日時計 1999年6月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

<1999年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

<1998年> 9月 10月 11月 12月


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990630(水)
  購入本: なし

今日のラズベリー:1個

 天候が不順なせいか、風邪っぽい感じの人がけっこう身近にもいて、きょうはアルバイトの女の子が「すいませ〜ん、かぜでえ〜す」とガラガラ声で電話してきた。
 うう、急ぎの仕事があるのだが私ももうひとつ仕事を抱えているのでちょっときつい。今日彼女にやってもらおうとその急ぎのサンプルをオーバーナイトで前処理してしまったんだよう。これ、今日続きをやらないと駄目になってしまうものなのだ。わーん、1日つぶれた〜。私の仕事、どうしよう。

 昨日演奏会に行ったせいか既に週末モード。おちびの「ママ、一緒に寝ようよー」にだまされて朝まで8時間睡眠をとってしまったのであった。


990629(火)
  購入本: なし

今日のラズベリー:1個

 先日スケジュールを改めて見てみると、4月から東京都美術館で催されている「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が、間もなく終わりに近づき(7月11日まで)、今日を逃すと行けそうもないことがわかったので、午前中すべきことを済ませて午後から休みを取って上野へ。
 既に行ってきた職場の唯一の美術館友だちが言うには、ここ何年かの美術展に良くあるように、「どこから湧いてきたのかと思うくらい場違いのおばさんたちがたくさん居た」と言うことなので、午後だけに混んでいるのを覚悟していったのだが、予想外にガラガラと言ってもいいくらい(やや誇張)の人出だったのはラッキー。

 ひとりだったので、初めて「音声ガイド」というものを借りる。500円也は高いな。ちょっと旧式な感じ、大きくて重たい。展示作品85点のうち30点の解説を聞くことが出来る。ていねいな解説だが、う〜ん、いいような悪いような。まあ、たまにはいいか。
 印象派以前、印象派、後期印象派と新印象派、世紀末から20世紀へ、オールドマスターズ、の5部にわけられており、目玉はモネの「日傘の女性」である。

 最近、コローが割合好きであることに気づいたが、今日は他にバジールがいいなあと思った。私は人物画より風景画の方がすきなのだが、バジールの「エドモン・メートル」が妙に気に入ったり。まじめに、すこし物憂げにポーズを取っている彼が、ふっとこちらを向いて「おい、ちょっと一休みしないか」と笑みを浮かべて立ち上がるような気がして。今日はこの感じを多くの人物画にいだいた。
 セザンヌ、ゴーガン、ルノワール、ピサロ、などなど。中に大好きなルドンが1点、ボナールが6点もあったのは嬉しい。

 目玉のモネ「日傘の女性」は、これはまったく素晴らしい!逆光を浴び日傘を差して風に吹かれているモネ夫人と息子が、輝きと影の中に捉えられている。影を宿した飛び雲の輝きを見るほどに、時間の移ろいと永遠性とを感じて、目が離せないほど。2階へ上がる階段からゆっくり見られるようになっているので、しみじみと見たのであった。もう涙出ちゃう。

 この飛び雲も多くの画家が描いているが、それぞれにそのたたずまいが異なるのが興味深かった。最後のセクションのフェルメール「手紙を書く女性」が隠れた目玉。

 未見の方は7月11日までやっているので走れー!

 その後、池袋を経由して紀尾井ホールへゆき、タリススコラーズを聴く。バード、タヴァナーなど16世紀イギリスのラテン語の宗教曲で、このグループのおはこ。天使の声さながらのソプラノのハイトーン(ガビーン!)がもうなんともきれ〜い!いやー、いいコンサートです。
 終演後ホール横の道に小型バスあり。なんと、「総社女性合唱団」のツアーバスなのであった。合唱の演奏会はプロ、アマを問わず動員数がおおく、今日もほとんど満席。器楽の演奏会とは明らかに雰囲気が違うのであった。
 ああ、文化的な一日。移動中に読んでいたのはコニー・ウィリス『リメイク』であった。


990628(月)
  購入本: G・マクドナルド   『ファンタステス』   ちくま文庫
    アンドレ・ヨレス   『メールヒェンの起源』   講談社学術文庫
    梶尾真治   『クロノス・ジョウンターの伝説』   ソノラマ文庫ネクスト
    SFマガジン 8月号   早川書房
  図書館本: 辻 由美   『図書館で遊ぼう』   講談社現代新書
    斉藤道雄   『もうひとつの手話』   晶文社
    神林長平   『言壺』   中央公論社
    小林泰三   『肉食屋敷』   角川書店

今日のラズベリー:1個
 どうも日照が不十分だと、色づきも悪くて、ちゃんと熟さないままぱらぱらと実がはじけてしまったりでちょっとがっかり。

 土曜日、義母のところで、庭のすぐりが採り頃だというのでみんなで摘んだのである。ほんの1,2株かと思ったらけっこうあって、軍手・長袖で武装して摘む。と言うのは、ラズベリーもそうだが、棘があるのだ。ラズベリーのは小さな短い棘がたくさんあるのだが、すぐりはどちらかというと薔薇のようなしっかりした棘で、軍手の目を通して刺さってきてこれがかなり痛い。
 けれども、長い枝をそろっと持ち上げると、小さな堅い若緑の水ふうせんのような実がたくさん下がっているのは愛らしくきれい。この実は、地球儀みたいに経線が入っているのだ。ジャムにするため早く採るので、まだ口に入れても酸っぱいばかりで有り難みはない。熟すと種ががたくなるので、ジャムにしたときに邪魔なのだという。ビー玉より少し小さな…そう、風情はないけれど、パチンコの玉くらいの大きさの透き通った実がざるに2杯ほど採れた。

 ●帰宅時、図書館で借りた梨木香歩の本を返しがてら、またたくさん借りてしまった。
 いま『グッドラック 戦闘妖精・雪風』を読んでいるが、その作者・神林長平を検索しようと2階の端末(利用者がいじれるのはこれ1台しかない)に行くと、ひとり使用中、ひとり並んでいる。どうせだから待ちましょうと思ってその後ろに並んでいると、高校生くらいの最初のひとりが、一向に終わらない。みていると、「音楽」というキーワードを入れているらしい。
 「レゴリウス聖歌と何とか音楽」とかが見える。次々と画面を繰って行くが、これが大変。何せキーワードが「音楽」だから、ヒットするのもものすごく多くて、しばらくしてのぞくとまだ「(なんとか〜)音楽」つまり「」行で始まる言葉が最初に来て「音楽」を含む書名がずらりと並んでいるというわけ。これを「わ」行までやるつもりらしい。
 すぐうしろに図書館員のいる検索カウンターがあるのだが、これが先ほどからずーっと空なので役立たず。もう、何を調べたいんだか、お節介してあげたくなっちゃいましたよ。しかもどうも、彼女、さっきからこれを繰り返しているらしい。なんとかしてくれい!
 というわけで、早々にあきらめて1階のカウンター(職員用の端末が2台ある)に行って、調べてもらうことに。でもこれがまた大変なのだ。

 「著者名は神林長平です」「すみません、もういちど言って下さい…かんばやし…えーと、名前は?…で、書名は?」から始まり、おじさん、次ページへ行くキーを叩きすぎて見たいページをどんどん通り過ぎてしまったり、また戻しすぎて最初の検索ページに帰ってきてしまったり。汗をかきかき検索してくれるのだが、うう、なんて厄介!他館に借りようかな、と言うのがあったのでメモしようとするが、画面が遠くてよく見えないし、リクエストカードに書き込むための情報(出版社など)がそのページには揃っていない。ともかくメモしている間に、後ろに人が並んだので、おじさんあせって、「あ、じゃあ次の人、どうぞ!」といって後ろの人の本を手に取ってバーコードのスキャナをあてようとしたはいいが、あいにく端末は(私が)使用中なので使えないことに気付き、「あ…」と固まってしまった。「○○さーん、すんません、これ…」と助けを求めるおじさん。
 う〜、特に混んでいる時間帯ではないと思うんだけど、どうしてこういう不便が!
 2階で検索している彼女自身もやたら時間がかかり、他の人もうんと待たなくては検索できないし、館員に頼めばこの有様で、また他の人にも迷惑かかるし、みんなが不便、これ何とかならないものだろうか。不便は不便と、苦情を言い続けるしかないのだろうか。


990626(土)〜27(日)
  購入本: 芝田勝茂   『ドーム郡ものがたり』   福音館書店
    ほかたくさん        

今日のラズベリー:2個

 息子ふたりと新幹線に乗っておばば(義母)のところまでゆく。長野行きは必ず高崎には止まるものと思っていたら、大宮の次がいきなり軽井沢なのでびっくり。
 今回はけちっておちびのためには席を取らなかったので、ちょっと窮屈…おちびが少しは大きくなっているのを計算に入れなかったかも。

 27日は朝から大変な大雨、今日は特に予定がないのでどうやって夕方まで過ごそうか悩むが、そーだ、こんなときこそ!と、近辺のブックオフを104でさがして出かける。佐久中込店と小諸店、どちらも同じくらいの距離だが今日は佐久の方へ。

 話には聞いているブックオフ、利用するのは初めてである。こどもたちはコミックの方に放し飼い、義母も私もそれぞれに店内を見回る。特に珍しそうなものはないようだったが、100円を中心になんだかんだと買い込む。

 義母が「小松左京って面白いのよね?」と、病院の待ち時間や東京に来るときの車中で読むと言って『結晶星団』『時の顔』をお求めになりました。わたしは一言もお勧めしておりませんが…。

 私はと言えばマシスン『地球最後の男』志村ふくみ『一色一生』リヒター『あのころはフリードリヒがいた』新井素子『おしまいの日』安房直子『遠い野ばらの村』仁木悦子『猫は知っていた』妹尾ゆふ子『太陽の黄金 雨の銀』『天使の燭台 神の闇』(文庫)長野まゆみ『夏至南風』いとうせいこう『ノーライフキング』バーグ『jケイティの夏』(ハードカバー)など。でも持って帰れないので次に車で来たときに積んでくるように置いてきた。

 家の近所にブックオフがなくて、よかった〜


990625(金)
  購入本: コニー・ウィリス   『リメイク』   ハヤカワ文庫SF

今日のラズベリー:2個

 いったん職場へ行ってから、中央線某駅そばのホールにて公開講座(サクラ要員)。職場から1時間ほど、久しぶりの中央線と言っても中央本線ではない、ほんのそのあたりである。中途半端な時間からの開催なので、同僚と池袋で食事を軽く済ませてから向かうことにする。有り難くも東武百貨店内の旭屋を通過することになったので、ハヤカワの平台をみると、ありましたありました、『リメイク』。これだけ急ぎ買ってお昼、そして出張先へ。

 学生時代は立川ないし国立から中央線で通っていたので、この沿線にはなじみがある。けれども、何年もほとんど利用しないうちにだいぶ景色が変わっている。中でも、同僚と「こんなに立派になって…」と涙したのは国分寺であった。あんなにローカル田舎駅だったのに、もう見違えちゃって(変わって何年経つんだ!)。
 降りた駅は、一カ所しかない改札の間口はうんと広いのに、自動改札のゲートはたったの4台。目的地は駅の目と鼻の先なのでそれ以上の周辺の変わり様は見られず。ちょうどいいタイミングで到着である。

 …爆睡(時々起きて居眠りをする)。大きな声では言えません。

 休憩時間中には目覚ましにと思い『リメイク』をちらっと読み出す。休憩中は目がさえ、講演中は気がつくと夢の国というのは何でだ。思ったより早く解放され帰路につくが、途中まで上司、と言っても女性、と一緒だったので結局『キリンヤガ』は手つかずであった。

 明日は、信州のおばばのところへシンカンセンで行く(おちび談)ことになったのである。娘は10日ほどで期末テストで、「マジでヤバイ」から行かないと言う。ふん、少しは心を入れ替えたかニャ?


990624(木)
  購入本: キョウコ・モリ   『シズコズ ドーター』   角川文庫
    Th・W・アドルノ   『音楽社会学序説』   平凡社ライブラリー

今日のラズベリー:2個

 きょうはATOKちゃんと動いて辞書登録も文字パレットもちゃんと動きます。
 きのうの、博打(誤)→博奕(正)というわけ。

 神林長平『戦闘妖精・雪風』読み終えた。突然現れて地球を脅かし始めた正体不明のジャムは、実は「人類の敵」ではないのではないか?
 昼休みも、電車の中でも、帰宅後も、ちょっと座れば取り出して読みたくなるこの面白さと緊迫感、美しさと寂寥感は、何?なんともじらされるような結末に、続編『グッドラック 戦闘妖精・雪風』をアタッカで開いてしまった。

 職場でポータブルラジオのFMをつけると、イヤホンからは武満徹の音楽が聞こえてきた(How slow the wind)。良くも悪くも武満節、輝く霧のような、静かな日の光のような音の場。時に戦慄を覚えるくらいストイックな間(ま)、しかしいっぽう懐かしい人なつこいメロディが浮かび上がる。
 どうしてこの人は死んでしまったのだろう!曲を聴く度に思う。曲を聴く度に、どうしようもなさに泣きたくなってしまう。武満の曲が好きだと自覚したのが彼の晩年だったので、もっと早く知っていれば良かったと後悔先に立たず。

 終業後、紀尾井ホールへファビオ・ビオンディ率いるエウロパ・ガランテの演奏会に行く。ほとんど雨に降られなかったのは幸い。オール・ヴィヴァルディ・プロで、聞き易いプロなのに意外にもいまいちの入りであった。1階バルコニー席はがらがらで、休憩後引っ越し組がぞろぞろと現れる。ここは舞台と同じ高さである上、前の方なら距離も近いので、生の音と息づかいが聞こえてなかなかなのである。サービス精神に富んでいる気っぷのいい演奏は、とても楽しかった!


990623(水)
  購入本: ロバート・アスプリン   『魔法無用の大博打!』   ハヤカワ文庫FT
    神林長平   『敵は海賊・海賊版』    〃 JA
    小長谷正明   『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』   中公新書
    シャーリー・ジャクスン   『たたり』   創元文庫

今日のラズベリー:2個

 どうもこのところATOKがちょっとへんで、文字パレットも出なければ辞書登録もできなくて、今もアスプリンの題の中の「ばくち」が正しく打てない。この字ではなくて、野蛮の「蛮」の「虫」が「大」になった字が本当。うう、どうしたんだろう、ATOK。

 おかしいといえば昨晩、もうおしまいにしようと言う頃になって、突然マウスのポインタが左右方向にしか動かなくなってしまった。ボールを出して掃除しても同じ、いろいろこちょこちょやっても駄目で、つい今寝たばかりの連れ合いにSOS。以前お払い箱にしたマウスが動いたので助かった、時々落っことしたりしていじめたからいかれちゃったんだろうか、反省。

 職場の公開講座というものが某所で催される。
 これは一般の方が対象のもので、内容は成人病ー最近は生活習慣病と称する、糖尿病とかーに関するものであるが、持ち回りで今回はうちの研究室のボスもしゃべるのである。われわれはお手伝いというかサクラ(これもお手伝いね)のため業務命令で全員参加である。
 同僚のひとりが「専門用語をなるべく使わないで素人の人にわかるように解説するのは難しいなあ」と言う。これ、
どこかの掲示板方面で聞いたネタじゃん、とひとりにやりとする。けれども最近の「しろうと」は、病気について実に良く勉強している(らしい)ので、以前他の部屋が担当した際にとんでもない難しい質問もたくさん出たとかである。

 このあたりのみきわめは実際難しい。
 医者で薬をもらうとき、「このおくすりはお熱が出ないように飲む薬です」のような言い方をされると、何じゃそりゃあ、と思ってしまう。一応私は薬学のはじっこをかじっているので、せめて「抗生物質」か「解熱剤」かはっきり言ってくれよ、と思うのだ。

 昔連れ合いの実家で頭痛薬があるかと訊いたとき、「病院でもらった痛み止めがある」と出てきた薬は、義父が痛風のために病院でもらってきた痛風専用の治療薬なのであった。痛風を治療してその結果痛くなくなると言う訳なので、直接的ないわゆる解熱鎮痛薬ではないのである。義父らはおそらく、医者に「これは痛みをなくすおくすりです」といわれたので、痛風の痛みが取れたあとでも、熱があったり頭が痛かったりするときにはその薬を飲んでいた(飲もうと思っていた)に違いない。そう考えるとおっかないものがあるのであった。せめて医者は多少の専門用語を使ってもいいから、そのあたりの誤解がないような説明をしてくれい!

 きのうの古本屋の収穫は、ケラー『アンダーウッドの怪』、スミス『呪われし地』(国書刊行会)、アンダーウッド『知恵の三つ編み』(徳間書)であった(まるでしりとりだ)。

 昨晩からの本は、神林長平『戦闘妖精・雪風』である。この作家は、たくさんたくさ〜ん書いている人気作家だが、翻訳物人間の私は初めてである。最近続編『グッドラック 戦闘妖精・雪風』がでた(5月のSFセミナーでサイン本をゲットした)ので、まとめて読んでみようと思う。

 これがまた、面白いではないか。異星から地球に攻めてきた謎の敵ジャム、これをくい止めるために敵地・惑星フェアリイに配備された地球防衛機構の一員で、特殊戦闘機「雪風」に乗る深井零が主人公である。彼(ら)の乗る戦闘機とその戦闘の様子が細かに書かれていると言う具合なので、勧められなければ自分からは手を出さなかったに違いない。けれども、読んでみるとこれが面白いのだ。今のところ1/3あたりまでさしかかっており、エヴァだとか『終わりなき戦い』だとかを想起するというのもあるが、スピード感とすがすがしさがよい。「非情に任務をこなす「有機系」コンピューターであるかのような」零が、けっこうあれこれ考えちゃってたり、その間にやなグノー大佐が『エンダーのゲーム』よろしく戦死しちゃったりして。さあ、続きを読もう。


990622(火)
  購入本:なし

今日のラズベリー:5個

 古本屋に行ったのだが、買った本を職場に置いてきたのでなんだかわからない〜。

 u-kiさんのところでお勧めのイアン・バンクス『蜂工場』を読了。いったい、うわさのギャフン落ちとはどのようなものか?

 このギャフン落ちの一言のみを頭の片隅に置いておいて、虚心坦懐に読もうと思っていたのに、意に反して掲示板上で、舞台がどこでどんな感じだの、とか、兄弟の名前がエリックフランクで、ラッセルはいつ登場するんだとかいう発言を読んでしまった上に、本の裏表紙の内容紹介にはこれまた余計なことが書いてあるし、まったくもー。って、読んだ自分が悪いんだけれど。
 ともかくなるべく無心に海辺の孤独な少年の風変わりな独白を読もうとしてみた。

 内容のホラーな部分が多い割には、実は語り口がとても美しくて、慣れてからはとても好きだと思った。終盤にさしかかって、これが、ギャフンか?あれが、伏線だったか?まだあるのか?てことは、実はこの人物は何者なわけ?などなど、最後までひっぱること、ひっぱること。

 おぉ〜、そういうふうに来ましたか!そうでありましたか。でもそうすると○○○はどうなるわけだろう!ううむ、気になる。

 TRCで検索したところ、ほかに『フィアサム・エンジン』『秘密』『共鳴』がヒットしたが、どんなものだろうか! 

 食事中「超おいしい!」とか言った娘、初めて気がついたように「って言うようになる前はなんて言ったのかなあ」 息子「めちゃとか?」 わたし「とても、とかすごく、とかじゃない?大変、とかうんと、とか」 納得したように「そうか、とってもおいしい。すごくおいしい。」などと、試すようにあれこれ言ってみる娘なのであった(嘆)。「超」が流行語の一種だ、と言う認識はかろうじてあるようではあるが。


990621(月)
  購入本:なし

今日のラズベリー:3個

 先月某日、ハウスクリーニングというものをちょっとした成りゆきで依頼したのだが、例の義理の祖母の容態急変〜葬儀のために延ばしのばしにしてもらっていたものを、今日ようやく来てもらったのであった。今月中でないと料金が見積もりの2割り増しになっちゃうと言うので、仕方ない、時間休を取ったのである。2時間くらいで終わるつもりが、4時間もかかったので、職場へ行くとはや3時過ぎ。いやはや、行かねばならぬ仕事がなければ、読書三昧だったものを。

 クリーニングの人は新米の人を連れてきたので、私の労働力提供はほとんどなし。リビングと台所の床回りだったので私はぱそこん部屋に引っ込んで、なかなか出来ない掲示板過去ログの整理。それが終わってもまだ向こうは終わらないので、要・再読の『西の魔女が死んだ』を読み始める。
 天気はいいし、風はそよそよ吹いてくるし、向こうではワックス塗りが始まっているので部屋から出たくても出られない、という絶好の読書日和である。

 梨木香歩の語法にも慣れたので、前回・前々回より物語に入って行きやすい。目に留まったところに付箋を付けようと思ったが見あたらないので、ノートを取りだしページ数とその部分をメモする。結局クリーニングが済むまでの間に半分以上行ってしまったのだが、気がつくとメモはノート2ページ分になっている。まるで仕事のようにせっせとそんなことをしている自分に気づく。どこをどう読み解いたらよいのか?なんて、もっぱらストーリー重視・読み飛ばし人間の私が、いちいち引っかかってこんな作業をするのは、高校の現国以来ではあるまいか。こういう一日の過ごし方をしたかったのではないか?と改めて自分を振り返ったり。

 感想文を書くなんてもちろん興味なし、だいたい本の世界のことを他人と共有するなんてすごくいやだった。なのに、今は…!大学が理科系だったので、単に身近に趣味を同じくする人間が居なかっただけで、多分潜在的にはこういうことが好きだったのかもしれない。
 そのうちにこの至福の時間も「すみませーん、終わりましたのでサインお願いしまーす」の声と共に終わりを告げてしまったのであーる。がっかり。

 夜、机上のぐちゃぐちゃ本の山を整理し、目的・種類別に山を積み直す。これはもしかして、賽の河原状態ともいうべきかも。「これは面白いから読め」の山、「おすすめ神林長平」の山、「デ・ラ・メアいろいろ」の山、「梨木香歩検証」の山、「幻想文学関係」の山、「人から借りたぞ早く読め」の山など、など。早晩これらの山も老年期の地形と化すのは明らか。
 うちの息子(たち)は、とにかくエントロピー増大人間なのであるが、これは明らかに私からの遺伝であると言わざるを得ない。まあ、人に言わせると「熱力学の法則に忠実な子!」だそうだが。誉め言葉かな?(反語)

 信州の義母の家を経由して仕事に行った連れ合いからメイル。庭のすぐりの木が今年も豊作とのこと。若干1本の小さな木だが、そこそこジャムにするくらい採れるようだ。義父が健在の頃は、いろいろな果物で、妙に堅かったり、逆に形がなくなるまで煮たジャムを死ぬほど作ってくれたものだ。あんず、ブルーベリー、すぐり、ルバーブなどなど。私はプリザーブ風に形と色が残っている方が好きだが、義父は容赦なくかき混ぜてしまうのである。そういえばまだ冷蔵庫にネスカフェの空き瓶1本分残っているぞ、義父お手製のすぐりジャム。来年はたしか義父の七回忌のはず…。

まだ途中の『蜂工場』、昼間はワックス塗りの向こう岸の部屋に置いてあったため読めず。


990620(日)
  購入本: 倉阪鬼一郎   『活字狂想曲』   時事通信社

今日のラズベリー:1個

 一日掃除をするつもりでいたら、英検を受けに行く娘が、「父の日どうするの」と言う。私に関しては、父も義父も既に川向こうの人だし、連れ合いには(父じゃないけど)、先日ちょっとしたアウトドア用品を自分が欲しくて買ったので、それを一応父の日だよ〜んとメモを付けて差し上げて置いたのである。なのに娘、今更何を言う?自分たちで考えなさーい。しかし結局泣きつかれて午後から出かける羽目に。今日はひたすら掃除人間になるつもりだったのにナー。

 しかし、そうとなればせっかくもらった長野まゆみのサイン会の整理券を有効利用しなくては!今日3時から、池袋西武リブロにてまたまたサイン会なのである。11月にも東武・旭屋であったばかりである。人気あるのね。『ヒルサガリ』と『超少年』を携帯して出かける。前回もそうだったが、けっこうな人数が既に並んでおり、それがまた大多数が高校生から大学生くらいの年代の女の子。似たような格好の女の子たちが、嬉しそうにサインをもらっては握手してホクホクして帰って行く。娘に一冊持たせて並んだが、「みんな好きなんだね〜。」と、物好き、と言いたそうな口ぶり。うん、確かに物好きだと思うよ…1時間も待ったりして。これで当分、彼女のサインはいいな。
 『紺碧』の続きが『青春と読書』に載るのは来年度になりそう、と、こればっかり訊かれちゃうのよね、と言わんばかりのあせりようであった。ほんとうは『超少年』の装丁は一体誰がどうしてああいうふうにしようと言い出したのかを訊こうかと思ったのだが、それは勘弁してあげた。

 のち、池袋西口の芳林堂に足を延ばす。あとから来るという長男から一向に携帯電話に連絡が入らないので、間違いなく圏内にはいるところで待つためである。おちびが一緒に居るのでうろちょろして面倒だから、案内カウンターで『活字狂想曲』の場所を訊き、「ご用意」してくれた2階レジへ向かう。するとおちびが、階段を上ったところのスターウォーズコーナーにひっかかり、ビデオを指して大きな声で「ママー、オビワン・ケノビの若いときだよ!」「ママー、ダースベーダーの小さいときだよ!」と連呼する。うう、この書店はリブロ、旭屋に比べれば書店らしい雰囲気なのでちょっと気が引けるが、おちび、一向にかまわず連呼。ハイハイ、教育してます。家に帰れば長男が自主的に買ってきたSWキャラクターのついたペプシコーラ缶もあります。「どうすんの、これ」とかいいながらしっかり洗って取って置くのはわたしです。

 で、すぐに息子から連絡が入ったので、あっというま芳林堂をあとにし、おちあって父の日グッズ(Tシャツとハーフパンツ)を仕入れた後、めでたく懸案のマグロを買って戻ったのであった。かわいそうな父親の人は、マンションの管理組合の役員会&新年度の懇親会のため、マグロがとっくに消えた10時半頃ご帰還。まあ、お寿司を食べてきたようだから、いいでしょう。


990619(土)
  購入本: レメディオス・バロ   『夢魔のレシピ』   工作舎
    レオノール・フィニ   『夢先案内猫』    〃
    エーリヒ・ケストナー   『小さな男の子の旅』   小峰書店
    イタロ・カルヴィーノ   『カルヴィーノの文学講義』   朝日新聞社
    神林長平   『七胴落とし』   ハヤカワ文庫JA
     〃   『言葉使い師』    〃

今日のラズベリー:2個

 午前中は連れ合いと新宿伊勢丹にて25日まで開催されているレメディオス・バロ展に行く。KANAZAWAさん、いなばさんの情報で知ったもの。

 これが、実に実に素晴らしかったのだ。いやはや!もうあとわずかなのだけれど、チャンスのある人は絶対お勧めいなばさんのバロ・ギャラリーをご覧になって下さい。
 伊勢丹の展覧会情報でちょっと見たときには絵本のビネッテ・シュレーダーにちょっと似ているな、と言う印象だったが、実物は、確かにそれに近いものがあるがまた全然違って緊張感と不安感が色濃い。
 幼いときから製図を教え込まれたと言うだけあって幾何学的な硬質な図形や線が多用されており、また、デカルコマニー(絵の具を垂らしたところに紙を置いてふたたび剥がした時に出来るレース模様のような効果)も印象的だった。画面の雰囲気と相俟って、天体、歯車、車輪、落ち葉、旗、風、水、塔、森、編み物、などなど、さまざまなものが象徴的に用いられているところも中世的(これは私にはツボ)。忘れてならないのが、
 う〜ん、きょうは実に素晴らしいものに出会えた。

 新宿でタイ料理のお昼を食べてから(パパイヤのサラダがうんと辛くておいしかった〜)池袋芸術劇場にて京劇(三国志II)。前回の大連京劇団とはちがって、今回の北京京劇団はちょっとお上品。音楽、鳴り物もずいぶん洗練されている感じ。演目が違うせいか、歌が少なく、また、あちこちで笑いをとったりして演劇的要素が強い。また、戦いの部分がなかなか迫力だ。けっこうな入りで、しっかり固定客がいるようだ。

 西武リブロで物色。その前に通った食品売場で、豊漁・まぐろ市をやっていたので帰りがけに買おうね、と言っていたのに、すっかり忘れてこれこそ「買い損ねた魚はうまい」。(?)なにせ過去5日間で去年1年分の水揚げに相当する漁獲量だというのだからすごい。あれはもしや、冷凍ではなくて冷蔵だったのでは?そう思うと一層、ああ、くやしい。


990618(金)
  購入本: 長野まゆみ   『超少年』   河出書房新社
    折口信夫   『死者の書・身毒丸』   中公文庫
    西山明   『アダルト・チルドレン』   集英社文庫

今日のラズベリー:2個

 ああ、雨。しかも、寒い。職場の窓(3階)からみていると、こんな暗い空の日にはあじさい色の傘がとても綺麗だ。一日霧雨が降っているのが本当に鬱陶しい。小糠雨、というがこれはいつの季語だろう?

 『季刊・文芸』夏号に載ったばかりの『超少年』が、もう単行本になった。ソフトカバーで、軽っぽい装丁。なんか気に入らない。いきなり「Super Petit-Prince」と大きく書いてあって、どうもね。文芸に掲載されたときはこの英語=フランス語は、なかったけれどなあ。やでやで。

 イアン・バンクス『蜂工場』を読んでいるが、翻訳の文体のせいか、なんだかスコットランドと言うよりアメリカのような気がして仕方ない。先入観だとは思うのだが。それにしても裏表紙のあらすじはもう少し読者に楽しみを取っておくようにすべきだ。一種のネタばれで、書きすぎ。


990617(木)
  購入本:なし  

今日のラズベリー:3個

 来月、大津(もしや、梨木香歩が住んでいるのはここ?)で学会があるので、ちょっと早いがスライドの準備を始める。久しぶりにスライド作成ソフトを使うのでもう忘れちゃっていて試行錯誤。グラフ作成から始めたので、けっこう一日フルにぱそこんの前に座っていて目が疲れた。かすみ目。とか言いつつまた夜もぱその前に座っているのは病気。

 朝の曇り空からうって変わって日中はものすごい照りよう。と思っていると夕方には驟雨が!帰宅時にはすっかり上がっていたが、深夜になってまた降ったり止んだり。窓を開けておくと足が冷えてしまうくらいの涼しさだが、閉めてしまうと蒸し蒸ししてくる、やっかいな天気だ。昨夜のうちにタオルケットを洗って置いたのに、やっぱり乾ききらずがっかりである。

 昼休みにドーナツをかじりながら『エンジェル エンジェル エンジェル』を再読。2回目だと、コウコが語る現代部分(ふつうの黒の印刷)がとくに、やや作為が勝っているかな、と感じる。無駄な部分のないスリムな分量の作品なので、余計そう見えるのかも知れない。コーヒー(カフェイン)中毒への言及など、ちょっと性急かも。高校生のコウコが、肩肘を張って背伸びしている様が(本人はそうは思っていない)とんがって、痛々しい。コウコの部分と交互に語られるさわこ(ばあちゃん)が一人称の部分は、濃い栗色の印刷で、読者にそれとわかりやすくなっている。

 はじめに読んだとき、あとのほうで不覚にもじわっと涙が出てきてしまった。『西の魔女が死んだ』では、この「作為」が強く感じられ、書き割りのような作り物めいた背景と舞台装置に(これ『裏庭』でも同じ)、いまいちしっくりとこないものを感じたものだが、私自身はむしろ『エンジェル〜』では気持ちにぴたっと来る、ツボにはまるところが多々あった。
 某児童文学MLでも『からくりからくさ』の刊行のせいか梨木香歩が話題にのぼっているが、全体に『西の魔女〜』、
『丹生都比売』が人気があるような印象。『裏庭』には引っかかりを感じている意見が目につく。
 新作『からくりからくさ』は、主人公が大学生(かそのあたり)であるためか、もしくは作者自身の変化・成長のせいか、全体に穏やかな筆致でむしろ成熟した雰囲気を感じた。けれども、『裏庭』と同じく、この作品は題材があまりにも盛りだくさんで、それらが今ひとつもふたつも、それこそ一枚の織物になりきっていないので、読者としてはどこに焦点を合わせたらよいのか、読み返してもうまくつかみかねるきらいがある。そう思ってみると、『西の魔女〜』でもその傾向はあり、例えば、ゲンジさんはなんだったんだ?というような釈然としないものが残る。
 『丹生都比売』はその点、かなり絞り込まれているかも知れない。母を従容として受け入れる子供、子供を溺愛しながらわが手に掛ける母。実体としての水銀と象徴としてのそれと。

 それにしても、『エンジェル〜』のような中編でも、題材がたくさん盛り込まれているところがこの人の特徴で、すごいところだなあと思う。これを、ひとつの話に詰め込まないで、もう少し違うやり方で消化していくことが出来たらもっとインパクトが強くなるのではないだろうか。
 この本は、多分彼女の5冊の本のかなめだと思う。彼女はまだそれほどたくさん書いているわけではないから、今のうちにきちんとフォローしておいた方が身のため>梨木香歩ファン。

 もしかして、わたし、梨木香歩ファンというものなのか?

 幸いに雨に遭わずに帰宅すると、メイルボックスの中にはAmazonからの包みがドーン!と鎮座しており、それはコニー・ウィリスの“Bellwether” “To say nothing of the dog” とJ・K・ジェローム“Three men in a boat -To say nothing of the dog ! という、しりとりのようなラインナップなのであった。うう、一体これ、いつ読むって言うわけ!?


990616(睡)←これで正しいのだ
  購入本:なし  

今日のラズベリー:3個

 しかし本を抱えてソファに座ると条件反射的に寝てしまうと言うのは何なのだ?

 昼休みに梨木香歩『丹生都比売』を読み終わり、夕食後『エンジェル エンジェル エンジェル』を読了。前者は紙面のほぼ半分から下が空白というレイアウトであること(行替えが多いわけではない)、後者はもともと薄めで字も大きいことから割に短時間で読める。

 話題作『西の魔女が死んだ』のあとに書かれた『丹生都比売』は、壬申の乱のころの草壁皇子が主人公で、父である大海人皇子が雌伏していた吉野が舞台である。またさらにこのあとの作品、『エンジェル エンジェル エンジェル』は、ふたたび現代が舞台で、コウコという少女と、ほとんど寝たきりになっている祖母さわこの物語である。読む前の感じだと『丹生都比売』のほうが気に入るのではないかと思ったが、むしろ『エンジェル〜』のほうがぴたっと来たのには自分ながらびっくり。新作の『からくりからくさ』にストレートにつながってくるものを感じた。このような一種の精神のタイムスリップものにはよわいのである。ううう。おすすめ!

 あ、あつい!ついに来ました、焦熱地獄。これから3ヶ月強、この暑さと湿気に悩まされるのかと思うと、世をはかなみたくなる。特に台所の暑いこと!!!!誰がこんなに暑い台所を設計したんだ!食後のお茶は、息子が「冷たい茶」と言いながらクール・ウーロン茶を作成したので、安くはないウーロン茶葉を台湾から買ってきた連れ合いはそれを見て少々がっかり。でもおいしかったわよ。


990615(火)
  購入本:なし

 今日の暑さと言ったらない。いやはや、湿気が多いのでまとわりつくような暑さである。いよいよ東京も亜熱帯に突入なり。きょうのラズベリーの収穫3個。ラムズイヤーにも花が咲き始めた。

 昨晩の爆睡にもかかわらず、またも安眠ソファで寝そうになるわたしであるがなんとか睡魔をやり過ごす。目薬、お茶、シャワー…。

 今日はおちびのスイミングである。すぐ近くの区立のプールでやっているのだが、夏(7月から9月)は、全日一般公開となるため、貸し切りの日に民間のクラブが借りて行っているうちのようなクラブは3ヶ月間お休みになるのである。というわけで、とりあえず夏前は今日が最後である。幸いに水を怖がらず、顔を水につけるのも平気なのだが、何故か一時期行きたくない、と言いだして困った。最近保育園の同じクラスのお友達が一緒に行くようになり、きょうもふたりで真っ先に転がるように更衣室へ。別段「行きたくない」という強い理由があるわけでもなかったので、反対に、行かせるための解決策がなくて多少困っていたが、お友達とは実に有り難いもの、もつれあうように嬉々として駆けて行く姿はあっけないというか、まだ赤ちゃんというか。

 この2,3日の間に『玩具修理者』『ラジオスター レストラン』を読み終え、『新解さんの謎』『丹生都比売』を並行読み中。


990614(月)
  購入本: なし
  図書館本: 梨木香歩   『丹生都比売 (におつひめ)   原生林
     〃  
『エンジェルエンジェルエンジェル』  
 
 〃  

 日頃の睡眠不足がたたって、帰宅後全身に乳酸がたまったかのようなだ・る・さ。

 ようやくご飯をでっち上げ…これが大変、昨日長男がわんさか採ってきたあさりの半量ををワイン蒸しの様なものにし、先日頂いたこれまた大量の枝豆を仕方なく茹でて置いたものをフードプロセッサーでグワーっとペースト状にしてスープに、などなどエクストラな作業が入ったのじゃ。
 ご飯が済んで安眠ソファにどっと腰を下ろし、『丹生都比売』をどれどれ、と読み始めたらそのまま夢の国行き、これではならじと起きて、おちびを寝かしつけたら、朝であった。久しぶり8時間半の睡眠なり。


990613(日)
  購入本: 赤瀬川原平   『新解さんの謎』   文春文庫

 しばらく前にお流れになった潮干狩りであるが、数日前、仕掛け人の潮干狩り一家から電話があって、しっかり計画は復活していたのであった。「体と心の準備は出来てる?!」といきなり言われて、つい「出来てない」と本音を言ってしまった。正直に言えたので(なんだこりゃ)、上の息子だけが参加と言うことになり、それが今日である。願ったりの上天気で、7時半頃の新宿発に乗るために感心にもひとりで起床した息子を、寝ぼけ眼で見送る母であった。
 ふたたび目覚めたときは、娘も既に出かけたあとの9時半。ああ、日曜日よ、時間の流れがうんと遅い一日でありますように!(早く起きろって)
 夕方帰ってきた息子の収穫は、洗面器いっぱいのアサリ。砂抜きしなくちゃならないし、こんなにいっぱい冷蔵庫に入らないじょ。どうしよう、と悩む。

 幻想的掲示板で触れられているが、昨日(6月12日土曜日)の読売新聞の夕刊の読書欄に、『書物の王国』シリーズ、『英国短篇小説の愉しみ』シリーズなどに関する記事が掲載されており、東雅夫氏のお言葉が載っている。『英国〜』は時々ぽちぽちと読んではいるものの、まだまだ。新聞に先に拾われるなんてがっかり。

 もう一つ新聞ネタであるが、今日の読売の読書欄では斉藤道雄『もう一つの手話』晶文社が取り上げられている。私は未読であるが、その書評にいわく(この色引用)、

 本来の手話は、テレビなどで見かける「手話日本語」とは異なる、完全に独立したひとつの言語で、それを使う「ろう者」たちは「ろう文化」と呼ばれる独自の文化とコミュニティーに生きている。

 ジョン・ヴァーリィの短編集『残像』の表題作では、目も見えず耳も聞こえず口も利けない少女らの共同体が、独特のボディランゲージをあみだしてコミュニケートしあっているさまが濃厚に描かれ、主人公である(健常人の)男性が、彼らの世界の異質さと豊かさに引き込まれて、その少女によって視覚も聴覚も捨て去り彼らの一員となろうとするところで終わる。これはいわば私のオールタイム・ベストに入る作品であるが、この作品で知った、まったく考えもしなかったそのような世界(に近いかも知れない世界)が現実に存在することを、『もう一つの手話』では知ることができるかもしれない!


990612(土)
  購入本: 岸田理生   『水妖記』   角川ホラー文庫
    イアン・バンクス   『蜂工場』   集英社文庫

 せっかくの土曜日なのに悲しいかな娘の高校の保護者会である。平日に休まなくて済む分いいとしようか。でもせっかくの上天気に寝坊もできない。ってちょっと変。

 真夏並みに暑い一日である。有り難いことに学校はエアコンが入っていたので何とか息をつく。先日娘が、学校でその日からエアコンが入ったというので、冷えすぎに気を付けなきゃね、と言うと「だいじょうぶだよ。うちの学校金持ちだから、エアコンがんがんかけて、窓も開いてるもん。チョー気持ちいいよぅ!」だ、誰がそんなことするんだ…!

 先日の中間テストの成績表など配られ、こんどは冷や汗。終了後娘たち仲良しトリオのおかあさん同士でお茶など。3人ともおんなじ様なドングリ的成績同志、あぁ、あたま痛〜い、と慰め合うのであった。

 帰り池袋にて連れ合いらと落ち合うまでの間、久しぶりにゆっくり見て歩き。夏に予定されている叔母の法事のため、涼しい喪服(に使える服)を捜す。向こうの母はきょうだいが多いので、ある時期から法事続きである。また暑い暑い小諸だよ。
 時間があるのを幸いに東武・旭屋書店でのんびり物色するが、ここはいまいち掘り出し物といったかんじのものが少ないので、こんなに待たされるのなら待ち合わせを西武・リブロにすれば良かったなあと後悔する。この旭屋は文庫は多いのだが、ほかの棚には余り面白みが感じられない。晶文社の棚があることくらいだろうか。リブロだとミステリ、ホラー、SF、幻想から児童文学へと横一列に続いているのがよい。どちらにしてもちょっと一休みできるスペースがあると良いのだけれど(リブロには少しだけある)。

 小林泰三『玩具修理者』収載の「酔歩する男」車中で読む(まだ途中)。ふうん、フロッピーにデータが書き込まれる様な具合に、時間というものが存在するというわけ…。なんだか車酔いしたときのような気持ち悪さを感じる。作者は小林泰三(やすみ)氏であるが、この名前、私にとっては大学のクラブの先輩、泰三(たいぞう)さんなのである。ちなみにこのたいぞうさんは酒乱。


990611(金)
  購入本: ネムキ   7月号    

 まいにちまいにち、なんと良い天気が続くことでありましょうか。梅雨はどこへ行ってしまったの?あじさいだけが律儀に今が梅雨の季節であることを知らせてくれるのである。

 うちの「広い庭」(ベランダの固有名詞)では、いまふた鉢の百合の花が真っ盛り。おととし球根を植えたきり、水と少しの肥料だけでまたたくさんの花を付けてくれた。
 以前、百合の花は、さぞかし涼やかな香りがするのだろうと想像していた。たとえばすずらんのような。しかしじつは姿に似合わない濃厚な香りを放つことを知って、敬遠するようになってしまった。目には本当に美しいのだが…。

 もう一つ毎朝の楽しみは、ラズベリーである。これも、おととし苗を買って植えたきり、ほとんど放置して置いたところ、昨年はいつの間にか花をいくつか咲かせて、ほんの数個だけそれでもけなげに赤い実を付けた。わずかな収穫でも、ちゃんと一人前にラズベリーの味がするのに感激したり。
 今年は幾分株も大きくなり、せんだってふたたび花を付けた。この花は、野ばらのような花が咲く…と思っているうち、花らしい花にならずに終わってしまうというしょぼい花なので、マメに見ていないとちょっと気づきにくい。今年はそれでもけっこうたくさん花を付けたな、と思っているうちに、いつの間にか実が真っ赤に色づきだした。
 ところが、これがまた律儀に花が咲いた順に色づくので、今日は2個、明日は3個と、一日にちょぼちょぼずつしか収穫出来ないのである。一日遅れるともうグズグズにつぶれてしまうやっかいな実でもある。冷凍してまとめてジャムにすると言う手もあるが、取り立てのラズベリーの酸味を味わいたくて、毎朝ささやかな収穫を楽しみにしているのである。

 ことしはなぜか青虫がたくさん発生してしまい、しその葉も、ミントの葉も、タイムも、次々と食い荒らされてしまう。先日、2pくらいのと、3pくらいのと、青虫がしその葉についていたので、おちびに見せようと思って広口のガラス瓶に葉っぱごと入れてとって置いてみた。翌朝見ると、なんと大きい方の青虫がみごとに黒褐色に変わっており、みんな一斉に「気持ち悪ーい!」と合唱するも、もはや取り出すのもはばかられ、ひたすら葉っぱを補給しては見て見ぬ振りをしている有様。うえ〜、これ一体どうしたらいいんだろう!そのうちおとなしくさなぎになるのだろうか。一生イモムシのままなんてこともあるんだろうか?げ、考えたくない〜。

 昼休み実に珍しくひとりで外食。外食自体は別段嫌いではないが、ひとりで、と言うのがどうにもいやで、よほどおなかが減ってもまずひとりでの外食というのはしない。きょうは娘が「買い弁」のため私もお弁当がなく、いっぽう、家で紅茶の葉をきらしてしまいそうなところ、近所のKというコーヒーのチェーン店に売っていると聞いたので、それを買いがてらお昼にしてしまえば読書時間が捻出できると思いつき、外の空気を吸いがてら出かける。うん、確かにたくさん読めました。でも目当ての紅茶は売っていなかったのであった。がっかり。読んでいたのは『ラジオスター レストラン』。
 ところで、ハヤカワ文庫で6月上旬予定のコニー・ウィリスの『リメイク』は、まだ出ないのでしょうか、
大森望様。待っているんだよーん。


990610(木)
  購入本: J・R・R・トールキン   『仔犬のローヴァーの冒険』   原書房
    妹尾ゆふ子   『魔法の庭<2>天界の楽』   プランニングハウス
    井上雅彦 監修   『水妖』   廣済堂文庫

  保育園で午前中保育参加(参観というよりいっしょに遊んだりする)、午後保護者会。いつも予定があわなかったり年休貧乏だったりするので、保護者会しか出席したことがないのだが、ちょっと仕事も一段落したことだし、たまにはゆっくり保育参加にも出席してみようかと考えて、3人目にして初めての保育参加・参加。

 昨日の天気予報では薄曇りとか言っていたようだったし、朝も涼しいくらいだったのに、いざおちびと家を出る頃には日差しが強くなってきた気配に、サンバイザーを持つが、これが正解。部屋で折り紙によるカエル&睡蓮製作ののち、保育園裏手の、原っぱのある公園に繰り出して鬼ごっことか、りレーとか、カンカン照りのもと、ともかく走らされる
 母親が24人中9人も参加したという珍しい高参加率。そのせいか、逆に、母親が来ている子供は甘えてしまって、やたらに泣いたりぐずったりで、あちこちで大変である。

 子供たちの昼食が始まるのをちょっと見てから、親はひとまず園を出て各自昼食、うち5人ほどで、コンビニで食糧を調達して公園のプラタナスの木陰で一緒に食事。日差しが遮られると、風はひんやりして、本当にいい気持ちである。
 保母さんたちは毎日あれだけの運動をしていて大変だなあと実感。みな、くたびれたぁ〜、と足を投げ出す。

 午後から室内で保護者会、15人参加(うちふたり父親)。おやつをいっしょに食べて、カエル。もとい、帰る。一日貴重な休みをつぶしてひたすらのんびり、見方を変えてたまにはこういうのもいいかなあ、と思う。

 じつは今日はこのあと四谷にて演奏会。でも時間があるので一旦神保町に行き、お茶の水で相棒と待ち合わせである。古本屋を物色するほどの時間的余裕はなし。というわけで三省堂にて上記をゲット。トールキンのこの本は、何?

 文庫売場で、店員に「アーサー王の本は…?」と訊ねている30代くらいの女性があり、店員は、児童書…とか答えている。う〜ん、児童書にも類書はあるがせっかく文庫売場にいるんだからマロリーの書いた物くらいあるやんけ。しばらく徘徊していてまたその方を見かけたので、シッタカブッタカで近くにあったちくま文庫の『アーサー王の死』と『アーサー王物語』を教え、巻末の参考文献を参照してご覧遊ばせ、とお節介をして逃げる。幻想のところとか、イギリス、フランス文学のところにだっていっぱいあるじょー、と思いつつ…。

 連れ合いと落ち合って軽く食事ののち、四谷へ移動。紀尾井ホールに行く時はいつもぎりぎりなのに今日は余裕があるので、最近新しくなったイグナチオ大聖堂(の鐘つき堂)をちらっと見たのち、気持ちがよいのでお堀の土手をぶらぶら歩いてホールへ行く。
 演奏会はベルリン古楽アカデミーのバッハプロだが、プログラムを見ると、ピアノ連弾のザイラー夫妻の娘に間違いないMidori Seilerという女の子がメンバーにおり、日本公演向けのサービスと言う訳か、オーボエとヴァイオリンのためのコンチェルトでソロを弾いた。この子が、なかなか見栄えのするチャーミングな子で、みんなの目をひいていたようだ。今日の収穫。

 行き帰り、ハードカヴァーの『ラジオスター レストラン』の代わりに携帯した小林泰三『玩具修理者』を読む。ぐえぇぇぇ。ぎもぢわる〜。でも、おもしろかったじょ!


990609(水)
  購入本: ウォルター・デ・ラ・メア   『アリスの教母さま』   牧神社
     〃   『アーモンドの樹』    〃
     〃   『まぼろしの顔』    〃

 どうしても晴れ間には外に行って少しでも新鮮な空気を吸って日光を感じて来たい。空気は割合に爽やかだが日差しは強い、日傘を差して古本屋へ。

 コミックのところを通過し、文庫へ行く前にわずかな児童書のところを見る。な、なんと!牧神社のデ・ラ・メアの本が3冊、出現しているではないか!!!うっそー!児童書のところにあるから目につかなかったのだろうか?いっしょに、プチ・ニコラも1冊あったが、それは見送り(プチ・ニコラ、別の場所に2,3冊置いてあるぞこの本屋)。う〜ん、収穫収穫。どうもこの本屋は私の好きそうな本を選って置いてあるんではないかという疑いが強まった。ニム様御用達…。

 帰宅後おちびと一緒に墜落睡眠、気がついたら12時半でそれからまたネットをさまよっていたが日記を更新するほど頭が目覚めず、断念〜。


990608(火)
  購入本:なし

 梅雨の晴れ間と言ったらよいか、朝から空が笑っているような上天気で、暑い!しかも嬉しいことに湿度が低いのでスカッとした暑さ、こういうのは大好きである。

 昨日昼休みに外へ出たところ、まさに今雨がほとんど止んだところで、木々が水を滴らせて、空気は雨に洗われてガラスの緑色のような按配。あんまり気持ちよかったので、すれ違った同僚に「雨上がったのね、なんか素敵な天気ね!」と言ったら、「う、うん…」と困ったような返事をもらってしまったー。

 先日、梨木香歩『からくりからくさ』の、池澤夏樹の文を載せた帯が、ちっとも良くないと書いたが、 その後書店で新潮社の宣伝誌『波』5月号をもらったところ、この帯のもとの文がのっているのを見つけた。

 「手の仕事とモノの実在感ー梨木香歩『からくりからくさ』と言うのがそれで、見開き2ページの短い文章である。

 自分にとって手仕事は楽しい、と言う話が前振りで、そのあと『からくりからくさ』にはいろいろなエピソードが出てくるが、(以下この色引用部分)

「すべては染めと織りという手仕事の場の上に広がる話だ」

と書かれる。私が引っかかった「植物的」ということばも、それに続く文脈の中では異議なく用いられている。すなわち、主人公らが庭に生えている野草を次々に工夫して食べているあたりをさしているのだ。
 またこの4人の女性たちのコミューンは

「完璧に出来ている。だから男のつけいる隙がない。」

そして作品に登場する3人の男性を指し

「結局は4人の生活という硬質の球体の中に入れない。」

と続く。これを指して

「最強無敵の4人の、その強さの秘密はたぶん手仕事にある」

と続くのである。帯に唐突に「最強無敵」などと書かれると、アマゾンかなにかを思い浮かべてしまうではないか。
 ほんとに、文脈を無視して目を引くような文だけ抜き出してくるようなお馬鹿なまねは止めて欲しいものである。>帯をつくった人
 と言いながら私も部分的に引用しているんだけど(汗)。

 寮美千子『小惑星美術館』読了。先日読み終えた新刊『星兎』に先立つユーリ物(主人公がユーリというヴァイオリンを弾く少年)。短めの文章、硬質なガラス玉のようなイメージが素敵だ。円、球、環、回転、という言葉がキーワード。そこにまっすぐ飛び込むユーリ。
 『星兎』もそうだが、『ノスタルギガンテス』のように、子供向けに手加減しないで書いた、と言うふうではない。『ノスタルギガンテス』では、物語自身が作者の掌中からあふれ出していたが、これらでは作者の意図がきちんと行き渡っている。
 寮美千子の作品を読むのはこれで3作目だが、いずれも、動きが感じられる文だ。走る、飛ぶ、流れる、はずむ、回転する…。そのためか、音のない音楽を感じる。

 だいたい、美しい文章はその美しさの種類は問わず、音楽を感じさせるように思う。具体的な曲、と言うわけではない、星空を見つめていると確かに聞こえる天体の歩みの音楽、そういう類の感覚を超えた音楽が感じられるのだ。最近では、山尾悠子に強くそれを感じた。さまざまな印象的なシーンで、必ず光(またはその対極の闇)の音楽が聞こえるという思いであった。

 続いて寮美千子『ラジオスター レストラン』に突入。ラジオスターという言葉は、『小惑星美術館』で語られる。私たちひとり一人は夢見る天体になって強い電波を発し続ける、あたかも強い電波を発し続ける宇宙の星「ラジオ・スター」のように。

 それにしても『小惑星美術館』、古本屋で100円で入手したというのはあまりにも哀しい…。


990607(月)
  購入本:なし

 きのうの目玉焼き男は今日から京都・奈良へ修学旅行である。班ごとにまとまって、集合場所である東京駅に行くのだそうだ。あいにくの雨、京都も雨模様だろうか。雨の東京は、黄色の未央柳がさかりである。

 土曜日の記事に書き忘れた。実は、子供たちと廊下側の窓の掃除をしているとき、危うく火事になりそうだったのである。

 昼下がりとて、近所から昼餉の支度の匂いが漂ってくる。
 「あら、いい匂い、ニンニクの匂い」 「またおなか減っちゃうね」などと言いながら、じゃぶじゃぶごしごし。「あら、ちょっと焦げてるみたいね」「ほんとだ」などと娘と話していた。息子は台所のとなりの風呂場で網戸を洗っている。少しして「ちょっと臭いね。うちじゃないもんね、火は使ってないし。でも水を替えるついでにちょっと確かめてみて」と娘にたのむ。しばらく戻ってこないので、ほーらやっぱりうちじゃなかった、お隣さんだかなんだか、焦げてるよ〜、と思っていた。すると娘が戻ってきて妙な表情と声音で「ママァ。」 「なに〜」 「ママ!来てよ!火事になるとこだったよ!」 「エ〜?なんでぇ?」
 娘に続いて台所に行くと、鍋の中には煮沸消毒していたふきんの半ば炭化した残骸があり、あたりは何やら霧に霞んで、ではない、うっすらと白煙がただよっているのであった。あぢゃ〜!完璧に忘れていた!うえー、危ない!とりあえずほっと胸をなで下ろすじつにドジな私なのであった。(しかしなんで、すぐ隣の風呂場にいた息子はきな臭いのに気づかない?)

 このところかなり中身の詰まった本が続いたので息抜きがしたくなり、井上直久のまんが『イバラード物語』を読む。画集の方ばかりに魅了されて、まんがの方は持ってはいてもちらっとしか読んでいなかったが、このたびめでたくイバラードの住人になることが出来たので、イバラード基礎知識を身につけねば、というわけである。いやこれがまじめに読んでみると相当に面白い。イバラードの住人たち、いろいろなイバラード特有の現象が盛りだくさんにあふれている。イバラードファンは必読。


990606(日)
  購入本:なし

 連れ合いはいないし(おテニス合宿…)、娘は友だちの高校の体育祭へ、上の息子は午後から怪しい行動(彼女かも知れない子と会いに)。私の唯一のお相手は、おちびだけか(嘆)。

 長男に「お昼、卵焼きでいい?」と訊くと、「卵焼き?目玉焼き?」(こいつ、いまいち区別できてない)と訊き返してきたので、「目玉焼きは作れる?」と言ってみた。
 「そりゃあ作れるさぁ!」という頼もしいお返事だったので、ほんでわ作ってみんさい、とおまかせ。母はなにげに暑い上天気に、レースのカーテンやら何やら、次々と洗ったり、そこらを片づけたり、草臥れただよ。

 「ひとり2個ずつね」 「なんでー」 「目玉は2個で1セットでしょうが。4個食べてもいいよ」などとだらだらしているうちにおかげさまで息子謹製の目玉焼きがそそっと出てきた。いいねえ、心づくしの目玉焼き。などとたっぷりかかったこしょうのせいか感涙にむせぶのであったがそれも束の間、息子はさっさと出かけて行くのであった。なんだ、母をあてにしていると遅くなると踏んだだけだったか。さすが…。 

 夕方、大事な相棒(おちび)を連れて池袋へ出て、デデさんよりうどん・ひやむぎを大量に頂く。う〜ん、次の土曜の昼はこれね!


990605(土)
  購入本:なし

 連れ合いが近所のテニス仲間と「テニス合宿」と称して男どもだけで朝早くからどこへやら(女神湖のちかくだとか)に行ってしまい、残された妻子は(これ幸いと)グータラ。けれども今日は学校があるので一応それらしい時間に起きる。

 昨晩連れ合いがおやさしくも「明日のお昼に」と皆が好物の柿の葉寿司を買ってきて下さったので、ありがたく昼食に頂いたのち、午後から、子供たちを動員して廊下側の鎧戸の掃除。なぜかこのマンションは、廊下側の窓に、ブラインドのような鎧戸がついており、いい加減ばばっちくなってしまったので、その窓の持ち主たちは当然掃除の義務があるのだ(娘と息子)。きょうは薄曇りだが、何気なくとても暑いので、水を使うのにはちょうど良く、皆ばばっちい仕事の割にはいやな顔せずに遊び気分で終了。網戸もきれいに洗えて、えらいえらい。なぜかうちの蛇口という蛇口は、ホースがつながらない形状なので、水をバケツで運んだり、戸を洗ったりするのは結構大変なのである。まったく、蛇口にしろ、鎧戸にしろ、こういう掃除のしにくい仕掛けを考えるのはどういうヤツだ?自分では掃除のその字にも関係しない輩に違いない。とりあえず埃も取れてさっぱりしてよかったー。


990604(金)
  購入本:なし

 昼休みに、掲示板に書き込みをし、きちんと送信されたのを確認したのち、午後ふたたびのぞいてみると、なーんとログが消滅しているではありませんか。げげげ。
 帰宅後皆さんに応援をお願いして、なんとか今日の消滅分を過去ログに載せる。これもすべて、過去ログを保存だけしておいてほったらかしにしてあった罰か。おかげで日記も書けず、本もろくに読めず。

 おととい、娘が、PHS(家の電話も)の使い方があまりにずさんで約束違反(契約に当たって父親と取り決めを交わした)が多すぎるので、ついに父親に解約されてしまった。「仕切直せ」と言われてブーたれていた娘だが、折良く届いた請求書はなんと16000円!自分の小遣いの範囲内で払うという約束だったが、度重なる注意勧告をどこ吹く風と聞き流していたツケである。さすがに、よくわかった、こんな馬鹿なことはもうしない、と反省していた娘であるが、それが単なる「額の問題」であるとしか思っていなかった証拠に、早くも昨日、私にむかって「お願いだから保証人になって〜」との直訴(未成年の契約には親の同意が必要、そのこと)。私は怒ったね。

 とんでもない!だれが保証人になんかなりますか。

 そもそも、中学時代に、塾から帰る時間がずいぶん遅くなったので、連絡用にと、その頃余り使っていなかった私用の携帯電話を貸してやったのが始まりなのである。高校が決まったら即、「携帯買って!」というリクエストだったが、その頃既に電話中毒予備軍の様相を呈していたヤツだったので、私は「反対!」一色だったのである。しかし、父親の方は、緊急連絡用のメリットを買って、「責任を持たせて、信頼して持たせてやろう」と、私に一言もないまま娘とふたりでPHSを契約してしまったのであった。それはそれは喜びました!

 しかし、帰宅後は電源を切る、夜中までやたらに電話をかけない、などの約束事を守れないというより無視することがあまりにも多かったので、ついに早くも4月半ばにして父親に一旦取り上げられ、「貸し出し制」になってしまったのである。父親が書式を作った「貸出票」に、毎日貸し出し理由、貸出時間を書いて引き替えに持って行く、と言うマンガチックな方式に、私はこっそり笑い転げてしまったのであった。

 しかしそれでもなお、隙を見ては、というより約束などどこへやら、注意してもしなくてもどこ吹く風、暇さえあればピコピコ、ピコピコ、朝から晩まで電話漬けである。今週の葬儀の際も、お寺を一歩出たと思うとさっそくしゃべりまくり、ここがどういう場所であるかはおろか、親戚の手前などもちろん考えるわけもない。「時と場所を考えなさい!」と叱るが、「だって、学校休んでるから友だちが心配してかけてくれたんじゃない!」と反省の色なし。後刻、お清めのさい、これは披露宴のようにひとり一人席が決められているきちんとした席であるが、ふと見ると、もうそこでもピコピコやっているではないか。声を抑えて「やめなさい!」と叱ると、「うるせーなー、カンケーねーだろー、いーじゃねーかよー!」と、ことさらに汚い言葉遣いで周りの人たちに聞こえるように言い放つのである。<娘

 母(私のことね)はいかったね。まったく、どういう躾をしてるんだか、親の顔が見たいとはこのことだ。わたしキレました。もう電話のことでは譲歩しない。しっかり父親にはこの一件を報告した。もっともその2,3日前に連れ合いはすでにPHSの会社宛に解約の連絡を済ませており、単に現物を持って行く時間がとれなかったのでまだつながっていると言うだけのことだったのだが。解約されてちょっとはしおらしいところで、この件について娘は詫びたのではあったが。

 それをのこのこと「保証人になってくれ」とは、あまりに馬鹿な娘。断固拒否されて父親にふたたび直訴した娘は、事をわけた説得にも関わらずバカみたいにほしいようほしいようの一点張りだったので、ついに父親にバシッと平手打ちを食らったのである!ドキッ! 
 し・か・し。泣きながらもなお「だってどうしても欲しいんだもん、友だちと連絡取るのに必要なんだよう、ないとみんなからはずれちゃうよ〜」と、しぶとくしぶとく食い下がるのである。
 「クラスで持ってない人いないよ!100%持ってるよ」押し問答をしていたようだが、何をどう言っても「連絡を取るのに必要なんだよう」 「そういうのは必要とは言わない」 「学校が違っちゃった友だちと話すのに要るんだよう」 「手紙もファックスもある」 「手紙なんか書かないよ」 「書いて見ればいいだろう」 「時代が違うんだよ」 「時代が違ってもそういうのを必要とは言わない」等々まったく話が通じず、どうして解約の憂き目にあったか、身から出た錆を悪びれる風もなく「そんなにかけないようにちゃんとするからお願いだよう〜」と金額の問題としか捉えていない態度に、父親、ついに「そんなに欲しかったら出て行け」でチョン。
 あなたは、親の信頼に応えられなかったのだよ。信頼を裏切ったのだ、ということがまだわからないか。

 この電話中毒はなんなんだ!いったい、どうなっているのだ!断固、おかしい。連れ合いは、「歯止めをかけようって親はいないわけかね?」と首を傾げている。
 東京に住んでいて電車通学をしており、それなりの友だちづきあいがあれば帰りが遅くなることもあろう、そんなときに親の側から見れば子供がケータイやピッチを持っていれば安心でありそれがケータイの大きなメリットである。
 遊びにせよ、友だちづきあいにせよ、小遣いにせよ、それこそ何事もわれわれの子供時代と同列には語れないから、「今の時代、しょうがない」と言う部分も多い。しかし、おかしいものはおかしい。この事態は狂っている。
 家に帰るやいなや電話、やっと食卓に着くとまた電話、お風呂から出ると電話、床についたかと思うとそこでもこっそり電話。そのまえに帰る道々電話、と言うのが入る。10時だろうが12時だろうが電話。マナー違反だと言っても、お互いそうだからなんとも感じていない。夜中の電話は緊急の要件だけだと教えても聞く耳を持たない。なんたるちゃ。我が子ながらこの感覚のずれはいったい何なのか?


990603(木)
  購入本: 寮美千子   『星兎』   パロル舎
    キャシー・コージャ   『虚ろな穴』   ハヤカワ文庫NV
  『母の友』7月号   福音館書店
    『こどものとも』7月号    

 朝から気分はもう金曜日。

 6月は卯月。真っ白い卯の花が、香っている。
 今頃咲く香りの良い花に、もうひとつ泰山木がある。かなり大きな木で、白い花も相当に大きいが、葉の上に乗るように上を向いて咲くので、意外に気づきにくい。これが、なかなかよい香りを漂わせるのである。一回り木も葉も大きいのが、朴の木だ。

 高校の時、玄関から建物をくぐって校庭側に出たところに丸い池とそれを囲む木立があり、その中のひときわ大きい木が「ゆりの木、別名チューリップ」(これでひとまとまりの呼び名。なぜって、ある先生がもっともらしい口調でこうのたまわったから)であった。この木は3階建ての校舎に抜きんでて大きく、今頃になるとやはり大きく白い、えもいわれぬ芳香を持つ花を咲かせる。教室の窓から風にのって漂ってくる香りが大好きだった。この花が、見ようによっては百合、またはチューリップのようなのでこの名があるとか。もしかすると香りが百合に似ているからかもしれないとも思う。以前世田谷美術館に行ったときに、近くにこれが咲いているのを見て懐かしく思った記憶がある。

 昼休み、本屋へ定期購読の『母の友』『こどものとも』(福音館)を取りに行き、平台をサーチしていると、ピカッと光ったものあり。寮美千子の新刊『星兎』が、平台にたった1冊だけ、所在なさそうに待っていたのだ。この本屋ってこんな本置く店だったっけ、と思いながらも大事に抱える。小振りで、きりっとした本、厚さも装丁にぴったり。字も比較的大きく、昼休みにがーっと集中して読んでしまった!あ〜、もったいない!


990602(水)
  購入本: 西崎 憲 編   『怪奇小説の世紀2 がらんどうの男』   国書刊行会
     〃   『怪奇小説の世紀3 夜の怪』    〃
  図書館本: アブナー・シモニ   『ティバルドと消えた十日間』   翔泳社

 古本屋に行き、『怪奇小説の世紀』2冊を見つける。新古本できれい。1冊目はないかしら? (ところで、なんだかここの古本屋、私を対象に本を入れてない、この頃?)
 『ティバルドと〜』は、白鳥こざる@
こざる図書館だよりさんのお勧め本で知り、3月に図書館にリクエストしたっきりむこうでもこちらでも忘却の彼方へ葬り去られていたのだが、初夏の声を聞き甦ってきたものらしい。
 これは、都立多摩図書館からの借り物なのだが、中央図書館と違い、普通に売っているままのカバーが(保護フィルムナシで)掛けられている。カバーは本体に止められてはいなくて、カバー背に保護フィルムでラベルが貼られている。購入したそのままの姿に近いのだが、じきにカバーは破けてしまうのでわ…(なんとか悲惨なお姿になりません様に)。

 昼休み『1809』読了!これも良かったゾウ!『戦争の法』にも、爆薬に詳しい男が登場してため息ほどのそよぎで大きな防護壁を壊す(だったよね?)シーンがあったが、この『1809』にも爆薬シーンがクライマックスのひとつとして描かれる。佐藤亜紀はこの辺にエレガンスを感じるのだろうか。これで主な小説を読んでしまったことになる。あとは小説以外の著作がいくつかあるはずだ。今のところの気に入りは、『鏡の影』もよいが、『モンティニーの狼男爵』も何故かいいな。『戦争の法』はすごく面白かったが。『バルタザール〜』もひじょうにおもしろかった!と、考えても考えても、ベストはひとつに絞れないのであった。彼女は新しい小説は準備していないのでしょうか?読みたい!


990601(火)
  購入本:なし

 連れ合いの、義理の祖母に当たる人が亡くなり、小諸の方で葬儀。

 イベントは昼過ぎからなので、高速が空いている時間をねらって朝7時に出発したところ、途中サービスエリアに寄りながら行っても9時半頃に軽井沢インターについてしまった。いくら何でも早すぎるので、碓氷峠の見晴台へゆく。良い天気で、山は緑が一番綺麗なときだ。来る道々も目についたが、ちょうど山藤が咲き出したところで、緑を背景に藤色の花綱が山のあちこちを飾っている。
 車を降りて外に出ると、とたんにわき上がるようななにかの鳴き声に包まれた。下の方から聞こえてくるような気がする、渓流の蛙?軽やかな蛙の鳴き声と言うのがあるとすればこの声だ。見晴台に行くとやや霞がかかって遠くの方は余り見渡せないが、開放感が何とも言えない。木々の香りを吸い込む。

 峠には名物力餅屋が何軒も並んでいるが、まだ朝も早いので閉まっているところが多い。出はずれたところを下に降りて行くとわさび田があるはずだが、子供たちの反対で力餅屋に入ることにする。
 辛みもち、くるみ、あんこを頼んで、山の景色が見える席で待つが、その間も先ほどからのわき上がるような鳴き声が山を覆っている。なんだろう!そのうち、ほど近い木立の方からうぐいすの鳴く声が起こった。手を伸ばせば届くほどの距離で鳴いては休み、休んでは鳴く。
 帰りがけに店のおばさんにこの山一面の鳴き声を訊ねると、それは「夏蝉なんですよ、このくらいの、あおいの」と2,3pの大きさを作って見せた。夏蝉!どんな蝉なんだろう、初夏の山に一斉に出てきた蝉は、木々の緑と同じ透き通った色をしているのだろうか!

 ひとまず義母のところによって着替えをし、お昼の代わりのお茶をしてから出発。途中の水田はかなりが田植えが終わりつんつんとした苗と空を映している。佐久平の昔の姿に近い景色を垣間見る。
 このあたりでは、まず火葬したのち、告別式が行われ、そののち灰寄せと称するお清めの席が設けられる。万事ゆっくりしているから、昼からと言っても終わるのは7時頃である。
 火葬場からお寺に戻り、3人のお坊さんがジャンボンの鳴り物入りでにぎにぎしくお経を上げ、いい加減足もしびれ、末席なのを良いことに日頃の睡眠不足の解消なども少々した頃、ようやくお寺を引き上げる段取りになる。さっき灰になったばかりの故人をお寺の裏のお墓におさめてしまうのだ。大きな木が2,3本たっており、お墓はちょうどその木陰の、風が吹き抜ける気持ちよさそうな場所である。う〜ん、とにかく暑いのだ!お線香とお花ををあげると場所をかえてお清めの席。

 ちょっと寄り道をしてから義母宅への帰路、新幹線の佐久平駅、信越道の佐久インター付近を通過するが、もともと見渡す限り平らな土地に田圃や畑が広がっていたところにこれらの施設と道路が傍若無人と言った趣で出来、さんざん佐久平の美しさそのものを台無しにしたところ、ここにきてまた大規模スーパーやホテルなどが出来始めて、いっそう醜悪としか言えない状態になってしまっていた。これはひどい。失ったものは本当に大きいぞ。

 最終的に義母宅に戻ったのが8時半頃で、何をするわけでもなかったが一日けっこう草臥れた。みなどさっと座り込んで、お茶〜。
 すかさず荷物から佐藤亜紀『1809』を取り出して読みふける私は、今日もまた病気。
 10時過ぎに出て帰着は0時半少し前であった。あー、ほんとに暑い一日だった!


 

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最終更新日 01/01/08 12:28:30
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