*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。
審査員物語とは
「これはこれは早苗さん、お久しぶりです」
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「まったくだ。ちょっと聞いたけど三木君ももう引退するんだって?」
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「長い間お世話になりました。体の方はまだ大丈夫ですが、いろいろと思うところがありまして」
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「いろいろと話したいが立ち話もなんだ、どこか行かないか」
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三木は間もなく引退することだし、今更どうでもいいだろうと思い、外に出た。二人は会社から100mほどの地下鉄駅の上にあるスターバックスに入った。スターバックスはいつも混んでいるイメージがあるが時間帯によっては驚くほどすいている。三木はいつも出張に出るとき地下鉄に乗るのでここを通っており、すいている時間帯を知っていた。 場所代がわりのコーヒーとスコーンを前においてどちらともなく話が始まった。 アホみたいです _| ̄|○ あとで気が付いたのですが、SketchUpのほうが楽だったようです | |||
「引退するって言ったけど、三木君はまだ若いだろう?」
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「いやまもなく子会社の定年になります」
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「まだまだじゃないか、契約審査員したらいいじゃないか」
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「いろいろと考えまして元気なうちに遊びたいと思ったのですよ」
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「遊ぶなんて70になっても80になってもできるさ。俺なんか契約審査員を続けたいと言ったんだが、今回は契約するけど来年は契約更新しないと言われたよ。まあ仕事が減少しているのもあるだろう。それは肌で感じているけどね」
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「実を言いまして知り合いの審査員が最近亡くなりました。彼は引退してからいろいろとしたいと言っていたそうですが、そうする間もありませんでした」
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「ほう、ウチに勤めていた方ですか?」
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「いや、いえツクヨミ品質保証機構でした。彼にはいろいろと教えていただきました。 そんなことがありましたので、元気なうちにと思いました」 | |||
「なるほど、それで引退を考えたというわけですか?」
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「そうです。その方は引退したら古事記とか勉強したいと言っていたそうです」
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「古事記か・・・私の知り合いというか私と一緒にISO審査員になった方も定年後は古事記を勉強したいなんて言っていたな」
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「早苗さんが元の会社にいたときですか」
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「そう、ええっと、そうだ六角、六角だった。彼もツクヨミに出向したはずだが」
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「ええっ、今お話しした方も六角さんです。珍しいお名前ですから同一人物ですよ」
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「へえっ、六角さん亡くなった〜! ご病気でしたか?」
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「あまり細かいことは知らないんです。私も六角さんが亡くなったと聞いたのは最近でしてお亡くなりになって既に二三か月過ぎてまして、先日線香上げに行ってきたところです。 私も以前から引退しようかとは考えていたのですが、六角さんが亡くなったというのを聞いて決断しました」 | |||
「そうか、六角さん亡くなったのか?」
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「親しかったのですか?」
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「いや一緒に社内研修を受けたというだけだ。出向してからも健康診断とか人事との定例の打ち合わせで会うことはあったが、転籍してからは会ったことはない。彼はいろいろと考える人でさ、ウチのように環境目的は3年以内はダメとか、側面は点数でないとというような教条的というか偏った考えにはなじめなかった」
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「じゃあツクヨミに行って幸いでしたね」
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「一年間、一緒に社内研修を受けたが、そのときナガスネの審査員研修を受けてとてもナガスネ流は理解できないと言い出して出向先にツクヨミを志願したんだよ」
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「そうでしたか。しかしお宅では1年間も社内で研修するとはすばらしい教育システムがありますね。私は出向するまで1年間自由を与えるからISO審査員になる勉強をしろと言われただけでした」
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「ハハハハ、そりゃ災難だったね。でもそれだけ三木さんが優秀だということだ。 ところで彼のことだが、一緒に研修を受けたことからの感想だが、彼の性格からも考え方からもウチには不向きだったね」 | |||
「私はこちらに来てから早苗さんに教えられましたが、早苗さんは柴田取締役とか須々木取締役と違って柔軟なお考えでしたね。いわゆるナガスネ流ではない」
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「ハハハハ、実は俺はね、社内研修を受ける前は完璧にナガスネ流に染まっていた。それがだんだんと変わってきて、こちらに来て実際に審査をするようになってから、ナガスネ流は現実離れしているだけでなくISO規格の意図と違うと悟ったよ」
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「はあ!」
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「平審査員のときはしょうがないからナガスネ流で審査していたが、主任になってからは3年とか点数でなくても不適合にしていない。だってさ、なこと規格に書いてないじゃないか。ただ三木君とは違って社内で大声で先輩諸氏を批判はしなかったけどね」
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三木は笑った。 | |||
「確かに私も大人げなかったですね。ただいわゆるナガスネ流はそれこそ世間ではナガスネ流と呼ばれて揶揄されているのはつらいですね」
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「俺はさ、須々木さんとか柴田さんがISO規格も審査も右も左もわからないときにそういう考えをしたということは納得するよ、しかしさだんだんと皆が規格を理解するようになってきたらこれしかないというような押し付けはだめだろう。ましてや間違いをだよ」
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「私もそこが非常に疑問なのですが、早苗さんのような考えの方は少なかったのですか?」
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「やはり指導者がちゃんとした考えを教えないとだめだろうねえ。俺は初めはナガスネ流に染まっていたと言ったけど、そんな俺に対して社内研修の指導者は非常に柔軟な考えで、規格の理解とか審査の方法なんて教えてくれた。 アハハハハ、もっとも俺はその指導者としょっちゅうぶつかっていたね。なにしろ俺たちより若くて生意気だと感じていたからね」 | |||
「ええと、六角さんから聞いた覚えがあります。六角さんは鬼軍曹と呼んでましたね。お名前は忘れましたが一度お会いしたことがありました」
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「鬼軍曹か、まったくそんな感じだったな。名前は・・・ああ佐田といったな」
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「佐田、そう佐田さんでした」
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「いやね、俺は元々工場の環境課長だった。課長になる前から環境管理、当時は公害防止っていったけどそういう仕事をしていた。だから環境管理の仕事がいかに重要かとか、事故を起こさないようにどうあるべきかとか、そういうことは体で知ってはいたわけだ」
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三木は黙って早苗の話を聞いている。 | |||
「しかしISO認証のときにナガスネの研修を何度も受けた。何度もというのは環境側面講習会、法規制講習会、内部監査講習会なんてのを聞いたのさ」
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「私もそんな講習を受けた記憶があります」
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「そんな講習を受講しているとバーチャルな環境管理に洗脳されてしまったんだなあ〜 今なら環境側面を点数で決めるというのは全くの間違いだと今は思う。だってさ、廃棄物が法規制を受けるとか、廃棄物からの汚水や油が土壌汚染を起こせば原状回復はほとんど不可能なのはわかりきったことだ。というと著しい環境側面であることは必然だ。また工場の費用で最大なものは電気だ。とすると電気の使用は著しい環境側面であることも間違いない。そのとき廃棄物と電気の環境影響の大きさを比較する必要というか意味があると思うか?」 | |||
「ありませんね。両方とも著しい環境側面だということです」
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「そうだ。そういうものは管理しなければならないということにすぎない。 だがその前に考えなければならないのは、廃棄物も電気も元々昔から管理していたということだ。だって万が一廃棄物業者がチョンボすれば我々が行政からお叱りを受けるとか、毎年1億とか電気代がかかっているわけだから予算管理を厳しくしないわけにいかないじゃないか。とうことを踏まえれば環境側面を特定しようとか著しい環境側面を決定しようと発想するわけがない」 | |||
「早苗さんがおっしゃるのは、企業は元々著しい環境側面を認識しているはずだということでしょうか?」
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「そうだ、そんなの分かってますってわけだ。俺は・・・こんなことを言っちゃまずいかと思うんだが、そもそもISO規格の流れが間違っていると思うんだ。あるいは非常に基本的なことさえしていない会社向けに作ったのかもしれない」
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「私もそう考えています」
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「三木君もか? そうだようなあ〜、どこに審査に行ってもISO規格通りに環境方針を立て側面を調べ法規制を調べ・・・ばかばかしくなるよ。 ISO規格が現れてから本当にそんなことをしていたなら、その会社はとうに事故や違反を起こしてつぶれているはずだ」 | |||
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「早苗さんが完璧に染まってからどうやって抜け出したのか知りたいですね」
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「鬼軍曹に教えられたもののここに来たときはまだナガスネ流だったね。しかし実際に審査に行くとさ、おれは素人じゃないと自認しているんだが、まあ工場で環境管理をした経験があれば何が管理項目か、どんな法規制にかかるかってのは一目見りゃわかるよ。それはうぬぼれじゃない。そして工場の担当者や管理者もそれを十二分に自覚しているんだ。だけど環境側面なんてわかりきっていると言ったところで審査に通らない。だからみな一生懸命調べたふりして、その結果こうなりましたなんて言うわけだ。笑っちゃうよね」
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「私は工場管理の経験がありませんが、審査員を10年もしていれば大体わかりますね。環境側面を調べるのは無駄の一言でしょう」
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「まさしく。そんな思いをするとイライラする、フラストレーションがたまる。そして王様の耳はロバの耳って叫びたくなったよ」
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「それでどうしたのですか?」
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「まあ審査員時代はおとなしくしていたね。ただ主任審査員になってからはナガスネ流でなくてもまっとうならOKするようにした。判定委員会とか定例会議で柴田さんや朱鷺さんにはいちゃもんをつけられたこともあったがな」
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「私とは違い大人の対応ですか」
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「いやいやそう上品じゃない、やくざまがいの廃棄物業者と付き合っていれば柴田、朱鷺なんかの脅しは気にならないさ。ましてや規格解釈では連中が正しいとは思わなかったから、議論になっても良いと思っていたし」
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「さすがですね。じゃあ早苗さんは審査員になるべくして生まれてきた人ですね」
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「そんなんじゃない。俺もさ、研修時代はその鬼軍曹にいろいろと厳しく言われたよ」
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「どのようなことでしょうか?」
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「人の前に座ったときは足を組んではいけないとか腕組みすると失礼だとか」
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「なるほど、佐田さんは細かい方なのですね」
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「いや細かいというよりも長年現場にいてビジネスマナーを知らない俺が、審査で問題を起こさないように教えてくれたのだろうなあ。俺たち社内研修時代には工場の環境監査に参加したが、実は何度か態度や話し方に苦情を受けたことがあった。佐田はそういうことを気にしていたのだろう」
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「なるほど、とすると佐田さんは本当の意味で教師だったのですね」
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「そう、やつは生まれながらの教師なのだろう。フフフ、俺は主任審査員になってからここに出向してきた人の教育係りになった。そういうとき、つまりISO規格、法規制あるいは審査員のマナーなどを教えるときいつも佐田ならどうするだろう、佐田ならどのように教えるだろうかと考えた。奴は口は悪いし厳しい教師だったから好きではなかったが、感謝している。私が今あるのは佐田のおかげだよ」
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「初めてのとき、早苗さんが居眠りした人を怒鳴ったのには驚きました」
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「怒鳴ったのはまずいかと思うが、審査に行って居眠りしたら怒鳴られるどころではないな」
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「おっしゃる通りです。 しかし早苗さんは柴田さんや朱鷺さんなど偉い人たちから嫌われていたようですが、どうして教育係になれたのでしょうか?」 | |||
「ナガスネ内部でもいろいろな考えもあり変化もあった。2000年を過ぎた頃、ナガスネ流というのは世間では揶揄の対象となっていた。当然ウチの中でもそれを批判する者もでてきた。とはいえ柴田さんや朱鷺さんを直接批判もできず、当時の社長が間を取って教育担当にナガスネ流でない者も入れていろいろな考えがあることを新人に理解させるようになったんだ」
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「ああ、なるほど、私が教育中に聞いた早苗さんのお話は非常に納得できました。ナガスネもそういう動きがあったのですか。 いや待てよ、しかし実際に審査に行けば主任審査員はやはり旧来のナガスネ流でした」 | |||
「そこんところはいろいろとあると思うね。まず審査リーダーが古い考えだからメンバーはやはりそれに合わせるしかない。そしてナガスネ流は単純明瞭だからそれに染まってしまえば審査は楽だ。考える必要がないからね、アハハハハ」
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「でも・・・疑問を感じないのでしょうか?」
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「俺から聞きたいけど・・・俺はさっきも言ったが元の会社では排水処理とか廃棄物とか扱っていたわけだ。だから現実の審査が変だと思った。 だがISOを担当していましたとか環境広報をしていましたなんて人は、マニフェスト一枚書いたことがないだろう。だからマニフェストの1枚目と2枚目のサインがずれていても気にしないんだぜ。そんなだからおかしな規格解釈聞いても疑問を持たないと思う むしろ俺は三木君がどうしてナガスネ流はおかしいぞと思ったのかその訳を知りたいね」 | |||
「なるほど、普通の人は疑問を持たないのか・・・・確かに私も仕事ではマニフェストを書いたことがありません。だからマニフェストの記載内容を審査するためには自分で書いてみなくちゃならないと考えました。それに1枚発行するのにどれくらい時間がかかるのかも知らなくちゃなりませんよね」
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「ほう、三木君は努力家だね。いや発想がすごいというか・・・」
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「ハハハハ、ともかく2000円だか3000円でマニフェストをひとつづり買ってきまして、休みの日自宅で練習しました。結構記入箇所を埋めるのは面倒ですね。審査で見るいくつかの記入箇所が「同上」とか「〃」とか書いてありますが、そう書きたくなる気持ちが分かります。あれだけ記入箇所があれば抜けも出ますよ。 実際に書いてみると頭の中で廃棄物を想定して書こうとするのですが、分類がわからないものもありましたし・・ともかくそんなことをしました。 それと環境側面のリストを眺めますと、著しいものにトッピなものがありませんね。確かに以前は通勤とか見かけましたし、最近は有益とかいうカテゴリーも散見されますが、どうもそういったものはこじつけっぽいですよ。客観的に見れば落ち着くところに落ち着く。意外性なんてありません」 | |||
「そうなんだよな。じゃあ元から管理しているものを著しい環境側面にしましたという論理だっておかしくないはずだ。だが現実にはナガスネ流の審査を受ければ不適合になる」
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「まあ私の事に戻りますと、だからナガスネ流はおかしいと感じたわけです」
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「当たり前に考えればそうなるだろうなあ〜」
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「柴田さんや朱鷺さんを見ていると要するに内容じゃなくて形式を見ているだけでしたね」
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「三木さんは多少遅れてきたから良かったというところもあるね。俺たちが来たときは柴田さんに反論なんてできない雰囲気だったね。神様みたいなもんかな あるとき柴田さんが言っていたけど、1996年頃彼ら数人がイギリスに長期で審査員修業に行ったらしい。そのときいかに学んだかということを我々に自慢したもんだよ。認証機関の仕組みから審査のルールから無から作り上げたと延々と語っていた」 | |||
「開拓者は大変だとは思いますが、時代はどんどん変わりますから過去の栄光に生きていても困りますね」
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「まったくだ。まあそんな唯我独尊て連中が何人もいたもんだから、いまだにナガスネ流を捨てきれないのさ。今現役の主任審査員の過半は柴田、須々木、朱鷺といった連中の教え子だからね」
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「早苗さん、今ISO認証は減少傾向です。それの遠因というか直接の原因かもしれませんが、そういったナガスネ流の考えつまり目的3年といった形式化、空洞化によるものとは言えませんか?」
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「うーん、どうかなあ〜。確かにそれもあるだろう。だけど一番は認証しても効果がないと会社が考えたからじゃないのかな?」
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「効果がないというのは形式でしかなかったということでしょうし、形式化ということそのものがナガスネ流だからということはありませんか?」
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「うーん、わからんね。それにそういうことは頭で考えてもわからないよ。認証を返上した企業の実態を調べ、また認証しようとしない企業の意思を聞き取りしないとね それにどうだろう、元々認証が必要だったという企業は少なくて、必要でなかった企業が認証を止めただけかもしれない」 | |||
「なるほど、単純ではありませんね」
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「簡単ではないだろうねえ〜。問題が簡単ならば頭がいい人が多いのだから既に対策はできただろう。20年経っても何も改善しないのだから非常に問題が大きいのか、それとも・・」
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「それとも?」
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「そもそもが認証制度なんて必要なかったってことかもしれないな」
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「なるほど、」
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二人はそれっきりしばし黙ってしまった。 三木がプラスティックのコーヒーカップを取ると既にすっかり冷たくなっていた。 三木は思い出したように口と開いた。 | |||
「早苗さん、佐田さんとおっしゃいましたが今でも働いているのでしょうか?」
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「あいつは俺よりも5つくらい若いはずだ・・・定年は過ぎたと思うが嘱託で働いているかもしれないな」
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「名前を聞いて引退する前に挨拶しなければと思い立ちました」
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「奴に感謝はしているが俺は会いたくはないな、ハハハハ、もし三木君が佐田に会ったら俺も元気にやっていると伝えてくれ」
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「承知しました」
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スタバを出たところで二人は別れた。もう会うことはあるまい。 ●
三木が会社に戻るともう5時少し前になっていた。名刺のホルダーを引き出して、10年も前にもらった佐田の名刺を探した。あったあった。今もいるかどうかわからないがそのメアドにメールを書く。● ● ISO審査員になるときお世話になった者です。まもなく引退するのでお礼を言いたくお会いしたいという旨を簡単に書いて躊躇なく送信した。返事が来るのは宝くじが当たるようなものかなと三木は思った。 ●
早苗は自宅へ帰る電車の中でいろいろ考える。● ● まず佐田のことだ。あいつには嫌な思い出しかない。とはいえ田舎の工場の環境管理課長をしていた早苗は排水処理とか廃棄物の事なら自信はあったが、外注業者とか廃棄物業者を相手にしたことしかなくビジネスマナーも敬語も使えるはずがなく、そういう早苗を手取り足取りして教えてくれたのは間違いない。
それから六角の事だ。一緒に佐田の教育を受けていたころ環境とかISOなんか全く知らず彼はいつも小さくなっていた。とはいえ世が世ならという思いもあったようで、たびたび人事に行っては関連会社に出向させてほしいと頼んでいたのも知っている。彼も死んだか。人生何がどうなるかわからないものだ。自分はどうなのか? あと1年働いて引退して、何をするのだろう? それからISO認証制度の先行きを思う。どうなるのだろうか? とはいえ自分は楽しくやってきたからあとは野となれ山となれという感じだ。 工場の環境課長時代に審査にやって来た審査員に、つまらないことをいろいろと言われ頭に来たこともたびたびあった。審査員になってからそんな風になるまいと思ってはいたが実際はどうだったのだろう? 審査で口論となったこともあるし、苦情を言われたこともある。そんなことを思い返すと自然と苦笑いする。俺も自分で思うほどではなかったのだろう。とはいえまあまあの審査員だったのだと自分に言い聞かせた。 すべて世は事もなしと早苗はひとりごちた。 |