ケーススタディ 監査員教育3

12.04.35
今日は山田が講義をする日である。もっとも講義というのは冗談で、今年、環境保護部に異動してきた森本と横山に、上司というか先輩である山田が環境監査について日を決めて教育しているのだ。

「我々がしている監査の目的はISOためじゃない。目的は当社グループの環境遵法を確認することです。だから会社規則で、監査基準は法規制と過去の事故事例に基づくと定められています」
「基本的なことの確認ですが、システムじゃなくて遵法監査、それも現在の状態だけをチェックすると解釈してよいのですね?」
「そうです。もちろん現在我々がしている遵法監査が、最善とか唯一のものということではありません。監査の目的は、種々前提条件あるいは周囲環境によって決まります。将来、遵法が完璧となったとき、あるいはシステムが完璧ならパフォーマンスも完璧だと言えるなら、監査の対象も監査基準も変わるでしょう。 建前としては、マネジメントシステムの監査はISO審査にお任せするという発想です。しかし本音を言えば、現実のISO審査を見れば、機能していないことは間違いない。だから、当社グループの遵法を確認しそれを確実にするために現状の方式が採用されています。私たちが環境遵法の最後の守りというわけです」
「私が今まで何年も、その意図を知らずに監査していたことが恥ずかしいというか悔やまれます」
「もうその話は止めましょう。では本題に進みます。
../2010/fac1.gif 鷽八百グループは当社を中心として、関連会社と呼んでいる百数十社の子会社や孫会社から構成されています。そして関連会社は、常時、新たに設立されたり、清算されたりしていますし、合併も分社化も、また買収も売却も多々あります。そんなわけで毎年10社以上の変動があります。環境監査の目的は遵法とリスクのチェックであることは変わりませんが、そのように関連会社に変更がある場合は、また特別な意味があります。売却する場合、環境負債つまり土壌汚染、地下水汚染、PCB機器などの保有などをよく調べて、売却先に知らせなければなりません。現在はそういうことを通知していないと重大な瑕疵とみられます。もちろん逆に買収するときは、先方に隠れた環境負債がないかを点検する必要があります。そういったものは、すぐに数十億あるいはそれ以上の金額になりますから、責任重大です」
「えー、私たちが土壌汚染などの調査もするのですか!」
「いや、横山さんも私もそんな技術もありませんし、当社にはそのための測定機器もありません。私たちは法規制や当社規則に基づいた調査や測定が行われているか、いやそれ以上に私たちが納得できるような調査をしたかと、その結果はどうかを点検するのです。企業の売買を決定する際には、最終的に社長室が書類を確認しますが、その基になる調査を私たちが現場で行わなければなりません。
とりあえずそういったことは次回として、今日は当社の子会社や孫会社の監査について考えましょう」
「山田さん、非常に初歩的な質問ですが、子会社とか孫会社といっても別法人ですから当社は一方的に監査を行えないと思います。まして関連会社には持ち株比率が少ないところも含まれます。こちらが監査するといっても先方は断れるはずです。私たちが監査できるというか、先方が受け入れる法的根拠は何でしょうか?」
「良い質問です。はっきり言えば受け入れる義務はありません。当社は取締役などを出しているわけですが、法的に会社に上下関係にあるわけではありません。ただ今は財務ばかりではなく、遵法においても連結経営という発想が当たり前です。具体的には子会社に不祥事が起きれば、子会社の社名では報道されず、『鷽八百グループの会社で不祥事が起きた』と報道されます。そういう記事の見出しを見たことがあるでしょう。例えば、昨年、嘘八百東北販売で脱税報道がありましたが、あのときも『鷽八百社の子会社で脱税』と報道されました。実際は株式保有状況からは子会社ではなく、また最終的に脱税でないことがわかりましたが。
ともかく当社としてはそのようなことが起きないように、親会社が点検することは当然と考えています。そんなわけで、専門知識がある者が確認することは双方にとって有益であるということを、説明し納得してもらっているということになります。もっとも現実には、親会社に監査をしてほしいというところがほとんどです」
「へえー、それはどうしてなのでしょう?」
「無料で遵法を見てもらえるのであれば、ありがたいと考えるのが普通です。それに親会社の監査を受けていれば、問題が起きた時、法的にはともかく社内的には監査したものが責任を負うからです」
「ひぇー、そうなんですか! じゃあ私たちの責任は重大ですね」
「もちろんです。責任が重いほどやりがいがあるというものです。不適合を出しても出されても、深刻なことはない、いや深刻な不適合は出さないようにしているISO審査とは別世界です。そう考えるとやりがいがあるでしょう?」
「そう思いたいですが、責任で押しつぶされそうです」
「当社グループの監査で留意すべきことがもうひとつあります。それは業種業態が多様であるということです。工場の環境管理において、環境遵法というと排水や排気ガスなどの公害防止関連、あるいは廃棄物や省エネ規制、化学物質管理などを思い浮かべるでしょう。しかし非製造業はそれとは異なるいろいろな規制があります」
「先生!質問」
「横山さん、私は先生じゃないって。なんでしょうか?」
山田は笑いながらそう言った。
「製造業という業種はありますが、非製造業という業種はありません。具体的にどのような関連会社があって、どのような規制を受けるのですか?」
「おっしゃる通りです。非製造業という業種はありません。まず当社グループには製品の運送を担当している会社があり、そこは運送業と倉庫業になります。販売会社といっても卸と小売りがあり、また販売会社の多くは据え付けを行うために建設業の許可を受けています。その他販売と密接な関係がありますが、リース契約のために当社グループにはクレジット会社があります。クレジット会社というと金融機関ではありますが、クレジット会社はどのように環境と関わりますか? 横山さん、わかりますか?」
「クレジット会社ですか? 最近はSRI(社会的責任投資)なんてのがはやりですが・・まさか申し込んできた会社の環境経営状況をみて、契約するかしないかを判断するなんてことはないですよね?」
「あのう、想像ですが、リース契約終了時は基本的にその物品をクレジット会社に返却することになっています。だからクレジット会社の最大の環境との関わりは廃棄物ではないでしょうか?」
「そのとおり、リースアップした品物のほとんどは売れずに廃棄になります」
横山は森本 をにらんだ。よほど競争心があるようだ。
「そのほか販売した製品のメンテナンスや修理などを行う機械修理業もあります。皆さんが利用する保養所もあります。ちょっと考えられないかもしれませんが、当社のある販売会社のビル管理部門が、他社のビル管理を請け負ったことが発端で、今ではその部門が分社化して、ビル管理業をしている会社もあります。ともかくいろいろな会社があります」
「先生、質問」
「おいおい、森本さんも先生と呼ぶようになっては困りますよ」
「そのような多様な会社があることはわかりました。そうすると業種業態によって、環境に限っても多様な法規制がかかると思います。また業界によっては業界独自の規制とか、業界特有の慣習のようなものもあると思うのです。私たちがそういう関連会社に監査に行くには、そういう業界ごとの特有なことをどうやって調べていくのですか?」
「マネジメントシステム監査と違い、遵法監査になるとそれは必然です。ただ、まったく初めての場合、業界の約束事などを知ることは難しいので先方に説明してもらうことが必要ですね」
「うわー、そんなことを考えて子会社の監査をしたことなどありませんでした。ぼくは倉庫会社に行った時も、販売会社に行った時も、公害関係の法規制は本を読みなおして出かけましたが、業種によってどのような法規制がかかるのかを考えていったことはありませんね。反省するしかありません」
「まあまあ、それはもういいです。しかもそれだけじゃありません。条例があります。同じ業種であっても、所在地によって県や市町村の規制が異なりますので、それも事前に調査する必要があります。」
「条例が所在地で異なるのは、製造業でも同じでしょう?」
横山は森本が発言すると常に対抗意識で発言する。
「おっしゃるとおり、でも当社グループの製造業は少ないのです。ええと、せいぜい10か所くらいの条例を調べれば済んでしまいます。それに対して、非製造業は100社以上ありますし、その所在地は、それこそ北海道から沖縄までありますからね」
「具体的には、条例で異なることってどんなことなのですか?」
../2011/comp.jpg 「ティピカルなのは騒音規制で送風機の届出は法では10馬力ですが、条例で上乗せをしているところが多く、それも5馬力とか3馬力とかさまざまです。振動規制はエアコンは非該当ですが条例でエアコンも含むところもあります。条例ではありませんが、自治体によってみなし産廃の適用があるなしも違います。廃棄物は特に自治体の規制の幅というか揺れが大きく、他県からの持ち込みの場合の事前協議、一廃の契約書やマニフェストなどの規制がさまざまです。また景観条例は有るところ無いところがまずありますし、制定していてもその内容はまったく違います」
「なるほど、イメージがつかめてきたように思います」
「では練習問題です。みなさんが次のような子会社に環境監査に行ってもらうことにします。どのようなチェック項目を想定すべきか、考えてください」

山田は紙を配った。

その会社は川崎市内の駐車場管理会社です。
市内の大小約50か所の月極駐車場やコインパーキングの管理を請け負っています。その中の数か所は自社が経営している駐車場です。事務所は1か所で社員はパートを含めて8名、業務用に軽自動車を5台保有しています。仕事は駐車場の清掃、除草、放置ゴミの処理、お客様からの問い合わせや苦情対応です。立体駐車場のメンテや修理は専門業者に委託していますが、その取扱いや費用処理なども行います。


「駐車場の管理会社など当社グループにあるのですか?」
「ありますよ、僕の工場の駐車場管理は子会社に委託しています。もっとも子会社といっても定年退職者の再雇用対策なんですけど。そしてその会社は、工場の駐車場管理だけでは食べていけないので、市内のいくつかの駐車場の管理を請け負っています」
「情報が少ないと思うかもしれませんが、初めて監査に行く会社の場合、事前に入手できる情報はこれくらいしかありません。今はインターネットがありますから、まずその会社のコーポレイトのウェブサイトをチェックすることから始めるといいでしょう。もっともこの例のような小さい企業ではウェブサイトをつくっていないでしょうね。
子会社でも大きなところでは環境報告書を出している会社もあります。でも一般的な環境会計、つまり消費エネルギーなどは載っていても、法に関わることはわかりませんね
また帝国バンクなどの会社情報を見て売り上げ規模、業種などを見ることも必要です。もちろん関連会社部に行って、その会社の経歴書や損益計算書などを見せてもらうことも役に立つかもしれません。しかし関連会社部の人さえ行ったこともなく、状況が分からないような子会社もありますから、最終的には現地に行ってみなければわかりません。
この例ではオフィスから環境影響があるわけではないので、所在地情報はあまり重要ではありませんが、製造業の場合は、所在地が工業団地か市街地かはとても重要な情報です。グーグルなどで航空写真を見ると、近隣の様子が分かります。工場の周りが工場なら騒音などの問題はまずありません。反面、マンションや戸建て住宅があれば規制基準を守っていたとしても苦情があれば対応しなければなりません」
「騒音規制を守っていても苦情が来ることもあるのですか?」
「そりゃ、たくさんありますよ。規制基準を守っていればよいわけではなく、また規制基準を超えたらだめというわけでもないのが悩ましいのです。それでも機械の騒音ならまだ対応しやすいのですが、トランスのうなりが気になるとか、テニスコートのかけ声がうるさいと言われるとちょっと困ります」
「森本さんは環境管理のお仕事をしていたのでよくご存知ですね。現実の例ですが、近くに建ったマンションの住民から工場の木々に住んでいるムクドリの鳴き声がうるさいというのがありました。実はそのマンションを建てたときに雑木林を切り払ったために、そこに住んでいたムクドリが工場の木々に移ったのが真相なのです。工場側にすれば被害者ですが、苦情には変わりありません。もっとも一番の被害者はムクドリでしょうけど。
最近の例ですが、当社の工場で道路を挟んだ反対側が農地だったのですが、そこが売られたのです。当初は何が建つのかと戦々恐々でしたが、できたのはパチンコ屋でしたのでホットしました。パチンコ屋なら工場の騒音がうるさいという苦情はまず来ないでしょう。これがマンションとか幼稚園ですと大変です」



「山田さん、事前調査事項を考えましたが・・」
森本は一瞬、ギョットしたような顔をした。監査の経験がない横山に、先を越されては面目が立たない。
「はい、じゃあ説明してください」
「どんな会社も廃棄物処理法に関わります。具体的にはオフィスや駐車場からどんな廃棄物が発生するのか、その処理をどうしているかの確認が必要です。
また駐車場といえば車からの油漏れが想定されるので、水濁法と場合によっては消防法も関係するかもしれません。チェックリストを作るにはそれらについてもっと詳細をリストする必要があると思います」
「そうですね。森本さんはいかがですか?」
「大きなエアコンはないと思いますが、家庭用のエアコンや冷蔵庫などはあるでしょう。すると家電リサイクル法が関わります。また給茶機があればフロン回収破壊法もあります。駐車場の騒音や排ガス規制もあるかもしれません。多くの都市では駐車中のアイドリングストップを条例で定めています。全然見当がつきませんが、立体駐車場の電力消費量ってどうなんでしょうか? 省エネ規制には関わるほどはないでしょうね」
「いいですね、横山さんも初めてにしてはいい線ですし、森本さんはやはり目の付け所がいいです。じゃあ、今日はここまでにして、次回はお二人に監査のロールプレイをしてもらいましょう。二人の行く会社はここにあります」
山田はふたりに会社の概要を書いた資料を渡した。といってもそれぞれ数行の記載しかなかった。

本日の質問
私がこんな指導をしていたのかというご質問がおありでしょう。
それにはかっこいい返事ができません。
指導者なき追従者は悲劇であり、追従者なき指導者は喜劇です。私は喜劇ばかり演じてきました。今回も喜劇なのかもしれません。

蛇足、
もし興味を持たれましたら、以前書いたものもお読みください。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012.04.29)
「私が今まで何年も、その意図を知らずに監査していたことが恥ずかしいというか悔やまれます」

これは、森本氏が悪いわけではなく、そんな報告を受けても放置していた上司(監査の依頼者)の落ち度であると思います。つーことは、上司も意図を知らなかったということの裏返しでもあるでしょう。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
エクスキューズがふたつ
ひとつは、ケーススタディの中では、上長である廣井が「こちらも手取り足取りして教える暇もないもんだから、ほっておいたのが真相だよ」と言い訳しています
もうひとつ、リアルでは私は10年間かかりましたが、そのようなママゴト監査を真剣勝負に変えてきた自負があります。
とはいえ、後任者が1年でママゴトに戻す予感があります。まあ、これも私の不徳の致すところ 


外資社員様からお便りを頂きました(2012.05.02)
リアルでは私は10年間かかりましたが、そのようなママゴト監査を真剣勝負に変えてきた自負があります。
とはいえ、後任者が1年でママゴトに戻す予感があります。


これはすごい事ですね。
私の前の会社では、スタッフ部門は「沈香も焚かず屁もひらず」が良いのだと言われた人がいます。
多分 スタンドプレーをせずに、やりべき事を地道にやって周りに迷惑をかけるなという意味と思いたいですが、真剣勝負はしないという意味ですよね。
アジア企業との競争激化の中で、日本企業が負けている典型が、真剣勝負をせず関係者の和を大事にしているのが理由です。
一番良い例が、赤字を出して大リストラをしている家電の大企業が、全て社内から新たな社長を選んで、旧社長は会長になっています。
旧社長が会長になったら、権限はなかろうが、新社長は前社長のやり方を否定して、刷新したやり方が出来る訳がありません。
大きな変化や考え方の転換が必要な時期に、結局 大きな改革や刷新は出来ないのだろうなと、とても悲しい気分で予想しています。
経営TOPがそんな状況ならば、監査部門やスタッフ部門が、真剣勝負をしないのは当然でしょう。
それでも、真剣勝負をしていた時期があったのと、無いのは大違いなのです。
意外に、思いもかけない人や、部門で、真剣勝負をする人が出てくるかもしれません。

外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。
まあ、私の語ることは大げさですから半値八掛けでみてください。
ただ仕事は真剣勝負しかしたことはありません。
でも、そういう真剣勝負といいますかスタンスが、周りから浮いてしまうことが多いのですよね。
日本企業では、仲よしこよしの精神でいかないと和(輪)の中に入っていけないようです。
ただ、その行きつく先が談合とかですと、やっぱり厳しくとも独立独歩の道があるべき姿のように思えます。
外資社員様がおっしゃるように、いくら赤字を出しても、社内の序列で後継幹部が決まっていくなら、その会社は滅びるべきなのかもしれません。
日本海軍が一番悪かったのは、負け戦の指揮官を決して処罰しなかったことではないかと思います。
信賞必罰、これが組織を活性化し永続させる唯一無二の手段ではないのでしょうか?
もっとも一度も表彰されずに、冷や飯を食ってきた者のひがみかもしれません。


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