審査員物語35 奇遇

15.07.06

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基に書いております。

審査員物語とは

鷽八百社の審査の結果、三木はいささかへこんだ。誰にとっても失敗とか負けるという経験は楽しくはない。還暦を過ぎた三木にとっても鷽八百社の審査は楽しくはなかった。単なる論争に勝った負けたというよりも、山田とのやりとりは過去の柴田とか朱鷺との間に行った規格論争よりも、もっと根源的なことであったし、後で考えると相手の論がまっとうだと思えたのがいかにもしゃくだった。いや、自分が山田のような考え方ができなかったことを悔やんだ。そうではない、自分がまっとうな考えでなかったことが恥ずかしい。
とはいえ、あの件は社内では噂にもならず、メンバーだった審査員たちともその後三木と話をすることもなかった。他のメンバーもみな主任審査員であったが、彼らの本音は鷽八百社の審査でリーダーを勤めなくて良かったと思っているようであった。
ともかく三木は審査するのが仕事であり、鷽八百の審査がどうあれ、深く考えるひまもなくそれからも日本全国を歩き回って審査をする日々であった。まもなく三木は鷽八百社のことも山田のことを忘れてしまった。
三木さん
お久しぶりです
山田です

山田課長

三木はあの件をすっかり忘れてしまったようだが、鷽八百社の体験を生かせたのだろうか?

あれからひと月ほど過ぎた。一昨日から三日間、三木は朝倉と二人で宝塚市の工場で審査していた。組織の規模から二人で2日半の審査工数で12時には審査が終わった。昼飯を食べずに会社を出た。新大阪から新幹線でまっすぐ帰れば5時すぎには自宅に着くかなと三木は少しうれしかった。
こんなに早く我が家に帰れるのはめったにない。土曜日曜は休みとは言え、日曜の夕方には翌日の審査場所へ移動することが多く、妻の陽子と一緒に夕飯を食べるなんて週に1回というところだ。

新大阪駅で降りキャリーバッグを抱えて階段を上ったところで、三木は名前を呼ばれた。
声のする方に顔を向けると、数歩離れたところに山田がにこにこして立っていた。
山田
「三木さんじゃありませんか、お久しぶりです」
三木
「あ、山田さんでしたね。これは珍しいところで・・・今日はご出張ですか?」
山田
「今日はというよりも、今日も出張ですというのが正しいですね。三木さんは出張するのが仕事でしょうけど、私も出張するのが仕事ですよ。毎週3日は出歩いています」
三木
「ほう!それはまた大変ですね。ご出張といいますと工場や関連会社の指導ですか?」
山田
「いえいえ、三木さんと同業ですよ」
三木
「同業とおっしゃると・・・山田さんも契約審査員をされているとか?」
山田
「いやISOではありませんが、環境監査が私の仕事です。一年中、工場や支社、関連会社を歩いています」
朝倉審査員
「ここでもなんでしょうから、その辺でお話しませんか?」
三木
「ああ、すみません。こちらは鷽八百社の山田課長さんだ。先日審査に伺ってお世話になりました。こちらは朝倉です」
山田
「朝倉さん、初めまして、そいじゃその辺に入りましょうか?」

山田はふたりの前をスタスタと歩いて、コンコースの中にある小さな居酒屋というか食堂というかそんな店に入った。
時間的にお昼と夕方の間で店はすいていた。3人は狭いテーブルに座った。三木と朝倉はけっこう大きなキャリーバッグを持っていたが、山田は通勤に持ち歩くくらいの大きさのソフトアタッシュだけだ。
とりあえずビールとすぐ出るつまみをいくつか頼む。朝倉と山田は名刺交換をする。
三木
「しかしこれだけの人ごみの中で、よく私に気がつきましたね」
山田
「ご自身は気が付かないかもしれませんが、審査員は見てわかります。だいたいがキャリーバッグを持っています。いまどきですからクールビズですが、失礼にならないようにキチッとした服装をしている。だいたいが年輩でしかし矍鑠としていると・・まあ、私がいつも審査員と相対しているということもあるでしょうけど」
朝倉審査員
「蛇の道は蛇ですか」
ビール
朝倉もなかなか如才ない。
ビールがやって来た。三人は乾杯をしてまた話をする。
三木
「先日の審査のとき、横山さんから山田さんはISO規格がお詳しいとお聞きしましたが、どのような経歴なのですか」
山田
「環境部門に来てまだ4年くらいですよ。それまでは営業におりました」
三木
「ほう!営業ですか、私もこの仕事に就く前は営業部長をしておりました」
山田
「三木さんのことですから、きっとやり手の営業部長だったのでしょうね」
三木
「まあ人並みではあったと思います。残念ながら役職定年というものがありまして、まあこれもどこでも同じでしょうけど、それで関連会社に出向かと思っておりましたら、思いもかけずに審査員になれと・・」
山田
「そうでしたか、そういう人事処遇はどこでも同じですね。おっと、私は部長どころか役付でありませんでしたし、役職定年よりもはるかに若かったです。実を言って営業の落ちこぼれで、自分から転属願いを出しまして環境保護部にやってきました」
三木
「ご冗談を、先日の審査では山田さんからいろいろとお教えいただきまして浅学を悟りました。山田さんはどなたか師と言いましょうか名のあるコンサルなどの指導を受けたのでしょうか?」

朝倉も山田に興味を持った風でしっかりと聞いている。
山田
「まったくそんなことはありません。先ほども言いましたが私は営業の落ちこぼれでして、環境保護部で定年になる方の仕事を引き継ぐ予定でした。その仕事というのがISO事務局だったのです」
三木
平目さんのことですね?」
山田
「そう、平目です。」
三木
「それじゃ仕事は平目さんから教えてもらったわけですか?」
山田
「うーん、まあそう言えばそうなんでしょうけど・・・・平目はその辺の本に書いてあるように、環境側面は計算で決めるとか、環境方針は規格の項番とおりに作るものだとか、まあそういう方でした。
私が引き継いだ時にちょうど社長が代わりました。前の社長はなんでもサインしてくれる方でしたが、新社長は本音、実質という方でしたので、そのような稚拙な方針にはサインしてくれませんでした。あのときは参りましたね」
三木
「すみません、社長がサインしてくれないというのはどういう理由でしょうか?」
山田
「ISO規格の文言の末尾を『すること』から『します』と変えただけの、どこの会社も同じような方針でしたので、社長はそんなものにサインするのは恥ずかしいと、はっきり言えば叱責されました」
朝倉審査員
「興味深い話ですね。私も毎日審査していますが、ほとんどの会社はそういう環境方針ですね。山田さんはそれでどうしたのですか?」
山田
「自分で考えるしかありませんでした。平目には頼れません。彼に考えがあるはずがありません。廣井は当時課長でしたが、廣井はISOのマネジメントシステムというものはないという考えなのです」
朝倉審査員
「ISOのマネジメントシステムというものはないというのはどういうことでしょうか?」
山田
「文字通りそのようなものはないということです。会社は以前から存在し機能していたわけです。とすると明文化されているか不文律かはともかく、会社には実際に仕事をする仕組みがあるわけです。そして当社の場合、それは会社規則として文書化されているということに思い当たりました」
三木
「もちろんどの会社だって仕事のプロセスは存在していたでしょう。でもそれがISO規格を満たしているかどうかはわかりませんよね」
山田
「もちろんです。しかし発想として、ISO規格にあるからそれに見合ったことをしようというのと、従来からしていたことのなかからISO規格に見合ったことを選び出そうというのは、アプローチがまったく違います」
朝倉審査員
「ちょっとちょっと、山田さん、その発想はまっとうだと思いますが、環境側面とか環境目的・目標なんてのはISO以前はなかったのではないでしょうか?」
山田
「ISO規格を何か新しいツールとかアイデアと考えるとそう思えるかもしれません。しかし良く規格を読めばISO規格に新しいアイデアなんてひとつもなく、過去から考えられていた仕事の基本の集大成に過ぎないとうことに気が付くでしょう。そしてビジネスの基本は100年前から変わっていません」
朝倉審査員
「ちょっとまって、環境側面は全く新しい概念だと思うのだが」
山田
「そんなことありません。環境側面という語を当てたのは間違いというかミスだったでしょうね。いや日本語だけでなく英語でもアスペクトという語を使うまでもなかったのですよ」
朝倉審査員
「山田さんはだいぶ自信があるようですね。山田さんが考える環境側面とは何でしょう」
山田
「簡単ですよ、管理しなければならないものです」
朝倉審査員 「管理しなければならないもの!
山田
「環境側面とはその定義とか環境側面の項番を読んだだけではわかりにくいのです。それははっきり言ってISO規格が未熟というか未完成だからでしょう。要するに順序良く読んでいっただけでは理解しにくいのです。全部読んで考えてはじめてわかるというか・・
それはともかく、規格の他の項番で環境側面に関してどのようなことが書いてありますか?」
朝倉審査員
「うーん、手順を決めろとか教育訓練しろとか・・・」
山田
「そうでしょう、つまりちゃんとしないと問題が起きる、だから管理しろと言っているわけです。環境側面とは管理しなければならないものなのです」
三木
「ところで著しい環境側面を決定する方法というのが、私自身いまだに分らないのだが・・・」
山田
「点数で決めるという発想は100%間違いでしょうね。なぜなら一定以上なら管理するとか、何番目まで管理するという発想はありえないからです」
三木
「点数法が間違いだとは私も思っていた。つまり廃棄物と電気に採点しても、その点数の重みを合わせることができるはずがないと思っている」
山田
「そういう発想もあるでしょう。でももっと平たく考えると、廃棄物で管理しなかったら法違反を起こす恐れがあると考えられるなら、それは即著しい環境側面であるはずです。また省エネ法に該当するだけの電気を使用しているなら、計算するまでもなくそれもまた著しい環境側面であるはずです。
そう考えると三木さんが心配されている廃棄物の影響と電気の影響を比較する必要がありません。電力使用量に年間1億払っていて廃棄物処理費用は年間500万だとしても、廃棄物処理が不適切なら手が後ろに回ります。だったら量とか金額に関係なくそれは重要じゃないですか。著しいかどうかは絶対値を評価するのであって、他との相対値じゃありません」
朝倉審査員
「環境側面に順位を付ける必要はないのか?」
山田
「管理しなければならないから、管理するというだけです。他の物より重要だから管理するのではありません」
三木
「そこんところが・・・・その発想は分るのだが、そうすると環境側面の数はむやみに増えることもある」
山田
「増えちゃ困るということもないでしょう。管理しなければならないものがたくさんあるなら、そのたくさんを管理しなくちゃならないってことでしょう。
ウチの関連会社でのことですが、著しい環境側面は上位20位までにするというルールを決めたところがありました。ああ、もちろん実際には法に関わるものなどは著しい環境側面にしなくても手順を定めて運用しているのですがね。ISO審査用の著しい環境側面は20個で打ちとめというわけです アハハハハ」
三木
「どうしてそれがおかしいのですか?」
山田
「だって管理しなければならないものが21個あっても、著しい環境側面を上位20位までとすれば21番目は管理しなくて良いのですか?」
朝倉審査員
「管理するとは・・・ああ手順を決めて教育してその通り運用するということか」
山田
「逆の場合、例えば著しい環境側面が19個しかないとき、20番目をメダリストに繰り上げて管理しなければならないということもないでしょう」
メダル

山田の言葉を聞いて、三木はISOってそんなに簡単なものなのだろうかと疑問に思う。
三木
「環境側面はともかく、教育訓練は元からしていたとしても自覚という発想はなかったんじゃないかな?」
山田
「そんなことありませんよ。山本五十六・・・昔の司令長官ご存知ですかね?」
朝倉審査員
「戦後生まれの私だってイソロクくらいは知っているよ」
山田
「そいじゃ、『やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ』って名言がありましたね。本当に山本長官が言ったかどうかわかりませんが」
朝倉審査員
「ああ、それ聞いたことがあります、しかしそれが・・・?」
山田
山本五十六 「それこそ自覚と教育訓練じゃないですか。言って聞かせるが自覚であり、やってみせ、させてみせが訓練でしょう。褒めてやるのはモチベーションでしょうか。
ともかく人に仕事をさせるということに関しては昔からセオリーがあったのですよ」
朝倉審査員
「ちょっと待ってください。自覚とは教育訓練を必要としない一般従業員に対する教育でしたよね」
山田
「ちょっとちょっと、朝倉さん、そんなことを聞くと朝倉さんの審査に不安を持ちますよ。おっと、気を悪くしないでください。自覚とはテクニックだけでなく、仕事の意味・重要性を理解しなさいということですよ」
朝倉審査員
「ええ、そうだったのか!」
三木
「自覚の解釈は審査員によっていろいろあるんですよ。朝倉さんの言ったように著しい環境側面に関わらない人が理解しなければならないことという見解もあるのです。あるいは訓練が必要でないものは自覚させるのだと考えている人もいる」
山田
「まあいろいろな考えがあっても私はどうでもいいですけど」
三木
「とはいえ、山田さんは自分の会社の審査で、そんなおかしなことを言われたらバサットと切り捨てるんでしょう」
山田
「さあ、どうですかねえ。
話を戻しますが、環境方針に社長がサインをしてくれないのは当たり前だと思いました。あのような稚拙な文章に東証一部上場で一兆円企業の社長がサインするなら、その会社の先行きが心配です。ISOの前に常識、社会通念、法律などがあって、それらを踏まえて考えればそんな環境方針がダメダメってのはわかります」
三木
「ではどうすれば・・・どうしたのですか?」
山田
「社長ともなれば己の思いを全社員、いや関連会社を含めたグループ全体に伝えて、その実現に協力を求めるはずです。実際にそうしなければ社長になった甲斐がありません」
三木
「それが環境方針でしょう」
山田
「1996年にISO14001規格が現れるまで、いや1991年に経団連の地球環境憲章というものが現れるまでは、環境方針という言葉が使われていたとしても非常に珍しかったでしょうね。社長は環境に限ってその意思を明示するということはあまりなかったのではないでしょうか。普通、社長は環境だけでなく事業全般、いや事業の周辺まで含めた全体について、自分の意思を徹底し、自分の理想を実現しようとしてきたはずです。方針とはそういうものですよね」
朝倉審査員
「そんなものがあるのですか?」
山田
「どの会社だってあるでしょう。社長就任時の挨拶、お正月の挨拶、年度方針、そういったものです」
朝倉審査員
「そんなあ〜、それが方針なのですか?」
山田
「そこにはこの会社は何を実現するために存在するのか、その理念、長期ビジョン、短期の目標、遵法、安全・衛生、品質、社会貢献など、そして環境も盛り込まれているはずです」
朝倉審査員
「だが規格の項番にリストされているものすべてがあるのかな?」
山田
「そりゃISO規格のために方針を作ったわけじゃありませんからね、従来の環境に関する方針がISO規格と一致していたということはないでしょう。
それにISO規格が固定しているわけじゃありません。ISO14001は今まで1度しか改定されていませんし、方針の項目は2004年改定では変わっていません。しかしISO9001は1994年改定でも2000年改定でも方針の個所は変わりました。でもね、ISO規格が改定になったらその会社の方針を見直さなければならないと考える人がいたら・・・いやそういう人が多いですけどね・・・それっておかしいと思いませんか?
会社の事業よりたかがと言っては悪いけど、ISO規格を優先するのかと呆れますよ
まあ、話を戻せば方針の中に文字になっていなくても意図が読み取れたらいいじゃないですか、どっちにしろ方針とは詳細ではなく、方向を示すものなのです。方針とは元々は磁石の針の向きの意味だそうです」
三木
「いろいろとお話を聞くと、山田さんは従来からあるものの中にISO規格を満たしていることを見つけるということですね」
山田
「そうです。もともと企業は生き物です。外部からの影響、内部事情の変化などを受けて、それに適応してきたわけです。ダーウィンの適者生存そのものですから、そうでなければ生き残れません。とすると現在の仕組みが最適化されているとみなしておかしくない」
三木
「いや待ってください。ISO認証を機に会社の仕組みを改善するという考えがあります。現状を最善とみなしては向上がありません」
山田
「論点がふたつあります。会社は改善しなければならないのかということと、ISO規格は改善する力があるのかということ
改善については今も言いましたが、会社に限らずすべての組織は常に自己改革をしています。しかしその改革は最善を目指しているのではなく周囲の環境に適応するためなのです。そのときISO規格に沿っていなければならないということはないでしょう。
ISO規格は改善のツールになるのかといえば、それもまたどうでしょう。ISO規格は要求事項、すなわち仕様書で方法を示してはいません」
三木
「山田さんはISO認証しても会社が良くはならないとお考えですか?」
山田
「ISO認証すると会社が良くなると考えること自体おかしいと思いますよ。
ああもちろん会社によっては、つまりISO規格以下の場合はISO規格レベルまでは改善するでしょう。そうでなければ認証されないわけですから。でもそういったケースでもISO規格レベルになればそれ以上に改善するはずがありません。審査員は経営コンサルではないのですから。
ああ、朝倉さんや三木さんが経営コンサルの能力があっても、指導することはIAF基準違反ですからね」

三木は山田がなぜこうも常識だけでISOを理解できるのか分らない。彼の考えが正しいのか、それともまったく見当違いの解釈なのか?
山田はISO規格を理解していないのか、審査員研修を受けたことがあるのだろうか。
三木
「山田さんは審査員研修を受けたことがありますか?」
山田
「あります、環境保護部に異動になった直後ですからもうだいぶ前ですね」
三木
「山田さんのお考えは私が研修で習った規格解釈と相当違いますが、山田さんはどのようにしてそのお考えに至ったのですか? 先ほどは、どなたにも師事したことはないというお話でしたが」
山田
「審査員研修はためになりましたよ。審査員のお考えを知るにはとても有効でした。もちろんISO規格を理解するには有効じゃありませんでしたね。
冗談ではなく本当のことを言いますとね、私は環境に来たとき全く何も知りませんでした。廣井は私を戦力になると思っていませんでした。なにせ営業の落ちこぼれを引き取ったといういきさつでしたから。彼はISO事務局くらいなら勤まるだろうと思っていただけでした。廣井から見ればISO事務局とはその程度のものです。で、平目のしていたことをそのまま引き継いでくれれば良いと考えていたんです。
ただ私は決まった手順でやれといわれても、その仕事の手順や基準を納得しないと仕事ができませんでした。ISOでは仕事をするのには自覚せよとありますが、私の場合は自覚しなければ仕事ができなかったのです。
そうそう、異動した直後に順守評価の記録を作れと言われました。平目は各職場にメールで評価表を送ってチェックさせろと言ったのです。それが順守評価になるのかと疑問でしたね。それで従いませんでした。常識で考えて、どうすれば関係する法規制を守っているかどうかの確認になるのかと考えました。自分なりに方法を考えて、それを実施させました。平目には文句を言われましたけど」

三木は山田の言葉を聞いてしばし黙ってしまった。
朝倉は話すきっかけを待っていたようだ。
朝倉審査員
「話は変わりますが、山田さんは法律をどのようにして勉強されたのですか? 私は元々安全衛生関係担当で環境法規制を全く知りませんで、覚えるのに苦労しました。おっと、いまだ修行中ですが」
山田
「なにごとにも好奇心、向上心だと思います。
営業にいた時、お客様のところを歩きましたが、顔を出すといろいろと聞かれました。仕事のことでしたらリース契約とか、リース品の廃棄についてとか、庶務の女子社員からは契約書の印紙について知っているかとか実印の使い方とか、個人的なこともありました。相続税がどうかとか、興信所を頼みたいがどこか知っているかとか
知っていることはその場でご説明しましたが、知らないことも多いですよね。そんなとき申し訳ないですが知りませんで終わらせればそれまでですが、私は帰るとすぐに調べて手紙なり電子メールでお答えしました。ほとんどすべてに、
その結果、自分自身の力が付いたと思います。知識が付いただけでなく、ものごとを調べる力、営業の力もついたと思います」
三木
「そんな山田さんだったら営業の落ちこぼれになるはずがないよ」
山田
「いえ、それは本当です。私の問題はお客様が欲しいものではなく必要なものを売ろうとしたことでしょう。その結果、欲しいものを売る人よりも成績が上がらなかったのです。もちろん長期的に見てくれれば当社にもお客様にも貢献したと思いますが」
三木
「お客様が欲しいものと必要なものとは同じじゃないのかね?」
山田
「いえ、違いますよ。お客様は自分が必要としているものをご存じないことも多いのです。またちょっと違いますがどうせ投資するなら少しでも大きな予算をとりたいってこともありますね。後で償却することに思いよらないのですかね。
私はお客様がしたいことを最小の金額で実現することを提案しましたが、そういう金をかけない地味な方法はあまり好まれませんでした、お客様からも上司からも」
三木
「なるほど、そこの提案をもっとうまくやればすばらしい営業マンになれたかもしれないね」
山田
「過去の話ですよ。ともかくものの見方というほど大げさではありませんが、目的は何かをはっきりと把握しないで進んではいけません。ISO14001の目的は遵法と汚染の予防だと序文にあります。ですから本文を読むときは常にそれを念頭に置いて、規格要求はすべて規格の目的である遵法と汚染の予防の実現のためだと読まなければなりません。とするとおかしなというか本質から外れた解釈をすることはないだろうと思います」
朝倉審査員
「すまん、実際問題としてそういう発想をすれば規格を読むときに違いがあるという意味が分らんが」
山田
「そうですねえ〜、著しい環境側面を決定することを考えましょう。環境側面の定義と環境側面の項目を読んでも、いったい環境側面とはなにかということがわかりません、少なくても私には
理解するには逆引きしなくちゃならないんです。ISO規格がおかしいんですね、未熟というよりも未完成なのかもしれません。
ともかく、著しい環境側面になったものには教育訓練をしなくちゃならない(4.4.2)、外部・内部コミュニケーションを図らねばならない(4.4.3)、著しい環境側面に関係する運用のための文書・記録を作らなければならない(4.4.4)、著しい環境側面は手順を決めてしっかりと運用する(4.4.6)、経営者は著しい環境側面に関する法規制や世の中の動向を把握しておくこと(4.6)とあります。
でも点数を付けて決めるとは規格にありません。ということは環境側面で大事なことは、管理しなければならないことであるということは先ほど言った通りですが、決める方法はどうでもいいことじゃないですか」
朝倉審査員
「それがどういう・・・」
山田
「先ほど言いましたように素直に規格を読めば、審査員研修の講師が点数で著しい環境側面を決める方法を語ろうと、審査で審査員が点数でなければならないと不適合だと言おうと、まったく間違いだと気が付きます。間違いなら採用しないだけです。もちろん反対のための反対じゃ子供です。私の場合は、自分の会社の仕組みを悪くしたくないというのが本音ですね」
三木
「著しい環境側面を点数で決めたら会社の仕組みが悪くなるのですか?」
山田
「正直言えば、それはISO審査で見せるシステムが実体か、バーチャルかによって異なります」
朝倉審査員
「実体かバーチャルか?」
山田
「私の見るところ、日本でISO認証している企業の過半数はバーチャルなシステムを説明していると思いますね、いやそうだと断言しましょう」
三木
「山田さんのいわんとするところを正確に理解したかどうかはわからないが、私も審査している会社で見せてもらった文書とか記録は実際の仕事には使われていないという気がしているよ」
朝倉審査員
「ああ、そういう意味ですか・・・なるほど、環境側面なんていっても実際の現場では使われている言葉じゃありませんしね。となると著しい環境側面一覧表というのはなんのためにあるのかと・・」
山田
「はっきりしているじゃないですか、審査員のために作っているんですよ。先日は三木さんのグループにだいぶ問い詰められましたが、審査員のお方は自分が審査している書類の重要性をどう考えているのでしょうね」
三木
「山田さんは辛口だが、それでもまだだいぶオブラトに包んだ外交辞令ですね。先日は審査員が理解するために作っているとおっしゃったような気がする。
ひょっとして山田さんはISO審査をばかばかしいお芝居だと思っているのではないのか?」
山田はニコニコして何も言わなかった。
朝倉審査員
「話を戻すと、なんですか、ISO認証をバーチャルな仕組みで認証しているなら審査に合格するためになにをしようとかまわない。しかしISO認証の仕組みが実際に会社を動かしているなら、点数で環境側面を決めるようなことをしていたら会社を悪くするということですか」
山田
「おっしゃるとおり。先ほども言いました例で言えば点数上位から20番目までを著しい環境側面にしたとすると、21番目以降は著しいものではなくなり、それがそのまま管理や運用に展開されていくなら、該当項目は管理されないことになり、法違反や事故発生の潜在的原因になるでしょう」
三木
「私も前から思っていたんだが、点数法を取っている会社では点数で著しい環境側面を決めているのではなく、著しい環境側面だと彼らが思っているものが高い点数になるようにしているだけなんだよね」
朝倉審査員
「私もそう感じてます。ということは点数法の考えそのものが間違いってことでしょうか?」
山田
「安全衛生の分野でも危険性とか発生頻度などで点数を付けて、重点管理項目なんて決めているのを見かけます。あれも間違いですよね」
朝倉審査員
「待ってください、安全衛生は私の本職でした。安全対策などは点数で評価して重大なものから手を打ってきましたが、そういう方法を間違いと言われると納得できません」
三木
「私も環境側面を点数で決めることには違和感がありますが、そういう方法がもっとも基本的かと思っていましたが」
山田
「点数を付けるというなら、点数に確固たる根拠がなければなりません。中西準子という大学の先生をご存じでしょうか。ああいった研究を見ると分りますが、予防接種などある対策をすることにより死亡率がいかほど減り、その代り副作用の被害がいかほどあるか、国全体でみるとコストがいかほど変化するかということを数字で評価しています。あるいは延命する長さと副作用による死亡率の変化など、
だからその施策をすべきか否かとか、施策1と施策2の比較ができるのです。作用と反作用をビジブルに比較できるから。
安全衛生のテキストや実例をみましたが、そういう理論的裏付けがありません。重大なものに大きな点数をつけるとか、発生頻度が少ないものには小さな点数なんてありました。じゃあ4点と2点は2倍の関係なのかというと、その根拠はないようです。発生頻度が一桁違うのを2点と3点にするというのも納得できませんね。
中西先生のように数字に実際の調査データなどの根拠があれば、被害額なり改善額は論理的にはっきりします」
朝倉審査員
「なるほど、そう言われると労働安全の点数法もいい加減と言えばいい加減だなあ〜
だけど・・・そう言われてしまうと未知の分野とか情報が不足しているときどうすればいいんだ」
山田
「現実問題としてそういうことは常にあります。というか会社だけでなく人生とはそういうものでしょう。情報不足のなかで決定し、フィードバックをかけようとしても時定数が大きすぎたり小さすぎたりしてますます混乱していきます。まあそれが現実です」
三木
「誰だっけ、戦闘は錯誤の連続で、それを素早く見つけ、ただした者が勝利するといった人がいたな」
朝倉審査員
「三木さん、それって、戦闘は錯誤の連続であり、より少なく誤りをおかしたほうが勝利するじゃなかったかな、なにかミッドウェーの研究報告にあったような気がする」

注:「戦闘は錯誤の連続なり、錯誤を速やかに発見し、修正したものが勝利を得る」とは小野田寛郎の「たった一人の30年戦争」(1995、ISBN4808305356、東京新聞、p.179)に、「旧ドイツの兵学書にあった」と書かれている。
一方、「戦闘は錯誤の連続であり、より少なく誤りをおかしたほうにより好ましい帰結をもたらすと言われる」は「失敗の本質」(1991、戸部良一他、ISBN 4122018334、中央公論)の97ページ中にでてくるフレーズである。
どちらが先なのか、別々に考えられたのか私は分らない。しかし言い回しは似ているが、意味するところはまったく異なる。前者の方が行為者に主体性があるので私は好きだ。
だって考えてごらんなさい、戦争を人生に、勝利を幸せに読み替えると、「人生は間違いの連続で、間違いに気がついて改めることができた人が幸せになる」という文章と、「人生は間違いの連続で、間違いが少なかった人が幸せになる」とを比較したら、私は絶対に前の方をとりたい。前者は本人の意思と行動によって結果が決まるという教訓であり、後者は何の教訓もないただの運命論だ。

*(2015.07.09一部修正)
この文を書いたのち、読んだことのない本から引用するのは無責任だと反省して、図書館から借りて「失敗の本質」を読んだ。読んだ甲斐はあったと思う。本質的なことではないが、上記文言を原本に合わせて若干修正した。ところで元々の文章は口語的であっても、引用する人は文語体にするが多いようだ。文語調の方がありがたみがあると思うのだろうか?


山田
「それは面白いお話ですね。我々は錯誤が少なくあってほしいなんて僥倖を願ってもしょうがありません。だから考えるのです。情報がなければないなりに常識をフルに活用すべきでしょう。少なくても私は神仏におすがりする気はありません。そして人事を尽くした後は天命を待つのです」
三木
「常識?」
山田
「そうです。そもそも著しい環境側面とは管理しなければならないものであるなら、どういったものが管理しなければならないのかと考えれば、何よりも先に過去に問題が起きたものを取り上げることになります」
朝倉審査員
「というと?」
山田
「過去に違反を犯したもの、事故が起きたものは間違いなく著しい環境側面です」
三木
「なるほどと言いたいが逆は真ならず、過去に違反を犯していなくても事故を起こしていなくても、隠れた著しい環境側面があるかもしれない」
山田
「その通り、しかし過去に問題を起こしたものは間違いなく著しい環境側面です。それは事実が証明しています。最低限そこから始めても大きな間違いではないでしょう。後で気が付いたものを追加していけばよいだけです。
しかしいい加減に設定した点数が大きいものが著しい環境側面であるという保証はありません」

朝倉は黙って何か考えている風だった。
三木は腕時計を見る。もう40分ほど話し込んでいた。そろそろ新幹線に乗らないと家内と一緒に夕飯を食べられない。

三木
「おお、だいぶ話し込んでしまいました。山田さんいろいろためになるお話ありがとうございました。機会あればまたご指導をお願いします」
朝倉審査員
「山田さん、ひとつだけ質問をさせてください。
有益な側面というものをどうお考えですか?」

山田は笑った。
山田
「有益な側面ですか、最近よく耳にしますね。何度も言いますが、私は環境側面とは管理しなければならないものと考えています。それを管理しないと問題が起きたり損失が発生したりします。正しい手順に従って管理していれば問題は起きず利益がでるでしょう。そういうふうに考えると、有益とかプラスというのは環境側面を管理した結果でしょうね。環境側面にはプラスもマイナスも色がないんですよ。
有益な側面、なものありませんよ 1000

日本銀行券
★★千円

★★DE6289000
お金はあったほうが良いと思うかもしれませんが、遺産相続したら相続税が払えないということもあります。資産運用した結果、大損害ということもあるでしょう。利益が出た損が出たというのはお金がプラスだとかマイナスだったからではありません。運用次第です。環境側面だって同じで、それが良い悪いではなく、それをちゃんと管理したかしていなかったかでしょう。
はっきり言いますとね、コンサルとか審査員研修機関が有益な側面という新しいアイデアで、金もうけをしようとしたんじゃないですか。少なくてもまっとうな人、例えば寺田さんはそんなものはないと語っています」
朝倉審査員
「なるほど・・・・」

割り勘で支払って店を出て、三木は山田に声をかけた。
三木
「我々はこれから三日ぶりに自宅に帰るのですが山田さんの予定はどうなのですか?」
山田
「昨日、今日と大阪市内の関連会社の監査でした。今日は和歌山に泊って、明日、仕事したのち夜帰る予定です」
朝倉審査員
「それにしてはずいぶん身軽ですね」
山田
「みなさんはマニュアルとかさまざまな資料をお持ちですが、私は身一つですからね、」

その言葉は三木にはキツイ皮肉に聞こえた。
山田はマニュアルも、法規制一覧表も、環境側面一覧表も、有資格者一覧表もなく、自分の知識と才覚で監査をしている。そして監査結果に責任を負うのだ。それに比べて自分は関係資料を事前提出してもらいオーデタビリティが高い楽な審査をしており、その審査結果にはなんら責任を負わない。
先日の鷽八百社の審査で、鷽八百社にいかほどの貢献をしたのか三木は分らない。向うから見たらなにも効果はなく、ただ250万円を支払っただけではないのだろうか。そのお金は業界の付き合いのためなのか、登録証になにかごりやくがあるのか、なんだろう。
山田はもめなかっただけ昨年よりも良かったと思っているのだろうか。

うそ800 本日の錯誤
情報不足で間違うのはやむを得ないとも考えられる。だが毎度のことではあるが今回も自主規制である1万字を軽く超えた。それは錯誤ではなく単にキーボードが滑ったからであろう。

うそ800 本日の挑戦
今回はつっこみどころ満載だ。
環境側面は点数で決めるべきだ、有益な側面を知らないのか、自覚はどう解釈するのか、外部コミュニケーションとは環境報告書を出すことだなどと、私と正反対の主張をされる方は大勢います。そういった方々は、おばQはISO規格をまったくワカッテオランとお怒りのことでしょう。
撒き餌は十分でしょう。ご異議をお待ちしております。



外資社員様からお便りを頂きました(2015.07.06)
こんにちは いつも本旨と関係ないコメントで済みません。
営業の落ちこぼれと言いつつ、「お客様が欲しいものでなくて、お客様に必要なものを売っていた」「お客様は必要なものを知らない事がある」。 これは重みのある話ですね。
私の仕事である試験会社でも、同じ事を感じています。
試験をお金を払って受けながら、不合格項目の記載は消してくれといわれることもあります。 試験は、製品の問題を見つけるためなので、当然 話し合いになります。 このような場合に、社内の品質部門や請負先に対して不合格であると困るお客様ならば、当然に「無かった事」にしてほしいのです。
一方で、試験会社の役割や、問題抽出という立場で考えれば、本当は必要な事なのです。
試験に限らず、目的や立場を変えてみれば、担当レベルの利害と、会社の利害が相違する場合は、ビジネスではよくある事だと思います。
そうした問題にしっかりと対応できるかが、マネジメントの役割と思いますし、山田の会社は社長の意図が実現されている点からもマネジメントが健全に働いているのだと感じました。
ところで、「山本五十六」の話で出てきた海軍軍人の写真が気になります。
これは山本五十六さんなのですよね、全く知らない写真なので、どのような状況での写真がご教示頂けると嬉しいです。

外資社員様 毎度お便りありがとうございます。
お客様というのはISO規格では後工程のことを意味します。当然、「お客様が求めるものではなく、お客様が必要とするもの」という文章でも、お客様の代わりに後工程を代入して成り立ちます。
私は営業部門にいたことはありませんが、会社で半世紀働きました。後工程というかアウトプットを受け取る部門や上司から指示を受けたとき、それが本当に相手が必要としているものかと考えると、本当に必要なものは違うと考えたことは多々ありました。私は決して黙っていない人間なので、こうした方が良いのではという意見を言いましたが、みなさん自分の考えを否定されたように感じてそういう行為を嫌悪しますね。要するに言われた通りやればいいんだという思いが強いのです。
まあ、そんなことばかりでしたので結果は見えてました。まあ普通の人間は、命令したことをひたすら愚直に行う方が、いちゃもんをつけてくる人間よりも好ましいのでしょう。
ということの類推から営業のお話を書きましたが、現実の営業の場ではどうなのでしょうか?
いずれにしても正義感が通用しないこともあるでしょうし、矜持を貫かぬと最終的には自分が罪を負うということもあるでしょうし、なかなか人生は面白い、と開き直るしかありません。
写真はネットでは五十六さんのお姿として至る所に流通していて、著作権も分りませんが引用しました。五十六さんではないと言われるとそうかもしれません。すみません。
ところで外資社員様のことですから、錯誤のお話の出所についての突っ込みかと恐れました。


外資社員様からお便りを頂きました(2015.07.07)
錯誤のつっこみ:トンでもありません、隙がありません。
戦争そのものが錯誤ですから、戦争で錯誤が少ない方が勝つのは原理だと思います。
山本五十六の写真は、ソースが気になったので教えてほしかったのです。

毎度ありがとうございます。安心しました。
外資社員様からお便りを頂きますと、ありがたい反面、なにか不具合があったかと動悸が激しくなります。
審査員相手なら口でどうにでもなりますが、現役経営者相手では言う前にやってみろと言われたらお手上げです。

審査員物語の目次にもどる