異世界審査員166.フランス侵攻

19.04.18

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1930年10月 9日 16:00(アメリカ東部時間)
1930年10月10日 06:00(扶桑国時間)

さくらはホッブス准将にドレスアップして来いと言われて困った。スーツならともかく、パーティに着ていけるようなドレスなど持ち合わせがない。それにアクセサリー類は大学や大学院時代のチャチなものしかない。
さくらは考えたあげく和服で行くことにした。とはいえ、なにを着たらいいのか分からない。それに一人でも着られない。これは幸子に頼ろうと、領事館に戻り例のドアから伊丹邸に行く。

朝起きたとたんにさくらが現れたので幸子は一瞬ギョッとしたが、さくらの話を聞いてすぐに女中を呼んで着物を見繕う。伊丹邸には、以前さくらが住んでいたときの着物がひと財産あるのだ。伊丹や中野それに高橋閣下更には皇帝陛下などからの貰い物である。幸子は男は若い女に甘いと呆れていた。残念ながら幸子に着物を贈ってくれた人は伊丹も含めていない。
ディナーとなると袖が長いと邪魔だろうと中振袖として、アメリカだから素人目にも高級だと分かるようなものがいい。

さくら さて着物を着て領事館に戻り、ホッブス准将が教えてくれたレストランに行くにはどうするかと領事館員に相談すると、それは高級ホテルの中にある超一流のお店らしい。当然女性がひとり歩いて行ってはおかしい。女性の領事館員の付き添いと領事の専用車で送迎してもらうことにする。
これで小金持ちのお嬢さんくらいには見えるようになっただろう。いや待てよ、さくらは正真正銘の皇帝につながるお姫様である。そもそもひとりで考え悩むことではなく、領事館に一言言えばすべてやってもらえることだったと、そのとき気が付いた。

ホテルに行くと、既にホッブス准将は来ていて、ロビーの脇のバーで軽く飲んでいた。女性の連れがいる。准将の奥様か? ドレスもだがアクセサリーもかなりデラックスな装いだ。さくらはドレスでなくて良かったと胸をなでおろす。

さくらが声をかけて挨拶する。

ホッブス准将
「おお、民族衣装か、なかなか素敵だ」
さくら
「ありがとうございます。奥様をご紹介くださいな」
ホッブス夫人
「さくらのことはいつも夫から聞かされてますよ、天才少女だって」
さくら
「アハハハ、天才でも少女でもありません。私の国の人は皆若く見えます」
ホッブス准将
「今宵は私の友人を紹介したい。予言者さくらに欧州の戦争について話を聞きたいそうだ」
ジョンソン
ウエイターが来てホッブスに声をかけ、ホッブス准将は腕時計を見て立ち上がる。
三人はウエイターに案内されて個室に入る。
メガネをかけた30くらいの男性がひとり座っていた。ホッブス准将を見て男性が立ち上がる。

ホッブス准将
「やあ、ジェイコブ、こちらは中野さくら、扶桑国のお姫様だ。皇帝の姪になるのかな?」
さくら
「姪ではなく従兄弟の子になります。そんなに近しい関係ではありません」
ホッブス准将
「姪でも従兄弟の子でも、王族であることに違いない。
こちらはドーバー侯爵のジェイコブ・ジョンソンだ。こちらも祖先をたどるとイギリス国王に繋がる」
ジョンソン
「侯爵といっても従属爵位で、父の後を継ぐまでは平民です(注1)
さくら
「私も同じく平民です。特権と言えば国費で留学できたくらいです。それからみなさんからプリンセスと呼んでいただけるとか」
ジョンソン
「さくらさんは国際政治学のドクターと伺いました。欧州の戦争がどうなるのか予測をお聞かせ願いたいと思いまして、ホッブス准将に仲介してもらいました」
さくら
「お食事の時そんな話は合いませんわよ。それに私が話し出すと止まりません。それで良いなら……ホッブスご夫妻はそんな話題でいいのですか?」
ホッブス夫人
「良いですとも、私も欧州の戦争が気になっているのですよ」

コーヒー ディナーはさくらが話して、それに対してホッブスとジョンソンが質問なり反論するという形で進みデザートまで続いた。
二人ともそうとう詳しいことは確かだ。とはいえホッブスは閣僚の補佐官だし、ジョンソンも政府高官か高級軍人なのだろう。

ジョンソン
「ドイツ軍がここ1・2週間以内に再度ベネルクス三国に攻め入るというのは、どれくらい確実でしょうか?」
さくら
「数日前、貴国に駐留している我国の偵察機がドイツ軍の爆撃で破壊されました。それで今までドイツ軍を24時間監視していたのができなくなり、新たな偵察機が派遣されるまでドイツ軍は監視を逃れました。ですからその機会を活用すると思います」
ジョンソン
「偵察機の1機や2機でそれほど影響があるとは思えませんが」
さくら
「イギリスにはドーバー海峡の空を見張るレーダーがありますね。貴国ではAirborne Interceptionと呼んでいるそうです。残念ながらそれは欧州の空までは見通せません。なぜなら地球は丸いから。より遠くまで見るためにはアンテナを高くすればいい。飛行機にレーダーを載せて10キロくらい上がれば400キロ近くまで見渡せます(注2)空中だけでなく地上を監視する機器も載せて、24時間上空にいれば相当な戦力になると思いませんか」
ジョンソン
「なるほど、しかしレーダーは大規模な施設だ。アンテナの大きさとなると何十メートルにもなる。飛行機に載せるなんてできるとは思えない。それに高度1万メートルを長時間飛べる飛行機があるのですか?」
ホッブス准将
「あるともさ、我々は満州で二度も支援してもらった。
ジェイコブ、扶桑国の科学技術はイギリスより上だよ」
さくら
「その偵察機はベネルクス侵攻の前から飛んでいて、その情報を英仏軍に提供していました。1万メートル上空を飛んでいても飛行機は地上から見えますから、緒戦で大敗北を喫したドイツ軍は、その偵察機を排除しようと奇策で爆撃したのでしょう」
ジョンソン
「なるほど、そんなことがあったとは知りませんでした。私など知りえない機密なのでしょうね。
それで偵察機が破壊された現在は、ドイツ軍の状況を把握できないということ。だから復旧する前に侵攻するだろうと……
そんな機密を知っているさくらさんはどういうお仕事をしているのでしょう?」
さくら
「残念ながら現在無職です」
ホッブス夫人
ジョンソン「無職?」
さくら
「ラドクリフでドクターを頂いて、こちらで教員になろうとしたのですが仕事が見つからず、国に帰り父のお手伝いをしています」
ジョンソン
「御父上はどのようなお仕事を?」
さくら
「父は皇帝の顧問です。私は今、アメリカとの非公式ルートであるホッブスおじさまとの交渉役として派遣されています。というのは大学院時代におじさまのお手伝いをしていましたので」
ホッブス夫人
「あら、あなたにこんなかわいい姪がいたなんて知らなかったわ」
ホッブス准将
「俺が仕事を移るとき一緒に来ないかと誘ったのだが、あのときは大学教員の職を探すと言って振られたよ」
ジョンソン
「イギリスに来て大学教員をしませんか」
さくら
「私のキャリアで仕事が見つかりますか? それに貴国は今戦争中でしょう」
ジョンソン
「ジョンブルは昔から戦争に慣れてますよ。さくらさんの能力なら作戦や新兵器の活用方法に大いに力になるでしょう」
さくら
「作戦といえばオペレーションズリサーチなんてしたわ」
ジョンソン
「オペレーションズリサーチとは何ですか?」
さくら
「エッ、貴国ではまだ実践していません?」

さくらはつい気を許して情報を漏らしてしまったと気付いた。オペレーションズリサーチは日本では当たり前だったから、発祥の国イギリスでは一般的になっていると思っていた。ひょっとしてブラケットがORを始めるのはこれからなのか? とするとあまり情報を与えるのはまずいと冷や汗が流れた。

ジョンソン
「オペレーションズリサーチ、作戦研究とか運用研究ということかな……」
ホッブス准将
「なるほど扶桑国はハードウェアだけでなく、そういう理論とか応用も進んでいるのだな」
さくら
「今の話は忘れてください。私が犯罪者になってしまいます」
ジョンソン
「罪人にならないためには、イギリスに来るしかないな、ハハハ」
ピアノ

その後は危ない話題を避けて、登山とか音楽など趣味の話に移り、さくらはホッとした。


1930年10月10日 06:00(アメリカ東部時間)
1930年10月10日 20:00(扶桑国時間)

翌朝、さくらは領事館から扶桑国に行って養父にあう。
昨晩、会いに行かなかったのは自分の気持ちを落ち着かせるためだ。

さくら
「お父さま、ちょっと間違いを犯してしまいました」

さくらはイギリスのレーダーや偵察機の話をしたことを伝えた。

中野部長
「話は分かった。まあ過ぎたことは仕方がない。これから注意することだな。今後ホッブス准将などから招待されたときは石原君と一緒でなければ断れ」
さくら
「分かりました。それと気になったのですが、昨日はお見合いだったのでしょうか?」
中野部長
「さくらの話を聞くとそんな気がする。だが私は聞いてないから、皇帝が了解した政略結婚ではないな。皇帝も私もさくらを手駒に使うなんて腹黒いことはしない。それは信じて欲しい。
ただ向こうはまさに国家存亡の危機だから、我国の帝族と姻戚関係を結べば、武器援助とか技術支援など有利になると考えているだろう。あるいはさくらの頭脳そのものが狙いかもしれない。
もちろんさくらが相手を気に入ったなら、それはさくらの自由だ。しかしまずその人物が本物かどうかを調べよう」

その後、さくらは伊丹邸に寄り振袖を返してきた。


1930年10月12日 07:00(アメリカ東部時間)
1930年10月12日 21:00(扶桑国時間)
1930年10月12日 12:00(グリニッジ標準時)

在アメリカ扶桑国領事館
中野、伊丹、岩屋、さくら、石原がいる。

中野部長
「本日19:00、グリニッジ標準時で朝10時、ドイツ軍がベネルクス三国に進撃を開始した」
石原莞爾
「2時間前ですか。アメリカのラジオはまだ報じていませんね」
伊丹
「奇襲攻撃だったのですか?」
中野部長
「今回は我国の偵察機が飛んでないが、潜入したスパイによって事前に察知したという。ただそれはほんの1時間前で適切な反撃はできなかった模様だ。
既にオランダは通過され、現在ベルギーで英仏軍とドイツ軍が戦っている。ベルギーも時間の問題のようだ」
岩屋
「我国の偵察機の貢献は大であったと気が付いたでしょう」
中野部長
「確かに、事前に攻撃を検知できなかったことだけでなく、航空戦の指揮管制をする早期警戒機の存在が大きい。レーダーで敵味方を識別し空中戦で優位な場所に誘導されるのでなく、行き当たり場当たりでの会敵と戦闘では見逃しも多いし勝敗は時の運になってしまう」
伊丹
「英仏優位が崩れて、今度はドイツ有利に振れましたか。どうしたものか」
岩屋
「早急に早期警戒機を何機か送る必要がありますね。川西の新型飛行艇はどうなったのだろう?」
幸子
「既に量産型が10機ほど完成しています。現在は電子機器の艤装中です。しかしこれを持ち込んで、万が一撃墜されたらとんでもないことになりますね」
岩屋
「電子機器だけでなく電子部品や指揮管制の方法まで漏れてしまっては、我国の優位は一挙に崩壊だ」
中野部長
「戦場上空を飛ばずに遠距離からの指揮管制だけに限定したらどうだろう」
幸子
「敵陣の偵察はしないということですか? それでは能力の半分は捨てることになりますが……」
さくら
「アメリカでP-38という高高度戦闘機が開発されたと聞きます。我国が新飛行艇派遣の条件としてP-38の護衛を要求したらどうでしょう」
中野部長
「アメリカに参戦しろというのか?」
さくら
「そうではありません。アメリカはイギリスにP40戦闘機の売却を始めていますが、参戦したわけでなく商取引と説明しています。同じようにP38を売るときパイロットなしもあるでしょうし、パイロット付きなら義勇兵と称するのもありでしょう」

注:P40はP38より番号がふたつ多いから後から開発されたように思えるが、史実でもP38の方が初飛行が1年遅く、実用化は2年遅い。

幸子
「スペインではドイツもソ連も正規軍が義勇兵を名乗っていましたね」
岩屋
「それを言うならイタリアもだよ。いやアメリカも人のことは言えないな」
中野部長
「もしP38が言い値通りなら新飛行艇はドイツ領を飛んでも大丈夫か?」
さくら
「そう考えます」
中野部長
「よし、さくら、そういう条件でアメリカと話せ。話がついたら4機派遣することにしよう」

解散してから中野はさくらを呼び止めた。
何人か並んで撮った写真を見せる。

中野部長
「ジェイコブ・ジョンソンと言ったな。この写真の右端の人物かね?」
さくら
「間違いありません」
中野部長
「それじゃ、ドーバー公爵の長男ジェイコブ・ジョンソンなのは間違いない。彼は科学者で電波探知機の研究チームにいる。
今、電子部品調達のためにアメリカに行っているとのこと。そこで我国の政策研究所の存在と仕事を知って、さくらに近づいたに違いない」
さくら
「私はどうしたらいいですか?」
中野部長
「相手がどう出てくるかで考えるしかないな。さくらが個人的に気に入ったなら付き合うのもあるだろう。ジェイコブは29歳独身で変な噂もないようだ。
機密については国家間交渉なら対応すると答えなさい」


1930年10月20日 8:00(グリニッジ標準時)
1930年10月20日17:00(扶桑国標準時)
1930年10月20日 3:00(アメリカ東部標準時)

今、ベルギー南部の上空を飛んでいる。
おれは新たに派遣された新型飛行艇の機長だ。この前級の飛行艇に5年間乗っていた。新型が出て異動の指示が出たとき俺は古い飛行機に乗り続けたいと言って、新型機に変わるのを断った。もちろんそんなことが通るわけがなく、新型機に移ったわけだが、ほんの数日乗っただけで新しいものがはるかに進歩していると知った。もちろん前の飛行機だって与圧も暖房もあるが、これは前級よりもはるかに改善されていて快適だ。
旧哨戒機 矢印 新哨戒機
それに最高速度が軽く時速500キロを超える。前級が400キロ弱だったので100キロ以上速くなった。これはすごい。敵地を飛行するときは心強いだろう。また上昇限度が11,000mから12,000mとなった。普通の戦闘機はまず上がって来れない。
それに日常乗っていて一番良くなったと感じるのは、離着水だ。波が高くても不安を感じたことはない。
背中についている電波探知機の性能も一桁上がったと聞いたが、それは専任の情報処理士官が担当するので俺は良く知らない。

1週間前のこと、私の他三名の機長が呼ばれてイギリス派遣を知らされた。すぐさま部下に出撃命令を伝達し翌日朝には4機が離陸した。それから太平洋を島伝いに飛んでアメリカ大陸を横断しイギリスの港に着水したのが一昨日だ。昨日は点検と整備を行い、今日は初めてベルギーとオランダ上空を偵察中だ。
護衛戦闘機と称してアメリカから大型の戦闘機が付いてきた。今も左右後方に2機ついている。今1万メートルを飛んでいるこの飛行機について来れるのだから大したものだ。とはいえこんな薄い空気では空戦ができるとは思えない。飛んでいるのがやっとではないだろうか。
P38 それに戦闘機なのに航続距離が3,000キロというから驚く。我々がブリテン島の西側のペイズリーの海岸を離陸してイギリス海峡付近まで来ると、そのあたりにある空軍基地から離陸して同行する。我々が欧州大陸上空を飛んでいる8時間は飛べないので、4時間おきに交代する。イギリス上空を飛ぶときは護衛なしだが、国内では襲われる心配はなさそうだ。もっとも高度1万を時速500キロで飛ぶ飛行機を攻撃できるとは思えない。
それにそもそも我々の仕事が敵戦闘機の察知だから、周囲300キロくらいを飛んでいる飛行機はすべて把握している。離陸して高度1万まで登ってくるには20分くらいかかるから、逃げるには十分時間がある。

と考えているともう欧州大陸上空だ。警告音がするので表示板を見ると、100キロほど離れたところで離陸した小型機がある。3機だ。急速に上昇している。ひょっとしてこれがドイツ軍が急遽開発した高高度戦闘機という奴かな?
無線で護衛戦闘機に伝える。あっ、もちろん俺も英語は話せるが、そんなに流暢ではないし臨機応変な話はできない。言葉でなく敵戦闘機発見、敵位置を装置に入力すると向こうの飛行機の表示板にそれが図と文字であらわされるのだ。
護衛戦闘機から「了解」という返答があり、左右後方から左右前方に出てきた。とはいえ会敵するにはまだ20分くらいかかるだろう。

こちらはただ飛んでいるだけではない。連続して地上の写真撮影とそれを電送している。ロンドンの扶桑国大使館にある無線室で受信してプリントしたものを英国に渡している。直接電気信号を英国の司令部で受信した方が早いが、そこまでこちらの装置のことを教えるつもりはないらしい。

ベルギーは小さい国だ。大西洋岸からドイツ国境まで250キロもない。もう国の半分を横断した。先ほど離陸したドイツ軍の戦闘機らしきものは今高度8000くらいまで上がってきた。左右を飛んでいたP-38は翼を振ると速度を上げて離れていく。敵の前方上空から一撃離脱の攻撃をするのだろう。ということはそれで仕留められなければもう二度と会敵できず、我々とも再集合せずに奴らは帰投するわけか。我々を護衛することよりも、単に敵戦闘機を攻撃すれば良いと考えているようだ。まあ、こちらは守ってもらうつもりもない。せいぜい頑張ってくれ。

数分後、数キロ先で上昇と降下で編隊同士がすれ違うのが見えた。下から上がってきた1機がバラバラになり、それ以外はすれ違った。思った通りP-38はそのまま降下してやがて見えなくなった。彼らが戻ってくるにしても、ここまで上昇する頃には我々は欧州上空にはいないよ。
上昇してきた2機のうち1機は故障かそれとも先ほどの撃ち合いでどこかやられたのか、上昇から降下に移りそのまま降りていった。残る1機は右数キロのところを後方につこうと旋回中だ。

更に数分後、後方5キロあたりを小型機が追いかけてくる。こちらが時速500キロで飛んでいるのだが、かなり速いスピードで距離を縮めている。へたをすると時速600以上でているだろうか。射程内に入るのは4分少々か、
本日の偵察はルクセンブルクとドイツの国境まで行って戻る計画だったが、面倒になる前にベルギーとルクセンブルクの国境で折り返すことにする。右に曲がりフランスの方に南下する。

この新型機の尾部銃座に人はいない。すべて前方の操縦席で操作する。副操縦士に後方の戦闘機の攻撃を命じた。 尾部銃座 彼は尾部銃座の安全装置をはずした。あとは後方の飛行機に狙いを付ける。といっても照準を合わせるわけではなく、画面に出ている光点を攻撃目標と指定するだけだ。ロックオンというやつだ。
あとは人間が照準を合わせる代わりに、自動的にレーダーと連動して電気回路がサーボモーターを動かし尾部銃座の機関銃の照準がその光点を追いかける。もちろん見越し角も距離による弾道の沈下の補正も含めてだ。そして設定した距離になったとき自動的に射撃を開始する。
細かいことは設定次第だが、通常は500mの距離で最初の射撃を50発(連装で毎分600発だから2.5秒)行い、コンマ5秒後に光点が正常に飛行している場合再度射撃をする。
普通の戦闘機は距離300くらいで射撃するから、相手がこちらの射撃距離である500mから向こうの射撃距離である300mに詰めるまで、こちらは3回射撃できる勘定になる(注3)こちらの射程が長いのは銃身が長く初速が早いからだ。そして戦闘機のような激しい運動によるgもかからず、また機関銃の旋回も激しくないから初速も発射速度もあげられるのだ。
1回目の斉射で敵戦闘機は片方の翼の先端が飛び散り、バランスを崩して墜ちていった。
とりあえず初日はこれで終わりだ。護衛戦闘機に帰還する旨通知をする。護衛戦闘機から了解した旨とそのまま基地に戻る旨の返信がきた。


1930年11月2日 8:00(グリニッジ標準時)

ベルギー全土を制圧したドイツ軍のフランス侵攻が始まった。
扶桑国の偵察機は毎日24時間フランスからドイツ上空を巡回し、写真撮影や敵情を観察している。
当たるはずがない以前に届くはずがないと諦めたのか高射砲を撃ってくることはないが、毎度、高高度戦闘機を飛ばしてくる。もっともこれも嫌がらせ程度しか効果がなく、P-38よりも高高度性能が劣ることを知ったためか護衛のP-38が向かっていくと逃げていく。
メッサーシュミットBf109を軽くするとか酸素ボンベを付けた程度ではなく、エンジンも過給機も新規開発しないと満足なものができないのだろう(注4)
いくら上空から偵察し、戦闘機や爆撃機を誘導しても何年もかけて軍備増強してきたドイツに、平和に浮かれて軍縮に励んでいたフランスもイギリスも軍備が揃っておらず、英仏連合軍はイギリス海峡沿いの地域に追われていく。
この世界でもダンケルクの奇跡(注5)が起きるのか、それとも奇跡は起きず降伏するのか、あるいは奇跡に頼らず反撃するのか?


うそ800 本日の嘘つき
だいぶ前、あと5回で終わると言いながら、あれからもう8回も書いてます。しかもこの分ではあと5回は続くでしょう。アキレスと亀みたいなものでしょうか。
嘘つきは泥棒の始まりといいますから注意せねば……

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注1
イギリスの場合、爵位は当主だけのものである。しかし通常当主の相続人が当主の爵位より一つ下の爵位を名乗ることが許される。それを従属爵位という。当主が○○公爵ならその嫡子(普通は長男)は○○侯爵を、当主が伯爵なら子爵を名乗る。ただ従属爵位を名乗ってもなんの特権もなく、儀礼上とか名誉の意味しかない。

注2
注3
第二次大戦の頃、飛行機対飛行機の戦いで、どのくらいの距離で射撃するかというのはいろいろあるけど、基準というのは見かけない。この場合射程距離といっても、弾の届く距離ではなく機体あるいはエンジンを損傷させるエネルギーが残っている距離だから、対人の有効射程よりはるかに短い。
ゼロ戦は左右の機関銃の交差する距離は操縦士の好みによって調整したそうだが、概ね150から200mくらいだったそうだ。
「メッサーシュミットの星」では数十メートルの距離で射撃をしたとある。とはいえ目視だから当てにはならない。
参考
・「あゝ青春零戦隊」小高登貫、光人社、1985
・「蒼空の河」穴吹 智、光人社、1985
・「メッサーシュミットの星」トレバー・J.コンステーブル、日本リーダーズダイジェスト社、1973
知恵袋

注4
メッサーシュミットBf109も初期は680馬力だったが、その後1100馬力、1700馬力、1970馬力、最終型は2000馬力を超えた。
ただそういった能力向上だけでは、P51など新設計の飛行機には互角には戦えなかった。

注5
ダンケルクの奇跡とは、
1940年5月10日にベネルクス三国に侵攻しそれらを落とし、そこを経由してフランスに攻め入ったドイツ軍に追われて、イギリス軍とフランス軍はイギリス海峡の沿岸地域に追い詰められた。
逃げ場を失った英仏軍は、港町ダンケルクからイギリスに撤退する。あらゆる船を使い武器弾薬を捨てて兵員だけをイギリス本土に輸送した。5月24日〜6月4日にかけて行われたこの撤退戦は3万人の捕虜をだし武器弾薬を喪失したが、36万人の兵士が無事撤退でき、ダンケルクの奇跡と呼ばれた。その後フランスは6月21日に降伏し22日に講和を締結する。
イタリアのムッソリーニは漁夫の利を得ようと6月10日に宣戦布告した。我々はムッソリーニを見習わねばならない。皮肉とか嫌味ではなく心底そう思う。


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