9クリスマスの本棚

今年もニムの本棚から、クリスマスにちなんだ本をならべてみました。

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『青い鳥』 『クリスマス・ファンタジー』 「クリスマスの反乱」

 『クリスマス13の戦慄』 『たのしい川べ』

『飛ぶ教室』 『マルコヴァルドさんの四季』 『あしながおじさん』 

『クリスマスの女の子』 『思いがけない贈り物』

『青い鳥』 モーリス・メーテルリンク 岩波少年文庫

 誰でもその題名を知っているだろう『青い鳥』は、チルチルとミチルの兄妹が幸福の青い鳥を捜す物語である。けれども、筋を知っている?登場人物は?結局青い鳥はどこにいるの?と問われると、意外に知らなくて、実は読んだことがないと言うのが大方なのではないだろうか。さて、その舞台となる季節はいつ?
 じつは、幕開けはクリスマスイブなのである。
 私の持っているこの古い本は、もともとは姉のもので、紙は茶色くパリパリになり、ページの端はあちこち欠け落ちている。昭和26年初版の、31年第8刷である。

明日はクリスマス。

(チルチル) でも、クリスマスのおじいさんね、ことしはぼくたちになんにも持ってきてくれないんだ…

夜中に目を覚ましたチルチルとミチルは、窓に貼り付いて外を見る。

(ミチル) なんて明るいんでしょ!
(チルチル) 向かいの、金持ちの子供の家のさ、クリスマス・トリーだ。

狭い窓からお向かいのクリスマスパーティの様子を垣間見る兄妹の所に、緑色のきものを着て、赤いずきんをかぶった、小さいおばあさんが入ってくる。これが妖婆である(隣に住むおばあさんにそっくり)。

(妖婆) この家には、歌を歌う草か、青い鳥がおるかね?
(略)
おまえたちは、わたしのほしい青い鳥をさがしにいってくれなくちゃいけないよ。
(略)歌を歌う草はなくてもいいが、青い鳥は、どうしてもいるんだよ。私の娘が、ひどくからだが悪くてね、その子のためにいるのさ。
(チルチル)  娘さん、どうかしたの?
(妖婆) なんだかよくわからないけれど、幸福になりたいんだってさ……

そうして妖婆から魔法の帽子をもらったふたりは、光の精、犬の精、猫の精たちとともに幸福の青い鳥をさがしに、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の御殿、未来の王国と経巡り、その都度青い鳥を見つけたかに思うが、それは黒くなってしまったり、まっかになったり、死んでしまったり、つかまえられなかったりであった。長く不思議な旅から戻り、目覚めてみると、なんとそれはクリスマスの朝で、チルチルの飼っていた鳩が、捜していた青い鳥であることに気づいた。これを歩けない隣の娘にやると、その足はすっかりよくなってしまった。

けれども、こうして「青い鳥は気づかないだけでいつも身近にいるんだ」というハッピーエンドで終わるかに見えたこの物語の最後で、青い鳥はチルチルと娘の手をすり抜けて飛んで逃げてしまうのである。そして

(チルチル) (舞台の前の方へすすんで出て、お客さんたちに言う)みなさんのなかで、どなたでも、あの鳥をみつけたら、どうぞぼくたちに返して下さい。ぼくたちの幸福のために、いまに、あの鳥がいるのですから。

と、このせりふで物語の幕が閉じられるのだ。これは、ちゃんと思い出してみれば確かにそうなのだが、いつのまにか記憶の中では、本当の青い鳥を見つけたところで終わっていたかのようにほとんどすり替わってしまっていたのである。
 幼い頃には彼らの旅の一場面一場面が文字通り夢のように、あるときはきらきらとある時は怖ろしく感じられたものである。そのころは夢と現実の境界がまだはっきりしていなかったように思える。登場人物に込められた、目に見える寓意は察しられても、この終わり方は幾分しり切れとんぼのようであるだけにむしろ印象が薄かったと言うことらしい。時あたかもクリスマス。せっかく見つけた青い鳥に逃げられてしまって、チルチルたちはこのあといったいどうしたのだろうか。

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『クリスマス・ファンタジー』 風間賢二・編 ちくま文庫

「道」 シーベリイ・クイン
「墓掘り男を盗み去った鬼どもの話」 チャールズ・ディケンズ
「新クリスマス・キャロル」 アーサー・マッケン
「岸の彼方へ」 A・ブラックウッド
「クリスマス・プレゼント」 ゴードン・ディクスン
「ガニメデのクリスマス」 アイザック・アシモフ
「クリスマスの出会い」 ローズマリー・ティンパリー
「ジャックと火の国の王」 メアリ・ド・モーガン
「ハッピー・バースデイ、イエスさま」 フレデリック・ポール
「クリスマスの恋」 フランク・R・ストックトン
「幸運の木立ち」 H・ラッセル・ウェイクフィールド
「サーロウ氏のクリスマス・ストーリー」 ジョン・ケンドリック・バングズ

という12編からなるアンソロジーで、バラエティに富んでいる。

中でも、宗教ものの映画を見るような、サンタクロース伝説の「道」、惑星シドーでのシドー人からのクリスマスプレゼントを描く、いかにもSFらしい「クリスマス・プレゼント」、異教的な恐ろしさにあふれラストが迫力あふれる「幸運の木立」などが印象に残る。「クリスマスの恋」は古い屋敷の昔の女主人がクリスマスにだけ再び現れて…という幻想系の話。

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「クリスマスの反乱」 ジェイムズ・ホワイト 『年刊SF傑作選3』 創元推理文庫 収載

この本『年刊SF傑作選3』には、SFとはなにか?で始まる英文の序がついている。

S is for Sience and Satellites, Starships and Space; for Semantics, Society, Satire, Suspence, Stimulastion, Surprise and, above all--Speculation.

F is for Fantasy, Fiction, and Fable, Fairytale, Folklore, and Farce; for Future and Forecast and Fate and Free Will; Firmament, Fireball, Fission and Fusion; Facts and Factseeking, Figuring, Fancy-free, and just plain Fun.

いまさらのようではあるが、いかに多くの単語がSとFにあてはまることよ。私は、Starships and Spaceあたりでわくわくしてくる。FはもちろんFantasy, Fairytale,それとFunという単純な言葉が気に入った。

目次にはハリー・ハリスン、フリッツ・ライバー、ラファティらが名を連ね、ほかにブラッドベリ「世にも稀なる趣向の奇跡」(砂漠の蜃気楼の話)、ピープルシリーズのゼナ・ヘンダースン「文科委員会」などがおさめられている。

「クリスマスの反乱」は、超能力者、それも6歳とか3歳とかの幼い子供たちの話である。夜中にパジャマ姿で集まっている一見何の変哲もない子供たちは、それぞれにテレパシーが使えたり、テレポート出来たりといった常人とは違う能力の持ち主なのであった。親と一緒に泊まりに来ているわけでも、合宿でも何でもなく、親の目を盗んで、彼らの超能力によって夜中に一つ部屋に集まっていたのである。

サンタクロースはいったいどこにいて、どうやってプレゼントを持ってくるのか?彼らにとっての大問題である。

サンタクロースが北極圏の氷の下の洞窟にすんでいるということについても、意見はだいたい一致した。洞窟には、彼のオモチャ製造工場と倉庫があると言われている。

そこで、彼らは

「(略)秘密の洞窟を発見し、サンタがどういうふうに品物を発送するかをたしかめなければならない」

というわけだ。幸いにも彼らには、その手段があるのだ!

「行きたいと思う場所のことを考えると、そこへ行ける」能力を持つライアンは、オモチャ倉庫とトナカイ小屋のある氷の洞窟のことをおもってみたが、そういうところはないようだったので、それに似た「物を作って貯蔵し、すばやくそれらを発送するのにふさわしい場所」を思ってみた。すると、あったのだ!北極の近くの地下に!クレーンがあって、たくさんのロケットがある洞窟がいくつもいくつも!

テレポーテーションで洞窟に潜入した彼らは、どうやらここのどこにもサンタクロースもオモチャも見あたらないことに気づく。おまけにプレゼント発送システムと思われるロケットの発射ボタンを、だれも押したがっていないらしい。それは困る!ぼくらがもらうべきプレゼントはどうなるんだ!そこで、ロケットの頭部に詰まっているピカピカした物を海の中に捨て、かわりにソートレーク、イルクーツク、東京などの大きな玩具店からもってきたオモチャを詰め(ここまではテレキネシス)、オモチャが世界の子供たちの手に届くべくロケット発射の赤いボタンを押してしまうのだ(これは手で押す)。

こうして敵対する両陣営のミサイルはすべて発射され、世界の終わりは目前であったが、なぜか発射されたミサイルは全部不発で、ミサイルの落下地点を調査したところ、なんと模型列車やオモチャの銃の残骸が発見されたのであった。

結局彼らにはちゃんとサンタがトナカイのそりに乗ってやってきたのであったが、

そのとき彼らは眠っていたので、ソリやトナカイを見たわけではなかった。

と言うわけである。

夜中にテレポーテーションでより集う彼らに、Web上でより集っている我らの姿を重ねて、まるでおんなじだと、ついほほえんでしまうのであった。

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『クリスマス13の戦慄』

 

『たのしい川べ』 ケネス・グレアム作 E・H・シェパード絵 岩波書店

モグラは春の空気に酔ったようになり、自分の小綺麗な地下の家をほっぽらかしにしたまま出奔して川ネズミやヒキガエルたちと新しい生活を始めた。

面白おかしい生活のうちに夏が去り、秋が過ぎてクリスマスが近くなったある晩、川ネズミと暗い夜道を歩いていたモグラは、急に心震わす強い呼び声を感じ、いてもたってもいられなくなる。その呼び声こそ、彼に捨てられた家が、近くを通りがかった不実なご主人様を呼ぶ甘く強い声であったのだ。

ひときわ呼び声が大きくなったところの地面をひっかいたり、掘ったりしたあげく、やっと自分の家に繋がるトンネルを見つけたモグラは、その素敵な玄関に川ネズミとともに立ったとき、とんでもないことをしたのではないかと激しく後悔する。
家は狭いし、ほこり臭いし、川ネズミのように豪勢なご馳走ももちろんあるわけもない。しかし人をそらさない川ネズミがじょうずにとりなした結果、ふたりはいくらも経たないうちにモグラの居心地のよい居間でビールを飲んでいる自分たちを見いだすのであった。
そして、満ち足りた気分のふたりがそれぞれベッドに引き取ろうかと思い始めたとき、ドアの外でぱたぱたたくさんの足音がし、咳払いの音、「はい、そっちによって」と言うような声が聞こえたかと思うと、きよらかなクリスマス・キャロルがわき起こったのである。

屋外の野趣あふれるシーンが多いこの物語には、ところどころに心休まる静かな場面が挟まっている。このクリスマス・キャロルのシーンは、なかでもわたしには印象の深いもので、よく片づいたモグラの居間で味わうビールのおかん(これはエールだろうか?)、キャロルの連中に買いに行かせたハムなど、実際に飲み食いしたかのようにありありと記憶に残っている。寒さで足踏みしているキャロルの連中の鼻や手がきっと赤くなっているだろう、モグラの居間に招じ入れられてむせながら飲むあわだったビールはなんて有り難い!
これから冬本番になり雪にふりこめられる土地の、今一時の静けさ。モグラの家もご主人と一緒にクリスマスが過ごせてさぞかし嬉しいに違いない。

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『飛ぶ教室』 エーリヒ・ケストナー 岩波書店

 子供の頃、『動物会議』に始まって、『ふたりのロッテ』『五月三十五日』『点子ちゃんとアントン』ならんで、いや、ずっとそれ以上に愛読したケストナーの本が、この『飛ぶ教室』であった。

 作家(ケストナー)がなぜか夏の真っ盛りにクリスマス物話を書こうとして、ツークシュピッツェ山のふもとの湖のほとりに行くところから始まる。美しい草原、モミの林、青い湖、鈴をつけた仔牛、万年雪を頂くツークシュピッツェ山。文字通り牧歌的な環境の中で、作家の筆はなかなか進まない。けれども、ようやく始まったクリスマス物語は…。

 キルヒベルクの高等中学の寄宿舎では、腹ぺこのマチアス、ちびで臆病者のウリー、絵がうまくいつも首席のマルチンらが、作家志望のヨナタンが書いた「飛ぶ教室」をクリスマスに上演しようと準備をしている最中だ。
 彼ら寄宿学校の生徒と実業学校の生徒の「有史以前からの」いがみあい(雪合戦が壮観)、くずかごにいれられて天井からつるされたりしてその臆病さを笑い者にされるウリーが、自尊心を取り戻すべく落下傘降下を行って骨折すること、彼らの尊敬と愛情の対象であるふたりのおとな・禁煙先生と正義(ユスツス)先生との交流など、久しぶりに読み直すとふたたび生き生きとよみがえってくる。

 なかでも幼なじみで自分たちもこの学校で青春時代をともにした親友、禁煙先生と正義先生の再会のエピソードと、もっとも愛情を持って描かれているマルチンのクリスマスの帰省にまつわるストーリーが、再読した今回も胸を打つのである。マルチンの哀しみ、苦しみ、いさぎよさに、拾い読みをしながら涙してしまうのであった。
 クリスマス休暇にむかって高まって行く生徒らの興奮を背景に描かれる、親子・友人・師弟のあいだの思いやりと強い絆。クリスマスの馬鹿騒ぎは、こういう人と人との深いつながりを裏打ちにしてこそあるのだと思う。

何年も前に読んだときとまた違うところでぐっと来る場面がたくさんあって、あらためてケストナーの面白さをあじわった。

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『マルコヴァルドさんの四季』 イターロ・カルヴィーノ 岩波書店

 カルヴィーノには、14才の時に最初に出会っている。岩波おはなしの本というシリーズに入っており、小学2〜4年向きというふうになっているが、児童書の「対象年齢」というものがあてにならないことを割り引いても、どういう経緯でこういう年齢を持ってきたのか、いまもって首を傾げたくなる。
 この一風変わった印象を残したカルヴィーノが、実はイタリアで指折りの有名な作家であることを知ったのはずっと後のことである。

 連作短篇集であるが、子どもの時に読んで以来その奇妙な味わいが印象に残っているのが、霧の中をあてどなく歩いてとんでもないところに出てしまう「まちがえた停留所」や、猫たちの楽園と化している都会の中の古びた屋敷の話「がんこなネコたちのいる庭」などである。
 ズバーブ商会の人夫をしているマルコヴァルドさんの四季折々のエピソード20編によるこの作品の一番最後が、「冬:サンタクロースのむすこたち」である。

 クリスマス商戦の時期、ズバーブ商会の倉庫では、マルコヴァルドさんも心を込めてプレゼントを積んだりおろしたりしていた。年末手当と超過勤務手当をいくらもらえるかなと胸算用しつつ…。すると、重役会の決定により、お得意さまへの配達は、サンタクロースの格好をした男に運ばせようということになり、マルコヴァルドさんにおはちが回ってきたのだった。

 サンタクロースの服を着て最初に自分の家へ駆けつけて子供たちをびっくりさせてやろう、「あいつら、わしだと気づかんだろう」とさっそく自宅に行くが、子供らはまったく驚かないどころか、「どうしたの、おとうさん」なんて言われる始末。サンタの格好をした配達員なんて、気がついてみると掃いて捨てるほど町にあふれていたのだ。

 マルコヴァルドさんはそのあと、プレゼントをあげるべきかわいそうな子供をみつける、という息子のミケリーノといっしょに配達を続ける。
 ある飛び抜けて贅沢な家のぼっちゃま(クリスマス・セール拡大委員会・会長の息子)は、三百十二番目のプレゼントを、つまらなそうに受け取る。ミケリーノはそれを見て、彼を「悲しそうな顔してた、かわいそうな子」と思い、マルコヴァルドさんに相談もせず、ミケリーノなりの3つのプレゼントをしたのである。そして、ぼっちゃまがそのプレゼントを見てほんとのほんとによろこんでる、と言うのである。

 はじめのつつみは、大きくて、まるくて、木で作ったハンマー。ぼっちゃまは早速木づちをふるった。おもちゃをみんなたたきこわし、ガラスの食器もみんなたたきこわしたよ。

 二つ目のプレゼントは、パチンコさ。そりゃ大喜びで、クリスマス・ツリーの電球をみんなこわし、シャンデリアを次々に…。

 それからもうプレゼントするものがなかったので、マッチの箱を銀紙に包んだんだ。「ぼく、いままで、マッチなんていじらしてもらえなかったんだ」と、一番喜んだ。そしてマッチに火をつけはじめて…あっちこっちに火をつけたよ。

 マルコヴァルドさんはこれをきいて「はめつだ」と髪をかきむしる。
 翌日、クビを覚悟して出社したマルコヴァルドさんを迎えた労務課長、宣伝課長、事業課長は、クビを言い渡すどころか、「早くつつみをつみかえろ」と指示する。
 「クリスマス・セール拡大委員会・会長の息子がもらったプレゼントがきっかけで、あらゆる種類の品物を壊すのに役立つ破壊的なプレゼントの宣伝活動をはじめたのだ」と言う。品物が壊れれば、客はいやでもそれを買い換えて、その結果、商品の取引も活発になるのだというのだ。

 「ほんとうにそんなにたくさんのものをこわしちゃったんですか」
 「けんとうをつけるのもむずかしいな。なにしろ、家ごともえちまったんでな。」

 仕事を終えたマルコヴァルドさんは、クリスマスに賑わう通りに出る。そして、カルヴィーノの筆はメタ化する。町の情景はカメラのレンズを急に戻したように小さくなり、森の奥の暗がりに隠れたかのよう。雪の上のウサギ、真っ黒な森を走るオオカミ。オオカミが空しく風をかみ、ウサギが雪に紛れて逃げていってしまったあとにみえるのは、

 「ただ、このページのように、白い雪のひろがりだけでした。」

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『あしながおじさん』 ジーン・ウェブスター 新潮文庫

 昔からいろいろな出版社の様々な訳で読まれているが、今手許にあるのは新潮文庫版である。
 何度も何度も読みふけって、ロックウィローの農場ですごす夏休みなんて自分の夏休みの思い出とほとんどごっちゃになってしまっているほどだ。屋根裏部屋で見つけたジャーヴィス坊ちゃまの本『追跡』の見返しに書いてある言葉「もしこの本がうろついていたら、耳をなぐって家へ帰らすこと」とか。私がなじんでいた訳では「横っ面をはりとばして」だったように思うが、誰の訳だったやら…。

 茶目っ気あふれるジュディが学生生活の間に経験した4回のクリスマスは、彼女が経験したことのなかった家庭の暖かさを感じるものであったり(2年目、サリーの家でその兄ジミーと出会う)、ニューヨークのジュリアのもとで豪華きわまりない「社交生活」の渦にまきこまれたり(3年目)、手編みのネクタイをあしながおじさんに贈ったり(4年目)といろいろだが、他の時期に比べ特別書き込まれているわけではない。しかしその中で印象的なのが、天から降ってきた大学入学から間もない、1年目のクリスマス休暇だ。

 この年、ジュディは大学の寮(塔の部屋)でクリスマス休暇を過ごす。スケート旅行の計画を立て、田舎道を踏査し、糖蜜キャンディの会(愉快な挿し絵つき!)を楽しみ、彼女持ち前の明るさとユーモアがいよいよ本領を発揮している。
 生まれて初めてもらったクリスマスの贈り物、おじさんからの5枚の金貨は、素敵な家族からのプレゼントに姿を変える。
 父からは皮ケース付き銀側腕時計、母からひざ掛け毛布、祖母から湯たんぽ、弟ハリーから原稿用紙500枚、姉イソベルから絹の靴下、叔父から類語辞典、叔母から詩集。 
 まとめて家族の役割を引き受けさせたあしながおじさんに、ジュディは「愛情を込めて」と、報告の手紙を結ぶ。

 私は誰かを愛さずにはいられないのですが、その対象としておじ様かリペット院長か、どっちかを選ばなければならないのですけれど私はどうしたって院長を愛するわけにいかないんですもの、おじ様にがまんしていただくよりほかございません。

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『クリスマスの女の子』 ルーマー・ゴッデン ベネッセ

『思いがけない贈り物』 エヴァ・ヘラー作・ミヒャエル・ゾーヴァ絵 講談社