ケーススタディ 横山転勤する

13.09.04
ISOケーススタディシリーズとは

山田は少し前に甲府工場で発生した排水処理施設の事故の報告をながめている。事故は起きてはほしくないが、現実には発生する。もし「安全第一、事故ゼロ」なんて会社のトップが打ち出せば、あっという間に事故はなくなる。いや現場は事故を隠してしまう。そんなことでは意味がない。事故だけでなく、事故にまで至らないヒヤリハット(近事故)も大いに報告させて、それを分析し対策することが事故予防につながる。そういうことを積み重ねることが正攻法だと鷽八百社では考えている。ほとんどの場合、思いがけない事故というのはなく、以前から危ないと懸念していたものが事故につながっているのだから。
山田は報告書をみて、きれいごとを書いているから差し戻しせねばと考えていたとき、廣井が山田を呼んだ。
廣井
「おい、山田よ、ちょっといいか?」
山田は廣井の机の前に行った。
山田
「なんでしょうか?」
廣井
「ちょっと来い」
廣井は部屋を出てエレベーターに乗り、受付ロビーまで山田を連れて行く。
廣井
「密室で話すことでもないけど、あそこじゃまずいからなあ。ここはうまいコーヒーを飲みながら話ができる」
山田はウェートレスにコーヒーをふたつ頼む。
廣井
「横山がうちに来てどれくらいになる?」
山田
「まる4年になります」
廣井
「もう一人前だな、おまえんとこに2人いては工数が余分だよな?」
山田
「そうですね。一名減らすことを考えなければと思います」
廣井
「新入社員の配属にしては時期遅れなんだがね・・・今年入社した理系の男子なんだが資材に配属されたもののちょっともめてな、うちで引き取ってくれという話があるんだ」
山田
「なんとなくわかりました。つまりその新入社員を引き取って、横山を出せということですか?」
廣井
「お、分ってくれたなら話が早い。それだそれ。お前の人材再生工場の能力を発揮するときが来た」
山田
「横山を出すのはともかくとして、彼女も今まで一生懸命環境法規制や公害関係を勉強してきましたから、やはり環境に関連する業務に就かせたいですね。環境と無縁の仕事に異動しては、彼女の努力も私どもが教育したことも無駄になってしまいます」
廣井
「それは大丈夫だ。但しちょっと気になるんだが、彼女は勤務地が変わるのはどうだろう。総合職とはいえ女性だからなあ」
山田
「それは納得してもらうしかないでしょう。というか拒否するならそもそも総合職になるのが間違っていたということでしょうね」
廣井
「理屈はそうだが、万が一辞めちゃったりした時は、それこそお互いに不幸だから」
山田
「ところで勤務地はどこで、どのような処遇になるのでしょう。本社なら課長以下はみなヒラですが、彼女の年齢と実績を考えると工場にいくなら係長にしてやりたいですね。以前の森本も工場に係長で帰しましたしね」
廣井
「それは大丈夫だ。実を言って岩手工場で現場上がりの係長が来年役職定年になるのだが、その後任候補がまだ若くてつなぎが欲しいということだ。それで2年の期限付きで係長に来てくれないかという話なんだ。先方としても本社でバリバリやっている横山に来てもらって工場に喝を入れたいというのもあるだろう。
おれとしても2年後にはここに戻したい。ゆくゆくはお前の後任にしたいと思っている」
山田
「なるほど、今・・9月ですから、そうすると異動は来年3月ということになりますか?」
廣井
「いや向こうでは前任者と横山の引継ぎに時間をとりたいというので年明けに辞令を出したい。当然、こちらの引継ぎは年末までだ。時間的には十分と思うが、後任がまったくの新入社員だから引き継いでも同じ仕事はさせられないというか、できないだろうなあ」
山田
「そうですね、一人前にするには最低1年半はほしいですね」
廣井
「それはまともな奴だとしてだろう。資材でトラぶったというのを聞くといささか心配なところもある。 それともう一点別の話だが、中野君が来年春に子会社出向になる」
山田はいよいよ環境保護部も大変動があるのかと覚悟を決めた。
山田
「なるほど、中野さんも年齢からいってそうなりますか。となると私が広報担当になるのか、廣井さんが兼務するのか、それともよそから誰か来るのか・・」
廣井
「中野君の仕事は山田に担当してほしい。来年春に九州工場の辻井課長が来る。彼も課長は長いが、工場では環境管理だけでは部長のポストはない。それで本社の課長にしようという人事政策だな。本社の課長は工場の部長と同格だからな。
彼はしっかりした奴だとは知っているが、生粋の現場あがりだ。それを考慮して中野君の後任の広報ではなく、山田の後任としてグループ企業の監査と指導を担当してもらう。ということで山田は今年末までに新人の教育をすることと、今年度中に中野君からの引継ぎを完了しなければならん。辻井には来春こちらに来てから引き継ぎということになる。
まあ岡田も仕事は分ってきただろう。それに環境報告書の廃止や展示会の出展などが縮小してきたから負荷はだいぶ減ってきている」
新人が監査できるようになるまで、藤本さんのところに頼むようになるから、若干費用がかかるようになるなとか頭にいろいろ浮かんだが、そんなことは細かいことだ。その他、山田はいろいろ思うところはあったが、言っても無駄だろうし廣井はいろいろなことを考えているのだろうと思い、余計なことは言わなかった。
山田
「中野さんは当然ご自身のことをご存じと思いますが、横山には話をしてもよろしいのでしょうか?」
廣井
「それはちょっと待ってくれ。まず新人は今月から来るので、それはすぐに対応してくれ。横山の引継ぎというよりも、横山に新人教育をさせると考えればよいだろう」
人事異動
まさにミュージカルチェアーである。
椅子に座りそこねた人はだれ?

山田は考えた。自分が監査業務から広報業務に移るということは、いろいろ経験させて廣井の次の部長にさせるということなのだろうかと。部長になることは責任がますます重くなることであり、山田は特段なりたいとは思わなかった。ともかく今の話の調子では何が起きるにしても再来年の春以降のことだろう。



飯田1週間後に新人がやって来た。飯田といいマスターなので御年おんとし25歳になる。飯田は岡田が来たときよりはしっかりしているし、常識もあるようだ。
部内会議で紹介されたのち、山田は横山と飯田とで打ち合わせをした。
山田
「まず飯田さんの自己紹介をしてもらおうか」
飯田
「大学院では潤滑の研究をしていました。でも正直言っていまどきは理系で採用される過半数はマスターなので、研究所とか開発部門に配属されることはないと覚悟していました。しかし配属されたのが資材部門でして、いささか幻滅しました。それでも含有化学物質管理などならまだわかるのですが、取引先の信用状況調査だったもので、上司に異動できないかということを相談しました。なにかトラブルがあったという噂が広まっているようですが私としてはそうは思っていません。
聞くところによりますとこの職場では環境遵法の点検とか工場の指導を行っているとのことで、これもまったく知識がありませんが勉強します。勉強することは得意なんです」
山田
「まあ、どんな職場でも同じという気はするけどな。とにかくあまり力まないでほしい。短期決戦じゃなくてこれからずっと仕事をしていくわけだから。横山さんはここにきて4年になるけどもう完璧にプロフェッショナルだ。一応のことができるようになるには1年半はかかるだろう。
飯田さんの教育は横山さんが計画して指導してほしい。私の希望だが、過去に工場から教育を依頼されたときのように教育期間を1年間とかの長期ではなく、毎日少しずつでも横山さんや私の仕事を移管していくように計画してほしい。法規制やリスクに関しては短期間で習得するのは難しいから、とりあえずは監査の計画、つまり実施日程や派遣者の調整、フォロー、報告などの事務手続きを飯田さんができるように指導してほしい。できれば来月からそういったことは飯田さんにしてもらい、横山さんがそれを指導確認するようにしてくれ。
それから監査のオブザーバーとして、月に数回参加するよう計画してほしい。早い方がいいから今月から予定に入れてくれないか」
横山
「わかりました。法規制や資格取得などは次年度ということになりますね?」
山田
「次年度ということもないけど、とりあえずは少しずつでも実際の仕事をしてもらうこと。教育の計画を立てたら、横山さんから飯田さんと私に説明をしてもらいたい」
飯田
「監査に行くということは出張があるということですか?」
山田
「もちろんだ。現時点は国内だけだ。出張といっても九州や北海道ばかりでなく、日帰りとか外出程度の近場もある。ところで飯田さんが、泊りがけの出張ができないなんてことになると、この仕事は無理なんだが」
飯田
「あ、そんなことはないです。出張が多いとは楽しそうですね」
横山
「出張が楽しい人でないとこの仕事はやってられませんよ。3日に1日は出張を覚悟してね」
飯田
「ますます楽しみです」



翌日には横山は教育計画を立てて、山田と飯田に説明した。横山も段々と仕事が実践的になり、あまり大所高所なものではもなく概ね次のようであった。
  1. 過去1年間の監査報告書を読むこと。
    大体100件あり、まじめに読めば1週間はかかるだろう。
  2. 監査の関する会社規則を読んで頭に入れること。
    監査に関する仕組みを理解するには1日あれば大丈夫だろう。
    できるなら会社規則全部を読むこと。環境監査において環境以外の業務についても適正に職務が遂行されているかを見るのは当然だ。
  3. 今年度の監査計画と進捗状況を理解すること
    日常業務をしていればだんだんと理解できるだろう。
  4. 監査計画及び人員の決定については案を立てて横山に伺い出ること。
    監査の進捗フォローは今月から担当する。
  5. 環境に関する一般知識や法規制についてと資格受験については、上記が一段落してから本人と相談して進める。
横山
「飯田さん、監査の実施予定の2月前になったら、監査する工場に実施通知を出すの。それとは別に監査員を派遣する工場と監査対象の工場を所管している事業部に監査員派遣依頼を出すわけ。年度初めに計画を示しているけど忘れていると思わなくちゃいけないので・・
私たち事務局の仕事は、その工場の環境負荷、過去の監査結果、そしてその工場に関係する環境変化を考慮して、どの切り口で監査をするかを考えるわけ」
飯田
「ええと、それってなんでしたっけねえ〜、環境上の重要性及び前回までの監査の結果を考慮してなんて文句を読んだ記憶がありますが、セオリー通りですね」
横山
「へえ、飯田さんISO規格も読んでいるの?」

飯田
ISO対訳本
「先日、横山さんがISO14001とその関連規格も読んでおくといいっておっしゃったでしょう。それで対訳本を買いまして通勤のとき読んでいます。なかなか簡潔にまとまっていてためになります」

ISO規格も飯田にかかるとその程度のものらしい。
山田は脇でみていて、飯田とはなかなか如才ない男だと思った。森本や内山と違い、世慣れている。資材でもめたとはなんだったのだろうかといささか興味を持った。
資材に知り合いはいないが以前、取引先で環境事故が起きたとき山田が対策を指導したことがある。そのときの課長に聞いてみようと思い立ち上がった。



資材部に来て山田は渡辺課長を探した。いたいた
山田
「渡辺課長さん、ちょっと話できませんか?」
渡辺課長
「あ、山田課長、なんでしょうか?」
渡辺は立ち上がり打ち合わせのテーブルに誘った。
渡辺課長
「山田課長がお見えになるとは、何か問題ですか?」
山田
「そんなおおげさなことじゃないけど、このたび私どもにお宅にいた飯田って新人が異動してきたのご存知ですか?」
渡辺課長
「飯田が資材からいなくなったのには気が付いていたけど、そうかお宅に行ったのかあ〜」
山田
「今後のこともありますので、何があったのか知りたくなりましてね
渡辺課長さんなら非公式で情報が得られるかと・・・」
渡辺課長
「ああ、山田課長のお気持ちが分りました。資材部で、もめて出て行ったという噂が広まっているそうですね。本当のところ、特にトラブルとかいうことはなかったんだけどね、理系らしいというか理屈で割り切れない仕事は苦手なようなんだよ」
山田
「応用がきかないということですか?」
渡辺課長
「そういうことでもなくてさ、奴は大学院では潤滑とかの研究をしてたというけど、そういうものは感情とか人間関係でなくて、計算とか実験とかパッと決まるでしょう。それに対して、資材の仕事って理屈とか計算だけでなく、勘とか人間関係とか、前回は儲けさせてもらったから今回は妥協するかなんて総合的判断で動くところが結構あるでしょう。そういうのが肌に合わないというのかなあ〜、配属されて2月ほど頑張ったみたいなんだけど、どうもだめだって部長に泣きついたって聞く。
昔なら我慢が足りないとか言いそうだけど、本人も理系だし元々資材に配属したのがあわなかったんじゃないのかな?
論理で判断する仕事なら頭はいいやつだから大丈夫だよ」
山田
「なるほど、参考になりました」
飯田は悪い人間ではないようだが、使うときある程度ブレークダウンして仕事を与えないといけないのかもしれない。というのは現実にはどんな仕事でも理屈では割り切れないのが多い。これからおいおいと世の中の仕組みというか、ビジネスの常識を教えていく必要があると山田は思った。



飯田が来てひと月が経った。
環境保護部のメンバーが出払っていて、横山と山田しかいない午後であった。飯田は関連会社の監査に出張している。
山田は横山に声をかけた。
山田
「どうだい、飯田さんの状況は?」
横山
「大変頭の回転の速い人ですね。今では関係する会社規則はほとんどそらんじています。こんなことを言ってはなんですが、資材では新入社員教育が体系的ではなく、新人が戸惑うことが多かったのではないでしょうか? 特に偏った考えでもないし、仕事の好き嫌いがあるようには見えません。私が示したことについては、ご本人はなにも異議を唱えず一生懸命勉強しています。
既に、日常の業務、つまり監査の通知や実施の些事、フォローアップなどは一人でこなしています。もちろん報告書の中身のチェックなどはまださせてはいません。
監査立会いですが、工場と子会社の監査に3度ほど参加しました。先日子会社の監査で、水濁法の届出漏れを飯田さんが見つけたので私も驚きました。結構公害関係の法律も独学しているようです」
山田
「そうか、それは楽しみだ。もう少ししたら公害防止管理者などの資格取得計画を立てて本人に指示してくれないか」
横山
「山田さん、ちょっといいですか?」
山田
「はい、なんでしょう」
横山
「飯田さんがここに来て、私に指導というか引継ぎをさせているようですが、これって私がどこかに異動するための伏線でしょうか?
それにどう考えても山田グループに3人は多すぎますし」
山田
「うーん、まだ言っちゃいけないというか、正確に言えば未定なんですがね・・・横山さんに転勤の話があるのですよ」
横山
「転勤ですか、どちらへでしょう?」
山田
「転勤はお困りですか? 横山さんは総合職なので、転勤があるのは覚悟していると思いますが・・
岩手工場から横山さんに係長としてきてほしいという話があるのです」
横山
「へえ、係長ですか。悪くはないですね」
山田
「2年という期限つきの予定です。本社に戻ってきたら私の後任にしたいというのが廣井さんの思惑です。もっともそのときには廣井さんはいないでしょうけど。それに戻ってきたとき35歳か、本社の課長になるにはまだまだ早いね」
横山
「わかりました。転勤はいやではありません。それにそのような処遇であれば悪くないというよりも恵まれていますね。埼玉支社にあのままいたら、今でも総務部の平社員でかわり映えのない同じ仕事をしていたでしょうね。ご期待に応えるように頑張ります」
山田
「そう言ってくれるとうれしいよ。まあ、というわけで横山さんがいる間に、飯田さんに日常業務は処理できるように教えてほしいのだ」



12月の最後、御用納めとなった。
夕方、廣井がみんなを集めて部内会議を開く。
廣井
「今年もいろいろあった。お疲れ様でした。
今年最後であるがひとつ発表することがある。
1月1日付けで横山さんが転勤することになった。転勤先は岩手工場の環境課勤務となる。まだ先だけど来年3月に係長になる。横山さんを栄転で送り出せて俺はうれしいよ。
ぜひとも頑張ってほしい。では横山さんからひとこと」
横山
「仕事の関係でみなさんとはこれからも縁があると思います。
監査事務局の仕事は飯田さん、よろしくお願いします」
飯田
「うわあ、監査事務局をボク一人で大丈夫でしょうか?」
横山
「大丈夫、大丈夫、ただ飯田さんはその苦虫をかみつぶしたような顔を止めて、いつも明るい笑顔でないといけませんよ」
飯田
「わかりました。こんな顔でよろしいでしょうか」
飯田飯田
横山
「よしよし、じゃあ、あとはよろしくね」

うそ800 本日の本音
いよいよケーススタディもおしまいにしますので、環境保護部のメンバーの身の振り方をつけておきたいと思います。キャストのみなさんを幸せにしておしまいにしないと安心して眠れません。

うそ800 本日の呪い
この下書きを書いていたら我が家の固定電話が鳴った。家内が出るとかわいい娘からで、旦那が転勤になったようと悲しい声を出す。私がこんな話を書いたことによる、ウソから出たまことであろうか?
ひょっとして、私が横山を転勤させようと話を書いたように、我々人間より一つ階層が上の生き物が娘の夫を転勤させようなんて小説を書いているのでは・・・
、怖
これじゃ、誰かを死なせたりリストラするお話は絶対に・・・


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