2016.05.05
お断り |
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
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★タイトル★ | 著者 | 出版社 | ISBN | 初版 | ★価格★ |
戦争概論 | アンリ・ジョミニ 訳編 佐藤 徳太郎 | 原書房 | ★★なし★★ | 1979.5.10 | 2,000円 |
先日読んだ
「戦術論入門」がこの本を引用していた。何でも知りたがり見たがりの私だから、すぐに読みたくなった。とはいえすごく古い本だからそのへんにはない。市の図書館で検索しても蔵書にはない。アマゾンで調べると中古本が7,900円で出品されていた。ベラボーだあ! どこかにないかとネットで調べたら隣接している市の図書館にあったのでインターネットで取り寄せを予約した。そんなこんなで、ちょっと時間はかかったが手にすることができた。
今の図書館のネットワークは素晴らしい。会社を引退してから図書館を使わず、新刊あるいは古本でも買っていたら、本代に月1万数千円かかっていただろう。過去4年間で60万の費用削減をしたことになる。アリガタヤ
じゃあ4年間で60万残ったのかと言えば、そんなことはありえない。可処分所得が減ったから買わなくなったというのが真実かもしれん。
実は以前利用していた大学図書館の蔵書検索をしたらそこにもあった。しかし大学に行くまでの電車賃がもったいないからここ2年は利用していない。年金生活者はつましいのだ。
なお、後で知ったが「戦争概論」は10数年前に一度文庫本になっていた。こちらは古本が手に入るようだ。
さて、著者ジョミニという方はスイス生まれで若い時はスイス軍にいたが、その後ナポレオン1世の参謀となりその作戦と指揮が有能で名をはせた。
しかしその才能を妬まれたのかあるいは秀才にありがちなごう慢さ故か上官や同僚に嫌われフランス軍を去り、ロシア皇帝に招かれてそこで士官学校を創立するなど活躍したそうです。
当時の軍人の立ち位置は現在と違い、自分の好むままに移ることができたのでしょうか? ちょっと想像がつきません。当時のヨーロッパの学生のように、国境を越えて学びたいところに行くというのと同じ感覚なのでしょうか?
いや当時は国民国家でなかったからというのが真相かもしれません。
まったく同時期に「戦争論」で有名なクラウゼウィツがいます。この二人は競争意識が強かったらしい。この本も彼に対する対抗心が溢れています。日本ではクラウゼウィツが有名ですが、ジョミニは欧州では戦聖と呼ばれたそうです。戦聖なんて言葉を聞きませんが、軍事における聖人ってことなんでしょうか?(翻訳される前の言葉がなんだかわかりませんけどね)
ふたりのどちらが優秀かとかいう議論は無用でしょうけど、その後陸軍だけでなく海軍において作戦や指揮に大きな影響を与えたのはジョミニだそうです。
さて経営学では軍隊を動かす方法や考え方を援用しているのはご承知の通り。古来より大勢の人を一つの目標に向かって動かすというのは軍隊くらいしかなく、企業が大きくなるとその管理に、軍隊の方法論と用語が使われるようになったというわけです。
しかし軍隊であっても、初めから大勢の人、それもあちこちからかき集めてきた人を一つの目標に向かって動かすという手法があったわけではない。それ以前に戦争の仕方というものに有効な方法があるのか、作戦や指揮に普遍的な方法があるのかというのも解明されておらず、戦略とか戦術というものは18世紀当時まだ黎明期にありました。
製造などにおける作業標準と同様に、戦争において作戦の標準化、指揮の標準化ができたらいいですね。
なぜかって? 標準化の意味というか目的は、
- 品質の向上・安定
品質とは品物のことだけではありません。業務の品質もありますし、作戦や指揮の品質、つまり誰でも一定水準の指揮ができたらということもあるでしょう。
- コスト削減
コスト削減とは費用を減らすだけでなく、部品、材料、方法そして無駄を減らすことです。鉄砲の弾が共通でなければ補給が大変です。西側の小銃弾はアメリカもドイツも日本も共通で、NATO弾と呼ばれてます。昔は7.62mmでしたが今は5.56oです。
- 能率向上
仕事の手順が決まっていれば覚えるのが簡単です。ミスも減ります。業務や方法を統一していれば組織の組み替え、フォーメーションの変更が素早くできます。
だから新人を、一刻も早く、一定レベルに養成するには作業の標準化が有効です。
標準化とか単純化という考えは、多方面においてさまざまな階層で応用されました。士官に出来・不出来があると困るから、士官学校を作り標準化された指揮の方法を教え、号令を決めておけば指揮官や兵隊が変わっても常に同じ動作をさせることができます。
西南戦争のとき、政府軍の兵士が出身地も出身藩も違うのが混在していても、号令すると一斉に動いたのがすごいと書いてあったものを読んだことがある。確かに戊辰戦争の頃の感覚の人が見たら近代軍の所作は驚嘆ものだったろう。
昔、ソ連では一つの小隊でも兵士の言葉が違い通じないとかで、誰にでも使えるように
カラシニコフを作ったという話もある。カラシニコフの部品は10数個らしい。我が自衛隊の小銃は部品点数が30とか40あるらしく、取り扱いを教えるには手真似だけでは無理だろう。アラブのテロ組織がM16でなくAK47を多用しているのは、入手の容易さもあるけれど、操作が簡単なことが一番だろう。命中率よりもなによりも弾が飛ばなくてはしょうがない。兵器は、性能よりもまずは動くこと、誰でも使えることが重要だ。
もちろん教育も標準化しなければならない。優秀な技能者やビジネスマンを育成するのは大変だから、業務を標準化しそれを文書化して教育しろとISO9001やISO14001が言っているわけです。
じゃあ単純作業だけでなく高度な業務も標準化できるのかということになるわけですが、すべては無理としても相当のところまで標準化できるというのが真実でしょう。ビジネスマンを養成するにはMBAとかありますし、高度の技能者育成は企業内でもしていますし技能訓練校もあります。もちろんMBA保有者は全員経営者が務まるわけでもなく、技能訓練を受けても皆が腕のいい技能者になれるわけでもない。だけど身に付けるべきことを教えることで、ある程度のレベルまでにすることはできるわけです。
では軍隊の指揮官、士官あるいは幹部といってもいいですが、どういうルートを経ると士官になれるのでしょうか?
ホーン・ブロワーシリーズなどを読むと、18世紀のイギリス海軍では13や14の男の子を軍艦に乗せたそうです。当時の平均寿命は40代でしたから、軍艦や艦隊を指揮できるのは30代かせいぜい40歳までだった。だから30歳までに一人前の士官に育成しなければならす、そのためには13くらいから教えなければ間に合わなかったそうです。
実はそんな方法は日本にもあったのです。昔の大店で13くらいで丁稚で入って何十年も働いて番頭になって隠居するまで務めたなんてのは時代劇にたくさんでてきます。私が高校を出て社会人になったとき、そこで経理課長をしていた人は最初その会社に丁稚として入社して経験を積んで課長になったという話を聞きました。そんな昔ではありません。1960年代後半のこと、その方が入社したのは1950年代初めだったのだろうと思います。寿命が短く永い経験が必要な場合、そういう形態が存在したのでしょう。
他方、陸軍はお金で職位とか階級が買えたらしい。貴族で金持ちなら大隊長などの職位と大佐とか階級を買って実際に戦争で指揮を執ることができた。もちろん勇気がなければ勤まらないし、指揮がうまくなければ放り出されたのでしょうけど。
そんな時代にジョミニは優秀な士官を育成するために士官学校を作り、そこで教える教育課程を考え、そのためのテキストを作ったそうです。天才は違います。いやジョミニはナポレオンのような天才でなく、秀才だったから教育によって一定レベルの士官を作るという考えに至ったのかもしれません。優秀な指揮能力を精神論とか天性のものという発想に逃げないところがISO的だと思います。
ただその前提として、作戦や指揮は標準化できるのか、いやその前に統一原則があるのか否かということが問題です。もし指揮能力が才能によるのであれば、教育では有能な指揮官は得られないからです。
そのためには戦史を研究し、そして実戦で試行錯誤したわけです。
このへんは経営とか組織論についての研究よりもものすごい真剣さがあったと思います。企業がその製品仕様や販売方法で競う真剣さ深刻さよりも、己の命を賭けて戦うのでは大違いですから。それだけに研究も改善も、ものすごい進化があったと思います。技術革新は平時よりも戦時において格段に進みます。
今の私は特に戦争について考えるとか、師団を指揮するつもりはないので、軍事研究がいかに経営に関わったのかという観点での関心しかありません。特にISOと経営学との関わり、ISOの文章を読むときの用語の持つ意味などについて、大元の軍事用語としての意味合いはどうだったのかという観点で興味があります。ということで同じ文章を読んでもそういうフィルターがかかっています。
「戦略」とか「戦術」という用語はふだん無造作に使われている。いったい戦略とはなんなのか、戦術との違いは何なのかとなるとわかりませんでした。この本には「軍を一つの塊として運用するとすれば自ずと限界がある。それは5万ないし7万が限度であり、それ以上の兵力は混乱を招く」というのを「師団に分割することにより、それらが独立して行軍し戦闘することが可能になった」とし、そのとき師団レベルの運用を戦術(Tactics)といい全体の運用を戦略(Strategy)と呼んだとある。(p.28)
なるほど!そうだったのかと納得した。
俗に「部長の戦術は課長の戦略」なんて言うけれど、あれは正確に言えば間違いだ。というのは戦略とは戦術よりも単に上位という意味ではない。10万人を指揮しようと、命令で動かすなら当時の定義では「戦術」なのである。いくつかの司令部を持つ軍団をまとめて指揮するとき、司令部に出す命令(正確に言えば訓令か?)は、具体的で事細かなものではなく、目的を示すような形となるだろう。
師団司令部はそれを咀嚼して詳細に展開するのだ。もし軍全体に対して事細かな命令が可能であるなら、そもそも師団に分けることがないわけで、最高指揮官の目が届かないからこそ司令部を設けて分権したわけだから。
もちろん指揮可能なサイズは通信手段や移動手段、兵器の複雑さ、兵器の射程などによって異なる。現在は陸海空を統合した中央集約的な指揮になっているのは当時の言葉でいえば戦略から戦術への先祖帰りかもしれない。
もちろん現在では「戦略」は当時の意味では使われていない。
戦争の基本原理は「決勝要点に最大の兵力を集中すること」というのは、今は当たり前のことになってしまったが、これは軍事に限らずすべてにわたって真理だろう。人生においてもいろいろと手を出して虻蜂取らずになってはいけない。
ロジステックスの重要性について力説している。訳者(旧陸軍中佐)はこれを単なる輜重ではなく、戦闘以外のすべてを意味するとしている。旧日本軍はこれを軽視したのか、あるいはそこまでの余力がなかったのか、どうなんだろう?
またジョミニは非対称戦についても論じている。非対称戦とは正規軍とゲリラのような勢力との戦いである。戦争は好き勝手に殺してよいというわけではない。戦時国際法があり、戦闘行為をするには軍服を着て相手側の軍服を着た者のみを攻撃しなければならない。だから武装していない人、軍服を着ていない人を殺すことは戦闘行為ではなく単なる虐殺、犯罪である。
ドイツの空爆は病院や住宅、学校を避けている。しかし日本を空襲したアメリカ軍は、日本の工業地帯は民家と区別できないという論理で住宅や学校を爆撃した。いくらなんでもそりゃ屁理屈だろう。それどころか田畑で働いている農夫、外で遊んでいる子供たちを艦載機が機銃掃射したのは、あきらかなジェノサイドである。原爆を広島長崎に落としたのはその意味で戦闘行為ではなく無差別な虐殺と言えるだろう。
しかしゲリラ側はそんな国際法にとらわれない。ベトミンもベトコンも、便意兵も盧溝橋の国民政府軍も、アルカイダもISISも敵対する兵士に対して民間人を装い無差別に攻撃した。
他方、正規軍はゲリラや便意兵を掃討しようとすると、中国は日本は非武装の一般市民を殺したとうそ800のプロパガンダをする。ダブルスタンダートこれに極まれり、国際法はどこにある? 中華人民共和国の騙ることなど信用できない。
国際法を守る義務のある正規軍としては「そんなのありか!」と言いたいじゃないか?
そして今アメリカはそういう立場に置かれている。今日は我が身、因果応報である。
ジョミニはそれについて解法が分からないという。200年経った今でも、どうすればよいのか誰もわからない。
しかし非対称戦は拡大する一方で、ニューヨークでロンドンでパリでブリュッセルで、いや世界中でテロが起きており、その対処は困難を極めている。
経営戦略において非対称戦というのは存在するのだろうか?
存在する、しかも掃いて捨てるほどある。
一番目につくのはNHKだろう。彼らは国家(法律)の保護の下、テレビを保有しているだけでお金を巻き上げ、未契約者に対しては恐喝レベルのことをして契約を強要し、いったん契約して不払いがあれば裁判で強制的に徴収する。
STOP
N H K
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そして契約してしまえば解約することは不可能である。まさに非対称戦の上にあぐらをかいたビジネスである。
製品もサービスも受けずにお金(対価ではない)を巻き上げるというのは商取引ではなく理屈になっていない。ヤクザのミカジメ料というのは営業に対する許可でありトラブル防止代金のわけで、しもたやにまでは要求しないから、善悪は別として理屈は通っている。NHKはヤクザ以下のあこぎな商売である。
それに対して民放は営業してスポンサーを獲得しなければ収入がない。そして視聴率が取れなければ収入は減り、最悪倒産ということになる。
じゃあ民放はかわいそう?
とんでもない。テレビ放送とは濡れ手に粟、ウハウハのビジネスだ。電波という資源は量が決まっているから、放送できるチャンネル数は物理的に制限される。今は技術の進歩で制約は少なくなったが、放送局の数に上限があるのは変わらない。
だから一度放送局が認可されて電波を確保すれば、それを他の人に利用させてやるという殿様商売となり、左団扇である。そして競争があるといってもコンペティターが少ないのだから、
一般商品に比べれば極めて低レベルにあり、その結果、民放社員もNHK職員も給与が千数百万円なんていう浮世離れしたレベルにある。
古館一郎は報道ステーション1本で2015年に30億稼いだという。一般国民から見たら雲上人だ。どう考えても古館が田中将大より価値があるとは思えない。
2015年マー君は2200万ドル(当時のレートで24億)だった。
おっとテレビに比べて新聞のビジネスが厳しいなんて同情することもない。新聞だって消費税を逃れようとか、記者クラブなんてギルドを作って情報を管理したり、もっと自分たちに都合の良い制度にしようと政治家に圧力をかけている。
もっとも新聞というビジネスモデルは、インターネットの進展により一般人が情報にアクセスする敷居が低くなり崩壊しつつある。既に大手も含めて発行部数は減少傾向(
短期、
長期)にあり、新聞の影響力は低下している。それは外国でも同じだ。
ただ日本の新聞の発行部数推移を見ると、インターネットの伸長と反比例しているのではなく、押し紙問題、誤報、ねつ造報道などによって新聞の信頼性が揺らぐたびに部数が減っているようにみえる。となると非対称戦のメリットを喪失したからではなく、己の作戦ミスによって衰退しているということになるのだろうか?
じゃあビジネスモデルは非対称戦が良いといえるかであるが、ことは簡単ではない。現実の戦争において、正規軍の捕虜が国際法に基づいて処遇されるのに対して、非対称戦のゲリラやテロ犯は犯罪者として処断されるように、非対称ビジネスモデルが崩壊したときは社会的な同情や支援は得られないだろう。それどころか非対称ビジネスモデルが崩壊したときは、ヤンヤの喝さいで迎えられるかもしれない。卑怯者が嫌われるのは世の常。
年収500万のサラリーマンがリストラされれば同情するが、年収1500万のテレビ局員がリストラされれば「ねぇ、ねぇ、今どんな気持ち
♪」と言いたくなるのが人情というものだろう。
いずれにしても非対称戦ビジネスモデルが崩壊しても、社会的な同情は期待できないだろう。そういうビジネスの従事者が「我々は特権階級だ」という意識を持ち行動していることに毛嫌いしている人は多いだろう。「社会の木鐸」なんて言葉があるが、素面で言っているなら噴飯ものだ! 新聞がそれほど偉いとは信じられない。もし勘違いしているなら正気に戻してやらねばならない。
非対称戦は戦略として正統ではない。それは願望を勤労で叶えるのではなく、欲望のまま盗んでしまうという犯罪に近い。そういった不当な手段をビジネスモデルとするという神経がわからない。
この本を理解するには、ギリシア、ビザンチン、ローマ帝国あるいはカルタゴなどの戦史の知識が必要だ。過去の戦史や将軍の作戦や指揮を知らないと理解できない。
思うのだが、ローマ時代の戦法とジョミニやクラウゼウィツが現れるまでの進化より、ジョミニから現在までの方がはるかに進歩しているように思える。それは単に武器・弾薬が進歩したからではなく、ジョミニなどの研究によるものだと思う。
経営用語とか軍事用語の起こりを知るには面白い。ただこの本は200年前に書かれたものだから、現在の戦略や経営用語の意味合いとは異なっているものも多いだろうし、それ以降に使われ始めた言葉も多いだろう。
この本を読んで参考になるかといえば、あまりならないだろう。ジョミニを研究して、それ以降のあまたの戦争を反映し、戦術も戦略もはるかに進歩し、それが経営に反映されている。この本はいかなる変遷があって今があるのかと考えるときに、参考になるかもしれない。歴史を学ばなければ現在を理解することはできないのだから。
本日の不安
「軍事団体は一般から敬意を払われ、栄誉を与えられなければならない。これは有能な資質と才能に恵まれた軍人を得るただ一つの途である」(p.71)
わが日本の自衛隊を貶める政党、革新団体、市民団体、労働組合、サヨクはまさしくわが日本の弱体を図る敵性団体である。そんな輩がマスコミで騒ぎ、議会で騒ぐ日本に明日はないのではないか・・・
東北、熊本で頑張る自衛隊のみなさん、ありがとうございます。
本日のヤレヤレ
ホーン・ブロワーのところに帆船の絵を入れようかと思い
スケッチアップを動かしたらバージョンが古いからバージョンアップしろと言う。ハイハイと作業をしたがこれがとんでもなく時間がかかった。あげくに起動したらツールバーや操作が従来のバージョンと違うので勉強しなおした。今回、一番手間がかかったことがこれです。
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