日時計 2000年4月 日記

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▲最新の日記▼読了本

2000.0430(日)
購入本
須永朝彦他/『書物の王国20 義経』/国書刊行会
ピート・ハウトマン/『時の扉をあけて』/創元SF文庫
中井英夫/『中井英夫全集11 薔薇幻視』/創元ライブラリ
『怪』八号/角川書店

 午後から息子二人を連れて星野道夫展(浅草松屋)に行くつもりでいたが、午前中スキー板を買いに出た長男(と連れ合い)が一向に帰らず、延期。付け足しの用の方のみ足しに、息子らと池袋へ行く。

 駅前のユニクロでは相変わらずの行列なのでやめようと思ったが、聞けばほんの5分待ちとのこと。何のことはない、実際待ったのは6分だった。ここで息子達のTシャツほかを仕入れたのち東武百貨店の催事場「日本の味」に行く。各地のおいしそうなものが一杯!
 お菓子は、山形の富貴豆(ふうきまめ)、富貴豆のどらやき、島根のふろしきまんじゅう、富山の玉天、夕食用に柿の葉寿司と鮎寿司などを仕入れる。ホタルイカの沖漬けは売り切れでがっかり。富山の鱒寿司で、やたらあちこちに出回っている青山のよりずっとおいしい川上のがあったが、さすがにあきらめ。イカめしだのいちご弁当も食べたい〜。会期が短いのが残念だ。

 『ジョン・ランプリエールの辞書』が気になって、リブロで実物を見ようと思ったのだが見あたらない。何せ高いのでさすがに買えない。連れ合い用に『怪』八号を買いに行ったはずが、なぜか4冊に増えた。高いと言えばこのうち『薔薇幻視』は文庫だがカラー写真がたくさん入っており、そのためか厚さの割りに1900円という値段(泣)。

 家の片づけの続き、今日は主に長男の部屋の片づけの手伝いをしてまたもゴミの袋がたくさん増えてしまった。合間合間に『ハンニバル』が気になって仕方ない。これから読…ああ、あすは出勤ではないか。

 ダメダメじゃん、すっかり早川書房の復刊希望アンケートに投票するのを忘れていた。〆切ぎりぎりに、SFからの10冊+αとFTからの10冊+αという違反投票のメイルを打つ。強いてあげた1冊は、復刊が実現するといいな、と思い『柔らかい月』である。単純に得票数が上位のものから復刊されるのだろうか?

 ところで、もうふた月も独立した感想を書いていないではないか。

2000.0429(土)みどりの日

 ニュースではしきりに「大型連休初日」と繰り返しているが、実感ナシ。長男も連れ合いも、午後からは娘も出掛けてしまい、あとに残って一日整理整頓模様替え大掃除大会では実感ないのも無理もない。爽やかな上天気は、布団干しと連続数回の洗濯物干しには最適。

 午後も長けて、いつものごとく釣果なく帰ってきた長男に加勢させて本棚を組み立てて設置する。文庫整理袋という、不織布製の、文庫が二十数冊入る袋に何袋もいれて家中のあちこちに押し込んだり積み重ねたりしてあったのを、盛大に新しい本棚に移す(嬉)。この際法則性をもって整理したいと思うが、今日のところは大まかに分けてとにかく並べるだけ。もともと本は家の中3カ所+αに点在しているので、どこに何があるのか(ないのか)把握しにくい。それに加えて実家にもあと半分くらいあるので、分散していること甚だしい。これからしばらくは並べ替えたり戻したり、本ふぇちの一面を満足させる作業が出来るのでうれしいな。

 昨晩、というより未明までかかって、『羊たちの沈黙』残り4mmを読了。評判に違わぬ面白さ。克明な描写、ことに登場人物の意識の動きが肉体的な感覚に結びつけて描かれている点が印象的である。いつも登場人物の息が耳元にかかる感じ、というより自分自身の息遣いを意識してしまう。
 ただどうしても訳が終始気にかかった。文章も淡々の域を超えて、前後の文章がブツブツと連なっているだけ、という印象である。それとカタカナの訳語。テーブル>テイブル、ベルクロ(いわゆるマジックテープ)>ヴェルクロゥ、クリネックス>クリーネックス、等々。どちらが正しい(英語に近い)か、ではなくて、カタカナ英語として日本語の中になじんでいるものがこのように書き表されるといかに読みにくいか。この訳者は、普段あまり英語に親しんでいない読者の立場で訳文を見直すという姿勢は持ち合わせていないと見える。同時にそれがかなり徹底しているので、逆にそれがある種の雰囲気を醸し出しているという言い方も出来なくはない。
 ちなみに私自身もメール>メイルと表記するが、それは「メール」だとどうしても黒ヤギさんと白ヤギさんのお手紙を思い浮かべてつい「メェェェェェ」と合いの手を入れたくなるから。件の方も「メイル」表記だったな(汗)。

 もちろん今朝から合間を見て『ハンニバル』。執念深いのね、あの天敵のおっさん。周期律表については単にハンニバルが言っている、その文字通りではないでしょうか>元素の安定。あ、これもネタバレか?

2000.0428(金)
購入本
ペレス・レベルテ/『ナインスゲート』/集英社文庫
アーサー・C・クラーク/『失われた宇宙の旅2001』/ハヤカワ文庫SF
K・W・ジーター/『ブレードランナー2』/ハヤカワ文庫SF

 ヒゲのデップさまのカバー写真につられて手を出した『ナインスゲート』は、以前ハードカバーで出ていた『呪のデュマ倶楽部』の文庫落ち・改題であった(既に持ってるだよ)。それにしても最近のデップさまの主演作の多いことよ。

 『羊たちの沈黙』あと4mmくらいで終わり。キモチワルイ物体を扱っていながら筆致が淡々としているので、印象としての気持ち悪さは薄い。けれども昼休みにこれを読んでいたところ隣の部屋から声がかかって、実験動物のおなかの中を見る羽目になったので、この時はさすがにちょっと抵抗が(汗)。
 そろそろ『ハンニバル』に追いつけるぞー。ハンニバル・レクターが怖いけれど気に入ったので、『レッド・ドラゴン』も読みますがな>KAZUTO様、姥姫さま

 自宅メイルボックスで、管理人さんが「さっきお兄ちゃんが荷物持っていったよ〜」と声をかけてくれる(先に帰宅した長男が、管理事務所で預かってくれていた宅配の荷物を引き取っていった、と言う意味)。帰宅すると出迎えた長男が「重かったぞー!」と言う。それならあれだ。整理整頓週間第2弾、文庫用突っ張り本棚ですね!
 和室に一間半ほどの空いている壁面があるので、本音としてはそこ全体を本棚にしたいのだがそれではあまりに顰蹙ものなので、代わりに納戸の入り口の死んでる壁に目を付け、奥行き16cmで天井までのスチールの突っ張り本棚を入れることにしたのである。
 しかしどうやらこれ、組立に人手が二人必要らしい。頼みの綱はあす知り合いの結婚式のため一日名古屋へいくので不在。長男に先週の模様替えのときにいなかった罪滅ぼしをせよと迫るが、早朝から釣りに行く、と逃げられる。ふんだ、今までに一度も釣果はないくせに、と頭の上に吹き出しが出る。昼には帰るよ、と憐れみの視線を浴びた。

2000.0427(木)
購入本
アン・マキャフリー/『だれも猫には気づかない』/東京創元社
ドロシー・ギルマン/『古城の迷路』/集英社文庫
小野不由美/『風の海 迷宮の岸』/講談社文庫
中野美代子/『西遊記』/岩波新書
古書
村上哲哉/『ラスト・マジック』/新潮文庫

 午後から次男の保育園の保護者会に出るが、なんだか今日は気が乗らないというか、一人一言(も二言もしゃべる)の近況報告を聞くのも言うのも、どうでもいいやという感じ。終わりに近づいたころ、昼寝していた子どもたちが次々に起きてきてベランダからのぞき込み、手を振る。次男が私に気づいてパッと顔が輝く。私もそれまで半分死んでいたのが生き返る。

 『羊たちの沈黙』半分くらい。
 以前どういうきっかけだったか、リック・ボイヤーを発見して4冊の文庫を次々に読んだが、それらは「ハードボイルド」といわれるのだと途中で知って、半分驚き、半分納得したものだった。『羊たちの沈黙』のような肌触りのものを読むのはもともとそれ程多くない上に久しぶりなので、ボイヤーを思い出したのである。ちなみにボイヤーにはかなりはまった覚えが。

 SFをよく読んでいた頃も周期的にミステリが読みたくなる時期があって、ミステリもそこそこは読んでいたが、結局カドフェルとかシャンディ教授ものとか、その系統に傾いてしまうのである。
 ギルマンのおばちゃまシリーズは同僚が読んでいたので逆に手を出さなかったが(ひねくれ者)、『古城の迷路』は、帯に「中世アドベンチャー・ミステリ」とあったので、「中世」のひとことにヨワい私は一も二もなく手に取ったのであった。帰宅してから見た裏表紙にちりばめられたのは、ペスト、修道士、古城、魔術師、樫の扉、迷路、闇の国…、と、気恥ずかしくなるくらいの言葉(というかアイテムと言いたい)である。うーん、書店でこれを見ていたら果たして買ったであろうか。いや、やっぱり気になって買ったんだろうなあ。

2000.0426(水)
購入本
真島満秀/『鉄道の四季』/ワニ文庫
クリストファー・プリースト/『イグジステンズ』/竹書房文庫
トマス・ハリス/『レッド・ドラゴン』上下/ハヤカワ文庫NV
 〃/『ハンニバル』上下/新潮文庫
矢崎存美/『ぶたぶた』/廣済堂出版
栗原まもる/『バガージマヌパナス』/講談社コミックデザート

 一日中傘がいらないような、でもやっぱり差さないと困るような小雨。黄色が勝ったさまざまな新緑が雨に洗われて鮮やかだ。深紅、白、ぼかしのはいったピンク、鮮紅色などのとりどりのつつじの花と緑のなす強い対比が、雨で和らげられて目にも心地よい。いよいよ盛りになってきたはなみずきは春というより初夏の風情だ。

 雨の日は自転車に乗れない(恥)ので、荷物は少なくしたい。というわけで分厚い『風車祭』はお預けにして横道『羊たちの沈黙』を昼休みの友にする。まだごく初めの部分でクラリスがハンニバルに会った少し後までだが、すでにして、こ、怖い〜。

 これにつられてつい『レッド・ドラゴン』と『ハンニバル』を買ってしまったが、『羊たちの沈黙』をふくむ3作はすべて訳者が異なっている。だから「ハンニバル」の名は『羊たちの沈黙』では「ハニバル」>周知の事実なんでしょうが。
 個人的にはハンニバルと言う名は子どもの頃読んだ『ハンニバルの象つかい』(岩波書店)という作品でなじんでいるし、ふつうハンニバル戦役(第2ポエニ戦争)でおなじみなのではないだろうか。ただカニバル・ハニバルと韻を踏ませるとこちらのほうがリズムがいいようにも思える。ファンの皆さんのお好みはどちらなりや。

 そんなわけで、せっかく出勤するときはお弁当もなく荷物は少なかったのに、本屋では注文して置いた『ぶたぶた』、コミック版『バガージマヌパナス』なども入っていたため帰りには結構な荷物になってしまった。
 コミック版『バガージマヌパナス』は評判に違わず痛快な出来。綾乃もオジャーガンマーもイメージ通り。二人がいつもまちあわせているガジュマルの木は、もっと野辺のようにイメージしていたが。綾乃がユタになる決心を再び翻そうとしたときに下る神罰を原作とは違う隕石にしてしまったところは、やはり唐突に思える。それにしてもこんなに面白いのがさんびゃくきゅうじゅうえんとは、お値打ち!
 これをさりげなくテーブルの上に置いておいたところ、娘が目を付けてさっそく読みふけっていた。良い傾向なり。

2000.0425(火)
購入本
ロアルド・ダール/『少年』/ハヤカワ文庫HM
アシモフ&シルヴァーバーグ/『アンドリューNDR114』/創元SF文庫
SFマガジン6月号/早川書房

 『イグジステンズ』(竹書房)を買っておかなくちゃいけないのだが見あたらず。何てったってクリストファー・プリーストだから。

 夕方からどうも頭痛がすると思ったらそれは何のことはない、寝不足なのであった。夕食後、眠気を誘発するソファは避けて食卓で『神秘の短剣』を一気に読み終わり、『風車祭』のプロローグを読むが、ここで眠気に抗しがたく「ちょっとだけね」とつぶやき頭を枕につけ…再び目を開けると3時間が経過していたのであった。こんなんじゃSFセミナーまでに予習は出来そうもないなあ、って去年と同じだ。

 『神秘の短剣』は新しい登場人物ウィルにかなり感情移入。気球乗り(と言う呼び名だけですでにわくわく)リー・スコーズビーとそのダイモン、ヘスターに涙。生首を取られたはずのグラマン博士とは誰か。短剣の守り手と真理計はこれからどこへ赴くのか?乞うご期待!うう、何でここで終わる?最終巻はいつ出るのじゃ〜!

 はっ!昨日のドラマ『永遠の仔』ころっと忘れてた。

 ダール『少年』は単行本の文庫落ちだが、まだ読んでいなかったもの。自伝、かと思うと彼自身の前書きに「これは自伝ではない。(略)忘れることのできない強烈な印象を刻んだものばかりである」とあって、自伝にありがちな退屈な記述を排した「忘れがたい事件」の記録と言うことである。
 4月刊行分から帯のはじに「ハヤカワ文庫30周年記念読者プレゼント応募券」なるものがつけられ、そうか、私がン歳のころにようやく創刊されたのだったか、と改めて思う。もっと前からあったような気がしていたけれど。

2000.0424(月)

 午前中、ベランダの防水塗装のため在宅。掃除する人、排水孔の塗装をする人、エアコンの配管をいじる人、最後に本式に塗りに来る人、と入れ替わり立ち替わりやってくる。こりゃ大変だわー。終了してみると、溶剤の臭いが室内に充満してなかなかきびしい。う〜ん@@。

 昼過ぎ、気持ちの良い陽気の中、職場へ向かう。このあと2時間もしないうちに怪しい空模様になり大雨になるとは予想もしなかったが、哀しいかな、帰宅時は濡れ鼠に。白い稲光がなかなか強烈。
 次男がこの「いなびかり」という言葉を覚えてきて、「いな、ってなに?」「びかり、ってなに?」と問う。「いな」も「びかり」も答えられるが、「どうしていなびかりっていうの?」は問われるまでもなくわかりませーん。さっそく広辞苑を繙く(というか立ち上げるというか)。

稲光=>稲妻:「稲の夫(つま)」の意。稲の結実の時期に多いところから、これによって稲が実るとされた

 うーん、日本語は奥深い。稲光(稲妻)の季語はそういうわけで秋だそうだ。 

『神秘の短剣』は題名になっている短剣が登場。短剣と羅針盤、もしかしてもうひとつ何かでてきて三種の神器状態に?また、「世界の間の林」のように見えた世界は、訳あって無人にみえただけ。
 ちびちびしか進まないのでいつになったら『風車祭』に手が出せるのやら。

 『アンドリューNDR114』『ジョン・ランプリエールの辞書』その他まとめて実物が見たいのだが今週末には大きい本屋に行けるだろうか。

2000.0423(日)

 朝から片づけの続き。10時半頃家具屋が来て、息子たちのベッドを搬入、タンスその他をひきとってもらう。我々のを含めて服や雑誌、教材などを大量に処分しなくてはならない。家中ゴミの山。

 るんるん、実は私の本棚も買ってもらったんだよーん。文字通りの積ん読本、ことにハードカバーが納まった。文庫はもうしばらくして奥行きの浅い文庫用の突っ張り本棚(ヨドコウ)が届く予定(これは自腹)。3年ぶりに本棚の新調である。でもすでに今日入った本棚はほぼ満杯状態っていったい(涙)。

 明日、住んでいる集合住宅のベランダの防水塗装があるため、今日中に植木鉢を片づけてきれいに掃除して置かねばならない。部屋の中に取り込むしかないのだが、いつの間にか増えに増えた植木鉢がン十鉢。塗装は12時間で乾くというので1日だけ我慢すればよいとは言え、部屋中植木鉢だらけ。良くもこんなに増やしたものである。ベランダ、こんなに広かったのかあ。この植木鉢と、長男の部屋の模様替えがらみのゴミ、荷物で家中あたかも引っ越し状態である。げんなり。あー、忙しい二日間だった。

 それにもめげず今日こそは『神秘の短剣』をほんの1章だけでも、としがみつくように読む。

2000.0422(土)

 長男の部屋の模様替えの為、明日家具屋がくるので掃除、片づけに忙殺。当人は学校のオリエンテーションで不在。娘が「あいつはずるーい!」と文句を垂れる。私もそう思う。ネットも本読みもおあずけ。

2000.0421(金)
購入本
フィリップ・プルマン/『神秘の短剣』/新潮社
朽木ゆり子/『盗まれたフェルメール』/新潮選書

 安田ママさんからの情報で、すでに昨日『神秘の短剣』が出ているのを知り(天気がよくなかったので行かなかった)、早速足を向ける。でも今日は大雨…。
 お弁当を食べつつ、まず『復活、へび女』の最後の1篇を読む。本をぱったりと取り落として、あ…と言いたくなる。
 気持ちの切り替えをしてから『神秘の短剣』を読み始める。うー、ナルニアの世界の間の林みたいな世界がでてくる。新しい登場人物。夜はこれに専念…と思ったのも束の間、日頃の不摂生のばちが当たりせっかく待っていた本が手に入ったというこんな日に、次男と一緒に睡眠に墜落〜(連れ合いに言わせると没落)。

2000.0420(木)

 朝からの本格的な雨に、桜の木はすっかり花の名残を洗われて、緑の季節へ突入。いっぽう八重桜の手毬のような花はこれしきの雨何するものぞ、の風情である。つつじが本格的に咲いてきた一方、いつの間にかはなみずきの花も白く目につき始めた。それなのに最高気温が10度とはまるで冬。

 『復活、へび女』は短篇集で、8篇収載されているうちの7篇目にさしかかっている。最初の4篇まではどっぷりオキナワンだが、5篇目の表題作「復活、へび女」からはそれに寄りかかっていない題材になっている。そのために、有機物いっぱいのムンムンした雰囲気の中に埋もれていた硬質の透明なきらめきが表に出てきており、また違ったおもしろさが感じられる。表題作は傑作かも。

 昨日図書館にリクエストしたばかりの彼の2作目『風車祭(カジマヤー)』は、所蔵していたと見えて今日入手できた。ぶ、分厚い!へび女の倍の厚さだよ〜。

 あすは先月から延びていた『黄金の羅針盤』の続編『神秘の短剣』が出る予定だが大丈夫だろうか!楽しみだ>一体何冊優先順位が同一の本がたまるのだろう?

2000.0419(水)
購入本<新刊>
ディリア・マーシャル・ターナー/『半熟マルカ魔剣修行!』/ハヤカワ文庫FT
T・ハリス/『羊たちの沈黙』/新潮文庫
恩田陸/『月の裏側』/幻冬舎
<古書>
ジム・キャロル/『マンハッタン少年日記』/晶文社
ジャック・フィニィ/『盗まれた街』/ハヤカワ文庫SF
ロジャー・ゼラズニイ/『地獄に堕ちた者ディルヴィシュ』/創元推理文庫

 次男が不思議そうに、「青いわくせい…、ていうのでいってる”むすうのいのち”ってなんのこと?」しばしクエスチョンマークが飛んでしまった。これを翻訳するとこうなる。「青い惑星がでてくるオーディオドラマ『小惑星美術館』でナレーションが言っている”無数のいのち”って何のこと?」
 我が子よ、えらいっ!かれは放送当時からこのドラマが気に入ったらしく、静かにしているなあと思ったら、じっと聞き入っているのであった。

 大森掲示板で話題に上がっている、韓国海苔だの育毛剤だのの広告メイルは、当方にも届いている。どこからアドレス捜して来るんだろうねえまったく。

 昼休みによく行く、職場から3分の古本屋には、最近ならば、必ず数冊の赤江瀑(随時入れ替わっている)、同じくゼラズニイなど、今現在MLや巡回している読書系サイトで言及されている書名が見られることが多い。
 その中には、いままでアンテナがそちらに向いていなかったため、話題に上って初めて本屋にあるのに気がついた、というものもあるだろう。けれどもそれだけでは済まない。今まで確かになかったのにタイミング良く出現した、と言うものが多すぎる。あるときは、教えてもらったばかりの角川ホラー文庫(海外)を、その翌日どころか、その日に発見したこともある。そう大きい古本屋でもないし、どうしてそんなにタイムリーなものが出現するのか、謎。そこは自前のwebサイトも持っているののだが、もしやナイショで私たちのサイトを詳細ちぇっくしているのでわ〜??という疑念がつきまとっている。知らぬは私ばかりなりだったり(怖)。でもかなり助かっているのはたしか(謝)。
 <小声>パヴァーヌはないのかしら〜</小声>
 でもって、d『盗まれた街』、『地獄に堕ちた者ディルヴィシュ』(これはゼラズニイの本のうち今までで初めて目にした)。後者は確かに先日はなかったと思う。
 恩田陸『月の裏側』は、近所では一旦売り切れてすぐに追加が入ったが、買おうかどうか決めかねているうちすぐになくなり、その後しばらく入らなかったもの。今日も1冊しかなかった。

 有里さんの4/17の日記の脂肪/電話帳関連:私も事情は全く同じ。若い頃は、「指でつまむ、って何かつまめるわけ?」だったんですが。今は昔。
 でもって有里さん的電話帳の厚さってどのくらい<トーキョーの電話帳(タウンページ)は死にそうに厚いのだ。でも本当に怖いのは皮下脂肪より内臓脂肪よ〜ん(ね、青木みやさん)。

 図書館に池上永一『風車祭』リクエスト。
 シャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』は新訳『たたり』のほうがおすすめ、と東へんしうちょうに伺ったので、早速引っぱり出して、解説を斜め読む。新訳にて要・再読。

 

2000.0418(火)
購入本
清水義規/『楽園宇宙の伝説』/ハルキ文庫

 池上永一『バガージマヌパナス』読了。第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。あまりにおかしくて、お弁当を食べながらつい声を立てて笑ったり吹き出したり。
 「フラー(馬鹿)」という言葉の何と素敵な響き。言ってみれば「ノーテンキ」、てなところか。時間の流れは時計で刻まれることがなくて、ただただ綾乃とオージャーガンマーが遊んだりユンタク(おしゃべり)したりすること自体が時の経過を体現している。私も立派なフラーになりたい(素質ありそう)。

 綾乃をユタにすべくしぶとく頑張る神様が彼女に「拝む」理由を教えようと高く高く彼女を連れて行くあたりは、同じ第1回ファンタジーノベル大賞(佳作)『星虫』を連想させる。金色の砂が砂時計を逆さに見たように天に昇って行く、と言うシーンは美しく哀しい。

 ここからあとは今までたらり〜んとしていた物語のテンポ(があるとすればの話だが)が、急にゼンマイを巻かれたかのように速くなり、あーっという間に終わってしまう。やや唐突で物足りなくもあるが、南の島にスコールが来襲してあっという間に去っていったようでもあって、これはこれでカラッとしていていいかなとも思える。

 帰宅後さっそくこの作者の3冊目の本『復活、へび女』に取りかかる。この2作の間の『風車祭』は持っていないので、図書館に頼ろう。『復活〜』のほうはずいぶん洗練された感じの文章になっているようだ。

 昨日メモモードで触れた『SPA!』4/5号巻末の四方田犬彦の連載「次は火だ!」は、寮美千子『ノスタルギガンテス』を取り上げて、ほんの1ページの記事の1/3程を費やして内容をうまく紹介している。
 けれども、こうして上手に一読してわかるようにダイジェストしてあるがために、あたかも作品の中に出てくる「命名芸術家」が『ノスタル〜』そのものに新しい名を命名してしまったかのような具合の悪さを感じるのもまた事実なのである。そうだけど、そうじゃない!って言いたくて。
 記事の最後の「優れた書物はたとえ読み終わっても、多くの空想や夢想の種を残すというが、まさにその通り」のくだりにはまったく同感である。

 最後と言えば、『ノスタル〜』のシーンで印象的なのは、使われていない地下鉄の駅の所と、最後の紙飛行機が青い空のまぶしさの中にふっときえるシーンだ。リーディング・パフォーマンスでも、ラストは胸ががらーんとするよ…。必聴。

2000.0417(月)

 職場のキャンパス内の桜の盛りも八重桜に移り、いっそうあでやかである。鬱金桜(うこんざくら)という薄緑の八重桜が好きだ。

 今日もドラマ『永遠の仔』を見たりしたので時間がなくなり、以下メモモード。

 昨日ローマ食堂での食事の際の話題の一つ。自分たちの死後、せっかく集めた本はどうなってしまうのだろうか。と古本市で光瀬龍氏の蔵書を入手したMZT氏がつぶやく。森太郎さん「自分より年下の人にあげたいね」ということで、ちはらさんかつきさんあたりの名が出る。私のはMZT氏に引き取っていただきますのでよろしく(この遺言の証人は森太郎氏)。

 森太郎さん「この名前は本名です。あだ名ってついたことないんです」と言うので、「あるじゃな〜い」 「…C3POですか?」 すると、森さんの隣でこれを聞いていた塵芥さん、森さんを見つめて一瞬のうちに頭の中でC3POと比較検討したと思うと、大爆笑。豪快な笑いでありました。

 五代ゆうを読むことに超決定、とか言いながら、昨日は車中で読むため文庫『バガージマヌパナス』を携帯。今日も続きを読み笑いっぱなし。コミック希望。『ナビィの恋』との関連はありやなしや?

 「ラ・リュ」にて私の隣、塵芥さんとの間に座っていらしたのは四方田犬彦氏とそのお連れだとか。『SPA!』の記事についてちょっと一言言いたいかも(この件明日)。

 ヒラノマドカさんから、2月に放送されたオーディオドラマ『小惑星美術館』のMDを頂く。うーん、やっぱり「ラジオ・グリーン」は素晴らしい!聴くたびに涙が浮かんでしまう。

 ううっ、明日朝のお弁当作成のためタイムリミットだ!

2000.0416(日)

 雨もようやく止んだので洗濯、洗濯。と言っても午後薄日が射したきりで一日曇り空である。

 夕方、翠川敬基/寮美千子ジョイント・ライブ(自由が丘「ラ・リュ」にて)に行く。なんとずっと東京に住んでいながら、初めての自由が丘である。案の定目的地と反対側の改札に出てしまったが、さんざん地図を眺めてきたおかげで、一発で目的地発見(それが普通か)。

 合流するはずの【ださこにすと】たちのケータイに電話するも、連絡が取れない。開場時刻の少し前で、二番目の客だったので、席だけ確保してしばしあたりをうろつく(一番乗りは塵芥(ちりあくた)さんだとあとで判明)。一旦戻ると、会場前の道ばたに一人たたずむ谷田貝さんの姿。「他のみんなは?」と訊くと、「さっき僕の前を通って会場に入っていったが、挨拶したのに誰も僕に気がつかなかった…」と言う。なんてしつれいな〜ヤツラだ。

 小さな会場いっぱいの客は、誰もが誰かと知り合い、といった感じ。一番うるさかったのはもちろん我々であった。超多忙なはずの東雅夫へんしうちょうが、寮さんの脅しで来ていらしたのにびっくり〜(嬉)。

 チェロとのジョイントで、『ノスタルギガンテス』(抜粋、前半)とVOICEと称されるいくつかの詩(後半)のリーディング。なかでも「パフューム・ガーデン」がいちばんチェロの質感と詩の雰囲気、そして季節とが調和していたように思う。『ノスタル〜』はこれまでの3回のリーディングのうちでもっとも好調とのことで、ぴったりと支えるチェロの音色に包まれてすっかり堂に入ったパフォーマンスが素晴らしかった。
 個人的にはチェロにはどうしても技術的な面に目が行ってしまうきらいがあるせいもあって、今日は目をつぶって聴いている時間が長かった。
 以前聴いたリーディング、および自作CDRはピアノとのジョイントであった。人声に合わせるには、ピアノよりもチェロの音の方が良く合うのだが、ピアノのもつ硬質な音質そのものが『ノスタル〜』の世界に近いことと、ピアノと声という組み合わせにやや違和感がある、そのことのためにむしろ、破壊の物語である『ノスタル〜』のリーディングにはピアノのほうがふさわしい、と、今回の出来にも関わらず思わずにはいられなかった。

 終了後、駅近くの「ローマ食堂」で食事。東へんしうちょう、MZT氏、森太郎さんらが近くの席。隣り合ったへんしうちょうに対して大暴言(内緒〜)。あーん、お疲れで遠い目をしていたのに、つい突っ込みをしてしまったのであった。す、すまぬ(謝)。
 合流した寮さんたちに一足早くお別れしたあと、大多数はカラオケへ行くが、今後のイベント参加対策のため私はここでお別れしたのであった。

2000.0415(土)

 窓の外の鈍色の空に、どっと低気圧病がぶり返す。連れ合いは「終わるまで大丈夫だな」と言いつつ9時からのおテニスにお出かけ。ただでさえ週末で洗濯物が多いところへ、タンスの整理、長男の成長に伴う着られないもの・傷んだものの整理などで文字通り山のような洗濯物である。空をにらみつつ、見切り発車で洗濯機を3回まわす。その間にメイルチェックしていると、ややっ、あの音は?間髪を入れず「ママー、かみなり」と次男の声。やっぱりそうか。「ママー、いっぱい雨ふってきたー」と追い打ちである。あー、保育園のシーツだの、ジーンズ類だの、いっぱい干しちゃったよ。さらに4回目の洗濯の最中という…。かくして今日は一日中本降りの雨で、しかもかなり寒い。勇んでおテニスにお出かけの連れ合いは、あえなく30分でご帰還であった。

 あさってがこの次男の6歳の誕生日なので、ちょっと早いが、なぜかお好み焼きやでお祝い。帰宅後ケーキを囲んで「たん、たん、たんじょうびー♪」、先日トイザらスで買ったボウリングセットと、レゴのアナキンのポッドレーサーをプレゼント。ボウリングを見て「保育園にあるのと違う」とおっしゃる。保育園のはアンパンマンの絵がついているそうだが、これは何もついていない無地のだ。「おんなじのが良かった?」と訊くと「ううん、アンパンマンのもいいけど、これはおとなっぽいからいい。」(ホッ)

 その後『どすこい(仮)』やっと読了。お好み焼き屋でびいるを少し飲んだので、気がつくと居眠りをしていること数回。「理油(意味不明)」あたりでだれたか。最後の「ウロボロスの基礎代謝」で、あなおそろしやの円環構造になり、冒頭の「四十七人の力士」に繋がる仕組み。討ち入りは元禄15年12月14日(1703年1月30日)だから、発刊もそのあたりの日付かと奥付を見るが、そういうわけではなかった(今年2月10日)。
 じつはこれが私の京極夏彦初体験なのであった。

 さて次は『復活、へび女』(どうしても楳図かずおを思い出すのだ)に行こうか、『<骨牌使い>の鏡』に行こうか(悩)。
 NHKの番組で見ただけで読んでいない『ワンダフル・ライフ』(グールド)が先頃ハヤカワ文庫NFに落ちたのも読みたいし。これを批判するモリスの『カンブリア紀の怪物たち』(講談社現代新書)は出た時読んでいる(97年)。文庫版『ワンダフル・ライフ』の解説には、グールドとモリスの対立点やその後の研究の進展についてごく簡単ではあるが有益な記述があるので、『ワンダフル・ライフ』を未読で『カンブリア紀の〜』を既読のかたは本文に先立って読んでおくと良いかも知れない。どちらも未読、と言う場合は本文から読むのがお薦め。なぜなら、生命の歴史の黎明期、というか初期に、こーんなすごい奇妙奇天烈なことが起こっていたのか!という驚きと興奮が薄まってしまうかも知れないから。
 で、どれにしようかまだ決まりませ〜ん。

2000.0414(金)

 サイトの中のいくつかのページをを少し見やすくしようといじるが、時間ばかりかかる。普段から整理しておけばよいのに、と反省半分、仕方ないや半分。

 青木みやさんから、ださこんで山尾悠子氏にサインをしていただくように依頼した本が返送されてきた(『夢の棲む街』と『角砂糖の日』)。ありがとう、青木さん、MZTさん、KANAZAWAさん、そして山尾さま。図らずもみやさんに山尾本の布教をすることになった。サイン本はメッセージ付きであった。中味は内緒(はあと)。
 一緒に『永遠の仔』(上下)も届く。お給仕犬さんからみやさん、そして私へと流れてきた本。さすがに厚い。まず言い出しっぺの娘、読むように。

 『どすこい(仮)』今日は、「脂鬼」、「理油(意味不明)」である。お弁当を食べながら「脂鬼」を読んでいて我慢しきれずに吹き出す。しにそう。

 長男が、学校に出す健康の記録に血液型が書いてないと言われた、と文句を言う。だって調べてないんだもーん。生まれたときに一応臍帯血の血液型は調べてくれるのだが、この血液型は親の血液と混じっている可能性があるので、その病院では知らせないことになっていた。それきりどの子もそのまま。
 私の血液型は大学の実習で学生同士耳から血を採って調べたという杜撰なもの。でもその後入院時に調べたのと同じだったから、あんな検査法でも信用できると言うことだろう。
 長男については、「先生が調べてこいと言った!」と不満げに言うので、かかりつけの医者に行かせたが、2000円なりの検査料である。えー、あんなに簡単にガラス上でコショコショッと混ぜるだけでわかるのに2000円か、と文句たれたれ。保健所の方が安かろうが、ある決まった日の昼間しか受け付けていないのでボツ。晴れて16歳になったら、献血に行きなさいね>息子

 『ネムキ 5月号』の波津彬子は、季節らしく柳と燕にまつわる話で青葉がかおるような気がする。彼女の描くもののけたちは、たちの悪いものでもどことなくかわいくて憎めない。

2000.0413(木)
購入本
五代ゆう/『<骨牌使い>の鏡』/富士見書房
ムー 5月号/学研
ネムキ 5月号/朝日ソノラマ

 のどかな春らしく、おだやかでいい風のそよぐ暖かな一日。

 子どもたちの分と一緒に作ったお弁当を食べながら読む『どすこい(仮)』で、食が進むというか、反対につい控えてしまうと言うか…。帰宅して着替えながらついウェストあたりをつまんで「デブ…」とつぶやいてしまう。わーっ、怖い!腹筋と背筋の運動をしてしまった。

 評判の高い五代ゆうの<骨牌使い>の鏡を入手。まあ、何と豪勢な立派な本。デブな『どすこい(仮)』が終わらないと読めないのだ。ちなみに長男は未だに「厚い」をつい「太い」と言ってしまうのである。確かに「太い本」。

2000.0412(水)

 昔から朝がどうにも苦手である。朝のすがすがしさ、気持ちよさはよく知っているし大好きなのだが、早寝早起きと言うことが出来ない。早寝してもやっぱり朝はぎりぎりまで1分でも余計に寝ていたい。出掛けるから早起き、と言う朝でも、足をひっぱるのは大抵私である。

 それなのに、お弁当作りのために早起きをしなくてはならないのは辛い。娘の方は申し訳のようなちょこちょこっとしたお弁当だし、自分で適当に詰めたりおにぎりを握ったりと助けになるが、高校生になった長男は普段から気軽に手伝うとは言え娘のようには動いてくれない。幸いに学食もあるのだが、初めはマジメにお弁当を持たせないわけには行くまい。しかも家を出るのが娘より早い7時15分。フツーの人にはどうと言うことのない時刻なのだろうが、過去ン十年、常に職場まで30分以内という場所に住んでいる私としては、7時15分までにお弁当が出来ていなくてはならないと言うことはなかなかな課題なのである。しかも、毎日!いつまで続くお弁当。て、明日がお弁当初日だからまだ1日も作ってないのにすでにこの弱音…。早く寝たら>自分。

 昼休みの『どすこい(仮)』は「すべてがデブになる」の途中。前作の作者が次の作の作中人物となって登場する。ちょっとややこしいぞ。しっかし、ミトコンドリアがデブな縄文人(♀)というのはどこを押したら考えつくのでしょう(「パラサイト・デブ」)。

 土曜の花見の時に強い日差しに当たったせいか、顔がかゆくて仕方ない。日焼け止めも塗っていたのだが、もともとアトピー体質なので、日焼け止めも結構肌が荒れるもとになるのだ。今日はなぜか耳の後ろがかゆい。めがねのツルが当たるのと、仕事でかけていたマスクのゴムが当たるのとで、一日中かゆい〜。タスケテ〜

2000.0411(火)
購入本
赤江瀑/『星踊る綺羅の啼く川』/講談社
ジョン・アーヴィング/『サイダーハウス・ルール』上下/文春文庫
ダ・ヴィンチ 5月号/メディアファクトリー

 のっけから大訂正。ドラマ『永遠の仔』を見て私が超タイプだと思ったのは、椎名桔平じゃなくて渡部篤郎なんだそうだ。どのくらい最近の俳優を知らないかがわかろうというもの。娘に「あれにも出てた、これにも出てたよ」と言われた。この際どういうタイプがいいかと言っておくと、豊川悦司、大沢たかお、森雅之(漫画家にあらず、古〜い)、リチャード・バートン、モンゴメリ・クリフト(これらも古い)、ケビン・コスナー、原田節(オンド・マルトノ奏者)、レオさま、デップさまというところでしょうか〜。ただしSMAPなら木村拓哉でなくて慎吾ちゃんが好きです。

 やっと注文してあった赤江瀑の新刊が入荷。客注でもなかなか回ってこないものは取り次ぎに頼んで大書店の分から1冊回してもらったりもするのだという。書店もいろいろ大変のようだ。
 書店は昼休みに行くとまだ今日の新刊が出そろっていないことが多いので、どうせ明日にならないと並ばないだろうと思っていると、そういうときに限ってほんの僅かしか入荷していないのを誰かに先に買われていて何日も待つ羽目になったりする。ベアの新刊『ダーウィンの使者』は、入っていないのか、買われてなくなったのか、目につかなかったのか、どれだろう。

 『ダ・ヴィンチ』5月号には、若干1ページながら長野まゆみのインタビュー(写真入り)が出ている。ずっと年齢不詳のお嬢さんという感じだったが、最近髪を切ったせいか、とみに中年らしくなったように思える。4/15(土)にまた池袋リブロでサイン会をするようだが、パス。

 昨夕から夜にかけての強い雨で、桜もだいぶ散ってきた。一面に散り敷いた花びらを、老人ホームのお年寄りたちが、なめたように掃き清めている。あと一日、待って欲しかった…。確かに雨に濡れた花びらは、バナナの皮をふんだときのようにずるっと滑って危なくはあるのだけれど。実際、まだ地面が濡れていた今朝、、自転車でひょいとカーブを切ろうとして、厚くたまった濡れた花びらで滑って危うく転倒しそうになったのではあった。
 桜の次は、八重桜や海棠の濃い花色、山吹、れんぎょう、つつじ、はなみずき、藤、と、しばらくは目の楽しみに事欠かない。

 『どすこい(仮)』おなかの皮がよじれそう。今のところ「四十七人の力士」の訳の分からない迫力が圧倒的。

2000.0410(月)

 きのういい加減くたびれてしまったので、気分はすでに金曜日か土曜日。おまけに天気も悪いし。

 薄暗いほどに低い雲がたれこめる朝、キャンパス内の桜の見事なあたりを通りがかる。桜の木々の下に足を踏み入れたとたん、雪の日の朝玄関を開けたときのように一面の明るさに目が覚めるようだ。花びらがあたり一面に散り敷いて桜色の絨毯になっている。これだけの花びらをおとしたと言っても本体のほうはまだまだ桜の雲を保っていて、風が通りすぎると惜しげもない花吹雪が上から下から舞い散る。さながら夢の中のよう。そのあちこちに散らばっているのは、色とりどりの服の3歳くらいの子どもたち。近所の保育園のお散歩だ。ただもうぼうっとして桜色に染まる思いでふわふわと歩く。

 昼は銀行、郵便局と用を済まして『どすこい(仮)』の続き。こーんなに厚い本をよく持ちあるくよ、と自分ながら感心する(でも厚みの割りに意外と軽い)。

 帰宅前に電話を入れると、めずらしく家で仕事の連れ合いと、今日は代休で最後の休み気分を味わっている長男が、餃子を作っているという。足りない材料を調達するようにとは長男に言いつけて置いたのだが既に製作段階だとは何と嬉しいことでしょう。それで気がゆるんだか、帰宅すると猛烈な眠気に、どうにも身体がいうことを聞かない。食後居眠りをした後、話題のドラマ『永遠の仔』を見る。子どもたちと一緒に見るにはちょっとなぁ、と言うシーンもあってしばし寝たふりなど。
 主役の一人、椎名桔平が超タイプなのに気がつく。あまりドラマなど見ないので、俳優の名前は耳にしていたとしてもどれが誰やらちっともわからない私であるが、初めて名前に顔がくっついた椎名桔平はいいなあ。次回楽しみ。

2000.0409(日)

 朝から平日通りに起きて長男の高校入学式。日曜なので連れ合いも参加。1時間か、せいぜい2時間で終わるという予想を裏切って、各クラスでのお話まで終わるとたっぷり3時間を超す。ああ、ちびだったこの子も高校生か…と、一抹の感慨。軽く食事したあと、次男の誕生日のために、彼のリクエストのボウリングセットを捜しに、この3月サンシャインに開店したトイザらスへ。安いビニール製のおもちゃのボウリングが欲しいなんて、親孝行ないい子である。向かい側に同時開店したユニクロは、入場制限をしていて行列が出来るほどの人気であった。
 古書まつりのポスターを横目に、見なかったふりをして戻る(内心はやっぱり口惜しい)。

 帰宅後ぐったり疲れて横になりつつ僅かに残った『山荘綺談』を読了。主人公のエリーナーが次第に山荘の怪異に影響されてついにはあたかも怪異現象と自らを同一化したかのようになり、それらの現象を自ら模倣してしまう。単なる怪異譚でなくエリーナーの心理を克明に追っているところが独特で、『ずっとお城で暮らしてる』を読んだときにも感じたように、その一種正常ならざる心理状態には伝染力がある。ただし決して読みやすいとは思えなかった。

 『どすこい(仮)』を本格的に読み始める。『山荘綺談』とはすごいギャップだと思う〜。

 cdma one 2のメイル、インターネット設定をマニュアル(紙に書いてあるのと、生きているのと)と首っ引きで行う。ごく初めの所に「トップメニュー画面で○○を設定する」とかいきなり書いてあるのに、その「トップメニュー」の出し方がどこを見ても書いてない。何冊もあるマニュアルのうち、違う巻を見て捜さないとわからない仕組みである。
 安田ママさんが『コンピュータは、難しすぎて使えない』に共感の意見を書いておられたが、こういうマニュアルもわかりにくいこと甚だしい。
 なんとかメイルの送受信、ネットの閲覧も出来るようになったが、連れ合い以外に誰かこのアドレスにメイルくれる人っているのだろうか?つまらないからここに書こうと思ったが、肝心のアドレスをまだ記憶していないのであった。

2000.0408(土)
購入本
長野まゆみ/『サマー・キャンプ』/文藝春秋
イタロ・カルヴィーノ/『マルコ・ポーロの見えない都市』/河出書房新社
井上雅彦監修/『宇宙生物ゾーン』/廣済堂文庫
小説新潮 4月号/新潮社

 次男と討ち死にしてしまった昨晩。すっかり寝過ごして、かちゃかちゃいう台所の音で目が覚める。連れ合いが久しぶりにテニスだと言って先に起きている。朝から気持ちの良い天気で、ラジオでは日焼けにご注意と言っている。家事もたまっているが、これは何としても花見に行かねばなるまい(毎日行ってる)、と洗濯洗濯、また洗濯。

 娘は逃亡(生意気に昨夕は友人たちと上野公園に行って来たそうな)、残る息子ふたりと、モスバーガーでお昼を調達してテニスコートに連れあいを迎えに行く。自転車の頭上は今日も桜、桜。 川べりは昨日に増して花見の人々で賑わっている。中に一組、何を勘違いしたかどでかいカラオケ機器をもちだして大音量で盛り上がっているアホなグループあり。消滅しろ!と言っても現実世界ではいっこうに消滅せず。

 風が吹き渡って行くと一面の花吹雪になり、歩く人、座る人それぞれに小さな歓声を上げる。年配の女性たちが舞い落ちる花びらを掴もうとしてくるくる回る。「一枚一円、百枚掴んだら百万円ね!」車椅子に乗った女の子を囲む家族らはゆったりとほほえんでいる。当の女の子は車椅子から落ちんばかりにがっくりと頭を落として眠りこけている。急に制服の集団が小さな広場に入れ替わり立ち替わり現れる。近所の高校の入学式だろうか、先生らが記念写真を撮っている。しばらく迷惑げに視線が伏せられるが、そのうちに彼らは波が退くように去って行き、またはらはらと花びらが落ちる中を、歩きすぎる人、立ち止まる人、大の字になって眠る人が残される…。

 『山荘綺談』もう少しだが眠い〜。小説新潮4月号の「森の中の少女」(小林泰三)を読む。彼にしてはフツーか。

 昨日連れ合いが、充電池のいかれてきた私の携帯電話を新しいものに換えてきてくれた。それはcdma one 2(次はone 2 3かい)で、あれもできる、これもできる(機能が付いている)が、何がなんだかさっぱり理解不能なので今のところ単なる通話+αしか出来ない。メイルの設定しろよ〜と連れ合いが出がけに言い置いて出ていったが、その後進展ナシ。はっきり言ってほとんど放棄。

2000.0407(金)

 昼までは薄曇りだったが、午後から晴れてきて気温も上がる。2時過ぎからキャンパス内の別施設へ行くが、半袖で充分の暖かさだ。思いがけず強い日差しに目を細める。桜はすっかり満開になって、はらはらと花びらを散らし始めている。足取りもゆっくりと、上を見たり、後ろを振り返ったりで、三歩進んで二歩下がる状態である。桜の木々もだいぶ古くなってきたので、葉が落ちてしまうと伸びるだけ伸びてむしろやせ細った感じが強くなってきたこの2,3年だが、これだけ見事に花が咲くと、さすがに桜だと感心する程である。所用のためここを2往復することになったがこれも役得である。

 桜の下ですれ違った自転車の人が、すぐわきで「こんにちは!」と驚いたように声を立てるので見ると、長男が0歳から4歳まで通った保育園で同じクラスだった子のおかあさんであった。こんなに近くに職場があるのにじつに9年ぶり!お互いに「あなたも全然かわってない!」と言い合うのであった。
 久しぶりと言えば昨日も次男の保育園の玄関で腕を取る人があった。にこにこ顔のその人は、とっさには名前が出てこないが、娘の保育園時代の同級生のおかあさん。「あらっ、どうしたの?」と問えば近くにうちの次男よりまだ小さい子がいて「今年からお世話になるのよ」と言う。こちらも9年ぶりの出会いである。
 この二つの再会は、特別に見事に思える今年の桜の魔法のような気もする。

 帰宅時には次男と川べりの桜を眺めに1時間ほど散策。まだ明るかったのに次第に日が暮れて行き、折り返して戻り始める頃には遊歩道に灯もともり次第に夜桜見物の趣になる。やはり日頃のジョギング、ウォーキングの人たちに混じり、仕事帰りやわざわざ桜見物の人が多い。川面に差し交わす両岸の桜のトンネルは年毎に見事になって行く。見上げると枝の向こうの西空には幾分おぼろな三日月が、あつらえたようにかかっているのであった。

2000.0406(木)
購入本
佐藤亜紀/『検察側の論告』/四谷ラウンド
高野史緒/『ウィーン薔薇の騎士物語1』/中央公論新社
赤江瀑/『花曝れ首』/講談社文庫
〃/『鬼恋童』/〃
月刊コミックフラッパー 5月号/メディアファクトリー

 気象庁から東京の桜が満開とのアナウンス。このあたりは満開の木もあるが八分から九分くらいの木が多いようだ。昼休みに外に出て帰り際にふとあたりを見ると、やはり桜のせいかいつもよりずっと人出が多く足取りもゆっくりのようだった。まだ花びらがはらはら散ると言うほどの咲き具合ではない。
 昨年近所の川べりを散策していたとき、目の不自由な方が「匂いがしますか」と訊ねられて「とてもいい匂いがします」と答えていた。桜の花は見るだけで匂いがするような錯覚にとらわれるが、その時もつられてくんくんと嗅いでみたが別段匂いを感じなかった。もちろん桜餅や桜湯のよい香りは知っているけれども、それは塩漬けのように加工したときに初めて立つ香りで、桜餅の匂いの記憶から、匂いがするような気がするだけだと思っていた。
 けれども先日、桜の木陰の風のたまる場所を通ったとき、明らかにふうわりと桜の匂いがあたりを包むのを感じたのだった。花の形のままぽとんと落ちている一輪二輪を拾って匂いをかいでみると紛れもなくあの桜餅の匂い。けれども別な木の桜ではほとんどこの匂いはせず、同じソメイヨシノでも個体によって匂いの強いもの、そうでないものがあるらしいことがわかった。匂いが目に見えるとしたら…を具現化したような桜の雲。

 帰宅後、次男はスイミング。その間にだーっと食事を作り、食べ、帰宅が早かった連れ合いをせかすように次男を迎えに行きその足で(車で)夜桜見物に行く。
 行き先は北赤羽の駅の近くである。団地の中に片道一車線ながらかなり広めの道路が緩いカーブを描いてやや坂になって走っており、300メートル程(もっとか)にわたって左右から桜並木がアーチを作っていて壮観である。ここはなかなかな穴場で、並木の下にはずっと提灯が下がっているが、それも桜の色を損なうほどのどぎつい色でないのが好ましい。車を止めて花の下を往復する。肌寒いので、コンビニの店先でおでんを買う。道ばたの空き地には敷物を広げて花見の人たち。ウォーキングのおばさん達ものんびりと上を見上げる。車が来ないのを見計らって車道の真ん中に出て大きなアーチをずっと見通す。こうして見るのが一番の壮観だ。今晩だけの幻のような美しい眺めである。

 『山荘綺談』続き。

2000.0405(水)

 朝からしっかり雨。低気圧病らしく、1)眠い 2)だるい 3)口を利く気力がない 4)何もしたくない 5)(以下略)などの重い症状。それで9時半すぎに次男を寝かし付けると称して率先して寝る。

 シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』読了、大変に面白かったので同じ作者の『山荘綺談』を引っぱり出す。これは新訳で『たたり』(創元推理文庫)としても出ており、同じものと知らずに両方買っていたのでどちらを読もうか迷った。とりあえず古い方の『山荘綺談』にしたが、やはり古めかしさを感じる。
 『ずっとお城で〜』の語り手メリキャットの口調は、原文ではどんなふうなのだろうか。冒頭の独白で18歳とあるが、彼女は現実認識に難があって(解説の言葉を借りれば「狂女」ね)おまじないのように様々なものを埋めたり、打ち付けたり、自分のルールを作ったりして外界からの侵入者を阻もうとしている。はじめは18歳という記述にも関わらず、彼女の言葉遣いをみるとかなり幼くチック症のような症状を持った子か、と言う印象を持った。料理が上手で女らしい印象の姉のコンスタンス(コニー)がじつは狂気を持った人物かと読み進んで行くと…。
 このコニーの料理に関する記述は本筋に深く関わってはいるのだけれど、それとは別な細部として面白い。さぞかし美味な料理を魔法のように作り出す女性のように思える(涎)。

2000.0404(火)

 東京の桜は五分咲きと言うところか。昼間はまあまあ暖かいのだが、朝晩の肌寒さに、つい冬ものに手を通してしまう。けれども花も木々も時を知って、堅い枝ばかりだったけやきの樹冠もすでに茶色から緑の若葉を風に揺らしているのだ。

 小林泰三さんのところで「〜円からお預かりします」にその後追記が加えられていた。消費税お預かり説はこじつけに近く無理があると思うが、その中でほかに気になったことを一つ。

 この「追記3」の、メイルからの引用部分で、「そちらでうかがってください」という言葉遣いがある。これは店員が客に対して「ここではわからないから、しかるべきところ(=そちら)に行って訊いてみてくれ」という意味であろう。けれども、「うかがう(伺う)」という言葉は謙譲語のはず。広辞苑第5版によると、

(2)「聞く」「尋ねる」「問う」の謙譲語。お尋ねする。また、目上の人の話などを聞く。拝聴する。

の記述がある。だから、「そちらでうかがってください」と言われた客は「そちら」にわざわざ足を運び、へりくだって店員さまにお尋ねしなくてはならない、と言うことになってしまい、まさに主客転倒である。これは「そちらでお訊きになってください」とか「お尋ねください」とかいうのが適当なのだと思う。店員が同僚に向かって「(その件については上司に)うかがってください」と言うのはもちろん正しい用法だ。

 それにつけても難しい敬語・謙譲語だが、つい口から出てしまって恥ずかしい思いをするのは「ご存じですか?」「ええ、ご存じです」だろう。わかっているのにどういうわけかつられて反射的に「ご存じです」って言ってしまうのである(大恥〜)。

 お気の毒にとうとう小渕内閣は解散してしまった。その小淵総理は多忙で4,5時間睡眠が続いていた」というが、自分を振り返るとこの睡眠時間は結構普通。ちょっちやばいかもよ>安田ママさん。

 昨晩からシャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』を読み始めた。読んでいると頭がくらくらしてくる。外界の認識がずずずっと地滑りしそうだ。

ハヤカワ文庫復刊希望について、リストを見ながら考える。シリーズものは1冊として。

SF(番号順)

ベティアンよ、帰れ(74)
シリウス(191)
中継ステーション(265) ほかシマック
薔薇の荘園(267)
果てしなき旅路(300)&血は異ならず(500)
プロテクター(321) 出来ればノウンスペース・シリーズ
柔らかい月(436)
レ・コスミコミケ(639)
緑の瞳(756) シェパードは少ない
世界の果てまで何マイル(1035)

番外:80年代SF傑作選(上下)、ホーカシリーズ、わが愛しき娘たちよ、都市と星、いまひとたびの生、オッド・ジョン、バーサーカー、ジョナサンと宇宙クジラ、宇宙都市シリーズ、などなど。10冊に絞れないので困る。

 私は高校〜大学時代、図書館で世界SF全集を借りて繰り返し読んだので、そちらを復刊してほしいな>と言っても買うかどうかは不明だ。

FT(番号順) もろ趣味。

イルスの竪琴 (009,021、034) ただし009のみ再刊されたようだ。
ファンタジー傑作選1,2,3 (007,028,057)
光の輪 (022〜025)
ウィランサーガ (062,063,064)
ボアズ・ヤキンのライオン (069)
魔法の歌 (092,095,097)
ムーンフラッシュ&ムーンドリーム (101,115)
吟遊詩人トーマス (166)
ミノタウロスの森 (169)
幻獣の森 (198)

別人格の選:ホムンクルス(123)悪魔の機械(128)、リバイアサン(131)、幻影の航海(154)石の夢(177,178)アヌビスの門(181,182)などなど

NVはよくわからないのでとりあえず

夢の棲む街

このラインナップはちっともSFものじゃないぞ。

2000.0403(月)
購入本
『母の友』 5月号/福音館書店
『こどものとも』 5月号/〃

 昨日は子どもたちとTVでロビン・ウィリアムス主演の『ジュマンジ』を見た。『ジュマンジ』は、オールズバーグの絵本で読んでおり、その一種静謐な雰囲気を映画はどう料理するのか、という点に興味があった。予想通り映画は全く原作の雰囲気とは異なっていた。いかにもアメリカ映画らしく、家族の絆という魔法で物語に肉付けをしているが、これはいわば在り来たりで、クサイ。そのあたりを割り引けば、ある意味単純な原作をうまくふくらまして、奥行きと動きのある面白いものに仕上げているとはいえるだろう。
 主人公が「ジュマンジ」というボードゲームの罰ゲームによって26年間も「ジュマンジ」の中のジャングルに閉じこめられてしまった、というふうに、「ジュマンジ」というゲームの「怖さ」を表に出したかったらしい。対象の多くが子どもだろうと言うことから、ジャングルの中から主人公を追ってきた狩人をかなりコミカルな設定にすることでこの点は和らげられている。
 映画としては予想よりかなり楽しめたが、怖さを優先した分、原作のもっと単純な「驚き」が表されていなかったのは惜しい。

 『星と生き物たちの宇宙』読了。もし未知の知的生命体と接触したら…?そう言う場合のガイドライン(行動指針)というものがあるのだそうだ。その中の1項として、「合意以前の応答の禁止」がある。最近はこの項目は外してもかまわないと言う考え方があり、著者の一人平林氏もそういう考えになってきたという。

「相手が100光年あるいは1000光年の距離にあったとしましょう。すると、こちらの返事が届くまでに、100年、1000年がかかるわけです。その間、こちらに合意があろうがなかろうが、相手は雑多なものを受け取ってもいいではないか、地球上にはいろんな考えや文化がある、それで、相手もそういうことがわかる、それで何が悪い。」

 ああ、この考え方、好きです。

2000.0402(日)
購入本フランシス・ジャム/『三人の乙女たち』/青土社
スティーヴン・ジェイ・グールド/『ワンダフル・ライフ』/ハヤカワ文庫NV
本多正一/『プラネタリウムにて』/葉文館出版

 昨晩2時半過ぎまで『神の子どもたちはみな踊る』を読んでいたので(読了)ひたすら睡眠をむさぼろうと決意していたのにも関わらず、なぜか次男が6時半頃から「こどものばんぐみみていい?」と起き出す。本当にどうして子どもは親が休みの時に限って早起きをするのだろうか!子どもというものの属性がそうなのだとしか言いようがない。根性で布団にしがみつくが、「おじゃ魔女ドレミ」あたりで片目を開ける。ハナちゃんがかわいい〜。きっと今頃ださこんの(特に男性)連中はこれを見ているに違いない、と思うとやはり不参加が残念だ。
 昨晩に続き、洗濯に追われる午前中だが、天気が今ひとつよろしくない。首から肩が凝っているためか次第に頭痛。

 『黄金の羅針盤』の続編が出ているかと思い、頭痛にもめげず池袋へ。どうやらこの出版は遅れているらしく見あたらない。引き出しで寝ていたデパートのギフト券で、現金で買うには二の足を踏むジャムの散文集を買う(5800円)。五代ゆう『骨牌使いの鏡』も奮発して買おうと思ったが、品切れだったのでがっかりとほっとしたのと半々、というところか。書棚をサーチしているときに見つけた『マルコポーロの見えない都市』新装版を買いそびれてしまった事に帰宅後気付く。

 同行した長男に、お弁当箱を買ってやる。ちょうど季節だからお弁当、行楽グッズの売場はいつもの倍以上である。ところがやはり漠然とした予想どおり、男の子用のお弁当箱の、色気も数もないこと。今までは給食だったから、時たまのお弁当にはタッパウェアを適当に組み合わせて使っていた。別にそのままでかまわないみたい、といった感じの品揃えにはちょっとがっかり。アルマイトのドカ弁は未だに健在。

2000.0401(土)
購入本
ジェイムズ・ロング『ファーニー』新潮文庫
「SPA!」/扶桑社

 雪山に遊んでいる間に世間は早や4月に突入。今年は暖冬だという割りにはスキー場の雪は多く、2メートル50近い積雪に喜ぶ。しかも着いた日は昼から小雪になり、翌朝までに少しではあるが雪が積もったので、リフトを4つ上がっていった山頂では真っ白に凍り付いた木々と足の下でキュッキュッと鳴る新雪のたまらない音に再会したのであった。

 連れ合いが専ら次男のご指導に専念してくれたので、私は何年かぶりにダウンヒルコースを滑る。慣れてきて感覚を取り戻してくると、この爽快感と緊張感はたまらない!
 このスキー場(奥志賀)は音楽をまったく流していないので、リフトに乗っていても回りの眺めを楽しむのに邪魔するものはない。渦巻く雲が急速に丸い青空を絞り込んで行くさまは『戦闘妖精 雪風』を思い起こし、回りの静けさと相俟って自分もその青空へ向かって猛スピードで突っ込んで行く錯覚にとらわれる。と、「どうしたの?」と隣に座る娘。よほどポーッと空を眺めていたのだろうか。気がつくと反対側の山稜から強風と共に雲が上がってきて、見る間に視界が遮られて行く。ふたりで寒い!冷たい!を連発しながら、「よっしゃー!」と滑る(かけ声だけ)。
 あとはずっとよく晴れて、午前中は春にしてはなかなかな雪を味わえたのであった。昨日は午後から義母の所に寄り、骨休めをし、今日の夕刻帰着した。またしてもC3PO状態〜。いでででで…(再)。

 専ら次男とたらたら滑っていた昨年と違い、今回はちゃんと滑って(滑ろうとして)くたびれたので、持参した本はあまり読めずじまい。キャロル『パニックの手』を読了、『星と生き物たちの宇宙』、『電脳社会の日本語』は未だに途中。


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最終更新日 01/12/31 01:11:37
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