審査員物語 番外編25 信頼性(その2)

16.08.01

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

今日は土曜日、三木夫婦は二人とも休みだ。三木は結構まめな男で朝食を終えると皿を洗い、陽子に言われなくても洗濯機を回し、洗濯機が止まれば洗濯物を干す。陽子はありがたく洗濯を夫に任せて、自分は掃除機をかける。
一段落すると陽子は昨日大学からの帰りにスーパーで買った羊羹を切って夫を呼んだ。

三木
「いやあ、お茶とはうれしいねえ」
お茶
三木の家内です
「お父さんはいつも休憩にお茶というわけにはいきませんものね」
三木
「元の会社にいたときは女性が気を使ってくれて、お茶を出したりお客さんが持ってきたお菓子を配ったりというのがあったけど、出歩くのが仕事の審査員稼業ではそういうわけにはいかないからね」
三木の家内です
「いつもお仕事ご苦労様です」
三木
「オイオイ、何を言っているんだ。主婦業というのも重要で大変な仕事だよ」
三木の家内です
「最近は大学のほうに気がとられ、主婦業がおろそかになってしまっていますけど」
三木
「そうそう、最近の大学の様子を聞いてないけど、どうなんだろう」
三木の家内です
「ISO審査が滞りなく終わったことはお話ししましたよね」
三木
「審査が終わったとは先週聞いた。まったく問題がなかったというけど、それはすごいことだよ」
三木の家内です
「そうなんですか? 実を言いまして審査の一月ほど前に、増田准教授が認証機関を訪問したんですよ。私もお供したんですけど、フフフ」
三木
「審査前に認証機関に挨拶に行くというのは今でき珍しいねえ。以前はどこもしていたようだけど」
三木の家内です
「実は挨拶だけでなく、ウチはISO規格をこういう風に理解してシステムを作ってますから、それにイチャモンつけないでねと釘を刺しに行ったわけですけどね」
三木
「ほう、それはまたずいぶんと強気だねえ〜」

そう言いながら三木は半年ほど前のこと、山田という男が三木のところに事前の打ち合わせをしたいと訪問してきたことを思い出した。
山田もISOについての考えを説明しに来たのだが、三木は邪険に追い返してしまった。そのため審査ではとんでもない失敗をしてしまったが、今は勉強になったと心底感謝している。

三木の家内です
「頼んでいるISOコンサルさんのご指導だったんです。まず大学の管理責任者はあの三葉教授でしょう、三葉教授そのものが結構有名なお方ですし、認証準備に当たってはISO委員とかいう神田先生とか吉畑先生のご指導を受けて行ってきたことを説明して文句をつけるなって言ってきたのよ。ああ、もちろん言い回しはオブラートに包んで穏やかにでしたけど」
三木
「ほう!神田先生と吉畑先生のご指導を受けたというのは本当なの?」
三木の家内です
「お二人別々でしたけど三葉先生が招待して大学で講演をしていただいたの。講演のあとに懇談会というか昼食会をしましてね、私たちISO関係者も出ていろいろと質問したりしました。そのときの質疑応答も大変参考になりましたが、まあそれを大げさにお二人のご指導を受けたって話したわけ」
三木
「いやいや実際にご本人が来て話をしたなら、それはすごいことだよ。彼らは日本では一番の権威だからね」
三木の家内です
「そうなんですか。私から見たらお二人のお話よりもコンサルさんのほうがとても頼りになりましたけど。
そのコンサルさんは結構考えている方で、ISO規格の本来の意味はこうだけど、審査でトラブらないためにはこうしたほうがいい、大学の環境管理を良くするならこうしたほうがいい、などと私たちの目的に合わせて具体的に指導してくれたわ」
三木
「なるほどそのコンサルは無能ではないようだね。世間には審査で不適合を出さないために無駄なことをさせるコンサルが多いんだよ」
三木の家内です
「まあ審査は順調に終わったのですが、そのあとに三葉教授が増田准教授に、ISO認証の信頼性をまとめて論文を書けというご下命されたわけ」
三木
「ほう認証の信頼性か、今話題になっているからね。しかしそれも難しい課題だな」
三木の家内です
「私の立場も不安定なんですよ。ISO認証が一段落して、大学も臨戦体制から平時体制に切り替わるのは当然でしょう。私の仕事も不要になるのは時間の問題。ですけどISO認証の信頼性というのが面白そうだから当面はその仕事のお手伝いでパートを続けようかと思っているの」
三木
「陽子としてはパートをするよりも卓球とバレーボールをしていた方がいいということか?」
三木の家内です
「まあクラブと言っても実際はお茶飲んでだべっているんですけどね、だから話す相手が大学の先生方か主婦かの違いね。ただ話の中身が興味があるものならそれがいいですね。やはり噂話、ゴシップだけではね、私だって知的好奇心というのかしら、そういうのはあるわよね」
三木
「陽子がISO認証の信頼性に興味を持つとは思いもしなかったよ」
三木の家内です
「実はその信頼性の件なんですけど、未だスタートに至っていないのよ。信頼性とは何かというところで悩んでいるところなんですよ」
三木
「信頼性とはなにかとは?」
三木の家内です
「信頼性工学というのがあるそうですけど、そこでは信頼性とは『アイテムが与えられた条件の下で,与えられた期間,要求機能を遂行できる能力』なんだそうですよ。そのままISOに当てはめると、ISO14001の意図は遵法と汚染の予防ですから、ISO認証した企業が遵法と汚染の予防において向上したかどうかということになりますよね」
三木
「うーんちょっと違うんじゃないか。ISO規格の意図は遵法と汚染の予防だけど、認証の意図はそうじゃない」
三木の家内です
「えっ、ISO規格の意図とISO認証の意図が違うとは、それもまた変ですよね?」
三木
「ISO14001の意図は遵法と汚染の予防だ。だからISO認証企業は規格の意図を実現したかということなら、一定期間内に認証企業で発生した違反の件数を認証している企業数で割ったものを指標として妥当だろう。
しかしISO認証の目的は違う」
三木の家内です
「あっそう言えばコンサルさんが共同コミュニケとか何とか言っていたわ」
三木
「そうだ、そうだ。あれがISO認証とは何かという公式な説明になっている。
ええと・・・確か『組織が適切な環境マネジメントシステムをもっていて、そのマネジメントシステムがISO14001の要求事項に適合していることの証明』だったな。
ISO審査員は自分の仕事の意味は何かを忘れないために、般若心経のように共同コミュニケを常に唱えなければならないなあ」
三木の家内です
「でも、それがなにか?」
三木
「簡単さ、ISO規格の意図から見た事実としての信頼性は、さっき陽子が言った一定期間内に認証企業で発生した違反の件数を認証している企業数で割ったものでも良いだろうけど、ISO認証の目的から見ればそのシステムの規格適合あるいは不適合が分子に来なければおかしい」
三木の家内です
「ええと、お父さん、その会社のマネジメントシステムがISO規格の要求事項を満たしているのならば、その企業はISO規格の意図である遵法と汚染の予防を実現するということですね」
三木
「そう言われるとそんな気がするが・・・そこんところは1対1でつながっていないんじゃないか。正直言ってISO14001は遵法と汚染の予防には必要十分条件ではないようだ。だからISO認証していても完璧に遵法と汚染の予防を実現することはできない。そこんところはわかるだろう」
三木の家内です
「ということはISO14001規格は不十分で役に立たないということですね?」
三木
「そこまで言われると辛いものがあるが・・・人間が考えたものであるから完ぺきではないとしかいいようがない。結局我々認証制度が保証できるのは仕組みだけだよ」
三木の家内です
「なるほどと言いたいですけど・・・そんなことを一般市民、つまり私のような者にはなんの意味もないわ。例えば大学がISO14001認証したとき、その大学の環境管理の仕組みがいかに良いかと言われてもなんのありがたみもない。そうじゃなくて、事故が起きませんとか違反をしませんと言ってくれないとメリットがありません」
三木
「主婦連的発想だな・・・確かに一般市民とか近隣住民であればシステムが良いことよりも、パフォーマンスが良いことを期待するのはわかる。でもそれはできないよ」
三木の家内です
「できないって、どうしてなんですか?」
三木
「だってパフォーマンスと認証は直接関係していないだろう。それこそ共同コミュニケに書いてあったじゃないか。というかコミュニケに書いてないってことかな」
三木の家内です
「なるほど、いずれにしても事実としての信頼性といっても一つではないというわけか。」
三木
「事実としての信頼性とはなんだい?」

陽子は立ち上がり仏壇の前に置いてあったクリアホルダーを取り、そして中からホワイトボードからコピーした感熱紙を取り出して三木の前に置いた。

信頼性の模式図
三木の家内です
「ええとこれは大学でISO認証の信頼性とは何かという議論したとき、私が唱えた陽子説なのよ」

どうでもいいことではあるが、陽子は原子核の【ようし】ではなく女性名の【ようこ】である。
ちなみに陽子というご芳名はバリバリの元同僚の方からお借りした。

三木の家内です
「信頼性というとき、どの段階を対象にするのかをはっきりしなければならないというのが私の説なの」
三木
「この事実としての信頼性とは?」
三木の家内です
「例えば一定期間内に認証企業で発生した違反の件数を認証している企業数で割ったもののようなイメージ。実際の数字は知りませんが現実に調査すれば把握できるでしょうし、それは私たちの心理状態によって変わることはないはずよね」
三木
「だけどさ、今ISO規格の意図とISO認証の目的は違うという話をしたよね」
三木の家内です
「おとうさんのいうのはISO認証が提供するものと社会が期待するものとは違うということね。理屈はわかるけど、社会が期待していないものを提供してもありがたみはない。それよりもマスコミや認証機関がいっているのは認証すれば品質が良くなるとか、環境が良くなるってパフォーマンスが上がるって言ってるじゃないですか。
ちょっと待って、それならISO認証がシステムを審査するのではなく、パフォーマンスつまり遵法と汚染の予防を審査したらいいじゃない」
三木
「それをしようとするとそれは後追いというか過去の一定期間について保証するだけになってしまう。会計監査みたいなものかな。会計監査とは過去の一定期間において、お金が適切に運用されているかを調べるのであって、これからも大丈夫かということは保証しない。
まっ、そういうものも現実的に意味があるわけだけど、しかしISO認証は過去の運用ではなく現在と今後の能力を見ているわけだよね。
しかしそれは権限として民間ができるのかということと、物理的に実行可能かどうかなあ〜」
三木の家内です
「お父さんの話しぶりを聞くと、私が考えたことはみんなダメみたいに聞こえるわ」
三木
「ISO認証とは元々パフォーマンスの保証ではないんだ。そして品質保証というものはそれだけじゃ不十分なんだ」
三木の家内です
「品質保証? 今話題になっているのは品質ではなく環境マネジメントでしょう」
三木
「話せば長いことながら・・・」
三木の家内です
「どうせ暇なんだから長い話を聞かせてもらうわ」
三木
「今を去ること半世紀以上も前のこと、第二次大戦まっさかりのイギリス、爆撃機がドイツまで飛んで行って爆弾を投下したわけだけど、不発が多かったという。それでちゃんした爆弾を作りたいのだが、これがなかなか難しい。 爆撃機 当時から品質管理という考えはあったのだが、それは作ったものをどのように検査するか、不合格があれば不良対策をどうするかということだった。ましてや爆弾はちゃんと爆発するかどうか検査すると使えなくなってしまうわけだ。だからちゃんとした爆弾かどうか検査するのではなく、ちゃんとした爆弾を作るにはどうしたらよいかを考えたんだなあ。
それで製造するための体制、それも製造条件とか職場環境とかだけでなく、モノづくりに関わること全体を管理しなければならないと考えた。作業者をどのように教育訓練するか、工具や設備をどのようにメンテナンスするか、計測器をどう校正するか、部品材料や完成品の保管や識別管理、図面や伝票の管理はどうあるべきか、そういうことを包括的にしなければならないと考えたということだ」
三木の家内です
「なるほど、それで結果は良くなったのでしょうか?」
三木
「残念ながら俺が読んだ本には結果は書いてなかった。
ともかくそういう生産体制をしっかりすることを品質保証と呼んだ。良い製品を作るには品質管理と品質保証、つまり作ったものをしっかり検査するということと製造条件をしっかり管理することが必要だということは間違いない。
だから品質保証があれば品質管理が不要というわけではなく、品質管理と品質保証は車の両輪で双方がなければ良い製品は作れない。
さてISO14001だが、この規格は環境マネジメントシステムの規格だと言っているけど、実質は品質保証の規格だ」
三木の家内です
「今、品質保証とは良い爆弾を作るための体制つくりと言ったわね、ISO14001は環境の規格でしょう?」
三木
「品質保証とは良いものを作るために製造体制を管理することだ。環境についても遵法やパフォーマンスをしっかりするには個々の環境業務をしっかり管理し改善していくこともあるし、その体制をしっかり作り動かしていくこともあるわけだ。つまり環境を管理する体制を作ることがISO14001ということだと思っている。しかしレベルをアップするには体制だけでなく固有技術とかアイデアとかが必要になる。話が陽子の質問にやっとたどり着いたけど、そういうわけだからISO14001は環境についての品質保証的位置づけで、それだけでは環境管理のレベル向上はできないということ」
三木の家内です
「でもISO14001では教育訓練とか改善とかについても定めているじゃない?」
三木
「それはそうだけど、ISO審査で技術レベルが低いからダメとか、改善効果が低いから不適合とはならない。ISO14001はあくまでもしくみ・体制の審査を決めているだけで、審査も仕組みがしっかりしているかどうかなんだ。それはISO9001も同じで、品質が上がらなくても不適合ではない。現実を考えれば、頑張っても品質が上がらないということはあるし、それがダメというわけでもない」
三木の家内です
「ええっと、そうするとISO14001でパフォーマンスは期待できないってこと?」
三木
「製造で、いや製造だけでなく販売でも運送でも美容院だっていや主婦だって同じだが、良い製品やサービスを提供するには三つの要素がある。固有技術、管理技術、そして働く人の意識だ。ISO9001もISO14001もこの中の管理技術しか提供できない。
いや正しく言えば、ISO9001もISO14001も管理技術しか要求していないというのが実態だろうね。誤解ないように言っておくけど、ISO認証すればよくなるなんてことは絶対にない。ISO規格は求めるだけで何も与えないということを認識しなければならない。ISO規格なんてその程度のもんなんだよ」
三木の家内です
「ISO規格は求めるだけですか・・・・確かにそう言われるとその通りですね。
あれ、でも人の意識については自覚とか認識という語句があったわね」
三木
「確かにあるのはある。でもさ、『自覚させるための手順を確立し、実施し、維持すること』(ISO14001:2004 4.4.2)とあっても、それを良い悪いと判定できることはめったにない。そもそも規格は『環境マネジメントシステムの詳細さ及び複雑さの水準、文書類の範囲、並びにそれに向けられる資源は、システムの適用範囲、組織の規模、並びにその活動、製品及びサービスの性質のような多くの要員に依存する。(ISO14001:2004 序文)』とある。
技術レベルも異なり、個人の力量も異なるのだから一律的に認識の方法を決めたりそのレベルを求めたりはできない」
三木の家内です
「ええっと、つまりそれは・・・」
三木
「ISO14001があれば完璧とか鬼に金棒ってわけにはいかないってことさ。環境のパフォーマンスつまり省エネを推進したり事故が起きないようにするにはISO14001だけでなく、投資とか技術開発をしなければならないということ。
ISO14001認証することはしないよりも良いと思う。もちろん認証していなくても環境管理レベルが高い企業もあるだろうけど、認証していれば管理だけは一定レベルにあることにはなる。
しかし管理が一定レベルにあれば法違反が起きないとか事故が起きないというわけではない。あるいは省エネが進んだり廃棄物が減ったりするわけでもない。それは固有技術に依存する。そこんところを勘違いされてISO認証の効果がないと言われるのはつらいところだ」
三木の家内です
「話を変えます。そもそもISO認証の信頼性が低下しているという話が出てきたのはどういういきさつなんでしょう?」
三木
「それは・・・・まあ俺は思うんだがね、評判というか、自分が悪くなりたくないという子供じみたことからじゃないのかな」
三木の家内です
「はあ?まったくわかりませんが」
三木
「ISO認証制度の信頼性が低下していると言い出したのは誰なんだろうねえ」
三木の家内です
「誰なんでしょうかねえ?」
三木
「俺の記憶では環境不祥事が散発して経産省がISO認証の信頼性が低下していると言い出したのが発端だったように思う」
三木の家内です
「企業不祥事って言いますと」
三木
「これも突然大発生したわけじゃないんだけど・・・・ダイオキシンを含んだ排水を出していた会社もあったし、食中毒もあったな、リサイクル工場で廃冷蔵庫や廃エアコンから回収したフロンの破壊処理が間に合わず、そのまま大気に放出したなんて事件もあった」
三木の家内です
「あなた、そういうのは確かにありましたけど、私の記憶違いでなければもう10年も前でしょう」
 (この物語は今2009年である)
三木
「最近、製鉄会社で水質改ざんとかばい煙のデータ改ざんもあった」
三木の家内です
「関西の製鉄会社の話なら2004年頃でしょう。もう5年も6年も前よ」
三木
「製紙会社が古紙混合比をウソついていたのもある」
三木の家内です
「あなた!それは今までよりは新しいけど2年とか3年前よ」
三木
「まあ最近ではないにしても、過去継続して結構な数の環境不祥事が起きていて、問題を起こした企業の多くがISO14001を認証していたから、所管官庁としては黙っているわけにはいかないという事情だったのだろうねえ〜」
三木の家内です
「でもさっきあなたが言ったように、管理技術だけでは良いものが作れない、環境パフォーマンスは良くならないってことでしょう。所管官庁ならISO認証とはどういうものかをわかっているはずでしょう」
三木
「そうだろうけど、そうは言えないってことだったんだろうなあ。
それともう一つの問題がある。1992年頃つまり日本でISO9001の認証が始まったとき、どんな会社が認証したかというと、外国の客から認証を要求されたところだった。商売をするために客先の要求に従うというのはまあ当然だろう。ともかくそれで認証ビジネスというものが濡れ手に粟でうま味があると気が付いたんだろうなあ。しかし輸出企業だけが相手では認証規模が小さすぎるので、ISO認証をすると企業が良くなるとか、社会から信頼されるなんて宣伝するようになったといういきさつがある」
三木の家内です
「つまり認証制度がウソをついて認証を売り込んだということね」
三木
「まあウソでもないだろうけど、仲人口で宣伝したわけだ」
三木の家内です
「そういった宣伝は当然一般人も聞こえたしそう信じたということね」
三木
「マスコミ報道でも品質が認められたからISO9001が与えられたなんて記述もあったよ。そんなふうにISO9001を認証すると品質が良くなるよとかISO14001は環境配慮が認められたあかしだとか宣伝していたら、不良を出したり事故が起きれば文句を言いたくなるだろう」
三木の家内です
「それなら間違えたことを言った認証機関とか、事実でないことを報道したマスコミを責めるべきでしょう」
三木
「確かにそうだが、そのとき関係者の中で一番弱いものに責任を押し付けたんだろうなあ。
いや一番弱いものではなく、批判されても困らないものを悪者にしたのではないかという気がする」
三木の家内です
「ISO認証した企業が行政やマスコミに比べて弱いものというなら納得ですが、批判されても困らないものというのはちょっと理解できませんね」
三木
「考えてごらん。ISO認証の信頼性が低下してきたと言ったのは経産省だが、ISO認証していた企業がウソをついていたといったのはISO認証制度だ。そういわれて企業は何か困ったか? なにか被害を受けたかと言えば、まったく影響はなかったんじゃないかな。
確かに企業の担当者の中には理不尽なことを言われた、冤罪だと反発した人はいただろう。そういう人たちはまじめにISO規格を考えていたに違いない。
だけど多くの企業担当者はISO認証なんて重要なことじゃないと認識していて、審査で不適合を出さないように適当にやっていただろうと思う。そんな人たちが悪いわけではない。企業の目的は本来業務で社会貢献することで、ISO認証なんて付き合いか税金のようなものと認識していたんだろうと思う」
三木の家内です
「要するにISO認証は会社にとって重要ではなく、その信頼性が低下しようと、企業が審査でうそをついたと言われようと会社は困らず悪評を気にしなかったということですか?」
三木
「大声では言えないが、俺はそう考えている」
三木の家内です
「じゃあ、あなたのお仕事は意味がないということになりますよ。自尊心が傷つきませんか?」
三木
「アハハハハ、ISO認証なんて、熱い血潮で考えたり行動したりするほどの価値がないんじゃないかってのが俺のたどり着いた結論だよ」
三木の家内です
「自尊心は置いといて、本来ならISO認証制度は信頼性が低下したと言われたことについて、認証の意味、具体的には共同コミュニケなどを根拠に説明するべきでしょう」
三木
「俺は単なる審査員であってさ、認定機関や認証機関のえらいさんが何を考えているのかわからない。ただこういうビジネスは人気商売みたいなもんでさ、というのは実のあるものを売っているわけじゃない、認証という気分というか雰囲気を高い金で売っているわけさ。だから責任を負うのを嫌うだけじゃなく、認証機関が悪いと思われることを嫌ったんだろうなあ」
三木の家内です
「思われることを嫌ったとは?」
三木
「アイドルは特定の人と交際していると言われただけで人気が落ちてしまう。そういう風評を嫌ったんだろう。まあ証拠があるわけじゃないが。
行政つまり経産省がISO認証の信頼性が低下していると言い出したとき、ISO認証とはそうじゃありませんと説明するとかISO認証制度を見直すとか言い出すと、アイドルと同じように評判が落ちかねない。だから手っ取り早く企業が審査でうそをついたのだと言い募ったんじゃないかな。都知事選挙のとき過去に強制わいせつをしたと言われた候補者がそう報じた週刊誌を告訴したというのもその伝だろう。ともかくISOの信頼性もそうだという証拠はないが、そうではないという証拠もない」
三木の家内です
「じゃあ、じゃあ」
三木
「信頼性がどうこうというのはある意味バーチャルなことで実態じゃない。陽子がというか大学の先生が、信頼性とは何かを考えたりその指標を調査するまでもないんじゃないか」
三木の家内です
「お父さんは私の考えた事実としての信頼性はどうお考えになります?」
三木
「個人的な感覚だけど、少なくても低下してきたとは思ってないよ。ISOが現れる前から石油タンクからの漏えいとか廃棄物の不法投棄なんて定期的といえるほど報道されていた。今は昔より事故の報道が増えたとも感じていない。だから不祥事が増加して信頼性が低下したとは思わない。もちろん必要なら過去の新聞報道や公報を調べればデータは取れるだろう。」

個人的意見であるが: 環境業務についていた私は、当然であるがそういった環境事故や環境法違反に関心があり常にチェックしていた。誰だって同じ轍を踏みたくはない。だから1990年代後半からISO認証の信頼性が取りざたされるようになった2009年頃までの状況は把握しているつもりだ。環境事故や違反の報道は決して増加していない。
環境不祥事が増加してきたと考えている人がいれば(当然ISO関係者には多いのであるが)彼らは実態を知らないのだ。あるいはそう思い込みたいだけかもしれない。

三木
「ええと、それから陽子は認識の信頼性と言ったね、それは確かにあるだろう。特に過去10数年、ISO9001を認証すると品質管理の規格を取得とかISO14001なら環境管理のブランドなんて報道していたからね。そういうことを聞いていた人は、工場で違反や事故があればそういう報道がなかったよりも憤りは大きくなると思う」
三木の家内です
「お父さんの見解は、つまるところISO認証の信頼性低下とは認証制度の問題ではなく、正しい情報を一般市民に伝えていなかったことによる問題だということですか?」
三木
「そう思っている。
それとさ、マスコミもISO認証制度も、もっと科学的に考えてほしいと思う」
三木の家内です
「科学的と言いますと?」
三木
「いろいろあるが、例えば抜き取り検査って知ってるだろう?」
三木の家内です
「大量生産のとき全数検査をせずに、抜き取ったサンプルだけを検査して不良が一定以下であれば全体を合格にするという方法でしょう」
三木
「まあ、簡単に言えばそういうことだ。その抜き取り検査では必然的に受け入れた中に不良品が入る可能性がある。だけど商取引としてそれを認めるわけだ。それが嫌なら全数検査するしかない」
三木の家内です
「全数検査するのはコストがかかるから、コストを下げるために売り手と買い手が妥協して抜き取り検査を採用したということね」
三木
「そうだそうだ。だから受け入れた中に不良があっても一定レベルなら文句を言わず、単に良品と交換してもらうかあるいは不良も価格に含まれると納得するわけだ」
三木の家内です
「お父さんの話の先が見えたわ」
三木
「だろう? ISO審査も同じように全数をチェックするわけじゃなく、抜き取りで審査している。それは仕組みから言って当然だし公式に宣言している。ISO17021という審査方法を決めた規格の中で『いかなる審査も、組織のマネジメントシステムからのサンプリングに基づいているため、要求事項に100%適合していることを保証するものではない』(ISO17021:2006 4.4.2注記)とあったはずだ」

 注:この物語は現時点2009年なので、その時点で有効な規格を引用した。

三木の家内です
「つまり、そういう方法だからISO審査では一定の見逃しがあるのだと開き直ればいいと・・」
三木
「開き直るというか、素直に事実を説明すればいいじゃないか」
三木の家内です
「でも一般人は、抜き取り検査で不良が入るのを認めて取引するということを理解できないかもしれませんね」
三木
「会社勤めしたことのある人はそういう考えは理解できると思う。検査に限らず仕事でも交渉でも割り切ることができなければ世の中わたってはいけない。
ともかく認証制度はそう説明をする勇気がなく、逃げとして企業が悪いということにしたんだろうな。だから信頼性が低下しているかどうかはどうでもよく、企業が悪いかどうかも定かではなく、認証の目的とか価値なんて気にせず、ただ目の前の経産省とか主婦連のお怒りがISO制度関係者の頭の上を通り過ぎて企業に向かってくれればハッピーというだけだったのだろうと思う」
三木の家内です
「でも、それじゃ企業がかわいそうじゃないですか。無実の罪だわ」
三木
「だけどさっきも言ったけど、企業にいてうそ800のマネジメントシステムを騙り、審査をパスすることだけが目的の人間なら何も気にもせんだろう。企業がウソをついていると言っても、固有名詞を上げたわけではなく、30,000社も認証企業があるならウチじゃないですといえばいいじゃないか。
要するに企業が悪いと言っても誰も気にもしないんだから。経産省だって、主婦連だって、報道機関だって気にしないと思うよ。悪い会社もあるよね、どこかわからないけどというだけじゃないのか」
三木の家内です
「そこまで割り切ってしまえばISO認証の信頼性なんて考えるまでもありませんね。でも、それって最終的にはISO認証制度の緩慢な自殺でしょう」
三木
「まさしくその通りだと思う。しかしだよ、ISO認証制度が1980年代末にできたとき、日本はそれを拒否したというか賛同しなかった。日本には世界一のものづくりの仕組みがあると確信していたのだろう。まあEU統合でISOと付き合わなくちゃならなくなったんだけどね。そんないきさつが『日本的経営の興亡』という本に書いてあった。
俺はさ、確信はないけど、経産省もISO認証制度自身も、日本のISO認証制度を終わらせようとしているようにしか思えないんだ」
三木の家内です
「へえ?」
三木
「感じだけだけどね、どうもそう思えるよ」
三木の家内です
「もしそうでしたら、論文というよりも面白いスクープ記事が書けそうですね」
三木
「実を言ってひと月か二月前のことだがある企業のISOに詳しい人に会ってね、この話題について話したことがあった。 その人の意見はね・・・(次号に続く)」

うそ800 本日考えたこと
私は最近、ISO認証制度関係者は認証制度を一刻も早く終わらせてしまおうと考えているのではないかという気がしてきた。経団連だってISO認証制度が有効で末永く存在してほしいと考えているようには思えない。せいぜいが社内失業者の受け皿の役に立つと思っている程度ではないのだろうか。
そしてなにもしないで放っておけばあと数年で片が付くと考えているような気がする。


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