ケーススタディ 力量11 審査報告書

12.06.24
梅雨も明けた。窓の外は強い日差しだろう。しかし、ビルの中はエアコンがきいている。ビル管理会社は、東日本大震災以降の電力不足対策として空調の設定温度を2度上げたが、今はノーネクタイ、開襟シャツが当たり前となってそのくらいの設定の変化は気にならず、むしろ過ごしやすい。
藤本部長が入社した頃、営業部門以外は管理職であろうと作業服を着てノーネクタイが普通だったように記憶している。 そして事務職はワープロのない時代で書類を手書きしていたから、シャツの袖が汚れないように手甲をしていた。
手甲(てっこう)と書いて、今時通じるのだろうかと心配になった。
アスクルなどで調べると、今は「腕カバー」というらしいが、そういうものは今も存在しているようだ。
あのころ空調はどうだったのだろうと思い返すと、現場は大きな扇風機があっただけで、エアコンはなかった。オフィスにはエアコンはあったが、ゴウゴウと大きな音を出すだけであまり快適ではなかったように記憶している。それでもネクタイもしていなかったし、襟元のボタンは締めていなかったので、暑くて耐え難いなんてことはなかったと思う。
そういえば藤本が大学時代か入社した頃「太陽にほえろ」なんていうテレビドラマで、刑事がスリーピースを着て犯人と追いかけっこをしているのを観た記憶がある。当時のサラリーマンでスリーピースを着ている伊達者は、いなかったように思う。
衣食足りて礼節を知るというが、豊かになるにつれて衣装が豪華になったのはいいが、環境に合わない衣装を着るようになってエアコンが必要になったのではないだろうか。

環境保護部の空調温度は快適であったが、藤本部長の心中はそれほど穏やかではなかった。今の彼の関心ごとは、空調の快適さではなかった。
藤本部長は社内と関連会社から集められるだけ集めた数十件のISO14001審査報告書を読んでいる。いや、既に数回は読み返しているだろう。
認証機関によって審査結果を書いた報告書の名称は種々あるが、ISO17021では「審査報告書」としているので拙文はこれを採用する。
藤本はこれら大量の報告書を読んで、どうも腑に落ちない。いや納得できないことがいくつもある。おかしな点は明確だが、そのおかしな点がなぜ放置されているのか、誰も問題にしていないのだろうか? それが腑に落ちない。

まずそのひとつは結論がよく分らないということがある。
すべての文書は存在する理由がある。その文書の目的、あるいは結論を記述することが存在意義である。裁判であれば、主文というものが、それにあたる。
例えば、「被告人を懲役6年に処する」とあれば有罪であることと罪の重さを明示しているわけだし、「被告人は無罪」とあれば有罪でないということになる。
「無罪」とは「有罪とは判定できない」ということであり、犯行を犯していないとみなされたのではない。裁判所は被告人を裁くのではなく、検事を裁くのだ。検事が犯罪を立証した場合は有罪となり、立証できなかったら無罪となる。被告人は無罪を立証するのではなく、検事側の主張を否定できればよい。
そもそも無罪を立証することは悪魔の証明に近いだろう。
しかしISOの場合は、組織が規格適合を立証しなければならないようなことを語っているセンセイがいる。ISO17021をよく読めば、そのような理不尽なことを組織に求めていない。ISO17021では規格適合にする責任は組織にあるが、規格適合か否かを判定するのは認証機関の責任であると書いてある。そりゃ当たり前のことにすぎない。
出張報告なら出張目的を果たしたかどうか、会議ならその結論があるだろうし、研究報告ならそれなりの成果が記述されるはずだ。
審査報告書の成果は何なのか? そりゃ規格適合かどうかを調査した結果であるはずだ。
その記述は認証機関によってさまざまであるし、同じ認証機関の同時期の審査報告書でも、結論の文章はさまざまである。ただどの認証機関の審査報告書も共通なことがある。それは「ISO規格に不適合である」と記述された報告書を、私は過去20年もの長きの間、一度も見たことがない。

    意味するところからパターンを分けると、
  1. 認証を承認する
  2. 認証は可能である・認証は問題ない
  3. 認証を推薦する
  4. 規格に適合している
  5. 規格適合でマネジメントシステムは適合である
    などに分けられる。
お断り
審査報告書は認証機関と組織間で守秘契約されるものではない。
そもそも客先から審査登録証だけでなく審査報告書も合わせて提出することを要求されることもあるし、認証機関移転の際は鞍替え先に提出しなければならないものであり(ISO17021)、社会に公開しても問題ない。
私がここにほんのさわりを書いても、いちゃもんをつける人がいるかもしれないので説明しておく。
おっと、ISO関係者ならISO17021やJAB基準類を熟読しているから、そんな勘違いはしないとは思う 

ISO17021では、認証機関は、実際に審査を行う審査員のみでなく、その審査が妥当かどうか、認証して良いかを判断する者は審査を行った人ではないことを要求している(9.1.14)。認証の決定を、複数のメンバー(判定委員会)で行うこともあるだろうし、単数(個人)が行うこともある。聞くところによると人件費削減のため、初回審査は判定委員が行っても、維持審査の判定は一人(多くの場合、審査部長など)で行うことが多いようだ。
いったいなにを言いたいのだ、漂うばかりではないかとお叱りがありそうだが、そういうことを踏まえて、斜めに読んだり考えるといろいろと面白いことに気が付くのだ。

藤本は審査報告書の結論の述部を見ただけでも、いろいろな疑問がわき出てくる。
ワカラン
藤本部長
「認証を承認する」とは断定だ。つまりこの審査報告書の記載は最終決定であり、審査員が最終判断をしていることになり、ISO17021に反するような気がする。
「認証を推薦する」はISO17021に適合した正しい表現と思われる。
「認証は可能である」あるいは「認証は問題ない」というのは、表現こそ異なるが、意味合いとしては「認証を推薦する」と同義と考えてよかろう。
「規格に適合している」というのは断定している。神ならぬ審査員であるなら「規格適合と判断する」が適切ではないのだろうか。そして意味的に「推薦する」と同義かというとちょっと違うのではないだろうか?
「規格適合でマネジメントシステムは適合である」とは不思議である。規格要求事項及び組織自身が決めた手順や計画が正しく運用されているだけではマネジメントシステムが適合ではなく、更に何かの判断プロセスを経由してマネジメントシステムが適合であるのかを判定するのだろうか? あるいは言い回しをかっこよくしたつもりなのだろうか? 露骨に言えば文字数稼ぎか?
どの認証機関も認定機関の審査を受けているのだから、上記すべての言い回しはISO17021適合なのだろうか? それとも認定機関がしっかりとみていないのだろうか?
こういうことは藤本が心配することはないのかもしれない。しかしこれほどバリエーションがあると、読んでいてそんな疑問を抱くのも不自然ではない。

次の疑問である。
認証機関の多くは「経営に貢献する審査」ということを語っている。いや、すべてといっても間違いではない。
ワカラン ワカラン
藤本部長
藤本が出向後に認証機関から「経営に寄与する審査をしてください」と言われたら、いったい何をするのだろうか?
しかし、認証というサービス(役務)契約における成果物は審査報告書だけである。だが今まで読んだ数十件の報告書のどこにも、経営に貢献するようなことが見当たらないのだ。もっとも経営といっても経営レベルなのか、企業の経営全体のどこかに寄与するという意味かどうかはわからない。しかしどちらにしても報告書にそれらしい文言はひとこともない。 あるいは経営に寄与することは報告書に記述するのではなく、審査の過程において口頭で行うものなのだろうか? だがそんな一瞬の音声を、経営に寄与するなどとは言わないだろう。そりゃ大言壮語というものだ。
ISO17021でがコンサルやアドバイスすることは禁じられている。だがマネジメントシステムに関わらない改善あるいはコンサルなら許されると読める。つまり環境の審査において、財務や調達やその他の業務の改善指導を行うことは禁止されているとは読めない。だが、それは審査契約上どうなのだろうか?
もちろん藤本は「経営に貢献する審査」なんて単なるキャッチフレーズであることは間違いないと思ってはいる。しかし企業の経営者から「経営に貢献する具体的な事例はどれですか?」と質問されたらなんと応えるのだろうか?

藤本の疑問はきりも限りもない。
ISOの審査工数は認証組織に属する人員数と環境負荷によって決定される。そして審査費用は審査工数に一日当たり単価がかけられて決まる。もちろんそこから値引きとかあるわけだが、簡単に言えばまあそういうことだ。しかし審査報告書は審査工数に限らずボリュームは変わらない。一人一日であっても5人で1週間かけた審査も、ほとんど変わらない。
ワカラン ワカラン ワカラン
藤本部長
これは妥当なのだろうか?
藤本が今までしてきた仕事を振り返ると、こんな成果物で数十万とか100万とかもらえるはずがない。あげくに「この審査の情報収集はサンプリングによって行われました。従って今回の審査報告書に述べられた改善指摘事項以外に改善指摘事項が無いということではありません」と注記してある。
藤本は、初めてこの文章を読んだとき、こんな自分勝手というか無責任極まるエクスキューズがありえるのかと驚いた。
受入検査で抜取検査あるいはデータのみによって合否判定を行うことは現在では普通のことだ。だが「この受入検査はAQL〇○のサンプリングによって行われました」というべきだろう。
「この受入検査はサンプリングによって行われました。従って今回の合格になったロットに不良品が無いということではありません」なんていう文言を書けるものだろうか? そんな無責任な検査ならした意味がない。
抜取検査だからこそAQLのレベルを保証してもらわねばならない。
果たしてISO審査のAQLは何パーセントなのだろうか? そして今の工数は数学的にそのAQLに見合っているのだろうか?

藤本は考えてもどうもならんと給茶機に行ってコーヒーを注いだ。その場で一口飲んで環境保護部をながめた。

環境保護部の絵

みな楽しそうに仕事をしている。藤本は入社して33年、いろいろな職場を歩いたが、製造現場であろうとオフィスであろうと、楽しく仕事をしている職場は品質が良く生産性が高い。面白くない顔をしている職場は、楽しくないだけでなくロクな仕事をしていないのが相場だ。
入社した最初の職場の上長は「会社とはアウトプットだ。人間関係とか雰囲気なんて重要ではない」なんて語っていたが、あれは全くの誤りだと思う。メイヨーのホーソン工場を持ち出すまでもなく、仕事は技術と管理だけではなく、士気あるいはモラールによって推進される。士気の低い軍隊は、日清戦争の支那軍のように敗退してしまう。
環境保護部長の廣井はみんなの自主性に任せているが、ホールドポイントはしっかり管理している。
だが、メンバーには怠け者もいないし力量がない人間もいない。だから廣井流の管理ができるのだろうか? それとも廣井がメンバーを育てているからなのだろうか? 卵が先か鶏が先か??
いや思い出した。藤本がここにご厄介になったときに廣井と神田で飲んだ。そのとき廣井は「環境保護部は産業廃棄物業者です」と冗談を言った。藤本が「どういう意味ですか?」と聞くと、他の職場で扱えない連中が流れてきて、それをリサイクルしているからだという。山田は最年少で部長クラスになったが、元は営業で腐っていたという。森本も横山も今はバリバリ仕事をしているが、ここに来たときは問題児だったという。いや、問題児だから環境保護部に異動して来たのだという。
何が彼らを変えたのか、何が環境保護部を素晴らしい職場に維持しているのか、それはこれだと言えるものではなく、所属するメンバーの相互作用であることは間違いない。常にダジャレと雑談が飛び交い、なにかといえばお茶しているが、しかしお互いにより良い仕事をしようという暗黙のプレッシャーをかけあっている。
そしてと藤本は思う、素晴らしい職場とは状態であってオブジェクトではない。だからメンバーが変わればあっという間につまらない職場、生産性の低い職場になるおそれがある。
マネジメントシステムというと漠然としているが、システムが有効に機能しているかという観点から見れば、システムの要素、つまり組織、責任、手順だけではなく、士気というものが重要だ。それを常に監視して最良の状況を維持しなければならない。それを怠ったりあるいは管理を誤れば、あっという間に・・

藤本の頭にアイデアが浮かんだ。
ISO審査報告書に「マネジメントシステムが規格適合で認証を推薦する」なんて書かれても経営者はうれしくもありがたくもないのではないか?
少なくても自分が工場長ならそうだ。
ISO審査報告書の結論は「マネジメントシステムが有効に維持されているとともに、人間関係が良好に維持されている」と書いてほしいなと思う。もちろん、「マネジメントシステムは規格適合であるが、人間関係においてコミュニケーションが不足している」ということがあるかもしれない、それでも良い。事実を認識しなければ改善はできないのだから。

山田が給茶機のところに来た。そしてコーヒーを飲みながら藤本に話しかけた。
山田
「藤本さん、審査報告書を読んでいらっしゃるようですが、なにか得るところがありましたか?」
藤本
「もちろんさ、得るところがないということを得たよ」
山田
「ハハハ、それはよかった。実を言いまして、私も工場の審査報告書などを見るのですが、いったいなにを言いたいのか、あるいは何も語っていないのか理解に苦しみます。
審査とはISO規格適合か否かを調査するわけでしょうけど、現実の審査は、審査員が頭に描いているISO規格ならぬUSO規格とのコンペアをしているように思えます」
藤本
「しかし俺が一番不思議なのは、結論も不明、文章も変、意味もよく分らない審査報告書を誰もおかしいと言わないのはどうしてだろう?
それが一番不思議だ」
山田
「おっしゃる通りですね。多くの人は審査で問題、つまり指摘が出ないことを第一義としているので、審査で指摘が出なければもう審査のことは忘れてしまうのでしょう。審査報告書なんて読まないのと違いますか?」
藤本
「しかし審査の正式な成果物は審査報告書だよ」
山田
「私自身、最近は審査報告書なんてしげしげとは読みません。問題があったとき、その不適合についての記述を読むだけです。だって、審査報告書を読んでも得るところがないと藤本さんがおっしゃったでしょう」
藤本
「いや、だからさ、価値がないぞとなんで文句を言わないのだろうか?」
山田
「成果物に文句を言わないのは、成果を期待していないからでしょう。」
藤本
「成果を期待していないって? それじゃ、認証とはいったいなんだ?」
山田
「第三者認証の目的は二つあると言われています。一つは対外的にQMSやEMSのレベルを立証すること、もうひとつは会社を良くするためと言われています」
藤本
「では少なくても前者の最低限入札条件はゲットできるわけだ」
山田
「そして、会社を良くするとか言いますが、それは誰もが宣伝文句と思っているでしょう。
雑誌やその他で、ISOによって会社を良くしたとか、内部監査でこれこれの改善があったとかいうのを見ますが、そんなものISO認証しなくても可能ですし、実際ISOと関係ないような気がします。元からある成果をわざわざISOにかこつけているんじゃないですか。少なくても私は企業において従業員はISOに関係なくそのような改善活動を行うことが責務だと思います。ISOなんてツールが出現する以前からしていたことですし」
藤本
「認証機関は経営に寄与する審査などと語っているが、経営に寄与するとはどういうことかね?」
山田
「私には経営に寄与する審査とは何かわかりません。審査報告書の結論が『規格適合』というものであれば、経営に寄与するとは思えませんね。
そして重要なことですが、審査の成果物が報告書以外にあるというなら、それはなにかということが大問題です。というのは審査で行った行為で審査報告書に書かれていないことがあれば、ISO17021違反となると考えます(9.1.10.2)」
藤本
「そういう規定があるのか、報告書を書くのは十分注意が必要だな」
山田
「藤本さんは審査員になってからのことをご心配ですか?」
藤本
「そりゃそうさ・・果たしてどんな報告書を書くべきかと今から考えていると・・」
山田
「こんなことを言っては失礼ですが、審査とは単純作業といいますか、標準化されていると思うのです。九州で統一見解という言葉を聞いたでしょうけど、実際はどの認証機関も体系化されたそのような判断基準は有していないと思います。ただボス的な審査員が『これはこう解釈するんだ』というと、陣笠審査員がそれを鵜呑みにして審査を行うということは多いでしょうね。
もし藤本さんが確固たる信念でいくなら規格や審査基準をすべて理解して事に当たらねばならないでしょうけど、九州工場に来たような人でも主任審査員が務まるわけですから、あまり真剣に考えることもないように思います。
出向先の方針、統一見解もどきを理解して、マクロを組んだエクセルシートに日付、出席者名、審査でチェックした文書記録の固有名詞をインプットすれば報告書は一丁上がり、
クロージングでは重々しく、『今回の審査結果、不適合はなく認証継続を推薦します』と言えばお仕事はおしまいです。藤本さんは貫録十分ですから、心配はありません。
それで最低レベルじゃありません。世の中の水準レベルでしょう」
藤本
「山田さんはマクロといったが、認証機関によっては報告書の様式に『適合、不適合』と印刷してあって、一方を丸で囲むという方式もあったよ。ヤレヤレ、まるでアンケート調査のようで、ますますありがたみのないもののようだ」
山田
「合理化は必然としても、100万以上払った成果物としては、いささか・・・ですね」
藤本
「そんな報告書を大量に読んだことと、何度かISO審査に立ち会った経験から、審査員の仕事の値打ちは、森本君や山田君のお仕事の足元にも及ばないと気が付いた。
先日横浜で拝見した岩口さんの審査だって、企業に貢献していない。第三者認証が企業に貢献するのは、取引において客先から要求されている場合のみだ。ISO審査には、遵法やリスクの検出など、違反や事故を予防するという効果はまったくない。日本にプロのISO14001審査員は2,000人くらいいるだろう。しかしその人たちの中で、自分の審査が遵法を確実にする効果、事故を予防する効果を出していると考えているのは何人くらいいると思うかね?」

お断り
「まったくないとは失礼なり!」とお叱りを受けるかもしれない。
特に認証機関とか審査員の方からはそういうご異議がありそうだ。
だがちょっと待っていただきたい。
そもそも、ISO審査がISO17021に従って行うならば、その目的は規格適合判定であって、組織に対してコンサルテーションを行ってはならないのだ(9.1.9.6.2)。
つまり審査とは、組織が遵法を担保する仕組みがあるのか、汚染の予防をする仕組みがあるのか、それらが有効に機能しているのかを調査判定することであり、遵法を担保する仕組みや汚染を予防する仕組みの構築あるいはその支援を行えるはずがない。
もしそれができるというなら、力量の有無ではなく業務の範囲から、それはもはやISO審査ではなくコンサルタントそのものである。

更に蛇足であるが・・・
「改善の気づきを与える」とかなんとかおっしゃる審査員も多い。
すばらしい、ところでその改善の気づきとやらはどこにどのように書いてあるのでしょうか?
まさか・・・・審査中に壁に向かっての独り言だとか
もう4・5年前のことだが、審査で「審査員が改善のためにお話しするのですが・・」と語ったので、「審査報告書に書いてください」と申しましたら、その審査員凍りつきました。どうしてなのでしょうか?

山田
「おっしゃることはわかります。ISO認証は社会に安心感を与えるもので、具体的パフォーマンスを保証しないということはIAFも宣伝しています。しかし社会も企業も安心感だけでは納得できません。具体的な指標が改善しなければ企業はありがたくありませんからね」
藤本
「そうなんだ、実を言って、調べれば調べるほどISO審査とか認証の価値がないように思えてきたよ。そしてISO審査員になろうという意欲がだんだんとなくなってきたよ」

本日の弱気
最近はイケイケドンドンというものが多かったので、今回はちょっと違ったニュアンスとしました。
毎回同じトーンではつまらないかと思いましたので・・

本日の強気
本日の駄文は一般の方ではなく認証機関の方にも参考になったかもしれない 笑

本日のレポート課題
ISOの仕組みによって実現された改善事例、あるいは是正活動をあげて、ISOによるMSがなければそれが達成不可能であったことを論証せよ



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/6/24)
困ったちゃんタイプの審査員の「ご指導」に共通する「思い」を感じることがあります。それは、「理由なぞいらぬ。とにかくオレ様にひれ伏せ」です。ダメな審◯員ほど、この傾向が強いように思いますわ。いわば、それが彼らの「結論」なのかな?と。

名古屋鶏様
「思い」は素敵ですが「思い込み」は不適です
それを他人に押し付けるのは不敵なり
あっしは無敵です

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/6/24)
ISOの仕組みによって実現された改善事例、あるいは是正活動をあげて、ISOによるMSがなければそれが達成不可能であったことを論証せよ

ンなもの、あるはずないでしょ。

たいがぁ様
レポートも出さない君は留年だよ


外資社員様からお便りを頂きました(2012.06.25)
おばQさま 主旨にかかわらない局部的な突っ込みで済みません。

「この受入検査はサンプリングによって行われました。従って今回の合格になったロットに不良品が無いということではありません」なんていう文言を書けるものだろうか?

米国ならば、あると思いますよ。 とは言え、試験報告書ではなく、試験を受ける前の契約書の免責事項としての記載ですけれど。
ご存じの通り、米国は訴訟社会ですから、免責事項は受注の時に明示するのが良い契約書です。
ISO認証では知りませんが、技術系の認証では、独禁法が問題になるような超大手が背後にいる試験で、受験者の合意書:Test Agreementに、このような意図の記載があります。
考えてみれば、お金を払ってから、「今回の合格になったロットに不良品が無いということではありません」と言われて驚くよりも、受験を決める時に言うべき事ですよね。
その点では、報告書でなく、受験時の合意事項に記載されます。
実際には日本でも、ISO認証認証が受けている会社が不祥事を起こすと問題になるくらいですから、理解していない人もいるのではと疑っております。

審査報告書は認証機関と組織間で守秘契約されるものではない

これは勉強になりました、技術系の審査では 多くの場合 試験会社は守秘情報として扱う義務があり、受験した側は公開できる権利をもっています。
ですから、試験機関は守秘情報として扱う義務を負っています。
合格を外部に公表する場合には、その規格団体に対して、受験者が申請するので、その時に開示に合意する事になります。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
「この受入検査はサンプリングによって行われました。従って今回の合格になったロットに不良品が無いということではありません」なんていう文言を書けるものだろうか?
私の表現が悪かったと反省します。
抜取検査なら不良品が存在することは当然です。ただ前提として消費者危険、生産者危険が取引する両者で合意されているということがありますよね、
ISO審査では抜取といいながら、消費者危険を明示せず、一方的に飲めといっていることがハチャメチャだと言いたかっただけです。
これは他の読者(いないか?)からも抗議、ご指導があると思いますので、このままとして外資社員様のコメントにリンクしておきます。
次回、このようなことを書くときは十分注意します。

審査報告書は認証機関と組織間で守秘契約されるものではない
審査報告書は秘密ではありません。通常「当社はISO認証しています」と言えば、少なくても認証していることは信用してもらえます。しかし行政や大手に入札するときは審査登録証を提出しなければなりません。そうしないと認証していることにみなされません。
そして取引先の中には実際の審査ではどんな按配だったのかと知りたい人もいるわけで、そういう会社ですと審査報告書も頂戴といいます。その場合はコピーを提出することになり、それは元々認証機関は認めています。
但し、報告書の一部だけをコピー提出することは禁止されていて、提出するときは全頁をセットで出すことになっています。
以前ある自治体でウェブサイトにいいところだけを載せていて、認証機関から苦情を受けたことがあります。
不適合を見せたくないというのは人情かもしれませんが、そりゃやはりいかさまですよね


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