*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
伊丹は藤原氏と分かれて真夜中近くに帰宅した。幸子は伊丹が息子の彼女の父親と飲むと聞いていたので起きて待っていた。 この世界ではテレビはもちろんラジオもないから、特段用がなければ10時には寝るのが普通だ。 | ||
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「洋司、彼女の父親ってどんな方だったの?」
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「うーん、正直言って覇気のない人だねえ。人生に疲れてしまったような感じだ。 洋介と身分違いだって言って吊り合わないと心配をしていた」 | |
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「兄さんから身の上調査の報告をもらったの?」
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![]() 伊丹は幸子に渡した。 幸子は恭しくあがめてから読み始める。 しばし一読してため息をついて言う。 ![]() | ||
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「リストラは当人だけでなく家庭にも大きなダメージを与えるわねえ〜」
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「それを言えば俺たちも同じだよ。俺が認証機関に出向しなければどうだったのかなあなんて考えてしまった」
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「洋司の話でもこの報告書でも、このおじさんの技能って向こうの世界では時代遅れなのね。でもさ、言い換えるとこちらの世界では最先端技術と言えなくない?」
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「なるほど見方を変えると、そうかもしれないね。 とはいえ、彼の技能がどの程度のレベルなのか分らない。優れた技能者なのか、そうでもないのか、どうなのだろう」 | |
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「洋司が向こうで仕事していた時の知り合いが、その藤原さんをご存じないかな?」
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「そういえば彼が今取引している会社をいくつか挙げたが、その中に俺の知っている会社が二つあったな」
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「それじゃその方たちにオジサンの技量と人柄を聞いてみたら」
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「聞いてどうするの?」
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「もし使えるなら、この世界で機械加工の技術指導をしてもらったらいいじゃない」
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「えぇ! すごいことを考えつくもんだ。 でもさ、なんで幸子はその藤原さんに肩入れするんだい?」 | |
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「うーん、そのオジサン、ウツになりかけでしょう。経済的なことだけでなく、 そういう状態の人を自分の親とか義父に持ったら我が息子夫婦の危機は間違いなし。息子夫婦の幸せを願うならそのオジサンに幸せになってもらわないとまずいわ」 | |
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「いやはや、読みが深い」
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●
翌月曜日、伊丹は会社に行くと会議室に入ってカギをかけ、藤原が語った取引先で伊丹が名前を知っていた2社にスマホで電話する。そこは伊丹が認証機関に出向する前の会社での取引先だった。● ● 幸い二社とも藤原を知っているという人がいた。 ひとりが言うには、藤原は若いとき技能五輪の国内選考でいいところまで行ったそうだ。残念ながら国際大会にはいけなかったらしい。しかしマニュアル工作機械の腕でははんぱではない。1級技能士をいくつも持っているし 藤原さんは古い機械なら自由自在に扱えるが、反面、NC工作機械とかレーザー加工などはどうかねえ。彼は古い人間なんだよ、時代遅れというか。人間は良いんだけど 独立して試作などの仕事をしたいといっていたけど、そういったものだって今はNCで加工するようになって、マニュアルより速く正確にできるようになったからねえ、ああいった技能だけで食っていくのは今は困難だねという。 もう一社のオヤジも似たようなことを言う。それと今時、独立して仕事をするなら、他所ではできないってものがないとダメだ。藤原さんはそれがないという。 お二人の評は、藤原氏は、古い機械なら腕はいいが、今風の機械は扱えないという。そして藤原さんには義理で仕事を出しているが、メリットはなくできれば切りたいと冷たいことだ。 だいぶ前にノギスを作ってもらったところを思い出した。あんな一人二人で営んでいる事業所でさえ、レーザー加工とかワイヤカット、更には3Dプリンタまで使う時代だからなあと伊丹は思う。もちろんそうしなければ淘汰されてしまうだろう。 それに比べ、昔ながらの機械で昔からの技能で仕事が来るのを待っているようでは、とても話にならない。 でも、これって扶桑国で指導や問題解決の仕事をするにはむしろ都合が良いことじゃないか。レーザーとか最新の加工方法や機械に頼っていれば、難しい仕事のときは最新の機械に頼ろうとするだろう。しかしこの時代にはそんな特効薬のような機械は存在しない。手動の精度が悪い単能機を使ってどうにかしようという、工夫と頑張りがなければ指導できない。幸子の意見もあながち見当違いではないかもしれない。 ただ、その前に彼がこちらに来てもらう目的は何のためかをはっきりさせないといけない。藤原氏への同情とか洋介夫婦の安心のためというのはおかしいだろう。彼がこちらの世界に貢献できなければならないし、彼自身が貢献するという意欲がなければ彼もこの世界も不幸なことだ。 1時間くらい悶々とした後、事務所をみると工藤が自席で書類を見ている様子。伊丹は意を決して工藤に話しかけた。 ![]() | ||
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「工藤さん、ちょっと相談があるのですが、よろしいでしょうか」
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「その様子じゃ深刻なことですか?」
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「確かに軽い話じゃないんですが・・」
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二人して会議室に入る。 ![]() | ||
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「個人的な関わりが大きく自分自身判断付きかねまして、客観的なコメントをいただきたいのですが。 先々週、息子から電話があり、結婚を考えている女性を紹介するというのです。その週の日曜日、家内と向こうの世界に行って、その女性と息子と食事をしてきました。それはそれで問題はなかったのですが・・ 先週、その女性の父親から一緒に飲みたいとお誘いがあり、一昨日会ってきました。土曜日の午後お休みをいただいたのはそんなわけです」 | |
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「なるほど」
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「そこから微妙な話になるのですが、その親父さんは今仕事が減ってきていることもあり仕事にも人生にも張り合いがなく、もちろん経済的にも順調じゃないんです」
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「それでこちらにきて技術指導をしてもらったらどうかってことですか?」
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「えっ、どうして私の考えがわかっちゃうんですか!」
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「伊丹さんともう1年近く付き合ってきましたからね、考えも行動も読めるようになりましたよ」
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実は、今朝、幸子から工藤に電話があったのだ。伊丹は気が小さいから工藤に相談できないかもしれないと心配した幸子が、藤原についてのいきさつを話して仕事を斡旋してもらえないかと相談したのだ。 もちろん工藤はそんなことを伊丹には言わない。 ![]() | ||
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「畏れ入りました。実を言いましてその方の技術技能がどんなものか私は知らないのです。ただ元の世界に彼を知っている知り合いが二人ほどいましたので、その方の腕前と人柄について聞きました。腕はいいということですが、向こうの世界の最新式の機械は使えない。要するに古い機械、といってもこの世界の機械よりは進歩したものですが、そういったものを扱うことには長けているということでした。 人柄は、まあ真面目でしょうけど、会った感じでは意志が強いというのではなさそうです。リストラという言葉をご存知でしょうか、企業が事業構造を改革することですが、その過程で今風の技術技能がないと切られたわけです。それが8年前で今までだいぶ苦労をされたようで弱気なってしまったようです」 | |
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「わかりました。言葉ではわかりませんから、どうでしょう、一度こちらに来て工場を見てもらったらいかがですかね。 本人が実態を見て、これならやれる、やりがいがあるというならぜひお願いしたい。やる気のない人はどの世界でも使えませんからね」 | |
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「工藤さんにそうおっしゃっていただけるなら大変ありがたいことです。そいじゃこちらに1泊くらいで来てもらい、そうですね我が家に泊まってもらうことにしましょう。前夜に工藤さんと食事がてらお話をして、翌日どこか工場を見てもらうことにしましょう」
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「そうですね。工場となるとどこですかね、やはり砲兵工廠ですか」
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「民間はどこも家内工業レベルですからね」
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「砲兵工廠では作業方法の標準化を進めているところですから、ちょうどいいじゃないですか。断りなしに民間人を連れていくわけにはいきませんから、今日でも藤田中尉に新人を連れて行くことを話しておきましょう」
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成 果 | ||
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固有技術 | 管理技術 | 士 気 |
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注1 |
当時の全国高校進学率は60%くらいだった。しかし福島の田舎では3割か4割だったと思う。彼らよりはるかに年下だった私のときで、クラスメートで高校に進学したのが約半数だった。貧乏な私が高校に行けたのは僥倖と言ってもよい。 参考 国交省ウェブサイト「第1節 働き方の変化」 |
注2 |
「怪我と弁当は我が持ち」と書いて、これは方言というか田舎の言い方かと確認した。すると都会では「怪我と弁当は自分持ち」とか「怪我と弁当は手前持ち」と上品に言うようだ。まあ、意味は同じだ。
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注3 |
技能士にはランクとして、特級、1級、2級、3級があり、職種として100種類以上ある。更に機械加工技能士と言ってもそれが工作機械ごとに20数種に細分されているから、複数の技能士資格を持つ人は多い。残念ながら私は銀バッチひとつしかない。
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