異世界審査員131.大恐慌その1

18.11.19

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1926年も秋になった。昨年春に第三者認証が始まり、今年になってからは内務省の品質保証の審査でトラブルが多いと言われたが、最近はそういう噂は聞かなくなった。内務省審議会の対策が効果があったのだろうか。
伊丹は先日、たまたま丸の内の路上で宇佐美に出会い、何か手を打ったのかと聞いた。宇佐美は伊丹に話をしたいようで、近くのカフェに引っ張っていって話を聞かせてくれた。



宇佐美コーヒーカップコーヒーカップ伊丹


宇佐美
「まず、内務省が強要には事実確認をして証拠の取れたものについては告発すると表明しました。実際にはそのことを知った脛に傷持つ審査員は即座に辞職しましたので、実際に告発した者はありません」
伊丹
「じゃあ黙っている者もいるんだろうなあ〜」
宇佐美
「いるでしょうね。でも、そういうルールだと認識されれば今後は身を慎むでしょうし、今後そんなことがあれば会社側が騒ぐでしょう。ですから黙っている人がいても問題が起きなければ目的は果たします。犯罪者にするのが目的じゃありませんから」
伊丹
「なるほど、」
宇佐美
「暴力審査員も同様です。こちらの方は被害を受けた方が判明した者については告発しました。まあ、これも事情聴取された者はみな辞職しましたので、これもそれで良いかと、今後はないでしょう」
伊丹
「じゃあ、残るは規格の理解不足だね」
宇佐美
「実は・・・これがいろいろと手こずっているのです。やはり5日間の教育だけでは時間不足で周知徹底できないのでしょうね。
ただ、今まで問題になった事例を集めたものを作り、何を間違えているのか、どうあれば良いのかという教育を行っています。ですからオイオイと良くなっていくと期待します。もちろん企業側にも周知しましたから、規格の語句がないとか手順書の名称が規格と違うなんて寝ぼけた指摘は即座に反論されるでしょう。
実はね、そういった事例をまとめて本を出したところ、ベストセラーになりましてね、ヘヘヘ」
伊丹
「ほう、ベストセラーですか。当然多くの人に読まれたでしょうから抑止力になりますね。それを聞いて安心しました。やっと構築した制度ですから、簡単に崩壊しては残念です」
宇佐美
「おっしゃる通りです。この制度を伸ばして、官公庁の仕事だけでなく一般企業にも広めていこうと考えています。おっと、お金儲けのためじゃありません、そうすることによって我が国の産業の底上げができると考えているのです」

伊丹は宇佐美という男は純粋なのかお金儲けが本音なのかわからない。ともかく少しずつ改善しているようだ。



伊丹は政策研究所に呼ばれた。伊丹は最近ここの仕事をしていない。なにごとが起きたのかと中野の部屋に入る。

中野
「伊丹さん、お久しぶりです。ご存じと思いますが、近く大きな出来事があります。それでその対策に参画して頂きたいのです」
伊丹
「大きな出来事と仰いますと、今年は皇帝陛下の件と来年は大恐慌でしょうか?」
中野
「私は大恐慌のつもりでした」
伊丹
「皇帝陛下は・・・口にして良いかどうか・・・今年のはず。カンナもそう言っていたと思います」
中野
「皇帝陛下はもう何年も寝たきりでしたが、半年ほど前から意識が混濁してきて周りは緊急事態でした。それでこの世界で最高の医療をと思いまして、南洋から島村医師を呼んだのです」
伊丹
「ほう!それは知りませんでした。でも彼は外科でしょう。内科もわかるのですか?」
中野
「100年後の外科医なら、今の時代の内科医よりも内科にも詳しいでしょう。実際彼が来てくれてだいぶ持ち直しまして、今は会話もできる状態になりました。もっとも島村医師の話では、来年一杯は無理だろうとのこと」
伊丹
「来年とおっしゃると、歴史とは違いますね。そうなるとカンナの語ったことと違いますが、歴史は変わるのですか」
中野
「分かりません。しかし我々にとって目の前の現実が現実です。
ともかく皇帝崩御は重大ではありますが、対策に悩むようなことではない。粛々と行事を行うだけです。元から実務は帝太子でしたし。
個人的なことを言えば私の伯父になりますが、あの年齢になれば寿命と言っても仕方ありません」
伊丹
「状況は分かりました。それで私は大恐慌対策に何をすればよいのでしょう?」
中野
「まず、こちらの事情を話すと、政策研究所はこのたび大幅に改組することにしました。今までここでいろいろなことをしていましたが、本来それをする部門に戻すということです。新兵器開発は軍の研究所に移管、大震災対策のような災害対策は内務省で行うということになります。
ただ高性能のコンピューターの管理と長期の政策立案については、人手に渡すわけにはいかない。それで私を長として30名ほどの皇帝直下、宮内省の研究所を設けることになった。とはいえ場所は変わりません。防諜、防衛上 砲兵工廠の中が安全です」
伊丹
「機能的にあるべき部門に置くというのはまっとうでしょうね。人も異動するのですか?」
中野
「既にほとんどのメンバーには新しい辞令を渡した。吉沢君と兼安君は海軍に戻る。吉沢君はまもなく定年なのだが、彼の技術は手放せないのでそれなりに処遇して勤務してもらう。
米山君は既に岩屋機関に出ている。熊田君と伊丹さんの奥様は、私と一緒に宮内省の研究所に残ってもらいます」
伊丹
「そこで国家のコアになる長期施策の研究というか立案をするのですか?」
中野
「言ってみれば皇帝のブレインだね。皇帝の手足と耳は岩屋機関だ。
あっ、勘違いはないと思うけど、皇帝個人につくものではなく、皇帝という国家機関の下部組織だ」
伊丹
「お話を聞くと皇帝陛下の秘密組織のように思えます」
中野
「いやいや、そんなたいそうなものではありません。国は民主政体で動くべきだと思います。しかし民主政体が独裁者の暴走を止めると同じく、皇帝は民主主義の暴走をおさえる役割もある。
それに何事かあって政府も議会も機能しないとき、皇帝が執政することになっている(注1)そのとき何の情報も力もなければ国にとって最善とは思えません。まあ、そういうことです」
伊丹
「石原さんのお名前がありませんでしたが、彼はどうなるのでしょう?」
中野
「彼は来年ドクターになるはずだが、アメリカから戻ってくるのか向こうに住み着くのか分からない。戻ってくるなら皇国大学の教授は間違いなく用意するが、それよりもアメリカの大学の教授の方が価値があるだろうし・・
それにさくらのこともある。娘はマスターで終わるのか、ドクターまでいるのか。もっとも娘に良い話があるなら、降嫁しても良いかと思っている」
伊丹
「分かりました。それで私の仕事というのは?」
中野
「伊丹さんも経営コンサルタント業は十分してきたのではないかと思う。それに年齢的なこともあるでしょう。いかがでしょうか、私たちの研究所に移って一緒にこの国のことを考えてほしい。第二世代の元勲になってほしいのです。
先ほども申しましたが、大恐慌の対策プロジェクトにフルタイムで参加してほしいのです」

元勲は皆維新を実行し、文明開化を進め、清やロシアとの戦争、臥薪嘗胆という時代を導いてきた(注2)だが彼らの多くは鬼籍に入り残っている人も既に齢80を超えている。もちろん政党とか官僚というものは、国の行く末を考え決定し導いていくために存在する。だがもっと長期的な50年100年というスパンで考える人も必要だ。
伊丹は仕事の重要性は分かった。回答を保留して伊丹は会社に戻った。


会社に帰ると自室で紅茶を飲みながら考える。60を過ぎてからはコーヒーよりも紅茶が体に良いと伊丹は根拠なく考えている。
しばらくすると工藤が部屋に入ってきた。

工藤社長
「伊丹さん、ちょっといいですか?」
伊丹
「どうぞ、どうぞ」
工藤社長
「会社に戻って来てからの様子を見てますと、なにかお悩みでもありますか?」
伊丹
「工藤さんだから正直に話しますが、今日、中野さんからここを辞めて中野さんのところに来いと言われました。経営コンサルタントでなく国家のコンサルタントになれというのです」
工藤社長
「なるほど、それで伊丹さんのお気持ちは?」
伊丹
「えっ、工藤さんは驚かないのですか? 私はここを抜けられないとばかり思っていました」
工藤社長
「そりゃ伊丹さんが抜けたら戦力は半減ですよ。でもなによりも伊丹さんのご意思が最優先です。伊丹さんがその仕事をしたいのかどうか」
伊丹
「客観的に見て、私がいなくても、ここの仕事は回っていきますよね。上野君も一人前どころかここの看板です。それに続く人も何人もいる。もし工藤さんがいいよというなら向こうに行ってみたいですね。
私ももう66歳になりました。引退して孫守しても良い年です。実際は孫もいませんから、家庭に閉じこもるわけにもいきません。
この仕事は面白いですが、ある意味マンネリとも言えます。元気なのもあと5年程度でしょう。その間、まだ体が動くうちに別の仕事もしてみたい気もあります。この国にお役に立てるならチャレンジしたいですね」
工藤社長
「分かりました。それじゃ伊丹さん、中野さんの研究所で頑張ってくださいよ。
ここも上野も育ち若手も続いています。実は私もいつまでも年寄がいてはまずいと感じていました。辞めるときは伊丹さんと一緒にと考えていたのです。
とはいえ、なかなか踏ん切りがつきませんでした。伊丹さんにそういうお話が来たなら、いい機会です。
でも伊丹さんと私が同時でもまずいでしょう。伊丹さんが今年お辞めになるなら私は半年くらいずらして上野に引継ぎをしていきましょう。
私もまったく仕事を止める気ではないのです。実は扶桑国経営コンサルタント協会を作ろうとか、その理事になれとかいう声もあり、内務省から工業標準化委員会を作りたいとかいろいろ声はかかっているのです」
伊丹
「そいじゃ、今の仕事を片づけたらということで」
工藤社長
「報酬はどうなのですか?」
伊丹
「今までたくさんいただきましたから、老後はもう大丈夫です。無給でもいいですよ」
工藤社長
「能力は安売りしちゃダメです。それに他の人が困ります」

実は以前から工藤に中野から話があったのだ。伊丹を招けば工藤のコンサル会社が立ちいかないと困る。中野はそれを心配した。
しかし工藤は伊丹が去るのも若手を伸ばす機会になるだろうということ、そしてもう伊丹や工藤の時代を終えても良いのではないかと判断した。そう中野に答えて、伊丹に新しいことにチャレンジしろとアドバイスしたのだ。
どっちみち伊丹や工藤が永遠に会社を営むわけにはいかない。後は工藤の甥の上野に任せるしかない。コンサル会社が後継者育成ができないなら紺屋の白袴だ、そんなコンサル会社は潰れるべきだろう。



ひと月ほどかけて、仕事の引継ぎと今までの取引先に挨拶回りを終えて伊丹は退職した。 南武社長
南武元将軍の南武銃器製造所を訪ねた。彼はまだ57歳で今は13ミリ機銃と20ミリ機銃の開発をしていた。史実と違い拳銃や小銃に手を出していない。自動小銃はもう完成の域に達したと考えているのかもしれない。
岩屋のところへはお邪魔しなかった。これから先一緒に仕事をすることになるだろう。

花束南条さん
この世界に来て15年になる。いろいろなことがあったが、すべて工藤とこの会社のおかげだ。
創立時には4人だったが、今では20数人になり、世に知られ売り上げ規模は比較にならない。退社時に会社設立時からいる南条さんが花束を渡してくれた。
明日から規模を小さくして新しく発足した政策研究所の職員である。夫婦で同じ職場とはいささか恥ずかしい。



伊丹が出勤すると中野は全員を集めて紹介した後、同じプロジェクトのメンバーを集めて今回のプロジェクトの説明をする。 プロジェクト名は「大恐慌」である。メンバーはプロジェクトマネージャーである幸子、数学者である清田、経済学の伊関、若手女子研究者の堀川、そして伊丹である。
中野幸子伊丹清田伊関堀川
中野幸子伊丹清田伊関堀川

中野
「概要は知っているだろうが、このプロジェクトは来年あるいは再来年に起こるだろう世界的な経済恐慌の対策を考えることだ。成果物としては経済恐慌が、いつ、いかほどの規模になるのか、被害を緩和するにはどうしたらいいのかということだ。もちろん対策するのは内閣と政府がするわけだが、我々としては皇帝陛下に対応策を提案できるようにしておきたい。
なお、このメンバーには異世界日本から入手したすべての資料を閲覧することを許す。そういった情報を基に確信のある対策を提案してほしい。
ええと、今は10月だ。世界恐慌はいつ始まるか分からない。しかし俺のカンでは来年の10月のような気がする。だから中間報告は来年年明け、最終報告としての対策案を来年4月頃に願いたい。もちろん毎月進捗報告をしてもらう。また早期な実行が必要なことについてはいつでも相談に来て欲しい。
とりあえず今日は顔合わせもあるし、認識を合わせるということで、意見交換をしたい」
伊丹
「それじゃ私から。私の世界では欧州大戦は1918年に終結し、その後世界的に復旧が始まり、その結果供給過剰などによって1929年に大恐慌になった。
いろいろな状況からこの世界では1927年に起きるだろうと予測している。発生の時間的ずれの理由が分かれば対策もできるだろうし、完璧な対策ができなくても被害をもっと少なくできると思う」
幸子
「あなたがそう言い切ってしまったら、広い視野で考えることができなくなりそうだわ」
清田
「まずは向こうの世界での恐慌の実態を調べてその経過、因果関係、諸要素の関連などについて共通の認識を持ちませんか。そしたらこの世界と向こうの世界との差異を調べ、そこからケミカルリアクションを考えてみませんか」
伊関
「清田さんに同意です。欧州大戦終結からの期間が違いますが、それだけでなく気候変化とか科学技術の差異なども考慮すべきです」
堀川
「皆が同じことを調査してもしょうがありません。マネージャーにある程度の分担を決めてもらい、ダブらないように進めましょう。また知識の共有を図るために毎日30分とか、前日に勉強したことを報告とか輪講とかしたいですね」
伊丹
「いや、皆さんのおっしゃる通りです。こりゃもう老いぼれの出る幕はなさそうだ」
清田
「いえいえ、伊丹さんのような経験豊かな人が必要です。
ともかくいろいろな変数が見えてきたらその関係を組み合わせてシミュレーターを動かしておしまいですよ」
伊関
「そう簡単にはいかないでしょう。
場合によっては社会不安による暴動とか、外国の輸出、輸入規制とか、関係することはものすごく複雑な気がする」
清田
「この国が対策すれば諸外国も対応するだろうし、いずれにしても相互作用が複雑だな」
中野
「オーケー、それじゃ頼んだよ、中野奥様。最初の定時報告は2週間後で頼む」

うそ800 本日はプロローグ

Wait for the sequel! Stay tuned.

Wait for the sequel! とは文字通り「続編を待て」でわかるのですが、よく聞くStay tuned とは何だろうと思いました。ラジオやテレビの「チャンネルはそのままで」という意味だそうです。
でも昔のラジオやテレビのUHFならダイヤルを回して選局したから同調(tune)というニュアンスは分かるけど、チャンネルを切り替えるのもtuneというのだろうか?


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注1
明治憲法において、天皇の権能が大きいということはない。はっきり言って現行の憲法と変わらない。天皇が決定できるケースとして定めた条項は次の通り。
大日本帝国憲法第8条
@天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発する。
Aこの勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない。

そして実際に天皇のご聖断とか呼ばれるものは、過去何度もない。
@226事件を収拾したこと:このときは議会も内閣も機能停止状態だった。
Aポツダム宣言受諾:受諾をめぐって御前会議が紛糾したのを収めた。

注2
明治維新から明治政府の樹立と国家発展に尽くした人たちが元勲と呼ばれた。元勲とは法で定められたものではなく、マスコミや世間からそう称された人たちである。元勲と呼ばれた人には公家や薩長など勤王派、旧幕府関係者など多様で30人以上あげられる。明治維新からその後も活躍して元勲と称された人達が死去したのち、新たに元勲と呼ばれた人はいない。
なお、元老とは天皇に助言などを行う重鎮であり、制式に任命された人である。明治から昭和にかけて通算10名ほどいた。


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