論理的に話す 2008.06.22

私たちが日常生活で話すということは多々あるというか、一人暮らし以外話をしなければ生活が成り立たない。
無口で知られる赤毛のアンのマシュウだって話はしたのだ。
相談、指示、伺い、感情のはけ口、挨拶などなど、人と話すことはたくさんある。
話す相手がいなければ独り言を語る人もいるし、それでも足りなくて眠りながら話す人もいる。 
ところでやはり話の中で他者と話す必要があるのは、人の意見を聞くとか、何事かに結論を出すという目的の話し合いだと思う。相談事とか会議とか議論といったたぐいである。
で、本日は議論について考える。
私は過去、議論についてくだらないことを多々書いてきた。
掲示板の議論議論とは議論可能性、私の頭の乱雑・低レベルにあきれてしまう人も多いだろうが、それにも懲りず本日も駄文を加えることとする。

議論の過程というか発言する権利と、結論を決める方法とは無関係である。
いかなることを論じるにしても、発言するための資格要件は低い方がよく、いろいろな意見があってよいし、いかなる考えも発言する機会があった方が良いと思う。生物多様性と同じく、社会においてもハードもソフトもアイデアも多様であるほどその社会は生存性が高いだろうと想像する。
他方、議論の決定はより多くの意見を反映すべきだという理屈はない。議論とか話し合いにおいてその結論を決定するのは、結果責任を負う人であるということは当然である。
民主制とは一人でも多くの人の納得を得るという仕組みである。多数決で決める前提として、結果責任を参加者全員が負うという約束があるからだ。
しかし会議や議論の結論の決め方はいろいろある。別に多数決でなくてもなんでもよい。
具体例をあげれば、会社でなにかを決めるために議論していたとする。その時の決定者は責任を負う人であることは間違いない。営業政策についてセールスパースンは全員発言する権利を有すると思うが、決定者は営業部門の担当役員であることは当然である。その決定が良くても悪くても責任を負う人が決定できる・しなければならないというのはごく自然なことだ。
専制君主の統治下において議論がなかったかと言えばそうではない。多昔なら占い師や神官、時代が下れば官僚とか貴族という人たちがいろいろとご意見したり王侯の前で議論したりしたのであるが、決定者が君主であったということに過ぎない。
現在だって司令官は作戦に関しては絶対の権限を持っているが、参謀は選択肢を提案するために存在する。
もちろん、議論の決定を実行する段階においては選択権がないことを理解しなければならない。みんなで良い方法を見つけようと議論して、出た結論が気に食わないとなれば、それは議論ではなく単なる言いたい放題に過ぎない。
革新系の政党とか、地方の何かに反対する団体にはそういう輩が多い。そういった方は、間違っても民主主義者ではない。もっともそういう政党ほど民主主義を唱え、政党名に「民主」が入っているのだ。
多数決であろうと、絶対者が決定するにしても上記の項目が重要だということはご同意いただけるだろう。
いずれにしてもいかなる政治政体であろうと、井戸端会議であろうと、決定者が多数であろうと一人であろうと、議論というのは非常に大事である。

決定方法に限らず、物事を論理的に考え、妥当な選択をすることは重要なことだ。
では、議論において意見を磨き上げ、他者を説得し、より良い意見を選ぶというテクニックを知る方法はないものだろうか?
論理学の本って論理的に考えるのに役に立つのだろうか?
実は私は若い時、ブール代数とか論理回路というのはずいぶん勉強した。もちろん学問としてではなく、実務において必要だったから勉強したのだ。今ではどんな機械にも組み込まれているシーケンサーなどというものが現れる前は、機械設備はたくさんのリレーとかタイマーを組み合わせて動かしていました。リレーもスイッチもタイマーも、1975年頃は今よりはるかに高価で、そういった要素を一つでも減らすことは極めて重要でした。というか、安くするには素子を少なくするしかありません。同じ動作をさせるのに素子を少なくするには論理学・ブール代数を学ぶ必要がありました。
ではブール代数を勉強して論理的になったのか? 良い議論ができるようになったのか? といいますと、あまり関係なかったようです。
議論には議論用の論理学を学ばねばなりません。
じゃあ、そんな用途に役に立つ本でもないものか?
最近読んだ本を一つ推薦します。
「論理トレーニング」野矢 茂樹 2008.06.22

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
産業図書978-4-7828-0211-32006年11月20日2200円全1巻

これは日本語の文章において、いかに論理的に書き、論理的に読むかということを平易な文章で書いている。
もっとも論理学に文章も記号も違いはなく、記号で記述すればもっと簡単に理解できるぞと思うところもある。しかし日常の議論とか文章をいちいち記号に書きなおして論じることはできないわけで、こういう本の事例を多数理解しておけば、その場で気がきいた応答ができるというものだ。
それに
 (a)彼は金があるので遊びに行ったのだろう。
 (b)彼は金があるから遊びに行ったのだろう。(本書:203ページ)
という二つの文章の違いを記号であらわすのは困難だ。

ぜひともご一読され、議論力をアップしていただきたい。
おっと、別にこの本の宣伝をするわけではない。このカテゴリーで似たような本は多数ある。何冊も読むことはないので一冊を熟読し、例題がたくさんあるものをもう一冊しっかりやれば相当力がつくと思う。
そうすれば議論に強くなるというだけでなく、法律の文章を読むのにも役に立つこと請け合い。
もちろん役に立たなくても私は責任を負わない。 


誰です、私の文章が論理的でないなんておっしゃるのは? 
ええつ、タイトルと本文が合わないって?
もっと起承転結あるいはストーリーをビシッと決めろですって?
もちろん私はそういう文章を書くこともできるのですよ。でも、簡単明瞭に書いてしまったら、100文字で済んでしまうじゃないですか? それに読む方だって論理的で遊びのない文章よりも、あちらこちらたゆとう方がよろしいかと・・



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