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日時計 2000年7月 日記
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2000.0730(日)〜0801(火) |
戸隠に恒例の家族キャンプ。
今年はちょうど各地とも死にそうな「この夏一番」の暑さ、と言う時期にあたってしまい、例年ならどんなに暑くても日陰に入ればすっと爽やか!という避暑気分を味わえるのに、タープの下の日陰にいてさえ汗がだらだら出てくると言う気温の高さ。3日間とも雨が全く降らないピーカンのお天気だったのはラッキーとしておこう。帰る日は雲行きが怪しくなり途中かなりの雨が降ったようだったから。
この上天気と、ほとんど新月だったことが重なり、例年は夜になると薄いガスがかかって今ひとつはっきりしない夜空が、今年は本当に美しく見えたのであった。南の空に大きく横たわるさそり、それを狙う射手。これは私の星座だが、天の川の中にあってちょうど☆のような形に星が並んでいて、星座の絵も美しく、しかもその方向に銀河の中心部分があるという、気に入りの星座なのである。大きく弧を描いて伸び上がる天の川には白鳥が首を差し伸べて浮かぶ。銀河の流れに沿って首を巡らせれば、カシオペア、北極星をはさんで空の大きなひしゃくが輝いている。ぽかんと口をあけて見入っていると一つ、また一つ、と星が流れる。3時頃にトイレに起きたときにも一面の星空で、土星だか木星だかがるいるいと光っているのであった。
数冊持参した本の中から、井辻朱美『風街物語』を読了。なかなか正しい選択であった。一瞬乙一の『石ノ目』の続きを読もうと思ったが、さすがに森閑とした山の中では出した手をひっこめてしまった。
2000.0729(土) |
購入本 井辻朱美/『風街物語』/哲学書房 水原紫苑/『くわんおん』/河出書房新社 |
ひさしぶりにちょっと朝寝。昼から長男の学校の三者面談へ。死にそうに暑い今日の真っ昼間が指定の時間である。いろんな意味でへろへろ〜。
長男にお昼を食べさせた後は娘のゆかたの帯買いに。
ゆかた本体は、私の若いときのもの。私の母の手縫いでクラシックと言えばクラシック、藍地に白で桔梗とうちわの模様、もうひとつは深緑の地にくすんだピンクの朝顔である。今風のが欲しいらしい娘は最初はぶうぶう言っていたが、いざ持参した緑のを羽織って帯を合わせてみるとなかなかよく映えて新品に遜色なかったのでご満足の様子。しかし、おととしの下駄が小さくなったので買い換え、さらに手提げまで買うと、結構なお値段になってしまった。しばらくゆかたにご無沙汰しているうちに、反物のゆかたが少なくなり大多数は出来上がりのものになっていた。たかがゆかた、と思って値を見ると、3万前後、ちょっと柄行が素敵と思うともう5,6万であるのには目を丸くしてしまった。しかし反物から仕立ててもらったら今はおそらくもっとかかると言うことなのだろう。
bk1からダブリ受注のものが出荷し直されて到着。いっぽう、ほんとに買えるのかいな、と半信半疑で注文した『天帝妖狐』(乙一)と『ゴースト・ドラム』は「版元からお取り寄せ出来ません」というメイルが来た。やっぱり品切れや絶版をちゃんとチェックしてないじゃないか、という言い方もできるが、一方で、哲学書房版『風街物語』のように最初からだめもとで注文したものがちゃんと届いたりもするので、品切れか、と言うようなものはとりあえず注文してみて、届けばラッキーと思っておけばいいのだろうと思う。
明日から久しぶりに緑の中に埋もれに行ってくる。何をするでもなくのんびりして、本を読んで昼寝、ができればいいなあ。
2000.0728(金) |
購入本 キース・ロバーツ/『パヴァーヌ』/扶桑社 橋本槇矩編訳/『アイルランド短篇選』/岩波文庫 池澤夏樹/『ハワイイ紀行【完全版】』/新潮文庫 |
午前中上野・西洋美術館に「レンブラント、フェルメールとその時代」展を見に行く。なぜか西洋美術館改装後これが初めて。都美術館などには何度も行っているのに。この展覧会は「アムステルダム国立美術館所蔵 17世紀オランダ美術展」なので、300年前後昔の作品ばかりであるが、素人目にもそれぞれの画家が、その時代の枠の中で少しでも様々な工夫をしその個性を打ち出そうとしている様がありありと感じられ、そういった意気込みがまざまざ感じられると言う点で、むしろ古さより新しさを強く感じたのであった。実際作家名と年代を伏せて今に持って来たら現代の作品として十分通用するのではないかと思わせるような小品もあり、随所にはっとさせられるような表現を感じる、生き生きとした非常に楽しい展覧会であった。
アーフェルカンプ「村のスケート遊び」の手前真ん中あたりにこちらを向いてポーズを取っているような少年が、ごく小さい姿ながらとても印象的であったが、ミューゼアムグッズ売場でしっかりこの少年がハンカチやTシャツの図柄になっていたのには笑ってしまった(可愛いので購入)。
もちろんそれらの中で作家名を見るまでもなく、お、これは、という飛び抜けた印象を与えるのが、レンブラントでありフェルメール(1作のみ)であるのは言うまでもない。レンブラントは特に大作が来ているわけではないのだが、小品の筆致に天性の才能を見たり、デッサンめいた作品に、どうしてこんなシーンを捉えたのだろう、と画家の興味に思いを馳せたりと、逆に作品から受ける刺激が多かった。フェルメールはわざわざ「これが皆さんお目当てのフェルメールですよ」と言わんばかりに壁面の色を変えてあるのが余計なサービスというかご愛敬というか。
上野の行き帰りに『我が名はアラム』読了。何と素晴らしいメッセージで締めくくられている事よ。ひたすら、うっとり。
午後から、次男を保育園から拾って、お友達母子とボリショイサーカスへ。はじめてゆりかもめにのる。やたらにぐるっと回って、いったいここは何?というような光景の中をトロトロと進みトーキョービッグサイトへ行く。
虎は何にもしないでただゴロゴロして見せミルクを飲んだだけ。いいなあ。猫の綱渡りが可愛かった〜。ロシア人のおじさん、お兄さんたちが「どうぞー、どうぞー」といいながらプログラムを押しつけてくるので反射的に手を出すと「せんえん」と言うのには閉口した。
帰りは臨海副都心線なるものに乗って地下鉄で帰る。
やっぱりこの地域はどうみてもおかしい。レゴブロックで気ままに作ったかのような形の、ひたすら大きいビルの数々に加え、更に巨大な建造物を建設中のところ、これから作るのであろう(もう無理か?)広い空き地などもいくつもある。
ゆりかもめには最後尾の車両に乗ったので随所で未来都市の光景か、と言うような眺めを目にすることになった。無機的な輝きに彩られた垂直と水平、それを斜めに切り取って延びるゆりかもめの軌道や高速道路の曲線、その光景は確かに一面新奇で、美しくもあるのだが、あまりに非現実的でもはや必然性が感じられるものではなかった。
有明付近の巨大ビルとその回りの広場の、だだっぴろさと空疎な印象は、もう笑ってしまうほかないような、無意味さが形になったようなもの。普段こういうところと直接関係ない生活をしていて良かった、としみじみ思う。はあ、もうしばらく足を踏み入れたくない地域だ。何かの間違いだ、と思っておこう。
お台場の大観覧車が、日没後カラフルに彩られたのは文句なしにきれいだった。
★今日のお祝い・1:もちろん
キース・ロバーツ 『パヴァーヌ』 の復刊
★今日のお祝い・2:
季刊『幻想文学』誌の公式サイトの立ち上げ
2000.0727(木) |
3、4ヶ月にいっぺん回ってくるゼミ当番。午後、準備をするのにあまりに眠くて(昼休みにはバッタリ討ち死にしていた)、たまらずカフェインのお世話になる。夕刻ヤクが切れて反動が…ばた。
『我が名はアラム』、とても薄い文庫なのに、大事に読ませる質の本なので、まだ幸せを感じている最中。というか単に寝ていたせいかも?
連れ合いが仕事で伊豆大島に行く。話があったときから、例の地震騒ぎに、「行くの〜?」「やめれば」「大丈夫なの?」などと家族ばかりか知り合いも口々に言うが、とりあえず今のところ何もないのでgo、とのこと。竹芝からの夜の船で発っていった。明日一晩泊まって、朝は飛行機で戻る予定。しかも仕事は牛乳がらみ(雪印ではないそうだ)。
おまちかね『パヴァーヌ』は扶桑社から8月初めにソフトカバー単行本(本体価格1429円)として出る模様。bk1なぜに先行予約を受け付けないのだ(安田ママさん、林さん情報有り難うございました)。
2000.0726(水) |
購入本 乙一/『石ノ目』/集英社 坂田靖子/『天花粉』/潮出版社 図書館本 ウィリアム・サローヤン/『我が名はアラム』/福武文庫 |
昼休み、まっすぐな雨の落ちてくる中を歩く。すっかり雨で重くなった緑の木々が枝垂れている。透き通った緑の雨が降っていると思う。夕方には雨はすっかり上がって、傘を手に取ると3cmほどの若葉色のカマキリが乗っていて、葉っぱを模したお尻を振り立ててこちらを威嚇していた。
先日読んで驚いた乙一の新しい短篇集『石ノ目』が出たのでさっそく昼休みに表題作を読む。オチは予想されるとおりで、むしろ進んでネタを割っているし、小道具も必ずしも目新しくないのだが、一つだけ意表をつく事があるほか、内容と釣り合いのとれた雰囲気の文章であるところがにくい。『夏と花火と〜』でもそうだったが、舞台背景の描写がうまいと思う。前作の水田のある風景、「優子」の家とその近辺、「石ノ目」の山。
ちょうど『魔術師マーリンの夢』中の「石」を読んだ昨日の今日だけにちょっと驚く。
さらに初めてのサローヤンとして、お勧めいただいた一つ『我が名はアラム』を読み始める。わ〜ん、めろめろー。
晶文社から『たんぽぽのお酒』が出たとき同じシリーズとしてこれも『人間喜劇』も出ていたのに、どうして『たんぽぽのお酒』は読んでこちらは読まなかったか!しかも『たんぽぽのお酒』は死ぬほど好きなのに!
後悔しても始まらないのであらたに「発見」したサローヤンを読むのだ>鈴さん
薦めて下さった皆さん、ありがとうございました。
今日借りた版は福武文庫・三浦朱門訳だが、たとえば42頁「草原犬」にはげんなり。だってこれ「プレーリードッグ」ぢゃないの。
2000.0725(火) |
午前中丁度外へ出る用事があったときだけ雨。娘が7時に帰宅したころに本格的に降り出した模様だ。8月も末、と言った風情の天気に早くも秋を感じる。まだ蝉もろくに鳴いていないのに。
昼休み、帰宅後、夕食後と、吸い寄せられるように『魔術師マーリンの夢』を読み、読了。素晴らしい。心ある出版社は今すぐディッキンソンの他の作品の版権をどんどん取るべし!
次の本に悩んだ結果『恋する潜水艦』に決定。いっぽう娘が読書感想文の宿題があるという。 『李陵』『氷点』『いまを生きる』あと山田詠美のなんかとか。ビデオが面白かったから『いまを生きる』にしたら?などと無責任におすすめ。代筆してやろうかしら。昔は、というより最近まで読書感想なんて自分が書くようになるとは思いもしなかったのに。
マーリンの感想を書きたかったのだが、マーリンにのしかかる岩のように私にも睡魔が覆いかぶさってきて、半分でダウンぢゃ。口惜しや〜。いやほんとにこれは素晴らしい、の連発。
2000.0724(月) |
いくぶん日が陰りがちな今日は、午後から強風が吹き初め、猛暑と相俟ってまるで夏の終わりの天気のようだ。ピンクの夾竹桃がいやが上にも暑さを増す。
娘は昨日豊島園プールでやけどのように日焼けしてきたが、今日は学校の野球部の甲子園の地区予選だと言って応援に行った。それにしても真夏も登校時には着用が義務づけられているのに、夏の制服がウールのベスト着用というのはあまりにひどすぎないか?>高校
娘はそんなわけで遅いらしいし、連れ合いは泊まりだし長男は合宿だし、次男と二人でなんだかさびしい夕食を始めようと、ようやく食卓に着き一口二口食べたとたんにピンポーン!と帰ってくる都合のいい娘。またも焼き豚よろしく真っ赤になって帰宅。
『いたずらロバート』読了。なんだか2,3話あるものを最初の1話だけ読んだような、しり切れとんぼの印象。中味はとても面白い。ロバートが魔法を使うときにヘザーの視界がぐらりと傾いでしまうところがリアル。本当に続きはないのかしら。amazonで調べると、"Wild Robert"はヒットなし。しかし"The Lives of Christopher Chant"と言うタイトルがあって、これはきのうの『魔女集会通り26番地』と同じアイデアの話ではないか?『魔女〜』の主人公のひとりCat(Eric)の名字はChantだし以下略。
続けて『魔術師マーリンの夢』を読み始める。カラーの挿し絵多数の美しい本。ただし原書房のこのお約束のような表紙は好みではない。PHP研究所の本なども。中味の方は、ああ、これはお薦め!
ディッキンソンといいプライスと言いウィン・ジョーンズと言い、もっと翻訳されてしかるべき作品がたくさん埋もれているとおもう。それがなかなか望めないとなると、やはり自力救済ということになるのだろうかウーン。でも頑張りたくなるくらい面白いぞ。
2000.0723(日) |
図書館本 ダイアナ・W・ジョーンズ/『いたずらロバート』/ほるぷ出版 |
長男がお気の毒に学校の勉強合宿(金曜まで)に出発、おかげで普段通りに起きる(眠)。娘はさっそく友人らと豊島園プールへ繰り出す。家中すっかり夏休みモードである。
昼前はせっかくの暑さを堪能すべく、帽子をかぶって近所へ雑用たし。とか言いつつ、次男のリクエストで涼しい図書館に寄る。次男の本が決まる間、昨日からの読書本『魔女集会通り26番地』の作者、ダイアナ(ディアナ)・ウィン・ジョーンズの『いたずらロバート』が目についたので借りる。この作者名は、本によりダイアナだったりディアナだったり、さらにウィンだったりWだったり、と検索しにくい名だ。ディッキンスン(ディキンスン?ディッキンソン?)といい勝負。
午前中炎天下おテニスに行っていた連れ合いと次男で、このさい毒を食らわば…ではないが、暑さついでに、自転車で隣駅近くのおいしいそば屋に行く。夏になるとおそばが無性に食べたくなる私なのである。
私は揚げ茄子そば(揚げ茄子、シシトウ、ピーマンがのっている冷たいの)、連れ合いは野菜あげざる(精進揚げのついたざるそば)、次男はとろろ。おまけに揚げ出しそばがきなるものを取るが、これもいけた。
帰りはふらふら通ったことのない裏道を通って帰るが、真夏の昼下がりのひとけのない路地のたたずまいがなぜかふた昔くらい前の地方都市、という感じで、次男もしきりに「田舎みたい」「おばばの家の方みたい」を連発していた。
帰宅してしばらく、そのつもりはなかったのに本を胸に昼寝。「ミクロの決死圏」を父親と見ていた次男に、お友達からお誘いがかかる。ありがたく送って行ってから、ようやくエアコンを入れて『魔女集会通り26番地』の続き(読了)。題名のような場所が舞台になっている話かと思っていたが、それは主人公の姉弟が最初に住んでいた場所にすぎず、実際は彼らが引き取られていった先のクレストマンシー城で起こった魔法たっぷりの物語。何のことはない、原題は"Charmed
Life"と言うものであった。実はこれ、並行宇宙ものでもある。魔法が有効な世界とそうでない世界を行き来する、という程度ならしばしば見られる設定であるが、この話はもう一ひねりしてある。主人公キャットのバイオリンが魔法で猫にされてしまいバヨリンという名をつけられるのだが、この渾名キャットがじつは話の中で重要な意味を持つという、猫本でもあったのは意外。キャットの姉で魔法使いのグウェンダリンの傍若無人ぶりがすごい。
『いたずらロバート』もこの作家らしくいきなり魔法の話でごきげんである。魔法が好きな人にははずせない作家だ。
2000.0722(土) |
購入本 ロバート・シーゲル/『白いクジラ』/創元推理文庫 コリン・ホルト・ソーヤー/『老人たちの生活と推理』/〃 ふるほん 松浦理英子/『親指Pの修業時代』上・下/河出文庫文藝コレクション L・H・シュミッツ/『テルジーの冒険』/新潮文庫 長野まゆみ/『月の船でゆく』/光文社 |
連日のこのオーヴンのふたを開けたような暑さはいったい何!午前中雑用を片づけに次男と自転車で動きまわり汗だくだく。さんざん汗をかくのも確かに気持ちいいと言えばいいが、物事何でも程度というものがあると思う>暑すぎ〜。めったに行かない隣駅近くでごく小さな古本屋にひっかかる。
午後からは娘のリクエストで水着を買いに付き合わされる。売場では花柄のビキニでパレオ付きが多数を占めている(ようなところへ連れて行かれる)。結局鮮やかなブルーに白いパイピング、銀色の★が飛んでいるすっきりしたものが一番似合う、と店員・本人・私の意見が一致した。でもばっちり切れ上がったさんかくぱんつ(ほとんどひもぱん)。喜んで父親に見せると@@と無言であった。
今月末からのキャンプの燃料他を買い出しにいった男どもと落ち合って池袋のアジアンキッチンで夕食。ジーマ(Zima)という透明ビールのようなものを飲む。
以前から読んでみたいと思っていた『魔女集会通り26番地』を読み始める。
2000.0721(金) 山の日 |
古書 ディアナ・ウィン・ジョーンズ/『魔女集会通り26番地』/偕成社 ウィリアム・コツウィンクル/『ホット・ジャズ・トリオ』/福武書店 シャーリイ・ジャクスン/『ずっとお城で暮らしてる』/学研 レオノーラ・カリントン/『耳らっぱ』/月刊ペン社 |
最近、easyseekで幾つか本さがしをしているが、結構反応があるので嬉しい。きょうの購入本は『魔女集会通り26番地』に対する情報と一緒に見つけたものである。たまにネット上の知人からそれと知らずに反応があったりして、「じつは私でした〜」なんて返事をする、それも一興だ。
今日の読書は再び『遥かよりくる飛行船』。かなり好きかもしれない。まもなくbk1から改めて届くはずの(昨日までに返してしまった中に入っていた)『風街物語』が楽しみ。
そう言えばリンクして下さっているサイトのコメントで、ここはもろに「幻想文学、ファンタジー」と紹介されていた。そうかしら?そうかもしれない。そうと言えばそうだわね。
午後職場でぱそこんに向かっていたら、ゆるやかな揺れを感じたので、また地震かと思ったが、どうやらそれは軽いめまいだったらしい>早く寝れば
久しぶりに買った蒟蒻畑はスイカ味。先日のはザクロ味。ほかに新しいものはなに味があるのだろう?意外に、アロエ味がおいしい。
2000.0720(木) 海の日 |
購入本 ピーター・ディキンスン/『魔術師マーリンの夢』/原書房 |
ヤマト運輸からbk1のダブリ受注分の配達の電話があったが受け取り拒否。
この2日の間に、「ダブリ分の配達はすべて受け取り拒否にして、かわりにbk1が改めて発送し直しをする」ということで話がついたのである。途中対応に錯綜が見られたが、最終的にbk1カスタマーデスクのHさんから電話があり、話がつく。けれども本屋では手に入りにくいと思われる本が、目の前まで(しかも3冊も)来ているのに、冷たくお断りしなくてはならないのは本当に残念だ(代金引換便のため、一旦受け取って余分は返品、と言うことが出来ない)。電話の際にも、ダブリの時にはあったのに再発送しようとしたらもう品切れだった、などと言うことがないように、とつい念を押してしまう。おまけのブックカバーもちゃんと頂戴ね、とこれまた念を押す>物欲の人
これとは別に、発作的に昨日bk1に注文した『魔術師マーリンの夢』が、今朝もう届いた。早い!マーリン、と言えば「魔法使いマーリン」と言う方が馴染みがあるが、原題は単に"Merlin
Dreams" である。個人的には「魔法使い」が好き。ガンダルフも魔法使い。ミスランだと魔術師だろうか。
リーダーズだとmagicianは「魔術師, 呪術師; 奇術師; 魔術的な技量のある人」、wizardは「魔法使い」らしいが、普通マーリンにかぶせられるのはどっち(あるいは何)なのだろうか?
『遥かより来る飛行船』はちょっとお休みして、山尾悠子「水棲期」、「ハドンの肖像」読了。劇場、奈落、水、水に沈むもの、などへの愛着がここにもある。
2000.0719(水) |
購入本 『詩とメルヘン』8月号/サンリオ |
井上直久さんの特集なので、『詩とメルヘン』を買う。
『遥かより来る飛行船』は次第に怖い展開になって行くが、突然飛行船が(以下略)。ツボです。
読売新聞夕刊文化欄に沖縄本などの記事。目取間俊が出ているのに池上永一にふれないのは片手落ちだ>新聞社にはどうやってメイルするの?
自分の掲示板にかまけていたら寝る時間が〜。だって面白かったんだもの。この辺から後。今日はそれで代用>ずぼらな本性。
2000.0718(火) |
昨日の購入本 南條竹則/『恐怖の黄金時代−英国怪奇小説の巨匠たち』/集英社文庫 |
ニュースでは「真夏並みの気温」だとか。今が真夏じゃなければいったい何!!(ほとんど怒)
職場に、時々出入りしている他企業の人から電話があった。以前は研究生としてしばらく出入りしていた人なので皆とは顔なじみ。折悪しくご指名の人が席を外していたので、あとで電話すると言うことにして電話番号を訊く。「直通ですか?」「いや、違いますが名前を言えば通じます」「有名だからね。社長って言えば繋がりますね?」「いや、会長と言って下さい」「わかりました、名誉会長ですね」なんて他愛のない冗談を言い合って電話を切る。ご指名の人が戻ってきたので電話があった旨告げ、「代表電話だけど○○さんて言えば繋がるって。会長ってお呼び、って」するとご指名の彼、いきなり「えっ?なんだろう。どう言うことだろう、会長って。なんなんだろう??」と一人で頭をひねり始めたので、話を続ける気をなくしてしまった。
あー、「ワケワカメってどういうこと?」って真顔で訊き、説明されると今度は「どう言うときに使うんですか」「こういう用法でいいんですか」としぶとく問い返す、という人もたまにはいるけれど、よくわからないなりに「冗談かも?」とすら思いつかないような人はイヤー(疲)。
昼休みは『遥かより来る飛行船』の続き。好みだー。夜は先日エレホンからの使いが湿気の多い空中を泳ぐように運んで来てくれた、山尾悠子「水棲期」を読み始める。
2000.0717(月) |
購入本 斎藤たま/『野に遊ぶ』/平凡社ライブラリ メルヴィル/『白鯨』上・下/講談社文芸文庫 |
ようやく梅雨明け。ずっと明けていた気がするが、さすがに今日は暑い。7月なのに酷暑。
bk1に、どうせ買うのだからと24時間以内配送の『白鯨』を注文したのが土曜の夜で、昨日の朝に出荷完了のメイルが入り、夕方には届いていたのだが不在のため管理人さんにお預け。手元に届いてしまえば本屋と同じ新刊本ではあるけれど、自分宛の荷物が届くのって、まちどおしく嬉しい。
ついでに、と思って「買い物かご」に入れ、一旦は「次に買う本」のコーナーへしまっておくのだが、どうせそのうち買うのだから、とまた「買い物かご」へ移動して、買うボタンを押す…こわいだよ。(以前からヤマトのおにいさんとはなじみなので良かった>有里さん。そこらで見かけても次男が「あっ○○さんだ、○○さぁん!」とヤマトのおにいさんを呼ぶのだ)
でもって、bk1のダブリ(トリプリ)注文は未だに解決しないです。ヤマトから配達の連絡は来ているのだが受け取れないまま。
なぜってそれは4冊の注文が3回だぶってしまったもので、しかも4冊がいっぺんに来なくてそのうち1冊(×3)だけが先に配達され、しかもどうやらその3冊は同じ伝票番号が付いているところを見ると同じ梱包で来るらしい、さらにそれは代金引換便なのだ。そんなわけで、ダブリの2件分を受け取り拒否してくれというbk1の指示に対応できないのだ。お願い、早く問い合わせの返事下さいー。
ところでこちらの便(最初の注文)におまけのブックカバーが入っていると思われる。先着1万名様、って、同一人物が注文した場合、注文ナンバーが1万以内でもだぶってくれるわけじゃないらしい。だって『白鯨』は7000番台だったけれどブックカバー入っていなかった。むう。
井辻朱美『遙かより来る飛行船』を昨晩から読む。まだ初めの方。
私が小学生の頃、飛行船と気球とヘリコプターが順番に出てくる同じ夢を何回か見た。それはお話仕立てになっていたようだ。チョコレートやキャンディを包むピンクやグリーンの色つきの銀紙、それがどうやら飛行船や気球に姿を変えるらしい。今でもだから飛行船を見ると、心の底ではカラフルな銀紙で出来ていると思っている。飛行船への愛着はこの夢のせいもあるらしい。
コトン、パルメラン、エルガーノ、とそれぞれ違った系統の作品のうち、これはパルメラン系らしい。どの系統が好きか、と言われたら困る。強いて言えばパルメラン系だろうか。
2000.0716(日) |
月食の夜、はじまりの頃は用事で屋内に。やっと丸の内線の後楽園駅の外に出たのは9時45分頃になっていた。目の前には東京ドーム、その向こうに新しい東京ドームホテル。その更に上に、7日の月ほどに欠けた月が、それでも皎々と光っていたが、その光と影の境目はふだんの欠け方とは違ってぼんやりと曖昧に見えた。目の前の歩道橋に登って、皆既食を待つ。ドームから吐き出される人々も、月が欠けて行くに連れて空を見上げ始める。
ちょっと目を離してまた見ると、明らかに食が進んでいるのがわかる。けれども、もう少し、と言う段になってからなかなか皆既食にならない。気がつくと10分、そして15分ほどが経過していた。右手から近づいてくる切れ切れの雲の切れ端が気になる。もう少し、そしてもう少し…!人波が、歩みを止める。
いよいよ月の輝きが消えた!という瞬間、あたりからは一斉にやや抑えた歓声と拍手がわき起こったのであった。歩道橋の上に立ち止まって月を降り仰ぐ群衆、打ち振られるメガホンと低いコールの声は「きーよーはーら、(ちゃっちゃっちゃっちゃっ)、きーよーはーら、(ちゃっちゃっちゃっちゃっ)」……。
しかもそれは折から切れ切れに流れてきた薄雲のきれはしが月を隠しただけのことで、ほんの1分ほどすると、赤黒い球体の片隅にまだほんの小さな光のかけらを残した月が、再び姿を現したのだった。
それからさらに数分、ほんとうに月が皆既食を迎えたときには、先ほどの群衆は姿を消し、それでも何十人かの月見びとたちが、静かに、東京ドームホテルのネオンの上にぽっかりと浮かぶ月球を眺め、立ち去るタイミングを計りかねているのであった。
地球の昼の部分から影の部分に回り込んでくるという長波長の赤い光に照らされた皆既の月は、なぜか妙に立体的で、いまにもゆっくり回転しはじめそうな気がして、目が離せないのだ。
隣で見ていた家族連れ「月食、200年にいっぺんなんだってさ」「そうかー。じゃあつぎは200年後にならないと見られないんだー」>違う、ってば。
皆既になっても月面が赤いのは、を解説する職場の物知り曰く「月から見ると地球は満月状態なんだよ。だから地球の照り返し、それでうっすら光るんだ。地球照って言うんだよ」>違います、ってばー。
2000.0715(土) |
購入本 カミ/『エッフェル塔の潜水夫』/講談社文庫 戴き本 風見潤・編/『見えない友だち34人+1』/集英社文庫 花 コバルトシリーズ<<背表紙の「花」って何 |
上の子どもたちはそれぞれ試験休みだのお遊びだの補講だの答案返却日だの、入れ違いにスケジュールが錯綜しているので、「勝手におし」状態である。昨晩は「くたびれたから明日は朝起きないからね!」と宣言して寝た。
朝、寝床に聞こえる目覚まし代わりのFMの様子から、7時過ぎのようである。それにしては、もうすぐ出掛けるはずの長男の気配がない。休みの日だけなぜか早起きの次男に、「ニニ起こしてきてー」と半眼状態で頼む。
そのちょっと後、時計を見てアレッと思い起き出すと、一足先に起きていた長男が制服に着替えてミルクティを飲んでいる。今から出発と言うところ。いやに悠々としているので「きょうは遅いの」と訊くと、「いや、いつもと同じ。いつもこの時間だから大丈夫」と時計を見ながら自信ありげに言う。「そうなの、いつもより丁度1時間遅いよ」と指摘すると長男の目が時計に貼り付き、ゆっくり笑みが広がった。「やったー…遅刻だ」
開き直って悠々と出て行く長男を見送ったあと、あぢゃー、と言いつつ学校に遅刻の連絡を入れる割りの悪い役目は母親なのよねー(ばき)。たーっぷり1時間遅刻した彼を見て、親切な担任は「どうした、顔色悪いぞ!」と真剣に気遣って下さったそうだ。ありがたやー(ばきばき)。
スーザン・プライス『オーディンと呪われた語り部』を読み終わる。原作は1986年、有名な『ゴースト・ドラム』は87年である。『ゴースト…』にでてくる、魂達が死人の体に入ってそれを動かすという化け物が、ここに登場しているのであった。シンプルな伝承物語の形を借りた、短いが筆力のある物語で、かなり気に入った。この時すでに例の『ゴースト・ドラム』は作者の脳裏に形づくられていたのだろうか、既に物語として書き留められていたのだろうか。ちなみに『ゴースト・ドラム』最寄りの図書館に所蔵。えらい。
新装版岩波少年文庫の中から、カニグズバーグ『ティーパーティの謎』を読み始めるが、どうもこの頃すっかり頭がファンタジーづいてしまって、リアル系を受け付けないようだ。うーん。こんな時こそモリス作品集とかを読むべきか(ランプリエールはどうするの)。ちょっと逡巡している今日である。
突然ですが池上永一様はあと。
2000.0714(金) |
次男のお願いが天に通じたか、雨の天気予報にも関わらず曇りだったので、地区の盆踊りが無事に催された。地域内にはここ十何年、大きなマンションとしては100戸くらいのと350戸くらいのと二つがあったのだが、この3年あまりの間に400戸ほどの大規模マンションと百数十戸のものが相次いで建ったので、区立小・中校も一時期から比べて生徒数がだいぶ増えた。そのため、昨年に続き今年も、盆踊りは大盛況である。
今日も食券を買う列の前代未聞に長いこと!それが順次、焼きそば、わたあめ、フライドポテト、かき氷、ポップコーンなどに移って行くから、いつまでたっても行列に終始する(疲)。盆踊りのためにぽっかり出来たようなおあつらえ向きの公園はすごい雑踏である。屋台はほとんどが町会の役員・有志の素人屋台で、ぶきように焼きそばをひっくり返すのは娘の友人のお母さんだったりする。
唯一の外部の屋台であるおでんを買いに行くと、以前一時期次男の保育園のお迎えを頼んでいたお宅のおじさんがビールを飲んでいる。おばさんは年に一度の大好きな踊りにいったっきり戻らない。照れ屋のおじさんと次男をはさんで食べる、暑い日のおでんと冷たいビールもまたおつなもの。
生ビール(くじつき)で2回はずれたけれど、なぜか景品のかっぱえびせんがほほえみ付きで落ちてきたので拾ったり、ヨーヨーつりでおまけ1個もらったり、かき氷大盛りと言ったら受けていっぱいくれたり、おでんが先ほどのおじさんの顔でうんとまけてくれたり、子供のくじでおしまいのほうになったのでどれでも3個持ってけと言われて取ったらいきなり6個になったり、はあ何だか今日はすごーく得したいい日なのであった。
昼休みに脇目もふらず『月の森に、カミよ眠れ』読了。途中のキシメの独白がやや長すぎるきらいがあるが(ナガタチの合いの手が入らない方がいいような気がする、ちがう構成の仕方があったのではないか)、日本の古代の山奥の狩猟民族が、稲作を推奨する朝廷にからめ取られて行く様と、カミとして掟のなかで敬いかつ交流しあっていたものを、社会の進歩(変化)の要請により封じて祭り上げる、あついはオニとして退治するという、不可逆的な大きな変化を描き、ファンタジーとして驚くべき作品になっている。
クライマックスでナガタチとタヤタが相対しキシメの選択で決着が付くか、と言うところで、読者が胸を裂かれるかのようないわばどんでん返しがある。ここは「もののけ姫」でシシ神が夜空を背景に大きく変身する…というところで火縄銃が点火してしまい首が飛んでしまう、点火さえしなければああはならなかった、という所、それと非常に似た取り返しのつかなさを味わわされる。ここでも守人3部作で常に描かれている、個人(の決断や意志)と社会(歴史の流れ)の相克が、非情に現されているのであった。
歴史の奥深くにこういう喪失がいくつも畳み込まれているのであろうと思うと、月並みではあるが進歩とは何、と思う。それでも後ろ向きに歩いていくことが出来ないのも事実で、だから、進歩とは良くなることではなくて、単にその方向しかないからと言う理由で前を向いて歩くだけなのだろうか。おおこれではまるで謎なので、ぜひ読んで下さい>上橋菜穂子
この人は、これからもっともっと書ける人だ、と思う。上橋菜穂子という名は純情可憐で線が細く見えるが(へんけん)、実に骨太で芯の通ったものを持つ作家だ。現在の日本のファンタジーを語る上で避けて通れないひとりだろうと思う。それにつけても自分の不勉強を痛切に感じる。
2000.0713(木) |
購入本 上橋菜穂子/『隣のアボリジニ』/筑摩書房 磯淵猛/『紅茶の国 紅茶の旅』/ちくま文庫 リンゼイ・デイヴィス/『鋼鉄の軍神』/光文社文庫 花郁悠紀子/『アナスタシアとおとなり』/秋田文庫 月刊『ムー』8月号/学研 戴き本 月刊『本の話』6月号/文藝春秋 〃 7月号/ 〃 |
なんかよれよれ…。いつもは瀑睡と言っても、次男を寝かし付けて「やっと寝付いた、やれやれ」と溜め息の一つもついて寝返りを打つ…あたりまでは記憶にあるものだが、今日は枕に頭をつけて次男に「おやすみー」と言ったところ以降の記憶がない。
本日の購入本の欄を書いている途中の誤変換「更迭の群臣」に失笑。あまりにもタイムリーな誤変換ぢゃ。
2000.0712(水) |
昨晩寝しなに、扇風機の風が顔に当たってうっとうしいのに起きて向きを変えるほどには目が覚めていない…でもうっとうしい…でも起きられない…という状態が続いたので、今日はいちにち頭の回りに漫画みたいに水玉がぷかぷか浮いている状態。死にそう。
『精霊の木』感想にほんの少々加筆。『月の森に、カミよ眠れ』読み始める。
牛乳の消費量が増える季節なのに、いったい雪印は何たること…。我が家はほとんどが生活クラブ生協と東都生協の牛乳であるが(1週間に8〜10リットル)、さすがに、生協の牛乳もいったい大丈夫なのかいな?と思いたくもなる。しかしどちらの生協も、「うちの牛乳はこれこれこんな風にしているから大丈夫です」のようなチラシは入ってこない。私としては何らかのそういった安心材料となるチラシを入れた方がいいのではないかと思うが、敢えて入れないのは不必要にに不安をあおることになるからだろうか。じつはあわてて検査している最中で、しかもアヤシイ結果がでていたりして…おおこわ。あーやっぱり不安をあおるかも。
この生活クラブの牛乳は、6月から、紙パックから軽量ガラス瓶に包材が変更になった。入れ物が愛嬌のあるひょうたん型の瓶になっただけでおいしくなったように思えるのは不思議だ。これと共に週1回の配達から、週2回の早朝配達になったのでありがたい。ぐびぐび。
2000.0711(火) |
購入本 とみなが貴和/『EDGE』/講談社X文庫Whiteheart 〃 /『セレーネ・セイレーン』/〃 |
銀行の通帳が、三月も前に一杯になってしまったので、とろけそうに暑い中、職場から二駅先の支店に行く。昨年支店統合のため職場から3分の最寄りの支店がなくなってしまって不便この上ない。職場近くは大きな商店街があるため、以前支店があったときはいついってもそこそこ混んでいたのに、二駅先の支店は住宅地にあるためいつもがらすきである。たぶん職場・職場近くで銀行を乗り替えた人(商店)は多いと思うぞ。つぶす支店を間違えたんじゃないか>S銀行
『精霊の木』読了。作者も後書きで言っているように機械ものには弱いようで、30年くらい前のSFもどきを読んでいるような違和感がある。生体更新装置だの環境調整局だの、ドームに包まれた都市だの…。SFと思っちゃだめ。
『「出版」に未来はあるか?』や『愛の見切り発車』、『幻想文学 58号』などをあちこち読んでいるが、『愛の見切り発車』のあとがきを何気なく目にしたら、著者の柴田元幸が、安原顯と、そのヤスケンが『「出版」に未来はあるか?』でくそみそに言っている某M女史を並べて謝辞を述べているのに笑ってしまった。なんてタイミング。
オンライン書店bk1がオープン。早速午前中に4点注文してみたが混雑のためはじかれてしまい、夕方もう一度トライし注文が通る。しかし帰宅してみたら、その両方とも注文が通っているという確認メイルが届いており、つまりダブリ注文になってしまっていた。キャンセルはダメとか書いてあったけれど今回はちゃんと受け付けるように>bk1
2000.0710(月) |
購入本 小田光雄/『出版社と書店はいかにして消えてゆくか』/ぱる出版 シェイクスピア/『テンペスト』/ちくま文庫 G・ガルシア・マルケス/『幸福な無名時代』/ちくま文庫 新田穂高/『ぼくたちの古民家暮らし』/宝島社新書 『母の友』8月号/福音館書店 『こどものとも』8月号/ 〃 |
先週は季節ものがだぶって冷蔵庫がぎゅうぎゅうだったが、実はほかに義母からあんず3kg近く、というのも届いていたのである。知り合いの所に行ったついでに買って送ってくれたのだが、まだ未熟。了解済みではあったが、すっぱいあんず3kgは多いよ>おっかさん
しばらく放っておいたが、いわゆる杏色に色づいてきても、味の方はぼけるばかりだから、きのうは自動的にジャムつくりと相成った。最近はジャムの在庫がだぶついているので、空き瓶もどんどん捨ててしまっていたから、空き瓶さがしから始まる。大鍋に砂糖をごく少量の水で煮とかしシロップにした中に、皮も付いたまま二つ割りにしたあんずをごっそり入れ、ひたすらことこと煮る。いい匂い、いい色…。今回はなかなか煮詰まってくれないので少し火を強くしたら、若干鍋底に焦げ付いてしまったが、なんとか全体に影響ない程度にとどまってくれたので一安心。砂糖の量はあんずの重量の約半分にした。
煮沸消毒した瓶に注ぎわけて、軽くふたをし、瓶ごとお湯を張った鍋でしばらく煮沸、さめてからふたを完全にする。本当はふたをきっちり閉めてから圧力鍋で煮ると、中の空気が抜けて真空度が高まるのだが、破裂しそうな気がしてあまりしたくない。ガスバーナーとか、湯沸かし器とか、キャンプのストーブ、ランタンなども、じつはおっかないのである。毎日ご飯を炊くのに使っている「こなべちゃん」という商品名の小型圧力鍋だって、最初はへっぴり腰だったのだ。出来上がったうちひと瓶は次男の遊び相手のうちに差し入れ。
けさはこのジャムをヨーグルトに落として、「見て美しく味わっておいしい」を実感。こんなこともし・あ・わ・せのひとつ。
『精霊の木』は滅びた種族との接触が間近となり、上橋菜穂子の本領が発揮されてきた。しかし、常識的な1冊の分量に納めるために、ずいぶん物語の進行を急いだのではないか、と言う気がする。
補足:昨日の佐野洋子のミシンのエッセイは「ダ・ヴィンチのミシン」という題名である。
2000.0709(日) |
古本 佐野洋子/『がんばりません』/新潮文庫 |
時間待ちのために入った古本屋でみつけた『がんばりません』は『佐野洋子の単行本』(本の雑誌社 昭和60年刊)の改題である。この前の『本の雑誌』7月号の島村洋子「足踏みミシンと小公女」で、何年も前の同誌に掲載されていた佐野洋子のミシンの話を思い出した(というより、忘れたことがない)。隣から壊れかけた足踏みミシンを借りてくる話である。いまの幸せ一杯の彼女もよいけれど、その頃の、世間を斜めに見ているような、でも一生懸命な佐野洋子が好きだった。当時の連載が一冊になったのが『佐野洋子の単行本』である。この元本は実家に埋もれているので、ついまたあのいとしいミシンに再会したくて手に取ってしまった。
そのつもりはなかったのについ「アルマゲドン」(WOWWOW)を見てしまった。まるでアメコミ(たぶん)。わー、製作陣が楽しんで作ったに違いない。SFのイラストあるいはアメコミそのままの小惑星上で、アルマジロが断崖絶壁を飛び越えるあたりで爆笑。一度劇場で見てきた娘はしきりに涙を拭いて感動していた様子。そう言う楽しみ方もありとは思うが。確かになかなか面白かった!
『精霊の木』半分くらい。昔の少年少女SF小説、という感じで、しかも作者自身がSF慣れしていない感じなのでなかなか世界に入り込めなかったが、ようやく流れに乗れた。要するに先日読んだ『夢の守人』も、この処女作のひとつの変奏曲なのだな、と強く感じる。過去との繋がり、自分をこえた大きな理の中での自主性。過去からの流れの中で自分の道を選び取ること。
日経新聞の書評欄(SF)に、小谷真理が大きく『山尾悠子作品集成』を取り上げている(函の写真入り)。「感動を覚える」というくだりも。
2000.0708(土) |
購入本 高田衛/『江戸幻想文学誌』/ちくま学芸文庫 スーザン・プライス/『オーディンとのろわれた語り部』/徳間書店 荒俣宏・編/『ク・リトル・リトル・神話集』/国書刊行会 |
やんごとなきご用で上京なさったぢょおうさまこと踊るらいぶらりあんさまに拝謁つかまつりに池袋リブロへ行く。
昨日からの台風はものすごく、おそらく雨風の音で起き出したのだろう、次男が朝まだきにトイレに行って戻ってきて「ママ、すごい雨…」と言ったのを夢うつつに覚えている。幸いに朝起きると雨はほとんど降って居らず、約束の10時半までにはほとんど上がってしまった。雨女1(ら)と雨女2(ま)の相互作用でうち消しあってくれたのであろう。
らいぶらりあんさん、まおさんとリブロで1時間あまりそれぞれ本を物色した後、遅れてきたじょにいさん(掲示板でおなじみ)と落ち合って、おなかへったー、といいつつ西口の台湾飲茶屋に移動する。地上に出るとなんとまぶしい台風一過のカンカン照り。
Webの話、人生の座右の銘、家族の話、幼い頃の不思議な思い出、なまものあるいはいきものの話、著作権の話、図書館の話、そしてなにより本の話、などなど話題は尽きることなく12時過ぎから4時近くまで、よくまあねばった事よ。さすがの本場ウーロン茶も、何煎めかわからないくらい出しに出して力つきた様子。透き通った緑色も美しい翡翠餃子が夏らしく涼を呼んで美味。
写真を撮るのも忘れて話し込み、これから新幹線で帰られるらいぶらりあんさんを送る地下鉄の改札であわてて記念撮影をする有様である。自分用、職場用と、腕が震えるほどたくさんの本を買い込まれたぢょおうさまと、恒例のばんざいにてお別れ。しかしやんごとなきご用とは何ぞ>ぢょおうさま
昨晩、『火のドラゴンの秘密』読了。んー、題名から想像したのとはだいぶ違い、しかも最後はホラーめいた終わり方になっている。フィンランドの伝説に題材を取ったという、ロシア人の作家による物語。フィン人の主人公ヤッコ、おさななじみの野性的で呪術師的素質を持つエリサがロシアに連れて行かれ、のちにヤッコが錬金術にとりつかれ、炎の中に火のドラゴン(サラマンドラ)=エリサを見て…というような話。時代の大転換が背景になっている。子供向きではない訳で読んでみたい気のする作品だった。
2000.0707(金) 七夕 |
図書館本 上橋菜穂子/『精霊の木』/偕成社 〃 /『月の森に、カミよ眠れ』/ 〃 |
昼休み『幻想文学』58号収載・山尾悠子「月暈館」(げつうんかん)を読む。先日『〜作品集成』で「ゴーレム」の最後、世界を映す鏡たる海を読んだばかり。それに呼応するようにこの作品は海べの情景から始まったので、正しい順序で読んだような気がする。しかしラストは閉ざされた闇に引き込まれて行く。
七夕の今日、いつの間にか関東直撃コースに入っていた台風3号。ああ驚いた。
娘は明日、期末試験の最終日だが、台風のため月曜日に延期となったという。土日にぱあっと羽根を伸ばしたい当人は大くさり。昨日で試験が終わって明日から補講の長男も、連絡網で「明日は中止、月曜から開始」という知らせが回ってきた。連れ合いも日中は在宅。私ひとり、午前中から池袋で人に会う予定が入っているのだが、一体大丈夫か?
職場に電話がかかってきて、昨日リクエストた上記2冊が用意できたという。すばやい!「リクエストするとき検索なさいましたか?」と言うので、作者別になっている書架を見たがなかった、と返事した。「1冊は書架にあったんですよ。もう1冊は倉庫(閉架)にありました」書架になかったなかったなかったもん。と主張してどうする>自分
上橋菜穂子の1冊目の本『精霊の木』は、なんとSF仕立てである。
2000.0706(木) |
購入本 マルセル・エイメ/『壁抜け男』/早川書房 図書館本 オドエフスキィ/『火のドラゴンの秘密』/ポプラ社文庫<怪奇・推理シリーズ> |
連れ合いのいとこが、一昨年の11月に結婚したが、彼はその後まもなくサラリーマン生活にピリオドを打ち、奥さんの実家である農家の手伝いをすることになった。で、昨年送ってきたのが枝豆の山である。消費しきれないのであわてて近所に配った。今年もまた枝豆の季節になり、またまた来ました箱一杯の枝豆。この山一体どうしろちゅうねん。来年は別の作物を任されますように(願)。
出勤前の忙しいところ、茹でなくちゃ味が落ちる〜、タイムリミットだー、とせっせともいで茹でた。莢や枝がしゅふしっしんの手のひらに刺さって悲惨な有様に…。今年の枝豆は昨年に比べて実が入っていておいしかったので許す。茹できれない1/3は知人らに進呈するが、夕方帰宅したら生協の個配でも枝豆が来ていた。季節ものはどうしても一時に集中する。
季節ものは重なる、の続き。
日曜日に連れ合いが、山形の知り合いに、お中元としてさくらんぼを注文した。自宅用にも頼んでいる模様。月曜日、2箱(4パック)届いていたので、早〜い、と思いつつ早速ぱくつく。火曜日、更に一箱(2パック)知人から届いた。重なるときには重なるのね〜、と嬉しい悲鳴を上げつつ食べる。水曜日、生協で小1パック届く。先週注文した分だ。ため息をついていると連れ合いが「日曜に注文したのはいつ届くかね」と言う。そうだったのだ、月曜に届いた4パックは、別な知人からのものだったのだ。そして今日、日曜に注文した分が2パック届いたのである。合計8パックと半…。@@ もったいないから意地でも食べる。うっぷ。
オドエフスキィ『火のドラゴンの秘密』を読み始める。都立多摩図書館からのもの。懐かしい〜。中3から大学卒業後1年まで、そこから10分ほどの所に住んでいたのだ(ね、MAKIさん)。よく中学のクラスのみんなで勉強しにいったものだ。高校も近所で通学路と言ってもいいくらいだったので、これまたしばしば利用したものだ。夏休みはご多分に漏れず日参して、目の前のお店でバニラアイスバー(あたりつき)を買っては食べていた。しかしよく当たったなー、あのアイスバー。
これはきちんとした訳ではなくて、原題「サラマンドラ」が子供向けにリライトされたもののようだが、「うちの子のパヴリはどうしたんだろうねぇ」なんて母親の台詞はちょっとどうかと思う。それはともかく、残念ながら今日は昼休みの居眠りの友として胸に抱かれていたのであった。
2000.0705(水) |
文化的行事三日目。終業後カザルスホールにて「ミュージシャンズ・オヴ・ザ・グローブ」の本公演。昨日の豪雨の記憶が新しく、一日空模様が気にかかる。何となくずーっと怪しげな雲行きだったが、幸いに雷が少しと、雨がほんの少しぱらついただけで済み、胸をなで下ろす。聞いたところによれば、出演者達もきのうはNHKからホテルに戻るのにタクシーがなかなか拾えず、大変な目にあったらしい。ソプラノのお姉さんがとても澄んだ優しい声で、聴いていて幸せな気持ちになる程。ヴァイオリン、リコーダー、シターン、リュート、バンドーラ、ガンバのアンサンブルに、今回特別に道化役が同行し、シェイクスピアの時代のグローブ座の音楽の雰囲気を、という趣向である。それはそれは楽しかった〜!!観客がおとなしすぎー。
『隣のアボリジニ』を終える。後書きに、物理のように、うんぬんと書いてあり、「観測問題」をちゃんと認識しているのだなと思った。この点については上橋菜穂子はかなり神経質になっているようだ。おそらくもっとたくさん書ける材料を持っているのだろうと思うが、彼女の良識としては今はこの形で、と言うところなのだろう。オーストラリアのアボリジニ政策について、ほんのアウトラインしか知らないことを痛感する。
2000.0704(火) |
文化的行事二日目。午前中せっせと働き、午後2時過ぎから早退して、NHK放送センターへ。「ミュージシャンズ・オヴ・ザ・グローブ」のスタジオ収録見学である。
案内されて102スタジオに行くまでの道筋は迷路のようで、衣装べや、楽屋、化粧室、放送中のスタジオ、などが混在していて、興味津々。と同時に、地震や火事でもあったら怖そう。幸いに収録終了まで何事もなかったが、玄関にたどり着いてみると雷雨襲来。渋谷駅まではタクシーで濡れずに行けたが、JR線に乗って下車駅へ着くなりホームには激しい雨風が吹きつけ頭上にはまさに電光と雷鳴。こんなものすごい雷雨は見たことない。降りた人の多くは駅の出口で立ち往生、青紫や白色の閃光の中、私も結局小一時間「様子を見る」はめになってしまった。昨日一滴も雨に遭わなかった分今日にまとめてきたらしい。実際首をすくめるくらいの雷と、とても出る気になれないほどの豪雨であった。小走りに駅に駆け込む人は皆頭上に避雷針を立てているかのよう。
『隣のアボリジニ』続き。明日が返却期限である。都立中央図書館は、なぜに本のカバーを外してしまうのだろうか?
文化人類学のフィールドワークの「観察」にも、対象を観測(観察)することにより対象の行動を変化させてしまうという避けられない問題があるというくだりに、物理学の「観測問題」だわね、と思う。人類学では物理学などとはちがって観察者のレポートの記述法に一定のルールを作りにくいから、この問題の処理は観察者によって千差万別なのだろうと想像される。読者の側もそういったレポートを一面的に鵜呑みにせずに出来るだけきちんと判断しなくてはならないと自戒。
2000.0703(月) |
『山尾悠子作品集成』出版記念パーティ@東京ステーションホテルへお誘いいただく。発起人筆頭の小松左京氏をはじめ、小谷真理夫妻、東雅夫氏、西崎憲氏、櫻井清彦氏、倉阪鬼一郎氏、大森望氏、佐藤亜紀夫妻、ひかわ玲子氏、石堂藍氏、ほか、なんだかたくさん有名人ばかりいて記憶容量オーバー。ちょっとメモだけ。
・ださこん3でお会いできなかった山尾悠子さんその人にお会いできて、感激。・装丁の柳川貴代さんに、あのような装丁になった経緯などを伺う。・佐藤亜紀さん(背が高い)に声をおかけして、『鏡の影』復刊、ヴァイオリンのことなど。・国書刊行会の礒崎純一編集長(お若い)とローカルな話題など。・西崎憲さんはすてきだ。・倉阪さんの黒猫ミーコちゃんとたくさん握手。石堂藍氏と有里さんはいい勝負かも。などなど。
行き帰りに『「出版」に未来はあるか?』を読んでいたが、ことに安原顯の言いたい放題ぶりに、地下鉄内で笑い出しそうになることがたびたび。
昨晩からの「ゴーレム」は、『仮面物語』の原型とも言える版だが、作者自身が失敗作とおっしゃる『仮面物語』の彼女独特の暗く装飾的なイメージもやはり捨てがたいと感じる。ラストの海=世界を映す鏡の出現にインパクト有り。
2000.0702(日) |
購入本 井家上隆幸・永江朗・安原顯/『「出版」に未来はあるか?』/編書房 柴田元幸/『愛の見切り発車』/新潮文庫 〃 /『アメリカ文学のレッスン』/講談社現代新書 季刊『幻想文学』58号 女性ファンタジスト2000/アトリエOCTA 戴き本 長谷川知子・中島信子・さねとうあきら/『何だ難だ!児童文学』/編書房 |
のどに出来たあせもに汗がちくちくしみる。シッカロール(汗知らずとも言う・さすがに天花粉とは言わない)をつけたい気分だ。今年の夏がまたこんなに暑いのなら梅雨は明けなくても可。
連れ合いと池袋に出るが、昨日からのこの急な猛暑と百貨店内の効きすぎの冷房のため体調を崩す。
『幻想文学』58号は平積みの山がだいぶ低かったが、初期値はどのくらいだったのだろう。東逸子の表紙絵がいかにも幻想幻想していて好き。内容は、とにかく「買い」です、と言っておこう。2冊欲しいかも。
山尾悠子メイルインタビューは、思ったよりずっと長い。読者からの問い…白鳥に餌を投げて15年…2ヘクタールの池…うーん@@。あっ、池の畔にあつめて植えてあるという花が、みーんな私の好きな花。作品集成の表紙の天使は、見覚えがあると思っていたらバーン・ジョーンズであったか。
山尾悠子・長野まゆみ・寮美千子・水原紫苑・上橋菜穂子がメインの特集で、このほか女性ファンタジストのレビューが詳しく、お役立ち。ちょうど最近読んだ作家・興味のある作家(山尾、長野、寮、上橋、レビューには井辻朱美ら)が取り上げられているので実にタイムリーだ。石堂藍氏のレビューは、ファンタジスト、新刊書評のどちらも簡潔・的確で、自分が読後もやもやっとして残った部分や何となく引っかかった部分がたいてい取り上げられて断罪(て言うか)されており実に有用だ。やはり「プロの書評」は違うなあ!学ぶもの多し。
『山尾悠子作品集成』から「ゴーレム」を読む。ほかの作品のこれまでの版との異同についてはおいおいに楽しませていただこうと思う。
異同と言えば、先頃出た『星虫2000』(と言っておこう)は、パラぱらっと見ただけでも手が加えられているのがはっきり分かる。『鏡の影』はどうなのだろうか?
明日明後日明々後日と、めずらしく3連チャンで文化的行事の予定が入っている(本当は今日も入れて4連チャンのはずだったのだけれど体調悪化のため断念)。大丈夫かしら〜、上の子達は期末試験だ、っていうのに。
2000.0701(土) |
突然の猛暑に、いきなり夏ばて・あせも、その他諸々。夕ご飯までそうめんになってしまった。いちにち汗の中を泳いでいるような感じ。次男が「いつ夏?」というから反射的に「もう夏だよ!」と答え、「もう夏なの?」と改めて不思議そうに問われて初めて、あ、まだ梅雨明けしてなかった、と気付いたのであった(仮死)。冷ウーロン茶(自作)、冷紅茶、冷梅ジュース、冷牛乳、冷水、はてはアイスキャンディ、氷などなどのオンパレード。
日中がんばって自然を感じていたが、夜になりエアコンの有り難みを知る。そのあとは『夢の守人』の感想書き、などで時間がつぶれ、合間に安房直子『夢の果て』など。表題作のあんまりと言えばあんまりな終わり方に思わずひえぇぇぇ〜!と声をたてる。
本を一生懸命買う人の総数はそれ程変わることが期待できないから、ネット書店が出来て便利になっても、リアル書店からはその分だけ客が流れて行ってしまい、結局書店は新刊・雑誌の売れ筋をおくしかできない。書店が細分化・専門化しても売上げの伸びは期待できず、ある期間の後に客が付くかもしれないとしても、その期間を乗り切ること自体むずかしいだろう。小さい出版社がネットで直販することは読者と出版社にはプラスかも知れないが、書店には何の利益ももたらさない。などなど。
とは本が専門ではないけれど流通に足を突っ込んでいる連れ合いのお言葉。
<2000年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月
<1999年> 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
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