08.10.29JRCA講演会 08.10.30

10月29日埼玉県川口市でJRCA講演会というのがあったので出かけた。QMSやEMSの審査員補に登録して10年以上、毎年1万何千円も登録料を払っているが、私は審査員をしているわけではなく、メリットはなにもない。JRCAの会報も元を取れるような内容でもなく、せめて毎年の講演会くらい聞かないと腹の虫がおまらない 
JRCAの名誉のために付け加えておくが、CEARも同じようなものだ。
本当を言えば登録していても何のメリットもないというわけでもない。審査に立ち会ったとき審査員のJRCAとかCEAR登録番号が私の番号より何倍もあるいは10倍以上も大きいとニヤリとするのが楽しみだ。ここ数年、私より早い番号の方にはめったにお会いしない。そういう人々はもう引退したのだろうか 

演題はふたつあった。
ひとつは「審査員に望むこと」であり、ひとつは2008年の「ISO9001改正の最新情報」であった。
後半の規格改定の解説はまあどうでもいいというか、機械的なことであり特段興味はなかったが、前半の「審査員に望むこと」については身を乗り出して聞いた。テーマに非常に関心があったし、内容も話も面白かったからだ。
本日はそれについて書く。

「審査員に望むこと」の講師は日本適合性認定協会のトップである井口専務理事である。簡単に講演要旨をまとめれば次のようになる。
日本国内のISO9000の認証は06年をピークとして過去2年間減少を続けており、既にピーク時から5%以上も減少した。今後も継続して減少するだろう。ISO14001も08年第3四半期の増加はとまり(正確に言えば16件の増加である)、第4四半期から減少すると見込まれている。
また認証している企業の内訳も認証開始時の大企業中心とは様変わりして来て、登録件数の75%以上が300人以下、45%は100人以下となっていて、審査工数に比して審査費用は低額となっており認証事業は厳しい状況である。
その原因には認証制度の信頼性が低下していることがある。
JABが隔年行っているアンケート調査においても、認証した効果についての評価は芳しくなく、また不祥事を起こした企業の認証について疑義も提起されている。
認証組織において効果が出ていない原因は種々あるが、過半は組織と審査側の双方に原因がある。
こういう状況を踏まえて、審査員は一層の研鑽を積んで良い審査をしてほしい。規格や固有技術はよく知っていると思うので、特に経営に関する知識と審査手法の向上に努めてほしい。単なる審査員ではなくプロフェッショナルになってほしい。
細かいところ、あるいは言い回しにご異議があるかもしれないがおおざっぱにいえばそんなところであった。

講演後、下記のような質疑があった。
他にも質問された方がいたが時間切れでお断りされた。 これに対して井口さんから明快な回答はありませんでしたが、正解があるとも思えません。

私はいささか井口さんのお話に疑問があります。
私の論を簡単に述べますと
まず第三者認証制度の信頼の低下は何かという原因究明が足りない。
簡単に言って審査に問題があるだろうと推定はできるが、審査は審査の場だけ審査員だけによって提供されるサービスではない。それは認証機関のプランニング、審査員の割り当て、判定委員会の運用(というか実質)、認証機関の営業その他すべての部門の活動による成果物であること。
そうであれば審査の質向上を図るには、認証機関の業務の質全体を向上させないと認証の信頼は向上しないことになる。
もちろん認証機関をけん制し指導していくのは認定機関の仕事であるが、ここではそこまでさかのぼらない。そこまで遡及しては発散してしまうし、目の前の問題を考えるに、そこまで論じる必要はない。

このように認証の信頼性というのはいろいろな条件や要素による関数であるのに対して、審査員の要件とか研鑽を求めるだけではだめではないか!?より厳しく言えば審査員がんばれというのは短絡的であり表面的である。 いつも語っているが、「審査員よ力量を持て」とクラーク博士のようなことを言う人は管理者ではない。
例えば、新人作業者が不良を出しているときに、ちゃんと仕事をしろ、もっと努力しろと言えば不良がなくなると思うなら監督者失格です。そんなのは対策でもなんでもありません。
といっても教育するとか良い人をリクルートなんてすぐにできるわけもありません。
今すぐの対策・対症療法としての未熟な作業者の負荷を軽くするとか、難しい作業はさせないとか、後工程にベテランをいれて新人の仕事をチェックさせるとか、監督者は考えて実行しなければなりません。それが監督者の存在意義なのです。
製造業出身でない方のために別の例をあげれば、販売不振を営業マンのせいにされても困るでしょう。販売の結果というのは、営業マンの力量だけでなく、マーケティング、製品の仕様や品質、景気動向、他社の製品や販売戦略などによって影響されます。売り上げを上げろと怒鳴ったり、売るまで帰ってくるなと檄を飛ばしてもだめなのです。
是正処置とはそのようにとりあえずなんとかするための当面対策、根本的な再発防止策とと多層的に段階を踏んで手を打たなければなりません。
あれえ、ISO9001や14001の是正処置と同じじゃないか 
それと同じくISO審査の改善においても同じように、審査の質向上を審査員の努力に期待するのではだめなのです。
当面対策として新人審査員のアプレンテス期間を伸ばすとか、負荷を減らして一人のところを二人で審査するとか、力量に問題のある審査員は再研修受けさせるとかするべきことはたくさん考えられます。
必要以上に工数をかけたら儲けが出ないなんて言ってはいけません。不良が続出したら能率を度外視しても当面対策を打たなくてどうするの?
それがいやなら、はじめからリソースを確保し、適正な審査員をアサインし、良いサービスを提供することに徹していればよかったのです。
長期的には認証機関の業務管理、審査員登録機関の合格判定の点検、CPDなんてケチなことを言わずに審査員資格を永久免許でなく一定年限毎に試験をして不適格者を落とすとか、企業の評判によって審査員を評価し資格の格付けを見直すなどなんらかの制度改革を行なわないとJABとしては怠慢でしょう。
審査員の資格要件とか登録制度が変わったではないかと言われるかもしれないが、あれはガイド66・62からISO17021改定に伴うことであって、審査員の質向上とは直接は関係ない。
現在のISO認証件数が減っていて審査の質向上をしなければならない、審査員の質向上を図らねばならないという状況の要求に応えるものではない。別に国際ルールということに義理立てすることもない。日本は審査員の資質を一層厳しく判定するのだと言っても、国内の審査員以外から文句を言われる筋はあるまい。
そして私は現在の日本の一般的な審査員の質は非常に低いと感じているのだから。

井口さんが「審査員は規格や業種・業務に関してはよく知っていると思うので、経営に関する知識と審査手法の向上に努めてほしい」というのは現状を認識していないのではないか。
現実の審査員は規格も知らず、審査の技量もなく、固有技術も知らない人が多いのです。これは乱暴な意見ではありません。私が見聞きしているISO審査ではそういう事例がたくさんあります。井口さんはISO19011を満たしたまともな審査報告書が全体の半数もないということをご存じなのだろうか?
今審査員に必要なのは、経営について理解することではなく、規格を正しく理解すること、審査の技能を身に付けること、文章を正しく書けるようになることなのです。
世の中はISO審査員風情に経営を知っていることなど要求していませんよ
もっとも井口さんはそういうことを知っていて、審査員相手の講演会ですからあまりショックを与えないようにマイルドに語っていたのかもしれません。

今、ISOの第三者認証制度の危機というのは、適者生存という自然の法則、努力なきものは去れという世の中の普遍的なルールの前に敗れつつあるということにすぎないのではないか? そんな感じがする。
そしてJABが認証機関を指導していかなければ本当に崩壊してしまうでしょう。
この講演会で井口さんが語ったよりも厳しい状況ではないかと思いました。




のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.11.01)
JRCA講演会
気になっていることなんですが・・・
力量って、考える順位として、製品品質に直接影響を与える要員に対するものですよね。つまり、力量を高めるとは、現場の作業員の作業の熟練度、正確性を高めるための訓練(training)を行うことです。
しかし、審査では、内部監査員を教育することが要員の力量を高めることであり、必要とされる教育記録は、ISO研修機関の講習を受講することで満たされるようですね。これは一人二人の審査員ではないようですよ。審査機関ぐるみ、あるいはこの業界ぐるみでそのように考えているのではないかと疑います。そうであるなら、井口様にも知っていただく必要がありますね。確かにこれは”経営に役立つ審査です”。ISO研修機関の経営にね!
現場作業員の熟練不足が製品品質への悪影響を及ぼしているという問題がないのに、内部監査員への教育不足が論じられるのは何かおかしい。ある審査員は、お客様から「何を教育したらよいのか良くわからないのですが・・・」と相談を受け、「内部監査員の教育をしたらいかがですか?」とコンサルされたようです。「ウ〜ン、確かにISOの経営に役立つコンサルだなぁ〜」。

のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。
力量とは製品品質に直接影響を与えるに限定されるかと言いますと「直接」が地雷のような気がします。
資材だって受け入れ検査だって施設管理だってみな製品品質に影響を与えますが、直接なのか?間接なのか?このあたりはのんきなとうさんからの、のんきではない爆弾ではないかと?
次なるは、力量は訓練だけで身に着ける、観点を変えると与えることができるのか?
これもどうでしょうか?二番目の地雷のような気がします。
まあ、そういう細かいことは(?)おいといて、内部監査員の力量を高めれば経営に役立つのでしょうか?
これは間違いなく間違いだろうと思います。
品質であろうと環境であろうとISMSであろうと、内部監査が経営に寄与するであろうことは間違いありません。しかしそれが直接なのか?間接なのか?すこしなのか多大なのかということを考える必要があります。
会社の損益や事業拡大に取締役(執行役)と監査役(取締役監査委員会)のどちらが貢献するか?といえば、これは明白です。監査役(取締役監査委員会)が利益拡大や売上拡大に寄与することはないでしょう。その仕事は内部牽制であり、コンプライアンスの内部・外部説明のために存在しているのです。
ISOの内部監査が監査部監査と関係ない会社が多いのは嘆くところですが、まあ一体であろうとも内部監査が経営に寄与する以上に、日常の営業や生産が売り上げをはじめとする経営に寄与しているのが大きいことは間違いありません。
それを内部監査の限界といえばそうなのですが、監査とは本来そういうものなのです。監査によって売り上げを伸ばしたなんて言うケースがあるなら、それは本来の業務がしっかりと運用されていなかったのか、内部監査が越権行為をしたのかのいずれかに違いありません。
だって、内部監査の定義は
監査基準が満たされている程度を判定するために、監査証拠を収集し、それを客観的に評価するための体系的で、独立し、文書化されたプロセス(ISO19011 3.1)
なのですから。
だから前記の地雷を二つ乗り越えても、ここが第三の地雷ですね。
監査を一生懸命向上しても、システムが良いか悪いかがますますはっきりするだけで、システムは良くなりません。システムを良くするのはそれに続く是正処置なのです。
監査の質向上すれば是正処置も向上し結果としてシステムが良くなるか?といえば相関はあるでしょうけど、関数関係ではないように思います。
ところで第四の地雷ですが、認証機関とISO研修機関の関係ですが・・
もうどこも閑古鳥状態ですね。私のところにはどういうつてで調べたのか名刺を交換したこともない研修機関からも毎週くらいにメールや郵便物で講習会の案内がきます。
ああっ!これは日本郵便の経営に寄与するのではないかと 


のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.11.02)
JRCA講演会
おばQ様、仰る通りですね。
私が「力量は、考える順位として、製品品質に直接影響を与える要員に対するもの」としましたのは、少し思い入れがあったからなのです。
9001:2008年版では、用語「製品品質」は「製品への要求事項」に置き換えられたのだそうです。これで品質保証とは決別し、マネジメントシステムに完全に移行したのだそうです。マネジメントシステムであるからには、社長の力量が製品への重要な要求事項になります。社長の力量とは、すなわち経営への力量ですね。
井口様が審査員に対して、「特に経営に関する知識と審査手法の向上に努めてほしい」と檄を飛ばされるのもマネジメントシステムだからなのですね。ISO流に考えますと、社長の力量(経営力)の次に位置づけられるのがISO事務局の力量(内部監査員の力量)なのかもしれませんね。
審査員氏には荷が重い、と思います。(はっきり言って、無理でしょう。)

のんきなとうさん様 いつもご指導ありがとうございます。
へえ〜、ISO9001は品質保証規格からとうとうマネジメントシステム規格(経営規格)に変身したのですか!
そりゃすごいとしか言いようありません。
いや、私の本音を言えば身の程知らずめというところですが。
つまりISO9001:2008に適合なら利益率が良く企業犯罪もなく顧客満足なんてとどまらず従業員満足も優れ、そして社会的評価も良くなるという魔法の薬ですね!
おっと、利益率が良く企業犯罪もなく顧客満足なんてとどまらず従業員満足も優れ、そして社会的評価も良くないと認証されないのかもしれません。
のんきなとうさんがおっしゃるように審査員氏には荷が重い、と思います。(はっきり言って、無理でしょう。)なことは間違いなさそうです。
現時点、規格適合も判定できず、法規制も知らず、まともな審査報告書も書けない審査員が経営を判定ですって!
 笑止というべきでしょうか?
正直なことを言いまして規格制定者は現実を知らず夢を見ているのでしょうか?
というより、IAFもJABもJACBも理想を掲げて進んでいると言うより、もう末期症状なのかもしれません。
心理学によると理論的分析的な人は過重なストレスがかかると、現実から回避しようとする行動を取るそうです。論理的で頭の良い人たちが集まったISO世界の人々は今まさに第三者認証件数の減少や社会的評価の低下を受けて、まっとうな判断ができず現実逃避をしているのかな? 
のんきなとうさんと違いますが、私は1987年版に思い入れがあります。マネジメントシステムなんて曖昧模糊を語らず、お客様への外部品質保証、経営層への内部品質保証という割り切りが現実的で有効だったのではないかと考えるのです。
サポーズ
ISO審査でマネジメントシステムをチェックしますと言われたらどう反応しましょうか?
私が経営者だったら、「寝ぼけたこと言っちゃいかん、適当にあしらって返そう」と思いますね。
私が管理者クラスだったら、「効果的なご意見を頂けるならありがたい。えっつ!アドバイスしないって、時間の無駄だ」
ISO事務局なら「まあ、認証は渡世の義理、不適合を出させないようにガンバロー」


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