日時計 2000年11月 日記

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▲最新の日記▼読了本

2000.1130(木)  

 月齢4の月が西の空に傾く。その下方には金星が輝いているが、あいにくと低い空に雲がかかっていて見る間にその中に没して行く。

 次男が朝からおなか具合が悪く、熱も38度ある。娘も昨日おなかが痛かったのだという。たぶん風邪の一種だろう。私は昼過ぎまでにどうしても片づけなくてはいけない仕事があったが、幸いに連れ合いが何とか都合をつけてくれて私が帰るまで次男のお相手。ありがたや、医者にも連れていってくれた。3時頃帰宅すると、ポカポカ日の射すソファで、次男はすやすや寝ているのであった。
 お気の毒に夜までの間、数回の下痢。アクエリアスとお茶で我慢していたが、さすがに我々がキャベツ・じゃがいも・にんじん・ソーセージのスープを食べていると恨めしそうな顔になり、ちょうどじゃがいもが半分溶けかけていたスープ(実なし)をあげると、うれしそうにちびちびと飲む。私が人参を口に入れようとすると「にんじんは…?」という。気の毒になりひとかけ分けてやる。幸いに熱も大方下がり、それ以後はおなか痛いとも言わずに寝付く。

 10時半過ぎに帰宅した連れあいが持って帰ったのがケーキ2個(年末ジャンボ10枚つき)。先日一足早く子どもたちからマフラー、連れ合いからはなくした腕時計の代わりをもらってしまったのだが、次男の風邪で冴えない誕生日当日にせめてものシルシ、ってことらしい。あたってね年末ジャンボ。

 次男が寝ているのを幸いに『ハイペリオン』の続きをせっせと読み、夕方遅くに読了!これだけのボリュームと面白さでありながら、やっぱりまだプロローグのようなものだったか!ご多分に漏れず、学者の話に感動する。領事の話はル・グウィンやティプトリー・ジュニアなどを思い出す。詩人の話が実は一番好きかも知れない。おぞましい、最初の神父の話に、SF的インパクトを感じた。どれをとりましても…と言いたくなる傑作だと思う。宗教とキーツという二つの大きな主題のどちらにもまったく疎いのが返す返すも残念だが、これだけ疎くても、こんなに面白い、というのはすごい。
 帰宅途中で、残りページが少ないからと図書館に『ハイペリオンの没落』を借りに行ったら何と、空しく玄関が閉まっているのであった>月末の休館日。『ハイペリオンの没落』が手にはいるまで何を読んだらいいのだろうと、ただ今腑抜け状態である。

2000.1129(水)  

 寒いが、日中はまだ寒くてたまらないというほどでは全くなく、むしろ晴れ上がった空に寒さが気持ちよい。

 ひたすら『ハイペリオン』の続き。帰りに次男の歯医者へ行き、待っている間に下巻に突入。

 先日この待合室の棚に、『かわせみのマルタン』(福音館書店)を発見、絵も文もとてもすばらしいのに感激。「わたし」の馴染みの美しい川にかわせみのマルタンとマルチーヌの夫婦が住み着き、二羽が仲良く寄り添って巣作りをし、ひなを育てる。月日が巡りマルタンもマルチーヌも死んでしまうが、また次の世代のかわせみがやってくる。川辺の美しさ、季節の移ろい、そこに住む魚や小動物の生態と、いのちの循環が、目を奪うほど美しい絵とゆったりしたテンポの説得力ある文で描かれていて惹きつけられる。しかし調べてみるとこの「カストールおじさんの動物物語」三部作は既に品切れなのだった。ほかの2冊『のうさぎのフルー』『りすのパナシ』もぜひ図書館で借りて読んでみる積もり。

2000.1128(火)  
購入本
トーベ+ラルス・ヤンソン/『ムーミン谷のクリスマス』ムーミンコミックス5/筑摩書房
ミステリマガジン1月号/早川書房

 きれいに晴れ上がった朝、強い風に木々が一斉に身を傾ける。と、枯れ葉が盛大に雨と散る小気味よさ。この空と風は一日続き、様々な種類の色とりどりの葉が至る所に吹き溜まりを作り、夕方外に出ると木々の梢は突然枝ばかりになっているのであった。ちょうど帰る方向の東の空に、木星と土星が明るく輝いている。保育園に次男を迎えに行き、「木星と土星が綺麗よ!」と指すと、「金星もみえるかなあ、金星とどっちが光ってるかなあ」と言う。家に向かいながら南西の空が見えるところに出ると、期待通り、ほとんど目の高さという感じに、金星が燃えるように輝いていた。「本当に金だね!こんなに光ってる金星って、初めて見たよ!」家に着いて窓から見るとほとんど真正面に見える、早速次男は双眼鏡を持ってきて、風が吹きつけるベランダから飽きずに金星を見ているのであった。

 『ハイペリオン』は第3章にさしかかったところ。
 この『ハイペリオン』にしても、先日のエンダーシリーズにしても、キリスト教思想がその作品の中で大きな位置を占めている。エンダーではまだ地球は半ば伝説的な星として存在しているが、ハイペリオンでは既に地球(オールドアース)は消滅して久しいというのに、キリスト教は凋落の一途をたどりつつもまだ生きながらえている。
 「人間の宇宙進出から3000年前に地球から600光年離れたところにキリスト教文化をうかがわせる遺跡があった」などをよみ、またデュレ神父自身の苦しみやハイペリオンへの(殉教の)旅の意味を思うとき、われわれキリスト教圏外の人間がどれだけ心情としてその部分を感じて読めているか、疑問に思わざるを得ない。もちろんそれはそういう設定として受け入れた上で、それ以外の部分で非常に楽しめているわけであるが、キリスト教的バックグラウンドが物語自身とわかちがたく結びついているはずの所で(菌糸がふかくはいりこんで取り去ることが出来ないように)おそらく沢山の読み落としがあるのだろうなと、心配性の私は気になってしまうのである。
 さてもう『ハイペリオンの没落』は図書館に頼んでおくべきだろうか!

2000.1127(月)  
購入本
SFマガジン1月号/早川書房

 職場の友人から。講談社英語文庫『幼年期の終わり』を誕生祝いに頂く>ヒラノさん。以前安田ママさんも何か言ってましたよねこれについて。
 英語文庫をちゃんと手に取ってみるのは初めてだ。大きさも紙面もペーパーバックの体裁で、紙質はちょっと良すぎなくらいしっかりしていて、行間に、めぼしい英語の和訳が墨色で印刷されている。実際に読んでみるとこのルビが結構目障り…これ読まなきゃダメ?>友人

 『ハイペリオン』は、なんだかカンタベリー物語になってきたらしい。まだ一人目の神父の話で、行方不明になったデュレ神父の手記の途中。

 午後から頭痛。寝不足の時のような頭痛で、帰宅後も治まらない。たまらずいつもより早く次男を「寝よう」と誘って、率先して寝る。昨晩はそれ程遅くなかったのに>蓄積疲労ならぬ蓄積睡眠不足?

2000.1126(日)  

 昨晩も遅かったので今朝はめいっぱい寝坊!の予定が、なぜか8時半には目が覚める。うーん10時くらいまで寝ていたかったのに。遅くなったのは『螺旋階段のアリス』を読み始めてしまったからで、この綺麗なおとぎ話にすっかりはまってしまった。4話を昨夜のうちに読み、残り3話は今日の夕方〜夜に読了。あっという間に読み終えてしまうのだから文庫化を待つとか図書館に行くとかすればいいのについ新刊を買ってしまうのはそれなりに加納朋子にはまっちゃったか。
 『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』のネタが嫌味なく用いられている。主人公の助手として現れる少女、その飼い猫ダイナ、トィードルダム&トィードルディー、赤の女王、白の女王など。いつもとちょっと雰囲気が違うかな?と読み進んで行くとやはりそれまでの話の中に周到に伏線が張られているのはやはり加納朋子。

 日中は腹をくくって掃除に専念(何もくくらなくても…)。床にワックスをかけたいものだがいつも先送り。リビングダイニングだけ、人が来てもどうにか見られる姿に復帰させるのが目標である。途中、お昼には昨晩のきりたんぽの残りに稲庭うどんを入れて食べたがこれが美味で食べ過ぎ(夜はこのため豆腐と青菜のくず仕立てと若布のおつゆ、佃煮と明太子)。私は掃除、連れ合いは仕事、姉はおデート、兄貴も遊びに行ってしまい、誰にも遊んでもらえない次男には、午後救いの神がお誘いに来てくれて助かったー。

 夕食が終わるや否や取りかかったのが『ハイペリオン』である。まだごく始め。最近どうもSFから遠ざかっていたせいか、いきなりどこやらの遠い宇宙から話が始まるので、脈絡なくスターウォーズを思い出したりしてわくわくする。わーい。

2000.1125(土)  
購入本
ダン・シモンズ/『ハイペリオン』上・下/ハヤカワ文庫SF
ガルシア=マルケス/『族長の秋』/集英社文庫
高山宏/『奇想天外・英文学講義』/講談社選書メチエ
池田あきこ/『ダヤンのおかしな国のお菓子の本』/中公文庫
バージェス/『アイスクリームの国』/みすず書房

 朝から次男の用事(ピアノ、保育園の「アート展」見学、歯医者)が続く。買い物がてらに焼き鳥を買って帰り、登校の長男をのぞく4人で昼食。最近土曜の昼に家族4人いるのは珍しいような気がする。カレンダーその他を仕入れに池袋へ。本当は銀座・伊東屋に行きたかったのだが池袋で用が済んでしまい、よかったようなつまんないような。東急ハンズとかヤマハとかリブロとか。

 本屋で書棚サーチしていて目についた『レナードの朝』とか『カフカ全集』とかあれとかこれとか欲しくなるが、優先順位と言うより時間切れのため上記にとどまる。「図書館で借りなさい!」という良識の声も聞こえたらしい。『ターシャ・チューダーのクリスマスの本』が欲しかったがこれも時間切れで見つけられず。

 『紫の砂漠』についてもう少し付け加えると、真実の恋関連についてはどうもその必然性が薄いように思えて、いまひとつ感情移入できなかった。ただし登場人物たちの「真実の恋」をめぐる気持ちに関しては共感する。設定自体が借り物のように思えたと言ったら良いだろうか。
 主人公より誰より、好きだったのが、名前のない詩人である。じつは私、大島弓子の『綿の国星』のラフィエルがたまらなく好きなのである。この漂泊の詩人に、ラフィエルの面影を重ねて読んでいたに違いないと今気付いた。
 また見守る神と告げる神、聞く神の三柱の神々についての謎解きは非常に面白かった。ただ真実が神話に変容するに至る時間の層がやや薄いように感じられた。
 「どんなものにも見つめるまなざしがあってこそ初めて意味があるのです」は紫の砂漠を幼い頃から見つめ続けてきたシェプシの存在によって、初めて世界の中心/果てである砂漠が本当の意味を持つという壮大な暗示の言葉と思える。そして一方、この砂漠の美が彼/彼女の視線によって初めて美という価値を持つ、という、「美の発見」それ自体をも当然指していると思われ、例えば先日読み返した「ホークスビル収容所」に描かれたカンブリア紀後期の無生命の陸地の広がりさえも、彼ら囚人の存在によって「美」を得たのだろうか、などと思いが広がり、ふと気付くとこの茫漠とした紫の砂漠をあたかも一つのインターフェイスのようにして、シェプシさながらに、あるいは様々な現実世界に、あるいはSF的、あるいは幻想的世界に、意識を差しのばそうとしている自分を見いだすのであった。

 長男がこそこそ「パソコンが欲しいっ」と照れくさそうに言う。一台、お古のノートタイプのをあてがってちょっとだけ使っているのだが、「何に使うの」ときくと「インターネットとか、したいっ」などという。お古なら連れあいの関係から簡単に手に入るけれども、ネットというとうーん回線がブツブツ。「父さんが帰ってきたら訊いてみたら」と右から左へ振る。
 と、娘もまた別個に「宿題があるからコンピュータ貸してよ」と占領。なんだエクセル使うんだったら遊んでいないで11時前にしてくれっコイツめ(願)。

 キース・ロバーツ「深淵」読了。シーロックとかシー・ジャズとかことさらのような名称にはちょっと笑いたくなるような違和感と古さを感じるが、英語で読めば多分しっくりと文の中に納まっているのではないかという気がしてならない。彼の作品の底流をなす進化・変化と「古い者」の海洋版。
 これに続いて掲載されているのがゼナ・ヘンダスン「けれど、幼い子供には…」で、ちょっと疲れ気味の今日を締めくくるのにはちょうど良さそうだ。

 つぎは、『ハイペリオン』?それともえいご?なんだかやっぱり飽和状態らしい。

2000.1124(金)  

 職場の仲間と鎌倉散歩の後、七里ヶ浜のイタリア料理屋「ア…○」にて遅めの昼食。メンバーのうち2人が20代の頃、というのはまだイタリア料理がはやる前、鎌倉にとても気に入っていたイタリア料理の店があったが、シェフが本場に修行に行ってしまい店がどうなったのかわからなくなってしまったという。それが最近まったく偶然にTVで紹介されているのを知って早速予約を入れた、というわけだ。
 たしかにその店のハーブを豊富に用いた料理は本当に美味で、数種の前菜、トマトと茄子・胡桃のパスタ、スズキの包み焼き、ティラミスとコーヒーまで、先日に続き「天国的においしくて幸せ〜」という思いをまた今日も味わったのであった。赤ワイン2種類とデザート用白ワイン、それにグラッパ(43度の食後酒)も大層おいしく、その結果どうやら昼から飲み過ぎてしまったらしく、帰宅後、それも食後3時間程してからすっかり酔いが回り、頭がくらくら、気持ち悪くすらなってしまい、空しく討ち死に…(大反省)…せっかく大満足の食事だったのに。

 それにしても鳩サブレの豊島屋の「ふきよせ」はどうして百貨店の出店では買えないのかしらん、あんなにおいしいお茶請けなのにポリポリ(ふた袋買い込む)。

 道中『贈り物』(クリスマス・ストーリー集 I 、角川文庫)を読む。18話中シュティフターの最終話を残すのみ。冒頭のラニアンの2編「三人の賢者」「ダンシング・ダンのクリスマス」とマルセル・エイメの「デルミーシュ」、バリー「クリスマスの幽霊」などが佳品。それにしてもアンソロジーって、いいなあ。

2000.1123(木)  

 昨日、仕事が終わるやいなや子どもたちと落ち合って速攻で東京駅に向かい一路京都へ。京都で仕事だった連れ合いの提案で、駆け足の紅葉の京都散策なのである。24日も休みだったら良かったのだが、連れ合いは東京周辺で仕事、上の子どもたちは学校、私も先約ありなので実質的に日帰りみたいなものだ。

 夜9時過ぎに京都着。去年、大津に行ったときに京都駅は通過しているのだが、駅の外へ出るのはいったい何年ぶりだろう。噂に聞いていた新しい京都駅ビルは…クリスマスデコレーションで綺麗だったけれど、早く壊れて欲しいものです。悪い夢だと思っておこう。キューピッドがハートに矢を射ている巨大イルミネーションは、クリスマスとは全然カンケーないんぢゃないの。

 今朝は早めに出掛けて、タクシーで出町柳へ、そこから叡山電鉄で鞍馬寺へむかう。2両の電車は結構な人だが、意外だったのはどこまで行っても行っても沿線に人家が絶えなかったこと。ごく上まで行って初めて両側に迫る木立に幾分か早めの紅葉が燃え立ち、車内の話し声が次第に高まったと思うと「うわー」「すごい」と歓声に変わったのであった。

 鞍馬と言えば牛若丸、牛若丸と言えば天狗と連想するのだが、天狗はおみくじの入れ物(ミニ天狗つきのおみくじもあった)くらいで、境内には狛犬の代わりに虎が目立つ。まつられている毘沙門さまが寅年の寅の日の寅の刻におりたったからだ、とは後で昼食を食べた所で聞いたこと。終始結構きつい登りで、捻挫の痛みが取れない足首をかばって歩いた為、片方のふくらはぎが痛くなってしまった(立派な理由があって良かったー)。帰りにすれ違う電車はすごい混雑だった。

 さて市内に戻って銀閣〜哲学の道へ行く。紅葉の季節、そこそこの好天に恵まれた休日の昼下がりとあって大変な人出になっている。うー苦手だ。タクシーで錦小路へ向かうが、途中の道も相当混んでおり、かなりな時間を取ってしまい、ここでも、京都駅でも買い物の時間はとれず、本当に滑り込み(2分前)で4時台の新幹線に乗って帰京。あすが学校が休みだったなら…と残念だ。それにしても3時間強で自宅から京都まで行けるなんて、やはり驚きだが感慨はいまいちかも。でもやっぱりまたゆっくり行こうね、今日はホンのお散歩、と、さほど口惜しくもないのもこの時間的近さのおかげではある。何と明日の別口の先約は、職場の仲間と鎌倉散歩&お昼なのである。あー、なんてスケジュール。

 車中と帰宅後とで『紫の砂漠』読了。世界の設定や子どもたちが旅をして行くというあたりにむしろ『ムーンフラッシュ』『ムーンドリーム』を想起した。
 何より題名が想起させるイメージが美しい。主人公シェプシが砂漠に意識を解放してそれと一体化するシーンに本当に引き込まれる。
 語り手の立ち位置が(たぶん書く技術の問題で)どこか一定でないこと、行間に語られることがほとんどなく(物理的にもかなりぎっしり字が詰まっている)出来るだけたくさん書かずにいられないこと、が感じられた。
 一点目については、シェプシら登場人物が知らないであろう事物が簡単に我々の世界の言葉(名称)で語られてしまうことに端的に表される。例えばそれまで村から出たことのないシェプシがいきなり「トロッコ」「レール」を知っていただろうか?彼らがガラスや鏡を知らないと言うような設定にしておきながらこれはないように思う。こういうレベルのちぐはぐさ、不注意さがどこかほころびを感じさせる。ついでに言えば【ネタバレ反転
空に飛び立った船が降る星になるところで、飛び散るのと凄まじい音を立てるのが同時であることも奇異であった。目の前で見る花火でさえ光と音の到達には時間差があるのだから【ネタバレ反転いわんや星の船においてをや】。
 二点目については、とにかく光景であれ人の表情であれ、詳しく言葉を費やして描写されている、ということだ。始めのうちいささか息苦しさを覚えたのはこの辺が理由だったのかも知れない。シェサの滔々と続く話や、シェプシが砂漠と同化しその意識を広げるシーンなどではこれが良い方に働いており、ことに後者ではぐっと引き込まれてすっかり自分も紫の砂となって世界に同化する快感を覚えた。
 ほかに、「生む性」に対する性が「守る性」と名付けられているのは、フェミニズムあるいはジェンダーの問題についてことさら深く考えてはいない私にも、お手軽に思えた。多分この辺は作者がことさら語りたい問題ではないのだろう。
 総じて、この世界はとても魅力的で、ほかでも言われているようにSF的要素のつよいファンタジー(あるいはその逆)として存在感があるのだが、細かな点でもまた大局的にも、中途半端で練りが足りないと感じられ、惹きつけられるだけにもったいないと思わずにいられない。
 それでもやはりこの茫漠と美しい紫の砂漠、世界の中心でありながら世界の果てでもある紫の砂漠を体で感じるそのためだけにでも、一読の価値がある、と結んでおきたい。

2000.1122(水)  

 止せばいいのに深夜つい読み始めてしまったら止まらない、キース・ロバーツ「神の館」(季刊NW-SF、1976年8月第12号収載)を読み終わったら3時であった。さすがに昼休み、本を手に取ったらあっという間に舟こぎ開始で、あきらめて即休憩室行き。
 ロバーツの翻訳作品はあと一つで制覇かな?

2000.1121(火)  
購入本
長野まゆみ/『海猫宿舎』/光文社
加納朋子/『螺旋階段のアリス』/文藝春秋
菅浩江/『<柊の僧兵>記』/徳間デュアル文庫
岬兄悟・大原まり子編/『SFバカ本黄金スパム編』/メディアファクトリー
 〃 /『SFバカ本宇宙チャーハン編』/ 〃

 先日の目白のケーキやさんのランチ。くるみのはいった茶色い丸パン(横ふたつ切り)を軽くあぶって、洋梨のスライス、カマンベールチーズ、そして生ハムをはさんである。ああ〜、美味!しあわせ!さっそく似たようなパンと生ハムを買ってきてまねっこした。洋梨(ラ・フランス)はちょうど特大上等品が送られてきた所なので、グッドタイミング。

 安くて噂のスカイソフト、サーバーが落ちっぱなし。と思ったら回復している模様。私なら池袋の旭屋が使えるが、うーん。

 『死者の代弁者』読了。またもエンダー「終わらせる者」はその名を体現することになるのだったか…。ピギーにとって、ミロにとって。作者は、短篇のエンダーを書いた時点で、すでにこの名の現すものを意図していたのだろうか。意図しないまま作家の中に内包するものがあったのだろうか。
 キリスト教(しかもそれがエンダーが生まれた頃のものからさほど変わっていないらしい)を中心として話が出来上がっていくので、キリスト教世界に生きていない私にはどうしてもそれなりの違和感はあるのだけれど、代弁者とその意図にたいする倫理的規範としての「対立項」としてキリスト教を考えればよいのだろう。それにいかにエンダーとて、外界では3000年も経過していようと、彼自身主観的には若干数十年の時を経過したに過ぎないのだから、この物語世界に倫理観の大きな変容が起きているという設定にしたら、それにはとうてい対応できないに違いなかろう。というわけでちょっとだけ「判断の停止」ってやつ。

 『紫の砂漠』は、ごく初めの方だが、何となく菅浩江を思い出す。解説が高原英理ということで、この文章がなかなか気に入った。ということは件の『少女領域』必須か?帰宅してさあ読もう!と思ったら、悲しいかな職場の机の上に忘れてきた。

 でもって、以前からうざったくて仕方のないこのページのレイアウトをいじる。改装するまでの余裕はないので単純に並び替えるのみ。
 明日はお泊まりでえす>更新お休み

2000.1120(月)  

 寒く冷たい雨の一日。着込んで家を出る。夕方次男を保育園に迎えに行くときはほとんど降っていなかったのに、夜、牛乳瓶を玄関先に出そうとドアを開けると雨音も激しく降りしきっていた。あー低気圧病になりそう。

 『死者の代弁者』は、なかなかはかがいくタイプのものではなく、じっくり系だ。いや、でもおもしろいのには間違いない。
 と言いつつ、雨の昼休みにせっせせっせと読みふけり上巻読了。帰宅後さっそく下巻に入る。これにも引き込まれるように読み3/4くらいまで。どういうふうにこちらの価値観・ものの見方を切り崩してくれるかがSFの醍醐味のひとつでもあって、この作品はその魅力を十分に持っている。
 つぎは『紫の砂漠』と決まっているのだがしばし待て。職場のSF読みの一人@神林長平を撃破中も、これは面白かった、と言っていたので期待しているのだ。

 須永朝彦氏が蔵書の一部を処分。所蔵のそれらしい書名が続く中にいきなりアタゴオルとかヒデヨシとかを見つけてにっこり。

 『光の帝国』を読み始めた娘、「最初はあんまり面白くないかと思ったけど、途中から面白くなってきたよ!」とご報告。昨日までは友人から借りた『アナザヘヴン』を読んでいた。これは私は未読。

2000.1119(日)  

  恩田陸「蒲公英草子(たんぽぽそうし)の掲載されている集英社『青春と読書』の、抜けていた分を図書館にリクエスト。あちこち捜したが、出てくるのは『本の旅人』と昨年の『青春と読書』ばかりなり。やっぱり捨てちゃったのかなあ>3、10、11月号

 蒲公英、躑躅などの読みは、高校の英語の講師が、試験の最後に幾つか出題して、答えられれば点をプラスしてやると宣言したのでそれ以後覚えている。いくつかの木の名前などは読めたけれど、どうしてもわからなかったのが躑躅。「どくろ」?ほかは植物なのにこれは違うなあ、と苦し紛れに「ざくろ」とか書いちゃってやっぱり違っていたのだ>ほんとうは「つつじ」。今でも、読めても書けない字の一つだ。

 無神経な日本の私。「無神経」は「日本」にかかっても良し、「私」にかかっても良し。

 自宅のあぶれ本(本棚に入らない分)を母の所に持っていき、ついでに本の段ボール箱をふたつ三つ開ける。母の家の引っ越しの際、一部を除いて引っ越し業者に荷造りを頼んだが、本棚については番号を振り、箱にはその番号を書いてくれるように頼んだ。ところがなぜかほとんどの箱の上面にのみ中味が書いてあり側面には書かれていなかったので、箱の山を見てもどこに何が入っているかわからない。とにかく上から順に引き下ろして開けるしかないので手間がかかることおびただしい。業者へのアンケートはがきをまだ出していないので、その旨苦情を書くつもり。

2000.1118(土)  
購入本
アリソン・アトリー/『時の旅人』/岩波少年文庫
マリー・ド・フランス/『十二の恋の物語』/岩波文庫
アロイジウス・ベルトラン/『夜のガスパール』/ 〃

 ちょっとだけ寝坊。昨日とうって変わって、晴れ晴れとした朝。公園の紅葉した木々のてっぺんが朝日に輝いたと思うと、みるみる明るい部分が広がって行く。それまでも充分明るく感じていたのに一挙に彩度が上がり、それによってスイッチを入れたように体が目ざめるのを感じる。

 昼過ぎ娘の学校の保護者面談(こぶつき)。たった十分の面談に一時間もかけて行く。たいしてずれ込みもせずおよそ時間通りに終わって、娘と落ち合い、目白のコーヒー&ケーキ屋でケーキ付きランチを食べる。うーん、ほんとにここのケーキは逸品!幸せ…!この店のケーキ作りのYさんは天才だっ。おお、いつかここでお茶会をしましょう!
 そのあとは池袋で、娘、お決まりの「あれ買ってこれ買って」。幸いに今日はすんなり決まって良かった。クリスマスカードなど物色。アドベント・カレンダーも結構揃っていたのが嬉しい。にわかクリスチャン、と言うより、元々のクリスマスの起こりである季節の節目としてのイベント性が好きだ。秋がすっかり熟しいよいよ霜が冬の訪れを告げるハロウィーンも同じく。

 母@誕生日がまたもや新聞の新しい契約を…。あたまいた。

 『死者の代弁者』(上)はピギーが一本一本の木々になぜ名前を付けているかがわかったところを通過。それにしても超優秀な子どもが次々いっぱい出てくるのう>オースン・スコット・カード

2000.1117(金)  
購入古本
コクトー/『大胯びらき』/福武文庫
マッカラーズ/『夏の黄昏』/ 〃
dピエール・グリパリ/『ピポ王子』/ハヤカワ文庫FT

 朝起きてカーテンを開けると窓の外はまだ暗い。いつまでたってもどんよりと暗くて、しかも出勤の頃は雨足も本格的で、寒い。今年初めて、手袋が欲しいという気持ちが起こった。川沿いの桜並木やはなみずき、けやきの紅葉が美しく、青々としている柳と併せて「錦秋」ということばが自然と脳裏に浮かんでくる。 

 郵便局へ行ったついでに久しぶりにその向かいの古本屋による。郵便局では小包を発送したのだが「こんなの売っているんですがいかがですか」と、三宅島災害援助寄付金つき80円切手(+20円)を見せられ、つい「か、買います」と1シート購入。ちょうど職場に買い置きの切手がなくなったところだったのでいいのだけれど、なぜか全然三宅島と関係ない図柄のような気がする。

 「投資顧問」読了。どこから現れたのジェイン。そして一体本当は誰。「死者の代弁者」は単にペンネームではなく彼のライフワークになったということだったのか。自動的に『死者の代弁者』に突入。

 恩田陸「蒲公英草子」(『青春と読書』ことし1月号より連載中)を読む。これは集英社のPR誌。他の用で昨年から購読していて、恩田陸の連載があるのは知っていたが特に理由なく読みそびれていた。偶然姫川みかげさんに教わってこれが『光の帝国』の続編と知り、捨てなくて良かったと思いつつあわてて『青春と読書』を引っぱり出したが、悲しいことに3月号、10,11月号が行方不明だ。めげずにある分だけ読了(ないのは読めないもん)。それまでの、常に春の晴れた日ばかりのような雰囲気が、俄然急展開したところで新年号に続く。欠号、捨てちゃったのかしら。

2000.1116(木)  
購入本
デュ・モーリア/『鳥 デュ・モーリア傑作選』/創元推理文庫
シルヴァーバーグ編/『ファンタジーの殿堂 伝説は永遠に2』/ハヤカワ文庫SF
井上雅彦監修/『十月のカーニヴァル』 異形コレクション綺賓館 1/光文社カッパ・ノベルス
たむらしげる/『ファンタスマゴリア・デイズ 1』/メディアファクトリー
『大きなポケット』12月号/福音館書店

  深夜『エンダーズ・シャドウ』下巻を読了。寝しなに泡盛のお湯割りを導眠剤に、と思い、猫舌だからさめるまでちょっと続きを、でも座っちゃうと長くなるから…と立ったまま読み始め…いつの間にか座って最後まで読んでしまった。ああー、おかげで今日の午後、おねむの子どもみたいに体がポカポカしてきてすっかりお昼寝体勢。ん、あれはもしや暖房が入ったのだったか?
 次は『死者の代弁者』、それが終わってから「投資顧問」(『遙かなる地平1』収載)と言われたのだけれど、ついエンダーの出てくる「投資顧問」を読み出してしまった。

 ビーンが理屈や計算からでなくエンダーにどうしようもなく惹かれているところが見え見えでいじらしい。続編ではどういう登場の仕方をするのだろうか。ファンタジーゲームのなかの「巨人」はこれも織り込み済みなのか?

 bk1から『鳥』が届いた。デュ・モーリアと言えば『レベッカ』しか読んだことがない。世界文学全集がはやった中学生時代に『風と共に去りぬ』などとならんで『ジェイン・エア』、そして『レベッカ』と読み、これも気に入って何度も読み返した。前二作とどこか違って仰々しい雰囲気でない感じを受けたのを思い出す。

 やっぱりこの際これまで『幻想文学』書評に登場した本のリスト(索引)も作りましょうよー>有里さんて少しは働け自分

 「少しこの辺の本を何とかしなさい、しないとある日突然消えてなくなってるってことになるぞー」と天の声。実際に時々在宅で仕事をする声の主だけに、そんなことも起こりかねない。きゃーこの週末も雑用が一杯だっちゅうにどうしよう(;_;)

 ヒラノさんの強力お勧め本にすごーく心が動く今日この頃。このまま冬を迎え春になったらどうなっているか、想像力も羽ばたけずドスッと地に落ちてしまいそう。食べ物も大事だが、運動と言ったら朝夕の自転車ぶっ飛ばしくらいしかできないのが痛い。

2000.1115(水)  

  『エンダーズ・シャドウ』上巻を終わり下巻へ。うーんしかしビーンがそういう背景を持つ子どもだったとは。
 要所要所にでてくる文句、たとえば「ぼくは、エンダー・ウィッギンとはまるでちがう。ぼくはただのストリート・キッドであって、能力と言えばただひとつ、○○…○○ことだけだ。」のような、それぞれのキャラクターの本質をつくような文が時々ぽろっと出てくるのが、一面では自分のキャラクターの把握が間違っていないと納得する材料にもなれば、反対にあからさまなネタバレのようで、いいのかこれで、と感じたりもする。

 次男はとにかく食べるのが遅いので、夕食が終わってからピアノの練習を、と思っていると、9時になってしまうことがしばしばである。昨日は帰宅してすぐに5分でもと思って練習を見てやり、うーんと誉めてやった。すると今日、帰宅するやいなやピアノを開けて譜面を用意しているのでびっくり。一人でたどたどしく歌いながら練習を始めたではないか。それも、昨日に比べたら格段の進歩。珍しく先に帰宅していた父親にも「一人で練習できた!」と弾いて聴かせ、後に姉や兄が帰宅するとそのたびにまたピアノに向かって弾いて聴かせる。今までだって誉めないわけではなかったけれど、これには驚いた。「自分で練習できてえらかったね!」がこんなに効き目を現すとは!

 長男、11時過ぎまで部屋の灯りがついているのでのぞくと、あぐらをかいて例の『バトルロワイヤル』を読みふけっているのであった。娘の方はなにやら角川ホラーを読んでいる模様。

2000.1114(火)  

  どうも寝不足がたたっていけない。次男を寝かし付けるという名目で横になったまま意識不明に…。

 昼休みに郵便局へ行く用があるにもかかわらず、読みかけの『エンダーズ・シャドウ』の続きが気になって、ひたすら読む。こう言うときだけは眠気も忘れる。

 長男がうらめしそうに「いいなあ○○(姉の名)は…」というので訳を訊いたら、「『 バトルロワイヤル』(映画)、15禁なんだよ…○○は17だけど俺はまだ15だから見れ ないんだよ」とブツブツ言う。娘は高2で17歳、長男は高1だが早生まれ(1月)なの でまだ15歳なのである。おまけに「あっ、『バトルロワイヤル』って、どんな本?赤 くて黒くて、分厚いヤツ?」「そうだよ、持ってるよ」「やっぱりー!そうじゃない かと思ったんだよね…」「もしかして買っちゃったの?」「そうだよ…」「何でも訊 いてよ、買う前に!」お気の毒に、値段を見ると1500円??もする本なのであった。 乏しい小遣いなのに…。高校生ならいいんじゃないのかしら>15禁

2000.1113(月)  

  『エンダーのゲーム』ようやく読了。最後のゲームが終わって、そのあとがやけに長いと思ったら、やはり短篇版でもエンダーが抱いた失われた命に対する思いがふくらまされていたのだった。それは予想していたことではあったが、うー、全然違ったふうに、なので、昔のある種のSFが持つような壮大さを感じて、ぐっとくる。もちろん、すぐさま『エンダーズ・シャドウ』に突入。『遙かなる地平1』収載の「投資顧問」も読まなくちゃ。
 短篇版を先に読んでいて良かった>司書の駄弁者さま。一般に短篇をひきのばした長編版はどうも好きになれないことが多いが、この作品についてはそれぞれ別次元での面白さがあってしかもそのどちらもが際だっている。『ゲーム』の訳文は、嫌いではない。

 同時進行で『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』も読む。理屈の建て方がとても納得。

 しばらく前に、職場のキャンパス内にあった細い桐の木が2本とも突然切られてしまい、がっかりしてしまった。いったいどこの部署の指示で切られたのだろうと憤慨していたが、どうもそれは業者ではなくてキャンパス内の施設利用者が労働奉仕として切ったらしい…。
 先日その付近の生垣を刈り込む人影あり。生垣はふつう塀のように厚板状に刈り込まれているが、その老人は下の方の枝をすっかり刈り込んで上の方のみ残すので、目隠しになるべき葉の部分が上30cmくらいしかない状態になってしまっている。そう思って見るとあたりの植え込みが皆そういう刈り込み方になってなんだか哀れな状態に…。そういえばずっと前、つつじの植え込みをやたらに刈り込んで、寮母さんに「そんなに切らなくてもいいんじゃないのぉ…」と言われつつ頑固に刈り込んで坊主にしている人がいたが、おお、あれが先日の生垣刈り込み人と同一人物に違いない。そして、どうやら桐の木を切ったのも、切ったあとの素人くさい状態から見て、この人が犯人に違いないと睨んでいる。おかげで来春はあの桐の花の芳香が嗅げないではないか!剪定ばさみを捨てよ!(願)

2000.1112(日)  
購入本
ベン・C・クロウ編/『アメリカの奇妙な話2 ジャージーの悪魔』/ちくま文庫
七北数人編/『猟奇文学館1 監禁淫楽』/ 〃

  騒がしい声で目を覚ますと間もなく10時。久しぶりに朝寝坊をした。ばたばたとうるさかったのは上の二人の子で、きのう今日とユニクロで安売りをしているニットジャケットを、開店と同時に買いに行くと言うのであった。1900円かと思ったら2900円、2枚で4000円ならいいかと思っていたがいきなり6000円かい。こういうときは必ず安い方に勘違いすることになっている。

 買い物がてらに自宅の近所の本屋に行くと噂に聞いていたちくま文庫の新刊が1冊づつ入っている。確かにこの題名は買うのに躊躇してしまう。知らん顔してレジに出す。皆川博子、篠田節子、赤江瀑、谷崎潤一郎らとならんで宇能鴻一郎が。私にとってはスポーツ新聞の小説の人。2冊目、3冊目の題もちょっと…>と言いつつ買うのか?

 先日娘が何やら読んでいるのでのぞきこんだら中井拓志『quarter mo@n』だったので、「それどうしたの」と訊くと、友人から借りたという。「なーんだ、うちにあったのに」と言ったら「え、そうなの?」とちょっと株が上がった模様。とても面白かったといい、他に何かないかというから先日来お勧めしているピープルシリーズ+『光の帝国』を渡す。しばらくして「どうも外国のってだめだー」と言う。『光の帝国』はサクサク読んでいる様子。むしろ私は「どうも日本のってだめだー」だったのだけれど。恩田陸は娘には結構いけるかも知れない、と期待したり(やっぱり同じ道に引き込みたい)。

2000.1111(土) ポッキーの日 
購入本
『季刊 幻想文学 59 ボルヘス&ラテンアメリカ幻想』/アトリエOCTA
稲垣足穂/『稲垣足穂全集2 ヰタ・マキニカリス』/筑摩書房
田口ランディ/『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』/晶文社
S・ラスニック・テム/『深き霧の底より』/創元推理文庫

  何で雑用ってたくさんあるのでしょう。オーイ(小人さんを呼んでいる)
 長男の保護者会(中間テストの成績表の配布!)後、おきまり池袋リブロ。その前に靴を物色して空しく終わり、これがほんとの徒労、っていう実感を得る(得たくなかった)。

 本も欲しいものがありすぎる一方、すっかり積ん読本が物理的にも精神的にも飽和状態になってしまったか、これよ、欲しかったのはこれなのよというヨロコビがいまいちなかった。単なる寝不足かも知れない。

 エンダーの続き。

2000.1110(金) 

  昨日のゴミメイルの件は解決。どこかのメルマガで設定ミスがあったのが原因だとのこと。

 重信房子が「婦人病」で診察、という新聞記事。単に持病と書けばよいのになぜ婦人病とわざわざ書くか。しかも○歳ころからの持病であるとか色々、週刊誌のように詳細に。プライバシーの領域にづかづかはいって来られた気分だ。そもそも読まなければよい?>読売。ていうか警察がそう発表したのだろうねえ。

 しかし婦人病でなくたとえば心臓病と報道してあったとして、このように思ったかと言われると、自分ながらわからない。婦人病とあるのを見て、「じゃあ子どもがいるというのもデマかしら」とか思っちゃったし(*^_^*)

 たむらしげるさんが、11月8,9日の日記で、山尾悠子作品に言及し賞賛しておられる。わお。まもなく、月刊コミックフラッパーに連載されていた『ファンタスマゴリアデイズ』が早くも単行本化されてメディアファクトリーから発売予定なので楽しみ。これにたむらしげるさんのチカラが入っている様子は、日記で拝見していた。その1は11月17日、その2は12月中旬発売、各1400円。

 午後、次男の就学児健診に行く。べつに示し合わせたわけではないのに、保育園の仲良し坊主たちとちょうど同時に到着。お手々つないで保育園に行くのもあと数ヶ月か。園庭から見る秋の木々の景色も今年で最後だ、とかつい感傷的になる。

 夜は待望のヒロ・クロサキ(はあと)のコンサート(津田ホール)。なんて素晴らしいんだ!ヒロさあん、今度はいつ会えるの!?

 『エンダーのゲーム』続き(45%位)。ええーっ、そうだったのか!の短篇版と決定的に違うのは、全編、「最大の攻撃は防御なり」ってことなのかな多分。

2000.1109(木) 

  きのうから、出した覚えのないメイルに対してのリターンメイルがbiglobeからいくつも幾つも届く。しかもアドレスはうちのものではない。向こうに出したとおぼしき誰かの苦情メイルまで、うちに届く始末。なんなのよ、やめてー。問い合わせその他に貴重な時間が浪費されてしまったぢゃないのよ。

 『エンダーのゲーム』を本格的に読み始める。まだサラマンダーに入ったところだからごく最初の部分。なにもSFじゃなくてもいいんじゃない、と言う気もしないでもないが…でも面白い。センテンスが短くて気持ちよい。

 ちょっと前に図書館から借りてみた宮脇孝雄『翻訳の基本』(研究社出版)を合間にぱらぱら見ると、とんでもない/陥りやすいおかしな翻訳例がたくさん出ていて面白い。もちろんけなしたり笑いものにしたりするわけではなく、きちんと勘所が示されている。"a labour of love"を「愛の労働」と訳した例とか(正しくは金銭などの利益を求めず、好きでする仕事)。

 みなさんありがとう、気長に行きますnDiary。また教えてね。

2000.1108(水) 
購入本
田口ランディ/『アンテナ』/幻冬舎

  田口ランディ『出来ればムカつかずに生きたい』にどっぷりはまり、読了。コラムも端から少しずつ読む。彼女は私とは年齢は近いが家族構成も経験も違う。しかし彼女の文章の数々は、たとえば自分がどれほど家族のしがらみに囚われているか、家族あるいは他人との関わりをどう捉えているか、ということなどについて様々な角度から、決めつけるということなしに揺さぶりをかける。淡々とした率直な語り口が非常に好ましい。決して思春期の読者のみに向けられたメッセージではない。

 また、後半に収録されている「学生のみなさま、ありがとう」では、若い子たちの持つ感応力のすごさ…「他人の話に深く共鳴できる感度のいい心」に感動し、その力はもしかしたら今もっとも必要とされているものなのではないかとのべる。そんな力を持つのに、若い人たちはひどく誤解されているのではあるまいか、と。
 「人生を再編集する試み」では、自分に見えている世界は自分が「編集しているにすぎ」ず、その世界が常に「他者によって編集されている世界」と接しているのだ、と言う。違うコンセプトで編集すれば自分にとっての世界はまったく違ったものになるのだ。

 忘れていましたが、麦工房のラスクのサイト。

 森山さんの日記11/6にポイントしてあった指紋によるセキュリティについて初歩的かもしれない疑問。私のように主婦湿疹で手指の先がつるつるになったりがさがさのムケムケになったりして指紋が無くなっちゃった人には、このシステムはどう対応してくれるんでしょう か。自宅のドアに指紋スキャナがつけられたら、私はドアにとりすがって泣き崩れる羽目になるかも。あっ、足指というのもあるか。非実用的。
 この前、息子が行き当たりばったりに見ていたTVでやっていたアメリカ映画。在宅で仕事をしている女性が、どこかのリゾートでパスポートから何から盗まれ、帰国するために偽名で仮のビザを取る羽目になり、携帯電話のみもって着の身着のまま帰国したはよいが、自宅は既に何者かによって売りに出され無一文状態、近所にも彼女の顔を知る人はない。彼女のIDには彼女を蔭で見張る犯人によって贋の麻薬所持の前科が書き込まれ…。あながちお話の中の事として安心しては居られないことになるかもしれない(怖)。

 『エンダーのゲーム』の途中。これが終わったら、『エンダーズ・シャドウ』、そのあと『死者の代弁者』へぼちぼち行く予定(邪道?)。

 プルマンの『黄金の羅針盤』『神秘の短剣』に続く3作目"The Amber Spyglass"をちらあっと読み始めたが、ハードカバーだけに紙面がきれい。余白にさりげなく装飾があるのがまたすてき。
 これで思い出した、祥伝社400円文庫ではページ番号が左右余白のど真ん中に白抜きの●数字で書かれているのだが、どうにもこれが目の隅にちらちらして邪魔くさかった。気に障るので親指で隠しながら読んだのであった。

 静かに流行のnDiary、以前ヒラノさんあたりが導入した頃から気になっているのだが、私にも使えるものなんでしょうか>詳しい方々教えて下さい何せ読んでもちんぷんかんぷん

2000.1107(火) 
購入本
Philip Pullman/"The Amber Spyglass"/Knopf
代理購入してもらった本
二階堂正宏/『極楽町一丁目 嫁姑地獄編』/朝日ソノラマ
友だち本
角野栄子/『魔女の宅急便3』/福音館書店

  『霧の中のはりねずみ』(福音館書店)のノルシュテインのインタビュー記事が、『母の友』12月号に掲載されている(「ロシアの映像詩人 ユーリー・ノルシュテイン 絵本とアニメを語る」66〜73ページ)。

 ついうかうかと注文してしまった"The Amber Spyglass"は、確かにごひゃくぺえじ以上もあるのだった!綺麗な、しかし不気味でもあるカバー絵

 田口ランディ『出来ればムカつかずに生きたい』を突然読み始める。Web上の活動については直接はまったく知らない。名前と何冊かの著書の題名、MLに多くの読者がいることなど。まっすぐで、簡潔な文章を書く人だと感じた。率直だが、まったく急いでいない。この語り口、ことにそのテンポに多くの人が惹きつけられるのだろう。
 以前はやった精神年齢鑑定で18歳(だっけ)だった私にはびっくりするほどぴったりくる本で、思わずティッシュペーパーのお世話になる場面も複数ある。半分ほど。

2000.1106(月) 
購入本
ウィリアム・モリス/『ジョン・ポールの夢』モリス・コレクション/晶文社
東君平/『くんぺい魔法ばなし 小さなノート』魔法ばなし全集3/サンリオ
田口ランディ/『出来ればムカつかずに生きたい』/晶文社
『こどものとも』12月号/福音館書店
『母の友』12月号/ 〃

  昨日は神保町で気分転換をしてきたので、自分でも気分がすっきりしたのを感じた。夜教育テレビでトン・コープマンのブランデンブルクを見聴きし、エキサイト。つい夜更かしをしたので今日は一日死にそうに眠く、夕食後本を膝に居眠りしそのまま9時半から本格的に寝る。

 『無伴奏ソナタ』収載「エンダーのゲーム」再読。長編版にちょっとだけ突入。ちょうどこれを初めて読んだ頃だったか、「ウォー・ゲーム」という映画があったのではなかったか。当時読みながら『宇宙の戦士』『終わりなき戦い』を否応なしに想起したこともまた思い出される。オチの部分では、さすがに再読だけに、実はこのゲームは…という部分よりも、失われた命に対するエンダーの科白に重いものを感じたのであった。

2000.1105(日) 
購入本
上橋菜穂子/『月の森に、カミよ眠れ』/偕成社文庫
ジョーゼフ・ジェイコブズ/『ケルト妖精物語II』/原書房
ジョーン・エイキン/『子どもの本の書き方』/晶文社
昨日のbk1本
アシモフほか/『20世紀SF1 1940年代 星ねずみ』/河出文庫

  長男を動員して部分的に部屋の掃除&模様替え。なんとかそこだけやっつけて2時過ぎから息子二人と神保町へ行く。スキー部に入っている長男がウェアが小さくなって着られなくなったと、買え買えコールなのであった。午前中の労働はそれと引き替えの労力奉仕でもある。本当は今頃買うのは高くて馬鹿みたいなのだが、この一年で急に背が伸び、体格も良くなったため、一昨年に充分余裕を持って買ったはずのウェアが昨年にはつんつるてんで着られず、父親のを借りて誤魔化していたのだから仕方ない。先週からぼちぼち室内ではあるがイベントが始まってシーズン入りである。それにしても金食い虫>スキー部員

 三省堂で『月の森に、カミよ眠れ』の偕成社文庫版を入手。巻末の石堂藍さんの解説が素晴らしい。非常に良く的を射たもので、同時に若い人たちへのエールにもなっている(ただし何を言っているかわからない人にはいつまでもわからないかも。またはぼんやりした読者にもわからないかも)。いつもながら彼女の解説はそうだが、今回も明確すぎるほどに的を指し示しているので、巻末の解説にする為には幾分はずし気味に書いた方がいいのではないかとも感じるほどだ。また肝心の本編について言えば、上橋菜穂子のこれまでの作品の要となる作品なので、ファンも、これからファンになる人も、これを機会に手に取られることをお勧めする。

 くたびれたので帰り際にすずらん通りの紅茶・高野で一休み。テーブルが全部埋まっているのは初めて見た。『ケルト妖精物語II』は先日bk1で在庫なしだったものだが、三省堂で見て購入、これをちらっと読むが、期待に違わず面白い。
 三省堂の児童書売場では、若い女性客が他の本を手に取るために持っていた本を一旦置いたが、その背表紙に「マリア・グリーペ」の名がちらっと見えたので、気付かれないように横目で題名を見る。なかなかわからなかったがようやく『自分の部屋があったら』(講談社)と判明。ちょっと分厚いので、そのうち図書館頼みにしよう。

 この何日か、まとまった本と言うより、あっちの短篇、こっちの短篇とつまみ食いしているので、メインの本がどれなのかわからない状態。

2000.1104(土) 
図書館本
ヘイニング編/『ウィッチクラフト・リーダー』/ソノラマ文庫

  久しぶり、という感じの晴れ間の日。暑いくらいのまぶしい日差しに手をかざして目を細める。なんだかんだの雑用のあと、自宅は相変わらずごちゃごちゃのままだがそれには目をつぶって、4時頃に初志貫徹、図書館へ行く。

 10月末に国会図書館より借りてもらった『ウィッチクラフト・リーダー』(ピーター・ヘイニング編、ソノラマ文庫海外シリーズ14、朝日ソノラマ、昭和60年4月30日)を読む。閲覧は館内限定。カバーは剥がされているので、もともとどんな衣装をまとっていたのかわからない。
 目的は巻頭のキース・ロバーツ「魔法使いアニタ」である。30分もかからないで読める短い作品だが、風や土の匂い、小川の流れ、走るアニタ、そして否応なしに意識に流れ込む消えゆく思念が心に残る。
 えてして、しかるべき場所、しかるべき時を得ないと頭に入ってこない本(作品)というものがある。この作品も、せっかく国会図書館から借りたのに、図書館のカウンターで落ち着かない思いをして読まなくてはならないという状況のために頭に入らないのではないか、と危惧していた。しかし幸いなことに作品の持つ力か、相性が良かったのか、借りてもらったかいがあって良かった!

 いまさらながら、思い出すたび「第四酢」にヒクヒク<『文字禍の館』
 そういえば、たしか先日読んだ『肩胛骨は翼の名残り』に、「心臓がばくばく」という表現が何カ所か用いられていて違和感を通り越して滑稽感を感じた。ちょうど同じ頃読んだ他の本でもこの表現が見られ、美しくなーい、と思ったのであった。蔓延しないこと希望。

2000.1103(金)文化の日 
購入本
恩田陸/『Puzzle』/祥伝社文庫

  最近休みの日と言えばおなじみ、母宅の片づけほかに午前中をつぶす。のち自分の家の洗い物、アイロンかけなどして、次男と柿の葉寿司で軽いお昼、といってもずいぶん遅め。通販のTシャツが届いたが、注文間違いをしていたのがわかり、出がけにコンビニから送り返し、滑り込みで3時に池袋メトロポリタンプラザの噴水前に到着。山本文緒サイン会のために東武百貨店の旭屋に来られた青月にじむさんと、比較的池袋に来やすい大江戸さんMAKIさんとで、お茶会である。申し訳ないことに、都合がつかず私はコブつき。うろちょろする次男がお供なのである(オフ会初公開)。
 ちょ、ちょっと場違いか?とも思えるハイソ「シェ・松尾」(東武百貨店内)でケーキとお茶。本の話を中心に、他愛もないこと、ちょっと深刻なことなどいろいろと。動くコブにしょっちゅう話の腰を折られつつ、河岸を変えてまたケーキとお茶(うえっぷ)。さすがにこのコブは、いきなり側転なんかやらかしたりして、まあほんとに青月さん、大江戸さん、MAKIさん、ご迷惑さまでした。愉しい時間を有り難うございました。

 サイン会場の青月さんに電話を入れた際、思いついて、祥伝社文庫の恩田陸『Puzzle』を購入していただく。あってよかったー。カバーは横向きにデザインしてあって、帯もそう、つまり縦書き。夕食後時々眠りに引き込まれながら(これは恩田陸のせいではない)あっという間に読了。うーん、いつもながら文章はほんとに上手な人と思う。雰囲気作りはなかなかのものだが謎解きが唐突。

 他に朝から合間合間に読んでいた倉阪鬼一郎『文字禍の館』も昼食の頃までに読了。画数のやたらに多い、おどろおどろしい漢字のオンパレードである。どうしても倉阪さんのものを読むと、吹き出したくなってしまう私であるが、今回もそうだった。
 これであっという間に祥伝社文庫400円シリーズをを4冊読んでしまったが、気付けば合計1600円。あー、これを高いと見るか妥当と見るか。決して安くないのは確かである。

 あすは図書館に行って、国会図書館から借りてもらった本を館員に見張られながら読まなくちゃ!

2000.1102(木) 
購入本
瀬名秀明/『八月の博物館』/角川書店

  昨日の昼、職場の近くの商店街を歩いていたときのこと。小雨で、傘を差さない人もいると言う程度の降りだった。レインコートを着たおかあさんと、真っ赤なビニールのレインコートにフードをかぶった3歳くらいの女の子。道の真ん中で女の子がおかあさんの膝に取りすがって大声で泣き声を上げている。どうしたのかな?と耳をそばだてると…「ちっちゃいかさー、ちっちゃいかさー!あーん、ちっちゃいかさあ〜!」わたしもみんなみたいに、じぶんのちっちゃいかさをさしたいよう!と体中で訴えていたのであった。わーん、かわいい〜!

 近ごろ娘には「つきあっている人」がいることが発覚。ふうむ、以前から先輩、先輩って言っていたのがそれね…。あるときおかあさん(私のこと)の話になったのだそうな。彼曰く「お前のおかあさんって、お前に似て可愛いんだろうなあ」………笑いをかみ殺してうつむく私であった。ぎゃはは!

 山之口洋『0番目の男』昨晩寝る前に読了。いかにも山之口さんらしい終わり方だと感じた。「ならなかった自分」と繰り返されるわりには、このモチーフはなんだかとってつけたような気がした。またネタばらしが早すぎたようでもあるが、そうすると、もっと長篇になったのであろう。ふくらませて書き直してもいけると思う。これから山之口式未来史シリーズが書き継がれて行くのだろうか。それにしても彼は先天性ロマンチストだと感じる。

 続いて、昼休みに、小林泰三『奇憶』を、これこそ30分あまりで読了。ばばっちさ満載の、しかし頭の中を攪乱する作用たっぷりの泰三ワールドだが「中編」という分量に合わせるためか、冗長とも思える書き込みが多いと感じた。すっきり削ぎ落とされた短篇にして欲しかった。

 昨日、幸運にも偶然見つけた『ボストン夫人のパッチワーク』は、知る人はあ、あの、と思われるだろう、そう、グリーンノウシリーズを書いたルーシー・M・ボストンが、有名なマナーハウスに住みながら、冬の間せっせと製作した数多くのパッチワーク作品の本なのである。そのマナーハウスに偶然下宿した林望(リンボウ先生)のエッセイなどでその一端に触れたことはあるが、実際に作品をまとめて目にするのはもちろんこれが初めてである。作品が写されているその背景はもちろん彼女の住んだ、そしてグリーンノウの舞台となったヘミングフォード・グレイ村のザ・マナーなのであるが、ちょっとおどろいたのは、そのオンボロさ…。壁の塗装はまだらでしみだらけ、ひびも入り、多分ドアや窓の立て付けだって決して良いとはいえないと思われる。冷えびえ、寒々とした石の建物…これがマナーハウスか。壁の厚さは想像通りで、だから窓の部分はベンチになるくらいの厚みがあるのだ。この冷たく古い建物を彩る美しいパッチワークの数々。言葉になりにくい、物の重みを感じたのであった。

2000.1101(水) 
購入本
小林泰三/『奇憶』/祥伝社文庫
倉阪鬼一郎/『文字禍の館』/ 〃
ダイアナ・ボストン/『ボストン夫人のパッチワーク』/平凡社
オースン・スコット・カード/『エンダーズ・シャドウ』上・下/ハヤカワ文庫SF
図書館本
宮脇孝雄/『翻訳の基本』/研究社出版

  わさわさしているうちに、黄金の十月が終わり、十一月に突入してしまった。む、むなしい…。

 今日bk1から届いた『エンダーズ・シャドウ』とおなじく先日とどいた『0番目の男』は、どうしたわけか本のノド(というのだっけ、背表紙の反対側…というかページを開く方)に、鉛筆でガシッ、またはビュッと線が引かれているのだ。おそらく出荷担当の人が片手に鉛筆を持ちリストをチェックしながら作業していて、その鉛筆の先が本に触れて線が引かれてしまうのだろう。気分が悪いから注意して欲しいものだ>メイルしよう。

 『0番目の男』ほんの30分くらいの間に8割方(立ち読み)。いや、片づけようと思ったついでにちょっと目を通したら、ついついそのまま読み続けてしまった、と言うわけ。ネタを割るのがもっと後だと良かったのにと思わぬでもないが、いかにも山之口さんらしい持って行き方に思える。

 律儀な石堂さん、きちんきちんと藍読日記をアップされてエライ!10月24日付け鷲田清一『ことばの顔』の音楽に関するところが爆裂していて笑ってしまいました〜。長い長い、気に入らないと即一行で片づける彼女にしてはすごい分量だ(あー、おっしゃることには非常に共感)!


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最終更新日 01/12/31 01:11:40
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