*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
今日は伊丹が政策研究所の教室で講演をする。幸子から話を聞いて兵器を作る基礎的な部品や技術がないとまずいと考えた伊丹は、中野中佐にお願いして一流どころの研究者に声をかけてもらった。そしてアイデアと研究方向を示唆(明示か?)する予定だ。 伊丹の話を信じるか、伊丹の思うように動いてくれるか、そこは伊丹の話次第だろう。 教室には、この時代では一応名の通った電気関係の研究者50名ほどいた。集められた研究者の中には以前から伊丹の講義を受けている先生もいたが、ほとんどは伊丹を知らず、奴は何者だという雰囲気である。 一番後ろの列に吉沢課長と兼安少佐が不安げに座っている。彼らは幸子のことは少し信頼し始めたものの、その夫を幸子の髪結いの亭主としか見ていない。 その脇に中野中佐もいるが、こちらはいつも通り平静である。そしてさらにその脇には幸子が座っているが、こちらはもうコンサートに来たようにわくわくしている。 そして更に石原中尉と米山少佐がいるが、彼らはイベントを聞きつけて、面白そうだと顔を出したのだろう。 例によって伊丹はプロジェクタを使う。 | |
「こんにちは、伊丹と申します。今は能率技師をしておりますが、元は電気技師をしておりました。本日は政策研究所から我が国の国是である技術立国推進のための講演依頼がありました。皆様に新しい製品や技術のアイデアを示してほしい、そしてそういう方面の研究していただくようにお願いしてくれということであります。 新しいものを開発するにはいろいろなアプローチ、進め方があるでしょう。新しい材料を発見したり新しい理論が見つかれば、それを使って何か面白い物、役に立つものを作ろうとするでしょう。反対に作りたいものがあれば、それを実現するために材料や部品を考えるでしょう。 本日はみなさんにいろいろな部品をお見せします。それを使った品物を考えてほしい。また存在していない製品や兵器のアイデアをお話しますから、それを作ることを考えてほしい。そういうお話をします。 もちろん一から考えて作れなんて無茶は言いません。そういった製品を作るために必要な部品、みなさんが見たこともないものをお見せしますし、みなさんが実験や試作をするときには提供しましょう。 もちろん見本はあっても、それが無条件で手に入ると考えずに製造することを考えてほしい。そうでなければみなさんのお力を借りる意味がありませんからね。 おっと、ご不満そうなお顔をされている方もいらっしゃる。それでは本題に入りましょう。 皆さんは真空管というものをご存じですね。30年くらい前のこと、電球を発明したエジソンがエジソン効果というものを見つけた。 それを基に10年前の1904年に二極真空管が作られ、すぐに電極を追加した三極真空管が発明された。これから更にグリッドが追加された4極管とか5極管というものが発明されるでしょう。しかし二極管と三極管があればいかなる電子回路でも作ることができるのです。 ところで真空管は電球から発展してきたのでガラス管です。そして真空管の中には細い線が張り巡らされているので、振動が激しい飛行機や砲弾で使うと真空管が故障しやすい。 あなた、砲弾に真空管を使うと言ったとき、笑ったでしょう。 今の砲弾はぶつかったら爆発するように作られている。地上の目標なら直撃しなくても、弾丸が地面に当たると爆発するから効果はあるでしょう。しかし飛んでいる飛行機に撃っても当たるなんてまずない。当たらないと砲弾が爆発しないから飛行機を撃ち落とすことはできない。 じゃあどうしたらいいか? 砲弾が飛行機のそばを通過する時爆発すればいい。そのためには砲弾から電波を出して、飛行機から反射した電波を受けて、それを電子回路で微分して変化がゼロになったとき、すなわち最も近づいたときに爆発する仕掛けを作ればよい。そんなもの今はないけどいずれ作られる。それが30年後なのか、私の話を聞いた人が1年後に作るのか、それは分かりません。 それには砲弾の中に発信機、受信機、微分回路、電気信管などを組み込まなければなりません。つまり砲弾の中に真空管を組み込むことはありえなくないのです。 そのとき砲弾が大砲から打ち出されるときの衝撃に真空管は耐えなければならない。それに真空管はA電源B電源が必要です。その電池も砲弾に納めなければなりません。そんなことができるものでしょうか。 ここに取り出したのは真空管ではなく、ガラス管の中に細かい線の引き回しもない部品です。でも二極管や三極管と同じ働きをします。更に電子を真空中飛ばす必要がないのでA電源は必要ない。B電源も低い電圧ですむ。これを組み合わせれば近接信管は作れると思いませんか。 今使われている無線通信は周波数どうこう以前で火花送信機とコヒーラ検波器というものから成り立っています | |
伊丹の話は、トランジスタやダイオードなどの素子の説明、送信機・受信機、レーダー、電波による加熱器、暗闇でも見える機械などを説明していく。 | |
「今までバナナの叩き売りのようなお話をしてきました。でもデタラメは一切申しておりません。我が扶桑国は技術立国を目指している。でも技術立国とは言葉ではない。今申し上げたようなことを実現しようという努力をいうのです。 今お話したことに興味がある、研究しよう、作ろうというお方には、部品や種々資料を提供します。 ただしひとつ約束してもらうことがあります。研究開発したものは秘密厳守です。こういった技術が外国に知られれば我が国の優位は消えてしまう。もちろん外国だって研究開発が行われているから、そういった技術あるいは情報が漏れれば我々よりも先に達成するかもしれない。 ですから条件として、みなさんの研究成果を国が買い上げること、研究論文は外国の開発状況をみて公表の可否を判断したいということです」 | |
1時間半ほどの講演の後、会場の後ろのテーブルに置かれた、たくさんの素子や製品実物の説明をおこない、それに続いて理論や問題点の質疑応答が3時間も続いた。 | |
「みなさんも興味を持たれたようですね。こちらではどなたが何をお持ち帰りになったか記録しております。1カ月後、それからどのようなアイデアが出たか、どの用途を考えたか報告していただきます。 でも、もらった部品を文鎮に活用したなんてお話ではいけません」 | |
そして多くの研究者は、信じられないようなすごい情報をあまりにも大量にインプットされたため、茫然とした表情で会場を後にしたのである。 | |
「中野中佐、いかがでしたか」
| |
「さすが伊丹さんですね。話が上手いから乗ってきますよ。それに軍の研究者は業務命令ですから」
| |
「伊丹さん、初めまして。奥様にはお世話になっております」
| |
「こちらこそよろしくお願いします。私の話はお役に立ちそうですか?」
| |
「大変ためになり、また感動しました。今潜水艦を見つける方法を考えているのですが、アイデアを頂けないですか」
| |
「浮上あるいは半潜航状態、潜望鏡だけでも上げていれば、水面上の探査になりますから電波を当ててその反射があれば見つけることができるでしょう。 完全に潜航していると目でも電波でも見えませんので音しか使えません。このとき潜水艦が立てた音を拾う方法と、こちらから音を送り出して潜水艦から反射した音を拾う方法があります」 | |
「なるほど、それで」
| |
「それから先はあなたが考えることです。それを作るための部品は今日お見せしたもので間に合うはずです」
| |
「おっしゃる通りですね。アイデアと部品をいただいて、さらに作り方まで聞いては子供の使いですわ」
| |
「伊丹さん、いつか魚雷が相手の船を追いかけるようになりますか?」
| |
「失礼ですがそういう発想ではなく、船を追いかける魚雷を作るぞと思うことが大事です。具体的には吉沢課長に申し上げたことと同じですが、水中は見えないし電波も使えない。ですから相手のスクリュー音を拾う装置、それに向けて操舵する装置、もちろん相手より速いスピードがでる魚雷のエンジンを開発することになりますね」
| |
「なるほど、ものすごくわかりやすい回答ですね。 吉沢課長、今日の話を聞いた連中でそういったものができますか?」 | |
「彼らはだいぶショックを受けたようで、今は頭がいっぱいだろう。だが連中のことだ、すぐに正気を取り戻して考えるだろう」
| |
「期待するよ。それにつけても伊丹さんは万能の人だね」
| |
「室長の旦那は髪結いの亭主ではなかったのか」
| |
「はあ?」
| |
●
その日から扶桑国の大学や研究所で見られた光景は・・・● ● |
私の少年時代は、3級ラジオを作った。 二十歳くらいになって電子工作したときはまだこんな形の大きなトランジスタを半田付けしていた。 |
||
「教授が持っている黒い部品はなんですか?」 |
||
「こう見えてもこれは三極管だ。どのようにして作るのか考えている」 |
||
学生 | 「三極管? 三極管てガラス管ですよね、それってガラス使ってないですよね。抵抗のように見えますが」 |
|
教授 | 「抵抗は二本足、これは三本足だ」 |
|
学生 | 「それが増幅とか発振とかできるのですか?」 |
|
教授 | 「そうなんだよなあ」 |
|
「先生、振動があっても衝撃があっても決して切れない電球を考えたんですが」 |
||
「そんな研究止めろや、これを見ろ、ガラスも使わず熱も出さないが光るんだよ。冷たい光、電気を食わない。これを研究しろ」 |
||
「フィラメントがなくて、どうして光るんですか」 |
||
「課長、先日言われたスピーカーの改良ですが、アイデアが浮かんだんですよ」 | ||
「ああ、気が変わった。マグネチックスピーカーは止めて、ダイナミックスピーカーってのを研究することにした」 |
||
「えええええ」 |
||
「部長、その大きな電球のようなものはなんですか?」 |
私が1960年代に使っていたオシロは、画面は小さく前から見て丸く表面も丸みを帯びて、奥行きはべらぼうに長かった。カバーを取るとまさに大きな真空管という感じだった。いかにもCRT(カソードレイチュ−ブ・陰極線管)であることが見て分かった。 時が経つにつれ画面は丸から四角になり奥行きは短くなり、いつのまにかCRTから液晶になった。 そういえばテレビも同じ流れだったね。 ヤレヤレ、老人は消え去るしかない。 |
|
「これは信号を画面に表す装置だ」 |
||
「はあ、ちょっと分かりませんが」 |
||
「大きな真空管と言ってもいいが、電子線がこの端面に当たると蛍光が光る。外側にコイルが巻いてあって、そこに電流を流すと電磁石になって電子線が曲げられる。横方向を時間で動かして縦方向を電圧で動かすと曲線が描かれる。高い電圧だと動きが大きくなる」 |
||
「つまり電圧計に使えるというわけですか?」 |
「いや電流計にもなるし、波形もわかるだろうし、いろいろだな」 |
|
「それがなにか?」 |
|
「お前!この値打ちが分からんのか!」 |
|
「見てみろ、このベークライトの板に小さな部品がいくつも載っているだろう。この一つの部品の中にたくさんの抵抗やダイオードが入っているんだ」
| |||
「おいおい、真面目な話かい?」
| |||
「真面目もまじめ、大真面目だよ」
|
「それで、その部品が付いたベークライト板はなにができるんだ?」
| ||
「これは2進数の加算回路だ。もちろん桁上がりもする」
|
「2進数の加算回路? どんな回路になっているの?」
| |
「ブール代数そのものだよ アンド、オア、ノットの組み合わせが何十も入っているんだって。 もちろん加算回路以外の回路もいろいろできる。入力やタイマーに応じてどういう動きをさせるか決めておけば実行してくれる。部屋の照明でも交通信号でもなんでも」 |
●
講演会から3週間後、ここは政策研究所の伊丹研究室、来週は伊丹の講演会の第二回だ。そのための事前打ち合わせである。● ● 幸子室長以下、吉沢課長、兼安少佐、中野中佐、そしてホワイトボードの前に伊丹がいる。 | ||
「もうそろそろ前回の出席者から報告会参加の回答が来ても良いはずですが、どうですかね?」
| ||
「前回の出席者は52名、今日時点の出席回答が47名、検討報告をするという人が31名です」
| ||
「おいおい、差額の16名は、なにもせずかい?」
| ||
「しかし31名も報告するのは時間的に無理ですね。10名くらい選んで報告してもらい、残りは次回というのはいかがでしょうか。もちろん報告書は配るとか」
| ||
「もちろん事前に頂いた草稿は冊子にして配布します。それがまたみなさんの発想を触発するでしょう」
| ||
「それも機密管理しなければなりませんね。この時代はコピー機はないけど、写真という方法はあるからね」
| ||
「前回、海軍工廠から4チームくらい来たと思いますが、どうですかね?」
| ||
「私も気にしてまして毎日進捗を聞いております。ええと1チームはカドミウムセルの利用でしたが、照明の自動点灯と自動消灯、明るさを測る計測器、夜間の自動警戒などに使えないかということです」
| ||
「別のチームは差動トランスで各コイルの電圧をブリッジに組んで、コイルの中に鉄心をおいて交流を流したときのブリッジの平衡くずれから鉄心位置を求めるってのもありましたね | ||
「その実験をしているのを見てきました。確かに電圧の変化と鉄心のずれの関係はとれたようです。使い道は見当もつきませんが」
| ||
「例えばインダクタンスの変化でアンテナの方向を知るなんてどうでしょうかね」
| ||
吉沢課長はハットして顔を赤くした。
| ||
「伊丹さん、質問です。多様な研究テーマを与えられましたが、テーマを伺いますと、どうもちゃらんぽらんのように・・」
| ||
「家内から対潜戦のための潜水艦発見と攻撃のための機器が欲しいと言われまして、そうすると私の世界で言うレーダーとかソナーが頭に浮かびます。でもそれを作ろうとしても部品もない、電気機械を作るベースもない、検査装置もないという現実があります。ですからそれらを作るために、こんなものが欲しいなというものを小分けして提示したということです。」
| ||
「えっ、そうしますと先日のテーマすべて出来上がらないと我々が1年後に遂行しなければならない対潜戦作戦は成り立たないということでしょうか?」
| ||
「確かにいずれも対潜戦の兵器に必要なものですが・・・・まあ難易度の幅が広いですから、すべてが完成しなくてもとりあえず最低限そろえばと思います」
| ||
「すべてそろわないと効果が期待できないということですか」
| ||
「もともとこの時代に、対潜戦で確実な兵器はありません。 今回のアイデアの基本的なものだけ実現できれば、今より10年や20年進んだものはできるでしょう。全部できないと30年40年先は無理かなということです。 大変申し訳ないが、私も期待されたものをすべて提供できるわけではありません。最終的に作り上げるのはみなさんです」 | ||
「実戦の指揮は私担当なので、少しでも良いものを期待したいところです」
| ||
「お二人は対潜戦に目がいっていると思いますが、過去からある軍艦でも大砲でも機関銃でも運用者は不満があります。でも今手にしているもので最良の戦術を考えるしかありません。そこは運用者の腕の見せ所です。 それと肝に銘じてほしいのですが、技術が上がるほど秘密保持が重大になります。今の同盟国も10年後は敵国になるかもしれない。対潜戦兵器や戦術が漏れると我が国に重大な脅威になります」 | ||
「おっしゃる通りです。肝に銘じます」
|
中 | 發 | 發 | 三 萬 |
四 |
五 萬 |
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |
注1 |
日本海海戦では三六式無線機が使われていた。 | |
注2 |
AM変調は1900年頃発明されていた。しかし実際にラジオ放送が行われたのは1920年アメリカ大統領選挙の時だった。 | |
注3 |
ブール代数はもちろんジョージ・ブールが考え1844年に論文を出している。 ところがそれはあまり関心を持たれずに、リレーで計算機を作ろうとした1930年代に再発見されたという。 シーケンス制御というものが考えられたのは、シャノンの論文(1938)が最初であり、1960年代から電力プラントの統括制御や保護監視のためにリレーを用いたシステムが作られた。 であればこの物語の頃(1914)はブ−ル代数なんて言葉は使われていなかったと思われる。 | 注4 |
電気マイクロメーターのことを表現したつもりですが、意味が伝わったでしょうか。 |
注5 |
「大空のサムライ(上)」酒井三郎、2001、講談社、ISBN139784062565134 |