著者 | 出版社 | ISBN | 初版 | 定価(入手時) | 巻数 |
石井 薫 | 創成社 | 4-7944-1254-1 | 2002年11月1日 | 2700円 | 全一巻 |
おお!おばQも、監査について雑多なエッセイではなく、とうとう学問的で包括的な監査論でも語るようになったのか?なんて思われた方、 ブー おおはずれでした。

単に「環境監査論」という本の評論であります。
立派な本であります。厚さも300ページもあるし、活字もしっかり数があるし、新書や文庫ではありません。期待して本を開きました。
ところが、冒頭から読み始め10ページ進むと、なんかこの先生、わけが分かってねーんじゃねーかなあと思うようになり2700円も出してたことを後悔し始めた。まあ、2700円といえば私にとって大金で、放り出す決断もできず読み続けた。
しかし数十ページ読み進むと、じんわりと感動してきたんですよ。感動してきたというのもおかしな表現ですが、けっこういいことを語っていると思うようになったのです。
やがて、おお!この先生すばらしい!なんて本当に感動しました。
まじめに、この先生の大学院に行って直接ご指導を受けたい、なんて気になってきたのですから不思議なもの。
|
実際にネットでこのセンセイの大学を探して大学院で教えているのかどうか調べてしまいました。私は思い立ったら行動は早いのです。
|
さらに読み進むうちに、また気が変わってきました。どうもこの先生はやはり変です。
まず、この本は「環境監査論」ではなく、「環境論」あるいは「環境とのお付き合い方法」について書いているのです。内容からいうと環境監査をしている人が上手になりたいと思って読む本じゃありません。そういう目的には全く役に立たない本です。ご本人は環境監査論と思って書いているのでしょうけど、環境とも監査ともゼンゼン関係ないようなことばかりなのです。いえ、厳しく言えば、そもそもこのセンセイ環境とか監査についてご存じないようなのです。環境も監査も知らずに環境監査を語るとはすごい才能です。
じゃあ、環境についてのお付き合い方法を知るために役に立つのか?と言えば、それにも役に立たないように思います。もう最大に妥協して100歩譲って環境について勉強になるのか、環境知識がつくのか?と考えても、やはり役に立たないようです。
実を言ってちょっと古い本です。初版が2002年、増刷が2004年ですからもうアウトブデイトかもしれません。しかし報道とか経済予測でなく監査について書いた本が、たかだか5年で陳腐化するはずがありません。ISO規格などを論じている本は規格改定があっても、十分読む甲斐がある本が多いです。意外と思うかもしれませんが、私は今でもISO9001:1987について論じている本を読み返したりしています。
この本は情報が古いということではなく、前述したように書いてあることが環境監査と全く無縁なのです。そしてそれだけではなく、書いていることが全くヘンなのです。
なぜそんな本を買ったのかと問われるでしょう。実を言いまして、私は立ち読みして中身をパラパラ見て買ったのではないのです。
インターネットのアマゾンで環境監査についての本を探していて、私が読んだことがなかった本を何冊かまとめて購入した時の一冊なのです。
まあ、買ったからには読んでなにかを得なければ損をしてしまうという貧乏性な私ですから、ヘンな本と思いつつ最後まで読み、そして無駄にしては何だからとその変な本について論評することにしたわけです。
ヘンだ、変な本だといっても、何が何だか分からないでしょう。では変なところを若干説明いたします。
まず、スーパーISOなんて言葉を作らないでほしい。
学校版スーパーISOとか、企業版スーパーISO、家庭版スーパーISO、自治体版・・このセンセイ、かってKISOの名称にまつわるできごとをご存じなのだろうか? おっと人のことを心配するより、ご自身の唱えるスーパーISOについてISOからイチャモンがつくことを心配してないのだろうか? ISOはメジャーでないとイチャモンを付けてこないから大丈夫か?
お考えを書く前に、そういった世の中の仕組み、ルールというものをご確認してから、ご本にするとか、ご講義をされた方がよろしいかと思う。まず、ここでISOのルールについてご存じないことが明白である。
次に、環境保護の意識を持つには・・道端の植物に声をかけたり(p85)することが大事らしい。植物やペットにも優しく語りかける(p135)、見えない世界とのつながり・・うーん、環境保護とは宗教なのか? このへんになるとちょっと引いてしまう。
気功や瞑想によって人間や他の生物に対する癒し、地球の平和への祈りや地球の浄化に対する思い・・ますます・・
|
ここでいう地球の浄化とは地下水汚染の浄化とは異なるように思う。
|
みなさんは以下の文についてどう感じるだろうか?
「企業の環境部門はトップ直轄にするべき(p109)」
環境は重要なことだからトップ直轄にすべきだそうだ。そう考えることを否定はしないが・・じゃあ、経理も重要だからトップ直轄、品質も重要だし、営業も重要だし、開発も、購買も、広報も、宣伝も・・まあ、いったいどうなるのでしょうか?
このセンセイ、組織というものをご存じないのかもしれない。
家庭版スーパーISOとはいったいどんなものなのだろうか?
・家庭を大切にする。
・おはよう、ただいまなどのあいさつ、後片付けなどをする
はあ? 家庭版スーパーISOとは家庭のしつけのことであったか?
よくわからないが、このようなものにISOと使うことはいかがなものか?
つまり家庭版スーパーISOとは
| I | : | いい加減に育てられた大学生に |
| S | : | しつけを教えて |
| O | : | 大人にすること |
なのでしょうか?
このセンセイ、環境ISOって広い意味の環境を良くする活動と理解しているのだろうか?
私は白状するが、どうにもこうにも理解困難で最後まで読みとおすことができなかった。
ところでこの環境監査論には若干の続きがある。私がボケ始めたという証拠でもある。
ネットで環境監査という語で本を探していてまた似たような本を買ってしまったのである。
著者 | 出版社 | ISBN | 初版 | 定価(入手時) | 巻数 |
石井 薫 | 創成社 | 4-7944-5003-6 | 2005年9月25日 | 840円 | 全一巻 |
いかに私がアホかという証拠である。
しかし、買ったからには読まないと損だと思い、通勤の電車の中で読んだ。印象は・・そんなのを読まずに窓の外でも眺めていたほうが良かったということであった。
とはいえ、転んでもただでは起きない私だ。若干得たものはある。
道端の草にも声をかける(p48)は同じだが、
電磁波の危険(p52)についても語っているし、環境ホルモン(p74)についても論じている。
|
この本の出版は2005年9月でSPEED98の報告はそれより前だったはず。その後も環境ホルモンについて、なんだかんだと意見があるのはあるが、怖いぞ、怖いぞと騒いでいるようにしか思えない。
|
波動や宇宙エネルギー(p78)についても言及している。まるで、宇宙戦艦ヤ〜マ〜ト♪である。

企業が構内にビオトープを設けているかどうかが環境活動の評価ポイントにすべきという。(p79)その意図が良くわからない。きっと高尚過ぎて、私に理解できないものなのであろう。
前書では環境部門を経営トップ直轄にすべきとあったが、この本では学校の環境担当を校長直属にすべき(p91)とある。うーん、ますますワカラン
家庭で環境を担当する者は一番えらいことになるのだろうか?
昔はお金を稼いでくる人が家庭で一番偉かったのだが・・
いずれにしても、私はこの先生の教えを受けるためにその大学院に行く気はなくなりました。
本日のアドバイス
環境監査の勉強をしようとするなら、会計監査とか業務監査の本を読んだ方が良いでしょう。
品質監査とか環境監査と銘打った本は、ISO規格しか知らない方の著書がほとんどで、実務を改善するためには全く役に立たないようです。私の経験からそう言えます。