*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。
審査員物語とは
「あら、三木さんお久しぶり。お元気そうで何より」
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「オイオイ、俺ももう63になったよ、爺さんだよ」
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「まあどうぞ、こちらへ」
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岸本が受付から訪問者用のネームカードを受け取り三木の首にかけた。それからエレベーターホールに案内する。 エレベーターの中で三木は持ってきた土産を岸本に渡した。数日前に福岡に行ったときに買った通りもんの16個入りだ。 | |
「まあ、ありがとうございます」
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「もう俺の知っている人は誰もいないだろう。ということでこれはみなちゃんが食べてくれたらいいよ」
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「そうですねえ〜、もう三木さんをご存知の方はおりませんね。本部長も部長ももう3人か4人変わりましたし、あれでしたら営業本部には行かずに直接元の事業部にお顔を出されたらいかがでしょう? 向こうならまだお知り合いがたくさんいらっしゃるでしょう」
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「そうしようか。この名札を付けていれば向こうの部屋に入れるのかな?」
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「先ほど受付で営業本部と三木さんのいらした事業部に入れるように手続しましたので大丈夫です」
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「気を使っていただいてありがとう。とはいえ、みなちゃんとだけでもお話ししたいな。ロビーに行けば今でもコーヒーとケーキはあるんだろう?」
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「そうですね、私も三木さんの近況を知りたいですわ」
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二人はエレベーターをロビー階で降りて、窓際の見晴らしのいいところに座る。ウェイターに注文して二人は話し始めた。 | ||
「三木さんはとうに定年を過ぎてますよね。今は嘱託でお勤めですか?」
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「今の勤め先は60定年になると定年で子会社に移される。といっても同じ建物で部屋が違うだけだ。いまその子会社にいるんだ」
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「まあどこでもおなじようなものですね」
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「定年延長なんていうけど賃金やその他の処遇も以前のままというわけにもいかないだろうし。ここだって嘱託になっても62か63、関連会社に移っても面倒見てもらえるのはせいぜい63だろうね。実は子会社の定年は63なんだよ」
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「ええと、それじゃ三木さんはそろそろ二度目の定年になるのですか?」
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「おお、本題を忘れていたよ。実は子会社の方もあと二三か月で定年なのさ。それで昔の付き合いに挨拶回りしているところだよ」
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「まあ、そうなんですか! でも今の60歳は20年前の50歳と同じくらい体力も知力もあるでしょう。63で引退というのもつらいですね」 | |
「うーん家にいてもいまどき子守って仕事もないからね」
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「三木さんのところはお孫さんは?」
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「娘は結婚したがまだ小梨で、息子は毒男だよ。もちろん二人とも同居じゃない」
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「まあ、それじゃ手持無沙汰でしょうね。これからどうするのですか?」
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「話せば長くなるが・・・とりあえずフィットネスクラブに入ったり公民館を訪ねたりして、まあそんなことをしながらだんだんと考えていくよ」
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「もちろんいろいろとお考えご検討されたのでしょうね。じゃあハッピーリタイアメントということで」
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「そう、ハッピーリタイアメント」
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三木はそれからしばらく岸本と話してから古巣の事業部に行き挨拶回りをする。とはいえ自分と同年代はほとんど引退したり関連会社に移っており、見知った顔はあまりなかった。居場所もなく20分ほどでお暇して外に出る。 佐田の会社まで歩いて1・2分だ。約束の時間までまだ1時間ちかくある。時間つぶしをしようと紙コップのコーヒーを買って歩道にあるスツールもどきの石に座る。 車道を車が走るが気にもならない。実を言って三木は支社勤務ばかりだったので大手町勤務というのは審査員に出向しろと言われて勉強したときの1年弱だ。だからあまりなじみのあるところではない。 街路樹や行きかう人を眺めて時々コーヒーをすする。 しばしぼうっとしていると突然声をかけられた。 はっとして振り向くと佐田と思しき男が立っていた。昔と違い髪の毛はもう真っ白に近い。 | |
「三木さんでしたよね?」
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「佐田さんですね? どうしてここに?」
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「アハハハハ、実を言いまして息抜きにコーヒーでも飲もうと外に出てきたところです」
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「いやはやお恥ずかしい。遠足が待ち遠しい子供のようでお約束よりも早く来てしまいまして、ここで時間をつぶしていました」
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佐田もコーヒーカップを持っていた。三木の隣の石に座る。 | |
「今の季節はビルの中よりここでコーヒーを飲む方がいいですね。」
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「お聞き及びかもしれませんが、佐田さんをご紹介してくれた六角さんがお亡くなりになりました」
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「ええ、知りませんでした。そうですか。私が教えていたとき彼は審査員になるのは本望ではなかったようでしたが、その後どんな状況だったのでしょうか?」
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「佐田さんは最近六角さんと付き合いはなかったのでしょうか?」
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「ありませんね。教えたといっても生徒の方が私より年上でしたし職階も上でしたらか、私の教育をうけたなんて黒歴史じゃないんですか?」
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「そうですか。私も六角さんと会ったのは審査員になれと言われた10年前と、その後はたまたま数回会っただけです。ともあれ六角さんは審査員になったことをけっこう楽しんでいたようですよ」
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「それはよかった。彼は営業一筋の方でしたからまったく未知の分野に飛び込むことを躊躇していましたからね」
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「それは私も同じですよ。でもどんな仕事でも1年もやればなんとかなるものです。 そうそう佐田さんは早苗さんも教えられたそうですね」 | |
「早苗さん、いやあ懐かしいお名前ですね。多分・・早苗さんと六角さんは同期だったと思います」
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「そのようなことをおっしゃっていましたね」
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「早苗さんは六角さんとは正反対の方でした。審査員になりたいと志願して来た方でした。ところで彼とはどういうお付き合いでしたか?」
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「私が認証機関に出向した時の指導者でした。ウチではチューターなんて呼んでますが。彼は今年いっぱい契約審査員をして引退とか言いました。佐田さんに会うなら元気にやっていると伝えてほしいと言っていました」
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「なるほど、彼も引退の時期となりましたか。早苗さんは六角さんより二つ下のはずだ。 彼は・・・・なかなか口が悪いでしょう」 | |
「口が悪いというか言葉が悪い方でしたね。よく怒鳴られましたよ」
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「そうそう辛辣というのじゃなく、言葉が乱暴というかアハハハハ」
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「私の師匠の早苗さんの師匠が佐田さんとなりますと、佐田さんは私の大師匠ということになります。引退前にぜひともご挨拶をしておかねばと思いまして」
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「アハハハハ、三木さんは面白い方ですね。私は教えられた方から尊敬されていないようで、審査員になる方を20人くらい教育しましたが、三木さんのようにあいさつに来られた方はいませんよ」
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「実は本日は引退のご挨拶もありますが、それと佐田さんのお考えをお聞きしたいと思いましてね」
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「そいじゃここでもなんですから会議室を取っておりますので場所を変えましょう」
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佐田の案内で 皇居のお堀が見えるいい部屋だ。佐田もいい会社に勤めているものだと三木は思う。こういう会社に勤めていると中小企業や現場なんて知らないのだろうと少し冷やかな目になった。三木が佐田の過去を知っていれば少しは考えが違ったかもしれない。 | |
「早速ですがまずはご挨拶ということで・・・審査員になって満十年、まもなく審査員を引退することになりました。それで今までお世話になった方々にお礼参りをしているところです。佐田さんには一二度しかお会いしませんでしたがご指導ありがとうございました」
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「そうですか、三木さんにお会いしてから10年いや11年になるのですね。どんなお仕事でも10年すれば一段落でしょう。思い残すことはありませんか?」
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「いやいや、それどころか自分の仕事についても、認証ビジネスについても疑問だらけ、満足いかないところばかりですね。本日の本題は私の疑問について佐田さんのお考えをお聞かせいただきたいと思いまして」
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「現役の審査員の方が疑問なことの答えを企業にいる者が知るはずありませんよ」
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「ISO認証ってなんだったのでしょうか?」
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「そりゃまた大きなテーマというか・・」
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「佐田さんも感じているでしょうけど、認証制度はもう寿命末期だと思いますね」
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「まあ何を寿命と考えるかでしょうけど」
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「一番の指標は登録件数でしょう。売り上げと言ってもいいですが」
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「登録件数と言いましてもJABだけなのか、ノンジャブを含むのか、簡易EMSはどうかと考えると一概には言えません。それと発展的解消というか・・・たとえばISO9001であれば種々セクター規格が繁殖していますし」
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「まあ広く考えるといろいろな観点がありましょうが・・・とはいえノンジャブを含めてもISOサーベーをみると日本での登録件数は増えていないようです。それに簡易EMSも頭打ち、セクター規格は登録件数の絶対数が非常に少ないですし。全体として低調であることは間違いありません」
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「確かにISO認証件数のピークはとうに過ぎていますね」
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「そうでしょう。要するに世の中には必要のなかったものだということでしょうか?」
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「三木さんは私より年上でしょう。ご存知と思いますが、世の中の出来事ってものは、そんなに簡単にバッサリと割り切れるものではありません。ものすごく流行したものが半年もたたずに見られなくなって、振り返るとあれはいったいなんだったのだろうと思うことも多々あります。一過性の熱病みたいなものでしょうか。 しかしはやりすたりとは、政治・経済・文化などによって、そのときどきが必要とするものであるわけです。もてはやされたのがいっときだけだったから意味がなかったのだというのは間違いで、いっときもてはやされたということにはどんな理由があったのだと考えるべきでしょうね」 | |
「ではISO認証制度はいかなる理由でいっときはもてはやされ、そしてすたれていったのでしょうか?」
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「またまた、そんな大問題を私が解き明かせるはずがありません。もしその問題に解があり対策が取れるならJABも認証機関も悩みなんてありませんよ。三木さんのところだって事業の将来性は懸案事項でしょう」
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三木は黙ってしまった。 だが佐田は言葉を続けた。 | |
「ISO認証制度が日本で広まったというのは、まずEU統合の影響というか圧力があったと思います。でもそれは輸出企業にとってだけ必要だった。EU対応の認証が一巡した1996年くらいからは、認証を受ければ企業が良くなるという思い込みがドライブになったと思います」
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三木はうなずいた。そこまでには異存はない。 | |
「でもなにもないところでISOが企業を良くするなんて思うはずがありません。世はまさにバブル崩壊真っ盛り。会社を良くする、強くする、現場を強くするにはどうしたらよいのか、どうすべきかということで各社悩んでいたと思います。また海外展開も流行というか迫られていて、それまでの日本的経営の以心伝心とか不文律ということではグローバルに通用しないということもあったでしょう」
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「従来の小集団活動とかが通用しなくなったと思われたということですか?」
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「その通り。当時は認証機関はボトムアップとか小集団活動、提案制度などを揶揄し、これからはISO規格でないとだめだということを主張しました」
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「最近では簡易EMSの中には、EMSというよりも小集団活動としか思えないことを主張しているところもありますね」
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「おっしゃる通りです。揺り戻しなのか、20年間ISO方式で来たものの、成果が見えずまた右往左往しているということでしょうか」
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「つまりなんですか、佐田さんはバブル崩壊後の新しい価値観というか手法としてISOに飛びついた。しかしその後ISOの成果が見えずISO離れが起きた、今また新しいものを探しているということでしょうか」
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「そうだとは断言できませんが、そういうことが大きいのではないかと思います。それにいかなる流行にも始まりがあり終わりがあります。小集団活動がはやり始めたのは1970年頃でしょう。それが行き過ぎた強制とか脚本通りといった形式化が問題になり沈滞したのが1990年頃、まあその間20年でしょう。ISOだって20年流行したら飽きられてもしょうがないでしょう」
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「ということはISOをこれから盛り返すということは不可能ということでしょうか?」
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「そうじゃありません。まずISOとは、ここではISOマネジメントシステムという意味ですが、過去20年間信じられてきたものが本来のISOであったのかということがあるでしょう。私はISO規格を正しく読んだのではなく、日本流に解釈したとか間違えた解釈がバッコしていたと思うんですよ」
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「なるほど、とすると正しい解釈を広め、それで企業の仕組みを見直し、審査を行うようになれば新たな20年を迎えることができるということになりますか?」
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「そんな簡単でもありません」
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「はあ? 一度評判が落ちてしまったからとかダメだという烙印を押されたからですか?」
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「そういうことではないのですが・・・私の考えですが、ISO規格が語っていることは普遍的で間違っていないと思います。しかし間違っていないということは誰が考えても最終的にそこに至るであろうということでもあります。 つまり何と言いますか、まともな人、まともな企業なら当たり前にしていることだということを関係者が知ってしまったら、ISO規格の意義も認証の価値もなくなってしまうでしょう。そう思っているのです」 | |
「えつ、」
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「日本ではISO規格は素晴らしい、ISO規格に会社を合わせたら会社が良くなるという宣伝をしました、そして多くの企業がそう信じました。そういうことを唱えている書籍は星の数ほどあります。しかしISO規格をよく読めば当たり前の事しか書いてありません」
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「なるほど・・・」
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「例えば文書管理なんて御大層なことが書いてありますが、よく読めばどこの企業の文書管理部門だってしていたことにすぎません。文書と言っても紙に書いたものだけでなく、サンプル類、色見本、掲示板、そういうことの標準的な管理方法というものは、それこそ100年も前から確立していました。わざわざISO規格で決めるほどのこともありませんでした。 文書管理に限らず、記録管理、組織体制、命令系統、計画立案とフォロー、その他みな同じですよ」 | |
「しかし多くの企業はISO認証するために質的向上が図れたのではないのですか?」
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「それは企業の実態を見て判断することのできない審査員が、規格の文言と一字一句コンペアして明文化させたということであって、質的向上とは違うでしょう。 その証拠にISO認証によって品質向上、顧客満足向上が図れたという証拠を見たことがありません。改善できたと主張する企業があれば、そこは世の中一般よりもレベルが低かったのが並みになったということにすぎません」 | |
「うーん、」
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「今規格改定が検討されていますが、まあ意味がないでしょうね」 (この物語は2013年時点である) | |
「意味がないとおっしゃると?」
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「規格改定、いや何事も変えるにはすべからく意味があります。変える目的があって改定を行い、その結果として目的を果たさなければなりません」
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「そりゃそうですね」
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「じゃあ、今回の改定で何を目指していて、改定によってそれが期待できるのでしょうか?」
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「ええっと、あまりにもたくさんのマネジメントシステム規格ができたので、その構造を標準化しようというのがまずあると言ってますね」
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「そのようですね。でもそれって審査側の都合にすぎませんよね」
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「ちょっと待ってください。そうとばかりは言い切れないでしょう。今まで企業はISO規格に合わせて文書管理とか、製品の保管とか、環境改善の計画フローを決めてきました。ところがQMSやEMSあるいはその他のMS規格によっては文書管理とか内部監査の要求が異なることが多く、企業側が困っていたということを改善することであるわけです」
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「三木さん、それは審査員側からの観点で、認証機関や審査員が楽をしようとしているだけと思いますよ。そもそもISO規格には規格文言通りのシステムを作れなんていう要求はありません」
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「ええっ、会社の手順書は規格文言通りにしなければいけないでしょう?」
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「規格をよく読んでいただければわかりますが違います。企業の仕組みの決定権は企業にあります。ただISO認証のためにはISO規格要求を満たす必要があるというだけです。企業の仕組みは企業の必要によって作ります。それが結果としてISO規格を満たしていればいいだけのことです。 QMS要求とEMS要求が異なろうが、企業が必要だと思うことを、企業が良かれと思う方法で定めることにISO規格はいかなる影響も与えません。 しかしですよ、企業がISO規格に合わせて手順書を作ってくれるおかげで、審査員は考えることなく審査できるという非常に楽な状況を提供してもらっているということです」 | |
「ちょっとちょっと、それはいささかおかしくないですか。すると社内の手順書がISO規格と異なる表現であっても良いということになる」
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「当然です。審査には二つの方法があることはご存知ですよね。項番順審査とプロセスアプローチです。本来は企業がISO規格に合わせることや規格に適合していることを説明するのではなく、審査員が現実を見て規格を満たしているかどうかを審査しなければならないのです」
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「確かに二つの道があることは存じています。しかしプロセスアプローチをしなければならないということもないでしょう」
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「ISO17021を読むと「要求事項への適合の責任は依頼組織にある(4.4.1)」そして「認証機関は認証の根拠になる客観的証拠を評価する責任をもつ(4.4.1)」とあります。 (ISO17021:2011) 確かにプロセスアプローチでなくても良いが、企業は項番順に説明する義務を負いません。つまり企業側は規格を満たす義務はありますが、説明責任は負わないのです。審査員が企業が規格を満たしているかの証拠を探す責任があります。当然ですが審査員が不適合にするには規格要求を満たさない証拠を提示する責任を負います。企業が規格適合の証拠の提示をする必要はないのです。というかそんなことは悪魔の証明で実行不可能ですしね」 | |
「えええ」
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「なにしろ企業は審査に大金を払うのですから、審査員にそこまでサービスする必要というか義務は持ちません」
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「待ってください、ちょっと考えさせてください」
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三木は斜め上方を見上げて考える。 ISO審査とは、規格要求を満たしていることを企業が説明することではないのか? そのために品質マニュアルなり環境マニュアルを作り認証機関に提出するのではないか? そして審査とは、マニュアルが規格を満たしていることを確認し、実態がマニュアル通りであることを確認することではないのか? しかし佐田の論理は真逆だ。 審査員になったとき環境マニュアルが規格要求のshallがすべて網羅しているかをチェックする仕事をさせられた。当然shallが欠けていれば実務がそれを満たしていようとも不適合にした。あれは間違いだったのか? ちょっと待てよ、品質マニュアルは確かに規格要求ではある。しかし環境マニュアルは規格要求ではない。じゃあなぜ作るのかと言えば認証機関が審査契約書で作成と提出を求めているからだ。認証機関の中には環境マニュアル不要というところもあると聞く。 それにISO9001(2008)では品質マニュアルの作成を要求してはいるが、マニュアルに対する要求事項は、適用範囲、除外事項、文書を参照できることを求めてはいるが、規格のすべてのshallに対応する記述を求めていない。 要するにマニュアルには組織の概要を記述すればよいのであって、shall対応の記述を求めていない。じゃあ、なぜshallが漏れていれば不適合にしていたのだろう? あれは審査員が勘違い、間違えていたのだろうか? | |
「三木さんが考えあぐねていることは分かりますよ、審査とは規格要求を満たしていることを調べることなのか、規格要求を満たしていることの説明を受けることなのかということでしょう」
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「まさしく」
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「つまりそこのところで日本のISO審査はボタンを掛け違えたのですよ。 あのう、ちょっと観点を変えますが、規格要求を満たしていることの説明を聞いて、OK/NGを判定することに高いお金を取れると思いますか? 三木さんは元営業部長さんでしたよね、お金をもらう仕事がそんなに楽だったら苦労しないでしょう」 | |
「その観点ではその通りですが・・・企業が適合を立証しなくても良いというのは納得しがたいですね」
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「繰り返しますが、そこんところがISOがおかしくなったという始まりでしょうね」
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「それが始まりなのですか?」
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「そうです。多くの人たち、認証制度側そして企業側共に、ISO認証とは審査員側が調べることではなく企業側が提示することであると認識したことによって、審査側が楽をして実態を調べようとしなくなったのです。だから審査の意味がどんどんと軽くなり、実態を把握しないで認証することになった。 どこかの大学教授が節穴審査員という | |
三木はいささか気色ばんだ。 | |
「すると今までの審査は茶番だったということですか?」
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「現実を見ればそれを否定しようがないでしょうね。おっと、誤解を招く言いかたでした、訂正させてください。まともな認証機関というか力量のある審査員は企業の実態を見て審査していたでしょう。でも多くの認証機関の多くの審査員は提示されたものを見て判定していたにすぎません。それを審査と呼べるのかというと呼べないと私は思います」
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「佐田さんのお考えは・・・」
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「特段私の主張などありません。そもそも三木さんがお尋ねになったのは、ISO認証を興隆させるにはどうすればよいのかということでしたよね? それに対する私の見解は、ISO登録件数が減っているのは、元々の考え方が間違っていたせいであるということ、興隆を図るにはそれを改めなければならないが、今は既に時遅く打つ手はないのではないかということです」 | |
三木は黙り込んだ。佐田が語ることは全くのでたらめなのだろうか? それとも真実なのだろうか? 三木が規格解釈で悩んだことなどちいさなこと、どうでもよいことであって、本当の問題はもっと根深いところにあったのだろうか? | |
「佐田さんのおっしゃる実態を見て審査するということはプロセスアプローチをすればよいということですか?」
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「いや、そういうわけでもないと思います。実を言いまして私が確固たる考えを持っていて話しているわけではありません。いえうそを騙っているというわけではないですよ。いわんとしていることは今考えながら話しているということです。 戻りますと、審査員は実態を見ておかしなところに気付く力、適正かどうかを判断できる力、ISOでは力量というのでしたっけ、そういうことができなければならないのです。そして多くの企業はマニュアルに書いてなくても実際にはしているはずですし、社内文書で定めていても実行していないことは多いでしょう。そういう実態を見る力がなければなりません」 | |
「審査員の力量が低いということですか?」
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「そうです。ただ審査員の方が良く言いますよね。問題が起きたのは人が悪いのではない、システムが悪いのだと・・ 私もそう思います。審査員の力量が低いのは審査員が悪いのではなく、審査員の登録基準あるいは任命基準が低いからであり、審査員育成システムが間違っているからでしょうね。 ですからなによりもまずISO17021を十二分に理解して、審査のアプローチなどを理解して審査システムを見直す必要があるでしょう。そしてそれを実行できる審査員を養成しなければなりません。 おっと誤解があるといけません、審査システムとは審査の手順や基準とそれを支える研修や資格基準ということです それからですが・・・審査員は企業を指導しようとか会社を良くしてやろうなんて考えることが僭越なんですよ。そういう発想というかスタンスが企業の人から見透かされて・・いや企業の人が認識していない可能性が大きいですが、無意識であってもそこから審査そのものに対する不信感を持ったと思います。審査員は純粋に規格要求を満たしているか否かを判定するのに徹すべきだったのです。それが付加価値審査とか企業に貢献すると言い出しせば、当然その貢献を期待されます。しかし役に立たないアドバイス、いちゃもんに近い改善提案などによってますます審査の価値を貶めたのです」 | |
三木は目を見開いて佐田を見つめた。こいつは狂っているのか? ISOの預言者なのか? そして三木は10年前に会った佐田と今の佐田のキャラクターが全然違うことに違和感を持った。10年前、佐田は自信のない弱気な男に見えた。今は傲慢と言えるほどに自信あふれている。どのような変化があったのか? いや違う、佐田は全然変わっていないのかもしれない。10年前に来たときに言われたのは、会社の実態を知ることができなければ本当の審査はできないが、形だけ見て判定するなら誰でもできるし、多くの審査員はそういう審査をしていると語ったことを思い出した。そして認証機関に出向するなら真理を追究するのではなくその認証機関に染まることが第一だと語ったと記憶している。それは佐田が嫌う道であったわけだ。 |
おばQさま いつも興味深いお話を有難うございます。 まずネット詐欺の件、ご愁傷さまです。 なににせよ金額が小さくて済んだ点と、隠さず奥様にも話され、HPで書かれている点が凄いのだと思います。 お話を伺うにつけ、簡単にひっかかりそうだと思いますし、私などは引っかかっても気づいていないかもしれません。そういえば2月のクレジットカードの請求は数十万ありました(笑) クレジットカード番号は、ホテル予約、ネット販売でも使いますが、始めての相手も多く、海外もあります。ですから、正に相手が信用できるかは、お互いに不明なのです。 その点では、便利になればなるほど、リスクも多いのだと思います。 「佐田に会う」を拝見しての感想です。 ISO認証の停滞の原因は、彼の「まともな人、まともな企業なら当たり前にしていることだ」という言葉に尽きていると感じました。私も技術系の認証をしていますが、規格が普及して当たり前になれば、その認証は不要か自己申告、書面のみ提出など、簡略化されます。それが、ある意味、技術系の認証では普通の事です。一方で新たな規格も登場しますから、それを追いかける事が、認証ビジネスでは必要です。 こういうサイクルが必要なのは、認証に限らず、製品開発でも同じなので、例外はないのだと思います。 同じ事を明日もやって稼げれば、これほど嬉しい事はありませんが、世間は変化するから、それは無理なのです。同じ事をやるならば、簡略化して値段を下げるしかないが、それをやればサバイバルゲームなのです。 一方でISO9001でも、未だに不要とは思えず、海外の企業を審査するには、その会社の規定や仕組みを理解するには役に立つのです。ですから、海外の企業を、日本企業に向けて、またはその逆ができるならば、ビジネスはあるのだと思います。 ISOの世界でも、17021(適合性評価)27001(情報セキュリティ)などは、未だに認証機関が忙しく、予約待ちもあります。こういう分野へISO認証機関も移っていく必要もあるかもしれませんし、それができる審査員は、いつでもお仕事があるのだと思います。 いづれにせよ、どんな分野でも、変化についてゆき、企業も、それを構成する人も色々な力量をつけ成長が必要なのだと思います。 外資社員 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 カード詐欺の件は正直1000円で済んでよかったと胸をなでおろしました。これは詐欺というものを教えていただいた授業料と思って以後に生かしたいと思います。 ISOの件、おっしゃるように「規格が普及して当たり前になれば、その認証は不要か自己申告、書面のみ提出など、簡略化されます。それが、ある意味、技術系の認証では普通の事」にはまったく同意です。 しかしそうなると認証ビジネスというのは常に革新していかねばならなくなり、そもそも発祥した時に認証機関や審査員が考えたように、仕事内容が固定した維持的業務で引退した人がするような性質の仕事ではなかったということになります。 それがそもそもの勘違いであったということになるのでしょうか? 余談ですが日本ではISO審査員とは高学歴でキャリアを積んできた人が従事するものというイメージがありますが、イギリスでは高卒の仕事だとか聞きました。日本だってUL審査に来る人は御大層なことを言わず、もくもくと定められていることを点検していましたが、あれがISO審査のあるべき姿だったのでしょうね。 となるとそもそもがISO規格やISO認証についての認識が誤っていたということになり、今更ISO認証件数維持とか拡大のために「経営に寄与する」とか「会社を良くする」なんてメリットを唱えるのは更なる勘違いとしか言えません。さすがにJABは「経営に寄与する」とは言いませんが、アクションプランなどをみればやはり見当違いの方向で頑張っているように思えます。 これからどうなるのかと思うと、そういうスタンスを変えないとどうにもならないのでしょうね。私は最後まで関心を持って見守っていきたいと思います。 |