日時計 1999年8月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

<1999年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

<1998年> 9月 10月 11月 12月


▲最新の日記 は、トップページにあります。 ▼読了本


990831(火)
  購入本: ポール・ギャリコ   『幽霊が多すぎる』   創元推理文庫
    R・ロゴウ   『マーベリー嬢失踪事件』   扶桑社ミステリー
    村上春樹   『遠い太鼓』   講談社文庫
    原 康   『国際関係がわかる本』   岩波ジュニア新書

 8月も最後の日となったが、暑さはひとしおである。昼休みにダイエットを決め込んで『宇宙消失』を読んでいたが、あまりの眠さ(ださこん2後遺症)に本屋へ出る。先日頼んでおいた『幽霊が多すぎる』が来ていた。

 『宇宙消失』は、量子論的ネタが佳境に入ってきたところだが、うーん、これを未読の人に説明せよと言われても私には出来ないと思う。1996年に『もうひとつの宇宙 量子力学と相対論から出てきた並行宇宙の考え方(講談社ブルーバックス)を読んでいたから概略は理解できるけれども、なかなか難しい〜。が、次第に面白くなってきた。そう言えば、ださこんでせっかく訳者の山岸真さんにお会いしたのに、サインを頂くのを忘れた。


990830(月)
  購入本: なし

 当人は特に感じなかったが後で思い返すと一日の記憶が非常におぼろなのは、ださこん2の後遺症か。ひさしぶりに古本屋へ行ったが何もなかったことくらいしか覚えていないぞ。

 夜、食事が比較的早く終わったので、ださこんレポートでも書き始めようと思ったら、TVで世界陸上の総集編の時間になったのに気付き、子供たちと口々に「うわー、かっこいい!」「スゴイ、早い!」「筋肉もりもりだぁ!」などと感嘆の声をあげながら見る。マリオンの背中にセビリアの魔物がとりついたあたりで記憶がとぎれる。


990828(土)〜29(日)    ださこん2レポート
  購入本: なし

 ださこん2に参加。今回は同じ会場で2回目なので、顔見知りの人とはもう常連という雰囲気。前回の1.5倍の70人という参加人数なので、大広間「やまと」ももうぎっしりである。

 東雅夫さんが聴き手という形で寮美千子さんとの対談。寮さんの止まるところを知らぬ弁舌と、東さんの素敵な声が、それぞれ聞き物。(いや、ほんとにいい声なんだから!)

★寮・東対談、と言うか東氏による寮美千子インタビュー★

 寮さんははじめ外務省の事務官をしていらしたが、字が好きで、書いて行ければなあと、草思社を受けたところ、出版部門ではなくて広告部門に回されてヤマハの広告誌などを手がけるライターとしてしばらく働いていたそうだ。20代の終わりにミセス童話大賞に応募したが、落とされる。業界は児童文学という「商品」を求めているのであって、「作品」を求めているのではないことを知り、傾向と対策を立てた結果、3回目に応募した86年毎日童話新人賞を受賞する。しかしその後も「書きたい」ものをなかなか書かせてもらえない、と言うことを知ったそうだ。

 東さんが、寮さんの作風はどういうジャンルとも言いにくい、という点で共通する天沢退二郎の名をあげると、「ああ、アマタイね」と長年の知り合いであるかのような言いよう。じつは高校の先輩に当たり、しかも同じ町内だったので、時々、どう見てもあれはアマタイでしかあり得ないという風体のご本人を見かけることがあったそうな。天沢退二郎、稲垣足穂、宮沢賢治などは高校時代に洗礼を受けたという。納得、納得。

 なぜ、登場するのは少年ばかりなのか?と言う問いに対しては、少年ぽい少女と言うものはどうにも不自然なもので、透明な精神を表しやすいと言うことから少年になってしまうとのこと。と言っても、生身の少年そのもののように生々しいものではない。
 書きかけの次作『夢見る水の王国』(素敵な題名!)は「少年少女」が登場する初めての作品で、もう400枚という量になってしまった。新月から満月までの15日間の話なのだが、まだ5日目でもう400枚!月と水、女性性そしてドッペルゲンガーの話だそうである。わくわく!

 寮さんの作品の書き方は、まず最初にありありとシーンが見えてくる、「はじめに映像ありき」なのだという。映像があまりにありあり見えるのでどうにも居心地が悪くなり、この映像を言葉に書いて説明する、いわば地図をかいてみんなに知らせてあげるという作業をするのだそうだ。絵から言葉への翻訳をして人に見える形に、すなわち小説にするのだと。『小惑星美術館』の美術館シーンもまさにそのようにして浮かんだ光景だという。この作品は、それまで書いた短篇だと編集の人にいろいろ注文を付けられてしまうので、どーんと300枚という量のものを書けばいいかなと思って書いた長篇なのだそうだ。

 『ノスタルギガンテス』では、それまで書いていた、ストーリーの展開に奉仕する言葉をなるべく使わないで書いた、とのことであった。散文詩のようだという感想をもらうが、それは正しいかも知れないとも。
 死は生より安定な状態で、生きていることはそれ自体不安だともおっしゃる。これは熱力学の法則から言っても直感的に正しい認識だと感じた。
 しばしば登場する恐竜は、死と結びついているイコンだとは、作者ご本人から聞くとまさにそのまま脳裏に恐竜の凍り付いた映像が浮かんでくるようであった。
 植物よりも骨や砂にシンパシーを感じるとおっしゃる寮さんであるがご本人はいたって活発なエネルギーにあふれた気どりのない方なのである。「でも好きと言っても骨なんかそのへんに飾っておきませんよね」という東さんに「あら、ネコの頭蓋骨あるわよ!」爆笑!

 ネパールに行って「うっかり」アンナプルナに(途中までだが)登っちゃったとか、「うっかり」アメリカに行っちゃってアリゾナの隕石クレータとインディアン居留地をみてきたとか、ふつうそういうこと「うっかり」やるかって。

 これからの予定としては、何年かラジオ番組(セント・ギガ)のために書いてきた詩や、短篇をまとめたいと言うこと、さきほどの『夢見る水の王国』を書くこと、インドを舞台にした大人の女性が出てくる本を書くこと、があるとのお話であった。期待!
 滞在したカルカッタでは、自分が書こうとしているファンタジーと、現実のカルカッタとが溶けあってしまうという不思議な体験をされたそうである。そうした不思議な土地で、境界を超えてしまい帰ってこられなくなる人もいるという。
 常に考え行動している寮さんは、お見受けしたところでは、そのような境界を超えてしまうようなことや、普通イメージするとはかけ離れているが、「安定状態としての死のあいまにときどき挟まった生」という言葉を伺うと、小柄な体の中に大きな宇宙的世界認識を持っていらっしゃるのが理解される。この基本的な認識こそが、空間的なばかりか時間的にも一種普遍的な広がりを持った作品世界を形成する大事なキーワードであると納得したのであった。

 東さんはこの間ずっとインタビュアーとして、とりとめなくぶっ飛んで行きそうな寮さんのお話を要所要所できっちり押さえられ、有能な手腕を発揮されたのであった。この日がお二人の初対面とわ。それにしても東さんのお声の素敵なこと!江守徹か東雅夫かっていうくらい。せっかくおいでになった東さんの、『幻想文学』編集長としてのお話も伺いたかったのだが、それは次回のお楽しみに取っておくとしよう。東さまよろしく<突然「さま」

 終了後、サイン会。持参した寮さんの4冊の著書に、これも持参した何色かのメタリックカラーのボールペンでサインを頂く。そのうちの銀色のペンを回収しそびれたが、記念に進呈することにしよう。

 さて、そのあとの架空書評勝負では、予備投票で応募42作から6作が最終候補に残った。それらに対する講評が配られると、となりにいらした涼元さんが「ニムさんはいってるよ」とおっしゃる。へ、とよく見ると、おーや、私のが出ている。なんでも得票数5位だということ。このあと挙手による投票になったが上位2作はシードで、まず下位4作が2作ずつ対決、ここではなんとかベスト4に生き残ったが、次に当たったのが最終的に1位となったお給仕犬さんの作で、これには圧倒的な差で敗退。私もこれに点入れたものね。

 そのあと、女性陣は速攻でお風呂。ヴァーチャルなつきあいから始まったのに、いまやお風呂に入る仲になったというわけ。その間にださこんの目玉、古本オークションが開始していた。
 これに参加しつつ、
溝口さんのサイトにちなんだ特製カードゲーム「書棚の帝国」をプレイしている所を覗く。カードが余っているからやってみれば、と言われて、林さんのご指導で、ヒラノさん、KANAZAWAさんなどとご一緒する。これがおもしろくて、そのあと朝方まで都合3回もやってしまったのであった。せっかく福武のハードカバーSF3冊を集めようとしていると「今日も」だか「いつものように」だか、「溝口哲郎」がやってきて、ねらっていた『エンジンサマー』を流してしまうのであった。

 一方広間中央ではu-kiさん、鈴木力さん(リッキ−!)による『もてない男』論争が行われていたのだが、途中から首を突っ込んだのと、周りが賑やかだったのとでいまいち内容がよく聞き取れず。

 いつのまにか朝方。東洋大SF研の田中嬢に呼び止められ、u-kiさんご推薦のゲーム「kanon」について熱いあつい解説を頂く。想像していたのとはずいぶん違い、画面も非常に綺麗で、音も良く、実際にプレイしていた方が涙を流さんばかりにしていらしたのにはびっくり。ちょっと認識を新たにした感じ。

 寮さんがへろへろになりながらもいまだにしゃべっているところに加わり、かわかみさん、雪樹さんらと一緒に耳を傾ける。寮さん、目が死んでるけど口は達者である。カードゲームばっかりしていないで、こっちにくっついていれば良かった。

 そんなこんなでほとんど寝ないで閉会を迎え、ださこん大将には大森望・前大将をおさえ、先ほどの田中香織嬢がえらばれたのであった。
 その後恒例のルノアールでの朝食。安田ママさん、青木みやさん、ZERUさん、ダイジマンさん、KANAZAWAさん、かわかみさん、お給仕犬さんらとテーブルを囲み、キリンヤガ話など少々、ほか大森さんから珍しい生き物の写真をみせていただく(皆なかなか感想が出ない)。
 お昼近くになり、皆それぞれに重い荷物を抱えて帰路に就いたのであった。


990827(金)
  購入本: 岡田英弘   『世界史の誕生』   ちくま文庫
    ジュール・ヴェルヌ   詳注版 月世界旅行』    〃
    村上春樹
安西水丸
  『村上朝日道は
 いかにして鍛えられたか』
  新潮文庫
    村上春樹   『うずまき猫のみつけかた』    〃
    寺田とものり   『エンジェルスリンガー』   プランニングハウス

 職場のアルバイトの女性が、石垣島・沖縄へ行ったおみやげに、シークワーサーの濃縮ジュースを買ってきてくれた。これはヒラミレモンとも言って沖縄特産の柑橘類のようである。レモンと言うよりライムの感じだろうか。すきっとした香りがほんとうに爽やか。南の島の朝日の光を集めたような清涼感で、大好きだ。って、南の島は行ったことないけどたぶんそんな感じ。

 ジュール・ヴェルヌ作W・J・ミラー注『詳注版 月世界旅行』は、高い(1200円)。『世界史の誕生』のほうはその半分以下の厚さなのに740円、「わーい、文庫だ文庫だ〜」とつい気を許しているとエライことになる。
 この『月世界旅行』は、ページを開いてびっくりした。文庫なのに2段組か、と思うとちょっと様子が違う。よく見ると下の段の方が上段より幾分幅が狭く、活字も小さい。なんだなんだ、とパラパラ見ていると、時折ごっそり下段がない部分があるので、初めて下段が注釈部分であると知れる。そのくらい、注釈だらけなのである。
 つい職場の同僚(一応SF歴はある)に見せるとさすがに驚いていた。もうひとりに見せたら、同じく驚いていたが、著者の紹介を読み「へええ、『十五少年漂流記』ってヴェルヌだったんすか〜、読んだことはあるけどこの人とは知らなかった」と言うので驚いたが普通そんなもんか。

 夏休みになって読書に開眼した高一の娘に、読んだ本の題名くらいメモしておくといいよ、と勧めた。さっそくマンガ文字で書いたのを数えると、今日現在で22冊。7月末からだから、イベントのない日にはほとんど1日1冊読んだ勘定になる。本と言えばコミックと同義語で、満足に活字本(と言うのか)1冊を読み終えたことのないような娘が、突然どうしたんでしょ。
 私の読了本から江國香織、湯本香樹実、寮美千子、梨木香歩路線で行ってみたが、さらに長野まゆみとか、重松清とかを薦めるつもり。きょうは『ナウなヤング』を読んだそうだ。なかなかSF、翻訳物に手が出ないようなのはカナシイ。

 その母はゆうべ〜朝、『流しのしたの骨』を読み終え、『宇宙消失』は主人公がとりあえず捕まってしまった後まで。明日に備え『星兎』再読。明日の晩はいよいよDASACON2なのである。というわけで、あすの更新はありませんので悪しからず。

 大森望ページの正しいSWの楽しみ方を連れ合いに読ませたところ、『日経バイト8月号』を持ってきて、とあるページを開く(p.196)。小見出しに「スターウォーズを見るべきか」とある。いわく、

闘いの両陣営が知的に振る舞っていたなら、戦争は開始前に済んでいたに違いない。

とか、

兵士ロボットの階級は無意味だ。ロボット全部が中枢のコンピュータによって制御されているとき、コンピュータが破壊されて何万体ものロボット戦士がどうしようもなく無力になったら、隊長であることに何の意味があるのか。

とか。「そりゃお約束だから」だの「はじめにスター・ウォーズありきなんだから」だの言っていると、敵さん、記事の最初を示す。「PCの電力管理はまるで悪夢だ」と言う題名の下には筆者の名前、ジェリー・パーネルが。なんなんだこりゃー。


990826(木)
  購入本: なし

 朝刊の一面に、写真入りで「お手伝いロボット発売」とある。わーい、わーい、『夏への扉』だ!!と、思わず写真の中にピートを捜しそうになる私であった。アイボはあんまり興味ないが、これは欲しいかも知れないぞ。実は今日は昨日の余波で1時間近くお寝坊、こんな時に「お手伝いロボット」いかがですか?と訪問販売が来たら買うかも。

 帰宅時間が6時半を回ってしまったが、もうあたりは青く夕闇に包まれ始めて、意外な気温の低さと共にいよいよ今年も名残の夏という時期になったことを実感する。蝉の声よりもコオロギなど地虫のすだきが勝っていたのもこの感を深める。

 ださこん架空書評勝負に投票する。先日、合間合間に読めるようにとプリントアウトしたのだが、予想以上の量で、ざっと読むだけでも大変な作業である。なにせ42作だもの!この中から3作を選ぶのは至難の業だ。
 書評というより、スタッフの作成した書誌事項、あらすじ、作者のプロフィールなどに触発されたアイデアノートといった感じのものが多く、まぁよくみんなぶっ飛んだストーリーやアイデアがでてくるなあとひたすら感心する。もうすこし書評に傾いたものが多いかと思ったのだが、これならいっそこれらの設定で実作を書かせて競作にしたらどうだろう。

 気分によりイーガン『宇宙消失』と江國香織『流しのしたの骨』を代わる代わる読む。『宇宙消失』は1/5ほど来ているのだがなかなか話が展開しなくてちょっとだれ気味。


990823(月)
  購入本: ピアズ・アンソニイ   『マーフィの呪い 魔法の国ザンス12   ハヤカワ文庫FT
    加納朋子   『ななつのこ』   創元推理文庫
    チボル・セケリ   『アコンカグア山頂の嵐』   ちくま文庫
    D・M・M・クレイク   『旅のマント 妖精文庫4   青土社

 川島誠『800』読了。この作家はヒラノマドカさんお勧めである。しばらく前に古本屋で『夏のこどもたち』を入手したが、娘が先に読んで私はまだ読んでいないまま。『800』がまこりんさんのところで話題になっているので、図書館にリクエストしたものである。
 「800」とは、陸上競技の800mのことで、正確にはこの題名も『800 Two lap runners』とあり、400mトラックを2周することを指している。偶然にも読み終わったとき、息子が「マイケル・ジョンソン見るんだよ!」と、世界陸上の番組を見ており、800mレースの駆け引きとランナー自身の筋肉の躍動を今味わった私は、ごく自然にTVに映し出される競技のシーンに引き込まれてしまった(残念ながら800mレースはなかった)。


990822(日)
  購入本: なし    
  図書館本: 川島誠   『800』   マガジンハウス

 深夜1時過ぎ帰宅後、そのまま全員ばったり寝るが、3時50分、4時に電話。何とそれは、今夕東京ビッグサイトで行われるラルクのコンサートに行くと言う息子の、友人からのモーニングコールであった。うう…。よくわかんないけどなんかそのころ息子は順番取りのためよろよろ出掛けていったようで、夜10時半過ぎにコーフンして帰ってきたのであった。ご苦労さんな事でした。炎天下、待っている間日射病になるかと思いつつもしっかり昼寝したと言うが大丈夫かな?

 当方はその後起きたら10時過ぎで、ひたすら洗濯と片づけ、その合間に『ナウなヤング』を終わり、図書館本の川島誠『800』を読み始めるかたわら、職場から発掘したレズニック『パラダイス』、ほかに実家からもってきた同『一角獣をさがせ!』をパラパラ見る。『一角獣〜』は、1990年の発行とあるが、この年は健康を害したりしてあまり本も読めなかったように思う。この本も途中に栞がしてあり、登場人物やあらすじ、雰囲気に覚えはあるものの、どうやら最後まで到達しないままだったようなので改めて読むつもり。

 土曜日に放送のあった、ヴァイオリニスト五嶋みどりの弟、10歳の五嶋龍くんを追った番組の録画を見る。話には聞いていたが見る(聞く)のは初めてである。うーん、これは天才かも知れない。演奏技術もスゴイがやはり子供、音も未完成、音楽も子供のもの、でもそれが、どう言うのだろう、日本の学生音楽コンクールで聴かれるように教え込まれたものではなくて、とても生き生きと自発的なものに聞こえる。子供らしいが、曲の進行に伴いどんどんいろいろなものが出てくる。それがすごい。実際はどうか?確かに成長が楽しみなひとりだと思う。おねえさん(みどり)はもう27歳なんだって。

 夏休みに入ってから毎週末には何かしらイベントがあり、そろそろくたびれたなぁという感じであるが、今週末はださこんである。でも前回のゲスト浅暮三文『カニスの血を嗣ぐ』は買ったきり読んでないし、今回のゲスト寮美千子『星兎』は再読しなくてはいけないし、実は私も参加した架空書評勝負(勝負だったんだよ〜)も投票しなくてはならないし、つまり何にも用意していないのでどうしよう状態なのである。
 いや〜、ちょっと本格的に疲れたかも。


990819(木)
  購入本:なし

 おたふくにかかったおちびも、昨日からお許しが出て保育園へ復帰。まだ8月なのに、運動会の練習が始まっている。
 保育園からおちびを引き取って帰る道すがら、はっと見ると前方には半月が浮かんでいた。今日はやや太って、月齢7.9、西の空には夕日がぐっと低くかかっている。帰宅時間の6時過ぎまであれほどカンカン照りだった太陽も、お盆を過ぎるとこの時間には光の矢の威力も失せ気味で、もう晩夏の気配だ。とはいえ、きのう今日の日中の暑さは尋常ではなく、サングラスも日傘も、自己暗示もまるで効き目なし。亜熱帯を通り越して熱帯と言いたい!この所本屋にも足が向かず、逆に昼休みの読書がはかどること…。

 書店について続きを少し。有里さんとこでもこの話題がとりあげられている。

 本の注文、予約は、できればしないですめばいいと思っている。昨日も書いたように、私も本屋巡りそのものが好きで、いろいろな棚、平台を、目を光らせてアンテナを張って渉猟して回る醍醐味ったらない!でも現実はなかなかそうはいかない。フルタイムで働く身、平日は近所の本屋しか行かれないし、休日も大抵こぶつきおまけつきだからなかなか身軽にあちこち本屋巡り、と言うわけにはいかない。と言うわけで、次善の策ってところかな。

 私が利用する大書店は主に池袋の東武百貨店内の旭屋、西武百貨店内のリブロである。こぶつきで行くことが多いのでどうしても駅に隣接するところになってしまう。一歩出ると芳林堂やジュンク堂もあるんだけど。

 自分で端末が利用できるレファレンス・サービスはリブロにある。以前も触れたが、これが台数が少ない上に(1台しかない?)しょっちゅういかれているのだ。おまけに情報が遅い。その上、順番待ちをしてようやく検索しても、どこの売場にある(可能性がある)かと言う情報がない。在庫の有無までは問うまい。けれども文庫、小説のようにはっきりしているものならともかく、たとえば先日買った『イギリスの大聖堂』などはちょっと見当が付かず、ベテランらしい店員に訊いてもなかなか返事がもらえず、あちこちの売場に電話をかけては捜させている様子であった。図書館なら分類番号によってどこの書架かわかるので、同じような端末による検索に、ついそこまで期待してしまったが、それは技術的に無理なのだろうか?
 というか、そもそもそんなこと端末を使ってわざわざ捜す人ってあまりいないのかも。順番待ちしていても、前のカップルが「なんて言う作家だっけ」「○○じゃん?」「えー、違うよゥ。」「あー、スゴイスゴイ、出た出た!」「へー、おもしろいねー」(そのままふら〜と店外へ去る)っていうパターン、よく見るし。 
 ありがたや今ではWebで書誌情報がかなり正確・迅速に把握できるのだから、人(キカイ)に頼らず書店へ行くときはそれを握りしめて行くべし、というご教訓であろう。もちろん自分のハナもちゃんと使えよ、ってことで。

 大きい書店にはもちろん新刊がすぐはいるから、まずどんな本か確かめたいというときにも利用する。重いとかお金がないとかいう理由でその日は買わなかったときは、近所の書店で買う、ないし、なければ注文ということになる。そこで昨日触れた予約金の話。

 注文したっきり取りに来ない客はたぶん結構いるのだろうと思うので、予約金自体はまったくかまわないと思う。それなのにごねたのは、簡単にいえばその書店員の態度が普段からもその時も悪かったからである。べつに「馴染みの客の顔を知らぬか、こんなに買ってやっているのだから融通をきかせろ」と大層なことを言いたかったわけではない。いちおう書店だって商売、サービス業でしょ。それなのに接客態度がバツ。だから、これは一般論ではなく個別例、というわけです。誤解なきよう。


990818(水)
  購入本:なし

 ああっ、もううちの安眠ソファったら!食後『アイヴォリー』を片手にソファに埋もれていたらいつしかばったりと…。これはいけない、とすでに息子ふたりがゴロゴロしていた寝床に「ちょっとだけ。」と転がったら、うーん、朝の5時であった(木曜)。ちなみに連れ合いは昨日の晩帰ってきてまた泊まり。

 『アイヴォリー』は、銀河歴6303年にいる「わたし」が、マサイ族の末裔と称するブコバ・マンダカの依頼を受けて、史上最大のキリマンジャロ・エレファントの象牙の行方をコンピュータを駆使して捜すという作りだ。何千年にも渡る象牙の辿った道筋をひとつ突き止めるたびに、その時点でのエピソードが語られ、幕間として6303年時点での語りが挟まるというもの。連作短篇に近い形なのでとぎれとぎれに読むのも可。

 安田ママさんの掲示板で、書店と書店員に関する話題が上がっている。
 書店員とのつきあい…。職場の最寄りの書店は、もう20年来のつきあいである。ここは商店街の中としてはそこそこ大きい方ではないかと思う。常時店頭にいる店員はふたり、プラスバイトひとり(うらにひとりいるみたい)。かなりここにはご奉仕しているのだが、店員とのやりとりは、注文をかけるときくらいではなかろうか。かろうじて店長とすれ違ったときに「こんにちは」というくらい。こんな本が入りました、なんて言う会話は全くなし。

 もうだいぶ前、注文をかけたときにひらの方の店員が例のごとく予約金を取ろうとするので、「いくつもお願いしているのにいちいち予約金がいるのか」と訊くと「注文してもそれきり来ないと困る」とかほざくので、こんなにしょっちゅう注文したり定期の本を取ったりしているのに(全集とか)、それでも予約金を取るのか」とごねたらそれ以後予約金は取らなくなった。どうやら今は予約金自体ないみたい。

 前述の掲示板では書店員と客の幸福な関係が語られているが、ここの本屋では表だってあまりそう言うことはない。多少広めの店内とは言え、やはりあふれるほどの出版点数に比べればどうしてもスペースは少なく、こっちの棚が増えればあっちの棚が減り、という状態で、書店員こだわりの棚ができるという感じにはちょっと遠いようだ。変遷を見ているとどうしても一般受けする軽めの本の比重がどんどん増え、もちろんSFの棚などは見る影もない。今多いのは電撃文庫とかファンタジー文庫とかその関係のようだ。

 途中10年近く、他にもう一件ここより規模の大きい本屋があり、そちらの方が多少新刊本には強く、性格としてもなんでもあるコンビニ書店ふうだったので、一時期はこの二つの書店が客にとってはうまく棲み分けが出来ていて、行きつけの方でも新刊は向こうに任せて、という感じで今より棚の特色が良く出ていたように思う。この大きい方の書店は昨年だったかに経営母体の方針で閉店してしまったので、今は行きつけの方も限られたスペースに四苦八苦という感じが見え見えである。

 この閉店してしまった方は、店長が陽性な感じで声が大きく、そのせいか店員は客が店に入ると「いらっしゃいませー!」と反射的に叫ぶ。あのね、八百屋や量販の電気屋じゃないんだからね。これには辟易。連れ合いは「気に入らない店には行かなきゃいいでしょ」というが、そこへ行けば新刊が見つかる確率が高いとなればやはり行かざるを得ない(というところが本を買わない人にはいまいちわかってもらえないかも)。おまけに店員同士の会話(雑談が多いというわけではない、仕事の話なんだが)も皆声が大きくてその時の言葉使いも客の存在をまったく意識していないので、これは不愉快である。

 行きつけの本屋ではほとんど店員と言葉は交わさないとはいえ、「おおっ、これはわざわざ私向きに入れてくれたのでは」と思えるような本がそっと棚にあったりすることも時々あるので、これは店員がしっかり見ていてフィードバックしてくれているのかなあとひそかに嬉しく感じる。
 
TRCのP-hitというサービスに初めて登録したが、客の性別、年齢、好みのジャンル、そして今までの検索のアクセス傾向によって、その客向きのお勧め本をたくさんリストアップしてくれるというもので、結構あたりがあったりするようだ。好みのジャンル、というのが非常におおざっぱなので月並みと言えば月並みなリストではあるが、これもTRCで検索すればするほどフィードバックがかかってより好みの品揃えになるということである。
 この気に入ったお勧め本をどこで買うかがここでおきる問題である。

 幸いに私は池袋、神保町に近く、近所で見つからなければ池袋なり神保町なりに足を延ばして捜すと言うことが可能であるが、もし不便なところにすんでいる人であればこれからはオンライン注文が増えるだろう。
 私の場合は、すぐ欲しければこの行きつけの本屋で探すか、そこになければ、急ぎならばそこで注文、急ぎでないか値段が高い本であれば、職場出入りの一割引の本屋(とどくのは超遅い)へ注文。池袋方面に行く機会があればそこで捜す、とか、方策はいくらでもある。しかも本屋に行ってあれこれ棚を物色すること自体に魅力があるので、当分オンライン注文は洋書以外にはしないと思う。
 こういった事情の中でも、行きつけの書店ともっと密接なつながりがあればよりそこでの購買数は増えるだろうと思う。そう考えてくるとたしかに、個々の客とのつながりという点でも書店(員)はもう少し努力すべき点はあると思う。これは本という商品に対する知識が増えると(増やそうとすると)自ずと出来てくる視点なのではないだろうかとも思うが、これは客の勝手な言い分か(逃)。


990817(火)
  購入本:なし

 昨晩は連れ合いが泊まりのため不在今朝私が起きてばたばたしているにも関わらず、子供たち3人はまったく起きる気配なし。ちゃんと目覚ましをかけろと言うと「今日はたまたまかけるのを忘れた」といい逃れを繰り返すので、今日はいつまで寝ているかとそのまま知らん顔。
 いやー、敵さん、起きません。そのうち出勤時間になり、そのまま鍵をかけて家を出る。職場についてしばらくして電話すると、「もしもし〜」と娘のへろへろ声である。9時半を回っているぞー。おちびはまだおたふくの治癒証明がもらえないので保育園に行けないため、上の息子が適当な時間におばあちゃんの所に連れていくことになっているが、これも今電話の音で目覚めたようだ。もうホントに呑気なんだから、みんな!

 夕食後、先日から娘が「やってあげる!」と待ちかまえている、髪の「ブリーチカラー」とやらの犠牲者となる。「大丈夫だよ、友だちに何回もやってあげたから知ってるよ」って、いったいどこでそんなことしてるのじゃ。
 途中、「長いなあ。それにやっぱり多いよ、ママの髪。薬が足りるか心配になってきた」とか言いつつ薬液をこすりつけているが、何とか終わったらしくそれきり放置される。…「はい、20分」と放免されて洗い流してきたが、ううう、髪の分け目あたりがもっとも明るく、表面に当たるひと並びがまあ明るめになってはいるが、中の方や毛先の方はほとんど変わらない黒のままだ。娘は「いいじゃん。ちゃんと染まってるよ。光の加減だよ」というが、傍観者の正直息子は哀れみを込めた目で「ママ…。失敗じゃん!?」口調はほとんど笑っているのだ〜。そして娘「もう一回やれば。」

 『輝く草地 英国短篇小説の愉しみ3最後の一編を昼休みに読み終える。この巻はホラーテイスト(というの?)のものが多く、恐怖と言うほどではないが、終始非常な不安と居心地の悪さを覚えるものばかりであった。
 たとえば短歌と俳句のどちらが好きかと問われて、もちろんこれらは似て非なるものといった方がいいくらいではあるが、どうやら私は俳句が好きのようである。それに似て、長篇と短篇どちらが好きと言うことはまったく出来ないが、どうやら短篇はかなり好きなようなのである。その世界に浸ることをひとつの目的とさえするような長篇と違い、短篇はその刺激的なところが魅力だ。ほんのメモ書きのような長さ(短さ)のなかに秘められた一閃する輝きである。たぶん自分が物書きであっても短篇は書けないような気がするから、その意味でも魅力を感じるのかも知れない。

 夜はマイク・レズニック『アイヴォリー』に突入する。買った当時、この物語の主人公とも言える史上最大の象牙、「キリマンジャロ・エレファントの象牙」の写真と解説を読んで目を見張ったものである。なぜか取っつきにくい気がして未読のままであったが、『キリンヤガ』のノリで読み始めると結構すらすらいける。今度はキクユではなくてマサイらしい。

 朝刊で今年のファンタジーノベル大賞の受賞作を知る。
 宇月原晴明氏の「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュノス」とのこと。信長がなぜかみんな大好きアンドロギュノスという設定らしい…
作者はすでに詩人として活動中の、本名・永原孝道氏(悲しいかな存じ上げません。マドカさん、詳しい情報をありがとうでした)。なぜにまた「清明」?


990816(月)
  購入本:なし

 おお、今日の睡魔はなかなか強力。

 『春のオルガン』読了。最初はやや読みにくかったが次第にエンジンがかかってきた。

 本の箱をあさると、未読のままのレズニック『アイヴォリー』『パラダイス』が割にすぐに見つかったのでそこらに積んでおく。『一角獣をさがせ!』は実家の本棚にあるはず。念のためハヤカワのサイトで検索したがどれもこれも品切れとわ。別に岩波新書『心にしみるケニア』も発見。たぶんこれは『アフリカの日々』が頭にあって買ったのだと思う。

 大贋何でも伝言板を少し読んだら「キクユ族はそもそも実在する部族か」などという疑問があったりしたので一応言っておくと、実在するケニアは42部族からなる多民族国家で、その最大の部族がキクユなのである。ただし各部族間の数の差はそれ程極端ではないようだ。「A族とB族が10:1で他にごく少数のC部族」といった感じではないそうである。

 こんなに辺境のサイトなのに、いつのまにやらキリンヤガ書評リンク集にリンクされており魚々。ご苦労様なこってす。


990814(土)〜15(日)
  購入本: 『ネムキ』 9月号   朝日ソノラマ
  図書館本: 湯本香樹実   『春のオルガン』   徳間書店
    江國香織   『流しの下の骨』   マガジンハウス
    水玉螢之丞
杉元伶一
  『ナウなヤング』   岩波ジュニア新書
    秋元道雄   『パイプオルガンの本』   東京音楽社

 ものすごく雨に降られたお盆休み。

 金曜日、うちの男どもは朝6時過ぎ車で義母の所へ出かけたが、思いの外高速が混雑していて、到着したのはお昼頃。ご苦労様です。
 午前中学校へ行った娘と私は、午後シンカンセンで後を追う。こちらはそれ程込んではいなかったがもちろん座れず、でもそれ程遠くではないしとデッキのんびり立って本を読んだり、珍しく窓の外を真剣に眺めて「速いね!」「飛ぶようだね!」と改めて思ったり(シンカンセンて意外に外を見ないと思いません?)。
 夕刻、門口に迎え火を焚く頃からぽつぽつ雨。次第に本降りに。

 土曜日。朝から大雨。昨日のうちに義母も男どももお墓参りはすませてしまった。娘と私も買い物ついでによろうと思ったが車の混雑と激しくなる雨のためお墓方面はあきらめ。日曜の昼までには帰宅したいという娘のご要望なので、これでは何しにわざわざ混んだお盆に来たのかよくわからないことになってしまった〜。いやはや、ものすごい雨になってきた。

 さて、上りは混雑しているからと、真夜中に出発するつもりで用意。交通情報と雨の具合を見ようとつけたTVでは川の中州でキャンプをしていた人々が流されると言うニュースを繰り返している。大雨だというのに川岸どころか川の中州でキャンプするなんて、信じられないとしか言えない。
 さて、深夜近くになって電話で高速道路状況を聞くと、なんとたった今、これから通ろうとする上り区間が通行止めだという。バイパスも旧道も通行止め、半ば陸の孤島状態である。しばらく様子を見たが駄目そうなので朝早めに出るつもりでとりあえず寝る。なんたるちゃ。

 朝、5時半起き。雨はまだたくさん降っている。高速は下り区間が通行止めだというのでよっしゃあと出発すると、なんとインターの何キロも前からつまっている。後でわかったが、その直前に路肩が崩れて上りも通行止めになったのであった。旧道もバイパスも相変わらず通れず、仕方なしにうーんと大回りをして、長野原を経由してようやく高崎から高速に乗る。高崎までの道中はもちろん高速に比べて時間はかかったが、車も少なく、すいすい走れたからストレスもなし。長野原あたりの渓谷は驚くほど水量が増しており、茶色の濁流は見るからに恐ろしい。鉄橋も流れるのではと思うくらい。どうやら並行する電車は止まっていたらしい。
 それ以降は高速道路もまったく混雑はなくて雨もそれ程ではない。やはり途中通過する川はどれも警戒水位を超えているのではと言うくらいのこわいような水かさで、河川敷の木々もグラウンドもみな濁流の中に飲み込まれており、雨がこれ以上降りそうもなくて良かったと胸をなで下ろすほどであった。陳腐な「自然の脅威」という言葉がぴったり。

 結局帰着したのは11時前で、それきり天気は回復してふたたびオソロシイ暑さと湿気に辟易するのであった。すごい日差しに洗濯物が乾いて助かったけど。

 おちびのおたふくかぜも金曜の日中から土曜の午前中をピークに回復に向かい、今日は耳の下を押すと痛いという程度になり元気もりもりである。でもかかりつけの医者が17日までお盆休みなので治癒証明がもらえないため明日から保育園は休み…どのみちまだ痛みがあるうちは医者がやっていてもダメだろうが。

 リクエスト本(『春のオルガン』)が入ったという電話があったので夕方図書館へ。
 ついでに検索してときさん(作成中の「
読書系サイト相関図」がすごい!)のご推薦『ナウなヤング』を借りる。
 普通のことかどうか知らないが、うちの区では文庫、新書は出版社ごとに各図書館で手分けして重点的に所蔵している。たとえばA館では岩波文庫と講談社文庫を、B館では新潮文庫とブルーバックスをそれぞれ重点的に所蔵している、といった具合。たまたま最寄りの館では岩波ジュニア新書を重点所蔵していたが、『ナウなヤング』はすでに閉架へしまわれて…題名からあんまりナウじゃないと判断されたのかしら。でも「ナウなヤング」って70年代の言葉だから(NHKの「70年代われらの世界」とか「ステージ101」とか思い出す)、この本が出た1989年頃にはとっくに滅びていた言葉のはず。だから、この題名は一種のギャグだと思うんだけどなあ。

 『輝く草地』はダンセイニまで終わりこれでほぼ半分。やや読みにくいので『春のオルガン』を先に読み始める。

 夜のニュースを見るまですっかり今日が8月15日であることを忘れていた。


990813(金)!
  購入本: なし

 今朝起きると、めでたくおちびはおたふくかぜ発症。あぁぁ!可愛いお顔がデブなオヤジ顔に…。けれどもうちでは誰もおたふくをやっていないし予防接種もしていないので(抗体価が低いと聞くので)明日は我が身かもしれないのじゃ〜!!

 昨日の『キリンヤガ』の続き。でも、これって、ネタばれですね。あぶり出しにしておきます。未読の方はとばしてくださーい。って、今日の分はこればっかりですが…。
お読みになるときはドラッグして文字色を反転させて読んで下さい。

 #昨日の日記も同様にしておきます。

 西欧的見地というものに神経質になっていたので、なぜレズニックがノドの地を持ち出したのかと考えていたが、単にユートピアからの追放という比喩だと考えればよいことに気づいた。

 ユートピアとしてのキリンヤガは、コリバが第一優先としている伝統によって守られている。しかし、ケニアからの移住者ムワンゲ(=ワンダ)が非常な努力のあとに地球へ戻らざるを得なくなったときに指摘したように「伝統を守るのと停滞するのとは違う」ことを、コリバは理解できない。
 時の流れそれ自体、事物の変化によってのみ測られるものである。「ユートピア」が地上のものである限り、変化を免れないものであるのにもかかわらず、コリバは、良い方向への変化(便宜上「進歩」とでも言おう)すらも考慮に入れず、終始「停滞」の維持のみに心を砕いている。

 この「停滞」は、じつは真のユートピアの特性なのであるが、そこでは変化をもたらすものは秩序を維持するもの(=神)によって追放されることとなる。真のユートピアならば、そこは無限の容積を持つから、ユートピアの根元的性質に変化をもたらさない限りにおいて、住人の変化を許すだけの包容力もあるかもしれない。あくまでもこの時ユートピアそのものは変化しない。けれども、キリンヤガは有限の時空内にあって、それ自体変化する世界なのである。もうこの設定からして、ユートピアが破綻するのは必然なのだ。だから、地上のユートピアを描いたものはすべてすなわちディストピアものとなるのだ。
 けれども、「どのように」破綻するのかをこれほど引きつけて読ませるのはさすがと言うほかない。

 コリバとンガイの関係についてはどうだろうか。
 キリンヤガ設立当初からコリバはじつは神ンガイの役割を果たしており、変化をもたらすものに対してもあるいはその芽を摘み、共同体の外に追放し、はてはキリンヤガの外に事実上追放してきた。しかし、彼自身の中でンガイの存在をどのように位置づけていたのか、はなはだ疑問である。彼にとってンガイは実在したのか、単なる方便だったのか。
 けれども、外からの影響のみならず内からの避けられない変化(人口の増加、世代交代、目的意識の喪失など。弓の発明にも言及があった)を前にして、彼はこの点でも変わって行く。
 キリンヤガを離れるその時、彼がンガイに語りかけると彼はンガイの声を聞くのだ。
 そして、ケニアに戻ってからは自分はンガイを間違った山で捜したのだと理由づけて、あらためてンガイが座す正しい山を捜そうとするのだ。しかしこの神の捜索が実を結ぶかどうかはわからない。なぜなら、彼がいかに自分自身からキリンヤガを見放したと主張しようとも、実は神ンガイによって、もはや彼のではないユートピアから追放されてしまったからで、彼のいるところはユートピアの外、「ノドの地」に過ぎないからだ。
 その地において、放射性物質による汚染が作り出した皮肉な「聖域」の中で、過去とも現在とも関係を失ったコリバ(とそれを象徴するクローン象)が、それでもなおンガイを求めようとするのは、これこそコリバにとっては一筋の救い、しかし本当の狂信の始まりなのだ。

 というわけで、これから義母の所に行ってきます。更新は日曜日になる予定です。


990812(木)
  購入本: 星野道夫   『星野道夫の仕事 2,3,4』   朝日新聞社

 久しぶりに職場出入りの本屋さんが登場。ずっと来なかった星野道夫の写真集がどさっと来る。支、支払いはこの次と言うことでご勘弁を。

 友人がここから『新宮沢賢治語彙辞典』というものを買っていて、「ほーら、どうせ注文するんでしょ、実物見せてあげるよ」と誘惑する。出たばかりのもので、広辞苑ぐらいのサイズでなかなかの内容だが15,000円もする〜。この本屋は1割引だけれど、ここで買うのと、西武デパートの友の会の金券(1年で6万円積み立てると6万5千円の金券が返ってくる)を使ってリブロで買うのと、持って帰る手間や現金を使うかどうかなどを天秤に掛けるとどちらがよいかとハゲシク悩む。って、もう買う気。

 この本屋さんはひと月ほど姿を見せなかったので、この所体調が悪そうだっただけにぶっ倒れていたかと皆で噂していたが、そうではなくて奥方の体調が悪くてばたばたしているとか。家に病人が居ると大変だよね〜、とおもいつつ帰宅すると、おちびがのどが痛いとか言っている。保育園、学童保育周辺ではやっているおたふくかぜの可能性高し…。うちでは誰もかかっていないし、予防接種もしていないのじゃ。おおこわ。

 『輝く草地 英国短篇小説の愉しみ3に取りかかる。表題作は文字通り輝かしいイメージのものかと思ったら、アンナ・カヴァンのものだけにまったく違う内容であった。強迫観念が伝染しそうである。この3巻目は、昨日読み終えた、シリーズ2巻目とはまるで趣の違うアンソロジーとなっているようだ。

 『キリンヤガ』、あれこれ思いつくままメモしてみるが、なかなか感想としてまとめられない。
 主人公コリバがキリンヤガに移ってから終章までの間に、14年が経過している。もともと決して若くはなかったコリバの老化現象として追ってみたりもして。

 このエピローグの題「ノドの地」は、たしかエデンの園の…と思い、リーダーズ英和でひいてみると、「Land of Nod : Cain が弟 Abel 殺害の後に移り住んだ Eden の東の地」とある。最後にどうしてまたこれをタイトルにするかなあ、と思う。もろ「西欧文化」の象徴のようなタイトルを。作者(アメリカ)にとっては特に宗教色のない単なる慣用表現なのかどうか?ううむ。

#以下、あぶり出しです。お読みになるときはドラッグして文字色を反転させて読んで下さい。

 『ユートピア』というシェアワールドアンソロジーに収められるべき一編として書かれたという執筆の経緯からみて、主人公コリバは、キリンヤガ設立までに他のユートピア小惑星を研究していないはずはない。政府の承認を得るまでの12年という長い間に周到な準備と研究を重ねてきたはず。したがって、キリンヤガ世界を成立させ得るだけの十分な人数(後に数千人と本文中にある)の「伝統的」キクユ族を、コリバは事前に確保していたに違いない。計画の時点ですでにすっかり都市化・農場化されたケニアに、それだけの人数が自然に潜在的にいたとは考えられないから、おそらく政治力・財力もある程度あると思われるコリバは、移住開始までにキクユ族の伝統的生活をある程度確立することが出来るような一種のコロニーを持っていたのではないか、と推測される。そうでなければこれだけの人数はおろか、若い世代、とくに女性の確保は難しい。だってこの世界じゃ、ブツブツ(以下略)。

 また、認可が下りるまでのこの12年の間に、「ユートピア議会」や「保全局」のサイドでもキリンヤガについては詳しく研究しているはずで、その上でキリンヤガ設立が認可されたわけだ。プロローグの次の「キリンヤガ」で、コリバのとった処置に対して保全局が介入してきた際にも、すでにキリンヤガ世界の設立が認められている以上、(上層部の解釈としては)キリンヤガの慣習はどんなものであれ認められているわけなのだから、それ以上あれこれ言ってくるはずはないのである。

 ほらね、こうやって考えているといくらでも次々考えることが出来てしまう、不思議な作品。

 本来このキリンヤガ世界はコリバが作った、変化(成長)を想定しない一種の閉鎖的社会の実験モデルであったのに、観察者であるべきコリバ本人が被験者になってしまったことが彼の悲劇なのだ。

 とか。きりがありません。


990811(水)
  購入本:なし

 目覚ましで起きてよろよろカーテンを開けると、がびーん、雲一つない快晴に思わず落胆する。天気の良いのに喜ぶべきか?いやいや、良い天気と酷暑はあくまでも別物であるべきなのだ。
 ともかく今日はお弁当を作る日だし本屋はとりあえず用がないので外に出なくてすむ…と思ったら、キャンパス内の別施設に用のある日だった。しかも昼休み後の最強に暑い時刻に。これは一体何の天罰か。

 『キリンヤガ』ようやく読み終える。そもそもの設定からしても矛盾だらけだ。
 例えば、コリバが新世界を作ろうと思うほどケニアの自然は破壊されキクユ族の伝統が失われているというのに、ひとつの社会を形成するほどの数の、伝統を守っているキクユ族、特にある程度若い世代の者がどこに居たっちゅうねん。
 それにも関わらずなぜかツボにはまることしきり。矛盾だらけの設定にしても、テラフォーミングがあって宇宙船があってと、それだけで単純性ミーハーの私には魅力的。
 どれも好きだが、あげるとすれば「空にふれた少女」「ささやかな知識」「エピローグ ノドの地」が好きだ。
 ヒラノマドカさんのところで
キリンヤガ書評リンク集を知った(遅れてるよ)が、見るからに恐ろしいメンバーばかりなので当分読めない。リンク集のタイトル下に「『キリンヤガ』の話を大贋何でも伝言板でしています」とあるが、新大森何でも伝言板が出来たあたりで大贋ウォッチをやめてしまったので、いつのまにか大贋でキリンヤガネタばれ談義が炸裂しているのも知らなんだ。それにしてもこの書評の多さは一体何。

 『小さな吹雪の国の冒険 英国短篇小説の愉しみ2読了。あと1と3が待機しているし、例の「妖精文庫1〜3」もあるし、嬉しいなっと。
 『バトルロワイヤル』もちらりと読み始めたがちょっと気分が乗らない。しかしそれにしても夜中まで蝉が鳴いて暑苦しいこと!


990810(火)
  購入本: 一色まこと   『ピアノの森』1,2   講談社
    『SFマガジン 臨時増刊号 星ぼしのフロンティアへ』   早川書房

 朝からなんだか雨模様の一日である。昨日大雨、という予報だったのが、今日にずれ込んだか?けれども大雨にはならずなんとなくぐずぐずといった程度。
 帰宅時、ほんの霧雨で、西の空は晴れている、今にも上がるか?と思って歩いていると、いままでなかったのにふっとそこには虹が出現していた!ちょうど私は東の方向に歩くので、帰る道々ずっと虹を見上げながら歩くという具合。それはそれは立派な虹で、大きくはじからはじまで、それこそ根元まで見えそうなくらいだった。だいぶ薄らいできたか、と思った次の瞬間には、その内側にもうひとつ新しい虹がくっきりとかかり、思わず「わぁ!」と声をあげてしまった。遠くの木立から伸び上がる虹の根元には、きっと黄金の壺が埋まっているに違いない。
 保育園に着いて室内にいた先生に「見ないとソン!」と騒いで子供たちをベランダに出して虹鑑賞。我々は近所で一番視界の開けたグラウンドへ走り、薄らいできた虹にもう一度名残を惜しむ。

 夕食後9時よりマンション自治会の「夏のパトロール」である。連れ合いが出欠表にマルしたあとに予定が入って出られなくなったので、代理なのだ。雨なら中止、というので先ほどから「雨降ってない?」と何遍も子供たちに訊くが、「降ってない。」とかなしいお言葉。
 男ひとり、女3人で、手に手にライト、提灯、ひとりは管理人室とチェックポイントで交信するトランシーバーを持ち、建物の非常階段、まわり、前の公園とグラウンドを回って帰る。それぞれ蛍光グリーンの、「防犯」と書かれた腕章と「○○自治会」というたすきを付けるのは聞いてなかったぞ。今日は天気が余りよくないせいか、グラウンドにも花火少年らの姿もなく、異状なし!

 『キリンヤガ』はなかなか時間がとれず(って、寝ちゃったから)まだ途中。でもちょっとコリバさん、こんな風に書かれちゃってお気の毒。最初からそうなるのは目に見えてるでしょうに…。けれどもそこをしらじらしく感じさせず読ませるのは、何が魅力なのだろう?


990809(月)
  購入本: 松島まり乃   『アイルランド 旅と音楽』   晶文社
    シェイマス・ディーン   『闇の中で』    〃
    赤木かん子   『この本読んだ?おぼえてる?』   フェリシモ出版
    『CREA 9月号』 特集:なにしろ、ネコが好き!   文藝春秋

 日頃の寝不足に加え、昨日の早朝息子の友人が電話をかけてきたため(4時!)朝から死にそう〜。しかし不思議とそう言っているうちは決して死なない(謎)。

 昨日のビデオはあちこち検索した結果、「マイ・フレンド・メモリー」ではなくて「マイ・フレンド・フォーエバー」であったことが判明。けれども、どちらも原題は邦題と似ても似つかぬもので、しかしやはり設定はとても似ている、ということも判明した。少年の隣に難病を抱えた親子が引っ越してきてふたりの少年の交流が始まり…というもの。「〜メモリー」の方もお勧めとのことである。
 で、私が気になった美少年は、「依頼人」がデビュー作の、ブラッド・レンフロという子だそうだ(「依頼人」見てない)。今まだ14歳なんだって!ひょ〜。

 『CREA』9月号はネコ特集で、めっちゃんこかわゆいネコちゃんたちがおおぜい出ていて、子供たちと額を寄せて、このネコがいいの、こっちが欲しいの、と勝手なことを口々に言って騒ぐ。その中の大島弓子インタビュー、今は亡き愛猫サバや、現在「本の旅人」の連載にでてくるビーたちのご尊顔が拝見できる。どの子も皆素敵な子なんだけれども、サバのそれはそれは美猫であることよ!このサバは、毎朝大島センセの手にそっと手をかけて起こしに来る、というのが有名で、こんな素敵な子のぱた!という重みで起こされたら言うことなしでしょう、と思う。有里さん、記事を教えて下さってありがとう!


990808(日)
  購入本: 浅暮三文   『カニスの血を嗣ぐ』   講談社ノベルス
    高見広春   『バトル・ロワイヤル』   太田出版  
    O・ワイルド   『幸福な王子』 妖精文庫1   青土社
    J・ラスキン   『黄金の川の王さま』 妖精文庫2    〃

 立秋とはまさに名ばかりの今日。昔デパートに置いてあった氷柱のように、足許に水たまりを残して融けてゆきそうな気分である。
 息子がビーチサンダルで平気で電車に乗って塾に行くのを見かねて、少しはまともなサンダルをあてがうべく、食料調達をかねて連れ合いと3人で出かけた。なるべく早く帰ってソファに巣作りをして読書、と思っていたので、近くの商店街へ行ったのだが、目当てものもがまったく見あたらなかったためつい池袋へ足を延ばしたのが間違い。
 連れ合いは買い物好きなので、夏物最終セールをしているデパートで、Tシャツ1枚、のはずが息子の普段着と合わせてちょっとした一山…。息子もサンダルのほか、「本屋に行く?」となればすぐに帰れるはずもなく、結局午後はつぶれてしまった。おまけに大島弓子がでているという『クレア』は買いそびれ…。

 なぜかこの息子、青い鳥文庫の『シートン動物記』のほかに芥川の『河童』を持ってきて「面白そうだから」と言う。どうせ国語の文学史で題名を見たのだろうが何を想像したのだろう?この前おちびが見ていた絵本が『かわたろう』だったから?(かわたろうは河童の異名)

 このところ成りゆきで、湯本香樹実、江國香織、重松清、などが続いているので、気分転換にと、昨晩からマイク・レズニック『キリンヤガ』を読み始め、半分程までさしかかっているが、この連作短編集が非常に面白い。テラフォーミングされた異星に移住し、失われかけた伝統的な生活を始めたキクユ族の物語であるが、そのそもそもの状況から避けられない矛盾をはらんでいるので、このあとどのような展開が待っているのか興味津々である。静かで寓意に満ちた物語、語り口は平明なのでばあっと読めるがそこをゆっくり読んでいる。ル=グウィンを想起する雰囲気でもある。ディネーセン『アフリカの日々』(Out of Africaという原題が良い)にえがかれたケニヤしか知らないがその断片を思い出し、両方に流れる静けさを好ましく思う。

 娘が、友人から借りたと言って「マイ・フレンド・メモリー」(?)というビデオを見ていた。私は出かける前にちらっと見ただけだが、この主演の男の子がすごーく綺麗な子!これは有名な子なのでしょうか!きゃー、気になる。


990807(土)
  購入本:なし

 晴れではあったが一日雲の多い天気だったため雨が気がかり。今日、8月第1土曜日は恒例の荒川河川敷の板橋花火大会なのである。戸田橋上流で行われる、戸田・板橋合同の花火大会で、板橋側だけでも1万発、尺玉もボンボン上がる景気のいい花火大会である。

 娘は友人と11時頃からビニルシート持参で河川敷へ出かけて場所取り。親きょうだいは夕方から食料持参で合流。本部席の周りを取り巻く招待席、優先席(何だろうねこれ)のすぐ外側なのでかなりよい席。これだけ近いと、ずっと上を仰ぎ見て首が痛くなるので、今年仕入れたアウトドア座椅子がお役立ちである。6時頃から怪しい黒雲が頭上に居座りいやーな感じであったが、それきり降るでもなく無事開始し、おなかの底からズーン!と響く打ち上げの音に堪能する。

 一番好きな花火は、しだれ柳というタイプのものなのだが、ことしは柳の枝部分がキラキラ盛大に瞬くのやら、内側に小さい色変わりの部分が仕込まれているのやら、少しずつ前の年と違う工夫がされている。また今年はやさしいピンク色の花火がなかなかよかった。
 フィナーレ15分は特にそれまでの密度の倍くらいの数の連打とスターマインがいっぺんに上がりナイヤガラも仕掛けられるので、わぁぁぁ!とひたすら感嘆の声をあげて拍手して飛び上がるばかり。いやまた今年も愉しませてもらいました。ちょっとしたハプニングは、ナイヤガラの滝の降り注ぐ火の粉が河原の草に燃え移って一部ちょっとした火事状態になったこと。近くのいい気分になったおにーさんなんか、「おぉっ、火事だー、消せっ、消せー!」と興奮して叫びまくっていておかしかった。

 後ろに座っていたゆかた姿の女の子ふたり、太ももまで裾をたくし上げて足を組み、ぷはーっとたばこの煙を吐き出して、まぁ醜いこと。帰る道々娘にそんな感想を述べると、「誰も見てないから別にいいんじゃない?暑いし」と言う。見てるってば。それにファッションて見てる見てないの話だけではないと思うが?一人暮らしで誰も見てないからラーメン作った鍋からそのまますすり込むというのと同じでしょうに。そういう美意識・自意識ってないのかしらね。ないんだろうね。

 夏の一大イベントはこうして終わり、娘など「ああっ、これでもう夏休み終わりだよ…!」と明日にでも2学期が始まるかのような口調で嘆く。
 確かに夏は7月の新しいうちの夏がよく(「夏は七月」などと言ってみたくなる)、8月に入って数日たち、そろそろ立秋の声を聞くようになると、もう夏はけだるい午後のようにひたすら長けていって、涼風の吹くころまで忍耐と惰性で過ごすのみと言った風情になる。今年の立秋は8月8日、処暑8月23日、白露9月8日。
 「仙人秘水」というミネラルウォーターをお中元に頂くことがある。釜石鉱山から汲み上げられた水だが、これはまろやかで口の中で転がすと本当においしい!3,4年前には近くの少しこだわりスーパーでも扱っていたが、値段がやや高いせいか見かけなくなってしまった。今年この暑さの中、3年ぶりくらいで頂いたので嬉しい。慈雨と言うが、まさに慈水という感じ。甘露とはこれか。と言うと誉めすぎのようだが、数年前ばててしまった夏は、まさにこの水なしでは…、と言う毎日で、清澄な水のありがたさを実感したのであった。

 『ナイフ』読了。この人、どういう人か興味が湧く。
 
KANAZAWAさんの掲示板で、ジュール・シュペルヴィエルが話題に上っているが、この名前が大好き。


990806(金)
  購入本: 江國香織   『ホリ−・ガーデン』   新潮文庫
     〃   『なつのひかり』   集英社文庫  
     〃   『都の子』   集英社文庫
    重松 清   『ナイフ』   新潮社
    佐藤亜紀   『でも私は幽霊が怖い』   四谷ラウンド
    梨木香歩   『丹生都比売』   原生林
     〃   『エンジェル、エンジェル、エンジェル』    〃
    ケネス・グレアム   『ものぐさドラゴン』 妖精文庫3   青土社

 午後から休暇を取り、娘と池袋で落ち合う。
 今日は娘に本屋の香りを嗅がせてやろうという魂胆である。どうしたらいいのかなぁ、と言った風情の娘に、「おもしろいものないかな?と嗅覚を働かせるのよ」なんて言ってもまだ通じないか。けれども今までは「ママは本屋に来ると長いんだから。早く帰ろうよ!」ばかりでほとんど興味を示さなかったのが、今日は知っている作者、似たような名前、ちょっとは興味を引かれたらしい題名、などに目が行っている様子である。よし、よし。
 『神様のボート』のノリで江國香織の文庫落ちしたものを捜す。探し方もわからないとはホントに初心者。ほか、皆さんお勧めの『ナイフ』とか。『エイジ』はたくさん積んであるのに、ほかの作品はほとんどなく、2軒めでようやく発見。
 佐藤賢一のものが何種類も出現していたので、これにも手を出さなくてはと思う。かわりに佐藤亜紀の新刊(エッセイ)を購入した。

 西武リブロの児童書コーナーで梨木香歩の既刊が平積みになっていた。『からくりからくさ』が評判よかったので増刷されたのか、と思ったが、そう言うわけではなくどちらも初版であった。どちらも装丁がシックで綺麗。ことに『エンジェル〜』が小ぶりで箱入りなのが嬉しい。

「妖精文庫」といえば今は亡き月刊ペン社のそれではないか。けれども今日のはそれではなく、ヴィクトリア時代に書かれた童話を集めたシリーズということらしい。紛らわしいことをする会社だ。ヴィクトリア時代の童話と言えば妖精が想起されると言えば確かにそうかも知れないけれど、出版社としてのプライドはないわけ…?
 第1巻『幸福の王子』は、オスカー・ワイルドの作品4編とアンドルー・ラングの「プリジオ王子」が、第2巻『黄金の川の王様』は、チャールズ・ディケンズ、フォード・マドックス・フォード、ジョン・ラスキンが、それぞれ収められているとのことなので、買わねば!『黄金の川の王様』は『王女と小鬼』と並んで小学校の図書館で何度借りて読んだことか。
 ところでTRCでは『黄金の川の王様』に「おうごんのかわのおうさま」とふりがなが振ってあるが、わたしはずっと「きんのかわのおうさま」と読んでいるのだが?なんと据わりの悪い読み方をすること。ついでに言えばこのTRCのサイトでは月刊ペン社の妖精文庫がまだご存命である…。

 帰路、駅に向かう地下道では傘を持つ人がちらほら目につく。午前中、結構まとまった雨があったので、また夕立か、と思ったがホームに出るとすっきりした青空、もう6時なのに暑い!しかし自宅の最寄り駅に着くと線路もホームの端もたった今雨が上がりました、と言う風情に濡れて雫が落ちている。バスを待っていると金色を映した立派な入道雲がいくつも立ち上がっていて、ほんとにおちびの言う「立ち雲」だな、と思う。これは保育園で教わった言い方らしいが、簡潔で妙なインパクトのある名前だ。なかなか来ないバスを待つうちに、立ち雲も風に吹き散らされてほとんど跡もなくなってしまった。

 相変わらず『小さな吹雪の国の冒険』の途中だが、あと1作で終わる。湯本香樹実『ポプラの秋』を読了。とても素直でかつ豊かな感じの文が好きだ。


990805(木)
  購入本: 江國香織   『落下する夕方』   講談社文庫
     〃   『つめたいよるに』   新潮文庫
    湯本香樹実   『ポプラの秋』   新潮文庫

 昨夜日記更新後、『神様のボート』の続きを読み始めたら止められず、2時半過ぎに読了。
 語り手のひとりである娘の草子が「ボート」を降りようとしはじめてからあとの母・葉子が、現実に圧しひしがれて一種の矜持を失って行くさまが見ていられなかった。そこから「問題の」最後の2ページへと行く展開を、床についてからとりとめもなく思っていると頭の芯が妙に興奮してしまいなかなか寝付けず、今朝は寝過ごしそうになってしまった。

 郵便局に行きがてら古本屋に寄り、上記の3冊を購入。新古本のようだ。夕食後『落下する夕方』を読み始めてそこらに放って置いたらいつの間にか消滅。テーブルの下やソファの下をのぞき込んだりしてしばらく捜したがなく、ちょうど現れた娘に訊くと「持ってるよ」と言うから「読んでるの?」と訊ねるとこともなげに「うん」と言う返事。昼のうちに『神様のボート』を読んでしまったという。なんか競争のようになってきたじょ。敵さん、昼間の時間があるからなぁ。

***

 カレンダーを見ると、戸隠へキャンプに行ってきてすでに1週間も経つのだが、実感としてはつい2,3日前と言う感じで、それにしても下界の生活は毎日の感興が薄いと思うことしきり。

 戸隠に着いた晩はたぶん十六夜で、夕食後、林の向こうに煌々と上る月を今さらながら驚きつつ見た。その明るいこと、いつもはコールマンの強力ランタンを2つサイトに下げるのだが、今回はあまりの月の明るさにひとつで充分だった。今年は回りにもテントはごく少なく、うちのランタンの光の届かないところへ娘と行ってみると、我々の影が足許にくっきりと落ちている。街灯の作る影と違って、その静かな影も揺らめきだしそうに思える。

 後刻、びいるを飲んで早々と寝たせいかトイレに行きたくなり、意を決してごそごそとシュラフからぬけだす。テント内はかなり明るい。今年はテントを替えて明るい色のものにしたせいかと思ったが、ヘッドランプを持って外に出ると、中天にかかるしらじらとした月の光を浴びて、あたり一帯白く輝いている。それに比して赤みを帯びたヘッドランプの光は必要ないばかりかこの光景にはまったくそぐわない…。何か野生の動物や、昼間は出てこないものたちの影が見えそうな気がする。例年だとこうして夜中にトイレに起き出すのは怖くていやなものだが(特に雨の晩は最悪だ)、今年はそのまましばらく腰でもおろして何かを待っていたい気分であった。

***

 晶文社『イギリスの大聖堂』の興味のひとつは、イーリーの大聖堂である。
 フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』の読者であれば、トムが2回ここを訪れたのを記憶しているだろう。1度目はグウェンおばさんの家に行く途中、2度目はハティとスケートで氷結した川を下って。 そう思ってイーリーの大聖堂のページを開くと、なんと記述の初めから『トムは真夜中の庭で』への言及である。ええっ、この作品って、ものすごくメジャー?
 トムは一種のピーターパン・シンドロームであるという記述に驚く。「一種の」と言えば確かにそうなのかもしれないが、ちょっと語弊があるように思う。後日ゆっくり読んでみる積もり。
 ここに引用されている「永遠…」のくだり。
 月の光と永遠…これは切っても切れないお友達。

 職場にアルバイトに来ている女の子は20代、当然ポスト・月着陸の世代である。この世代の星々へのあこがれって、私(たちの世代)のそれとは違うのだろうか、等と思い巡らす。


990804(水)
  購入本: 江國香織   『神様のボート』   新潮社
    『母の友』 9月号   福音館書店
    『こどものとも 年中版』 9月号    〃

 安田ママさんの掲示板で話題に上っているのを見て気になった『神様のボート』を購入し、夜さっそく読み始める。江國香織はそれ程好き、と言うわけではないのだが、「狂気」の話だというのでつい。唯一読んだ『きらきらひかる』がやはりそうで、狂気の描き方がのっぴきならなかったからだ。ただどうしても村上春樹の文を思い出してしまい、真似っこ漫才〜という感が否めないのである。ただ、まねにしてもあれだけ書ければそれは才能。今のところまだ半分くらいまで。

 娘は『ウは宇宙船のウ』を終わり課題図書『夏の庭』、そして『ノーライフキング』も一気読み。どちらも面白かったようで、「現代のが好きだな。なんかほかにない?」と言うから『神様のボート』が終わったら回すことにする。『からくりからくさ』はどうかな。『エンジェル、エンジェル、エンジェル』はきっと気に入ると思うのだがこれは図書館本。注文してあるのだが一向に音沙汰なく、入手不可か?と危惧している。
 先日うちの掲示板でいろいろ挙げていただいた「ナウなヤング本」がかなり参考になりそうな娘である。とすると私の手持ちとはややはずれるので、買うとか借りるとかしなくては。

 中3の息子にも『ノーライフキング』、『夏の庭』を勧め、どうせ感想文の宿題あるんでしょというと、「もう3年だから税の作文を書けっていうからそれを書いちゃった」と言う。
 読書感想文またはいくつか区その他に応募する課題作文のうちひとつを書けと言うのが夏休みの国語の宿題なのだそうで、課題作文のひとつが「税」についてというものらしい。税についてなんて、あいつ何にも考えてないと思うんだけれど、一体何を書いたやら?それにしても「もう3年だから」というのはどういう理由だ?
 この息子、先日豊島園プールでいきなり焼いたものだから、顔から背中からいたくてたまらず、昨日あたりから皮がむけはじめてみにく〜い。おちびが同じくらい黒いのを見て、「おまえはどうして皮がむけないんだ」とぶつぶつ言っているが、おちびは毎日ちょっとずつ焼いているからだよーん。しかしふたりとも確かにいかにも夏らしく黒いなあと改めて感心。


990803(火)
  購入本: 柏木 博   『日用品の文化史』   岩波新書
    P・D・ジェイムズ   『人類の子供たち』   ハヤカワ文庫HM
    別冊宝島457号   もっと知りたい ホラーの愉しみ!』   宝島社

 何とものすごいカンカン照り。昼休み外に出るのにサングラスを忘れてしまったら、横断歩道を渡る際、白い塗装の照り返しがすごくてほとんど目が開けない状態。先日から目の周りがアトピーで腫れているので、日光の刺激は禁物なのだが。うー、か・ゆ・い!

 先日からちょっとずつ読んでいる『小さな吹雪の国の冒険』(英国短篇小説の愉しみ1)は、まだ13篇中4篇め。こういうものを読んでいると、すでに書くべきものはみんな書き尽くされたような気すらしてくる(題名も涼しくてナイス)。
 表題作は、液体が満たされたガラス玉の中で雪が降るおもちゃ(飾り物)の中の世界に入り込んで龍と出会ってしまう話。このおもちゃは、最近でこそクリスマスシーズンになるとよく見かけるが、小さいときメアリー・ポピンズで初めてお目にかかったときは、一体これはどういうものであるか一所懸命想像したものである。

 メアリー・ポピンズの話では、ほかにも飾り物がでてくる話があって、中でも飾り皿の中の子供たちは怖かった。お巡りさんとライオンが椰子の木陰で抱き合っている飾り物の話は、とても好きなひとつで、はじめ涙を流していたライオンが、最後にはにんまり歯をむき出して笑っていたのが今でも目に浮かぶ。メアリ・シェパードの絵も気に入りで、「お話の中の子供たち」でジェインたちがしているのをまねして、挿し絵に色を塗ったりしたっけ。ほかにも、ナルニアの朝開き丸などは根性入れて塗りました(今見るとばっちい)。

 それにしても龍を退治するのにこういう方法があるとわ…確かに姑息かも。

 最近のホラーばやりに、わたしもそこそこ手を出しているが、溝口大人『死の影』を傑作とおっしゃっている(7/29日記)のに、そうなのか〜?とつい職場で叫んでしまった(運良く部屋には私ひとり)。でも後半はやっぱり笑いながら読んだとあり、ホラーとは笑えるものなのかと悩んだり。もしや、そう言う意味でケッサク!と?

 怖い話なら昨日読んだ『夏の庭』のなかの味噌蔵の話が怖いよぅ。
 私は『トムは真夜中の庭で』のフィリパ・ピアスが書く怖さがとても好きである。手許に本がないので記憶に頼るが、「檻」という題だったか、これなど本当に怖い!!とにかくスーパー・ナチュラルなんだから。でも怖くても怖くなくても、
ピアスは全部お勧め!

 神林長平『狐と踊れ』読了。やはり表題作がインパクト強い。この初期の作品集には、山尾悠子と共通するものを感じる。


990802(月)
  購入本: 川上弘美   『蛇を踏む』   文藝春秋
    イサク・ディーネセン   『不滅の物語』   国書刊行会

 久しぶりに古本屋に行き『蛇を踏む』100円、『不滅の物語』は新古本で半額。
 『蛇を踏む』は、想像すると気色悪いが、題名として非常に魅力的なので、前から気をひかれていた。

 湯本香樹実『夏の庭』読了。キンモクセイ以外特に引っかかるところはそれ程なし。なんか、ツボ。老人ホームを訪ねるところで、『フライド・グリーン・トマト』を思い出したり。これは映画も原作もかなり好きな作品。ちょっと、怖いです。
 でもって、『夏の庭』はかなり気に入ってしまった。けれども、こういう年頃の男の子(12歳)がでてくるものって、なぜにしばしば問題ありの母がでてくるか?それも似たような設定の。この作ではあんまりそれが成功していないのでは、という感じをいだく。けれども老人が「眠っているのではない」ことを発見したくだりでは涙、涙。うーん、お勧め

 昨日の納涼会で皆の意見が一致したことには、「一番上の子は大事。下の子は、可愛い。」


990801(日)
  購入本: なし

 ついに8月である。
 キャンプの後かたづけ。それにしても暑い。4回洗濯してどれもぱりっと乾いてしまった。買い物に行くのにサングラスをかけて日傘を差して、暑くないふりをしてもぜんぜんだめでひたすら暑いのみ。

 近所の母の所に寄り、ついでに娘用にル・グウィンを2,3冊持ってくる。急いでいたのでアースシーを持ってくるのを忘れた。
 彼女は読書ペースが落ちているかなと思って訊くと、今は短篇(『ウは宇宙船のウ』)なので、ひとつ読むとなにかほかのことをしているため1冊が終わるのが遅いのだという。「長編だと1冊終わるまでガーッと読んじゃうから」だそうだ。

 夕刻いつものハハオヤメンバーで納涼会。暑いので、びいるがおいしい!日中はげんなりしていたので今日はパスしようと思ったのだが、お誘いの電話が入っちゃいかねばなんめいとへろへろ出かけ、いざ到着したらさっそく元気になってしまった。単に片づけと家事がしたくなかったせいという説あり。

 


 

▲ページトップへ

<1999年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

<1998年> 9月 10月 11月 12月 

Home 

最終更新日 01/12/31 01:11:43
MHF03170@nifty.ne.jp