「デブの帝国」

2019.09.23
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


私は生まれてから一度だけデブと言われたことがある。私が小学生のとき、喧嘩した相手からあざけりとして「デブ」と言われただけで、実際に太っていたわけではなかった。 ピカピカの一年生 言い換えれば私は生まれてからずっとデブではなかった。
それどころか私は産まれてから小学校、中学校、高校とずっと痩せていた。なぜなら貧乏人はろくなものを食べないから太れない。私に限らず昭和30年頃の小学生はみんな体が小さく痩せていた。私が小学校に入学したときの身体検査で身長が106センチだったのを覚えている。当時の小学1年(男子)入学時の平均は108.4センチだから、私は平均より小さかった。
なお2018年の新入生(男子)の平均身長は116.5センチというから60年で8センチも伸びたことになる。これは大きい。116.5センチと108.5センチでは9%も違う。170センチなら15センチも違うことになる。
私は小学校以降もずっと小さいほうで、若い最高のときで168センチであった。今でも毎年の健康診断で身長を測るが、70歳の2019年は166.5センチ、悲しいことに縮むばかりだ。

面白いことに気づいた: 私が入学時に平均よりも2センチ背が低かったと書いて、当時の身長の標準偏差はいくらだったのだろうと思いググったが、適当なものは見つからなかった。
しかし現在の年齢ごとの身長・体重そしてそれらの標準偏差の表があった。それを見ると、小学校から後期高齢者に至るまでの身長体重があるのだが、面白いことに身長の標準偏差はすべてにおいて5センチ前後なのだ。
平均身長が116センチでも172センチでも標準偏差が5センチとは、どういう事情なのだろうか? 不思議でならない。
頑張るぞ 更に気付いたこととして、私は小学生から還暦頃まで平均身長より低かったのだが、65歳くらいからは平均身長を超えていることである。もちろんこの表は同じ人が歳を取ったケースではなく、世代が違うがそれをおいといても、私が子供の時から大人まで平均以下だったのは事実だから、疑問を持つのは当然。これは歳をとると皆背が縮んでくるのだが、私は運動をしているおかげか、背の縮みが少ないということだろう。これからも頑張るぞ!

身長だけでなく私は体重も控えめで50歳を過ぎるまで、客観的に見て太っていたことはない。高校のとき57キロだったが、会社に入ってからも変らず。せめて60キロになりたいと思ったが、貧乏でメシマズの母親の飯ではそれは無理。
家内は私の母親の飯を食べて、安心したと言った。そりゃ家内の方が料理が上手なのは歴然としていた。
25歳で結婚してから家内がメシウマで太りました。とはいえ結婚して一段階体重が増えたものの、それ以降50歳の時までの25年間 61から62キロでほとんど変わりませんでした。62キロといっても太り気味ではなく、身長168センチならちょうどでしょう。食に気を使ってくれる家内のおかげです。
会社を変わり監査を仕事にするようになると、現場作業がないことと歳を取って代謝も減ったのでしょう、だんだんと体重が増えまして63歳で引退したときは、なんと68キロありました。11年間で6キロ増加です。これは少し太りすぎです。

私の家族はどうだろうか?
私の家内は157センチ、家内の年代としては平均だ。娘は160、息子は175だから、これもその世代としては平均だ。しかし体重は娘も息子も子供の時は標準をはるかに超えていた。これは私が子供時代食べ物を好きなだけ食べられなかったという記憶があるので、どんどん食えと育てたからだろうと反省する。
それで子供たち二人とも小学校では、放課後に肥満児のための運動の時間があって、それに参加していた。その効果か、娘は今は標準である。息子は二十歳を過ぎて背が伸びるのが止まってからも、横の成長は止まらず最盛期は110キロくらいあった。いっとき家庭用の体重計が100キロまでなので、体重計を2台並べてそれぞれに足を載せて計量するのを自慢していた。おまえ、それって自慢にならんぞ!
今は本人も気にしていて100キロを切っている。

日本では身長も体重も戦後はずっと伸びてきたが、既に身長は男で173センチ、女は158センチで飽和したようだ。
 トマト
きゅうり
最近では男子の身長が減少し始めたというニュースもある。
体重のほうは男子は増える一方で、女性はスタイルを気にするからでしょう一進一退である。
ともかく食べたいものが食えるというのは幸せなことだ。私たちが子供の頃、近くの農家の畑に忍び込んでキュウリやトマトを盗んで食べたのは決して良いことでもないし幸せなことでもない。ただ食欲は倫理よりも強い。
渇しても盗泉の水を飲まずと言えるのは、まだ渇していないのだろう。

私が初めてアメリカに行ったのは1973年のこと。そのときはとにかく一度外国というところに行ってみようと、JTBのツアーでアメリカ西海岸に行った。ホテルまでは連れて行ってくれるけど、あとはまったくの自由行動である。行く前にアメリカ駐在をしたことがある年配者に、バニラシェイクを注文して通じたら大したもんだと言われた。バニラの発音が難しいらしい。でも私はバニラシェイク以前に、言葉では注文なんてできませんよ。手足を使わなければどうにもなりません。
10日間ロスとシスコに滞在した。そしてあちこちを歩きました。タクシーに乗る勇気もなく、公共交通機関か近場は歩きました。当時はヒスパニック系の人は非常に少なく、ヨーロッパ系が過半であり、黒人は特定の地区以外は少なかった。
黒人の多い地区を知らずに歩いて、その夜同じツアーの人に「あそこは危ない地区なのよ」と言われたこともあった。とはいえ当時は今よりも治安は良かったのではないだろうか。
前述したように私の背の高さは日本人でも平均以下だから、アメリカでは私より大きい人ばかり。女性でも私より小さな人はいなかったような気がした。道に迷ったときはどこでも警官を見つけてつたない英語で道を聞いた。警官は皆大きく180どころか190くらいあったと思う。別れる前に気さくに握手してくるのだが、彼らの手は私の2倍はあった。
しかし太っている人はあまり見かけなかったように記憶している。

2001年11月、家内とラスベガスに遊びに行った。911のテロ直後だったので空港や都市部もとんでもなく警戒が厳しかった。軽くギャンブルを楽しみ、グランドキャニオンなどを見て回った。
パンケーキ そのとき感じたのはみんな太っていること。太った人が多いのではなく、みんな太っているのだ。
そして食べる量が多いということ。ラスベガスはギャンブルで元を取るという考えで、バッフェではとても安く飯が食える。そしてバッフェは朝も昼もなく営業している。私たち夫婦がトースト、ベーコン、卵とサラダという一般的な朝飯を食べている脇で、5段重ねくらいのパンケーキに蜂蜜とバターをたっぷりと載せてむしゃむしゃ食べている老夫婦がいた。我々はただ茫然と眺めていた。いったい何カロリーあるのだろう。我々の食べる一日分以上はあるに違いない。
我が家では旅行に行っても他人にお土産を買わない主義で、買うのは自分のものだけ。それでスーパーなどにいって、日本で売っていない衣料品とか小間物などを眺めるのがいつものこと。しかしサイズはワンサイズどころか倍もありそうで家内が着れるものはなく、私はベルトをみたが胴回りのミニマムが私より7センチも大きかった。


さてこの本にとりかかる。これを見つけたのは食糧問題の本を読んでいて、飽食云々ということでこの本を引用していたからだ。私は本を読んでいて、そこで引用している本を読んだことがないと大体読む。全部読むこともあるし、最低引用された箇所だけはしっかりと読む。引用者によっては自説に都合の良いところだけを切り取り引用する輩もいるからだ。この本は冒頭から面白く全ページしっかり読んだ。

書名著者出版社ISBN初版価格
デブの帝国グレッグ・クライツァーバジリコ 97849017842072003/06/251500円

タイトルが「デブの帝国(原題Fat Land)」で表紙の絵もそれなりだが、中身は真面目である。副題が「いかにしてアメリカは肥満大国になったのか」とあるように、アメリカ人が肥満になった原因から、肥満の社会的評価の変遷、また肥満解消についての今までの試行錯誤などがメインである。

ちなみに:原本も表紙の絵も同じ、サブタイトルもAmericans Became the Fattest People in the Worldで同じである。
タイトルもサブタイトルも表紙の絵も原本と全く同じというのは珍しい。

この本によると、アメリカ人が太り始めたのはズバリ1970年代ニクソン大統領のときだとある。別にニクソンが肥満を推奨したわけではない。 ニクソン大統領 当時砂糖やマーガリンが高騰したために、物価安定のために砂糖の代替品として果糖コーンシロップというトウモロコシから作る甘味料を許可したからという。
そしてニクソンが失脚した後を継いだフォード大統領が、食用油の価格低減のためにパーム油の輸入を許可したことだとある。パーム油は植物性ラードと呼ばれるそうだが、成分的にはラード、つまり豚の脂肪そのものらしい。
ファーストフードは食感を良くし原価を下げるために果糖コーンシロップとパーム油を使うようになる。
マックのポテトは揚げてから時間が経っても湿気らずグニャグニャにならない。いつまでもカリっとしている。揚げる油がラードとパーム油の混合したものだからと聞く。実を言って私はこのカリっとしたポテトが大好きなのです。そして多くの人もそのようです。害はないが食べれば太る。悩みますね、

マクドナルドに限らず、どのファーストフードチェーンも売り上げを大きくするために、ハンバーガーやピザ単体でなくコーラやポテトをセットにした、そしてサイズを大きくしてバリューセットとか名づけた。
ハンバーガー ファーストフードが増えたのは売る側の要求だけではなかった。女性の社会進出によって家事労働を削減しようと家族そろって外食するようになり、お弁当を作らない、家庭で食べるにしても冷凍食品を温めるだけという方向に進んだ。そして外で仲間と食べることが新しいライフスタイルとなる。
結果として食べる量が多くなり、普段食べるメニューの種類が減り、野菜や果汁が減る。代わりに炭水化物、脂肪、砂糖・果糖がどんどんと増えた。
ひとつひとつを捕らえると問題はないのだが、総合的には肥満一直線だ。

また1980年代になると、ビデオゲーム(TVゲーム)が広まった。また都市部の治安は悪化し、親は子供を外で遊ばせることを嫌うようになる。その結果、外で野球やフットボールをする代わり室内でゲームをピコピコするだけの少年少女が増加した。そしてビデオゲームをしながらスナックをつまむという習慣も広まる。

そんなことで肥満が増えた。その結果、太っていることは恥ずかしいという感覚から、太っているのは普通だという認識に変わってきた。
もちろん旧来の価値観が残っているクラス(階層)もある。「自分の体形の管理もできない人に、重要なことが管理できるはずがない」という価値観は上流においては健在だという。
だが、一般人においては太っていることは恥ではないという考えに染まる。そして親が太っていれば、その子の躾においても腹八分とか腹も身の内という考えは失われてしまう。食べることは楽しいことで、アメリカでは食品は安い。食べることを我慢することはなく、食べて動かなければ太るのは必然だ。

そして教育者、医者、行政の指導的な立場の人、政策を立てる人においても肥満についての考えがハッキリせず、時と共に変動してきた。

太っている人は意思が弱い
太っていることは恥ずかしい、
矢印
太っていても病気じゃない
太っていても恥ずかしくない
矢印
太った人を差別してはいけない
矢印
太った人に対応しよう、
矢印
太った人が暮らしやすい
ようにしなければならない

Fatは「太っている」だけど、同音のPhatは「すごく良い、素晴らしい、カッコいい、粋な」という意味になった。
女性も男性も、MLSのサイズ、○号のサイズがどんどんと変わってきた。昔15号だったけど10年経っても15号よといっても、実は今の15号は若いときに比べて何段階もサイズアップしているのだ。

しかし20世紀末からの糖尿病を始めとする成人病の増加、体力の低下、医療費の増加は、太っているのは正常とかデブに優しくなんて言っていられなくなってくる。現在の肥満に関する結論は、太っていると病気になる、病気にならないためには標準体重にしなければならないという考えだ。
この価値観の変遷と対応のゆらぎを読むと、長期的・科学的に判断できないのは日本ばかりじゃないと安心するというかガッカリする。

今現在のアメリカの肥満に関する基準は、BMIを19から24に収めろということになっている。日本のBMIの標準は18.5〜25でほぼ同じだ。
注:BMIの計算式は世界共通だが、判断基準は国によって異なる。

さて実際はどうかというと、

平均身長平均体重BMI判定平均寿命
アメリカ人男性178cm87kg27.5肥満1度76歳
女性163cm74kg27.9肥満1度81歳
日本人男性172cm64kg21.6普通78歳
女性158cm53kg21.2普通86歳

日 本 人アメリカ人
男性女性男性女性
日本人男性日本人女性アメリカ人男性アメリカ人女性

引用:「日本とアメリカの面白い違い」一覧表
★★★★★★出典により数字が多少違うことは了解願います。

今はアメリカ人もヒスパニックとか東洋人も多くなり、全部を平均した身長は昔より減少しているそうだ。
それはともかく一覧にすると確かに日本人よりははるかに肥満体型である。
でもさ、日本人男性よりもアメリカ人女性の平均身長が10センチも低いのに、平均体重が10キロも重いというのはどう考えても異常だろう?

第二次大戦後、日本の明日はアメリカだと言われてきた。三種の神器、モータリゼーション、女性の社会進出、女性の地位向上、身長・体重、ものの考え方、ファッション
そして肥満も肥満から派生する種々の病気もアメリカの後を10年ないし15年遅れて追いかけている。
日本はあまり上流階級というのが確立していないから、全国民が肥満の方向に走るのだろうか? それとも代々続く政治家や資本家の家系などは高身長・低体重を継承するのだろうか?

もう8年前になるが、私が傷口からばい菌が入り救急車で運ばれたことがある。同じ病室に糖尿病で脚を切断するために入院した若い男性がいた。彼のところに来た見舞客とか医師・看護師との話をカーテン越しに数日聞かされたが、30前で脚を無くすというのはもの凄いショックだろうと同情した。
また郡山に住んでいたとき、近所に糖尿病で失明した方がいた。
糖尿病による失明とか脚の切除などが多くなった社会を想像したくない。我が家では息子が一番危なそうだが、本人は体重があるのは脂肪じゃなくて筋肉だという。まあ、そう信じよう。
私はいろいろあって、7月からフィットネスクラブを変えた。今までは平日会員といって平日の朝から夕方まで利用できる会員だったが、 スイミング フィットネスクラブを変えたとき、多少のお金の節約よりもいつも運動を楽しめた方が良いと、休館日以外は朝から夜まで入場できるレギュラー会員にした。
そして7月1日から休館日以外は毎日スポーツウェアを入れたリュックを背負ってジムに通勤している。
効果があったか
ありましたとも、7月は前月比0.4キロ減、8月は同0.6キロ減、9月はまだ20日だが0.4キロ減った。今61.9キロであるが、標準体重にするには61キロジャストにしなければならない。そのためにはもう少し負荷を上げなければならないかもしれない。
それに今までは月曜日になると金曜日に比べて体重が1キロほど増えていたのが、土日も運動しているからそんなことがなくなったこと、夜12時前には眠くなってくること、便が硬くも柔らかくもなくなったことなど、運動はやる価値があると実感する。
とはいえ、私のように毎日ジムに行くなんてことは、働いている人や育児のある人にできるはずがない。
実を言って家内はジムではないが、卓球一筋でいくつもの卓球クラブに入っていて、月水木金土とやっている。これもまた普通の主婦ができるわけがない。子育てが終わり、まだ体が十分利くという50代から60代の女性に許されることだろう。
まあ、できない方はしかたがない。我が夫婦が暇のない人たちの分も運動しているということにしよう。

アメリカは肥満なのは間違いない。でももっと肥満が多い国もある。だいぶ前に「ユートピアの崩壊」という本を読んだことがある。ナウルはほとんど全国民が肥満で、そして糖尿病になる。これこそが真のデブの帝国ではないだろうか?
ナウルは21世紀初めに国家が経済破綻し、生きていくためにマネーロンダリングの場所の提供、パスポートの販売など怪しい商売をしてきたが、国家再興はまだなっていない。
では貧乏になったら糖尿病は減ったのかとなりますが、子供の時からの肥満と運動不足が解消されるわけはなく、今でも国民の糖尿病罹患率は30%以上だそうです。現在の医学では糖尿病は予後不良ですから、糖尿病が減るには食糧事情がもっと悪化して、子供の時からの食生活が変わらなければ改善しないでしょう。しかしそれには半世紀あるいはもっとかかるかもしれません。

引用元:消滅の危機、ナウル共和国のいま
ナウル、世界一の贅沢に溺れた国の結末

アメリカの糖尿病患者は3000万人、人口の9%になる。世界的に糖尿病患者は多くそして増加している。
我が国は大丈夫なのか
日本の糖尿病患者は2017年329万人だそうだ。これは人口の3%になる。そして毎年4万人ずつ増加している。
まあ、ナウルは別格としてもアメリカよりは低い。それにしてもゆくゆく人口の3%が盲人になったり足がなくなったりでは大変なことになる。
もちろん肥満は糖尿病だけでない。物理的な問題がある。重さは3乗に比例するが筋肉の断面や骨の断面積は2乗だ。だから身長が伸びれば、関節や骨の単位面積当たりかかる重さ(力)は背の高さの1.5乗で増加する。体の大きい人の方が骨折や関節の故障が起きやすいのは自明だ。その結果、膝や腰などの病気が増える。
その他、運動不足による高血圧とか種々の病気など悪いことはたくさんあり、良いことはない。
さあ、どうする


濡れ落ち葉 本日の妄想
25年前、タイに出張したとき、タイでは太っているのは食べることに不自由しない人。だから太っていることはお金持ちというイメージがあり、"少し"太っているのはカッコ良いと聞いた。今はどうなのだろうか?
日本も中国も同じだったのだろう。どの国でも、50年前、100年前あるいはそれ以前は、今のような肥満体つまり身長170センチで100キロを超える人はいなかったのではなかろうか。まして自分でお尻も拭けないのは一人では生きていけない要介護レベルだろう。
デブを軽蔑するのは間違いだけど、デブになるのはやはりどこか問題があるはずだ。
ケネディ大統領 昔ケネディが大統領になったとき、貧乏は恥ではないけどそこから脱却すべきだと語った。
それと同じく、デブは恥ではないけどそこから脱却すべきというのは間違いではないだろう。
子供なら、外で遊べない、テレビゲームが子守り役、おとなしくさせるために間食させる、大人になれば欲求不満を解消するために大食い、太ることには何か理由があるはずだ。その原因に対策が必要だ。
いや私も立派なことは言えない。40くらいの頃、毎晩1キロくらい離れた公民館の囲碁クラブに車で行っていた。近所のご老人が歩いていくので乗りませんかというと、囲碁だけでなく運動のために行くのだと言われたのを思い出す。

これだけだと環境と結びつかないからもう少し追加、
世界全体で見れば食料は足りない。じゃあ飽食のところと飢餓のところを平均化すれば良いじゃないか?
あるいは、移動距離が5キロ以下なら交通機関を使わず歩く法律にする、いや動力が500W以下の仕事は機械を使わず人力ですることにしよう、そういうアイデアもあるかもしれない。
でも文明が発達したのは楽をしよう、怠惰は素敵だということからだろう。だからそんなことはよほどの意志がなければ実行できない。そしてそんな規制は長続きしない。
環境問題は環境の問題ではなく、人間の性分の問題なのだろうね、




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