日時計 2000年6月 日記

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▲最新の日記▼読了本

2000.0630(金)
購入本
薄井ゆうじ/『天使猫のいる部屋』/ハルキ文庫
波津彬子/『鏡花夢幻』/白泉社文庫
猫十字社/『小さなお茶会』/ 〃
安房直子/『鶴の家』/講談社文庫
 〃/『夢の果て』/ 〃

 『出版社と書店はいかに消えていくか』(ぱる出版)を馴染みの書店で訊ねる。「あのー、大変お訊ねしにくいんですが〜、コレ…」とメモを見せると、「あっ、こういうのはすぐ返品するようにしてますんで!」と冗談で応えながらもややあせりぎみ。「ブックオフ編もあるようですね」と言ったら「あっ、それ今読んでます!勉強しなくちゃいけないんですけど日々のことに追われてしまって…」と(比較的)若い店長さん。
 いぢめてないよ、応援しています!

 『夢の守人』の著者、上橋菜穂子は文化人類学者というもうひとつの顔がある。その著書『隣のアボリジニ』を読み始める。いわゆる白人の多い地域に住むアボリジニと親しく接して、白人の「お隣さん」として伝統とはずいぶん隔たって現代に暮らしている彼らを愛情深く報告している。その態度には非常に好感が持てる。
 たくさんの写真が掲載されていて、そこには著者も写っているのだが、そのお姿は作品と名前からイメージした感じとはだいぶ、というか全然違ったのであった。梨木香歩はまったくイメージ通りだったけれど、上橋菜穂子は、いつまでも学生っぽい、小花模様のギャザースカートにブラウス、カーディガン、ふわふわっとした柔らかい髪に色白の小柄な少女、という像とは全然違っていた

2000.0629(木)
購入本
江國香織/『泣かない子供』/角川文庫
赤江瀑/『オイディプスの刃』/ハルキ文庫

 次男を寝かしつけようとして、よしよしすりすりして、あーあと寝返りを打ったところまで記憶にある。目が覚めたら朝の7時だった。

 それより前、夕食後に『夢の守人』を読了。三部作の中ではもっとも抽象的だと感じる。その一方、ジンとタンダが戦うシーンなどはいつものようにリアルだ。前二作と同様、登場人物だれもが主人公だ。焦点が決まらない、と言う意味ではなく、誰もが厚みのあるそれぞれのドラマを持って存在している、ということ。また「木霊の想い人」にはアジモフ・ファウンデーションのミュール(だっけ)を思い出させるものがある。

2000.0628(水)
購入本
秋山瑞人/『鉄コミュニケイション』1,2/電撃文庫
お譲り本
早見裕司/『夏街道「サマーロード」』/アニメージュ文庫
 〃/『水路の夢「ウォーターウェイ」』/ 〃
マーク・レイドロー/『パパの原発』/ハヤカワ文庫SF
中井紀夫/『漂着神都市』/徳間書店
レジス・メサック/『滅びの島』/牧神社
 〃/『窒息者の都市』/ 〃

 無事寝坊もせずに早起きして名古屋の先まで行って帰ってきました(仕事)。別に富士山は噴火せず、トンネルも崩壊せず。名古屋駅は最近雲つく高層ビル(誇張)が建ったのでどうなったかと思ったが、中味はまるで新宿とそっくりで地方色も感じられず興味を持てなかった。

 帰りがけにセブンイレブンに寄って、Es!Booksで注文した『鉄コミュニケイション』1,2を引き取る。「鉄」は「てつ」ぢゃなくて「くろがね」なんですって。Es!Booksの利用はあるのかと訊ねたところ、今のところ「うーん、ふたりか3人くらいかなあ…」との返事。別レシートを4枚も切ってそれぞれにハンコを押さなくてはならないらしいのは、ちょっと面倒に見える。

 新幹線の往路は、職場の先輩と一緒に情報交換や仕事の準備、読書は少々。復路は一人だったので専ら読書。『夏と花火と私の死体』を読み終える。うーん、これはすごい。はい、双手を挙げて讃えます。併録の「優子」の真実はどこにありや?舌を巻く。

 続いて、巷で話題、書店で平積みの『朗読者』に突入。1時間半で半分(途中に居眠りを挟む)を過ぎたから、かなり読みやすいと言える。けれども、読みやすさに反して後に残るものは重い。「感覚の麻痺」については(どのような局面においても)直視しなくてはならない問題で、しかも「感覚の麻痺」という言葉には見るだけで実際に感覚(感受性)が麻痺してきそうな伝染性があるようにすら思える。この所のファンタジー三昧から現実世界に戻って読み始めたつもりが、電車を降りて現実世界を歩きながらも、方向こそ違え、目の前の現実とは違うあっちの世界にすっかり気を取られて歩いているのを覚える。『ソフィーの選択』だの『シンドラーのリスト』などが中にちらっと登場する。随所に散らばる問いに、自分はどう答えるか。

2000.0627(火)
購入本
岩本隆雄/『星虫』/朝日ソノラマ文庫
イタロ・カルヴィーノ/『水に流して』/朝日新聞社 
乙一/『夏と花火と私の死体』/集英社文庫
『SFマガジン』8月号/早川書房

 明日はいつも起きる頃に出掛けなくてはならないらしい(寝坊の恐怖)。車中で何を読もうかと物色。るんるん。でも大雨という声が…。

 『夢の守人』は「木霊の想い人」にバルサが感じる価値観の落差を、あたかも「今時の若いもの」との落差そのままに書いているように感じられて鼻白んでしまう部分がある。しかし夢の国での蠱惑的な程の花の描写、「木霊の想い人」の歌う、夢が叶う歌の描写などはいつもながら作者の力量を感じさせる。今日はタンダがタンダでなくなってしまい、トロガイが夢の国の息子と出会うまで。

 噂の『夏と花火と私の死体』の作者乙一は「おついち」と読むのだそうだ。そのまんまやん。

2000.0626(月)
古書
串田孫一/『物語 愛と幻想』/講談社文庫
澁澤龍彦/『ドラコニア綺譚集』/河出文庫
内田百けん/『阿房列車の車輪の音』百鬼園鉄道文集/六興出版

 『幽霊屋敷のコトン』深夜に読了。さあ今日くらいは早く寝ようとおもって極小缶ビールを飲んだが、あいにくとテレビの選挙関連のニュースが音量を落としてつけっぱなしになっていた。一旦選挙の経過を見てから、ついつい近くにあった『〜コトン』を取り上げてしまったのが運の尽き。ぱそこんの電源を落としてなかったのも運の尽きで、結局就寝はいつも以上に遅くなってしまった。

 『〜コトン』は、つねに何かの作品を想起させるのだが、それが何かわからない。その周りに浮かぶイメージは「メニム一家の物語」なのだが…。今まで読んだ井辻朱美のものとだいぶ違う、ほぼ現実世界が舞台の物語。ぼうっとした少女コトン(本名はミリー)が先祖の幽霊たちの住む屋敷を守っているところへ、新聞記者のハートランドが取材に現れ、一方、占い師のデオン女史がコトンの手助けにあらわれる。この女史の設定が、何かに似ているのだけれど、どうしても思い出せない…!!ああっ、気持ち悪い!!ミリーのニックネーム「コトン」とは彼女が綿花のようなふわふわした感じの女の子だからcotton。ピーターラビットの「カトンテイル」みたいだ(何年か前までちょっと近くに「カトンテイル」という名の、ピーターの上着色に塗られた喫茶店があっただが、行ってみようと思っているうちになくなってしまった)。

 やや現実に戻った所で、懸案の『夢の守人』の続き。
 それにしてもこのところの新刊ラッシュ(読みたい本ラッシュ)はいったいどうした訳だろう?とてもとても読むのがついて行かれない。新刊のピークの一つが今頃なのだろうか。

 先日MZT氏の情報によって『猫の地球儀』の秋山瑞人『鉄コミュニケイション1、2』(電撃文庫)をe!shopping-booksで注文してみた。近所の書店で見かけていながら買うのを見送っていたら、いざ買うつもりで行ったときにはもう消えており、しかも既に絶版とのことだったのである。e!shopping-booksを使うのは初めてで、その興味もあってのことだ。本の受け取り方法は、ヤマトの宅急便とセブンイレブンでの引き取りとが選択できる。セブンイレブンを選択すると、こちらの住所に従って近所のセブンイレブンのいくつかの店舗の地図が表示され、どの店舗で受け取るかを選択する。注文が完了すると、注文ナンバーが書かれた引き替え伝票がWeb上で発行される。後刻、27日に入荷予定とのメイルが来ていた。あの店舗でe!shopping-booksなんかを利用した人がすでにいるだろうか?訊いてみよう。

 三宅島の地震(噴火のおそれ)のニュースに娘が「ドラゴンヘッドだー、こわいよう!富士山が噴火する〜」と騒いでいる。ぎょぎょ、水曜日新幹線に乗るのだけれど、どうかトンネルの中で止まったりしないでください〜(怖)!

2000.0625(日)
購入本
佐藤亜紀/『鏡の影』/ヴィレッジセンター
吉田音(クラフト・エヴィング商會プレゼンツ)/『Borelo 世界でいちばん幸せな屋上』/筑摩書房
アリソン・アトリー/『農場にくらして』/岩波少年文庫
古書
夢野久作/『あやかしの鼓』/角川ホラー文庫
柳瀬尚紀/『ナンセンス感覚』/河出文庫
広井王子/『東方見聞録 竜の伝説』/新潮文庫 ファンタジーノベル・シリーズ
dエリノア・ファージョン/『町かどのジム』/福武文庫

 何も考えずに寝ていたら、起きてみると10時近かった。朝寝の幸せを感じるとともに一日損した気分にもなる。
 昼前に真面目に投票してきた後、午後から用足しに池袋へ。選挙のせいか雨のせいか、百貨店には人出が多い。

 再刊された『鏡の影』は、赤と黒のカヴァーで、以前の装丁のほうがやっぱり好きだな。絶版〜再刊までの経緯は、予想した程しつこく書いてあるわけではなく、およそ事実の列挙に近い感じである。
 すっかり出るのを忘れていた『Borelo』は、前作でも思ったのだが、ほんとうに「吉田音」という人物が実在するのかどうか、謎。この著者(クラフト・エヴィング商會夫婦の、中学生の娘)も商會の創造物(生物学的に、ではなくて)なのであろうと思っているのだけれど、真相はいかに?

 『妖女サイベルの呼び声』を読み返したくて帰りに実家に寄って取ってこようと思ったのだが、雨とくたびれたのとで見送り。ちなみにリブロのFTコーナーには見あたらず。

 「スリーピー・ホロウ」を見た当時に借りようと思っていつも貸し出し中だったティム・バートンの「ビートルジュース」を、娘が覚えていて借りてきてくれた。夕方ダビング&洗濯物畳みしがてら見たが、これが面白い。子供らしさを残すウィノナ・ライダーの喪服/魔女姿がかわいいし、死者の世界のカウンセラーばあさんがまたいい。字幕がまた笑えて、犬が吠えたところにわざわざ「ワン!」だの、英語の"Good idea!"に「ぐっど・あいであ!」だの、「バナナ・ボート」の歌詞に「胃と手、胃と手、胃と手」だの、ケッサク。すきだ〜、ティム・バートン。題名の「ビートルジュース(Beetlejuice)」は、ベテルギウスBetelgeuse(発音はBeetlejuiceと一緒)だったのでした。それ以上に深い意味があるのか?ビートルジュース本人がマイケル・キートンとは、終わりまで(出だしを見損なったので)分からなかった。えーん、マイケル・キートン、好きなのに。検索してみるとこの映画は「くだらない」という意見が結構あるようだが、この手の映画にくだる・くだらないはお門違い。

2000.0624(土)

 昨晩は10時頃、耐えられずに睡眠に突入、そのまま8時半まで朝寝坊。久しぶりによく寝た〜。低気圧病のため昼近くまでだらだらと過ごし、合間に『コーリング』を読む。『夢の守人』も手に取るが、この所もっぱら井辻朱美やサイベルに染まっている頭には現実味が強くて、今しばらくは受け入れられない感じ。ちょっと待っててね…。

 昼過ぎから昨年度のマンション理事会役員の女性だけのお茶会(ご苦労様会)。お手製のケーキやフルーツであれこれ良くしゃべる。
 割合規模の大きいマンションなので、全然知らないことがあれこれ起こっている模様。家庭内暴力で有名な家だの、ストレスで痴漢をしていた中学生だの、自治会の餅つき大会ばかりか隣接する小学校の餅つき大会にも、つき上がったお餅をごっそり浚いにくるローバだの、隣は国会議員(女性)の事務所だけどいったいそれ誰(だれも知らない)、だの。突然次男のピアノの先生候補が出現したり。
 夕方から出掛けようかと思っていたが、洗い物をして終了したのがもう5時過ぎ、こうして午後も非生産的に経過するのであった。

 某所から私のコーリングに応えて飛んできた『幽霊屋敷のコトン』を読み始める。もとなおこのブルー系のカバーが綺麗!

 近所に独りで住む実母がさいきん物忘れが目立つようになってきた。
 先日も、母の住所に来た私宛の請求書葉書(実は請求書ではなくただの支払い明細だったらしい)に対して郵便局で支払いを済ませた、と言う。いつ頃、どこで、どこ宛てに、と訊ねたが、全然要領を得ない。辛抱強く一つ一つ訊いてゆくと、さっき言った事とどんどん違って行く。終いに、分からない、忘れた、覚えていない、責めないで頂戴、になってしまう。住まいに関係することなので一存で何かされると困ることになるから、こちらもしつこく訊ねたのだが、どうも「支払いを済ませた」と言うこと自体が母の勘違いらしい。謎。おかしな事をしていなければいいのだが。
 そもそも私宛の葉書の中味を見て、私がそれを見る前に勝手にそれについて処理をしようとすること自体がおかしいのだが、その辺に関しては母は昔から無頓着なので、それを今指摘しても全然通じないし、うーん、うーん。そろそろ限界かしら、さて困った〜。

2000.0623(金)
購入本
門屋光昭/『鬼と鹿と宮沢賢治』/集英社新書
とみなが貴和/『EDGE2』/講談社X文庫white heart
川島誠/『ロッカーズ』/マガジンハウス
岡野玲子/『コーリング』1,2,3/ 〃
『週間小説』6/23号 特集・沖縄を好きになる/実業之日本社

 雨の一日。目覚ましで起きてカーテンを開けても、鈍色の空に沈み込んだような木立という景色では目覚めの刺激とはならず、しばらく茫然として機械的にお弁当作りをする。いかにもしっかりと降っていた雨は昼頃から小雨へ、そして霧雨へ。

 ハヤカワ文庫FTの記念すべき第1冊目『妖女サイベルの呼び声』をもとにした岡野玲子『コーリング』が復刊されたというので早速捜しに行く。1974年に書かれたサイベルは1979年に邦訳が出ていて、オリジナルの『コーリング』(潮出版社)は1993年。ハヤカワFTからは15年近く経ってから出されているということになる。
 コーリング、とは、サイベルが幻獣、時には人を呼び寄せるために心で放つ呼び声のこと。

 私のイメージの舞台とはだいぶ違う。とくに建物が。全体にサイズが大きすぎる。サイベルの館、といったって小屋(は言い過ぎだが)に毛の生えたようなもの。サイベルが呼び声を放つドームだけがクリスタルめいて魔法の産物らしい。メルガの小屋は粗末な、けれどもどこか暖かく雑多な住まいだ。コーレンの館も、彼等一族とて遊んで暮らしている殿様領主ではないから、もっと農家に近いはず。全体にもっと回りの風物と一体となったような建物を私はイメージしているので、堅固な石組みの城郭はこの世界にはそぐわない感じ。サイベルは、ほんとうはごく普通の感性をも持ち合わせ、見た目には強さを感じさせるような姿形というわけではない。彼女の力が彼女の外部に向かうことは稀だから。ロマルブの美しさは私の心を離れない。そしてコーレンは…(はあと)。

 などなど、ずいぶん違いはあるのだけれど、私なりのサイベルはすっかり私の中に根を下ろしているので、岡野版サイベルはそれはそれとしてとても楽しめる。なんてったって岡野玲子だから。キャラクターも皆岡野玲子してる。鎧だの鎖かたびらだの、小道具が視覚化されているのは嬉しい。しかしよくサイベルをコミック化したよ>岡野玲子。とりあえず1巻目読了。

 それにつけても、この作品の文章はぎりぎりに削ぎ落とされていてひとつひとつ心に響いてくることを改めて感じる。あの厚さ(薄さ)でこれだけの内容が詰まっているとは実に驚異だ。『コーリング』は『サイベル〜』の、容積にして12倍はあるぞ。サイベル、もう何年読んでいない?
 それから、お願いだから題名の「妖女」は削除して下さい>早川書房さま。

2000.0622(木)
購入本
山尾悠子/『山尾悠子作品集成』/国書刊行会
井辻朱美/『ファンタジーの森から』/アトリエOCTA
ヨハンネス・デ・アルタ・シルウァ/『ドロバトスあるいは王と七賢人の物語』/未知谷
サン=テグジュペリ/『南方郵便機』サン=テグジュペリコレクション1/みすず書房

 というわけで燦然とかがやいております>山尾悠子作品集成。函から取り出すと藤紫の布装である。ラベンダー色ともいう。作者の後書きに嬉しいおまけがドンと付いてる。山本和人さんいいないいな。

 予約した某書店(ばればれ)注文カウンタに運ばれてきたこの本は、しかし輸送時にくくったテープが函に食い込んだ跡が付いているぢゃありませんか。ありがたくお返し。新刊の棚にあったのを横目で見ていたので、取り替えを頼むと「在庫を確認します」と去って行き、戻ると「在庫がないので取り寄せになります」おいおい、今そこに積んであったよ。
 何冊も入荷しているのだから、予約した本くらいせめて傷がないものを選ぶというような気遣いはないものか。大書店に行けばまず間違いなく入手できるのをわざわざ予約するというのは、言ってみれば心意気なのだから。

 予約(取り寄せ)本がようやく入荷してみれば、傷や汚れが付いているなどのことは結構あって、思わず心の中でゲ、と思うがよほどでないと断りにくい。急ぐものでもないから行きつけの書店で買おうと、注文後に大書店で見かけても見ないふりをしてじっと入荷を待つ、そんなときに限って、やっと入荷した本はバッチイような気がする。書店員さん、本は丁寧に扱って下され〜。おねがい(書店員さんから同じおねがいが返って来そうな気もする)。昨日の注文本は噂の『EDGE2』。

 普段利用しない電車に乗ろうとして職場近くの駅のホームにいたとき、線路沿いにリサイクル系古書店があるのを発見。後刻寄ってみる。大して広くない店内の半分以上はコミックだったが、せっかく近所にあるのが分かったのでたまに偵察してもよさそう。でも、えろ本関係はもうちょっと違う場所に置いてくらはい。

 昨晩『トヴィウスの森の物語』読み終わり、『夢の守人』に入る。『トヴィウス〜』はかなり好きだー。愛読書になってしまいそう(はあと)。それにしても形而上下双方的に、積ん読本の下敷き状態であることよ。

2000.0621(水)
購入本
浜下武志/『沖縄入門』/ちくま新書
寛仁親王妃信子/『四季の家庭料理』/知恵の森文庫
かまたきみこ/『クレメンテ商会』/朝日ソノラマ
図書館本
上橋菜穂子/『隣のアボリジニ』/筑摩書房
 〃 /『夢の守人』/偕成社

 今日は夏至。おお、いつの間に。

 ええと寛仁親王というのはヒゲの殿下だったかしらね?TVで拝見するのよりもずっと小柄だった印象が。その奥方の料理本、肝心のお料理の写真くらい入れて欲しいなり。

 図書館にリクエストしておいた上記2冊を借りた。『精霊の守人』『闇の守人』に続く『夢の守人』をつい最近上梓して3部作とした上橋菜穂子は、いっぽう文化人類学者としての顔を持つという。そこで同時にリクエストしたのが『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民である。
 私がアボリジニ(オーストラリア先住民)の存在と出会ったのは、ハヤカワ文庫FTのウィランサガ(パトリシア・ライトソン『氷の覇者』『水の誘い』『風の勇士』)においてであった。アボリジニの神話・伝説に題材を取ったこの物語は、あらゆるもの、たとえば風、水、大地、岩そのものにまで精霊が宿る世界が舞台である。一見日本のアニミズムと近いようでありながら、それが生まれ育った土地の違いを反映して、大きく異なったものを感じた。岩の精霊の中を流れる時間はごくごく緩慢なものであって、岩が何かを考えるとそれだけで何十年も何百年も経ってしまうくらい。
 アボリジニの、精霊たちとの関係を見て、自分の意識を無にするようにして自然や宇宙の中に網の目のように延ばして行くやり方がわかったような気がした。
 ひどく感動したものだから、続けて同じ作家の『星に叫ぶ岩ナルガン』などを読んだり、アボリジニの神話を読んでみたりしたものだ。しかし今現在アボリジニはどういう生活をしているかを知るにつけ、こんなに崇高な世界観を持った人々がどうして…という思いを禁じ得なかった。またウィランサガのイラストが、それ自体は実に素敵なものではあったけれど、実際のアボリジニの風貌とはぜんぜん異なったものであったとわかったとき、なんだか裏切られたような気がした。なぜ実際のアボリジニらしくしなかったのだろう、と。何か底に働く意識があったのではないか、と。
 そんなこともあり、また守人シリーズにおいて上橋菜穂子の文化人類学者としての側面がどう作用しているかにも興味があったのである。

 この『隣のアボリジニ』をぱらぱら見ていると、連れ合いがニコニコして差し出すのがちょうど敵さんが読んでいる『怪』第7号「特集 アボリジニ&妖怪ブックガイド99」(角川書店)である。水木しげるが、アボリジニのところへ行って1週間ボンヤリしてきた、とある。曰く

アボリジニは、絵が無類に好きらしい。
文字はない。寝ることが好きなようだ。(略)
始めは、なまけ者だと思っていたが、いまでは、人間本来の姿、即ち、人間がそういう生活をしてみたいと思っている生活を送っている人々なのだということが分かった。

 水木しげるの旅日記、簡単な現在のアボリジニその神話の紹介など。うーん、これも併せて読むべきらしい。
 それにつけても神話や伝説、伝承などには心惹かれる>オキナワンしかり。
 さて、『トヴィウス〜』佳境に入ってきたから早く読まなくちゃね。『夢の守人』はその後で。そうそう、井辻朱美って一つのセンテンスが短いのだ。

 yahooオークションに出品されている「タイムマシン(本物)」、あちこちで話題になっているらしくてWeb情報にチョーうとい筈の我が職場でもなぜか突然話題になる(私が話題提供したわけではない)。でもさー、Q&Aぐらい読んでから話題にしたらー、ピントはずれてるよ君らの感想(またまたやり投げ<<<投げやり)。

2000.0620(火)

 きょうは山尾悠子作品集成の発売日。しーかーしー、池袋リブロに問い合わせたら「まだ…入荷が遅れていて…版元に問い合わせてみます」折り返しかかってきた電話によると、今日取り次ぎ入荷、書店への配本は2,3日から1週間あととのこと。殴>国書刊行会

 帰宅した長男がおなかを押さえて「…腹痛てぇ」と体を折るので、昨日腹痛だった私は驚いて「どしたの!?」と訊く。「…いや、腹筋。」

 一日室内にいたのでまた冷房病のケが。カーディガンを着て靴下も穿いているのに。暑くても昼休みに一度外に出ると体温調節機構が何とか元に戻るようなので、夏はなるべく外出を励行しているのだが、きょうは前半お弁当+『トヴィウスの森の物語』(井辻朱美)、後半睡眠で終わってしまったのである。

2000.0619(月)
購入本
クリフォード・A・ピックオーバー/『2063年、時空の旅』/講談社ブルーバックス
フィリップ・K・ディック/『シビュラの目』/ハヤカワ文庫SF
ピアズ・アンソニイ/『セントールの選択』/ハヤカワ文庫FT

 昼休みに『エルガーノの歌』を読み終える。多くは、この世…この世界の流れから一歩脇にどいた者たちの物語だ。ことに一番最後の表題作は、『パルメランの夢』をどこか彷彿とさせる雰囲気を湛えていて、ラストシーンが素晴らしい。読み終えてその世界の余韻がさめやらぬまま、書物の重い表紙をぱたりと閉じる…といったシーンがぴったり。残念ながら現実にはペラペラの文庫本の表紙。さっそく『トヴィウスの森の物語』に突入する。『幽霊屋敷のコトン』は某オフ会で私の鼻先を掠めて去っていった記憶が…(泣)。

 昼過ぎから、おなかがシクシク痛い。3時過ぎにばったり30分ほどダウンする。いででで、と言いながらでっち上げた夕食の後にソファで転がっていたら治った。そのためかどうか、またもドラマ『永遠の仔』を見逃したー。どうも月曜のドラマは分が悪い。

2000.0618(日)
購入本
ヨゼフ・チャペック/『人造人間』/平凡社
ロバート・シーゲル/『歌うクジラ』/創元推理文庫
ブレンターノ/アルニム編/『少年の魔法のつのぶえ』/岩波少年文庫(新装版)
カニグズバーグ/『ティーパーティの謎』/ 〃
フィリパ・ピアス/『真夜中のパーティ』/ 〃
岩波書店編集部編/『なつかしい本の記憶』/ 〃
ローレンス・ノーフォーク/『ジョン・ランプリエールの辞書』/東京創元社

 『レキオス』にも突然出てきてびっくりしたスーパーカミオカンデ(岐阜県神岡町)で、ニュートリノの質量が観測されたとのニュースが。と言ったって何のことかわかっているわけでは決してないのだが、なんだか名前からしてかっこいいよなあ>スーパーカミオカンデ。

 サンシャインに息子二人と行くが、サンシャイン文化会館なんてほとんど行ったことがないのでちょっと迷って、ナムコナンジャタウンの前に出てしまったきり行き止まり。私の行きたいのはいったいどこ?ようやく捜し当てれば、あらっ、やってるはずのイベントがない。はて、と持参した葉書をよく見たら、おおお、ご用のイベント(とあるセール)は来週ぢゃありませんか(惨)。

 このところ面白そうな本がどんどん出るので途方に暮れてしまう。今日も、戸井 昌造『沖縄絵本』(平凡社ライブラリ)、金関寿夫『アメリカ・インディアンの口承詩』(同)などをあきらめる。
 帰宅して家の中の惨状を見るに、辰巳渚「捨てる!」技術(宝島社新書 )こそ買うべきだったかと反省するのであった。

 つつついに『ジョン・ランプリエールの辞書』を買ってしまった。もう3刷。西武百貨店でたまったポイントを商品券に換えてもらい、右から左へ本代となったのであった。
 これを買ったリブロの児童書のカウンタで、先日、店員さんたちの「イバラードって…」「井上直久が…」「ひとつ入れてみてから…」などという会話を聞いたが、今日見るとしっかり画集『イバラード』が平積みしてある。それをきっかけに店員さんのひとりにしっかりイバラードノススメをして、いくつかのイバラード関連サイトがあることをお話しする。

 『エルガーノの歌』は一番最後の表題作を残すのみ。どれも好きだが、先ほど読んだ「ファラオの娘」の、自分が死んだのすらよくわかっていないような、遙かな昔に霊となった本当の主人公が印象に残る。

2000.0617(土)

 子どもはどういうわけか親が休みの日に限って異常に早起きするものだが、次男は最近休日でもあまり早く起きないようになったので有り難い。ちょっとオトナになったのかしら。

 風呂場の床に細かいヒビが目立ち始めたり、浴槽の隅っこに錆が出始めたりしている。トイレの給水も、配管の中の水垢だの錆だので細くなりがち。洗面台にもひび割れが…要するに水回り全般にガタが来ているので、そろそろ手を入れなくてはならないようだ。来年あたりが限界らしいので、知り合いの建築会社に行ってごくごく大ざっぱな見積もりを聞く。どうせ手を入れるからには、あんなふうとかこんなふうとか、聞くだけならタダだもんね。後刻…ううう、そりゃやっぱり実現するにはひゃくまんえんでは出来ないよねぇ…(没)。積み立てしなさいと連れ合いのお達し。ご本と咳払いをして誤魔化す。

 朝いきなり「きょう7時から婦人会だよっ」の電話が入る。長男の中学までの友人の母親同士の親睦会@養老の滝である。「ハ、ハイ、わかった〜」と返事するが、たらたら一日を過ごし夕方近くになるとやはり行く元気が元々なかったことに気づく。既にその時夕飯の支度は放棄したあと。ケンタッキーが30周年で安い、と子どもたちが騒いでいたので、それを口実に夕食はケンタに決定。大騒ぎする割りにはケンタは必ず残すのが毎回のこと、案の定今日も、安いからとせっかく買った10ピースほか、しっかりお残しである。食べられるくらいだけ買ってきて頂戴>連れ合い&長男!

 井辻朱美『エルガーノの歌』は13篇の短篇集。日中は結局いつも通りまとめ家事(とぱそこん遊び)で終わってしまい、夕食後にようやく続きに取りかかる。彼女の文には、すとんと胸に落ちるものが随所にあって、しかも心の湿り気をからりと取り去ってくれるような作用がある。

2000.0616(金)
購入本
ポール・ギャリコ/『マチルダ ーボクシング・カンガルーの冒険』/創元推理文庫
加納朋子/『ガラスの麒麟』/講談社文庫
梶山季之/『せどり男爵数奇譚』/ちくま文庫
週刊朝日百科 『世界の文学』第48号 SFと変流文学
  〃          〃    第49号 ホラー傑作選

 突然職場で「○○占い」の数々が飛び交う。みんな秘かにネットで遊んでいたらしい。

 『いちばん初めにあった海』読了。『ななつのこ』『魔法飛行』『掌の中の小鳥』につぐ加納朋子の4作目だそうだ(3作目は未読)。
 表題作と「化石の樹」の2作が収められている。しかも、一読して語り口も文体も違う、何の関係もなさそうなこの2作が、実は表と裏、合わせた両てのひらのように、互いに補完し合う関係にあるのだった。
 清涼感にあふれた文章はいかにも加納朋子。「化石の樹」ではちょっと村上春樹入ってるかも。どちらも大木が重要な役どころを与えられているのがこの2作を貫く矢である。初めの2作とはやや趣を異にした重い設定だが、それもしばらく読んで行かないとわからない。加納朋子らしく、どろどろした方向には行かない。どちらも終わり方が雨上がりのように晴れやかなのが、梅雨の時期にあっているかも知れない。

 週刊朝日百科『世界の文学』48号、49号を文字通り斜め読みする。20世紀後半が主に取り上げられているのだが、ごく大ざっぱに目を通してみたあとに心に残るのは、漠然とした焦燥感や不安感。拠り所のなさ、存在の不安定さ、といったところか。(存在の不安定さ、って何?)あまりにも多岐にわたる価値観、自分の見ている世界が本当に真の世界なのか、という常に水面下にある疑い、そのようなものに、好むと好まざるとにかかわらず触れないわけにはいかないのが、この半世紀あまりの文学(を含む芸術)だということなのだろう。そう、当たり前のことを当たり前と思っていることの罪悪感をかき立てられたと言ったら近いように思う。

 ちょっと気分転換に風のような井辻朱美に行ってみたい。『エルガーノの歌』にしよう。

2000.0615(木)

 『はじまりの骨の物語』読了。そりゃあゲルダときたら『雪の女王』でしょう。ということでネタ(の一部)はすぐに割れるのだけれど、北欧神話に限りなく近い設定がよく生かされていて後半特にグイグイとひっぱって行く力がある。スバラシイ。

 加納朋子『いちばん初めにあった海』半分くらい。このひとのじれったいほどの細かさとテンポのなさがいつもながら特徴的。

『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)がいよいよ6月20日に発売。予約しましたかー?

2000.0614(水)
購入本
『ネムキ』7月号/朝日ソノラマ

 この時期、柿の木の下を通ると、木を見なくてもそれと分かる。小さな柿の赤ちゃんが、それでもヘタの形は一人前に、たくさん落ちているからだ。こんなに落ちてしまってだいじょうぶかと思うくらい。そういえば柿の葉寿司はおいしい…。
 なんだか麦わら帽子にランニング、捕虫網がつきものの夏休みの匂い、と形容したい匂いを放つの花も、雨に打たれて落ち、毛虫のような死骸をさらしている。栗はこの花の後いつからあのイガイガが出来るのだろうと不思議でならないが、気がつくといつのまにか指の先ほどのちいさなちいさな緑色のイガイガの赤ちゃんが出来ているのである。
 良い香りを放っているのは、泰山木くちなしだ。どちらも同じ系統の芳香だが、泰山木は高木で、花は大きいが上をむいて咲き、しかも大きい丈夫な葉にさえぎられてそれと思って見上げないと以外に気づかれない。花が散ると、淡いクリーム色の肉厚の花びらは、手のひらをくぼませたような形をして雨をためているが、すぐに茶色に変色してしまうので道行く人には無情によけられてしまう。

 近所に古くからある工場が、近々大きなマンションに変わるそうだ。敷地には古い工場らしく何本もの木々が植わっており、中でも道路沿いには道路を挟んで隣接する小学校の桜並木に呼応するように、それぞれかなり大木の椎の木と銀杏の木が聳えている。マンションはかなり戸数を多くしないと採算が合わないと言う話なので、道ばたにあるこの大木も伐採の憂き目に遭うのではないかと気をもんでいる。
 つい1,2年前までは秋になると椎の実が歩道にたくさんたくさん落ちて、保育園の園児らがわざわざ拾いに出掛けるほどであった。なのに隣に大規模マンションが建ってからというもの、そこの住民の苦情でもあったらしく、毎日きれいに掃除されるようになってしまって、昨年はほとんど椎の実を拾うことが出来なかった。
 どうか、この道のシンボルのようなこれらの木々を切らないで…。木を生かしてやって。

 息子はこのところBSでまとめて放送している「ロッキー」のシリーズにはまって、せっせと録画。スタローンのようなタイプは好きでないので今まで見たことがなかったが、ちらっと見るに、確かにある種のつよい魅力がある人だと思った。想像より声が低いのに好感。

 ちょっと前に、文藝春秋の広報誌『本の話』5月号に、池上永一が長野まゆみの新刊『サマー・キャンプ』についての記事を書いていると聞いて、いくつかの書店を探したが見あたらない。文藝春秋に問い合わせメイルをしたところ「折り返し入手方法を連絡させる」という返事があった。今日それらしい郵便が届いていたので見ると「5月号は浅田次郎の記事があったためか品切れなので、池上永一の記事のコピーを同封する」との内容だった。太めの青インクの万年筆で書かれた文面は、いかにも往年の出版関係の人間、といった感じの書きぶりで、なんだかいいなあ、としみじみ見入ってしまうのであった。ありがとうございましたUさん。

 池上永一は、(当たり前だが)オキナワンの匂いのないこのような文章では、センテンスが短いせいか歯切れの良さを感じさせる。けれどもその作品に見られるように、いくらでもいくらでもまだまだ文章が紡ぎだせるというふうな不思議な特質をここでも見せている。長野作品を「中間色の世界で溢れている」と評しながら、彼の文章には彼独特の色彩感がある。この人、これからどういう風に変化、成長して行くのだろう!とまた思う。

2000.0613(火)

 夏椿の白い花が涼やかだ。濡れそぼって帰る夕方、雨はなんだか西瓜の匂いがした。

 久しぶりに感想を書き止めなくては、と『水の都の王女』『神住む森の勇者』のコメントをちらっと書き始めるが、とにかく長くて複雑なのでどうしたらよいのかわっからない。一旦中止。考える時間が欲しいよう。

 読む時間と書く時間。読むのはそれほど遅いほうではないが、書くのはどうも遅いようである。と言うより、文章になる前の段階の「考える」「頭の中をまとめる」などの作業にまとまった時間がとれないから、遅い、遅い。
 感想や寸評を書くことを念頭に置いて読むのとそうでないのとでは、本の楽しみ方が違ったものになってしまうように思うので、これまで自然に感想がまとまったものだけに限って感想を書いてきている。けれどもそれとは別に、何とかまとめたいのにまとまらないというものも多いのは事実だ。時間の使い方をまた見直す時期なのかも知れない。
 物語にひたすら翻弄されるのを大きな楽しみとしている私、感性のひとである私にとって、本を読んだときの形にならない思いや雰囲気を分析して、文章に定着させることは非常に疲れる作業だ。でもこれが面白い。単に好きではじめたWeb遊びなのに、せかされる仕事のような気がして、しかも楽しく嬉しいというのはどういうことだろう。

 小学生の頃、『まぼろしの白馬』を読んで、この世界を誰かと共有するなんて、考えられなかった。ナルニアを読んだ級友が、「アスランが」などと登場人物の名を現実世界で口に出すのを聞き、耐え難かった。そんなこと、大事すぎてとても私には出来なかった。それが今や、毎日本の話ばっかり〜(嬉)。

 『はじまりの骨の物語』を片手にしばし夢の国へ。2時間は「しばし」というにはちと長いか。よろよろ起きてみたらソファで娘がぐっすりお寝み中。

2000.0612(月)

 朝出掛けようと言うときになって、次男が「きもちわる〜い〜」…。風邪である。ひどくなってからでは困るのでとりあえず急ぎの用がない今日、休む。ううっ。

 次男が眠っている間、懸案のリンクページを直すが、やたらに時間ばかりかかって自分ながらイヤになる。第一優先の読書に切り替えたのは午後。昨日から読んでいる『はじまりの骨の物語』は五代ゆうの富士見ファンタジア長編小説大賞(長いっ)受賞作。1993年当時、大学生だったというが、先に読んだ『<骨牌使い>の鏡』に結実するだろうその作家としての骨格がすでに見られる。次の『機械じかけの神々』も『遙かなる波濤の呼び声』も入手できたので、どう発展して行くのか楽しみ。

 ピコピコやりながら台所では紅茶豚を仕掛けているのでいい匂い。

 紅茶豚は、豚ももやロースの塊肉をぎりぎり入るくらいの小さい鍋に入れ、紅茶(ティーバッグ)と共にお湯を注いで中火〜弱火にかけ、そのまま中まで火が通るのを待つ。常にお湯がひたひたになっているように注意、たまに上下を返す。火が通ったら、熱いうちに、ぎりぎりの大きさの(ガラスなどの)容器に移して、醤油、柚酢(柚の絞り汁)または米酢、みりんの漬け汁に浸しておく。熱いうちは時々ひっくり返し、さめたらポリ袋に移すようにすれば、漬け汁は少量で済む。要するに煮豚のバリエーション。
 煮豚は、ねぎ、ロリエ、適当なハーブ類で煮た香味豚とか最初から甘辛い味付けにしたのとかいろいろ出来て簡単。あまったら刻んで炒め物や和え物に。はい、お弁当にも!うちの明日のお弁当はこれだね。

2000.0611(日)

 そこそこの睡眠をとりやや元気回復。台所の掃除など。雨の中を洗濯屋、パン屋、図書館などに行って来たら、あまりの荷物の重さに、それきり労働意欲を失う。

 『神住む森の勇者』(下)を読了。初めからの伏線(設定)がさいごまで生かされていて、収まるべきものがそれなりのところに収まったという見事な出来。ファンタジーにしては、有力な登場人物たちのそれぞれの動機があまりにも様々なので、それぞれの動き、展開を理解するのは一筋縄ではいかない。ラストも「お約束」に陥ることがなく納得できる形になっている。amazon.comなどで捜すと、キイズはほかにも何編かの作品を書いているので、なんとか日本語訳が出ることを望む。ただ万人受けはしないかもしれない。解説が石堂藍氏で、これ以上何を付け加えることがあろうかというもの。あれを読んでしまったら感想は書けないよなぁ、と思う(が、いちおう努力してみよう)。

 思いっきり違うものを読んでからでないと次の候補『はじまりの骨の物語』(五代ゆう)は読めない、と思ったのだが、何のことはない、この所ファンタジーづいている頭はすんなり『はじまり〜』を受け入れている。同時に現実世界への適応に難を感じるこの頃ではある。

 現実世界では13日が娘の誕生日なので、労働意欲喪失につき今日は焼き肉屋でお祝い。腹一杯運動である。

2000.0610(土)
近所のふるほんや
メアリー・シェリーほか/『フランケンシュタインの子供』/角川ホラー文庫

 娘の高校の保護者会に行く。普段通り起きるはずが、二度寝してしまい15分遅刻。
 朝から小雨で、かなり涼しいのに、車内、室内はとにかく蒸し暑い。薄手のシャツを羽織ったり脱いだり忙しい。一緒に行った次男も「あちゅいー」「しゃむい」を繰り返す(まだ舌ったらず)。風邪もひくよなあ。

 保護者会の後で軽いお昼を、と立ち寄ったコーヒーショップ(名前忘れた、スターバックス方式のお店の一つ)でズズっとお茶をすすっていると、ぼうっとした目に入ったのは店内に設置されたいくつかのパソコン。おお、これがインターネットカフェ(のようなもの)かぁ。次男の食べるのがあまりに遅いのでひとつこれで遊んでみるか、とも思ったがやめておく。ちなみに料金は30分で350円。普通こんなもの?

 まだ『神住む森の勇者』で足踏みしてます。読んでいるのにハカがいかない。面白いのに、ばーっと読めるタイプの作品ではない、少なくとも私にとっては。

2000.0609(金)

 はあ、ついに今年も梅雨入りである。朝から雨、その上に強風。次男を保育園に預けたすぐ後、傘を両手で握りしめて歩いていると、いきなりの突風に傘の骨が曲がってしまった。おちょこ状態ではなく真っ向から風を受けてのことなので、よほど瞬間的に強かったのか傘が弱かったのか。いちばん最近に買ったダヤンの傘なのにー。

 連れ合いが百貨店で買ってきた近海マグロ、かなりおいしくて家族5人がおなか一杯になって686円。「今西武デパートの地下だけどなんか買うもんある〜?」と連れ合いから電話が入ると、いつもは遊んでないで早く帰ってこーい、遊んでるヒマがあったら保育園に迎えに行けー、と思うのであるが、こういうのはユルス。また買ってきてね。

 作家、漫画家のことを指して「作家さん」「漫画家さん」という言い方をよく見るが、どうしてもなじめない。「さん」をつけることによって敬意をあらわすというよりもむしろ、作家、漫画家と読者(自分)との境界をあいまいにした一種の一方的な仲間意識を感じる。「画家さん」「音楽家さん」「評論家さん」…。場合によっては揶揄しているようにも感じる。

2000.0608(木)

 せっかくなので、当サイトの掲示板(The Midnight Folk)から古書店関連の話題を拾って別ファイルにしました。

 ブックオフ等に関して
 今のところそれ程足繁く通うことが出来るほど近所にあるわけではない。たまたま行く機会があったときには、新刊書店で入手可能・不可能に関わらず、読みたいものがあれば買う。新刊で分厚くて高いものがいち早く割安値で出ていればもちろん有り難く買う、というごく単純な行動を取っているにすぎない。
 仮にすぐ近所に大規模なリサイクル系古書店が出来たら…?そのときには改めて自分の行動パターンを考え直すことだろう。うーん、冷や汗かも。
 ちなみに私のビブリオ係数は?うう、この2年ほど家計簿をすっかり放棄しているので何とも言えない(丼)。

 うわさのbk1のプレサイトが本日始動。まだ東へんしうちょう殿のお名前は見えず。

 相変わらず冷房病で不調。明日は休めないためついに本日は休む。とか言いながら今日もこうしてピコピコと〜。じごうじとくとか言う声が聞こえてくるような…。

 せっかくの休みなのでおとなしく読書感想の整理などなどをして過ごす。
 無料掲示板で過去ログが取れるところと言えばあそこだけれど、いかんせん説明でも謳っているように初心者に優しくない。いつまで経っても初心者(ほとんど自慢の域)の私はプリンタもつなげないよ>安田ママさん。いや、そんなこともないか。職場ではプリンタぐらい繋いでるぞ。というわけで試しに新掲示板を作ってみたりする(悩)。
 何のための休みか不明だが、頭痛と腹痛、肩こりとだるさに悩んでいるのは間違いない、と強調しておこう。さあ、横になって読書、読書。

 結局夕方まで睡眠。後刻、『神住む森の勇者』上巻を終わり下巻へ。これほど読みでのある本だとは想像しなかった。ヒロインのヘジは12歳にしては大人すぎないか、と思うが、この世界ではこんなもの、ということにしておこう。全くの異世界のはずなのにコーヒーが登場するところは興ざめ。

2000.0607(水)

 妹尾ゆふ子@うさぎ屋さんの掲示板で知った占いがなかなかいける。そのページの「そなたの性格診断じゃ」をクリックするのじゃ。ちなみに私は「金色の虎」。うさぎ屋さんの掲示板ではいろいろな訪問客の占いの結果が読めるが、それぞれになかなかいけるのじゃよ。例の動物占いはペガサスだったのう。

★金色の虎★
本能的なカンとひらめきだけを頼りに、山野をかけめぐる金色の虎です。金色ですから周囲の色によって、どんな色にでも早変わりします。あるときは樋の光にもまぶしいほどの輝やきを見せたかと思うと、光のささいな密林の中では、たちまち暗黒の中に溶け込んでしまいます。決して檻やや鎖につながれることはなく、もしつながれたら引きちぎってしまいます。いつも野にいて風の匂いを嗅ぎ、絢爛に変化する四季に喜怒哀楽を激しくぶっつけて、生きるエネルギーとします。短気ですが情にもろく、皮肉屋であって生まじめで、情熱的でありながら厭世的で、にぎやかなところが好きなくせに孤独ですから、地球人の尺度を超えた宇宙人なのか、天才なのか、あるいは何なのか。やっぱり流れる時の色によって七色に光輝く金色の虎に違いありません。そして、ここぞというときにこそ勝負をかける、波瀾万丈の勝負師なのです。

 昨晩は結局次男と一緒に寝てしまい都合8時間睡眠だったのだが、かえってリズムが狂ったのか、一日口を利く元気もなく呆然と過ごす。普段から無口なので誰もそれと気づかなかった様子。え?

 グレゴリイ・キイズ『神住む森の勇者』(『水の都の王女』の続編)を昼休みの友としているが、今週は帰宅してからはお疲れモードなので雑誌を拾い読みしたり『母の友』の連載記事を2,3ヶ月分まとめ読みしたりダラダラと過ごす。こういうときもあるのさあ(溜め息)。

 で『レキオス』ですが、やっぱり私の一押しは『風車祭』ですね>青木みやさん。池上永一をまったく読んでいない人がいきなり『レキオス』を読んだら沖縄ネタの部分がどう伝わるのだろうか?うーん、それにしてももっと長ったらしく書いて欲しかったと思うことしきり。もう一作早く書いて見せてくれい。池上永一がどんなふうになって行くのか、どういう力を持った人なのか、見たいのだ。
 しかし例の力に冠された名「レキオス」とは「大航海時代の琉球人を指すポルトガル語」の意味だとはなかなか意味深なり。

2000.0606(火)
購入本
五代ゆう/『機械じかけの神々』上・下/富士見ファンタジア文庫

 きょう6月6日は楽器の日なのだそうだ。昔からお稽古ごとは6歳の6月6日から始めると上達する、と言われているのにちなんだとのこと。そこでうちの6歳にも今日からお稽古を…ちょっとまねごとだけしてみました。

 連れ合いの風邪がうつった、というか、各々たぶん冷房病なのだと思うが、私も熱っぽくて頭が重くだるい(いつものこととも言う)。おまけにのどが痛くなり始め、おなかも怪しい。昼過ぎで仕事を切り上げ早退する。ナノニマタコレカイ、カエッテサッソクパソコンヲタチアゲル(^^ゞ

2000.0605(月)
購入本
佐藤多佳子/『しゃべれどもしゃべれども』/新潮文庫
ウィリアム・ギブスン/『あいどる』/角川文庫
家正則ほか/『地球と宇宙の小事典』/岩波ジュニア新書
『母の友』7月号/福音館書店
『こどものとも』7月号/〃

 『母の友』7月号を開くと巻頭近くに数葉の都会の風景を撮った白黒写真がある。ピント(古)がやや甘いような、変わった肌合いの写真である。これらはピンホール写真だという。写真家は…あれっ、これは鶴田静さんのお連れ合いのエドワード・レビンソン氏ではないか。ヴェジタリアンの鶴田静さんは安房鴨川に農家を改築して、自給自足に近い生活を実践して居られ、料理や花などのご本をいくつも出して居られる。鶴田さんの著作は、若いときにイギリスに留学してヴェジタリアンと出会った前後が生き生きと書かれている『ロンドンの美しい町』をはじめ、だいたい目を通している。彼女の多くの本はレビンソンさんの写真によって美しくかつ力強く飾られている。お二人のサイトがあるとは知らなんだ。鶴田さんのサイト、隣り合っているレビンソンさんのサイト

 ちょい不調。

2000.0604(日)
Book-Off本
井村君江訳・注/『妖精の国への誘い』/福武文庫
デュ・モーリア/『シンデレラの呪われた城』/ポプラ社文庫
L・アリグザンダー/『人間になりたがった猫』/てのり文庫
ベルンハルト・シュリンク/『朗読者』/新潮社

 先日から娘に「買い物に行こう!」とせっつかれていた。「だってもうすぐ父の日だし…」だしとは何だと訊くと「その前に自分の誕生日だし」こうやって父の日は文字通りだしに使われるのである。

 でもって昼前から母娘で買い物。でもその前に久しぶりに目白のル・…(内緒)でお昼兼お茶。なぜ内緒かって、ここのケーキは天国的においしいからである。今日のも期待に違わず美味であった。店を出て歩いている時、娘が「あ、ここにもブックオフあったんだ」と一言を発したおかげで、「あ、ホントだ!」と15分を費やす羽目に(嬉)。今売れ行き好調らしい『朗読者』を、やっぱり半額なら買うよなーとゲット。しかし読むのはいつになることやら。
 その後はおきまりの服だ靴だあれ欲しいこれ欲しい、をはねのけ服だけ。

 某市民オケのお手伝いに行っていた連れ合いが戻ってきて、熱があるという。朝からハナが出ると言って小青龍湯をのんでいったのだが、本格的な風邪になってしまったらしい。そろそろ寝る体勢になってゴロゴロしていた次男とならんで寝てしまったが、うつるなよ>次男

 踊るらいぶらりあんさんから教えていただいたデスクトップアクセサリのぴよどりは小鳥が好きな私にはうれしい。猫も好きなのだけれど、猫が徘徊するのはないのかしら。ただし一つ画面で共存させるのは難有りかも。

2000.0603(土)
購入本
井辻朱美/『コリオリの風』/河出書房新社
ウィリアム・モリス/『輝く平原の物語』/晶文社
別冊『幻想文学』渋澤龍彦スペシャルI/幻想文学出版局
別冊『幻想文学』渋澤龍彦スペシャルII/ 〃
Book-Off本
パウル・シェーアバルト/『星界小品集』/工作舎

 ね、眠い…眠すぎて、よろよろ起きると鈍い頭痛がするほど。
 曇り空なのに、洗濯機周辺は山のような洗濯物である。しかもふた山。うちでいちばんの働き者はどう見てもこの洗濯機である。

 午後から長男の高校の保護者会なので、通り道にあるブックオフに寄るべく、若干早めに家を出る。連れ合いは午後から不良しているので、気の毒に次男同伴である。
 保護者会では先だっての中間テストの結果が手渡されるのである。んー(無言)。まあ、以後いっそう頑張ってくれたまえ。因数分解の公式ぐらいちゃんと使えよ、私は忘れたけど。とかなんとか。

 帰りに池袋で遅い昼食(海鮮湯麺と水餃子を次男と山分け)。次男が明日はカレーが食べたいというので食料を調達する。とか言いつつずるずる向かうのはリ・ブ・ロ。ブックオフに大書店、本に愛があるのは確かなんだが。

 なんですって、パの字がひゃくえんですってえ。……いいのさ、きょうはあの方から嬉しいお知らせがあったから。ふん。それにどうせもうすぐパの字も復刊さぁ(やり投げ)<<<−−−投げやり

 ちびちび読んできた『水の都の王女』ようやく読了。うーん、さすがに評判だけのことはある。大河の神の力に翻弄される主人公たちを、物語の中の「心臓の糸」のようにきりきりと強い緊張をもって描いている。クライマックスへ向かうとき、それまでの大河の流れのようなテンポとはうって変わって、一気に盛り上がる。さっそく続編の『神住む森の勇者』上巻を開いたが、いきなりびーっくり。前作ですっぱり首をはねられたはずのゲーが口を利いているではないか!おお、作者のグレゴリイ・キイズはこの2作しか紹介されていないのか。なんて残念な!

2000.0602(金)

 夕食に、カツオを解凍して食べようと思ったら、ネギがない。たたき(土佐づくり)にして、ネギとすりごまをたっぷりかけ、そこへゆず+しょうゆをかけるのがおいしいのに。解凍してしまったので仕方なくサラダ風にしたらこれも意外に良かった。グリーンリーフ、良く熟したトマト、オリーブオイル、ハーブビネガー(自家製)、ゆず。もうすっかり夏の食卓。そう言えば昨日次男は保育園のおやつにスイカが出て、「おいしかったー」と言っていた。まだほかに誰も食べてないぞう。

 『エンジン・サマー』を拾い読みする。繰り返して読んでも、分からないところはやっぱり分からない。むしろ深く考えず、書いてあることをそのままストレートに受け取ることがいちばんの読み方だろうと思う。

 中に聖ブリンクが昔々の本を取り上げて「時間、生命、本(タイム、ライフ、ブックス)」と言う場面があるが、この「タイムライフブックス」は中学の頃近くの図書館でよく見かけたシリーズ本で、その中の『時間』と言う巻を何遍も借りたのを思い出す。ベリー候の時祷書に出会ったのもこの小さな本の中であった。
 あちこち拾っているうちに結局最後にさしかかり、またしても涙と鼻汁を流しつつ読む羽目になったのである。

 『水の都の王女』は主人公二人の道、というより流れが出会おうとするところまで。確かに変わってる。図書館に入り浸るヘジはいいなあ。もっとも彼女は止むに止まれぬ理由があってこもっているのだけれど。

2000.0601(木)

 日差しの割りに空気が気持ちよい日中、白い夾竹桃が目にも涼しげだ。濃いピンクのは見るだけで暑さ倍増だが、白いのは好き。

 夕食を作っている時、あまりにも暑いので換気扇を強にする。ゴウゴウという音も暑さを増す。連れ合いからの電話を受けた長男が「今どこ?千石?すごい大雨?あと何分で帰る?うん、わかった」と言っている。それを聞き、そうかこれから大雨が降るのか、そう言えば洗濯物を取り込むのを忘れていた、と外を見やると、まだ暗くなりきっていない空は確かにあやしい暗灰色である。「洗濯物早く取って〜」と言いながら長男とベランダに向かう。次の瞬間、二人で声を揃えて「大雨だー!」既に音を立てて降り始めていた雨に、換気扇の音で全然気づかなかったのであった。
 本当に最近の夕方の雨は特に、降れば大雨。亜熱帯化だ、おおこわ。

 『水の都の王女』下巻の半分。上巻に比べペースが速い。独特の世界にすっかり慣れて、展開が楽しみ。このまま続編にも突入の予定。


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最終更新日 01/12/31 01:11:32
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