環境問題の嘘 令和版

21.05.06

私は本を読むと、目から鱗が落ちたとかひらめいたとか、まったく同感だ、納得できないこれは反論しなければと考えるし、実際にアクションにつなげたことも多い。

しかし私にしては珍しいことだが、この本を読んで感動も反感も何も沸かなかった。この本は悪く言えば毒にも薬にもならぬというのだろうか、読んでも力がみなぎるわけでもなく、怒りが湧くわけでもない。ああそうですかで終わりだ。ウイスキーではなく炭酸飲料のようだ。


書名著者出版社ISBN初版価格
間違いだらけのエコ生活池田清彦MdN新書97842952003522020.10.11891円

この本は「環境問題の嘘」と題しているが、数字とか具体的調査結果をもとにして環境問題とされているものを嘘だと論じているのではない。
人間とはこうあるべきとか、社会はこうあるべきと考えている著者が、それに反することや意外なことを、そうじゃないだろうと評論した感じである。
感覚的な話が多く数字や出典の提示がない、また聞きのような話ばかり。
哲学的で格調高いとも言えるが、リサイクルなら武田邦彦、温暖化なら丸山茂徳などのように、その分野の研究者が自分の研究をもとにした発言ではない。その主張は感覚的、感情的というニュアンスである。

「地球は本当に温暖化しているのか(p.65)」とあっても、人に聞いたとか信じられないでおしまいだ。
考え中
気温の推移や太陽黒点の変化や台風の強さや数についても、気象庁のウェブサイトを見た程度。
CO2温暖化説がインチキだといっても、根拠がその程度なのだ。
いってみれば、縁側でお茶をすすりながら年寄りが、そんなもんじゃねえ〜と愚痴をこぼしている感じだ。

おっしゃることは分かるけど、その程度のことならわざわざ本を読むまでもない。私の場合は図書館から借りたから本代はかかってないけど、図書館への行き帰りの電車賃も時間も投資しているのだ。そして200ページの新書だといえど、ネットやデータブックで裏を取りながら読むと3時間はかかる。投資対効果を考えると……考えるまでもなく大赤字である。

だから著者 池田清彦の主張に反論するにも評論するにも、具体的な議論ではなく、理念とか方向性とか漠然とした話になり、白黒つかない。相手があいまいなら、討論はできない。まさに曖昧を敵にしては……である。

おっと、著者が老人であるというわけではない。著者は1947年生まれ、武田邦彦が1943生まれ、丸山茂徳が1949年生まれ、みな同年配である。じゃ池田氏の違いはなにかとなるが、自分の研究していることについてではないからではないかと思う。
自分が研究している事実と異なる主張や報告に対して証拠を示して反論するのと、自分が見聞したことを述べることの違いのようだ。

それとこの本を読んでいて、調子が狂うというか稚拙と感じることがある。それは同じことを、ひとつの書籍の別の個所でダブって書いていることだ。いやしくも研究者ならもっとしっかりと構造、章立てをしろと思う。
ちなみに引用文献のページはない。一般人相手ならいらないのだろうか?


では読んで気になったことを述べる。

■環境問題とは何か(p.3、p.40)
著者は「人間の活動によって引き起こされた不都合のこと」と定義している。
一般的に言われる環境問題よりはるかに範囲が広い。環境省のウェブサイトに記載されている環境問題は、気候変動、オゾン層破壊、酸性雨、廃棄物問題、公害、外来種などである。普通はそういったものを思い浮かべるのではないか。

COVID19 ところが著者はコロナを例にあげ野生動物からの病気感染とか交通事故も環境問題だという。そして更に人間が対策できるものは環境問題であり、対策できないものは自然災害であるという。この辺の考え方は一般的とは思えない。

自動車の排ガスが環境問題であることに異論はないだろう。大気汚染防止法やアメリカのマスキー法が環境法令であることが間違いないのだから。
だが、交通事故が環境問題となるとどうだろう?

軽自動車
💥 プリウス
電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもみんな私が悪いのよ、
交通事故も失恋も強盗も北朝鮮ミサイルもみんな環境問題なの

注:私はISO14001の審査は数多く受けたし陪席もした。審査員にもいろいろいて、道路交通法も環境法令に入るという人もいた。しかし彼らが想定していたのは交通事故によって、燃料が漏れたり運搬中の危険物や廃棄物が散乱することであった。その発想もどうかと思うが、交通事故そのものを環境問題と認識していた審査員には会ったことがない。

著者は「地球温暖化は人為的CO2排出によるから人間の活動を変えることによって対応できるから環境問題であり、氷河期は自然活動で人間の活動では対応できないから自然災害である(p.5)」とする。
地球温暖化が人為的CO2排出によるものでないなら、対策しなくて良いのか?
人為的か否かに関わりなく、好ましくない状況になる恐れがあり対策できるなら、人類の安全と生存のために対策しなければならないだろう。台風や地震は自然現象であるから対策不要というなら、考えがおかしいことは間違いない。


■環境問題は人口問題(p.20)
著者は環境問題とは資源やエネルギーの取り合いだ。人間の人口が少さいとき、人間が使用するリソースが全体に占める割合は小さかったが、今は極めて大きくなりその分他の生物が割を食っていることが問題だ。だから人口を減らさなければならないと語る。
この論理は納得する。しかしそれはあまりにも大局的な視点であり、眼前の個々の環境問題の対策には適用できないのではないか?
人口問題は極めて大きくそして重大喫緊の課題であることは認める。しかしそれは別のテーブルで議論すべきだろう。目の前のさまざまな環境問題の対策は専門的で具体的なこと論じなければ改善は進まない。


■沈黙の春(p.23)
「レイチェル・カーソンは「沈黙の春」でDDTなどの蓄積が環境悪化を招くことを告発した」
カーソンは学問的なことを研究してないし告発したわけでもない。「沈黙の春」は論文じゃなくてエッセイだ。書いた時点で科学的根拠があったわけではない。
環境問題を論じるなら、「沈黙の春」でなく論文やデータを基にするべきではないのか。


環境問題は流行である(p.26)
今まで様々な環境問題の流行があったとして、フロンによるオゾン層破壊、環境ホルモン、ダイオキシン、地球温暖化をあげている。そして過去の流行がそうであったように、20年したらCO2も実はたいした問題じゃないとなっているのではないかと書く。
過去の問題の多くがマスコミなどによる作られた流行だったことには全く同意だ。中性洗剤問題、ダイオキシンも環境ホルモンもファッションというよりファッド(短期間もてはやされる)だったようだ。
20年後に地球温暖化も流行が過ぎていることを期待したい。


■グレタ・トゥーンベリ(p.45)
ぐれたお嬢さん 「人を動かすにはシンボルが必要で、グレタは人を熱狂させることはできた。しかし科学的な究明とその対策は人々の熱狂とは無関係だ」
それにも納得できる。もっともぐれたお嬢さんは一部の人に熱狂を与えたが、他の人には嫌悪をもたらしたようだ。差し引きプラスになったのかどうか?


■SDGs批判(p.49)
SDGs 「持続可能な開発目標」とは自己矛盾ではないかと語る。経済を回すには発展が必要であり、そのためには開発つまり自然破壊(破壊といって悪ければ改変)を止めるわけにはいかない。そして既に人口、資源消費メドウズの限界に達している。今まで以上の発展は持続不可能だ。結局、根本は人口問題であり人口減少推進が必要だと語る。
言いたいことは分かるし同意する。しかしそのためにどうするのか、施策もスケジュールもなく語るのは、年寄りの繰り言に過ぎないと思う。


地球温暖化説はお金儲けである(p.78)
言っていることは分かるし同意する。しかしこれについても具体的な証拠の記載はない。

例(p.81)
マスコミは事あるごとに温暖化のせいで「ツバルが沈む」「シロクマが絶滅する」「夏には北極海の氷が全部溶ける」と言った話を垂れ流しているので、善良な人々は「可哀そうに」あるいは大変だ、これから地球はどうなるのだろうと思い込んでしまう(後略)

私もこの文章に同意するが、しかしだよ池田さん、マスコミは事あるごとに言った証拠はあるのかい? どの期間に何度放送したのか、新聞がいつからいつまでに何回記事にしたのか、それによって洗脳された善人(アホ)はいかほどいたのか?
そういう根拠をしっかりしていないと、説得力もないし反論されたとき腰砕けになってしまう。
マイケル・マンがホッケースティックグラフで裁判を起こしたが負けちゃった(p.82)、と書いているが、本を書くなら証拠と根拠を確実にしていないとトラブルが起きたら負けますよ。


自然エネルギーは高くつく(p.101
風力発電 太陽光パネルの寿命、廃棄物処理の問題、風力発電の騒音問題、自然エネルギー全般に言えるの自然破壊など、企業で環境に携わっていれば常識というか当たり前のことです。でも書籍に書くなら根拠とかデータを示すべきでしょう。


■AIの発達と労働の変化(p.153)
書かれていることの多くが、既に実用化されていて今更という感じがする。
この本は20世紀でなく2020年10月発行ですよね?


江戸は当時世界最大の人口を擁するリサイクル都市だった(p.107)
出たな妖怪って感じだ。
昨今、江戸と江戸時代を環境にやさしいとほめる人が多い。本当にそうだったのか?
江戸時代の人々は、リサイクルをしよう、環境にやさしくあろうと考えていたのか?
「間違いだらけのエコ生活」や「環境都市の真実:江戸の空になぜ鶴は飛んでいたのか」などに書いてあるが、江戸時代の暮らしは当時入手できる資源とエネルギーで最善を求めた結果でしかない。決して人々がリサイクルしようとか物を大事にしようとしたわけではない。
もし今のように物がいくらでも手に入るなら、リサイクルなど止めてしまうだろう。私は自信を持って言える。だって江戸時代の人の子孫が今の日本人なのだから。
私が中学のとき、技術家庭では男の子もボタン付けやかぎ裂きを繕うのを習った。だが1970年代以降ボタンが取れたりかぎ裂きした服は躊躇なく捨てるようになった。最近は共生地もボタンもついてない洋服も多い。
まさか池田さん、私と同年代でそんな変化を忘れてしまったのでは困りますよ。もしかするとボケの始まりかもしれません。

それから人糞の利用を薦めていますが、それは寄生虫の問題がありいけません。「上手に堆肥化させれば(中略)病虫卵は死んでしまう(p.199)」とおっしゃいますが、それって現実的に可能ですか? 江戸時代の寄生虫陽性率はわかりませんが、明治時代も大正時代も、いや昭和になってからも、さまざまな資料では8割を超えています。
昭和24年生まれの私だって小学校時代は、年に2度検便検査を受けてました。毎回2割くらいの子供から虫の卵が見つかりました。もちろん私も何度もあります。池田さんは寄生虫の検査を受けたことがないのでしょうか?

「ダメ、絶対、覚せい剤」はもちろんですが

ストップ
「ダメ、絶対、人糞利用」
もお忘れなく
ストップ



うそ800 本日の読後感

この本は以前読んだ「環境原論」と同一路線にある。個々の問題について数字とか出典を示すことなく、大局観とか方向性を語る形式だ。研究者が枯れると、いや老成するとたどり着くところはみな同じか?
だが「環境原論」は大局観しか述べてないが、それは著者の研究からにじみ出たものであり見聞ではない。だから読者は引き込まれる。
丸山茂徳は研究そのものを知ってほしいと書いている感じがする。武田邦彦は更に洒脱が行き過ぎて生臭坊主のようだ。いや我々俗世間に合わせているのだろう。
それと比べるとこの本は新奇な情報もなければ、環境に関する思いもないように感じる。




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