よく料亭で「女将、板前替わったか」というのが、「今日の料理はまずいぞ」という決まり文句らしいが、ここで「監査担当者が代わったのか」とはほめ言葉と理解して良いだろう。
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「山田君、ちょっと話があるんだ」
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「ハイ、今すぐでしょうか?」
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「そう、手ぶらで良いから」 山田は立ち上がり廣井の後を追った。 廣井は部下であろうと仕事を頼んだり呼んだりするときは、相手の状況に気を使う人だ。このように突然声をかけるとは、なにか重大問題があったのだろうか? 山田が環境保護部の打ち合わせコーナーに行くのかと思ったら、廣井はドアを開けて環境保護部の外に出ていく。山田は不審に思ったが後に続く。これではいよいよなにか重大問題のようだ。 廣井はエレベーターに乗りロビー階のボタンを押す。 エレベーターから降りると、廣井はお客様用の会議室の一つに入る。ここは予約していないと使えないのだが。それにお客様用の会議室は、内部の者だけでは使ってはいけないルールなので社外の人が来るのだろうと思った。 ●
廣井は上座に座ると山田に座れという。
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「藤本さんはどうだい?」
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「廣井さんの方がよくご存じと思いますが、もう監査の要領はご理解いただけたでしょう。元々管理者として会社と仕事の仕組みはご理解されている方ですから、視野も広く、視点も経営的なことから見て判断されます。そういうところはさすがだと思います。 法律はまだ廃棄物と安全衛生関係をご理解された程度かと思いますが、実際に監査をしていけばどんどん幅は広くなっていくと思います。 この前の非製造業への教育計画もいろいろな観点から検討されていて、さすがと思いました」 | |
「そうか、山田君が半年教育した成果があったわけだ」
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「なにか問題が起きたのですか?」
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「問題と言えば問題だな。端的に言うと、藤本さんが出向する予定だった認証機関がISO認証事業から撤退することになった。早い話が身売りだよ」 山田はその一件は知らなかったが、そう聞いても驚かなかった。ISO9001もISO14001も登録件数は経常的に減少しており、とっくに2万件を切っている。認証機関が2012年7月時点47社・・それもJAB認定だけ、ノンジャブを含めたら過当競争もいいところだ。 | |
「ということでだ、人事から俺のところにどうしようかと相談がきたわけだ。別の認証機関を当たってみるという手もあるが、すぐというわけにもいかないだろうし、あるいはISO14001の審査員はいらないと言われるかもしれない。今度は、品質なら需要があるとか、セキュリティあるいは労働安全なら欲しいとか言われると、教育訓練は初めからやり直しだ。それにこちらとしては、契約審査員では困る。やはり先方の社員として出向しなければ処遇の問題がある。ということでだ、人事部としては環境保護部で使ってほしいという提案なのだ」 山田は、藤本さんも大変だなと同情すると同時に、事業所長クラスだった人が平で仕事をするのはあり得るのかと疑問に思った。 | |
「事業所長クラスが役職定年後に、役職に就かず社内で働くというのがありなんでしょうか?」
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「俺もそれが気になって人事に聞いたんだが、そうしちゃいけないという規則はないという。今までそれなりに処遇することができたので、そういうケースが発生しなかっただけということだ。もし環境保護部で働いてもらうとすると、山田君の下で工場や関連会社の監査や遵法の指導をしてもらうことになる。どうかな?」
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「実を言いまして、そうなると森本さんが余ってしまいます。あるいは私が余るというべきでしょうか。人を一名減らさなければなりません」
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「山田君がそう言ってくれれば話が早い。実を言って、千葉工場の井上課長が今度次長に昇進する。そして彼から以前2年の約束であった森本を半年早く返してもらいたいと言われているんだ。森本も山田君の仕込みでもう大丈夫だろう。 彼も34だろう? 井上君は森本を係長にして環境管理の補佐をさせたいと言っている。森本にとっても悪い話じゃない」 なるほど、そういうことか。 差し引き山田グループは人数は変わらないとして、力量としてはどうだろうか? 森本の方が環境の仕事が長いから少しは法律を知っている。しかし視野や見識という観点から見て、全社の環境管理を指導する力量は藤本と森本では月とすっぽんだ。報告書にしてもその切り口、検討内容などすべてにわたって藤本が二ランク上なのは誰が見ても明らかだ。 問題は藤本部長がどう考えるかだろう。先日の鷽埼玉に行ったとき、藤本部長の昔の部下が常務をしていた。そういう釣り合いもあり藤本自身が不満を持つのではないか? | |
「私が申し上げるのもなんですが、藤本さんがどう受け止めるかでしょうね。かっての同僚や部下の現在の地位と、自分を比較して不満に思われるようでしたら、藤本さんにとっても私たちにとっても不幸なことです。 そしてそれは単に心情としてだけでなく、これから藤本さんが関連会社に監査や指導に行けば、今まで彼と同格だった方たちが社長とか役員にいるわけです。ちょっとつらいものがあるのではないでしょうか?」 | |
「そりゃそうだよな。だけど考えてみればISO審査員だって社会的地位は高くはないよ。そう言っては審査員をしている人に失礼かもしれないが、当社で事業所長クラスをしていたなら平審査員ではなく出向先の役員クラスでないといけなかったんじゃないか、元々が」 廣井はそう言うと携帯を取り出して、登録番号をプッシュした。 | |
「ああ、藤本部長ですか。すみませんがロビー階の502会議室まで来てくれませんか。ハイ、今すぐ、すみません」 山田には廣井がそうとう急いでいるように見えた。 | |
「急いでいるのでしょうか?」
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「そうなんだよ、森本の件もあるし、辞令発令前2週間前には本人の承諾を得ておかないといけないだろう、今日中に決めないとまずいのだ」
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「私がいちゃまずいのではないでしょうか? 席を外しましょう」
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「いや、いてもらった方が良いな」 ●
藤本が部屋をノックして入ってきた。
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「藤本部長、どうも御足労ありがとうございます。ま、どうぞ」
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「私の身の振り方が決まりましたか?」
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「まあ、そうなんですが、どうしてそれを?」
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「だってさ、人事から言われた期限まであと3週間でしょう。今まで何の音さたもないのは変でしょう。 それに数日前、出向先の認証機関が大手認証機関に事業を譲渡するってニュースがありました。当然今雇用している審査員の処遇だってどうなるかわかりませんし、これから雇用する者なんて論外でしょう?」 | |
「藤本さんご推察の通りです。正直なことを言いますが、人事は半年前の約束を守ることができなくなりました。それで私に検討依頼がありまして、非常に言いにくい提案ですが、環境保護部で一担当として働いていただけないかということです。 もし納得できなければ、大変申し訳ないですが半年前の約束はご破算として、もう一度出向先について人事と協議して検討してほしいということです。もちろん選択権は藤本さんにあります」 | |
「すみませんが、いくつか確認させていただきたい。まずその場合、私が定年になるまで環境保護部で勤務することは保証されるのでしょうか。それから賃金面での処遇もあります」
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「私は藤本さんの上長ではありませんが、今回は人事から藤本さんの対応は任されているとご理解ください。 定年までの件は管理者である私が判断することになります。正直言って藤本さんの監査や指導する力量次第です。もちろん私としましては、この半年藤本さんの仕事ぶりを拝見してきて、ぜひとも環境保護部で働いていただきたいと考えているわけです。 賃金面については、役職定年以降は7割というのが当社のルールですので、57歳までは現状を保証、以降は減額ということになります。これは関連会社に出向しても同じです。但し役員になった場合は別扱いですが、役員になれるかどうかは定かではありません。先ほども説明しましたが、藤本さん側からも半年前の約束を反故にして関連会社への出向を希望することもありです。私として提案できることはこんなところですね」 | |
「わかりました。仕事としては山田さんの下で、工場とグループ企業の環境監査と指導ということでよろしいのですね?」
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「そうです。肩書としては担当部長とします。もちろん職制表にも載ります。 仕事で工場や関連会社に行くことが多く、以前の知り合いと会うことが多いでしょうから、そこが気まずいかと思いますが・・」 | |
「わかりました。ぜひ環境保護部で働かせてください」
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「明日、再度お気持ちを確認させていただきます。それによって来月1日付けで辞令発令となります。よろしくお願いします」
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「いろいろ気を使ってくれてありがとう。山田さんとなら仲良くやって行けると思う」 藤本は立ち上がって出て行った。 ●
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「山田君、森本に来るように言ってくれ」
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山田は携帯を取り出してプッシュした。 「森本さん、山田ですけど、すみませんがロビー階の502会議室まで来てください。そう、今すぐです」 ●
ほどなく森本登場
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「森本君、すまない、まあ座ってくれ」
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「人事異動ですか?」
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「ホウ、よく分ったな」
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「僕もそろそろ言われるのじゃないかと思ってました。先日、井上課長からそんな雰囲気の電話がありましたし・・」
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「そうだったのか、じゃ、話は早い。予定より半年早くなったが、来月1日付けで千葉工場の環境管理課係長を命じる。よろしく頼むわ」
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「ひぇー、係長ですか、大出世ですね」
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「井上君からその話はなかったの?」
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「初耳です。がんばります。もう天動説の病気は治りましたから大丈夫です」
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「天動説ってなんだ?」
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森本が部屋を出たのでおしまいかと山田は立ち上がった。
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「まあ、ちょっと待て」
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「はあ! 今度は私の番ですか?」
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「そんな気がするのか?」
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「私がここに来て4年半過ぎました。異動があってもおかしくありません。それに廣井さんの口ぶりからするとそうとしか思えません」
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「正直言うけど、山田君は環境保護部にいても部長にはなれない。それは力量がないということではなく、人間、運もある。俺は部長になって1年半、だから役職定年までのあと3年この職にいることは間違いない。ま、よっぽどのチョンボをしなければ、 だから中野君は部長になれない。というのは俺が引退するときには彼は部長になるには歳が行き過ぎているから。 ということで俺の次に誰かが来て部長になるだろう。その人も5年程度部長を勤めなければ、やりたいこともできないし実績も積めない。というとその人が引退するときは山田君は部長になるには中野君と同じように年が行き過ぎていることになる。要するに歳の差が5年か10年くらいでないとうまくいかないんだ。会社ってのはそういうものだよ」 山田は廣井の言うことがよく分った。それに比べれば営業は人も多く部門も多い。そして子会社や関連会社への出向という道があるので、人材の流動性は確保できている。簡単に言えば、上にいけないで腐るということが起きにくいのだ。 環境保護部は他の部門と縁のないユニークな業務であるから、横方向への異動も子会社への出向も難しい。 ISO認証機関への出向という可能性はあるかもしれないが、当社はそういう例はあまりない。藤本部長の場合もぽしゃってしまった。 もっとも、それは良いことでもある。認証機関に出向者を出していると、否が応でもそこに審査を依頼しなければならない。さもなければ出向者を受け入れてもらえないし、出向していれば返されてしまう。業界設立の認証機関があると、そこにしか頼めないと聞く。それは日本の認証業界の問題点である。 山田の頭にそんなことがサアーと浮かんで流れた。 | |
「山田君は今年47歳だから50くらいになったら、子会社への出向とか身の振り方を考えなくてはならない。会社勤めとしては、まあ、仕方がないね」 山田は今までそんなことを考えたことはなかったが、廣井がいうのはもっともなことだ。いつまでもピーターパンのように歳を取らないわけにはいかない。 | |
「なんだ、そんなに深刻になることはない。君だって絶対環境をやりたいと思って来たってわけじゃないんだろう。住めば都、みな同じだよ」
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「今までそんな先のことを考えたことがありませんでした。おっしゃる通りですね。ところで、そういう雰囲気ですとこれからのお話は私が動くのでもないようですが、廣井さんのお話というのはなんでしょうか?」
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「鷽神奈川エンジエアリングって会社を知っているか?」
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「販売会社ですね。2年くらい前に環境監査に伺ったことがあります」
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「そこの五反田という人を知っているか?」
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「存じあげています。環境監査に伺った時に会いました。つい先日も藤本部長がISO審査に立ち会うことを電話でお願いしました。」
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「彼は元々鷽機械商事の総務の人間なんだが、3年前に鷽神奈川がISO認証するというので支援のために出向していたんだ。もちろんそれだけじゃなくて、総務のお仕事の指導的な意味があったらしい。 知っているだろうが、鷽神奈川は正確には当社の孫会社で、鷽機械商事は鷽神奈川の親会社にあたる」 山田はうなずいたものの、廣井の話がどうなっていくのか見当もつかない。 | |
「このたび五反田が鷽機械商事に戻ることになったのだが、鷽機械商事から環境保護部で修行をさせてほしいと1年の期限付きで逆出向希望があった」 ますます話が混乱してきた。 | |
「つまりなんですか? 森本さんの次に五反田さんを教育するということですか?」
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「ざっくばらんに言えばだ、鷽機械商事は環境管理のビジネスを始めたいと考えている。ISO認証とか認証維持請負じゃなくて、本当の環境管理の請負とコンサルだな、特に非製造業のレベルアップを図ることが新しいビジネスになると考えている。鷽八百グループ企業だけを相手にしても、市場規模は十分と思える。 俺としても、そういうサービスを行う会社がグループ内にあっても、環境保護部とコンフリクトは生じないと思う。もちろん形式だけのISO認証とか認証維持請負会社では困るがね。遵法と汚染の予防を第一義とするなら願ったりだ。 五反田は森本と違って、落ちこぼれとか問題児ではない。鷽機械商事でもエリートとは言わんがやり手で通っている。要するにだ、五反田と非製造業の環境管理とはどうあるべきかを一緒に考えて、それをビジネスにする方法を考えてほしいのだ。もちろん必要な手順やアプリケーションのノウハウなども含めて」 だんだんと山田の頭の中が整理されてきた。 | |
「廣井さんのおっしゃることがわかりました。非製造業における環境管理や環境教育のノウハウを確立して、五反田さんに持たせて返せということですね」
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「おっと監査と指導は表裏だから、両方やって初めて勉強になる。そこは山田君がうまくやってほしい」
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「そして1年後に五反田氏を戻すときに、私も一緒に鷽機械商事へいって新事業を立ち上げろということですか?」
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「いや、今考えているのはそうじゃなくて藤本部長がその事業責任者ではどうだろうかということだ」
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ということで鷽八百社環境保護部は新体制で邁進するのです。
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本日の不安・・・杞憂 杞憂です 存在意義はどんなものにもあります。 ISOでも存在意義があり、本来のミッションがありますから、これを満たすための方策はいろいろあると思います。 「ISO認証とか認証維持請負じゃなくて、本当の環境管理の請負とコンサル」というビジネス。なるほど、こんな手もあったのかと納得です。 ところで、○○鶏さんの「餅屋」で、鶏さんでも知らない法規制があったのかと驚くとともにおばQさんの守備範囲の広さに感動です。 |
N様 毎度ありがとうございます。 とりあえずN様から苦情はなかったと・・・メモメモ 実を言いまして、下記の鶏様からツッコミがありましたように、次回のケーススタディでこのビジネスモデルを否定する予定です。 そうしますと藤本部長の処遇が・・・いやあ、架空の会社でも、人事というのは難しいものでございます。 ところで私が法律を知っているはずがありません。また鶏さんが知らない法規制があるはずがありません。単に読み飛ばしてしまっただけのことです。 法律を調べるとき、〇○法で△について規定していたはずだと思って、電子政府にアクセスして、〇○法をダウンロードして、△で全文検索というのが普通の手段ですが、そうは問屋が卸さない。 いや、そんな手抜きではだめで、やっぱり一字一句読まないとダメなこともあるということに過ぎません。 なぜかといいますと、法律では「□は△をすることができる」という条文があったとします。そうしますと別のところで「■は△をすることができる」とは絶対に書かないのです。同じ文言を書かないというのが官僚の心意気(?)なのでしょう。 そういうときの記述する方法は多々ありまして、「■については*条を準用する」とか、「読みかえるものとする」あるいは「△を適用する」「■も同様とする」などいろいろです。 だから見当をつけて全文検索してもヒットしないのです。ここは愚直に一字一句読むという行為しかありません。 じゃあ、時間がかかって困るよとおっしゃるでしょうけど、そこは長年こんな商売をしているとどのあたりにあるか見当がつくようになります。つまり慣れというだけです。 |
「それでお金を頂く」ということになると完全にプロの仕事を要求されるようになるワケですね。仮に「プロ」が指導した後に環境保護部が確認して「これじゃダメだ」となると、責任問題に・・・ どうやって力量をつけるのか。楽しみにしております。 |
鶏様 実を言いまして、来週アップ予定の駄文はそこを論じようかと しかしなんですな・・・もうネタがばれてはwww |