「人類と気候の10万年史」

2017.10.23
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

書名著者出版社ISBN初版価格
人類と気候の10万年史中川 毅講談社ブルーバックス97840650200432017.2.20920円
「地球温暖化が大変だぁ」という声を最近聞かない。ISIS紛争、イラン核開発、北朝鮮危機、東南アジアでの中国の国際法無視の軍事行動、中国経済がいつ破綻するか、いやその前にアメリカがデフォルトするかも、いたるところで発生する収まることのないテロ、そんなハードな危機が盛りだくさん。そんな状況だから、100年後なのか200年後なのか分からない温暖化のプライオリティがどんどん下がっていくようだ。

この本は古気象学者とおっしゃる方が、日本海のそばにある水月湖という湖底に積もった泥を分析し過去7万年間の気候を研究したさわりを書いたものである。基本的に発見された事実を述べただけであるが、今騒がれている(上記のようにここ最近は静まったが)地球温暖化について、そんな簡単なもんじゃないよという趣旨のことを述べている。ここ数十年の気温上昇が正しくてもICPOがいうように危機的環境になるとはいえない、そんなことである。
恐竜 過去、地球が全球凍結してスノウボールなったときも恐竜がいた地球全体が熱帯になったときまで、二酸化炭素が少ないときも多いときも、なん辺も繰り返してきたことを踏まえれば、どうってことないのではないのかということを感じるのは私だけではないだろう。

ここで大切なことだから言葉の定義をおさらいしておく。
「地球温暖化」とは「地球表面の大気や海洋の平均温度が上昇する現象」ではない
人の活動に伴って発生する温室効果ガスが大気中の温室効果ガスの濃度を増加させることにより、地球全体として、地表、大気及び海水の温度が追加的に上昇する現象」(地球温暖化対策の推進に関する法律
あるいは「人間活動が大気中の温室効果ガスの濃度を著しく増加させてきていること、その増加が自然の温室効果を増大させていること並びにこのことが、地表及び地球の大気を全体として追加的に温暖化すること」(気候変動に関する国際連合枠組条約)である。
自然現象で氷河期から温暖期になって暖かくなることは地球温暖化ではない。あるいは人類が消費するエネルギーが増大しその排熱で地球が温暖化しても地球温暖化ではなく、太陽が赤色巨星化して地球が灼熱地獄になっても、それは地球温暖化ではない。
人間活動で温暖化すると我々は地獄に堕ちなければならないが、自然現象で恐竜がいた時代のように北極が熱帯になろうと、太陽が活発に活動して裸で暮らすようになっても、それは地球温暖化ではない。不思議と言えば不思議である。

ちなみに: 山本良一センセイは温暖化地獄という言葉が好きだった。残念ながら温暖化地獄という言葉は定義されていないようだ。
山本先生は講演などで何度かお見かけしたが、温暖化地獄の定義を聞きもらした。

産業革命以降、大気中の二酸化炭素が増加しており、それと並行して大気温が上昇しているから、人為的な二酸化炭素の増加が大気温上昇をもたらしている、だから我々は水を飲んでも地球温暖化を止めねばならぬ、息を止めて二酸化炭素を出すのを止めるのだ、止めて下さるな妙心殿というのが京都議定書以来の地球温暖化の基本的な認識である。
この本の中でラジマン教授という方が農耕革命が起きた紀元前8000年頃から二酸化炭素やメタンが増加し気温上昇が過去の氷期を脱したときよりも急激に温暖化しているという説を出したという(p.160)。また既に氷期に入ると予想される時期を過ぎているのに温暖化が継続しているのは、人為的に氷期を回避しているという説もあるそうだ(p.162)。

ちょっと一言: p.160では「農耕」という言葉を使っている。この本のp.189では「農業革命」という言葉を使っている。一般に「農業革命」とはイギリスなどにおける輪作や囲い込みによる農業生産性向上をいい、「農耕革命」とは1万年前の農耕開始をいう。また農業は牧畜を含み農耕は牧畜を含まないことなどから、ちょっと著者の言葉の厳密さがわからない。

これらの説が正しいとしても人間活動に基づいた温暖化ガスの影響であるから、国際的な定義による地球温暖化であることは間違いないが、産業革命以降という論は覆される。
となるとどうなるのだろう? 巷では「トトロの昭和30年代に生活様式を戻せば温暖化は止まる」と語る人もいるが、とてもそれでは間に合わないようだ。産業革命以前に戻ればという人は多いが、産業革命どころではなくせめて1万年前に戻ろうと言おうか?
となると石器時代に戻るだけでなく、農耕もしてはいけなくなる。
しかし農業までも手放して人間が動物として細々と暮らすことを選択しても、地球の気温上昇が人為的なガスでなかったらどうするんだね?

だがこの著者は農耕革命は間氷期になって温暖化したから始まったという(p.196)。とすると農耕革命によって温暖化したのではなく、温暖化によって農耕革命が始まったといえる。卵が先か鶏が先かはこれまた謎。
そんなことを語っていると終わらないから、とりあえず次に行こう。

次にこの本が述べているのは氷期であろうと間氷期であろうと、気温は一定ではなく常に寒冷化・温暖化を繰り返しているということ。そしていつのときも気温は激しく上下していたということ。ただ温暖化したときは寒冷化したときよりも変化は少ないという。

寒暖計 天然由来の気候変動は地球の地軸がみそすり運動をしているからということと、公転軌道が真円近くからある程度の離心率の楕円を行ったり来たりすることによる、いわゆるミランコビッチ理論による。そして現段階では現在の地球温暖化(寒暖計で測った温度上昇のことで、気候変動に関する国際連合枠組条約の定義による地球温暖化ではない)は人間由来かどうかは断定できないらしい。
この著者の研究でも過去の大気温の上下はとても激しく、10年程度で摂氏数度の変化がいくたびも繰り返されたという(p.167)。
もっともその前に、現時点ほんとうに寒暖計で測った気温が、上昇しているかどうかも定かではないようではある。なにせ都市化現象は世界的なものである。私の経験でも水田がなくなって体感気温はずいぶんと上がった。水田とは速い話が池であるから、温度を一定に保つという効果は大きい。うそだってんならカスピ海やアラル海が小さくなったことによる近隣の気候を調べると良い。 おっと人間が農耕革命前で水田を作る前はずいぶん暑かったのだろう。
わかりません 水田による近隣の冷却効果と水田からのメタン発生による温暖化との比較はどうなるのか、私には見当もつかない。

温暖化論者も、過去より地球の気温が上下してきたのは認めている。しかし人類起因の地球温暖化は極めて速いために植物も動物(昆虫を含む)も対応ができず死滅してしまうのが問題だと語る。そう言われるとそんな気がする。北海道が沖縄の気温になっても沖縄の植生が北海道に根つけば困らないが、植物も動物も2000キロ以上も短期間に移動できないと言われるとそう思う。
しかしだ、最近この論はボロを出しまくりだ。
ヒアリが日本で繁殖している!、サソリが日本で(以下略)、熱帯魚が、蛇が、鳥が、サンゴが、デング熱が、そんな報道がひっきりなしだ。そして学者は温暖化によって熱帯の生物が暮らしていけるようになったのだという。
ということは、動物も植物も温度変化に伴う気候帯の移動に十分、いや十分以上についていけるということではないのか?
私たちは温暖化によって死滅する動物を心配するよりも、私たち以上に温暖化に対応している動物の危険に備えなければならない。

ともかく過去7万年もの間(水月湖データによる)気温が上下を繰り返してきたということを踏まえると、それをどうこう言うことは無意味なように思う。
温度上昇あるいは下降時には植物も動物も大量死滅したかもしれないが、それでも多くの植物も動物も生き残ってきたから今があるのだ。それを地球はいくたびも繰り返してきたということだ。

天明や天保の飢饉を知っている人はいないだろうが、四半世紀前の1993年の冷夏を覚えている人は多いだろう。
えっもう忘れたって
私はその夏はタイにいた。ビザが半年なので更新のため秋に日本に帰って来た。家に帰ると家内が「今年は米が実家からもらえない」という。どうしたのと聞くと、冷夏で米がとれないんだという。その時初めて日本が冷夏だと知った。私も世の中の情報に疎い男だ。
ごはんですよ その年の作況指数は74だったそうだ。平年にお米がとれるのを100として74しか穫れなかったということだ。それまでコメの輸入絶対反対と叫んでいた人々も、輸入しなければオマンマが食えないのだからやむを得ず輸入に賛成した。もしそのような冷夏が二年あるいは三年いやずっと続けば日本は飢餓列島である。
なお、天保の飢饉のときは作況指数は55から60くらいだったとネットにある。それでなぜ大勢の餓死者がでたのかといえば、そのときは社会制度や経済活動に問題があったからという。いずれにしても外国から輸入できなければ3割減でも大問題となる。

だけどさ・・・・ 米は取れてもそれを炊かなければ食えない。石田三成が関ヶ原で敗れて逃げまどったとき、生米を食べたとか小説で読んだ。
おっと、わかっちゃいましたよね、
日本のエネルギー自給率は6%、米は取れても炊いたご飯は食えません。日本の農業は太陽と大地の恵みではありません。石油や原子力のエネルギーを有機物のエネルギーに転換しているのであって、その変換効率は極めて低い。田植え機も農薬も肥料もコンバインもないなら、日本農業は、いや日本は崩壊です。
おっと日本人であることを嘆くことはありません。今穀物を輸出している国々も、そのときの農業生産高は今の2割とか3割となって飢餓に陥ることは間違いない。どこも農業革命(農耕革命ではないよ)以前の状態に戻り、人口は減少ししかも慢性的飢餓状態となる。フェイガンの描く10世紀とかゼロ世紀の時代の再現だね。
やがてエホバが現れ、産めよ、増えよ、地に満ちよと語り新たな(以下略)

しかしである。
人間活動の影響で飢餓列島になったり温暖化地獄になるから、人間は反省しなければならない、そして予防原則だ、温暖化をとめろと言う。それが山本先生を始めとする地球温暖化教徒の主張である。
もし人間活動の影響でなくまったくの自然現象で、飢餓とか温暖化地獄になっても、人間に責任がなければ反省しようにもできることはなく、予防原則が有効なはずがない。
そこんところはどうなんだという疑問は消えない。

まとめです まとめである。2ちゃんでは3行で言えと言われる。では、
著者は「温暖化予測も70年代の寒冷化予測と同様に信頼できないと主張しているのではない」「信頼できると主張しているのでもない」(p.41)という。まさに科学者らしい発言である。
私は科学者ではないからもう一言追加したい。「気温が上昇していると言うがそれが事実かどうかわからない」と、

老人ドライバー 本日の感想
ちょっと前に「歴史から学ぶ地球温暖化」という本があった。IPCCの報告書をまとめた科学者が、何年かしてからIPCCの報告書が発表や報道において予測が強調され誤解されてしまった。報道されたほど深刻な問題じゃない。温暖化を怖がらず対応重視でいきましょう。そして対応することは可能だと書いている。これを読んでうさん臭さ、無責任さを感じた。
こちらの本の著者はそんな負い目はないから、屈託なく言い訳も下心もなく楽しく読める。ただデータを取る苦労話はいいから、気候変動についての見解をもっと語ってほしい。
フェイガンは「古代文明と気候大変動―人類の運命を変えた二万年史」や「歴史を変えた気候大変動」などで同じようなことを書いているが、そちらはお話だけであり、こちらはデータを基にしているから強い。


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