日時計 1999年3月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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990331(水)

 午前中はだらだら過ごす。連れ合いは持ってきた不要な書類などを詰め込みがてら物置の整理など。ここぞとばかり私は昨夜からの続き、『童話物語』を頑張って読む。

 午後、子供服や、靴のセールをねらって出かけた商店街では、目当てのショッピングビルが、なーんと休み。びええ、これが目的でわざわざ一日ここで過ごすことにしたようなものなのに(と、本当の目的がばれる)。仕方なく別のショッピングセンターに足を延ばして時間つぶしなど。

 夜、『童話物語』読了し、続いて『青猫屋』に突入。これは面白いじょ!と言っている間にみんな寝てしまった。


990330(火)
  購入本: 『電撃hp vol.2』   メディアワークス

 きのうから何となく不調のおなかも悪化することなく、なんとかスキーに行けそう。帰ると午後から車や板などの準備をしていた連れ合いが長男を走らせてお寿司を用意しておいてくれたのでそれを食べて7時過ぎに出発。
 根性で詰め込んだ本は読みかけの向山貴彦『童話物語』、城戸光子『青猫屋』、フォスター『困りものの魔法の楽器』、ラッシュ『白い霧の予言』、妹尾ゆふ子『風の名前』、それに今日購入した『電撃hp vol.2』

 途中のK…に独りで住んでいる義母(子供たちは「おばば」とよんでいる)の所で一日過ごしてから奥志賀へ行く予定。昨夏以来行けずにいたので、親孝行のつもりである。夜9時半頃到着したが国道に設置してある気温の電光掲示板によると15度とか。何だこの暖かさは、と、スキーに行くのか花見に行くのかと言った気分である。一足先に行っていた娘とおばばがつくってくれていたおほと(ほうとう)を勧められ、頑張って食べる。麺はおばばの指図で娘が打ったもの。これ、おかずのようにしてごはんもいっしょに食べるのだ。お寿司を食べてきたのに、また食べておなかいっぱい!


990329(月)
  購入本:なし

 五分咲きの花も身を縮めるような寒さの一日で、久しぶりに暖房をいれる。日中からなんだか寒くて仕方なく、夕方からおなかが痛くなってしまった。風邪の一種か。明日の晩から出かけるのに。

 向山貴彦『童話物語』すらすら読めるので、切れ切れに読んでいるのに厚いにも関わらず6割方まで来ている。なかなか読ませるが、雰囲気は明るくない。現実のいじめを連想させる描写から始まる。「何だこれ」の帯の釣り書きとは、「M・エンデ+J・クロウリー+宮崎駿 を連想させる圧倒的な筆力」とか「待ちに待ったハイ・ファンタジーの誕生」とか言うもの。えーと、ハイ・ファンタジーってこういうのを言うのかな?ううむ。


990328(日)
  購入本:なし

 今週は火曜日帰宅後、夕食を済ませ次第おばば(義母)の家経由でスキーに出かけるため、荷物作りなど、準備をして過ごす。おちびが生まれる前は上の子たちも週末など小学校を休ませるなどして、1シーズンに2,3回は行っていたのだが、3人目が生まれるとまた年次休暇の減りが激しかったり、世情のせいか連れ合い共々忙しくなってきたり、子供たちも色々予定があったりと、このところは毎年この時期に一度行くのが習いになってしまった。年に一度なので準備も簡単かと思うが、なぜか毎年、あれがない、これが行方不明。それに加え、ウェアがきつい、短くなった、シャツが着られない等々、結局いろいろ買い出す羽目になるのである。

 娘は昼過ぎ一足先に新幹線でおばばの家に行ってしまい、夕方から、塾の終わった息子と神保町で合流して足りないものの補充後、台南ターミー水道橋ドーム店にて夕食をとる。途中、これがu-kiさんにおそわった古本屋か、と気付き、「寄りたいナー」とつぶやくが、誰の耳にも届かずしおしおと通り過ぎる。ぐっかり。日曜とは言えせっかくの神保町なのに。

 おおよその荷物を詰め終わり、あ、忘れた、宿で読む本をあれもこれもそれも入れなくちゃ、とあせる。休みを取るイコール本が読めるという公式がすぐに成り立っちゃうのは病気であるが、どうせ実際にはスキーにいったときはほとんど1字も読めないのは経験から分かり切っているのだ。それでも懲りずに頭の中で持って行く本リストを作成する私は今日も重症。


990327(土)
  購入本: 向山貴彦   『童話物語』   幻冬舎
    『幻想文学』35号   幻想文学出版局
    『幻想文学』37号     〃

 昼から連れ合いあんどおちびと、神保町へ。何年ぶりかのスキーウエアの新調である。次第に雨が本格的になってきて出かけてきたのをやや後悔。何とか用を済ませておちびのリクエストでロッテリアへ、その間に私はちょっと三省堂へ寄り『童話物語』などを買う。帯の釣り書きは一体?

 なかなか食べ終わらないおちびを連れ合いに託して、急ぎ新宿へ向かう。雨足が激しくなってきたのでなるべく地上へ出ないルートを選ぶ。夕方から、踊るらいぶらりあんさんのところの関東地区ミニオフ会なのである。掲示板で話題のコンビニネタもの(赤ワインポッキーとか、柿チョコとか、そういう類のお菓子類)を初対面の目印兼らいぶらりあんぢょおうさまへの貢ぎ物として持参したので、本と併せて荷物が重い…。新宿駅の地下道を歩き、ようやく待ち合わせ場所が数メートル先から目に入ったとき、この数日間続いている現実と夢との境界が曖昧になったような感覚をふたたび味わったのである。
 主宰者・踊るらいぶらりあんさん、掲示板常連のかんちゃん、その同僚たかおさん、うさぎさん、GREENさん、しもやま亭ぱす太さん、くりさん、溝口さん@書物の帝国、あんどニムの9人が若干滞在時間を前後しつつ新宿周辺に集ったのであった。2週間前のださこんに続き、2度目のオフ会であったが、はじめはWeb上のイメージと違う印象の人も、あれこれ話しているうちに次第にその二つのイメージが重なって行くのが自分ながら面白い現象。知っているのに知らない、知らないのに知っている、変な関係の人たち!まあ、よく色々たくさん食べて(飲むのはそうでもなかったけれど)話して笑って、楽しかった!
 飲むことに関しては、らいぶらりあんさんが職場の語学の外人講師に「You are zaru!」と言われたとか、溝口大人がぢつはざるなのに「ポリシーとして飲まない」事にしていてかわりに死ぬほどウーロン茶を飲みまくったりとか位だろうか。とにかく禁酒・禁煙同好会の様相で格調高い会であった(一部脚色あり)。渋滞を抜けて駆けつけたたかおさんがぢょおうさまに貢いだ地元の「越の寒梅・大吟醸」ほか1本が、時間の関係でしもじもの者に下賜いただけなかったのは心残りである。ぜひ、またやりましょうね、オフ会!


990326(金)
  購入本:なし

 くだんのSFMは、実家でなく職場に置いてあったのでさっそく「耶路庭国異聞」読了。ほか、読みかけの「ワンス・アポン・ナ・サマータイム」(SFM1977,11月号)、「仮面舞踏会」(SFM1975、11月号)も読了。「遠近法」とか初めに読んでいたら絶対その当時はまったに違いない。

 江國香織『きらきらひかる』読み終えたが、この人のはまったく初めて。さらっとしたおしゃれな感じな文だが、実は全然軽くはなくて、かなりゴージャス。また他のも読んでみたいと思う。
 最近皆さんに勧められて日本人作家のものに手を出すことが多い。時、時間が足りないよう。

 職場に来ている卒研生。うう、ストレス。ぼーっと立って待っていないでね、お願いだから。


990325(木)
  購入本:SFマガジン 5月号   早川書房

 地域の小学校も今日が卒業式。朝の保育園でも上の子が卒業式というおかあさんは、いつもと違い卒業式スタイルで現れるので、それと知れる。朝方の雨もその頃には上がったのは何より。上の子ふたりの時はどちらも天気に恵まれ、それなりの感慨があったなどと思い起こす。

 昼、照り焼きゴボウサンドウィッチ&くるみ・チョコレートクリームサンドウィッチを食しつつ、『夢の棲む街』収載の「ファンタジア領」読了。サンドウィッチがどんな味がしたか、あんまり記憶にない。
 眠って見る夢と覚醒時の現実、異世界と現実世界とがそれぞれ次第に境界を曖昧にしつつ一点に結ばれる。習作のような味わいを持ちつつすでにここに描かれた異次元世界には尋常でないものがある。私が今過ごしているこの時間と空間というものが実際はどれほどの実体を持っているのか、それすら不確かに思えてくる、それほどの影響力。

 図書館であとに借りた方の三一書房版『夢の棲む街/遠近法』にとりかかる。収録作は、「夢の棲む街」「遠近法」「遠近法補遺」「傳説」「繭」で、ハヤカワ文庫版と重複するものにも多少の加筆がされているということだ。早川書房版の解説にあるように、とくに「遠近法」「遠近法補遺」においては彼女の創造した特異な世界についての仔細な描写があたかもガイドブックないしカタログのようにつぎつぎと繰り広げられる。紙面の制約がないとしたら尽きることなく続けられたかも知れないといったふうに。いやはや!
 図書館を利用すれば文庫ないし単行本は読めるだろうが、問題は雑誌掲載作である。どこに何が掲載されたかは、
この方の労作により知ることができるけれども、おいそれとは入手できない。とにかく早く集大成を刊行してくれい!

 ちょっと待ってね、この一覧表の雑誌掲載作によると「耶路庭国異聞 SFマガジン1978.07」とあるぞ。
 はて、先日の『幻想文学 54号』で「アヌンツィアツィオーネ」と「傳説」を読んだ時、そして「夢の棲む街」を読んでいる時、記憶に沈んでいるある作品のイメージが浮かんできて、これらの山尾作品とだぶるものがあって妙に気になっていた。それで、今度実家に行ったときそれが掲載されていたSFMをひっくりかえしてチェックしてみなくては、と思っていたのだ。それがまさにこれ、「耶路庭国異聞」!この題名を見て腑に落ちた。私、ちゃんと当時読んでいたのだった!おお、嬉しい発見。奇妙に印象的で何度か読み返したのだが、翻訳物人間だった私はその頃発刊され始めた早川文庫FTに渇きをいやされ、それ以上その作品と作家に深入りすることもなく今に至ってしまったのだ。それが山尾悠子だったとは、何という不覚でしょう。でも自分の不明を恥じるのはやめて、本には出会うタイミングがあるという好例としておくことにしよう。とほほ。


990324(水)
  購入本:なし

  昼休み、S銀行(ソメイヨシノには無関係な方)に行く。職場の近所にあった支店が昨年春、統廃合のためなくなってしまい、二駅も先の支店に行く羽目になってしまったのである。給料の振り込み、公共料金、生協の支払い等、いくつも自動引き落としにしているのでそう簡単に解約するわけにも行かないのが腹の立つところである。統合後最初に行ったときなんか思いっきり文句言っちゃったよ、まったく。
 まあ今日はそこそこの天気だったので、多少の散歩気分。でもせっかく電車に乗るというのに、不覚にも読みかけ本を家においてきてしまったのだ!仕方なく職場の積ん読本からクリスティン・ラッシュ『白い霧の予言』を持っていったが、これが結構おもしろいので、怪我の功名(違うか)。

 今日は東京のソメイヨシノの開花宣言が出た。職場の構内の桜もきのうより開き始めて、あちこちの枝先でほの白い花が揺れている。桜が咲くとちょうどそれに時を合わせるように柳の枝の青みが増してきて、一挙に景色が春らしい色に彩られ始める。これからは山吹、海棠、八重桜などがつぎつぎ花開く心躍る季節。毎年大島弓子『綿の国星』の春の花咲くシーンを思い浮かべる。あそこってもちろん白黒なのだが、いつも黄色、桜色、白、と花の色が雪崩をうつように想起されるのだ。どうも読書量が落ちているこの頃、昼休みにはふらふら外に出ることが多くなりそうでますます読書時間が減るのが問題。ちょっと並行読みが多すぎるのとサイト巡回が増え過ぎかも。


990323(火)
  購入本: ロバート・J・ソウヤー   『スタープレックス』   ハヤカワ文庫SF

 職場のキャンパス内にある桜の1本で、開花。この木は毎年、東京のソメイヨシノ開花の基準木である靖国神社のそれと毎年ほぼ同時に開花するが、今年はまだ東京の開花宣言は出ていない。すぐ近くにも桜はあって、特にこの木が最初に開花するような条件はないのだが、なぜか毎年この木が真っ先に花を開くのはなぜだろう。
 一方で沈丁花もそろそろ盛りを過ぎ、辛夷は茶色くすがれ、春が確実に動いていることを感じる。

 山尾悠子『夢の棲む街』は、「シメールの領地」を過ぎ、「ファンタジア領」にさしかかった。ますます他の作品も読みたくなってくる。溝口掲示板で知ったここで、彼女の作品集大成が出そうなこと、次号の『幻想文学』誌でふたたび新作が掲載予定な事を知る。

 おちびと一緒に墜落睡眠し、深夜2時半過ぎに目が覚めつけっぱなしのぱそこんに向かう。連れ合いが台湾方面なのを良いことに、そのままぼーっとサイト巡回などで4時まで起きている。不健全、というか不健康だあ。


990322(月)
  購入本: 長野まゆみ   『上海少年』   文春文庫

 早朝、台湾出張に出かける連れ合いを見送ったあと、ふたたび寝入ってしまい、何か外が騒がしいような気がしてまじめに起きたのが8時半。ぼうっとしたままカーテンを引きあけると、まぶしい光と強風で盛大に揺らぐ公園の木々が目に飛び込んできた。道理で外が騒がしいはずだ。

 さすがに昨日おとといの雪中行軍にはちと疲れたが、なんと長男が少し熱を出して沈没してしまった。今日は娘の高校の制服を取りに行く用があるので、ひたすら寝ているように言い置いて娘と新宿まで出かける。
 あれが欲しいこれが欲しいという娘を引き回し・引き回され、重い制服を代わる代わる下げて新宿から池袋へ。東武百貨店の
井上直久展覧会にふたたび足を運ぶと、小さめの作品は結構入れ替わっている。めげぞうの絵をはじめ、ずいぶんたくさんの作品に売約済みのテープが貼られているのに驚く。先日実物を見ていっそう気に入った「スカイ・フロント」も、30号という大作なのに売約済み。思わず「うわあ、いいなあ!」とつぶやいてしまった。ということは、もう展覧会でもこの絵は見られないのね。くやしいなあ!今日は休日のせいか入場者も多いようだ。先日持参してサインをお願いしておいた本を頂き、井上さんと少々お話しなど。また大きな展覧会が開催されることを期待する。不思議な魅力を持った作品群である。

 『夢の棲む街』の収録作6篇のうちようやく4篇を読了。「夢の棲む街」「月蝕」「ムーンゲイト」「遠近法」であるが、「月蝕」以外は世界の滅びを描いている。いずれも短編ながら非常に充実した内容であるのに驚く。「夢の棲む街」「遠近法」の稠密なイメージと、「ムーンゲイト」の一転して水と月の透徹したイメージ、それぞれに共通する多様な光の描写など、ぬきんでて強い印象を与える作家だ。作品集大成の一日も早い発刊が望まれる。

 こうして一日のうちに、強い印象を持った、異世界を描く作家・画家に接し、その上きのうは日常とかけ離れた雪景色の中にいた事なども重なって、振り返ると今日は、現実感の希薄な、夢との境目がはっきりしないような日であった。


990320(土)〜21(日)
  購入本:なし

 前々から話があって具体化することになった、長男の同級生とその母親たちとの小旅行である。山中湖畔のどこやらの保養所でゆっくり温泉(親)と釣り(子供)の集いのつもりだったんだけれど、先日もらったパンフレットをまじめに見たら、ありっ、日曜日の予定は河口湖のそばの富士急ハイランドだじょ。思っていたのと違うぞー。がぜん行きたくなくなるが、ドタキャンというわけにも行かず、午後1時の出発前、午前中あわてて用意やら掃除、用足しなど。

 冷たい雨の降りしきる中、洗濯屋、パン屋などをおちびと回ると結構な荷物になり、げんなりして最後の目的地の図書館に向かおうと角を曲がって数メートル。ドン!と鈍い音にふりむくと、信号で止まっている車の向こうに靴が片方転がっている。アッ、事故だ!下校時刻なので近くの小学校の子供かとあわてて引き返すと、年配の女性が横断歩道の脇に転がってぴくりとも動かない。とりあえず傘をさしかけているうちに運転手が降りてきて「大丈夫ですか」見れば若い男性。ちらほら人が集まってきて「救急車呼んで」「警察に電話」「とりあえず車を脇に寄せて」「どうしたの」等々の声が聞こえる。外野の声にしたがって運転手が自分の携帯電話で救急車を呼ぼうとしてはたと手を止め「救急車って何番ですか」と聞いたのはやはり動転していたのだろうか。
 なかなか救急車は来ないし雨はザーザー降りつづいているし、倒れたままの人はさぞ痛かろう冷たかろうにと気が気でない。見たところ出血はないようで頭も打っていないらしく、たぶん重傷ではないようなのだが、待てど暮らせど救急車が来ないのには首を傾げてしまった。車ならほとんど2,3分のところの消防暑から来るんだけれど!私もおちびを近くに立たせたままでスーパーの袋を4つも5つも腕に下げてけが人に傘をさしかけているのだが、こちらの出発の時刻は迫ってくるし、外野は何だとかかんだとか言うばかりだしと、ほとんど腹が立ってきてしまった。けが人がすっかり風邪をひいてしまったのではないかという頃にやっと救急車が到着して、目撃者ではない私はその場を離れた。うう、危ない危ない。
 あせって図書館へ行きリクエスト本の山尾悠子『夢の棲む街/遠近法』(三一書房)を借りる。

 私たちと相前後して学校から帰った息子と急いでお昼を食べて出発。彼の同級生と兄弟、母親たちあわせて16人!ちょっとした団体である。こんなに大人数という感じじゃなかったんだけど。新宿から高速バスで一路山中湖へ。車内が暖かく、意外に乗り心地も良かったので三鷹料金所あたりからぐっすりとおやすみ。

 目を開けるとそこは雪景色だった。
 一瞬、再来週に予定しているスキー場に来たのかと違和感も感じなかったが、ちゃんと目が開いてみるとちょうど河口湖にさしかかったところではないか。道路も木々も、富士急ハイランドも、すっかり雪に覆われている。誰も今日大雪だなんて言わなかったぞよ!そこそこ暖かい格好はしてきたが、雪には対応してないよ。おちびにゴム長を履かせてきたのが救い。さあそれから、高速バスは一般道に降りて停留所によってそのまま山中湖方面へ行くはずのところ、一般道渋滞が予想されるためもう一度有料道路に戻るとのアナウンスがあった。運転手さん一生懸命有料道路の入り口に向かい、さて入り口が見えてきた…。おや、しましまコーンとアノラック姿の人影が。運転手さんが窓を開けて外の人の言葉を聞いたとたん大声で「ウソッ!」やっぱりたった今通行止めになったようであった。仕方なくちんたらちんたら、というかほとんど歩くような早さで山中湖までの渋滞に付き合わされる羽目になったのであった。切れ切れに聞こえる無線の連絡に、運転手さん「○○で車7台つっぺってるからそこまで駄目だ!」いい加減飽きた頃そのつっぺってる現場にさしかかったとき、運転手さん思わずアナウンスしました、「あと50メートルほどで渋滞の原因を通過します!」

 2時間半遅れで宿に着いたときはもう7時になっていたが、雪を踏みながらのバス停から宿までの道中はまるでお正月休みの気分。

 夜あれこれおきまりのダベリング大会をすごし、明けて日曜日。昨晩に雪は止んで、今日は釣りはあきらめてとにかく富士急ハイランドへ、とまたもバス。なんとかかんとか現地へ着くが、またも雪であった。しかも次第次第に勢いは増して行く。ラーメンを食べ、各々一つ二つアトラクションに入場後、スケート場に行くと既に3時。寒いのも何のその、男の子たちはさっそく滑って楽しんでいる。うちのおちびともうひとり、今度小学校に上がる子は、例の2枚歯のスケート靴を借りて、よちよちペンギンよろしく歩いている。これが、おちびいつまでもいつまでもこつこつと歩いて戻ってこず、やっとあがったときには大満足であった。この大雪にも関わらず、かなりの人が入園しており、大体の乗り物も動いていて、世界一とかのジェットコースター「フジヤマ」は2時間半待ちの行列ができていた。さすがに4時を回る頃におおかたの乗り物は降りつのる雪のために休止になってしまい、それを境に人も減ってしまった。われわれは5時過ぎの電車で大月〜新宿(特急かいじ)まで楽に帰れたが、行きのバス料金に比べると帰りのJRの運賃は倍。時間がきっちりしているのはいいけれど、とあまりの高さに改めて驚くのであった。

 ああ、この大雪には驚いた。帰路、眠気にもめげず頑張って『夢の棲む街』の続きをよむ私は病気。


990319(金)
  購入本:なし

 朝からはっきりしない天気だと思っていると、いつの間にか雨が降り出している。今日は娘の中学の卒業式である。
 女子は結構おおっぴらに泣いていたが、担任の男性教師がぼろぼろ泣いていたのが思いがけなかった。もっと早くこのキャラクターが見えていれば良かったのに、などと思う。卒業証書授与の際、名前のみ呼ばれて本人がいないという子が何人かあったようだ。転校してきたが姿も見たことのない子、転校後2,3回登校したきり不登校の子、など、潜在的に不登校児はいるらしい。表だったいじめがないようなのは何より。
 やたらにブンガク的言い回しにあふれた送辞・答辞の内容、その読み上げ方…こりゃパフォーマンスだわ、にはむしろ辟易。やたらに抑揚や強弱つけないで欲しいな。等々、娘は教師との信頼関係をあまりうち立てられなかったので、私にとっては至極ドライな卒業式であった。

 夕刻より謝恩会。主催するPTAの人たちのノリにはちょっとついて行けないなあ。なんか、PTAを私物化してないかい。教頭ももうちょっとびしっとしてくれい。隣の席のおかあさんは初対面の方だったがそれもそのはず、その不登校の子のひとりのおかあさんであった。半年前に転校してきて以来、ずっと不登校ではあったが、今日の卒業式には出席できたこと、どうやって乗り切ってきたか、4月からの進路のこと、など伺う。うーむ、来年高校受験の長男は不登校ではないが成績に超問題あり人間なので、いろいろ親のものの見方に得ること多し。
 受付時の三角くじで、担任への花束贈呈係に大当たり。なんでこんなものには大当たり?
 お開き後、2,3の友人と内輪でお茶。久しぶりの情報交換会である。7時過ぎには帰るね、なんて言って9時半。ドトールコーヒーにてお茶とミルクレープで3時間、掃除を始めますと箒で追い出される。皆ばらばらの学校へ進学で、このメンバーでお茶なんてこともうないんだろうなと思うと、中学卒業はやはりひとつの大きな区切りかも、と感じる。

 卒業式終了から謝恩会までの間、他に行ける日がないかもしれないので、池袋東武の井上直久展覧会にあわただしく駆けつける。担当の方にいろいろ伺いながら、余り広くない会場を見て回った。昨年の豊科の大きな展覧会には比べるべくもないが、ここには新作がかなり出品されている。新作は、緑色よりも水色が勝ったトーンのように思えた。
 やはりイバラードの平原が見通せる大きな作品に目を惹かれる一方、片隅に目立たないように懸けられためげぞうの絵がCD-ROMでイバラードを探索しているときのような気分をふと起こさせた。
 夏の夜店を描いた夢のような一枚も、いかにもイバラードらしく魅力的。このあたりの絵は、イバラードの世界になくてはならないもので、画家ご本人にとっても私たちにとってもひとつの里程標のような、必ず通らなくてはならない絵。その頃お見えになった井上さんに、担当氏が、「これは愛着があって手放したくないのでは?」と水を向けると、「手放したくないと言うわけではないけれども、うーん、あちらの新作もお奨めです」と、人なつこい笑顔ではぐらかす。これは夏至の頃の、夕闇がちょうど降りた時刻を思わせる群青色が美しく、どこか郷愁を誘われる。
 井上さん曰く、彼のいろいろな絵を見ていろいろな人が「これは自分が住んでいたどこそこに似ている」「この絵は自分の家の近くにそっくりな風景だ」というようなことを言うのだと。郷愁というのか、宮沢賢治の言葉を借りて言えば、見る人それぞれが井上さんの絵を見てそこに自分の心象風景を投影する、ないし触発されるということだろう。私においても同じ。

 この展覧会のダイレクトメール(葉書)に使われた「スカイ・フロント」という30号の新作も目立つところにどーんとかけられている。龍の背びれに似た切り立った山並みのはるか向こうに、ねじれわき上がる多層の雲が飛び、山並みの一番手前のピークにはひとりの少年が立っている。その少年の立つあたりの遠近感が独特で一種のスピード感を生み出しており、しばらく見ているとやおら足を持ち上げられ向こうの雲に向かって飛翔して行くかの感におそわれる。
 実風景、絵、写真を問わず、山並みとその向こうの空という構図には私は弱いんである。
 秋頃、新しい作品集ができるとのことで、そのためにここのところ新作を次々と撮影されているそうだ。うーん、会期中にもう一度行けるときがあるかな!!


990318(木)
  購入本:なし

 一日なんだかんだとせわしない。それでも昼休みには暖かさに誘われて外の空気を吸いに出る。一日ろくに空も見えない建物の中にいると息が詰まりそうだ。私は今年一番の薄着で歩いているが、この暖かいのに毛皮の衿のコートを着た人、キルティングのコートを着た人、ブーツを履いた人など、暑くて納豆になりそうな人から、半袖のTシャツ一枚の人までさまざまだ。私は一年を通してなるべく早く半袖を着始めてなるべく遅くまで着ていたい方で、4月の声を聞くか聞かないかのうちに半袖を引っぱり出す。と言ってもやはり気分的に冬のうちに半袖を着るというのもあまりに季節感がない事なので、衣替えという言葉は死語になりつつあるとしても自分なりのボーダーラインがちょうど今頃なのだ。

 それにしても昔は衣替えと言えばきっちり6月1日に制服も冬服から夏服に替えていたが、子供たちの中学では前後2週間くらいの移行期間というのがあって、その間は気候に応じ冬服でも夏服でも良いと言う決まりになっている。今自分に制服があったら、移行期間があっても6月まで冬服で我慢はできないだろうと思う。だんだん着て楽な服志向になっているのを感じる。ナルニアに出てきた、「着て楽で、見て美しい服」と言うのがやっぱり服の理想。

 山尾悠子の続き。今の印象としては、世界の崩壊とかちょっとおどろおどろしいイメージのあるものとかを書いているのだが、退廃的な感じに陥っていずむしろ文章自体は健康的なイメージを受ける。それは彼女の若いときの作品だからだろうか。美しくしかも読みやすい文章。
 ちょっと今週はちびちびと小間切れにしか読めないのが、悲しい。


990317(水)
  購入本: 小松和彦ほか   『日本異界絵巻』   ちくま文庫
    江國香織   『きらきらひかる』   新潮文庫

 昨晩、10時半に一旦おちびと寝て12時に起き、2時に寝て6時に起き、ふたたび寝て7時過ぎに起きるということをした結果、昼食後から超眠い。別にしたくてしたんじゃないけれど。
 しかしだいたい子育て中の、特に女性は夜に強いんではないか。妊娠後期のマグロのようにだあっと寝ていた日々から、出産を境にがらりと変わって夜昼問わずにおっぱいを欲しがる子の世話をし始め、それが1,2年ならまだしも、3,4年、5,6年と、延々と続くのであるから。ださこんの時も一応翌日の事情があったため理性が「寝なさい」というので3時半に寝たが、それがなければ別に徹夜してもOKだったと思う(少なくともその日は)。
 長女は赤ん坊の時は9時に寝ればそれきり7時まで起きない子だったので、なんて子育てって楽なんだろうと思った。ところが、1年7ヶ月違いの長男は、産休が明けて職場に復帰するやいなや、昼間ほとんどミルクを受け付けず、私の帰宅と同時に元気におっぱいを欲しがりそれが夜中ずっと続くという有様だったので、睡眠不足でめまいはするは、頭は満足に回らないは、ほとんどノイローゼ状態であった。離乳食を食べだしてやっと状態は改善されたが、夜の眠りが浅い子であることは変わらない。そして相次いで夜のおむつを取る時期になると、こんどはかわるがわるのおねしょで起こされるのであった。やっとふたりが小学生になり、安眠をとりもどしたのも束の間、またもや次男の出現…。この子も夜の寝が浅い。おまけに、すごく寝相が悪い!特記すべき事は、おむつを取ってからこれまで、おねしょは一度位しかしていないことで、これはエライ。まあそんなわけで、今も毎晩寝不足の友が一緒だから、睡眠不足状態には慣れっこであると言いたいわけ。したがって、頭の回転もそれなりである、とも…。

 昼休みから『夢の棲む街』突入。S銀行が昨年支店を統合してキャッシュコーナーのみになり、さらにそれが移転して小規模になった。昼休みに行くと3台あるATMのうち2台までが「入金のみ」になっており、長い列はちっとも進まない。おかげで読書時間がほんのわずかになってしまったではないか!S銀行め、サービスの低下も甚だしいぞ!解約してやる!と言いたいのだが、あれもこれも自動引き落としをしている口座なのでそうも行かないのがくやしいところなのである。


990316(火)
  購入本:なし

 昨日からの雨も、幸い朝家を出るまでにはすっかりあがった。川岸の柳がいつの間にか青々とした芽を吹いている。歩いていると風にのって沈丁花や水仙の香がただよい、湿った暖かい土の匂いがする。生き生きと甦った春を吸い込む。

 おちびの保育園の就学祝賀会であった。公立の保育園であるせいか、クリスマス会がなくて、その代わりこの時期に卒園式とクリスマス会(学芸会)を兼ねたような催しが行われる。
 しばらくまえから、ヒーロー「メガブルー」になりきって練習しているなどと言うメモが連絡帳にしばしば書いてあったが、さて本番。盗賊にさらわれて洞窟に閉じ込められたおひめさまたちを、「開けゴマ!」と言ってヒーローたちが助け出して盗賊をやっつけちゃう、というなんだかよく訳のわかんない劇であった。もうちょっと何とかならないのかしらね?でもおひめさまとかヒーローとかって、やっぱり子供たちの希望だとか。
 去年は保母さんに預けるときに悲しい思いをしたのが尾を引いて、本番中もべそかきだったが、今年はまあまあのご機嫌でせりふとポーズをきめていたのでいっぱい褒める。じつは朝着替えるときに半ズボンを出しておいたら「長ズボンがよかったぁ…」と、みるみる涙目になってあぶなかったのであった。
 つい上の子たちの幼い頃…卒園の頃など思い出して感慨にふける母であった。

 上の子たちに、この前の集まり(ださこん)でおかしな祝電が来てね…と言いかけると、何の集まりだったのかと聞かれる。SFの好きな人たちの集まりだと簡単に答えると、問題発言。
「SFって何!?」

 ああああ、うちにも実家にもあふれている私の本のかなりな部分は、SFなんだよう!中2と中3のこの子たちは、ちっとも本を読まないので私はがっかりしているのだが、「SF」の見当すらつかないとは!そりゃSFの定義なんていろいろあって、私にしたって一口では全然言えないけれど、言うに事欠いて「SFって何!?」とは。
 ああでもないこうでもないと説明し始めると今度は、「どんな人が集まってたの?オタクみたいなひとばっかり?」
 君らの母は、オタクか。

 図書館にリクエストしておいた山尾悠子『夢の棲む街』(ハヤカワ文庫JA)が入ったと言う連絡があり、帰りがけによって有り難くお借りした。


990315(月)
  購入本:なし

 仕事の合間に、ださこん参加者の掲示板など巡り歩く。昨夜も忘れないうちにレポートアップしようとしてまた夜更かししたので、さすがに夕方から頭がくらくらしている。ううう…。
 
DASACONレポートを少し改訂した。

 明日は保育園の就学祝賀会。卒園式とクリスマス会の中間のようなものである。幾分朝遅くてすむのは嬉しい。19日には中学の卒業式。まだ月曜だというのに、既に週末のようなサイテーな気分である。眠。


990313(土)〜14(日)   DASACONレポート

個人的プレださこん

 第2土曜のため上の子供たちも学校は休み。娘は6月の16才の誕生日までに日本脳炎の予防接種を受けねばならないが、もう何カ月も延ばしのばしにしているので、受けに行く。高校は悲しいかな、土曜休みがなく、帰りも今より遅くなりそうなので、3月中の土曜日にと思っていたが、幸いに今日は体調もよかったのでOK。けれども医者が混んでいたので、ようやく済んでから昼ご飯を食べ終わると、もう2時であった。今日は7時から本郷にて例のださこん(DASACON)に参加予定なのである。あわてて夕食の用意とか家の片づけとか。

 午前中、医者の順番とりをしてから番が回ってくるまでの間、実家に行き、今日のオークションに出せそうなものを物色する。といっても処分できそうなのは以前売ってしまったし、ダブリ本もそれほどないのでほんの数冊である。サンリオを2冊などと、古いSFM。数冊しかないSFMのうち目次をざっと見て、売ってもいいな、と一旦より分けたものを見直すと、1977年11月号。ン?とひっかかるものがありもう一度見直したら、あるじゃありませんか、ただいまローカルにフィーバー中の山尾悠子の名が。私は翻訳物中心の人なので、当時も日本人作家のはほとんど読んでいないのであった。20年も本棚で眠っていたのね(「ワンス・アポン・ナ・サマータイム」)。これはやっぱり自分用。その他記憶も薄れて久しぶりに読みたくなったカルヴィーノ『マルコヴァルドさんの四季』(岩波)を自宅に持って帰った。

さてDASACON会場では

 夕方、食事の支度などやっと済ませて会場へ向かう。会場までドア・ツー・ドアで30分弱、と思っていたのがあだで、少々遅刻。Mapionのピンポイント検索の地図を握りしめてきたおかげで、最短ルートで到着した。なーんだ、前に来たことのあるバリオホールの隣じゃない。
 会場「朝陽館本家」の玄関前にはでかでかと「ダサコンご一行様」の看板…スゴイ!
受付に
かつきさんヒラノさんU-kiさん、そしてさっき曲がり角に立ちんぼしていたらしい溝口さん、おお、この方々が日頃お世話になっているあのゆうめいじんかと、ちょっとおそれいる。こういう会は、つまりSF者の会としてもネット者のオフ会としても、私にはまったく初めてである。かつきさんにうやうやしく案内された大広間には、すでに結構な人数が集まっていたので、内心びびりぎみ。安田ママさんokkoさんちぇろ子さんひがしかやこさん、風野満美さん、ZERUさんお給仕犬さんなどと固まって座ってひとまずホッ。のださん森太郎さんらスタッフの方々はまわりで世話焼き。

 U-ki総統の挨拶。ペーパーレス化に励んできたださこんに祝電!超笑える内容に会場は湧いた。参加者紹介に続き、さっそくゲスト3人のトーク開始。烏龍茶がつがれて乾杯もなしというのが、さけがはいるとどうなるかを暗示しているようである(実際はそんなことはなかったんだけどね)。浅暮三文さんの軽妙な進行で山之口洋さん涼元悠一さんの「作家と作品」についてのお話がたっぷり1時間余り。詳しい内容はここをはじめとする詳細レポートに譲る。

 山之口さんの作品『オルガニスト』のクライマックス部分のしかけについて、私も聞きたかった質問が、あのYAMAMOTOさんから出された。アルファベットを音名に置き換えると言うところ、言葉の方が音楽より階梯が低いと言うことまで言いたくてそういう仕掛けにしたのだろうか?と。ををするどいご指摘。山之口さんのお答えは、ここは音楽をかじった人からは当たり前と思われ、そうでない人からはわかりにくいと言われそうなところなので、その間のところで手を打ったという趣旨のもので、言葉と音楽の階梯についてまでの思い入れはなかったと理解した。次作はフランソワ・ヴィヨンを主人公にした一人称小説とのこと。そのために目下中世の人になろうとして、自ビール製造にも励む毎日とか。
 そののち涼元さんのパートでは、『青猫の街』のクライマックス部分が、作者自身により朗読された。そこは一種乾いた、不思議な感覚の洞察がほんとうに素晴らしく書かれた一節で、心にしみいってくる部分である。朗読が始まった頃から、はるか向こうに陣取っているU-ki総統を見ていると、総統、腕を顔に当てて男泣きに泣く仕草。見てたよーん、U-kiさん。最高だよねあそこ。そして、もう恋愛ものも、女の子も、書かないんだ!と言った涼元さん、その舌の根も乾かないうちに、次作は「高校を舞台にした恋愛小説」。これには一座爆笑である。

 ようやくビールで乾杯、参加者を中心にしたSFサイトを巡る○×クイズの1回目が行われる。これが何と、まぐれで最後まで勝ち残ってしまったニムなのであった。やたー!特製メダルを頂く。あっちゃこっちゃでことあるごとに配られる、お菓子付きの謎のメダルであった。
 しばらく歓談。女性同士で音楽談義、Webにおける女性のあり方(をいをい)、ほんとにアンタはあのページ主宰者?的お話などで盛り上がる。そうこうするうちに、80%本名のダイジマンさん(安田ママさんの相棒)が大荷物と共に到着。まもなく大広間は、オークション組とSFカルタ組に緩やかに分かれる。

深夜の古本オークションは興奮のるつぼ

 木戸さんのなぜかものすごい口上、というか解説に伴われて進められる古本オークションは、これから休憩を挟んで延々3時半頃まで繰り広げられるのであった。以前興味なくて読まなかった本は、やはり今もあまり興味が湧かず、大体は見送り。積極的に買いに出る安田ママさんに、要所要所で耳打ちするダイジマン。「○○円までだったら買っていいから」とか「これはあるからいい」とか自信を秘めた口調のアドヴァイス、物静かな見かけに隠された、濃いSFものと見た。
 いっぽう私は山尾悠子本は欲しかったんだけれど、かつきさんからの『オットーと魔術師』しかも2冊、くだんのYAMAMOTOさんからの隠し玉『夢の棲む街/遠近法』『角砂糖の日』は、それぞれ山之内・涼元両作家先生、溝口大人らの激戦となり、一般市民は敢えなく脱落。もう連中立っちゃってすごかったよう!はっと我に返った山之口さん「とりあえず座ろうか!」に爆笑。私はSFM1975年11月号(「仮面舞踏会」収載)のみゲット。しかし、く、くやしい。半年か一年前ならどうにか入手できたらしいのでなおのことである。『夢の棲む街/遠近法』をゲットなさった涼元さんはホクホク!とても綺麗な装丁の、見るからに魅力的な本。よ・だ・れ〜。一段落した際、ようやく安田ママさんがモバイルで掲示板にライブ中継を若干数行。(有里さーん、ごめん!)

 ひたすら延々と続くこのオークション中、大広間後方ではSFカルタがくりひろげられているようだったが、当方はこっちが面白くてへばりつき。
 オークション本につけられる解説は迅速にして詳細かつ的確なものから、当たらずといえども遠からず、でもやっぱり嘘というもの(総統…)まで、それぞれ売り手、買い手を問わず発言者の熱い思い入れに加え、主観と偏見によって味付けされた実に面白い聞き物。あんまり笑ったので頬の筋肉が疲労度高いよ。
 夜が更けるに連れ、手持ちのボキャブラリを使い果たしたか、やたらに「これ傑作!」「そうだ、傑作だ!」の声が増え、それに反比例するように落札価格は右肩下がりになって行きましたとさ。無事終了後、精算せよとの声を聞かぬふりして、徹夜組をあとに就寝。3時半。

DASACON賞発表〜閉会〜解散

 7時半、おなかがすいて起きる。大広間は徹夜組と起きてきた組で、結構な人数である。でもごはんはないの。その辺に出回っているパンらしきものなどを食す。
 そうこうするうち、閉会のセレモニー。
DASACON賞の発表に続き、DASACON大将(大森望さん)まで発表される。ぼやく大森さんに一同爆笑。U-ki総統の閉会の挨拶。ぜひまた第2回を期待したい。
 精算をすませて解散、というかDASACONの旗のもと、後楽園向かいのルノアールにぞろぞろ移動(旗は宴のあとの幻視か)。ふたたび安田ママさん、掲示板書き込み。お隣にいらした
カナザワさんから、ただいまページ開設準備中と伺い、さっそく拝見する。繊細な感じの表紙ページにもう期待(開設予定5月)。等々。ここでお茶して私は比較的早めに退散した。
 なんだか世の中は穏やかな日曜日なのであった(疲)。

 いつもおじゃましているたくさんのページの、実体としてのページマスターの一端なりとも知ることができたのは何より収穫である。ページのイメージぴったりの方から、全然予想と違うかたまで、さまざまだ。でも改めてページを見てみると、やっぱりその人らしいかなって思える。また巡回の楽しみが増えたし、同時に巡回サイトの数も増えそうで、困ったことだ、と言うか、楽しいなというか。

 そうそう。ぢつは、『オルガニスト』トークのところでも触れられた、『オルガニスト』オリジナルサントラCDであるが、うふふ、山之口様から「あげます」と、頂いちゃったんである。曲名、該当ページの対照表つき。本のカバーと同じロゴ、図柄のディスクであるが、ひとつ条件があって、「家庭のCDプレイヤーでちゃんとかかるか」というレポートを提出しなくてはいけないんである。革製のブックカバーにして頂いたゲストお三方プラス大森さんのサインと共に今日の記念の品だ。あー、ほんとに楽しかった!


990312(金)
  購入本: リンゼイ・デイヴィス   『青銅の翳り』   光文社文庫

 先日、デデさんからこれが面白かったと教わって、さっそく今日終業後いったのは、池袋サンシャイン劇場での京劇公演である。京劇はTVではちらっと見たことはあるが、実物を見るのは初めて。京劇と聞くと、ドラや鳴り物のジャンジャンジャン、ジョワ〜〜ンという音が反射的に浮かんでくる。同時に独特の発声とせりふ回しの黄色い声、舞台狭しと宙返りやジャンプで走り回る孫悟空など。今回の演目は、四面楚歌で有名な、項羽と劉邦、そして虞美人を描く「覇王別姫(はおうべっき)」である。これは、期待に違わず面白かった!衣装のきらきら原色はではでしさ、男優の隈取り、せりふの抑揚、立ち回りの迫力、虞美人の歌と演技、音楽と効果音、どれをとっても本当に楽しめるもので、機会があったら行ってみられることをお薦めする。ロビーには「京劇グッズ」と貼り紙がしてあったり(プログラム類で、大したものはない)、おかしかったのは公演の呼び屋が作っているらしい「季刊 京劇ニコニコ新聞」でした。わたしうそつかなーい、京劇面白い、いくことおすすめするある。感想はこちらデデさんの感想もどうぞ。


990311(木)
  購入本: なし

 昨晩、9日のコンサートの感想を書いたり、本を読んだり、なんやかんやしていたら、気がつけば3時。これはやばーいとあわてて寝たのだけれど、おちびがとなりでもぞもぞするやらなんやら、時間が時間なのでかえって寝付けず、案の定今日は昼を過ぎるとへろへろ状態であった。小さい子がおねむになるとからだがぽーっと暖かくなってそれと分かるのだが、ちょうどそんな風。

 図書館から借りた『クラバート』ほか、期限が切れるからとあわてて読んだのに、結局返却するのをころりと忘れていたため催促のお電話。「次の人が待っています」といつも同じおじさまの棒読みのようなお達しである。あれ、次の人なんていてもいなくても同じようにいうに違いない。だっていつもいわれるもん、同じ文句。って、しょっちゅう期限切れしててゴメンナサイ!感想書かなくてはいけないんだけど、今日のところはだめである(眠)。


990310(水)
  購入本: 富士川義之 編   『猫物語』   白水社
    ヘンリー・トリース   『オイディープスの放浪』   創元推理文庫
    星野道夫   『旅をする木』   文春文庫
    妹尾ゆふ子   『魔法の庭<1>風人の唄   プランニングハウス

 きのうの爆睡がたたってか、朝そこそこの時間に起きたにも関わらずエンジンがかからない。やっとのことで出勤、という感じ。

 きのう、今日と、今までの陽気が嘘のような寒さである。きのうは娘の卒業遠足とやらで、気の毒にあいにくの天気の中富士急ハイランドへ。出かけるのを見ると、ジーンズにキャミソール、薄ーいセーター、ぺらぺらのシャツみたいなジャケットのみ。時計代わりのFMでは「真冬の寒さです。最高気温9度」と何遍も言っているのに、このいでたちは何だ!コートと手袋必須と言ってもなかなか持たない。ようやくのことで持たせたが、案の定帰宅後聞くと、現地はほとんど「吹雪だったよー」とのこと。おまけに20校ほども同様の団体がいて、おめあてのジェットコースター「フジヤマ」?に乗るのに3時間待ちで、しかもそれひとつしか乗れなかったのだと。お気の毒さま、風邪をひかないで帰って何よりである。
 それにしてもこの「卒業遠足」なんとかならないのだろうか。それに、行く前から「思い出作り」とか「いい思い出をつくろう!」という言い方・考え方は大きらいだ。せっかく旅行に行っても自分の目でものを見ないでカメラのファインダーを覗くのにばかり熱心な観光客、という姿とちっとも変わらないではないか。週末にはもう一回、卒業遠足ならぬ卒業映画鑑賞があって、それが『アルマゲドン』。いいんですけど、なんか変な中3の3月である。

 『猫物語』は1992年に出たものの新装版とのことだが、私は初めて。目次を見て、中にファージョン、チャペック、カルヴィーノの名があるのでぱっと抱えて、職場に戻るやいなやサンドウィッチをぱくつきつつ拾い読み。おっと、ちゃんとお金は払いました。
 カルヴィーノの「がんこなネコたちのいる庭」はむかし岩波からでていた『マルコヴァルドさんの四季』からとのこと、この本は子供の頃岩波の児童書として出たもので、当時ちゃんと買って読んだ筈なのだが全然覚えていない。マルコヴァルドさんが深い霧の中を歩いて歩いて、とんでもないところに出てしまったという話は印象に残っているのだが。
 ファージョンの「スプーナー」は、一瞬彼女自身が主人公かと思ってしまったがそういうわけではない。これは、ファージョンの(岩波から出ている)作品集を読んだだけの読者にはファージョンらしくないという印象を与えるかもしれない。私はアナベル・ファージョン『エリナー・ファージョン伝 夜はあけそめた』(筑摩書房)を読んでいたので、この作品も非常にファージョンらしいと思って読むことができた。ファージョンのファンにはこの伝記は必読である。
 というわけで今日も読書は寄り道。


990309(火)
  購入本: なし

 先週から来始めた卒研生のお相手をして疲れる。別に私の担当って言うわけではなくて、ちゃんと責任者は他にいるのだが、時間のあいているときに私の仕事もちらっと教えてみるようにとのお達しなのである。でもってあれこれ説明したあとでいざスケジュールをたてる段になって初めて、彼の予定と私のとがちっともあわないことが判明。最初にそれ、言ってくれって。

 放課後、ではなくて終業後、お茶の水カザルスホールにてハープ・コンソートのコンサート。きょうは朝から氷雨がしょぼしょぼ降る真冬のような天気で、ほとんどみぞれのような状態が続いている。
 開演まで間があったので神保町の共栄堂にて純スマトラカレー(タンとチキンを連れ合いと半分こ)を食す。ここは神保町に来ると良く通るところなのに、入ったのは初めてである。相当昔からの味らしく、なんだかなつかしい趣のカレー。この頃のエスニックな味わいの強いカレーではなくて、どちらかというとハヤシライスに近い感じ、といったらいいかな?
 もうひとつの売りである焼きりんごがまた、かなり甘いのだがその甘さと柔らかさが独特で、カレーのお供になかなかイケル!うちではカレーにはフルーツヨーグルトが定番のお供なのだが、これもいいわね。

 おなかがよくなったところで会場に向かう。かなり寒いので、入り口でチラシの束を配っているお姉さんがたがお気の毒である。そこそこの入りらしく、ロビーにも人の数が多い。リュートのつのだたかしさん(タブラトゥーラの主宰者でもある)のカッコイイ姿も見える。この方、つのだ☆ひろさんのお兄さん。コンサート本番は、といえば、いやはや、美しいやら楽しいやら、足がむずむず、からだはウキウキ、まじめに椅子に縛り付けられているのがつらかった!拍手しすぎて手がふくれてしまった。こんな楽しい演奏会、一日の締めくくりにはサイコーです。あまりにすっきりしたので、帰宅後、いい子でニニ、ネネとまっていたおちびを寝かしつけていたら、「お、寝たぞ」と思った次の瞬間から意識がなくなっていた私であった。


990308(月)
  購入本: なし

 私も借りたばかりの掲示板(tcup4)が最近どうも特に夜中アクセスしにくく変だと思っていたが、ついに踊るらいぶらりあんさんのところに続き、たかおさんの掲示板でも過去の発言の消失が起きたとの連絡。あわてて日中皆さんにお願いしてログを保存していただく。帰宅後速攻でオフラインで履歴チェックして保存…と思ったら、履歴が開けませーん。しばらくトライしたがだめで、エエ〜イ!とオンラインにしてみる。…おお、無事だ。よかったー。急ぎ過去ログを保存した。ひとまず、ホッ。

 過去ログの切り張りに時間をとってしまい、すっかりおネム。あしたはうれしいハープ・コンソートの演奏会。そのため今日のうちからカレー作りである。子供たちの明日の夕ご飯。この頃カレーづいちゃって、きのうもつい東武デパートの地下でアジャンタのキーマカレーなんか買ってしまった。最近はキムチにはまっているのでずいぶん辛いものには強くなった。そのせいか、水(大量)とごはん(大量)および汗と涙と鼻水と、何拍子もそろわなくては食べられなかったこのアジャンタのキーマカレーも、最近は何ほどのこともなく食べられるようになった。うーん、味覚の新しい地平が開けた気分。(とか言っちゃって)


990307(日)
  購入本: 西崎 憲 編   『小さな吹雪の国の冒険』   筑摩書房
    エリザベス・ギルバート   『巡礼者たち』   新潮社
    『月刊 MOE 4月号』   白泉社

 娘の高校の教材購入に行く。きのうクラス分けなどのために登校した娘は案の定入学までにどっさり宿題をもらってきたのだそうだ。おまけに今日も続けての登校にブーブーである。それは日曜というのに朝から出かけて何万も払わされるこちらとて同じだ。すごい荷物に、ちゃんと宅配業者がスタンバイ。
 道々赤や白の梅が花盛り。そういえばきのう、おちびと行った医者の玄関先には、辛夷がもう咲き出していた。辛夷や木蓮、泰山木などの花はとくべつ大好きだ。これからつぎつぎと木の花も咲き出し目にも嬉しい季節。
 そのあとスプリングコートなんかを物色に行く。

 『小さな吹雪の国の冒険』は【英国短編小説の愉しみ 2】で、帯には「ファンタジーの薫り」とあり、マンスフィールド、チェスタトン、ポウイスなどにならび、おおエリザベス・グージが!!!彼女は知る人ぞ知る、『まぼろしの白馬』の著者。英語圏でも他の作品はほとんど手に入らない状態と聞く。嬉しいな、嬉しいな!!

 新潮社の新潮クレスト・ブックスは、軽装本だが、一冊の単価は安くない。『巡礼者たち』も2000円である。300ページを越えるから、ハードカバーにしたときよりは確かに安いのかもしれないが2000円は2000円である。やっぱりちょっと買うのにためらいがないと言えば嘘。背表紙に「インターネット書店アマゾン・コムの読者採点でも満点続出」とのコメント、帯にはその読者評の一部が掲載されている。

 この軽装本は、実は私は割に好きな造本なのだ。
 私は本を読みながら無意識にページを指先でいじったり、表紙をこすったりしているらしい。隣の席の同僚が、「あなたが本を読んでいるとカサカサ音がしてる」とよく言われる。それから読みながら頭の中で流れている曲にあわせて足先で拍子を取ったり体を揺すったりもしているようだ。
 だから文庫、新書や、選書にあるような軽装本だと手になじんでいじりやすいわけだ。昔の文庫クセジュなんて好きな造本だったな。
 表紙の材質も、つるつる光沢のあるのはあまり好きではない。ハードカバーなら布がいいし、お目にかかったことはないが柔らかい皮なら最高。おお、だから使いもしないシステム手帳の売場に行くと、つい手に取りたい誘惑に駆られるのか。納得。

 『MOE』4月号は、巻頭大特集は「ようこそ、おとぎの国へ 大正モダニズムの絵本作家たち」、特集「金子みすゞの世界」など。
 名前の挙がっているどの作家もどこかで見知っているものだが、武井武雄、初山滋、深沢省三なんて子どもの時からずっと好きだった人たちがこうやってみるとほぼ同時代の人だったことを認識した。先月号の特集の村山知義、あまりにも有名な竹久夢二などもくわえ、「大正モダニズム」という共通項を与えられたわけだ。あたかも、とてもとても好きな野の花があって、名前を知らないでいたために一種まぼろしに近い花のような気がしていたのを、あるときその名を教えられて、その名前のひとことにその花の全てを代弁させることができたときのように。大正モダニズムという言葉とそれが何をさすかについての認識はむろんなかったわけではないが、こうしてそれぞれ独立に好きなものたちがその名の下にひとつところにより集って自分の中でしかるべき場所を与えられたと感じるのは、達成感であるとか充足感に似た感情である。

 プロイスラー『クラバート』、ドゥリアン『チョコレート王と黒い手のカイ』読了。車中でフィニイ『フロム・タイム・トゥ・タイム』読む。前作の詳細は忘却の彼方だが次第に思い出してきた。あんまりSF、SFしてこないで欲しいな。


990306(土)
  購入本: 乙武洋匡   『五体不満足』   講談社

 風が強いが日差しは暖かすぎるほどの一日である。この冬さほどの風邪もひかずに済んだおちびが、二日ほど前から鼻をぐすぐす言わせていたが、昨夜から悪化してきて、夜中にも起き出して鼻が詰まったと言ってじれて泣く。仕方ないので、午前中洗濯・掃除ほかを途中でやめて医者に行く。案の定、すごーく混んでいる。熱などはないので、順番が来るまでの時間を、散歩がてらクリーニング屋とか本屋、花屋などをのんびり巡り歩いてつぶした。いつもはピューッと自転車だが、きょうはいい陽気なので歩き。

 花屋ではミモザの花と、クリーム色のガーベラを買う。白か黄色のチューリップも欲しかったが、なし。むかし住んでいた家にミモザがあったが、あっという間に伸びちゃって、幹が柔なものだから軒にしばりつけておいたら、風が吹くとギーギー音がして古家に住んでいるような気がしたものだ。お菓子みたいな黄色いミモザの花で、部屋の中も一挙に春。
 情けないことに年内に植え忘れた球根に気がついたが、けなげにも箱の中で芽を出してしまっていたので、あせって植える。鉢が足りないのでどれも超過密状態だ。許してえ。

 『五体不満足』をふらふら買う。「子供にも読んで欲しくてふりがなをつけた」とのこと、息子に見せたら「知ってる、テレビでよく見る」というが、私はテレビ不案内で見たことない。字も大きめなので、昼寝(on催眠ソファ)しつつ読了。うーん、いろいろな意味で環境と当人の資質に恵まれたケース?一応私も人の親なので、親御さんがどんな考えの持ち主なのか興味あるところ。


990305(金)
  購入本: 山本夏彦 久世光彦   『昭和恋々』   清流出版

 だいぶ前から注文してあった上記が届いた。しばらく前めずらしくTVを見ていたとき、NHKの読書番組でもとりあげられていたので、びっくり。山本夏彦ってそんなにメジャーなのかと。その番組もかなり前だから、来るのにずいぶんかかったもんである。ちらっと読んだ久世光彦の前書きに曰く

 山本夏彦というのは変な老人で、死んだ人間しか褒めないので通っている。それも別段深い考えがあってのことではなく、単にひねくれているのである。

― 人が死んで生まれ変わるのは、ほとんどがまた赤ん坊からだが、ごく稀に、死んだときのそのままの姿で蘇生することがあるという。つまり、継続である。私は遂に翁の秘密を知った。―(中略)― 年に似合わずエネルギッシュな翁独特の嫌みの数々は、みんな奇怪な蘇生の産物なのである。

 などなど、「うん、そうそう!」と膝を打ってしまう山本夏彦評。昨年夏彦翁の出版記念パーティだったかに、彼の雑誌(『室内』)で見て申し込みをしたら、忘れた頃に、それが事情で延期になったという詫び状が舞い込んだ。ご本人が書かれた妙にひょろひょろした筆跡の葉書(コピーだけれど)だったので、改めてこの人は結構なお年であることを再認識したのであった。あれから連絡ないけどどうしたんでしょう。

 この本は表紙が金魚売りの写真で、さすがに私もこれは実際に見たことがあるかどうか、記憶が定かでない。中味も半分写真、半分エッセイである。
 山本夏彦が見た現代に残る昭和の風景(第1部)、久世光彦が語る古い昭和の風景(昭和20年代〜30年代が主、第2部)、そしてふたりの対談(第3部)。昭和が平成に変わって、ひとつの時代が閉じられてしまったような気でいるが、毎日の時間の流れに区切りの線があるわけもなく、こういう生活の延長上に現在もあるということを思ったり。しかし夏彦翁、決してレトロスペクティヴでないところが面目躍如。そこが「奇怪な蘇生の産物」ナリ。


990304(木)
  購入本: トマス・M・ディッシュ   『334』   サンリオ文庫
      〃   『歌の翼に』     〃
    リチャード・カウパー   『クローン』     〃
    ピエール・クリスタン   『着飾った捕食家たち』     〃
    C・プリースト   『アンティシペイション』     〃
    ウィリアム・コッツウィンクル   『バドティーズ大先生のラブコーラス』     〃

 またまた、サンリオ文庫物色。
 今度入ったのはヤケ具合から言ってどうも同じ出所のような気もする。カバー無しでスリップが入っているというのも複数あり。
 私が持っているサンリオ文庫の大部分は実家に置いてあって普段目にしているわけではない。ずいぶん前の本だということと、こんなに古本屋でも品薄とは知らなかったので一度何冊か処分してしまったこともあり、今現在どれを所有しているかはっきり記憶していない。買ったけれど読んでないのか、読んでも売ってしまったのか、題名は何度も見ているが買っていないのか。今回の出会いでも、今持っているかどうかはっきりしないものもあって、せっかくの入手するチャンスをみすみす取り逃がしそうな気がする。もっと安ければどんどん買ってしまうのだが。『クローン』も持っている気はするんだけど念のため。
 店番のおじさんはぜんぜん不案内で、6時過ぎなら交代に話のわかる者(息子)が来るというので、仕事が終わってから寄ってみたのだが、今日の交代要員はマンガ担当の人だったので空振り。しつこく日参するので、おじさんには顔と名前を覚えられてしまった。期間限定の1割引券を持参するのを忘れたが、顔パスで値引き。


990303(水)
  購入本: ラングドン・ジョーンズ編   『新しいSF』   サンリオ文庫
    ハリスン&オールディス編   『ベストSF1』   サンリオ文庫
    アントニイ・バージェス   『アバ、アバ』   サンリオ文庫
    E・デ・アミーチス   『クオーレ』   新潮文庫
    『母の友 4月号』   福音館書店

 また、サンリオ文庫物色。

 職場でまた同和問題研修があり、前回でなかった人が参加したのだが、戻ってきた人がひとこと。「未亡人って、まだ死んでない人のことなんだって!旦那が死んじゃったのに、奥さんはおめおめ生きてて、まだ死んでないってことなんだって。だから差別用語なんだって!」
 まだ死んでない人…って、すごい言い方!と、反射的に思った次の瞬間、確かにそういう漢字を書くなあ、と目ウロコであった。
 「主人」なんていうことばは、別に私の連れ合いは私のご主人様じゃないわよ、と、即却下! 主人なんて言葉は単なる符丁であって「ご主人様」だなんて思っていない、という考え方も、却下してきているのだが、「未亡人」という言葉は盲点かもしれない。ふだん「さようなら」を言うとき「さようならばこれにて失礼つかまつる」なんて言葉を絶対に念頭に置かないのと同じくらい、未亡人という字の意味なんてまったく考えたこともなかった!では、妻に先立たれた夫に対する、未亡人に相当する言葉は…?やもめとか寡婦という言葉には、男やもめ、寡夫というのがいちおうあるが、ずばり未亡人に相当する言葉はないと思う。それに相当する概念がないからに違いない、そう考えれば確かに「未亡人」は差別用語に違いない。でも「人」の字が使ってあるんだからこの際男女問わず用いると言うことに「法制化」でもしたら…。


990302(火)
  購入本: ピーター・ディキンスン   『生ける屍』   サンリオ文庫
    ロザリンド・アッシュ   『嵐の通夜』   サンリオ文庫
    ポール・ギャリコ   『雪のひとひら』   新潮社

 お昼を調達しに行ったついでに、古本屋による。すると、なんとサンリオ文庫が今までの3倍くらいに増えているではないか!!!!今までは棚1段強だったのが、まるまる4段ほどになっている!!俄然熱い目になって物色。なぜか持っていない『334』とか『歌の翼に』があったが、今日のところは上の2冊。値段は、私はほとんどよその相場が分からないので、職場に戻ってからジグソーハウスのと比較してみたが、たぶん、安いものは高めに、高いものは結構安めに値が付いているような感じ。1500円から3000円くらいで、めぼしいものは2000円というのが多かった。6000円が1冊あったのは何だったかな?
 先日池袋パルコの古本市で見た『生ける屍』はにゃんと9000円だったので、今日の2000円にはすんなり手を打ってしまったんであった。その勢いで『パヴァーヌ』を捜してもらうことに。

 帰宅時図書館によって、書店では入手困難かもしれない山尾悠子の本をひとつリクエスト。『夢の棲む街/遠近法』(三一書房)がそれなのだが、館員が検索してヒットしたのはハヤカワ文庫の方の『夢の棲む街』のみ。題名の表記法をはっきり覚えていなかったせいもあろうが、館員が言うには「そういうデータはないから、こんな本はない(存在しない)」のだと。三一書房版はハヤカワのに一つ二つ作品をくわえたものだから、それの方を、と言ったのだが、「でもそんなデータない(から、そんな本は存在しない)」の一点張り。だから、「捜して連絡下さい、すぐにあるとは思っていません」て最初から言ってるじゃあーりませんか。ンもう、他の図書館に問い合わせるの、時間がかかるのなんの、なんて解説はいいからしっかり探して下さいよ。著者名からでもなんでも、探せるでしょ!保育園のお迎えの前に急いで駆け込む方も悪いんだけどサ。脳裏には館員嬢にそこをおどき願って私が代わりに探す図が…。(お願い、ちゃんと探してね)

 上の息子の同級生のお父さんが亡くなったそうだ。お父さんひとりで息子ふたりを育てていたのだ。日曜日にわれわれが家族でぞろぞろ出かけるとき、たまたまその同級生がぶらぶらとしていたが、うちの息子に声もかけず目をそらしたそうだ。私もめずらしくその子と目があって、おや、この年頃の男の子らしくいつも知らん顔なのに、目が合うなんてめずらしいなあ、とちらっと思ったのだった。今日聞いてみたら、亡くなられたのは土曜日だと言うこと。やっぱりあのときは見てくれる大人もなく、所在なくひとりでうろうろしていたんだなあ、家族揃って歩いているのを見るのはつらかったんだろうなあ、などと思うと胸が痛む。先ほど息子は学校の先生や同級生たちとお通夜に行ってきたのだが、同級生の彼はこのあとどうなるのだろう。転校とか引っ越しとか言う事態になりそうな感じ。間もなく春休みだから、大人にとっては色々都合がいいのかもしれないが、学校に行っていれば気も紛れるかもしれないのに彼にとっては運悪く春休みと言うことになって、本当に気の毒…。何にもしてあげられることないし、我が身に引き寄せて考えると涙が出てしまう。


990301(月)
  購入本: 『SFマガジン 4月号』   早川書房

 春3月である。3月には必ず「春」という言葉がついてくる。3月ひなのつきとか。先日、長男が木目込みのおひな様を見つめて目を丸くして「おひなさまがすごいことになっている!」とのたまう。みれば、めびな様の束髪が、どうしたことか上に持ち上がって冠に引っかかり、見るも悲惨な有様に…。よよよ…。気を取り直して、引っかかった髪をそろそろとはずして差し上げたが、どうしてこんなに、と言うくらいの有様だったので、一応直した後もまるで寝起きのような乱れ髪である。これはもう自分では直し切れそうもないので、ひなまつりが済んだらお人形やさんに直しに出さなくてはならない。あ〜〜災難だあ。下の子に「おひなさまにさわった?」ときくと、一瞬躊躇してうなづく。「おひなさまのかんかんにさわっちゃった?」こっくり。「かんかん、ひっかかっちゃったの?」いっそう深くこくり。あぁぁ、犯人はまたこいつだー。

 日本初の脳死状態の患者からの臓器移植が行われた。ご家族の心中はどのようなものだろうか。月並みだが、察するにあまりある。まして今回の目に余るほどのあの加熱取材・報道の中での決断には、ただ頭を下げるのみ。
 自分一人のことを考えればよいのなら、今すぐにも例のドナーカードに臓器移植同意の丸印をつけてしまうところだ。しかし、数年前の
叔母の脳死〜心臓停止に至る経過を間近に見たとき、これがそう簡単には済まないことを知った。単に遺体を傷つけることに対する抵抗感ではない。医療現場に近い職業柄、ものとしての肉体にはそれほど執着や抵抗はない。理性で割り切れる範囲である。しかし、実際の人間は、肉体と理性が切り離されているわけではない。現に叔母の危篤の時だって、理性はこの人はもう死んだも同じ、と告げた。しかし、触れるとその手は温かい。夫である叔父をはじめ、親戚や知人はその肉体を目に見えるよすがとして寄り集っている。厳然としてそこにある存在としての肉体を、単なる「もの」として割り切ることは、そう簡単にできることではないと実感した。そう言うわけで、手元にドナーカードはあるのだが、未だにそれは空白のままなんである。
 しかし今日新たに思ったことは、もし自分に非常に近い人がそのような状況に陥ったときには、意外にすんなりオッケーできるかもしれないということである。配偶者とか子供は自分にとってすでに非常に親密だから、むしろ肉体という媒体に頼らなくとも彼(彼女)と自分との関係はそれ以上変化させられることがないかもしれない…死そのものによる以上には。なんて。
 …ちょっとあまり考えたくない話題デシタ。

 今日はフィニイには少しお待ちいただいて、プロイスラー『クラバート』読中。なぜって、図書館の返却期限が切れそうだから。この人はどういう訳か初めてで、現在まだ主人公クラバートが親方のところで修行を始めたところなのだが、これ好き!


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最終更新日 01/01/08 11:43:00
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