審査員物語60 余日

15.12.14

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

ここ数か月、三木は毎日定時に退社している。辻堂の自宅に着くのは7時、40年近いサラリーマン時代を通じてこんなに早く帰ったことはなかった。サラリーマン人生最後の数か月くらいは、少し怠けても神様はお許しになるだろうと三木は割り切っている。
ある日、帰宅すると玄関に出迎えた妻の陽子は感情のない顔をしている。

三木
「どうかしたの?」
三木の家内です
「六角さんてご存知ですよね?」
三木
「ああ、私が審査員に出向しろと言われたときご相談させてもらった方だね」
三木の家内です
「あの奥様がだいぶ長い間、卓球クラブに姿を見せてなかったんですけど、今日久しぶりにお顔を出されて、旦那さんお亡くなりになったそうですよ」

三木は絶句した。10年前自分が審査員に出向しろと言われたときに相談に行ったのが初めてで、その後数回会っていた。そういえば一度は新幹線の中で偶然にも会ったことがあったっけ。
三木
「ということはとうにお葬式は済んだということか」
三木の家内です
「お亡くなりになったのはもう3月ほど前で、その後いろいろとお片付けとかされて一段落したので卓球クラブに来たということでした」
三木
「あの方にはあの後もいろいろとお世話になったんだ。ご迷惑じゃなければ線香上げに行きたいなあ・・今もあのときお邪魔したところにいるんだろうか?」
三木の家内です
「そのようですよ。来週またクラブに来るでしょうからお話ししてみますね」
三木
「ああ、頼むよ」


三木夫婦は翌週末に六角氏の焼香に行くことになった。
前回訪問したのはもう10年前になる。イヤハヤ時のたつのは早いものだと三木は思う。乗っている車もあの時の次の次2台目になる。自分だって53だったのが今はもう63。審査員をしていた10年間はどんな意味があったのだろう。もし審査員にならないで関連会社に行っていたらまた違った人生があったのだろうか。
六角氏
線香

そんなことを思いながら六角氏の奥さんに挨拶し線香をあげる。
お茶を飲みながら奥さんがいろいろとお話をするのを三木は聞いていた。
六角氏は三木よりも6つ上で享年69歳。57歳で審査員になり、60で定年になったのちずっと契約審査員をしていた。昨年の暮れの定期健康診断で精密検査と言われ、紹介された大学病院にいったら手遅れだったという。50過ぎてからは健康に気を使っていたけど、若い時は酒もタバコも仕事もめちゃくちゃやってましたからねと奥さんが言う。
確かに三木も20代30代は今では考えられないようなことばかりしていた。徹夜麻雀付き合えとか、酒飲めないのはダメだなんて今じゃ通用するはずがなく、強制したらパワハラと断罪される。1970年代は、21世紀の倫理とか常識では測れない。まあそんな状況を自分自身も楽しんでいたこともあるにはある。

六角の奥さん
「私は早く仕事を辞めて好きなことをしたらと言ってたんですが、趣味のない人だったんですよね。仕事を取ったら何も残らないような人で、ずるずると審査員をしていたのですが、本人にとっては仕事が好きだったんだろうし、あれでよかったと思うしかありません」
三木
「我々の世代は遊ぶのが苦手というか、遊ぶということを知りませんからね。ゴルフにしても仕事がらみでしたし、仕事をすることしか頭にないのかもしれません」
六角の奥さん
「審査員になった頃は子会社の役員になれたら良かったなんて言っていましたが、子会社の役員になっても定年があります。せいぜい63・4まででしょう。その頃になると審査員になれて良かった、俺はいつまでも仕事ができると自慢してました。
最近は契約審査員の仕事が減ってきましたし、日当というんでしょうか、それもだいぶ下がりましたが、数年前までは定年退職者にしては破格の賃金でしたから、本人は満足だったでしょうね」
三木
「仕事が趣味の六角さんは引退するのが嫌だったのでしょうね。実は私も今まさに審査員を辞めようと考えているところです」
六角の奥さん
「三木さんはどのようなご趣味をお持ちですか?」
三木
「えっ、そう言われると私も趣味などありましたかね。やはり仕事が趣味としか・・」
三木の家内です
「お父さんは無趣味無芸ですからね。老後はいつまでも仕事なんて言っているんじゃありませんよ。今引退しなくても二年後か三年後か、いつかは必ず引退するのですから、そのとき趣味もなく、やりたいことがないと耄碌してしまいますよ」
三木
「うーん、自分がしたいことってなんだろうなあ?」
六角の奥さん
「多くの方は若い時したかったこととか、現役時代にしたかったことをするって聞きますね。例えばしたい学問を修めるために大学や大学院に入りなおすとか、あるいは夫婦で海外に数年間住んでみるとか」
三木の家内です
「おとうさんは楽器とか囲碁将棋なんて趣味じゃないでしょうから、勉強したらどうですか」
三木
「とはいえ今はどんな分野でも何を学ぶにも数学がベースだから、今更数学はちょっとなあ〜」
六角の奥さん
「実はうちの人は邪馬台国なんてのに興味がありましてね、引退したら九州や飛鳥などを歩きたいなんて言ってました。まあ本気だったかどうかわかりませんがね」
竪穴式住居
三木の家内です
「邪馬台国を趣味にする年配者って多いそうですね。そして自分の考えを本にして自費出版したり」
三木
「なるほどねえ〜、会社を辞めてからすることを決めておかないと、暇を持て余してノイローゼになりそうですね」
六角の奥さん
「いえいえ、退職する前から決めておかなければならないなんてことはありませんよ。定年になってから公民館とか市役所に行けば、定年退職者対象の趣味のクラブとか講演会、最近は各種NPOの案内なんてしていますから。
行政も引退した方への行政サービスには気を使っています。まあ子供が減ったから市の職員も新しい仕事を見つけなければということもあるのでしょうけど」
三木
「NPO? 我々年配者がやるようなものってありますか?」
六角の奥さん
「私も話を聞いただけですが、町の観光案内とか介護とか史跡保全とか年配者向けのものがたくさんあるようです」


帰り道、運転しながら三木は思う。自分は全く土地勘がない。今走っているところは自宅からほんの2キロか3キロしか離れていないはずだが、この道を走るのは初めてかもしれない。会社を辞めたらまずは近所を探検してどんな建物や寺社仏閣があるのか知らなくてはならないな。いや、その前に隣近所に住んでいる人の顔と名前を覚えなくてはならない。それが退職して真っ先にしなければならないことのようだ。
三木はまた考える。
日々どうするかも問題だが、その前に生活はできるのだろうか?
陽子の話では、年金が入るまで退職金で十分食べていけるという。しかし年金がもらえるようになっても、年金だけではくらしていけるはずがない。退職金なんて10年も持たないのではないかというと、年を取れば使う金も減るから心配ないという。確かに働いていた時のようには三木も小遣いは使わないだろう。70半ばを過ぎればゴルフもしないだろし、80過ぎたら交際費はいらないだろう。増えるのはせいぜい香典くらいか。もっとも80過ぎて元同僚の葬式に行くとも思えない。


自宅に帰っても三木は考える。
農業とか職人の仕事ならともかく、ISO審査員というのは古来からの仕事でもないし、仕事を辞めてから究めるとか生きがいをかけるようなものではないと思う。もうISOとか審査のことを考えることはないだろう。
じゃあ何をするべきかとなるとなかなか考えがまとまらない。そうだ、まず先輩、既に引退したOBがどんな暮らしをしているのかを聞き取るのはいいかもしれないな。と思ったらすぐに、いや別に先輩でなくてもいい、近所の方でもいいじゃないかと頭に浮かぶ。
そういえば近くの町内会の会館で毎週土曜日に囲碁将棋をしているらしい。出入り自由らしいから来週顔を出してみようか。
隣で新聞を読んでいる陽子に声をかける。
三木
「あのさ町内会の会館で囲碁将棋をしているって話だよね」
将棋
三木の家内です
「そのようですね。今では囲碁クラブは女性のほうが多いって言ってましたよ」
三木
「俺も行っていいのかな?」
三木の家内です
「いいんじゃないですか、でもあなたいつから将棋とか囲碁とかするようになったの?」
三木
「いやしたことはないんだが、老後のことを思うとさ」
三木の家内です
「老後ってあなた、まだこれからのことだしそれに先は長いわよ」
三木
「それじゃ今何をしたらいいものかと」
三木の家内です
「私は思うんですけどね、今までお仕事でお世話になった方ってたくさんいらっしゃいますよね。もう二度とお会いにならないかもしれませんが、だからこそ挨拶回りとかしておいた方が良いかと思いますよ。六角さんだってお世話になった方にお礼を言いたかったと思います。残念ながらそれはかなわなかったようですが」

三木はなるほどと思う。確かに三木がお世話になった人は六角だけではない。審査員になってからだけではない、営業時代にお世話になった人もいるし、入社時にお世話になった人もいる。ただ20年とかそれ以上前の付き合いとなると、もう連絡が取れないなあと思う。
少なくても審査員になってからお世話になった人には、引退することの報告とお礼を申し上げるのは礼儀だろう。
三木
「なるほど、それはうっかりしていた。俺もいつ死ぬかもしれないし、お礼も言わずに死んでは申し訳ない」
三木の家内です
「あたな、いったん引退してしまえばお会いするのもなかなかできませんよ。今なら会社の名刺を持って先方の会社をお伺いしてもおかしくないですが、一介の定年退職者になってからでは企業に勤めている方をお訪ねするのもなんですからね」
三木
「なるほどなあ〜、確かにそうだ。お礼を言わなくちゃならない人となると何人くらいいるものだろう」

陽子に言われて三木も思い出した。三木が50くらいのとき、先輩とか元上司にあたる人が、支社にいる三木を訪ねてきたことがたびたびあった。 お茶 みな定年退職とか出向の前に、なにかと理由をつけて昔の馴染みに会いに来たのだった。あのとき三木は懐かしくはあったが、忙しい時にやってきた先輩や元上司にうれしさとともに迷惑さを感じたものだった。引退するというのも結構手間と労力がいるのだと三木は気が付いた。
三木は陽子が注いでくれたお茶を飲む。
三木
「引退したら、こんなふうに毎日二人でお茶ばかり飲んでいるようになるのかな?」
三木の家内です
「ご冗談を、私は忙しいんですよ。卓球クラブは週一ですけど、私は三つのクラブに入っているので週に三日は卓球です」
三木
「えええっ」
三木の家内です
「そうだ、お父さんにも家事を覚えてもらわなければいけないわ。これからは洗濯とお掃除とお庭の手入れはおとうさんのお仕事ですよ。炊事もひととおりでかるようになっていただかないと」
三木
「確かになあ、陽子だってお友達と旅行に行ったりするだろうから、そのときは俺も自分で食べるものは作れないと」

三木はまた考える。ISO規格解釈で多くの人に教えを乞うたが、須々木取締役とか柴田取締役なども師匠というべきなのだろうか? 彼らはとんでもない規格解釈を教えていたし、おかしな審査をしていたが、彼らと議論することによって三木が進歩してきたということはある。ということは彼らは反面教師だったのか。

ISO認証の価値とは
一体なんだろうか?
三木です
いやいや、間違っても彼らが師匠ということはあるまい。彼らこそが日本のISO認証の価値を貶めたのだ。彼らがいなかったならもう少し認証の価値は高かったに違いない。
そういえばとまた思う。有益な環境側面なるものを言い出した連中はどうだ! 環境目的が3年ではないというのは多くの審査員が認めるところになってきたが、有益な側面なんていう新たな迷信を生み出し、金もうけをしようとする人たちがいる限り認証制度の価値は上がることはないなと思う。
そう思うと今三木が引退するのはいい時期だという気がする。いつまでもこんなおかしなことがはびこる世界に身を置いては己が穢れてしまうと思う。やはり営業とか開発という職種と審査員という職業は異なるのだろう。何が異なるのかと言えば、世のため人のためになるものを作り、それを売るという行為は決してなくならないし、価値あるものだと信じる。しかし客観的な評価基準が存在せず、どんな意味があるのかさえはっきりしないISO審査という制度は存在意義さえ怪しい。それはこの仕事に従事した時からの疑問だった。
それは関係者全員が持っているはずだ。付加価値審査とか経営に寄与する審査と語ること自体、規格適合を調べ判定することに意味がないと感じていることの証左だろう。
認証機関のトップ、認定機関のトップに「あなたはISO規格に基づく第三者認証制度に価値があるとお考えですか?」という質問をしたらいったいどんな結果になることだろう?
真面目に考え正直に答えてもらえば、YESと答える人は半分いないのではないだろうか。そんなことを三木は思った。
三木
「そうだなあ〜、じゃあ町内会の会館に行くのは引退してからにするとしよう」
三木の家内です
「はあ! おとうさん、なんか応答に時間がかかるようになっちゃったわね、もうボケが始まったのですか。しっかりしてくださいよ」
三木
「いや陽子の言葉をかみしめていたら時間がかかったんだよ」
三木の家内です
「引退した夫を持つ近所の奥さん方に、旦那さんたちが日々どんなことをしているのか聞いておきますよ」
三木
「おお、ぜひともお願いしたい。クラブとか習い事などあるなら、そういうことも聞いておいてほしいな」
三木の家内です
「面白そうですね」
三木
「まったく新しいことへのチャレンジは面白そうだ」
三木の家内です
「あなたお願いがあるのよ」
三木
「なんだろう? お金のかかる趣味はダメとか?」
三木の家内です
「まあそれもあるけど、物が増える習い事はやめてほしいですね。例えば陶芸なんて毎回どんぶりとかお皿とか作るでしょう。人様にあげることもできないし、捨てるわけにもいかず部屋に旦那さんの作った食器があふれているお友達がいるわ」
三木
「なるほど、陶芸はそういう問題があるのか」
三木の家内です
「それから絵を描くのも・・・」
三木
「確かに油絵はキャンバスの厚さもあるから、10枚も描くと幅20センチ、100枚も描くと2メートルか、確かに場所を食うわけだ。でも水彩画ならそんなに場所は食わないだろう」
三木の家内です
「これから20年も生きるんですから、週に1枚描いても1000枚や2000枚ではきかないでしょう」
三木
「いやはや、難しいものだなあ〜
そいじゃ楽器なんかは?」
三木の家内です
「まあギターとかバィオリンでしたらいいですけど、ピアノの類は置き場所がありません。ドラムとかベースでも大きいですし、あなたが亡くなった後にもらってくれる人もいませんよ」
三木はしばし斜め上方を見つめて考え込んだ。
陽子はまだ言葉をつづける。
三木の家内です
「それからパーマ屋さんで知り合った方の話ですけど、旦那さんが植物の観察がご趣味なんだそうです。退職したとき現役時代使っていた専門書を本棚ふたつを捨てて奥さんがホッとしたら、植物の書籍がその本棚を埋め尽くしたそうですよ。奥さん嘆いていらっしゃいました」
三木
「そりゃ、まあ旦那さんだってそれなりに一生懸命なんだろうし生きがいなんだろうなあ〜」
三木の家内です
「一生懸命かどうかはともかく、家族に迷惑をかけてはいけませんよ。
それから自分の業績を残すんだとかおっしゃって本を自費出版された方がいましてね、2000部とか刷ったそうですが、もちろん売れるわけはなく、100冊くらいは親せきや友人に配ったらしいですが、今でも本棚を同じ背表紙が埋め尽くしているそうですよ、あなたはそんなことをしないでしょうね」

三木は黙ってお茶を飲んだ。イヤハヤ、陽子は肥田取締役や潮田取締役より手ごわそうだ。
ともかくだ、何をしたいかまだわからないが時間は十分にありそうだ。いずれにしろもうISO認証を考えることはあるまい。自分がいかに生きるべきか、ゆっくり考えようと思う。
そうそう、亡くなる前にお世話になった方々にお礼を言わなければならない。まずはそのリストを考えなければ・・・

うそ800 本日のエピソード
先週のこと、たまたま某講演会で元同僚に会った。私が現役時代はこの方とよく環境監査に行ったものだ。真面目一方の私と違い、彼は行った先では必ずうまいものは何かとか、名所によろうとか、まあ不真面目な男だった。彼は私と同じ歳なのだが66歳まで嘱託を続けフルタイムで働いていたという。私より3年半長く働いていたなら、その間の賃金は1000万以上になる。それは大金だ。
しかしどうなのだろう?
どうなのだろうというのは、その間の収支決算はプラスだったのかマイナスだったのかということだ。私はフィットネスクラブ、趣味のクラブ、講演会、地元の歴史や地理の探訪など楽しんでいた。66になれば63のときよりもやはり体はきかないだろうし、それに寿命が同じとすれば、老後を楽しむ期間が私より3年半短いわけだ。
まあ人それぞれではあるが、私の場合は会社をやめて良かったと思う。
おっと、私にしても60歳で引退していればもっと遊べただろうというご意見もあるかもしれない。残念ながら、それでは年金がもらえないのです。私は高卒なので44年特例が適用されるのですが、それでも62歳まで働かないとなりません。


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