プライベート・ライアン(その5)

監督 スティーブン・スピルバーグ 主演 トム・ハンクス、トム・サイズモア、エドワード・バーンズ、マット・デイモンほか

(10月1日までの採点は、『プライベート・ライアン』、 10月8日までの採点は『プライベート・ライアン(2)』、 10月11日までの採点は『プライベート・ライアン(3)』、 10月14日までの採点は『プライベート・ライアン(4)』 に掲載しています。まず最初に、そちらをごらんください。)

灘かもめ(10月25日)
seagull@d1.dion.ne.jp

 またまた「プライベート・ライアン」です。
 上山弘さんの感想を読みました。
>これを「反戦映画」と見るのは基本的な間違いですよ。どなたか知りませんが。
 の部分で、少なからずショックを受けました。
 私はでも、この映画を見ても無条件で「アメリカがんばれ」とか、「私も兵士になりたい」とか、日本も再軍備しなきゃとか、そんな発想は出なかったのですが。たしかに頭のなかがパニックになって、どう捉えたらいいのかわからなくはなりましたけれど・・。
 それにしても、ネット上で戦争体験者の方の感想が読めるのはなかなか無いことですよね。しかも、そういう年代の方が「ライアン」を非反戦映画と感じ、戦争を知らない世代(私はS41年生れ)が反戦映画と感じるこのギャップは一体、なんなんでしょう???
 想像するに、体験者世代の方にとって第2次世界大戦は「日本が負けた戦争」「アメリカが勝った戦争」と認識しておられるのではないでしょうか。確かにそのとおりなのですが、わたしぐらいの世代になると、戦争自体「歴史上の出来事」ぐらいの認識しかないのも事実です。負けた屈辱感とか、日本が存続できるのかという不安を体験したり実感したことは無いし、できないのです。
 わたしたちの世代には、「第2次世界大戦」に対する(体験による)感情はないのです。戦争体験による感情とともに見ると非反戦映画になるのかなぁ?あれ、なんだか自分でもこんがらがってきちゃった。
 体験を持たない者が、体験を持つ方の気持ちをあれこれ想像するものではないですね・・。できれば、具体的にどの場面やセリフが「戦意昂揚」な部分なのか指摘して欲しいです。ホント、わからないので・・・。
 ライアン救出部隊が、仲間割れ(?)寸前になった場面がありましたよね。(その後、トム・ハンクスの前職の賞金の話になって再び全員まとまるところ。)ライアン救出という任務に意味を見いだせなくてイヤになったんですよね、確か。「意味が無い」というけれど、それじゃあ、「意味がある」のはどんなことなのか。トム・ハンクスには「任務を終えて無事に故郷に帰ること」が今自分がなすべきことで、意味を考える必要はないと言ってた・・・のかな。意味なんか考えてたら、戦争なんかやっとれんということかしら。
 だとすれば、やっぱり戦争は私にとっては無意味(無価値)そのものにしか思えない。 全てのものには意味がある、と思いたいし、そう信じているから。
 「反戦映画だと思う」ことを書いていくと、ただ自己弁護してるだけのような気がしてきた・・・。自分の意見を、正確に文章にするって、なんて難しいんでしょう・・。
 スピルバーグなら反戦映画を作るはずだ!と思い込んでいるから?「ライアン」が反戦映画であって欲しいという願望が、そう言わせるのかしら・・?
 でもでもでもっっっ!「ライアン」を見ても、「兵士になって国を守りたい」とはど〜しても思えなかったの!
 うぅ〜〜〜、やっぱりまだモヤモヤしてるみたいですぅ〜〜。
上山弘(10月24日)
nagaodor@mxy.meshnet.or.jp
七十四のロウヤです。平日の午後でしたが、意外に若い人々の多いことに驚きました。女子中学生とおぼしき制服姿のお嬢ちゃんたちが観客の中に交じっているのには、再度驚きました。戦争映画なのに。徴兵や志願兵募集広報映画なのに。世界の警察軍をもってみずから任じているアメリカとしてはいつでも稼動できる常備戦闘態勢になければなりません。そのためには、戦意昂揚を目的とした戦争映画がひつようなのです。これを「反戦映画」と見るのは基本的な間違いですよ、どなたか知りませんが。 それにしても、なせ゜女性の観客が多いのか、若い方が多いのか、どなたか教えてください。トム・ハンクスのファンだからという理由ならいりませんが。以上
灘かもめ(10月22日)
seagull@d1.dion.ne.jp
パンちゃん、はじめまして!
灘かもめ(seagull@d1.dion.ne.jp)と申します。
いきなりメールをさしあげてよろしかったのでしょうか。
以前、「採点簿」に感想を送ろうとして、各ページの一番下にある投稿フォームを使って送信したのですが、届いてなかったようですので、直にメールにすることにしました。
「プライベート・ライアン」
すごい盛り上がりですね。私も観てきました。
自分で観るまでは絶対感想は読まないぞ〜〜!と固く決意して(笑)。
実際観てしまったら、早く皆の感想が読みたくて、すっとんで家に帰りました。
これはいったい何なのか、どう受けとめるべきなのか、私がスクリーンから感じたことは正しいのか、etc・・全てが不安で、だれかこのモヤモヤをすっきりと斬ってくれ〜〜状態だったのです。
皆さんの感想は全部読まさせて頂きました。一番私の感想に近いなと思ったのは「shiro」さんのでした。・・・といっても、皆さんの意見を読みながら自分のなかでゆっくり整理していって、shiroさんの意見に(自分のなかで)まとまった・・というカンジです。はじめは私も、老ライアンの最後のセリフが、間抜けに聞こえていました・・と同時に、他に意味があるのかも?とも思ったのです。
(「ライアン」は、とくにそーゆー場面が多いと感じました。どうとでもとれる映像、この人はいい人?悪い人?その行動はいいこと?悪いこと?どう考えればいいの??と混乱しちゃうような。・・・・だからモヤモヤしたのね。)
そーだ、「ライアン」とは、守られて、あるいは偶然に生き延びた人たちの象徴なんだと思った時に少しだけ(モヤモヤが)すーっとしたのです。
shiroさんの意見に少しだけ付け足すと、あの「私の人生は、間違っていなかったか?」の問いは、今のアメリカ人全ての問いなのでは・・・とも思えるのです。
「(死んでいく)自分の分も、しっかり生きろ!」
はっきり言って、こんなに重い言葉はないと思います。そして、「しっかり生き」ることがどんなに難しいことであるか、老ライアンの約1/3くらいしか人生を生きていない私には想像すらできません(ちょっとサバよみすぎたかも・・3/7ぐらいか?)。
もしあの場面で、「あなたの分も大事に人生を送っています。心配しないでください」などと言ってくれたほうがドラマとしてはまとまるのでしょうが、私は、あれはあれでいいのだと思うようになりました。かえってリアルに感じます。
 そして、アメリカに対して、「本当にこれでいいのか?」「あの戦争からアメリカは、本当に“間違って”いないのか?」と監督が問い掛けているのではないかと思うのです。
アメリカ人自身も本当は心のなかで問い掛けているのでは?
強い国・アメリカ、正義を行なう国・アメリカ、世界を守る国・アメリカ・・・・・
自らの作り上げた国のイメージに押しつぶされそうなアメリカ・・・
これがスピルバーグ流の愛国心なのかも知れない・・・と思うのは、飛躍しすぎでしょうか・・・。
ところで、「リアル」ということにもいろいろ考えさせられた作品でした。
冒頭30分の激戦、単純に「ああ、こわいな、ホンモノみたいだな」と思ってしまいましたが、ホンモノを体験してもいないのに、「リアル」だなんて言ってしまっていーのだろーかと。
 血の色ぐらい、知っている。銃で撃たれたら死ぬ、ことも知っている。
でも、私には「隣の人が頭に実弾を受けて即死した」という体験は、ない。
体験したことのない事を「リアル」と感じさせるのはやはり、監督の力量以外の何物でもないと思います。
「戦闘シーンが単調で飽きる」
という意見がありましたね。私もそう思いました。「リアル」と感じる一方で、です。
たぶん、マヒしていったんだと思います。もし、わたしが兵士で、トム・ハンクスの部下になったら(アパム希望・・笑)、「単調な」日常の「戦場」で居眠りこいて役立たずのまま死ぬのだろう・・・と思ってしまいました。
私は星4つ★★★★です。
観なきゃダメよという意味で。
p.s.パンちゃんは今、星いくつですか?
パンちゃん
「見なきゃダメ」というだけなら★★★★★を付けたいのですが、
他にも思うことがあって★★★
これはちょっと説明に難しい。
それから、投稿フォームで投稿したのに、掲載されないという方はメールで感想を送ってください。
投稿はなるべくその日の内にアップするようにしていますが、仕事の関係で2-3日送れることがあります。一週間たっても掲載されない場合は、届かない場合です。ご面倒かと思いますが、その場合はメールで投稿していただけるとうれしい。
文字化けなどがあり、完全な形で掲載できないこともありますが、投稿していただいた文章はそのまま載せています。
不自然な形になっている場合もご連絡ください。
投稿フォームの改行と、書いていただいた文章の改行が違うこともあると思いますが、これは目をつぶってください。
手作業でコピーして、HTML化しています。幾分、改行などの指定が違っているかと思います。ごめんなさい。
reina(10月20日)
reina@osula.com
こうやって皆の感想を読んでると、人それぞれ違ったシーンを記憶しているのが判って、楽しいですね。ちょっと古いけど、「タイタニック」を見たあと、私は船の設計技師が時計を止めて部屋の中で静かに死を待つところが一番感動したんですね。次に感動したのは楽団リーダーが今日はあなたたちと演奏できて光栄ですといって演奏を終わらせたのに皆残って演奏しながら死を待つシーン。これもものすごく感動しました。これは自分が科学者であり音楽家であるからこの二グループの行動がとても理解できるからなんですね。ある友達が「老夫婦が手を取り合って静かにベッドで死を待つシーンが悲しかった」とか、「死を覚悟して子供を寝かしつける親子のシーンが悲しかった」というのを聞いて、私には記憶にもなかったシーン(言われて思い出したけど)が他の人には一番衝撃的なシーンであったりするんだ、ということを改めて考えさせられました。「ライアン」でも同じだと思います。今回はみさきさんの「すべての人には名前がある」を読んで、初めてそういった視点からもう一度この映画を考えることができました。確かに「個人の名前」にこだわっていましたね。こうしてスピルバーグは兵士一人一人が私たちと同じ人間であると言っていたのでしょう。
そうそう、また、みさきさんの文を読んでいてふと気がついたのですが、祈りながら人を殺す狙撃手。あれは自分が死ぬのを恐れた祈りだと思っていたんですが(だからちゃんと弾が当たりますようにという祈り。もし撃ってはずしたら自分の居場所がばれちゃうから)でも、それってキリスト教の教えに反するなぁ、と思ってたんですね。今日突然ひらめいたのですが、彼は人を殺すことが怖くて祈っていたのではないでしょうか?もちろんそういう態度は出しませんが、人を殺す度に神に許しを求めているのでは?それと同時に自分が殺してしまう人が安らかな眠りにつけるようにと思っているのかも。私はそう考えたいです。
みさきさん--「今日は家族も一緒です」と言うのはミラー大尉にあなたのお陰で「(お墓参りについて来てくれるような)素晴しい家族を持つことができました」という報告ではないでしょうか?また、年老いたライアンが出てくるのがあまり好きではなかったのですが、あれは私達に「この位の歳の人を見かけたら、過去にこういう経験をしているかもしれないと思い出してほしい」という、スピルバーグの思いだったのかもしれませんね。もうぼけてきている老人や街でのんびり運転している老人を見かけていらいらした時にこういう経験、またはそれ以外にもいろいろなことを乗り越えて生きてきたんだということを若い人にわかってもらいたかったのかも。
めぐみ(10月20日)
eb00c12@mailedu2.ipc.kanazawa-u.ac.jp
リアルな戦争映画を、最後のタイガー戦車が台無しにしてしまった。
あの戦車はあんなに小さくない。
途中で予算が無くなったのでしょうか、迫力に欠けすぎて興ざめしてしまいました。
残念でなりません。採点は★2つ半。
佐藤友昭(10月19日)
96p145@edu.saga-u.ac.jp
レイトショーでこの映画は見るものじゃないですね。
帰りの車の中、なんだか変な雰囲気でした。
みさき(10月16日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
◎すべての人には名前がある 「すべての物には名前がある」ことを悟って、ヘレン・ケラーは《奇跡の人》に なった。
 すべての人にも名前がある。一人ひとりに固有の名前。名前を尊重しない で、人間の尊厳はない、とスピルバーグはいいたいのかな。
 一人につき、たった一つの認識票をタダの名札として扱う彼らをとがめる視線の存 在、同姓同名のライアンの存在。たとえ名前が一緒でも、彼は「プライベート・ライ アン」ではなかった。
『シンドラーのリスト』は名前の集合体。名簿係の前で、自分の名前を告げる。自分 の名前がたしかにリストに載っているという喜び。
 老ライアンの毛穴のうぶ毛まで見えるほどのアップのあと、ミラー大尉の震え る手が映し出される。でもまだ、あたしらはトム・ハンクスがミラー大尉であること を知らない。
 あの激しい戦闘シーンとライアン救出劇とを自分はどう結び付けて見たか?
 <戦場の再現>は再現として、あとの救出劇にはつながらなくていいという意見も あるが、それもあんまりなので結び付けてみただけなんだけど。
 アパム以外の7人の戦いかたって見事だったと思いません? あたしなんかトム・ ハンクスなかなかやるじゃんって感心しちゃいました。だってあんなに手が震えてた んで「こいつ、へっぽこ兵士の役なのかな」って思ってたくらい、最初は。
 でも、「銃剣をよこせ」ってハンクスがいって、先っちょにガムで鏡をつけて、敵 兵の様子をうかがいながら、あの狙撃の名手に指示をだしてたとこなんか、かっこよ かったでしょ?
 ああした場面を見ながら、そのあとの彼らが戦場でどういう働きをするやつなの か、だんだんその兵士たちの個性をわかっていくために、あの場面はあったんです。
 ミラー大尉=智将。長身の白人=狙撃の名手、祈りながら撃つ、狙った敵はのがさ ない。軍曹=名副将。口ひげの男。衛生兵。黒人。角刈りの金髪男。おっ、すごい じゃん。7人全部覚えてるぞ。これで名前まで言えたらもっとすごいが、残念なが ら……である。
 だけども、それは映画をみてから10日もたったので、忘れたのだ。映画館にいた 時は覚えてたもん。彼らが大声で名前を呼びながら戦ってるのを聞いてちゃんと覚え たんだよ。
 観客に兵士の名前を覚えさせ、それぞれの戦い方を知らしめる場面としても、あの 戦場のシーンは重要だ。
 そこいくと、旧日本軍の731部隊なんか、中国人を丸太よばわりしてたとい うじゃないか、なさけないというか、なんというか。そこには人間の尊厳なんか少し もなかったんだってことだ。
◎老ライアン一家の戦後  最初と最後に老ライアンを先頭に、ライアンの妻、息子(むすめかもしれない けど)夫婦、孫たちが3人くらいいたかな。彼らは何のために画面に登場したか。救 出部隊のおかげで、生きてアメリカに戻ってこれたライアン二等兵の戦後50年の過 ごし方を表現するためであることはいうまでもない。
 こういう家庭を築き、孫たちも世間に後ろ指さされるような育て方はしなかった。 誰からも後ろ指さされない、よきアメリカの家庭。奥さんとライアンは『黄昏』の老 夫婦のように寄り添う。息子たちも健全な家庭のようだし、孫たちもグレて親に心配 かけたりしてなさそう。いわずもがなの説明で、いやらしい。どっちにしろ、この一 家の場面は感動的だったり、印象的だったりはしない。でも、なければいいのにとも 思わない、こういう説明が必要なのかもなあ、だめおしとして。
 老ライアンがミラー大尉の墓に、こう語りかける。「きょうは家族も一緒です」そ うか、いつもは一人で墓参りしてんのか。家族のほうから、ついていきたいと言った ような口ぶりだった。老ライアンも、もう年だ。戦争体験はこうして継承されて いくべきだというのかな。いや、それではあまりにも文部省……。アメリカは何 省?
 孫むすめに一人ぐらい、すっげーあばずれっぽいのが混じってたりしたら、かえっ ておもしろいのにな、なんてことも思いましたが。
 あああ、つまんない感想だな。つまんないのは、このシーンが説明のためのものだ からだな。反対に、雨の市街戦のあとの少女や最後の銃撃戦の前に蓄音機のまわり で、アパムがシャンソンを訳して聞かせるところ。ああいうシーンは説明に堕してた りしないからいいんだな。
shiro(10月16日)
shiro@lava.net
うわ、凄い盛り上がりですね。いろいろな見方が聞けて参考になります。
パンちゃんは最後の墓場のシーンでのライアンのせりふが納得いかないとのことですが、私はすんなり納得してしまいました。多分、私はこの映画を、「答えを提示する映画」としてではなく、「問い掛ける映画」として観ていたからだと思います。
ミラーはこれまでの戦争で死んでいった人々のひとつの代表であり、ライアンは生き残った人々の象徴でもあります。最後のライアンの問いはライアンというキャラクターの中に閉じたものではない、戦争に生き残った人々、およびその子孫、全ての人の内なる問いなのではないか、と思ったからです。
もちろんただ問題を提起するだけの映画では無いことも確かです。
この映画は同時に、ライアンの問いに対するスピルバーグの決意表明でもあります。我々の生は、多かれ少なかれ戦争の犠牲の上に成り立っています。ではどう生きれば良いのか、スピルバーグの一つの答えはまさにこの映画を作るという行為で示されました。では、*私は* ライアンの問いに何と答えられるのか。その答えはこれからの自分の人生で出してゆくしか無いでしょうね。
麗奈さんへ。ミラーの最後の"earn this" はスクリプト上は確かに前のせりふを受けていますが、私はやはりここに映画を通してのメッセージを見てしまうようです。"Fubar" のせりふについても、アパムが知らなくておたおたする、ということ以上の役割を感じます。
"Fubar" の字面の意味は知っていましたが、その「本当に意味するところ」がこの映画を観て分かったからかもしれません。
多分、私はこの映画を閉じたドラマとして見るのではなく、現実に投影して見てしまっているのだと思います。他の方が指摘しておられる、冒頭の戦闘とその後の断絶、不条理な状況、全てが私にはリアルに感じられました。
(もっとも、2回目に観た時はその裏にある監督の計算がちらちら見えたのも事実ですが)
パンちゃん
「フーバー」の文字通りの意義を知りたい、というビジターからのメールが届いています。
ご存じの方、教えてください。
ミーハーきり@サンドイッチ(10月16日)
noriko@sec.cpg.sony.co.jp
…のシーンは、私も「こいつらのーのーと食べやがって」 だと思いました。
コーヒーまで飲んで、、。自分はあれだけの無残な戦いをしてきた(しなくては ならなかった。)のに、しかも、部下をたくさん失って…。なのに、こいつらは…って。
でも、食欲を無くしているという見方も 「なるほど」と思った。
自分が生きていることが不思議なくらいの光景を目の前にした後で、 それくらいショッキングな経験をした後で、食欲など失せる…。
いや、違うな、自分はそんな理由で食欲を失っているのに、こいつらは…という 気持ちだから、両方かな。。。。
週末「友情の翼」と言うアイルランドの(戦争?)映画を観に行くので 良かったらまた感想書きます。
でも、ガブが目当てだから、「映画の感想」にならないかも…(笑)
nahoko@サンドイッチ(10月16日)
nahokoo@ibm.net
わたしはねえ、ものすごい戦闘が繰り広げられた、到底現実のこととは思えない ような現場(?)でも、いつものようにたっぷりハムなんか挟んだサンドイッチを 食べるってゆう、日常もあって、やっぱり、悪夢のようなこの場は、現実なんだ なぁ・・・って感じた。
・・・と、観てるそのときに、こんな文章で思ってた訳ではないですけど。あと でどう感じたのか、考察してみた。
『ライアン』に限らず、映画って、観る人の好みや経験や人生だけじゃなくて、 その日の体調や気分なんかでも、変わるんですよねえ。面白いですねえ。
みさき(10月16日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
◎へなちょこアパムの物語(2)
 へなちょこで、臆病者で、ロマンチストで、正義漢のアパムは「降伏している敵兵をを撃つのは違法だ」と強く主張し、トム・ハンク スもしぶしぶそれを受け入れる。
 一命をひろったドイツ兵は(墓穴を掘らされながら、オーワタシ、アメリカ、ダイスキ、なんていう やつ)その後の廃墟での銃撃戦でよみがえり、アパムの仲間を刺し殺す。アパムは自分が腰抜けなばっかりに、銃弾を届けることが できなくて殺された仲間のことを思って涙にくれるが、いかんせん本当に腰が抜けてしまって身動きできない。
 なさけなくて、くやしくて、でも、怖くてこわくて、階段の途中でうずくまって、がたがたがたがた震えていることしかできない。敵が来 る、敵が来る、階段を降りて来る。あああ、おれはきっと次の瞬間には殺される。撃たれる。死んでいる。怖い、こわい、怖い。
 そんなアパムを、かのドイツ兵はみのがしてやる。これでおあいこだ。
 そのおあいこの状態から一歩、進んで、アパムはついに銃を彼にむけてしまう。それも相手は両手をあげて降伏しているのにだ。ア パムの絶望がどれだけ深いか、あのあと、アパムがどんなに自分を責めたか。それを思うと、とても哀しい。
 戦争が人をかえてしまう。戦争は人を絶望させる。スピルバーグはちゃんと描いていると思うが、どうでしょうか? パンちゃん。
ですが、アパムはオマハ・ビーチの戦いには参戦していません。あの戦いがその後の彼らをどう変化させたかが描かれていないとい うのが、パンちゃんの意見でしたね。アパム以外の7人は映画を見たかぎりでは変化していないと、わたしも思う。すでに変化し終えて いたのではないかな?
 一番、変貌をとげ、一番、戦争はむなしいってことを観客に訴えたアパムは最初の戦闘シーンには出てこないのです。
 やっぱり、あのシーンは<戦場の再現>そのものが目的だった。こんなにすごい映像を作り出すことができるんだぞっていう、スピル バーグのカツドウ屋の意地が撮った<絵もしくはカツドウ屋らしく写真>なんだ。わたしはそう思います。  余談ですが、わたしらが小学生くらいのころ、毎年、夏になると、東宝が戦争映画やってましたね。『山本五十六』や『日本海海 戦』。まだ漢字だったころの日活も『戦争と人間』なんかを第三部くらいまで作って完結したはず。『二百三高地』なんかはもっとあとか。
 亡父はこのての日本の戦争映画を見るたびに「戦争なんてものは、あんなもんじゃあないんだ」って、その戦闘シーンがいかにちゃち で作り物っぽいか(だって戦艦なんかみんな怪獣映画みたいなプールに浮かべたおもちゃで撮ってるわけだし)、また日本映画に描か れる日本軍が陰湿すぎることなどをぶつぶつ言ってました。わたしはそれを聞いて育ったので、どんな映画なら「あんなもんじゃあな」 くなるのか、見たかった。
 さすがはハリウッド。従軍した人たちが「本当に、あのとおりだった」というような<絵もしくはカツドウ屋らしく写真>を撮るチカラがあ るなんて。
 ちなみに、世界史の教科書でノルマンディー上陸のところを見たら、映画そっくりの写真を発見して驚きました。遠くの沖の方にまで、 いっぱい軍艦が浮かんでいる俯瞰の映像が一度だけ、出てきましたね。あれです。サンドイッチの直前だったかな。あの軍艦だって、ち っともおもちゃっぽくなかったし。

 余談その2。実は未見だった『シンドラーのリスト』を、この感想を書くにあたって借りて見ました。モノクロならば50年前の収容所を 本物と寸分たがわぬところまで<絵もしくは写真>にできる。次は<色つきで戦場を再現>してやる。スピルバーグっつったってエン タテイナーですから、そういうヤマっ気もあったんだろうなあ、と思いまする。
    <おわり>

れいな(10月16日)
reina@osula.com
今日はあまりまじめな感想ではないのですが。。。私はケビンコスナーのファンでもなんでもありません。どちらかというとちょっと洗練されてないようなところが気に入らないのですが(ファンの方たちごめんね)、やはり普通の人と比べるとかっこいいんですね。まさかこんなところにケビンが出てくるなんて思ってもみなかったので、最初は全然気付きませんでした。トム隊のスナイパーに殺されるドイツ軍スナイパーの役で一瞬アップになったとき私も友達も心の中で「あら、かっこいい人。こんな脇役で?!きっとこれから良い役者になるわ〜」なんて思ったりしてて。よくみたらケビンじゃないですか!自分が主役をはっちゃうとわからなくなるけど、ああやって他の人達に紛れるとたしかにスター性のある人なんですねぇ。友達もまさか自分がケビンの事をハンサムだなんておもっちゃうなんて思わなかったといっておりましたが、皆さんどう思いました?
まじめな感想--私も通訳係りが好きだったんですが、彼が一番普通の男の子に近いからじゃないかな?決して彼が特別へなちょこだったのではなく、あれが普通だと思います。他の7人も最初はああだったのかもしれませんね。でもノルマンディー上陸戦を体験してああなったのかも。スナイパー君とエド・バーンズ君は元からああだったんだろうな。スナイパー君の腕はちょっとやそっとでなるものじゃないし、エド君はニューヨーク出身だし。。。
パンちゃん@怖かったシーン(10月16日)
みさきさんが取り上げているシーン、実は、私は一番怖かった。 通訳係は銃撃戦のさなか、何もできない。戦友が助けを求めているのに助けにいくこともできない。
それが、ドイツ兵に、にたにたと笑われ、名前を呼ばれる。「俺はおまえを助けてやったんだぞ、弱虫アバムめ」と口に出すわけではないけれど、そんな感じで……。
この瞬間、アバムはドイツ兵を銃殺するのだけれど、これはどう見ても「憎しみ、悲しみ、怒り」の爆発だ。
アバム以外の兵士がドイツ兵を殺すのは「憎しみ」によるのではない。彼らが「敵」であり、彼らを殺さないことには自分が殺される。それは生きる手段だ。彼らは「戦争」をしている。
ところがアバムは「憎しみ」で殺す。自分の命を守るためではない。彼の命は、彼がドイツ兵を銃撃したとき、危険にさらされているわけではない。アバムの「感情」と「精神力」が嘲笑されているだけである。
アバムが銃の引き金をひく瞬間、「正義」はどこにも存在しない。無抵抗のドイツ兵を銃撃する瞬間、「自由と民主主義を守る」という「正義」は存在しない。
しかし、不思議なことに「正義」がないがゆえに、アバムの思い、憎しみ、悲しみ、怒りが、私をひきつける。とりこにする。「自由と民主主義を守る」という「正義」はピンとこないが、彼の憎しみと悲しみと怒りはとてもよく理解できる。
アルバが銃の引き金を引いた瞬間、私はどきりとし、アルバの「憎しみ」の爆発に、ほっとする。
この瞬間、私はアバムが好きになった。そして、好きになってしまう自分を何より怖いと感じた。
「殺す」という非日常的な行為の引き金は「正義」ではなく「憎しみ、悲しみ、怒り」という日常の感情である、と、もしかするとスピルバーグは、ここで告発しているのかもしれない。
そうであるなら、ここで告発されているのは、アルバではなく、彼の「憎しみ、悲しみ、怒り」に共感した私自身である。
みさき(10月15日)(★★★★☆)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
◎へなちょこアパムの物語(1)
 わたしがこの映画を見にいく前日に、不定期刊のハガキ通信を出している友人 から感想が届いた。感想といっても、うまく考えがまとまらなかったらしく、もし自 分があの場にいたら、どうしただろうという書きかたで……。「アパム伍長が一番自 分に近い」とあったので、もう最初からあたしは、アパムは誰だ? どこにいる?  と思いながら見ていった。
 結果的にいって、これがよかった。へなちょこアパムがどういう経験をへて、最後 にドイツ兵を撃つにいたるかを、ずっと追うことで、あたしの『……ライアン』鑑賞 は成立していた。アパムの眼を借りてほとんどの行軍を経験していくと、とても物語 がわかりやすくなって、あたしはとてもしあわせな観客だったと思う。
 伍長といえば、のらくろだ。下っぱって感じだ。トム・ハンクスがドイツ語とフラ ンス語ができるやつってことで、アパムに自分の部隊に配属だ、と告げる。アパムは うろたえて、しどろもどろになりながら
「自分は後方部隊の所属ばかりで、前線経験がありませんし……」という。実弾の飛 んでくるような場所なんか、いやでいやでしかたないんだ。なんとかその任務からの がれたくてしょうがないが、ミラー大尉は相手にしない。
「いいから、荷物をまとめてついてこい」といわれたあとのあわてぶりも、さもあり なんって感じでさ。重そうなタイプライター(通訳だから)をリュックに入れようと してみたり、あっちこっちに、荷物をぶつけたあげくに、ドイツ軍の鉄かぶとをか ぶってみたり……。おいおい、アパムよ。しっかりしてくれい。あたしはまるで応援 団。
 前に自分のホームぺージで『坊っちゃん』のうらなりみたいと書いたが、いつもう らなりを応援しながら『坊っちゃん』を読んだものさね。だめ男はかわいい。
 さて、ついにアパムたち8人は、ライアン救出のための行軍を開始する。アパムは 一番うしろを、ひょこひょことついていく。へなちょこで弱虫のくせに、随分おしゃ べりな野郎で、兵士たちをつかまえては
「ねえ、きみの出身は?」なんて、寝ぼけたことを質問している。答えは
「撃たれたくなかったら、オレから離れろ!」質問された兵士はこころの中で(なん で、こんなやつがついてくるんだよう)って思ってんだな。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」と誰かがいう。
 アパムは自分は作家志望で戦時下の友情やこころの通いあいを書きたいんだ、みた いなことをいう。あたしは笑っちゃいそうだった。ここをどこだと思ってる? 生き るか死ぬかの戦場で、そんなもの、いったいどこにあるんだよ。おまえ、ほんとに青 いよ。こりないアパムはハンクスに聞く。
「中隊長、ご出身は?」あたしの亡父はかつて陸上自衛隊の1尉(大尉と同じ)で中 隊長をしてたので、部下7人で中隊かあ? などと思いながら、中隊長という響き (英語ではcaptain?って聞こえたが)を懐かしむ。
 ミラー大尉は出身も経歴も明らかにしない。賞金がかかっているってんだ。
 アパムにハンクスが「賞金が500ドルになったら教えよう。それをおまえと山分 けだ」というところもいいな。
 通信基地のところで、部隊がばらばらになりかけた時、ミラー大尉は突然
「賞金はいくらだ!」とみんなに聞く。そして自分が高校教師であったことを明か す。
 まるで、浪花節的な展開だが、あたしはここが好きだ。なんか絶対に現実の戦場 じゃあ、こういうシーンはないよなって思う。映画だからだよなって思う。だからい いんじゃないの、ってことなんだけど……。
          <つづく>
パンちゃんの好きなシーン(2)(10月15日)
フランス人の少女が父親を泣きながらぶつシーン。
父親はぶたれても、それを受け入れていますねえ。
この二人の感じがとてもいい。
「パパのばか。パパと一緒にいたい、みんなと一緒にいたい」。
この「ばか」という否定的な思いと、「一緒にいたい」という気持ち。
矛盾した感情というか、大好きだからこそ、「ばか」と言ってしまう気持ちというか、こういう、ことばで説明するとまだるっこしいけれど、誰もが体験するような感情の交錯した瞬間、感情が重なり合って噴き出る瞬間というのはいいなあ。
きのう書いたマット・デイモンが兄弟の思い出を語るシーンも、仲の良かった兄たちの思い出で思い出せるのは笑い話しかない。死んだ兄のことを思い出し、悲しい気持ちなのに笑い話しか思い出せない、その笑いの中で、悲しみがより深くなり、泣き出してしまう。笑いながら泣く。
こうした未整理の感情が、私はとても好きだ。
私たちの感情は入り乱れているのだが、平静は、それをどこかで無意識的にコントロールし、愛情だとか、悲しみだとか、喜びだとかだけを出すようにしているのかもしれない。ところが、そんなコントロールをしている余裕(?)のない瞬間がある。いろんな思いが一斉に噴き出し、感情がむきだしになる。裸になる。
そこが大好き。
研ぎ澄まされた感情、磨き上げられた感情も美しいけれど、こういう生まれる前の感情(?)と名づけたいような、入り乱れた感情が好き。
      


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