やまいもの雑記

8マン

平井和正・原作
桑田二郎・画
さて、「鉄腕アトム」では時機を逸したものの「鉄人28号」では概ねきちんと楽しめた私であるが、「8マン」(テレビ放映時のタイトルは「エイトマン」)ではどうだったかというと、おそらくは一番制作意図に添った見方ができたのではなかろうか。

平井和正の後年の記述によると、「8マン」というのはテレビ局だか雑誌社だかが独自のスーパーマンを求めて立てた企画で、原案と漫画家をいくつか集めた中から平井和正と桑田二郎が選ばれたそうだ。ちなみに漫画家の方は最初は「桑田次郎」だったが、途中からどこかの宗教に帰依して「桑田二郎」と改名したと記憶している。

で、欲しかったのは超人的な能力を持ったヒーローだけだったので、悪人もチンケなら事件もチンケな話ばかり書くように求められ、せっかく変身能力や音よりも速い移動能力を持つスーパー・ロボットを創造した平井和正は大いに不満だったようである。

しかし、当時の私はテレビや雑誌のかっこいいロボット・エイトマンのスーパーマンぶりにやんやの喝采を送るばかりだった。たんなる手抜き作画にすぎないのに、両手を止めて走るエイトマンのポーズを、友人たちと「こうした方が速いんだぞ」とまねしてみたり、丸美屋のエイトマンふりかけにあこがれたり(うちがビンボで買ってもらえなかった)、エイトマンふりかけのおまけのエイトマンシールを持っている友人をうらやんだり。

そういえば、アトムのシールの入っているマーブルチョコレートもあまり食べた記憶はないし、鉄人の日光写真の付いたグリコアーモンドキャラメルも手にしたことがあったようななかったような。いとこが鉄人の転写シールの付いたガムを買ってもらってるのがうらやましかったあのころであった。

でまあ、そうやって子供のころはテレビアニメ制作サイドの意図通りに楽しんだのだが、小学校高学年のころ転機が訪れた。たまたま親戚宅で『8マン』の雑誌別冊付録「サイボーグPV1号」(リム出版『完全復刻版8マン』第7巻収録)を読んだのだ。ストーリーは後に原作者・平井和正の小説「アダルト・ウルフガイ・シリーズ」のひとつ「狼は泣かず」の原型になったもので、不死身の大男・大滝雷太がサイボーグPV1号にされ、以前雷太を助けた8マンが心ならずもPV1号と戦う話である。

頭が弱く、契約書の内容を見ずにサインした雷太は、勝手に自分の体を改造されて復讐に狂っていた。そんな雷太の事情をわかっているために8マンは何とか説得しようと雷太に自分の正体を明かす。私の記憶では、変身途中以外で8マンの姿のまま東八郎の顔になったのは「8マン」全編の中でもこのときだけだ(電子頭脳の加熱で8マンの姿のまま顔だけさち子になったことはある)。

互いに人間としての体を失った同士だったが、雷太は元のからだを研究所もろとも自らの手で破壊してしまった絶望から、なんとしても自分をだました狩野博士を殺そうとする。鉱山採掘用に作られたPV1号の破壊力は凄まじく、このまま雷太を市街地に入れてしまえば被害は計り知れない。やむなく8マンは十万キロワットの電撃を浴びせてPV1号の電子装置を焼き、その進撃を止めたが、それは雷太の命を奪うことでもあった。喜ぶ警視庁の田中課長と裏腹に、8マンの心は重かった。

『8マン』がたんなるロボットヒーロー漫画ではなかったと知ったのはこのときだった。何事にも旬はあるもので、このとき「サイボーグPV1号」を読んでいなかったら、私の『8マン』の評価はまったく違ったものになっていただろう。この辺、『鉄腕アトム』(手塚治虫)と対照的である。

おそらくは平井和正の「ウルフガイ・シリーズ」には出会っていただろうから、秋田書店・サンデーコミックス版の『8マン』(収録されていないエピソードもいくつかある上、当時の慣習で多少編集されていた)を読むことはあったかもしれないが、リム出版の完全復刻版を読むことがなかった可能性はある。だが、大都社版の『8マン』(1980年頃)で「サイボーグPV1号」に再会していたおかげで(?)リム出版版を追いかける意欲が湧いたことは確かだ。ちなみにリム出版版の「魔人コズマ編」のラストは、大都社版のために描いたものの、企画がコケたために出版されなかった原稿だとか。

ということで、桑田二郎の拳銃不法所持で掲載誌の最終回の漫画原稿がアシスタントの代筆になったとか、アニメ「エイトマン」の主題歌を歌っていた歌手が殺人罪で逮捕されたとか、いろいろ不幸の影の多い『8マン』ではあるが、こと私に関しては幸福な出会いと幸福な再会を果たすことのできた名作である。

ああ、長くなった割に書きこぼしの多い項になってしまった。

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