたら、図書館を出たとたんに足指の間がくつずれ(ビーサンずれ)でむけてしまった。おまけに暑さに当たったか日頃の寝不足のせいか、帰宅するなり30分ほど昼寝をしてしまった。

 本の山を整理しているとき出てきた通販カタログで思わず薄型突っ張り本だなを真剣に見る。あそこの壁が狙い目なんだけれど…。

 夕刻あまりの天気の良さにふたたび散歩。今度はちゃんとスニーカーを履いてウォーキングスタイルだ。でもおちびがぶらさがっているのですたすた歩けない。走ったり、止まったり、のろのろ歩きをしたり。強くなってきた風で、黄ばんできた桜の葉もどんどん散り、枝越しに真上を見上げるとぐんと空が高い。明日からは天気も崩れるそうだが、その明日は長男の運動会なのである。

 『鏡』、『だれにも見えないベランダ』(安房直子)など並行読み、といっても今日は2ページくらいかな。せっかくの休日なのに、というより休日は日頃たまっている家事のため、かえって読書がはかどらないことが多いのだ。ああ、お手伝いロボットが欲しいよう。


991001(金)
  購入本: なし

 日頃の行いの良さが功を奏して、今日は程々の良い天気となり、おちびの運動会は無事終了。おちびは例のリレーでは作戦上、アンカーから中盤へと順番が変わり、1/4周くらい差がついていたのを、ものすごい走りでほとんど同着くらいに挽回した(ほんとだよ〜)。しかしそれも空しくその後また差がついてしまって、結局チームとしては予定通り(not予想通り)負けてしまったのであった。リレー終了後、さめざめ泣いているので、飛んでいって、「はやかったね、えらかった、すごかった」と抱きしめて慰めても、しゃくり上げてなかなか止まらない。さぞかしくやしかったのだろうと、胸中を察して一緒に泣いてしまった。
 あとで「くやしくて泣いたの?」と聞くと、「バトンタッチしたあと先生にシャツと背中を掴まれて痛かったの」と言う(次の走者の邪魔にならないように走路からどかすため)。「でも、本番でまた負けてくやしかったよね」と念を押すと「ここが痛かったから泣いたの。」…ああ、私の涙は何だったの。

 そろそろ天沢退二郎の本を図書館に返さねばならないので、感想を書こうと思っているのだが、これがなかなか難しい。気分転換に久しぶりに安房直子など。

 スカウターふたたび。

 読書感想のページ:攻撃力8948,防御力1705。なかなかいいかも。
 音楽のページ:攻撃力7333,防御力997。単なる独りよがりか…?


 

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最終更新日 01/12/31 01:11:32
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