日時計 1999年11月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

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<1998年> 9月 10月 11月 12月


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991130(火)
  購入本: 小林恭二   実用青春俳句講座』    ちくま文庫
    メアリ・H・クラーク   『小さな星の奇跡』    新潮文庫
    水木しげる   『今昔物語 上』   中公文庫
    いとうせいこう   『ワールズ・エンド・ガーデン』   新潮社
    ジョナサン・キャロル   『我らが影の声』   創元推理文庫
    エヴァ・へラー作
ミヒャエル・ゾーヴァ絵
  『思いがけない贈り物』   講談社
    SFマガジン1975年7月号 200号記念特別増大号   早川書房

 長男の制服のズボンがすごーく小さくなってしまったらしい。娘の同級生から頂いたお古が2,3本あるので安心していたのに、それらも全部きついと言う。来年の4月からは黒いズボンなどはかない可能性が高いのだが、どうにも仕方がないので終業後地元の制服を扱う洋品店に自転車を飛ばす。小柄で細い彼も夏休み頃にいつのまにか私の背を抜き、最近は運動不足のせいもあってか肉も付いてきたようだ。つい最近まで私や娘のお古のジーンズがはけたのに、まったくだめ。本当は上着も少々小さいのだがこれは今更大枚はたいて買うわけにもいかないし、友人たちもチビか、うんとデブかのどちらかなので回ってきそうにない(困)。

 昨日もよく晴れてお散歩日和であったが、今日も暖かく、もう12月とは思えない。トップページをクリスマス仕様に、と思っても、どうもピンとこない。冷たく侘びしい季節の中の、だからこそ暖かいクリスマス…。まるで『サンタの夏休み』が思い出されるほどの陽気では、どうもクリスマスの起源や歴史に思いを馳せるのも難しい。
 とか何とか言って、クリスマス本がなかなかこなせないのだ。うーむ。

 購入本のいとうせいこう以下は、古本屋にて。ミステリ読みがまとめて放出したらしくだいぶミステリ関係が増えていたが、とりあえず手を出したいものはナシ。『ワールズ・エンド・ガーデン』のカバーは、ブリューゲルでありました。

 『魔法の庭』の続編希望の人はここへ書くように、と言う有里さんの指令があったので、書いて参りました。すると有り難いことに「善処します」とのお返事が。はい、しかと記録しました、妹尾様。首を長〜くしてお待ちしますよぅ。


991129(月)
  購入本: なし

 職場の互助のリクリエイションで、横浜へ行く。仲間5人で1時半から食事。
 午前中は各自自由行動で、私は美術館友だちと横浜美術館のセザンヌ展へ。東京駅から東海道本線に乗り横浜へ、ここで乗り換えて桜木町で降りる。横浜というとえらく遠い感じがするが、東海道本線に乗ってしまえば若干24分なのにはちょっとびっくり。
 桜木町は、横浜博の時に行ったきりだから、しばらくぶりであるが、日本丸周辺をはじめ、景観がまったく変わっているのには驚く。馬鹿みたいに大きく高いビル、硬質で人工的な施設ばかりで、人間の皮膚感覚とぜんぜんなじまないこの建造物群はいったい何なのだろう。作った人は、機能的だ、とか、美しい、とか思って作ったのだろうか。ある種の美しさはあるのかも知れないが、私にはむしろ、みにくさとむなしさが先だって感じられ、違和感をおぼえるばかり。
 食事は外人墓地わきの料理屋B…だったが、急な細い坂道、踏むとぱりぱり崩れる赤と黄の落ち葉、揺れるススキ、幸せそうな野良猫たち、どれもさっきの違和感を感じるばかりの場所とはあまりに落差が大きいのであった。この料理屋B…、古くからある和食の店だということだが、その量の多いこと、多いこと。半分からあとは、あらかたお持ち帰り。夕食の充分な足しになったのであった。あ、クルシ!

 セザンヌ展(12/19まで)は月曜の朝10時半というのに、かなりな人出で、それも年配の女性が非常に多いのが目についた。若い人はごく少ない。美術館自体は空間が広く取られ、ことに天井がかなり高いので、人出の割りに静かでそれ程混雑を感じることはなかった。

 セザンヌをまとめてみるのは多分初めてだと思う。おなじみのタッチの、グリーンが印象的な風景画の数々、有名な美しいリンゴなどの静物画、どこかでお目にかかっているような人物画、などにわけられ、それらの日本での紹介の様子もコメントされている(例えば、雑誌「白樺」何号の何ページに言及、のように題名のプレートに並べて紹介されている)。
 今回行って体感したのは、この人の絵は「とってもヘンだ」と言うことである。長い年月にわたって繰り返し描かれた数多くのの「水浴」のテーマは、今回初めて意識して見たものだが、見てちっとも美しくなく、裸体は、男性はもちろん、女性であってもごつごつ、ムキムキしており、バランスを欠いているように見える。形や表面の質感と言うよりも、そのボリューム、存在感を、繰り返しくりかえし確かめようとしているかのようである。そして人体の各部分を見るととても良く描けているのに、全体像となるとなにかバランスが変。けれどもその重量感を突きつけられる気がする。風景などの自然とともに、彼が本当に描きたかったのがこの「水浴」に象徴されるテーマなのではなかろうか。
 そう思って再び戻って風景画などを見直すと、この人のヘンさが改めてよくわかるように思った。そして、しまいに連れの友人と「この人、やっぱりヘンだ」「セザンヌって、すごくヘーン!」と叫んでしまったのであった。展覧会にわざわざ出品して落選することで自分の絵の独自性を証明したかったと言う人らしいから、私が素人目にセザンヌはヘンと感じたのもあながち的はずれではなかろう。
 ほかに、ピサロと親しかったらしいというあたりに納得。共通するものを感じる。

 セザンヌ展ばかりでなく、いっぱんに展覧会の題名のパネルには要望有り。題名の下に書いてある製作年代の字が、小さすぎるのである。これを、離れたところからでも容易に見えるくらいに大きくして欲しいのだ。
 製作年代を追って見る、と言うのはとても簡単な、しかも有効な作品の把握の方法だと思う。私などはほとんど予習をして行くことが出来ない(しない)ので、もっぱら画家の作風が時系列にしたがってどのように変遷していったかを第一の手がかりとして見る。このとき、作品年代の書かれた字が非常に小さいので、いちいちごく近くまで寄ってのぞき込んでみなければならない。これはとても不便きわまりない。また最近は一層作品保護のためと称して照明を落としているケースが多いので、題名すら決して読みやすいとは言えない場合もある。今日のように比較的観客の年代が高いような場合は一層この不便さを感じる人は多かろう。実際、「私には読めない(見えない)わ〜」と言う声を何度も聞いた。題名の字も含めて何とか改善して欲しい点である。

 ああ、それにしてもルドン展ゴーギャン展をやらないかなあ。

 行き帰りの電車では、ブラッドベリは持ち運びに重いので、『クリスマス・ファンタジー』(ちくま文庫)を読む。おもったより乗っている時間が短かったので、それ程はかどらず。


991128(日)
  購入本: なし

 さすがに冬本番で、この地は昨晩は零下の冷え込み。信州でも割りに冷え込みの厳しい土地である。義母が言うように「寒いより冷たい」感じで、ストーブの前にいてもとにかく身体の外は暖まっても中が冷え切っていて、かじかんだ感じが抜けない。この次来るときは山用の防寒下着を持ってこようっと(息子のを借りる)。

 30日が私と義母の誕生日なので(!)、ケーキでお祝い。義母には中国茶の急須・茶碗セット、私には(自分で選んだ)ペンダントである。ペンダントは前から目を付けていたものだが、なんとケヴィン・コスナー様の「ボディーガード」でホィットニー・ヒューストンが用いたものなのだそうだ。ケヴィン・コスナーしか見ていなかったからホィットニーの胸元なんて目に入らなかった〜。

 昨夜はネット遊びも出来ないから安心しておちびと一緒に寝てしまったら、なんと12時間睡眠。逆に一日眠くて死にそうであった。まあ、そのわりには絶対死なないから大丈夫。

 『バビロン行きの夜行列車』は、快調に進行中。


991127(土)
  購入本: なし

 おちびの七五三のため、朝から義母の所へ向かう。10時美容院必着、ってゆうべ電話が入ったけれど、この時間だと2時間以上かかるんだってば。夜中に帰ってきた人(運転手)に6時だの7時だのに出発せよとは言えまへん。私は何と言っても運転免許証はゴールドカードなので今更汚せないし。というわけで、ようやく7時半に出発し10時ジャストに美容院へ滑り込む。じつは七五三の主役の次男は二の次で、今日の一大行事はなぜか、16歳の娘に振り袖を着せて写真を撮ることなのである。

 本当は、以前から、昔の十三参りのように13歳頃にかわいい振り袖を着せて写真を撮りたかったのであるが、丁度その頃はおちびがまだ小さくてそれどころではなかったので、七五三に合わせて一緒に着せてしまおう!と言うことにしたのである。なぜわざわざ13歳に?はたちに振り袖というのももちろんいいのだが、最近のはたちの着物姿ってなんだかとうがたって初々しさが感じられない…。子供と大人の境目の年頃の、かわいい着物姿を写真で残しておきたかったのである。いまや16歳になって、生意気盛りになってしまったが、はたちとは違う初々しさではある。当人が断固拒否するのではと思ったが、まったくそんなことなく、かえって喜んでいるらしい反応である。
 いやー、馬子にも衣装ではないが、髪をアップにしちゃって、それなりに素敵なすがたであったことよ。

 主役のほうも「とのさま」とか言われちゃって終始でれでれ笑いっぱなしで、娘共々写真を取り終わり、引き続き大急ぎで義母の知り合いがいるホテルにて食事。今日は大安で神社の宮司さんも結婚式に大忙しのため、食事もゆっくりは出来ず、滑り込みで約束の時間に神社へ。この宮司さんも義母の知り合い。一通り行事が終わり、美容院に戻る頃に娘もやっと着物が身体に馴染み、ちょっと脱ぎたくないかなー、という感じのようであった。終わって、娘、「あ〜、楽しかった!」これを聞いて母は、胸の内で「よかった〜」としみじみ思うのであった。親ばかの巻である。


991126(金)
  購入本: キャサリン・アサロ   『飛翔せよ、閃光の虚空へ!』    ハヤカワ文庫SF
    志村有弘   『怪奇・伝奇時代小説集2』    春陽堂文庫
    武田久吉   『民族と植物』   講談社学術文庫
    SFマガジン1月号       早川書房

 はい、読み終わりました、『魔法の庭 3』。これはお薦め。書きたい!という勢いがほとばしっていたところがとてもプラスに働いていた。読んでいるこちらも、だーっ!とその勢いに巻き込まれて、気づけば登場人物たちの目からその世界を見ているのであった。続編を書けー!!義務!!

 先日読み終えたブラッドベリの復帰第1作『瞬きよりも速く』が非常に良かったので、昨年どうも没入できないままになっていた復帰第2作『バビロン行きの夜行列車』を改めて読み始める。


991125(木)
  購入本: なし

 朝起きると木立の向こうの区役所(徒歩数分)がぼうっと見えるくらいの。気づくといつの間にか霧は深くなっていて、さっき見えた区役所はおろか、道を挟んだ木立すら霧の中に没しようとしている。とりあえず今外に出ていって霧の中を歩きたい衝動に駆られる。
 この霧からもわかるように一日暖かすぎるほどの陽気。

 職場で動物慰霊祭。今日は忙しかったので献花のみ。それにしても、祭壇(「実験動物の霊」、無宗教)に飾られた動物の写真は、文字通り十年一日、毎年同じである。たまには替えたら〜。

 もうすぐ『魔法の庭 3』終わるのだが、スイミングでたくさん泳いで帰り早く寝たいおちびと一緒に寝てしまったので今夜はあきらめ。またクリスマス本に手が着けられない。

 日曜まで更新できないかも知れません。土曜の早朝から日曜にかけて、おちびの七五三のため(遅れてる)義母の所に行くので。明日の夜は荷物が早く作れたら更新の予定。


991124(水)
  購入本: なし

 きのうの予言通りである(定説に非ず)。 

 ひたすら昼休みに読んだ甲斐あって『魔法の庭 2』読了。はやく3を読まねば!
 読みたい本が一層ふえて収拾がつかない。クリスマスもあと一月になってしまったのに、クリスマス本にも出遅れている。赤・緑・白のクリスマスカラーは大好きだが、アメリカ的(日本的か?)クリスマスはいま一つ好きではない。今年はクリスマス特集どうしようかと考え中。

 きょうFMで聴いたのは、リーラ・ジョセフォウィッツ&シャルル・デュトワ・モントリオール響によるメンデルスゾーンのVnコンチェルト。途中から聴いたのだが、あまりのゴキゲンさと弾き方のクラシックさにパールマンかと思って聴いていた。どういう人だろう、CD買ってこよう〜。朝のうちからノリノリの曲を聴くと本当に気持ちがよい。
 と思っていたら昼からおなかがしくしく…。月曜にも痛かったのだ。午後はもともとない意気がすっかり喪失してしまった。やはり風邪気味かもしれない。この週末はおちびの七五三を義母の所でやるので休養にならないし、うーん、おなかの薬のんでおこう。

 我が家のおなかの薬は、あるとき知り合いに頂いたのがきっかけで愛用するようになった陀羅尼助丸(だらにすけがん)である。オウバク、ガジュツ、ゲンノショウコというシンプル処方の漢方の丸薬だ。4mm弱の黒い丸薬を、大人は一回30個服用のこと。
 吉野の大峯山で作られるこの丸薬は、発売元はいくつもあるが実は製造元は一つだという摩訶不思議な薬。ネットで注文できないかと「陀羅尼助」で検索してみたら、いつも買うところのはなかったのだが、代わりに
こんなところがヒットしてしまった。

 當麻寺、と言えば折口信夫の『死者の書』で親しく名を知った中将姫と當麻曼陀羅の古刹。その昔修学旅行で訪れたときは、奈良の春のひなびた古い感じが印象的だったが、いまやこんなページが出来ちゃっているとわ。どなたがどんな姿で作っていることやら…。


991123(火)
  購入本: なし

 マンションの消防訓練である。出火の合図からしばらくして30mまで延びるというはしご車が来て、9階の火元で嬉しそうに手を振る住人らを救出。はしごはするする延びるのと同時に方向も変えるので、見ていてなかなか迫力がある。あと15分早く出ていけば救出される人になれたのに、ぐずぐずしていて機を逃した。よし、来年は事前に希望しておこう。はしごが格納された後、子供らが運転席に載せてもらっているのに便乗して中を覗く。その後消防署員から消火器の使い方(1.火事だー、と叫んで黄色いピンを抜く、2.ホースの先端を持って火に向ける、3.レバーを強く握る)、毛布と物干し竿で担架を作る方法、三角巾の巻き方、消火栓の使い方などを習う。終了後役員(の家族)の役得でお弁当をちゃっかり頂く。

 役員も回り番だから、見るからにいやいや来てあくびをかみ殺す人、やるからには楽しんでしまおうとする人、言われたことだけはハイハイとやる人、あれこれ文句をたれながらも一所懸命気配りでこなす人、などなどいろいろである。見ているとおもしろく、今日も同年輩の女性とあれこれ人間ウォッチをしてはこっそり笑い転げたのであった。
 時間を取られることさえ除けば、とりあえず楽しむつもりで参加するのが自治会活動のこつだろうと思う。しかしこんなことが言えるのもこの住宅だけで一自治会をなしているからで、以前住んでいたところでは既存の地域の自治会に加入する形だったため、古顔や名誉職のオジーサン、オバーサン、古狸古狐がいっぱい居たので楽しむどころではなかったが。まったく(以下略)。

 今日もまた盛大に衣類、不要物などゴミ袋に詰め込んで捨て、だいぶさっぱりした。あと1,2回やればかなりすっきりしそう。あれもこれも捨てるのって癖になるかも。
 これは実は年末の大掃除をしなくてもいいようにと言う目論見でもある。というのは、今年は去年に続いて受験生(って、まだ高校受験だよ〜。むかしはこんなの受験生とは呼ばなかった)が居て、年末年始は塾の正月特訓とやらでどこにも行けないので(2000年問題もあるし)、それならば読書三昧にすごそうと密かに目論んでいる、というわけなのである。積ん読本はたーっぷりあって読む本には困らないと言う仕合わせな状況だし。って喜んでいいのかこれは。

 受験生と言えば、明日は雨です。なぜならば息子、9時過ぎから4時過ぎまで図書館で猛勉(本人談)。でも9時過ぎに沈没しましたが〜。


991122(月)
  購入本: ロバート・アーウィン   『アラビアン・ナイトメア』    国書刊行会
    D・A・スターン編著   『ブレア・ウィッチ・プロジェクト完全調書』    アーティストハウス

 午後半ばから娘の学校の三者面談のため早退。待ち合わせまで若干余裕があったので、池袋リブロに寄って、一昨日買い損ねた(見あたらなかった)上記2冊を買う。帰宅して読売の朝刊を見ると、書評欄に『幻想文学』の東編集長のコラムがあり、そこでこの2冊と『ぼっけえ、きょうてえ』が取り上げられていた。あとで娘にブレア・ウィッチの方を見せると、「この映画、超見たいんだよね!」と騒いでいた。どうやら予告編を見たらしい。

 面談は2年生からの文系・理系コース選択のためのものであったが、驚くべきことに、文系では、複素数、やや高度な微積分など、また物理などはいっさい学ばず、いっぽう理系では、世界史の多く、地理などはいっさい学習しない。おまけに適当な講師がいないというので、地学・天文は現在取り上げていないと言うのじゃ。加えて数学の教師に言わせると、理系の生徒の負担が大きいので、理系から古文漢文を外してくれと要望を出しているというのだ。こーんなことでいいのだろうかぁ?高校教育。もっとも今まで医学部受験者に生物が必須でなかったくらいだから驚くに当たらないのか。本当に受験のための高校に過ぎないのだろうか。一般的教養を学ぶための事実上最後の機会だというのに。
 私も複素数に三角関数、物理は大の苦手だった口だが、やはり世の中にこういう学問がありこういうものの考え方がある、と言うことを知っているのと知らずに過ごすのとでは、ずいぶん世界観が違うと思うが。うーむ、熱力学だの言っても何の話題かすらわからないだろうな>文系志望の娘

 熱力学と言えば、長男は、熱力学の法則に忠実な子で、うちでは「エントロピー増大男」という異名がある>彼の部屋の状態と来たら…。おまけに彼が通っただけで、積んであったものは崩れ、並べてあったものは散らばり、部屋の隅にあったものは部屋中に撒き散らされる、という素晴らしい能力を持っているのである。

 面談終了後、ショッピングするとかしないとかなかなか決まらなかったが、結局疲れたので目白のコーヒー/ケーキ屋に寄ることで意見の一致を見る。この店は目白の駅からすぐの、ビルの2階にある。出窓で手作りケーキを焼いているが、このケーキが、もう絶品。季節によりいろいろ素敵なケーキがお目見えするが(といっても冬しか行ったことがない)、きょうはその一つ、いちじくのケーキを注文した。うーん、一口食べて、しあわせ!どうしてこんなにおいしいのでしょう!おまけに今日発見したことは、ここのコーヒー豆はその豆がおいしいので知られる某コーヒー店K…のものを使っているということだ。K…の社長さんは以前参加していたある市民オケでご一緒していたいわば仲間。練習の合間に振る舞って下さる保温ポット入りのコーヒーが、コーヒーが苦手な私にも(ポットなのにもかかわらず)とってもおいしかった!思わぬ所で、点と点が繋がるものだ。

 『魔法の庭 2』順調に進む。
 いっぽう、昨日実家から持ってきた何冊かの本の中に、子供の頃愛読した本があって、片づけがてらに拾い読みをする。日本の児童文学全集の一冊で、北畠八穂/石井桃子集である。北畠八穂の「マコチン」は石井桃子の「山のトムさん」とあわせて何遍も何遍も読んだものだが、いかに好きかを思い出してしまった。どこかで再刊されていないだろうか。誰かさんみたいに全部打ち込んでWeb上にあげたいくらいだ。あまり分量がないから、大した労力をかけなくとも出来そうだけれどなー(ちょっと本気かも)。


991121(日)
  購入本: なし

 一日家の中の片づけほか。おちびのためにとってある上の子が着た服などを、腹が立ってきて盛大に捨てる。すんごい場所ふさぎなんだもの!積ん読山脈が延びてきた本も片づけようと思ったが、片づけ先がない。

 家中ぐちゃぐちゃのまま3時半すぎ母の所へ誕生日祝いをしに行く。上のふたりも順次合流、ケーキにお茶。プレゼントは家着の、柔らかいピンクのベストである。
 最初に売場で見たとき連れ合いが「あのちゃんちゃんこは?」と言うので、「ベストでしょう?いいかもね」そばへ行って見て「このちゃんちゃんこ、着ないかな」「ベストね。これなら着るんじゃないかな」しばらく他を物色しているうち飽きてしまったおちびを連れて、連れ合いはウルトラマンが飾ってあるところへ去る。その間に、長男とふたりでやっぱりさっきのベストに決め、包装がすんだ頃に連れ合いが戻ってきた。「さっきのベストにしちゃった」と報告したら「やっぱりちゃんちゃんこにしたの」「ベストだってば」
 今日それをプレゼントされた母が包装を解きながら「何だろう」と言うので、連れ合いが反射的に「ちゃんちゃんこ」と返事するのではないかと危惧したのであったが、幸いによそを向いていて、母の言葉が聞こえなかったみたいでよかったー。

 セレモニーの後、連れ合いは一足先にマンションの管理組合の会合のため去る。
 残った我々(というか娘と私)は、主に私の本が置いてある本部屋があまりにも物置と化しているのにキレて、衝動的に片づけを始めた。引っ越しの後に片づけが完了しないまま仕方なくそのまま放ってある本の段ボール箱の上や回りに、いろいろ様々箱や袋、雑物、今日は布団までが乗っている。なんじゃこりゃー。どうやら、さすがに高齢になった母が、頂き物やら、要らない箱やら、とりあえず不要のものやら、なんでもかんでも突っ込んでおくようだ。しばらく前まではそれでも片づけはしていたのであるが。布団は、先日泊まりに来た姉が押入から出して使い、しまわずに帰ったのを片づけきれずに置いておいたらしい。娘とふたりで不要のものを片っ端から捨てまくり、布団も息子に手伝わせて押入にしまう。
 小一時間で何袋もゴミを捨て、さっぱりしたー、と部屋を見回す娘、「あとは本だね」と言うから「今買えば高い(のもある)んだよー」と、かっこ内は口に出さずに言えば「へ〜!」と感心する様子。母の大事な宝と多少は納得したかと思えば「じゃ高く売れるね!」
 …まだ教育が足りないと痛感し、「ここにこれこれ、ここには○○全集、ここには△△があるからね」と教えるが「ハイハイ」と軽くいなされた気がする。
 将来私が年を取ってもほいほい捨てるなよ〜、本。 

 と言いますか、うーん、母も暦年齢よりも若々しく見え元気だ元気だとは言え、さすがにこのところめっきり年をとったのは否めないなあと痛感したのであった(重)。

 本部屋の探索で、ハヤカワ文庫の『幻想と怪奇』シリーズ、ちくま文庫『猫百話』、新潮文庫『クリスマス13の戦慄』ほかを発掘。少年溝口のお薦め河出文庫『日本の怪談1,2』はあると思ったのになくて、あったのは河出文庫『世界怪談名作集 上下』。ほか教養文庫の各地の民話の類も思ったよりは見つかった。最近の怪奇幻想づいた目でみると、まあまあ一般的なこの手の文庫は手許にあるようだが、本当に一般的なラインナップばかり。ちえ。

 昨晩『魔法の庭 1』読了。『風の名前』もよくまとまっていたけれど、続編(といっても独立して読める)のこちらも一層ボリュームアップでなかなかよろしい!きょうは片づけ日和で続きを1ページも読めず。

 夕食後、長男がビデオにとっておいてくれたポケモンを見る。いつもは食事の支度の時間なので、ほとんど見たことがない。これはどうして、なんでこうなってるの、と長男に初歩的な質問をしながら見たのだが、ピカチュウに「かわいい〜!!」を連発しっぱなしの私であった。わーん、ちょこちょこ動いて首を傾げ、「ピカ、チュウ〜」なんて言うのがあんなにかわいいなんて知らなかったよー。また録画しておいてねー!
 確かに『黄金の羅針盤』の主人公が男の子ならまるでポケモンかも。


991120(土)
  購入本: リチャード・T・コンロイ   『スミソン氏の遺骨』    創元推理文庫
    作者不詳   『七賢人物語』    未知谷
    ベルナール・ヴェルベール   『われらの父の父』   NHK出版
  図書館本: エレン・ダトロウ 編   『魔猫』   早川書房

 昼前、東京家政大博物館で開催中の「レースの系譜 西と東の出逢い展を見に行く。たまたまポスターが貼ってあるのを目にし、以前からレースや編み物(それ自体とその歴史のようなもの)に興味があったことと、ポスターのレースの美しさに目を奪われたので。中でも特別出品・ブリュッセル王立美術歴史博物館蔵の数々が非常に繊細かつ精緻で、人の手になるとは信じられないくらい、ほとんどミクロの世界と言いたくなるような微細さに驚く。
 17世紀から20世紀に至るまでの様々な技法によるレースの衿飾り、襞飾り、裾飾り、ショールなどが、実際にどのように用いられたかを示すその時代の絵画(の図版)とともに展示されている(いやレース自体もあきれるほど細かく美しいが、それを克明に描いた画家もすごい〜)。
 技術的なことはほとんどわからないが、ほんの10cm四方でも気の遠くなるような作業だろうに、この美しいレースのどれだけの量がどれだけの労働によって生み出され消費されたかを思うと、信じがたいものがある。来る日も来る日も、日がな一日うつむいて細かい細かい作業の連続…。
 もちろん貴族や上流階級が用いたものがほとんどであろうが、司祭服、法衣などがむしろ豪華さにおいて上回っているかに思えたのは偏見ではあるまい。また19世紀のウェディング用ヴェールのデザインの素晴らしいことには(あふれんばかりの花束、花束)目が釘付けになるばかりであった。
 作品保護のため照明をぐっと落とした室内に飾られたそれらの豪華なレースは、しかしあまりにも人間の自然な生活の感覚とはかけ離れており、むしろ古い時代のやや簡素なもの(同時にレースの古い先祖である漁網なども展示されていた)に惹かれるものを感じる。こういった志向は、(世の中の)中世的なものへの志向と相通じるものだと思う。

 午後、長男の高校見学(学校説明会)へ。多少は散歩気分であるが、せっかくのお天気、ちゃんと散歩したかった〜。終了後しばらくして連れ合いと落ち合い、母の誕生日のプレゼントの物色など。ついでに前々からそれとなく娘に吹き込んでおいた私の誕生日プレゼントも、めでたくげっと。でも誕生日までモノはおあずけで、娘が保管。

 昨晩から妹尾ゆふ子『魔法の庭 1』を読み始める。竪琴が出てきてこれはいよいよイルスの竪琴〜。って、以前『風の名前』を読んだときに抱いた印象。言い回しが意識して装飾的で重々しいのでイルスとは印象は違うが、この作でもやはりそれと共通したものを感じる。語りが装飾的なのは、いわば失われたいにしえの物語を再び語る、と言った体のものであるから。とても好きです、この人。いよいよ佳境に入ってきました〜!


991119(金)
  購入本:なし

 昨晩から相変わらずネット孤島は続き、日中職場で実験の待ち時間にネット徘徊(どこかで聞いたような)。帰宅してさっそくぱそを立ち上げるがよけい不調。たまに繋がるときにやっと拾った連れ合いからのメイルに曰く、「ルーターの電源を抜いてみますか」
 そこでさっき、引っこ抜いてみました(もちろんもう一度差し込む)……やたー、つながったー。と言うわけで早速メイルと更新ページのチェック。どう見てもビョーキ。先日娘が言うには「ママの人生の半分はホームページだよね!」うーむ、否定できないのであった。

 昼休み、そしてあと一篇だったので終業後にねばって『瞬きよりも速く』読了。
 とくに『たんぽぽのお酒』に酔ったあなたは必ず

 一刻も早く  読め!!

 昨日、往時のようなインパクトはない、と書いたが、昔の鋭さとはまた別の、何とも言えない奥深いものがあって、涙がでそうなものばかり。なんと全部で21篇という盛りだくさんの短篇集だが、どれも実にチャーミングで切ない。もう最初の「Uボート・ドクター」から、虜。一つ一つ、語りたいです。この人の本質はやはり短篇にあり、なのではないだろうか。ああ、しばらく抜けられな〜い。

 と言いつつ、さっきネットに繋がるのを待っているときに手に取ったチャペックのこいぬとこねこは愉快な仲間』は、おもしろい!1ページ目から声を立てて笑ってしまった。一緒のおうちに住んでいるこいぬとこねこが床掃除を始めて…(中略)…さいごに一緒に洗濯ひもにぶら下がって干され、すっかり乾いて洗濯籠のなかで朝までぐっすり寝込んでしまいましたとさ。と言うのが第一話。ああ、おかしい!中略の部分はぜひ挿し絵とともに読むべし!このチャペックは、『山椒魚戦争』や『ダーシェンカ』のカレル・チャペックではなく、その挿し絵を多く描いた兄のヨーゼフ・チャペックのほう。いやはや、傑作。

 ようやく、待っていた晶文社がホームページを立ち上げた。晶文社と言えば上記の『たんぽぽのお酒』を出している出版社である。「出版ダイジェスト」のダイジェスト版を送ってもらっているが、なぜか読みたい本が目白押しの、気に入りの出版社なのである。


991118(木)
  購入本:なし

 このあいだの土日に続き、またもルーターの不調でネットにつながらず、ネット徘徊もページの更新もできず。メイルも読めない。明日の夜中に専属技術員が帰宅するのを待つのみ。みじめ〜。じゃなくて、まじめに本を読みなさい、という天の声であろうか。

 天と言えば昨晩は結局期待の流れ星を見ることが出来ず、がっかり。丁度夜だけ天気が悪いなんて、まったくついていない。けさも、日中も、そして今晩もそれなりに晴れているのに。厚い雲の上には、確かに星降る夜空が広がっていたのだけれど…。むしろその夜空の方が、後の記憶の中では美しいのかも知れないとも思う。

 『瞬きよりも速く』半分程まで到達。やはり往時のようなインパクトはないな〜とおもいつつ、けれどもイリノイ州グリーンタウンの香りを吸い込みながらじっくり読む。さて天の声に従うとするか。


991117(水)
  購入本: 荒俣宏   『アレクサンダー戦記』2,3    ハルキ文庫
    本の雑誌 12月号   本の雑誌社

 昨晩もう眠いからちょっとだけ、と寝しなに続きを読み始めた『魔法飛行』、そのまま読了。日常の小さな出来事を(主人公の)若い女性らしい感性で捉えた、まどろっこしいほどの克明な記述が、最後に急転直下、物語全体を貫く謎を明かすことに収束する。やっぱり上手だなあ、と脱帽。

 雲一つない晩秋の青空を見上げ、北風に吹かれながら歩く午後。もう風は初冬の匂いだ。葉を半分以上落とした桜の並木に混じって、実をたくさん付けた柿の木の彩りが青空に映えて目をひく。切り取っておきたい鮮やかな眺めだ。職場内の他の施設に行って、2時間ほど後ふたたび外に出ると、あれほど青いばかりの空だったのに、今やすじ雲がでてきて空の西半分を覆ってしまっている。雲の流れは風に吹かれて速い。飛行機雲も見る間に流されて幅を広げていく。薄い雲を透かして、半月が白く光っている。どうか今夜は晴れますように…。

 昼休みから『瞬きよりも速く』を読み始める。ダグラス・スポールディングだ。カモシカかな?ガゼルかな?というわけで今晩は空の具合をにらみながらこれを読むことにする。雲は一層厚くなっている気配。


991116(火)
  購入本: 鹿島茂   『子供より古書が大事と思いたい』    文春文庫
    海保眞夫   『イギリスの大貴族』    平凡社新書
    鶴田静   『ベジタリアン宮沢賢治』   晶文社

 雨が上がったばかりらしく、幾分荒れ模様の朝である。空を覆った雲は厚く、次第に晴れそうではあるが、風がむきになって吹いてもなかなか飛んで行かない。
 秋から冬の荒れ模様の天気は、武蔵野によく似合っている。いつの間にか錆色に変わったけやきの樹冠が、大きく風に揺れている。すずかけの大きな葉はいち早く黄葉したかと思うと茶色く縮こまって盛大に風に飛ばされて行き、ほかの木に先駆けて冬らしい姿になろうとしている。
この風は木枯らし一番だとの発表あり。
 午後も遅くなり、すっかり晴れて青空から夕日が射していたのに、帰宅する頃にはまた曇り空である。おちびが帰る道々「てんきよほう、うそついたね」 「どうして?」 「だって、はれるっていったのに、はれなかったから」と、母の気持ちを読んだかのように言う。明日の夜中の獅子座流星群は、見えるのだろうか。

 その、おちび。先日、足の爪を切っているときに、「こんなのができてる」と言うから見ると、足の親指にいっちょまえにうおのめができていた。ぎゅっと押さなければ痛くないと言うが、けっこう立派なうおのめだ。
 長男が保育園の時のクラスメートのおかあさんに、いぼやうおのめをとるおまじないをしてくれる人がいた。1,2度お願いしたことがあるが、本当にすぐに治ってしまったのにはびっくりした(じつはけっこうこういうのを大事にするタイプの私である)。目を閉じ、指をうおのめにあて、そっとさすったり、ぐるぐるなでたりしながら、何やら声を立てずに口の中でおまじないを唱えている。そのおまじないは門外不出で、おばあちゃんのおばあちゃんから、つまり昔から、一代にひとり、女の人が受け継ぐのだそうだ。彼女の娘は一人っ子なので、将来はその子がこのおまじないを受け継ぐことになるのだと聞いた。
 いぼを取るおまじないと言えば、ナルニアの『朝びらき丸東の海へ』で、いっぽんあんよの島にある魔法の本の挿し絵が、このおまじないのページなのである。なんでも月光のもと、銀のたらいでいぼを洗うとかなんとかいうのだったはず。
 今はスピール膏を貼っているのだが、あんまり取れなければおまじない、また頼もうかなぁ。それとも月光のもとで足を洗うか。

 『黄金の羅針盤』私の問いに思わぬ所にお答え有り。主人公を男の子にするとポケモンですか、大森さん。ポケモンはおちびが見ているけれど私はちらっとしか見ていないので、そうなのかどうか判断できない。あさって見てみよう。

 『魔法飛行』はだんだんおもしろくなってきた。謎の手紙はいったい?そして、つい『魔界飛行』と書いてしまう私はいったい?


991115(月)
  購入本: レイ・ブラッドベリ   『瞬きよりも速く』    早川書房
    小松左京   『夜が明けたら』    ハルキ文庫
    志村有広   『怪奇・伝奇時代小説選集』   春陽文庫

 先日、佐治晴夫『おそらに はては あるの』(福音館書店月刊かがくのとも)を読んだ。佐治氏のあとがきにもあるように、空(宇宙)に果てがなければ、無限の数の星の光によって夜空は明るいはずである、しかし現実には夜空は暗いから宇宙には果てがあるのだ、という「オルバースのパラドックス」を、子供向けに簡単にわかりやすく説明し、同時にものの考え方というものをも示している。これを読んだとき、はて、このオルバースのパラドックスは今では正しくないと考えられているのではなかったかな?と首を傾げたのだったが、『カムナビ』にこのネタが使われているらしく、この辺で話題になっているようだ。ふうむ、佐治先生はこのパラドックスを正しいとしてこの絵本をつくったのだろうか、それとも、子どもの疑問を上手にすくい取り、考え方の道筋を示す入門書として、わかりやすいこの考え方を採用したのだろうか、お訊ねしてみたいものである。

 気分転換に、だいぶ前に借りた加納朋子『魔法飛行』を読んでいる(ちゃんと期間延長した)。図書館にあったのを適当に借りたのだが、どうやら以前読んだ『ななつのこ』の続編という感じだ。
 うーん、『ななつのこ』を読み始めたときに感じた具合悪さをこの作では強く感じる。この人の文章はとても透き通っていて、神経が行き届いており、言いたいことを余すところなく文章に出来ると言ったタイプのようだ。こんこんと湧く泉の水、と言ったイメージだろうか。清らかで甘く、きりっと爽やかな気持ちの良い文である。ところが、時としてそれがどうも気にさわるのだ。
 時々、延々と続く駒子と友人との他愛ない会話を、えーいとぶったぎって1,2行に縮めてしまいたくなる。実はその他愛ない会話の中に謎を解くヒントが紛れ込んでいたりするので、まったく無駄というわけではないし、改行改行また改行といった体のものでももちろんない。けれど、えーい、まどろっこしい〜、こんなこんな他愛ないことをいちいちたらたら書かなくてもいい!と思うような部分が、あちこちにあるのだ。それがよく練られた、隅々まで気配りのされた文章であるだけに、一刀両断に切って捨てられないので、よけい癇に障るのかも知れない。
 しかしだからといってつまらない、と言うのではなく、前作とは似ていながらもまた違った趣向が凝らされているので、どんなふうに展開して行くのか、もちろん楽しみではある。


991114(日)
  購入本: なし

 二度寝は気持ち良いが午前中がなきに等しくなるので日曜向きではない。わかっちゃいるけどやってしまうのよ〜。さて今日も馬鹿陽気。おちびなんぞ半袖で「へーき、へーき」と飛び回る。

 連れ合いも娘もそれぞれ出ていってしまったあと、11時過ぎると長男がおちびに「チャーハン食うか?ツナ?コンビーフ?」としきりに訊いている。「もうお昼食べたいの?」と言うと、午後から塾なので12時には出かけるという。おや、こちらはまだ洗濯だの片づけだのしている最中。見ればすでにいそいそネギを出し、コンビーフ缶を捜し、残りご飯を用意してチャーハン作成の体勢である。なんていい子でしょう、とシメジを出してやり、「ニニはチャーハン上手なんだよね〜!」とおちびに同意を求めつつ長男を誉めまくる。この子はチャーハンと焼きそば、スパゲティ(ミートソース缶+αね)なら見よう見まねで「得意」と言うことになっている。あれこれ講釈しながらけっこう楽しそうに作るので安心して任せ、有り難く頂かせて頂く(なんのこっちゃ)。

 おかげさまでお昼が早く終わってしまったので、午後からの予定にも早めに出かける。今日は北とぴあ音楽祭の最終日で、飛鳥山公園の一隅で無料の野外コンサート(ドゥルス・メモワールによるルネサンス音楽)が催されるのである。バスで行こうかと思ったが、あまりの天気の良さに自転車で行くことにする。ただし荷台にはおちびを積んで…。

 飛鳥山公園は「きたく市民フェスティバル」という貼り紙があちこちに貼ってあり、散策の人、フリーマーケット?を見る人々に混じって野外ステージに出演するらしいバンドや沖縄風装束の人たちがいる。でも音楽祭らしい雰囲気はどこにもなし。目的の場所は一体どこ?道しるべもポスターもまるでないので、園内を2,3度行き来する。ようやく音楽祭のお揃いのジャンパーを着た人々がいたので訊ねると、一番端のちょっとわかりにくいところに会場の旧渋澤庭園の入り口があった。おや、こんな所にぽっかりと木立に囲まれたくらしっくな空間が。聴衆はまだ前の方に十数人しか人がいないけれども、おちびがさっき見た子どもの遊び場に行きたがるので、開演までそちらで時間をつぶす。どうせ立ち見か芝生に腰を下ろすのだから、ぎりぎりでオッケー。

 再び戻ると、そこそこに人が増えており、ボランティア(北とぴあ音楽祭では、ボランティアの助っ人が準備段階から当日まで、いろいろな局面に関係しているらしい)の人たちが「こんなにたくさん来るなんて、予想外ね」「うれしい誤算だわ」などと話していた。
 歌の4人、管楽器の5人、リュート、パーカッション、合計11人のメンバーが楽しく奏でる数々の音楽は、確かに座って聴いているよりも、立って、足でステップを踏み手拍子をとり、身体を揺すって聴くのにふさわしい。頭上には雲一つない青天井、鳥の声、暖かい日差し、紅葉し始めた木々。無料で1時間半の(休憩なしの)コンサートは、なかなか粋な企画。もちろん音響的にはホールと比べるべくはないが、比べるような話でもない。
 パーカッションのおじさんは、大中小の太鼓、といってもタンバリンのお友達のような形のものを捧げ持って器用に指、掌で叩くのだが、全くの譜面なし。ステキでした〜。また最後の方で歌の5人がフォークダンスのようにステップを踏み、ジェスチャーたっぷり、大げさな表情で多分怪しげな歌詞の歌を歌っているときに、サックバット(細いトロンボーンといった感じ)の彼氏が「こいつらほんとにようやるわ…一緒と思われたくない」という目で彼等を見ていたので、声を立てて笑いそうになってしまった。

 とは言え、木立のはるか向こうの先ほどのステージからは時折やかましい重低音の響きが聞こえて若干じゃまをしたり、ボランティアの女性らがお揃いのジャンパーをカサカサ言わせて(ウィンドブレーカーのような材質なので摩擦音がうるさい)やたらに観客の間をうろうろしたり私語したり、改善の余地は多分にあり。カラスの声は…仕方ないですね。また来年もやらないかしら。

 終了後また自転車をこいで戻り、そのままスーパーで若干買い物。すごいね、このギャップ。というかいかに日常に音楽がとけ込んでいるか、なんて言ったりして。肌寒くなりかけた頃帰宅。さて、夕飯の用意…とおもったら、今買ってきたはずのものが、あらかたない。??よく考えてみたら、焼きたてのパンをレジの人が別の袋に入れてくれたのを受け取ったきり、おちびと話していて本体のかごを受け取らずに出てきてしまったのだ!何たるハジ、あわてて電話をかけて再び取りに行ったのであった。こんなの初めて〜。


991113(土)
  購入本: 東雅夫・編   『怪猫鬼談』    桜桃書房
  図書館本: 久生十蘭   『久生十蘭全集 II』    三一書房
    安房直子   『ねこじゃらしの野原』   講談社

 今日こそ心おきなく朝寝坊である。こんな日に限って、上天気だ。8時半を回り、さすがに寝ていられずに起きる。たまった家事をしている間、上のふたりに言いつけて、共用廊下側の窓の掃除をさせる。以前からの約束(今度の第二土曜は窓掃除手伝ってね)だったので、手抜きながら一応それらしく済ませたたようだ。
 午後から、長男と高校見学へ行く。天気が良く暖かいので、二つ候補があるうちの、自転車で行ける方へ行く。これからしばらく、土曜の度に高校見学となりそうだ。うう。

 終了後その足で池袋へ。おばば(義母)の誕生日プレゼントを物色しに行く。結局今流行の中国茶器セットにする。包装ができるまでの間に売場でデモをしていたお茶を味見。そのうち茉莉花珠茶(何と読むやら)という、一種のジャスミンティーが、とてもおいしい。ミニチュアローズの蕾くらいの大きさの丸まった茶葉を、お猪口くらいの大きさの(中国茶に良くある大きさの)茶碗にじかに3,4個入れてお湯を注ぐ。産毛の生えた茶葉が次第にほどけて行く様は、まるで丸まっていた足長グモが脚をのばすようでちょっと気味が悪い感じだが、さらにお湯となじんで広がってくると確かにそれは銀色をしたお茶の若芽だ。非常にシャープで日の光のようなないジャスミンの香りが立つ。普通のジャスミンティーのようにきつくしつこくなく、精妙な香りだ。かなり気に入ったのだが、他のお茶の倍ぐらいの値段だったので、今度またね。

 図書館にリクエストしておいた『久生十蘭全集 II』には、東雅夫さんご推薦の「黄泉から」が収録されている。帰宅後速攻で読んだ…ああ、まったく降伏しました。東さんのこの作品に対するコメントに見事引っかかった私なのであった(決してマイナスの意味ではない、発信して下さって本当に感謝)。(溝口掲示板方面の他のメンバーはどうした〜?)

 昨晩寝る前にプルマン『時計はとまらない』読了。こちらの方は一応子どもの読者を念頭に置いていると思われる、短篇と言ってもよい程度の量の中編である。この人はちょっと斜に構えた感じの、一筋縄ではいかない人物のようである。

 あちこち読み散らかしているという最近の傾向は続き、今晩は『ヴァージニア・ウルフ短篇集』(ちくま文庫)を読み始める。編訳者である西崎憲の解説はいつも、浅学の私には非常に有用である。必要な一通りの基礎知識、パースペクティヴを与えてくれる。


991112(金)
  購入本: なし

 小雨。見るからに寒そうな朝である。所が覚悟して外に出てみると…何のことはない、暖かいではないか。だまされて冬支度をしている人が結構多い(ファーのついたウールのコートとか、ダウンベストとか、キルティングのコートとか)。幸いに私はTシャツ、カーディガン、薄い綿のパーカーで丁度いい具合。結局一日、傘をさそうかさすまいか迷うような降り方である。

 昨晩面白さにやめられず『ぼっけえ、きょうてえ』読了。「あまぞわい」の気味悪さもさることながら、「依って件のごとし」が非常に良かった。『ほたるの墓』の兄妹をちょっと思い出したりして(ごめーん)。ところどころに説教くさい、というか説明的文章が散見されるのが興ざめ。これがなければ五重丸。どれにも共通する、耳許に吹きかけられるなま暖かい息というのがなんとも感覚に直接訴えてきてぞわぞわ〜っとする。

 そんなことをしてまた夜更かししてしまった。ぢつは朝、目覚まし代わりのFMが鳴っているなあ、とは気づいていたが、そろそろ起きなくちゃ、と思うか思わないかのうちに突然「行ってきまぁす!」の声。「へ!?」とよろよろ起きると、確かにもう7時を過ぎて娘の登校時刻である。「ごめ〜ん」と言いつつ送り出す。娘、今日は調理実習があるのでお弁当は不要なのだ。よかったー。それにしても一日休んで大方寝ていたとは言え(寝ていた程なのに、と言うべきか)、懲りもせずまた夜更かし読書とはまったく、手の施しようのない病気である。でも私より先に寝た連れ合いもしっかり寝坊したのであった、と一言言っておこう。

 さて夕食後例の安眠ソファによってまた読書。昼休みに佳境にさしかかった『黄金の羅針盤』の続きである。一気読み〜!面白かった〜!(最近連発ぎみ)

 さて、ここに出てきた「ダイモン」と訳される、人間と不可分にペアになっている生き物であるが、これは原語では一体なんと言うのだろう。リーダーズでdemon、daemonで引いてみると

a 【ギ神】 ダイモン (daimon) 《神と人の間に位する超自然的存在》.
b 《人・土地などについている》 守護神 (daimon).

という項があり、おそらくこのdaimonという単語が使用されているのだろう。(神と人の間に位する超自然的存在、って何?木の精たちとかセイレーンとかそういう類を指すか?)

 ダイモンとそれが属する人間とは、距離的には数メートルしか離れられない。うさぎ、種々の鳥、犬、などの動物の形を取り、幼いときにはどの動物の形を取るか定まらず、くるくると変身できる。
 この作品の世界は、我々の世界と似て非なる世界で、教会の権力が強く、科学技術の発展の具合もこの世界とは異なる。このことはごく初めの部分でわかるのだが、最後の最後に来て、
なんと聖書の中味も似て非なることが明かされるのには驚いた。が、確かにこれには必然性あり。
 例のごとく主人公はある種スーパーガールでちょっと都合良すぎではあるのだが、ミステリの味わいあり、活劇あり、登場人物(動物)も印象的だし、舞台となっている雪と氷の国(オーロラ!)のイメージも魅力である。もうひとつの邦訳書『時計はとまらない』(偕成社)が「ミステリークラブ」というシリーズの一冊として出ているのも頷けるように思う。
 この人は機械仕掛けが好きのようで、こちらのほうはのっけから時計のゼンマイの話がでてくるし、『黄金〜』でもゼンマイ仕掛けのカブトムシもどきがひどく怖いほか、そもそも羅針盤(真理計)そのものも似たような味わいの小道具である。

 『ぼっけえ、きょうてえ』がまさに女性的な感性の作品であるのに対し、『黄金の羅針盤』は、こんなところからいかにも男の子(男性、というよりも)の感性を感じるのだ。

で、必然的に次はこれ(『時計は〜』)に行くことになるのである。作者で攻めるタイプの私です>ね、有里さん。


991111(木)
  購入本: なし

 不調のためお休み。日中、4時間ほど眠る。2時過ぎに目が覚めて、チョココロネを頬張っていたら長男が帰宅。休んだはいいが、4時半から学校でこの息子の受験をにらむ面談なのである。あぁ、それを考えるとまた頭痛が…。
 上のふたりは学年で一年違い。先日ちょうど同じ年子を持つおかあさんと「面談済んだ?」などと立ち話をした。去年はこうこうで、今年もまたこれこれよね。とか。そしておかあさん曰く、「一難去ってまた一難!」これ実感なり。

 時間までぼおっとしたまま『ぼっけえ、きょうてえ』から「密告函」以下を読む。もうすでに作家としてすっかり自分の書きたいものを書ける人だ。独特の世界に浸食されそう。「密告函」最後のページ(p.106)の真ん中の四行はちょっと興ざめ。フツーの人なら書いてもいいが、あなたは書いちゃだめよ〜、岩井さん。

 昨日入手したシュオブには、月報もちゃんと入っていて、KANAZAWAさんご指摘の通りそれは山尾悠子の手になるものなのであった。ラッキー!


991110(水)
  購入本: 大島弓子   『雑草物語』    角川書店
    東雅夫・編   『屍鬼の血族』    桜桃書房
     〃   『妖髪鬼談』    〃
    柳田国男   『こども風土記・母の手毬歌』   岩波文庫
    マルセル・シュオブ    『黄金仮面の王 フランス世紀末文学叢書II   国書刊行会

 昨晩の雨はいったい何だったの、というほどのきらきらの天気だ。雨で埃が洗われたのか。緑と黄色のだんだらになった川沿いの桜並木の向こうから、朝の木洩れ日がちらちらと揺れて目を奪う。桜も、鈴懸も、柿も、紅葉した葉を惜しみなく落としている。通勤途中に通りぬける公園では、お年寄りが落ち葉であろうと何であろうときれいさっぱりなめたように掃き清めてしまうので、風情も何もあったものではない。この所朝の気温が低くなってお掃除の出動の時間が遅くなったのか、今朝はちょうどいい具合に落ち葉が散り敷いていたのでスピードを緩める。

 大島弓子の『雑草物語』は、1cm足らずの厚さのとても可憐な本でした(今測ったら7mm強)。ちょうど、小学校の教科書っていう感じ。表紙絵と同じ図柄のポストカードが挟み込みになっていて、彼女のマンガそのまんまの短い小説が併録されている。これ、やっぱり『ヤングロゼ』掲載時に見ていた。1995年、て、そんなに前のだったのかぁ、と意味なく感慨を抱く。

 昨晩古本屋から電話があり、頼んであった『黄金仮面の王』の、函なしのが入ったがどうするかという。この本屋にはこの叢書のひもでくくってあるのが置いてあり(揃いではない)、いずれバラすからその時に連絡してくれると言う約束になっていたのである。今日行って見ると、函こそないが新古本状態だし厚めの文庫1冊の値段なので連れ帰る。よく見ると他にもレニエ、ユイスマンス、ジャリなんていうのが入っているのでちょっとそそられる。

 あちこちでお褒めの声の挙がっている『ぼっけえ、きょうてえ』から、表題作を立ち読み。と言っても本屋ではなく、食後その辺に放り出してあったのを取り上げてそのまま、つい引き込まれて読み進んでしまった(あとの半分はちゃんと座って読みました)。ふうぅぅむ!これは、おもしろい!女郎のひとり語りという形の陰惨な地獄絵図は、岡山弁(らしい)という仕掛けで一見和らいでいるのだが、相当に凄惨である。そして次第に、急速に明らかにされる女郎のもうひとつの面が、最後の2ページほどでがっちりと聴き手を掴んでしまうのである。あぁ、怖〜い。

 「密告函」以下、鋭意読み中。と言いたいが、風邪なのか慢性寝不足なのか死にそうに眠いので口惜しや〜。


991109(火)
  購入本: 新美南吉   『ごんぎつね』    小学館文庫新撰クラシックス
    J・チャペック   チャペックの
 こいぬとこねこは愉快な仲間』 
  河出文庫
    ダ・ヴィンチ 12月号    メディアファクトリー
  立ち読み本: C・V・オールズバーグ   『まさ夢いちじく』   河出書房新社
     〃   『ベンの見た夢』    
    ルース・エインズワース    黒ねこのおきゃくさま   福音館書店

 7日の記事で、『昆虫図』と書くべき所を全部『昆虫記』と書いてしまったので、訂正しました(恥)。

 昼休みは読書に専念するつもりだったが、あまりの天気の良さに、そうそう、明日のパンがないのよね〜などと理屈を付けて外へ出る。暖かい秋の日は、そのままふらふらと散歩をしたい小春日和。ところが午後は次第に雲が出てきて、帰宅時にはちらっと雨の粒が風にのって飛んでくる。
 保育園に迎えに行き、先生としばらく話し込んで玄関を出ると、パラパラと雨が降ってきたところである。あら〜といいつつ自転車に乗ろうとしていると、見る間に本降りを通り越して夕立状態になってしまった。雨宿りする間もあらばこそ、あっという間にびっちょんちょん。めがねの内側までびしょぬれで視界は最低だ。自転車でほんの2,3分の道中に髪の中まですっかり冷たく濡れて、もう冬の入り口であることを実感させられた。なぜかこれだけのことがとてもショックで、自転車を降りてちょっとふらっとしてしまうような状態。よろよろ帰って、そのままおちびとお風呂。しっかり暖まって生気を取り戻す<深夜電力利用の電気温水器(=追い炊き不可)+24時間風呂、こういうときには助かる!

今日もオールズバーグを立ち読み。『まさ夢いちじく』の主人公、パリに住むビボット氏は、ちょっといけ好かないおひげの歯医者。おばあさんの患者から治療費として、夢が本当になるいちじくをふたつ受け取る。一つを食べた翌朝、夢に見たとおりエッフェル塔がぐんにゃり曲がってしまったりするのでそれはびっくり。それでは世界一の大金持ちになる夢を見よう、と夢を見る練習を重ねるが、いざいちじくを食べようとすると、飼い犬が一足先にぺろりと食べてしまう。次の朝目覚めてみると、なんと彼と飼い犬とが入れ替わってしまっていた。それが普段から潔癖性のビボット氏に冷たくあしらわれていた飼い犬の見た夢だった、というわけ。怖〜い。
 『ベンの見た夢』は、他の絵とタッチが違っていて、また不思議な魅力だった。最初と最後だけに文がついていて、途中は絵のみ。友だちと別れて家に帰り、地理の勉強をしているうちに雨音を聴きながら眠ってしまったベン。目を覚ますとあたりはノアの洪水さながらの一面の水だ。家はぷかぷか浮いて、自由の女神を通り過ぎ、エジプトをさまよい、ギリシャの神殿を通り過ぎ、お菓子のような宮殿を横目に見る。断崖に刻まれたアメリカの歴代大統領が「起きろ〜」と呼ぶ声で目を覚ますと…。
 ぼーなすが入ったらちゃんと立ち読み本も買うからね(自分への誕生日プレゼントにしようっと)。

 先日u-kiさんのメモ帳(10/27)を読んで、私もちょうどその日、しばらく一緒に遊んだりしていたネコがいなくなって捜したりする夢を見たのを思い出した。どうしてそんな夢を見たのか考えていたら、それはその日に立ち読みした絵本のせいだと分かった。それが『黒ねこのおきゃくさま』である。
 寒い冬の夜、貧しいおじいさんの所にやせ細った黒猫がやってくる。おじいさんがありったけの食べ物をやると、黒猫は次第につやつやの美しい姿を取り戻す。食べるもののなくなったおじいさんは猫と一緒に寒いベッドにはいるが、翌朝起きてみると黒猫の姿はなかった。ああ、出ていってしまったんだな、と思うが、外を見ると降り積もった雪の上に猫の足跡はひとつも付いていなかったのだった。その後、おじいさんの戸棚から食べ物がなくなることは二度となかった…、という素敵なお話。

 ここまで書いてちびを寝かしつけていたが…、目を覚ませばおお、すでに1時48分。眠


991108(月)
  購入本: なし

 午後空が暗くなってきたと思っているといつの間にか雨。その割りにあまり気温は低くない。終業後エマ・カークビー&アンソニー・ルーリーを聴きにカザルスホールへ行く(そういえば昨日三省堂の正面で、地下のビール・ソーセージの「ローターオクセン」がなくなってなんとか亭に変わっているのに気づいた。がっかり〜)。
 先日のレオンハルトはほぼ満員でロビーもぎゅうぎゅうだったが、今日はずいぶんと空席が目立つ。ソプラノのカークビーはこの分野ではすっかり大御所で、いつもはもっと動員力があるのに、今日は何かとぶつかっているのだろうか。いつもながらのチャーミングな声は小鳥の声のようにほんとに心地よく、夢見心地で聴いていた。うーん、バルコニー席はちょっとぽかぽかあったかすぎ〜。

 ロビーに置いてあった『Mostly』という山野楽器・産経が出しているらしい無料の音楽情報誌を見ていた連れ合いが、「ヒロ・クロサキだって」 「ナニッ!」 「ヒロ・クロサキが4人のヴァイオリンのCDを出したって」
 おお、何と嬉しいことでしょう。今を去ること3年前、北とぴあ音楽祭で「キャトル・ヴィオロン」と称してヒロさん以下レ・ザール・フロリサンのメンバーによるヴァイオリン4本のアンサンブルのゴキゲンな演奏会があったのだった。一昨年の暮れ、津田ホールでヒロさんの演奏会があったとき、メンバーの一人木村三穂子さんがロビーにおられたので声をおかけしたところ、そのお正月に「ヴァイオリン4本でのレコーディングをするのよ」と言っておられた。一体どうなっちゃったのかなあと思っていたが、あれから2年近く経ち、ようやく同名のCDが発売になったというわけだ。わーい、わーい!早速週末に買いに行こう!

 読み途中の『黄金の羅針盤』は、大人向けなのか、それともはっきり子どもの読者を想定しているのか、ちょっとどっちつかずな感じを受ける。これは翻訳のせい、それとももともとか?
 それはともかくとして、相変わらずおもしろい
 舞台がちょっと未来か?と思ったのをとりあえず訂正。98年もののトカイワインと言う記述があったので、これを1998年ととってそれより後の時代かと思ってしまったのだが、今日見直すとはっきりと「1898年もの」と書いてあった。したがって、時代設定はたぶん現在と同じくらい(ただし違う世界)。

 『昆虫図』から引き続き、今日は「野萩」を。いやはや何とも。参りっぱなしである。


991107(日)
  購入本: 谷川俊太郎 ほか   『誰かを好きになった日に読む本』    偕成社
    久生十蘭   『昆虫図』    教養文庫
    月刊コミックフラッパー 創刊号   メディアファクトリー
    『幻想文学 41号 特集 ホラー・ジャパネスク』   アトリエOCTA
    『幻想文学 51号 特集 アンソロジーの愉楽』    

 今日は早くも立冬だ。幾分寒いのかと思い、買い物に出るのに家で着ていた半袖のTシャツの上にフリースを着たらやはり汗、冬とはまだまだ暦の上ばかりか。
 どうやら朝の霧雨から天気も回復してきたので、午後特段の用はないが神保町に行く。ときたま足を向けることはあるのだが、本屋が目的で行くのは久しぶり。

 久生十蘭作品から、『幻想文学』の東雅夫さん他があげておられるベストファイブのものを手がかりに読むべく、今日は『昆虫図』を買う。早速「生霊」「ハムレット」「姦(かしまし)」「母子像」「昆虫図」「水草」「骨仏」など短めのものを中心に読む。とにかくなぜか非常に読みやすい。読みやすい鏡花といったふうでもある。教養文庫版は当然新かなに直してあるのだと思うが、そのせいか。特にその旨は書かれていない。それぞれ読後、う〜ん、まいった!と無条件降伏であります。東さんがトップに挙げておられる「黄泉から」は、彼の紹介文に見事にはまる(くそっ)。図書館に行かねば!

 2冊買った『幻想文学』のバックナンバーであるが、51号のほうの読者の投稿欄には特におなじみの名がみえたのでにっこり。

 マドカさんが何だこりゃあとひっくり返っているアンソロジー『誰かを好きになった日に読む本 今日はこの本読みたいな1の中から、早速川島誠作品を読んだ。
 およよ!
誰かを好きになったその日にこんなのを読まされたのでは、まるで頭から冷水をざんぶとぶっかけられたようで、それこそ怒って本を投げ捨てたくなると思うぞ。題名を替えましょう>『誰かを好きになった日に読んでおけば良かった本』とか。これ一つでそう思うのだから他のも読んだらどうなることやら。

 『月刊コミックフラッパー 創刊号』は、和田慎二、ますむらひろし、たむらしげるが目当て。たむらしげるのモノクロのマンガは、『ファンタスマゴリア』の後ろの方にいくつか出ていたと思うが、雑誌の掲載で見るのは(少なくとも私は)初めて。コピーして色でもつけちゃおうかな!ネムキもちゃんと読んでいないのに、また買う雑誌がふえてしまった(嬉/困)。

 『黄金の羅針盤』ほそぼそ。『ぼっけえ、きょうてえ』待機中。


991106(土)
  購入本: 岩井志麻子   『ぼっけえ、きょうてえ』    角川書店
    フィリップ・プルマン   『時計はとまらない』    偕成社
    セルバンテス   『セルバンテス短編集』   岩波書店
    佐治晴夫・文
伊沢洋二・絵
  『おそらに はては あるの?
 
 かがくのとも12月号
  福音館書店

 3時過ぎ、娘の制服のコートを受け取りにおちびと3人で新宿まで出かける。娘は最近休みのたびに制服姿であちこちの文化祭にルンルン(死語)出かけて行くものだから、一緒に出るのは久しぶり。あまり早い時間ではないので、新宿をうろつくのはやめて、先日のベニエを娘に食べさせるべく池袋に戻る。「ちょ〜うおいしい!」とお気に入りのご様子。今日はデジタルクーポンを持って行くのを忘れたので損した。

 オヨーフクカッテェとごねる娘を適当にあしらって、CDショップに寄り、イズラエル・カマカイウォオレの『天国から雷』を買う。うー、すごい巨体。ハワイの人たちのこの巨体も、エネルギー節約遺伝子を持ったばかりの悲しい結果だろうか。

 そのあとに寄った旭屋で、おちびが迷子になった。ここにはしょっちゅう行くので、よくよく言い聞かせた上でいつもの児童書のところにおちびを残し、目的物(『ぼっけえ、きょうてえ』)を捜して戻ると、おやっ、影も形もない。雑誌を見に行った娘が来て連れていったのかもと、雑誌売場へ足を向けるが、「え〜、知らないよゥ」すわ、迷子に!と捜すべく二人してそこを離れようとした瞬間、「迷子さんをお探しのお母様…」とアナウンス。やばっ、と顔を見合わせるとまさに店内に流れるその名はおちびの名。「恥ずかし〜、ママ馬鹿じゃん」とかなんとか言う娘と「お近くのレジにお訊ね」する。
 5歳のおぼっちゃまは、迷子になったと言うより、ここにいてねと言われたその場で、心細くなって泣いていたらしい。ごめんね〜!でもいつもリブロでは機嫌良く待っていてくれるじゃありませんか〜。以後待たせるときはリブロで。あっ、この反省はちょっと違いますね。

 『時計はとまらない』は昨日読み始めた『黄金の羅針盤』の作者プルマンの、昨秋に出版されているもの。このあとがきによれば(『黄金〜』の方は続き物のためか、あとがきがない)、1946年生まれのイギリス生まれの作家で、カーネギー賞、ガーディアン賞をすでに受賞している人だそうだ。
 これは「偕成社ミステリークラブ」なんてシリーズの中の一冊である。挿し絵はピーター・ベイリーと言う人のアーディゾーニばりの絵だが、どこかで見たことがあるように思うのはやはりアーディゾーニに似ているからだろうか。


991105(金)
  購入本: なし

 秋の、かん!と音のしそうな空気の日。雲のかけらもないあおい青い空。職場で線路向こうの施設への行き帰り、落ち葉焚きの煙の匂いがするように思うのは、記憶のなかの匂いだろうか。夏の終わりにひよひよ歩いていた子猫がいつの間にか少年になって、『こねこのぴっち』よろしく、おじいさんおばあさんが日なたぼっこしているのに混じっておすわりしている。すっかり自分の場所だと思い定めているらしい。

  きのうのオールズバーグの『名前のない人』を、ゆっくり読み返してみる。パステルの緻密に重ねられた絵だ。遠景が霞んで青みを帯びている様子が実にきれい。
 本屋で読んだときにも気づいたことだが、途中お父さんがヴァイオリンを、お母さんがピアノを弾いて、ケイティと「名前のない人」(The Stranger、これが原題でもある)が楽しそうに踊っているシーンで、お父さんが左利きに描かれている。ヴァイオリンを右手(肩)で持ち、弓を左手で操っているのだ。そう思ってもう一度最初から見てみると、表紙からして、スープを注ぎわけているお母さんは、左手におたまを持っているではないか。干し草用のフォークの持ち方はどうだろう?などと何か手がかりはないか、とさらに見るが、これと言って決め手はない。何かというと、写真の裏焼きのように、絵も裏焼きの可能性がないのかな、と思ったのである。本自体原書と同じ横書き右開き(逆?正しくは何というのでせう)だから、たぶんオリジナルの通りなのだとは思うのだけれど。う〜ん、気になる。

 この本の扉絵は、くたっとした三角帽子に手縫いの皮の服を着た(つまり中世的な、ハメルンの笛ふきのような風情の)「名前のない人」の小さな姿が、秋の農村地帯を横切って行くシーンである。実はこれで思い出す本がある。いつ読んだのか覚えていない翻訳物なのだが、その物語は長い年月にわたるもので、狂言廻しのようにその時代時代に、この「名前のない人」のような出で立ちのフィドル弾きが現れるのである。たぶん舞台は英国で、緩やかな丘陵地帯に広がる畑を歩いているフィドル弾きの姿が印象に残る。筋はまったく覚えていない。時たま思い出すのだが、あれは一体何という本だったのだろう。『パヴァーヌ』を読んだとき、これに似ている気がしたのである。

 『月 書物の王国4からぽちぽち拾い読みをしていたが、まじめに初めから読む。アンソロジーを編む、って面白い作業だろうなあとうらやましく思う。
 タルホランドのとりこになったらどうしよう。ちょっと先延ばしにしておこう。

 並行してプルマン『黄金の羅針盤』に取りかかったが、うん、これは面白いんでないかい(今のところ)?
 どうやら今より少し未来?(まだよくわからないが)、科学技術がこの世界とちょっと異なっており、国々の姿も違う。何より違うのは(あれ、とかこれ、みたいに)キリスト教がぐんと幅を利かせている点らしい。
 でも主人公は少女ライラであるが、これを
少年に置き換えたらどうなる?まだごく始めなのでこれからどういう展開になるかさっぱり分からないが、ひょっとして作者が女性だったらむしろ主人公を少年にしたかも、なんて思ったり。それはともかく最近のファンタジーってやたらに少女が主人公というのが多いような気がするがこれってお約束か。


991104(木)
  購入本: 飯田雪子   『リアライン』    プランニングハウス
    C・V・オールズバーグ   『名前のない人』    河出書房新社
    スズキコージ   『かくれんぼ
 
こどものとも年少版
  福音館書店
    宮島千夏   『パンやのクルトンさん
 
こどものとも年中版
   〃
    『母の友 12月号』    〃
  立ち読み本: C・V・オールズバーグ    『魔法のほうき』   河出書房新社
    村山由佳   『さいごの恐竜ティラン』   ホーム社

 さすがに空気は冷たく、木立ちの下を通ると秋らしい冷気が身を包む。すっかり熟した柿がカラスにつつき落とされていくつも落ちている。はっとするような赤い粒々が落ちているのに驚いて見上げると、ざくろが半分口を開いて赤い実を見せている。これはまさかカラスではなく、小鳥がつつくのだろう。手が届くところならもいでくるのに。

 行きつけの新刊書店に、一時期オールズバーグの絵本が表紙を見せて飾ってあったことは前にも書いたが、今日も立ち読みして、つい季節ものの『名前のない人』を購入。レジで、誰の趣味で置いてあるのかと訊ねると、「河出の児童書は常備になっているので…店長が好きで。」ほほー、やっぱり。

 『さいごの恐竜ティラン』は、正確には今日ではなくて1,2週間ほど前に、人気があるらしいので立ち読みしたのだが、読み終わるか終わらないかのうちに、これは嘘のやさしさだ〜、欺瞞だ!と、汚らわしいものを手から払い落とすようにペッと平台に戻したのであった。これで涙を流すなんておためごかしだ。あ、誤用。何でまた急に?児童文学MLでちょっと話題になっているので。>寮さん同感!!

 昨晩久生十蘭「湖畔」読了。(←うわあ、漢字ばっかり)
 幻想の人はそういうふうに読むのか!と感心したり。どうせ言うなら、そもそも主人公の妻、陶が主人公を愛するようになる(らしい)ところからして不自然としか思えないので、そこからして妄想、てのはどうだ。一度読んだ感想としてはこれがいちばん自然だけれど、ちっとも幻想でないのが難点。
 文章がひどく面白く、あッと言う間に読める。キット他のも読むことになりそう。

 昼休みに昨夜から読んでいた『でりばりぃAge』を終える。やや性急な語り口は、この人の特色なのだろうか?以前短篇を読んだときもそれを感じた。
 主人公真名子が訪ねて行くローニンセイが、好き。総じて14歳の女の子からの視点が良く描かれていると思う。逆にそれが、人物やシチュエイションが類型的・平面的に感じられることにも通じている。


991103(水)
  購入本: フィリップ・プルマン   『黄金の羅針盤』    新潮社
    ヴァージニア・ウルフ   『ヴァージニア・ウルフ短編集』    ちくま文庫
    M・R・ジェイムズ   『M・R・ジェイムズ傑作集』   創元推理文庫
    アーサー・マッケン   『怪奇クラブ』    〃
    J−K・ユイスマンス   『彼方』    〃
    富田幸光   『恐竜たちの地球』   岩波新書
    C・V・オールズバーグ    『ゆめのおはなし』   徳間書店
    『クーヨン』12月号   クレヨンハウス
  図書館本: 久生十蘭   『無月物語』   教養文庫

 長男の中学の文化祭である。弁当は思わぬ援軍(夜遅〜く帰ってきた連れあいが何かいろいろ持ち帰ってきて…以下略。って、あんまり略になってないか)があって、なんとかクリヤー!
 展示の他に合唱コンクールがあって、これがメイン。ここ1週間ほど、朝練だ、何だと言っては「金賞目指して」頑張っていたようだ。結果は…銀賞。明るい活発な曲を選んだクラスが金賞だったらしい。
 けれど聴いているとちょっと生徒がかわいそうだ。どのクラスも、毎日練習をしているわりにはその成果がない。音楽の教師(ムシュー・ムノー)の、ちょっとした、しかし的確なアドバイスが、ないらしいのだ。難しいことではなく、例えば、メロディーラインを担当するパートはその部分だけでもしっかり歌え、とか、ここの部分だけでもいいから隣のパートやピアノを聴くように、とか、ここは合いにくいからしっかり指揮を見るんだぞ、とか、この何小節はいつもピアノが遅れるから頑張って練習して来いよ、とか、そういう小さいことで良いから指摘してやれば、格段に良いものになるのは明らかなのに!運動会の練習じゃあるまいし力と気合いだけで早起きしていくら練習してもそれは無駄な努力
(しかも朝は声なんて出ないよ普通)。ほんとに気の毒。いったい教師は何してるんじゃ〜。気持ちよく美しく歌えたときのぞくぞくっとする喜びを、味わわせてやりたいのに!これから一生合唱コンクールなんてやらない子もいっぱい居るだろうに!このスポンジのように感受性ゆたかな素敵な年頃に、体育会系の努力!根性!だけの思い出だけでは悲しすぎ。

 午後から某児童文学MLで先頃から話題の「ベニエ」を食べに出る。
 
カフェ・デュ・モンドというダスキン系列のチェーン店で、寮美千子『星兎』にでてくるドーナツを彷彿とさせる揚げ菓子(シュークリームの皮をかりっと揚げてパウダーシュガーをたっぷり振りかけた)「ベニエ」が食べられるというのである。教えてもらったサイトで検索すると、池袋の東武百貨店を出たところにあるという。そんな近くにあったなんて、午後は娘も連れ合いもそれぞれ出かけてだれもいないから(おちびはしっかりいるが)これは決まり、行って来ようっと!
 で、行ってきました。これがおいしかったのだ。揚げたて、かりかり、ふわふわ、パウダーシュガーがたっぷり!HPにあった「デジタルクーポン」を持っていったら、しっかりベニエふた皿、ただだったという、おいしい話でありました!うう、また行こう。

 ベニエがなければきょうは古書祭りも終わった神保町に行こうかなと思っていたのだが、そういうわけで池袋へ変更、西武リブロに行く。ここの創元の棚にはあまりよそでは見ないもの・古いものがわりにあるのだが、今日は上記を。『怪奇クラブ』は実家にあるような気がするのだが、念のため。
 『恐竜たちの地球』は先日からのおちびのリクエストである。
 『黄金の羅針盤』は、帯に
「『指輪物語』『ナルニア国物語』『はてしない物語』に熱中したすべての人に」とあり、「今世紀最後の大冒険ファンタジー」なんだって、ああ、書いていて買うのを止せばよかったかなあという気がしてくる…『童話物語』を思い出してしまって。
 最大の目的、大島弓子の『雑草物語』はどうも見あたらないので店員に訊くと、「遅れていてまだ入荷がない」とのこと、「角川はよく遅れる上、大抵いつになるかもわからない」と困った顔で教えてくれた。がっかり〜。そうなんですか>安田ママさん?

 某掲示板で話題になっている久生十蘭、作品の解釈諸説を読んでいると興味津々。日本の作家にうとい私は、読んだことがない。図書館で検索して何冊もある中から適当に『無月物語』をリクエストしてみた。きのう連絡があって、今日これを借りてみると、ちょうど話題の「湖畔」が載っている。さっそく読み始めている。

 わっちりんくすが昨日から更新されないのは一体どうしたのだろうか?便利に使わせていただいているのだが…??


991102(火)
  購入本: なし

 夕方、日没は既に16時45分頃(!)と、相当早くなっている。どうしたわけか、今日の日没後は、窓の外は不思議な紫色に浸って夢のような美しさ。うーん、誰も気づかない。どうしたこと!

 梨木香歩『裏庭』の再読を終わる。私って一体!状態。これを読んだのは1年半以上前だと思うが、照美(テルミィ)が「裏庭」へ入って行ってからの部分が、どうも感情移入が出来ない、というか現実感がない、というか、どうにもしっくりこなくてもどかしい思いが先行して、その後も2度ほど再読しようと取り出してみたのだが手が着けられなかった。だからといって初読の際面白くなかったわけでは決してない。まったく反対。
 ほとんどの梨木作品を読んでみたいま、もう一度読み直してみると、なんと読み落としの多いこと!ぜんぜん覚えていない部分が多すぎて、これでは読んだなどと言えないくらい。ことに、こちらの世界の部分(本文中でページの上部に枝の模様がない部分)は良く覚えているのに、どうして「裏庭」へ入ったあとの記憶が抜け落ちているのだろう!
私の中の何かが、その世界にはいるのを、もしくはそれを覚えているのを拒んだのだろうか?しかし今回は殆ど一気に読んでしまった。ぐるっと回って戻ってきて良かった。

 今日は食材がほとんどなく、あり合わせのものでようやく夕食をでっち上げる。食べてしまった頃に長男が「明日、文化祭」と言うから「うん、行くよ」となま返事。「だから、弁当」☆☆〜なんにも材料ないって〜!


 

★昨日の質問にさっそくお答え下さった風野先生、ありがとうございました!

イズラエル・カマカイウォオレ(愛称イズ)の「天国から雷」ですね。」ということで、有名な歌手(故人)だそうです。CDショップのハワイアンの所で捜してみます。


991101(月)
  購入本: なし

 ★唐突ですが、なんとかイズラエルという人が歌っている

「あっけぼの、むさしまる、& こにしき〜♪」

という歌詞の、ハワイのポップスソングについてご存じの方はいらっしゃいませんか。数年前に山下達郎がFMで紹介していましたが、きのう再びちらりと耳にしました。うーん、ちゃんと聴きたい!出来ればCDが欲しいのです。


 

 職場で顔見知りの女性が、亡くなられた。フロアが違うので挨拶程度でほとんどお話ししたこともなかったが、もう1年以上療養生活をなさっていたという。とても綺麗で理知的な方だったのに、死とはそんなことに関係なくやってくる。まだ50歳だという。先日亡くなられたCAFE LUDENSの古川さんも、なんと43歳でいらしたそうだ。信じられない、というより考えたくない。頭から振り払ってしまいたい気持ちである。

 11月に突入。きのうは散歩中にさざんかが咲いているのを見つけ、11月だなあと実感したが、今日のこの暑さは一体何だろう。夜になっても暑いのでまだ網戸。 冬の寒さは苦手なので暖かいのは嬉しいのだが、どう見てもこれは異常だ。それに、着るものも中途半端で一番困る気温だし〜。

『裏庭』順調に読み中。彼女の言う「伏線」を意識して読むと、把握しやすいかも。

 


 

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最終更新日 99/12/01 23:08:22
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