学ぶ・教える10・テキストその2

21.09.09

なにものでも学ぼうとするには、それを教えてくれる人(師匠、コーチ、トレーナー、チューター)がいることが望ましい。
水泳を習いたいとき、お金があるならインストラクターを依頼すればよい。その人に、あなたの希望を言えば、きっと……いやたぶん期待に応えてくれるだろう。
泳法…………クロールとかバタフライとか
到達レベル…オリンピック、市民大会、ホテルのプールで遊ぶくらい
期限…………ひと月後、1年後、次のオリンピックまで

英語を習うにしても、ビジネス・海外旅行・海外出張などの目的、英語一般・英会話・翻訳など習ぶ内容、TOEIC/英検合格・日常会話などのレベルに合わせていろいろな先生がいる。
水泳や英語のように一般的なことでなく、御社で新規導入した機械設備の操作を習得するなら、メーカーの人とか会社の生産技術の人が先生といえる。


じゃあ、先生がいなければ学ぶことができないかといえば、そんなことはない。世の中には水泳の本もあるし、英語の本もある。 本 自分が理解できるレベルのものから段階を追って本を読めば必要とする情報を得ることができる。
新規導入した機械設備の教科書を書店では売っていないだろうけど、メーカーが提供する機械の仕様書、取扱説明書、保守点検要領などがあるだろう。そういったものを一通り読めば、知識としては十分得ることができるだろう。

もちろん先生について習っていても、習ったことの理解を深めるためにそういった本があったほうがいい。


ここでそういった本を教科書と呼ぶことにする。教科書とは「方法を示す書き物」ということにする。教科書といっても書籍という形態になっている必要はないが、文字で書かれた教科書、取扱説明書、保守説明書、手順書ということもあるだろうし、紙に書かれたものばかりでなく、電子政府で見る法律とかネットにたくさんある契約書のサンプルなども業務遂行の教科書として使える。
なぜ書き物かといえば、形がなくて消えてしまう言葉だけで情報を伝えようとすると、聞いたときは情報伝達されるものの、時がたつと忘れたり、再度聞きたいときに師匠または先輩がいなければ情報が得られない。それでは困る。

文字だけでなく、ビデオとか音声によるチュートリアルも教科書と呼んでよい。また製造するそのものの見本とか写真も教科書といえる。
では教科書とは「他者を必要とせずに、あるものごとについての情報を示すもの」と定義しよう。

もしそういったものがなく、師匠もいないときはどうしたらいいのか?
途方に暮れることはない。自分で教科書を作るという道がある。自分が分からないから学ぶのに、その教科書を書けるわけがない、それは理屈に合わないとおっしゃるか?
世の中には学問ばかりでなく、例えば趣味の世界では、ゲーム、囲碁・将棋、プラモの作り方、ドローン操縦法、パソコンソフトの使い方などの教科書(ハウツウ本、マニュアル類)があふれているが、そういった教科書を書いた人たちは師匠に習ったことを書いたのか? そうではなく自らが考えた方法やアイデアを書いているのではないか?

わしは宮本武蔵なり ちょっと違うが、宮本武蔵は師に学んだのではなく、己の戦いから学んだのではなかろうか?
もっともその方法では道半ばで斃れた兵どもが多かっただろう。剣の道なら負ければ死んでしまうが、技術とか商売の修行なら死なないだろう。だがその方法は人材育成という観点からは非常に効率が悪いことは間違いない。剣の道に限らず、もっと効率よく、そしてその道を目指すものをより多く達人にする方法はあるはずだ。
先人に頼らず、先人を尊ぶ、最大効率があるのではなかろうか?


先人がない分野で教科書を作った人たちは道のないところに道を作った開拓者だ。
だが我々はそんな険しい道を歩んでいるわけでもない。せめて自分が使う教科書を自分が作るくらいはできるだろう。あなたが自分自身のために作る教科書は、オーダーメイドで使いやすく効果が高いはずだ。

教科書といっても立派な製本されたものをイメージすることはない。
あなたが学校でノートをとるのは自分のためだ。あなたのノートが印刷された教科書と同じとか、先生が板書したのを書き写しただけでは意味がない。あなたのノートはあなたに合わせた、あなた一人のための教科書でなければならない。

言い換えると万人に向いた教科書はないといえる。すべての教科書は書いた人にとって最高の教科書であり、それに向かない人も必ずいる。
だから成績の良い人のノートを写せば成績があがるなんて妄想だ。同様に仕事でも趣味でもいろいろな人の話すのを聞いたり、自分がしてみて失敗したり成功したりしたことの覚書が最高のノートだろう。

もちろん自分のための教科書なのだから、自分が知っていること、理解したことは書く必要がない。間違えたことや、自分が思いついたアイデアを書かなければならない。

私は水泳をしていて、手足の動かし方とかタイミングのまずかったこと・うまくいったことなど気づいたことを、携帯している手帳に書きとめる。それを電車の中などで見てどうしたらいいか考える。そして次回泳ぐときに、考えたことをやってみる。
実を言って大層なことではない。平泳ぎで足が水面から出てしまうなら、次のときは腹筋に力を入れてみようとか、抵抗が大きく感じたら頭をもう少し下げてみようかという程度のことだ。
そしてやってみて良かったとか身に付いたと思ったことは消してしまう。

水泳は暇つぶしなり 私の上達の過程での注意事項、努力事項を記録しておけば、私より遅く水泳を習う人に役に立つはず……そんなことは絶対にない。
だって私以外の人は手足の可動範囲も違うだろうし、筋肉も違うし、運動神経も違う。もし私が動かせないところまで手足が動くならもっと大きな泳ぎができるだろうし、体力があれば意識して力を抜いている私よりもっと力強く泳げるだろう。
パラリンピックで体が不自由の人たちが、それぞれ努力してそれぞれの方法で記録に挑むのを見て、私はそう考えた。人はみな我流でよいのだ。自分に合った方法が最善なのだ。


自分中心に考える私なら自分の考えに近いものしか読まないとか、異なる考えの本を読まないのだろうと思われただろうか?
実はその反対である。
例えばISO関係であれば、私の考えと異なる考えの人の著作はほとんど読んでいる。だって異論を唱える人の考えを知らなければ、論戦を挑まれとき対処に困る。いや初見殺しという羽目になる。

注:「初見殺し」という言い方が昔からあったのかどうか知らない。私が知ったのは21世紀になってからだ。ゲームなどで初めて相まみえる敵の攻撃に対応できないことをいうらしい。
昔、学校で習わなかったところが試験に出て、文句を言った生徒がいた。私はそれは甘いと思った。社会では習わない問題しか出ない。いや習ったことは問題とは言わない。

欧州でキリスト教の新旧の争いがあった16世紀、それぞれの宗派を信じる王や騎士たちは武力で戦ったが、聖職者は相手の宗派を徹底的に調べ、その瑕疵を探し論破する方法を検討した。その結果ある宗派を最もよく理解しているのは、反対派の聖職者ということになる。
日本でも一休さんでは毎回「そもさん、せっぱさあどうだ、答えろ」なんてやっている。
孫子のいう「敵を知り、己を知れば、百戦してあやうからず」というのは、戦だけでなく知的論争でも真理だ。

私の場合、有益な環境側面、点数による環境側面の決定、3年目標、通勤の側面などなどおかしな主張をする審査員や認証機関は、まさにゴブリンとかゴキブリのごとく湧き出てきた。
彼らと論争になったとき、考えればあなたのお考えが間違っているとわかるでしょうといっても、考えない人を説得できない。ならば手っ取り早く相手の瑕疵を叩けるように備えておかねばならない。
まあ、そのおかげでISOだけでなく相手の瑕疵を見つけるのが早くなったし、ウナギのように論点をどんどん変える論者も逃がさないようになった。
彼らの考えの欠陥や、その対応策を書き始めたのがこの「うそ800」の起こりである。だから「うそ800」はISO認証制度の解説ではなく、オピニオンサイトなのだ。


おっと、話を戻す。
水泳でこうすれば良いと知ることは大事だが、そうしないとダメなことを知ることも大事だ。
ダメ 2015年版の「7.3 認識」では「パフォーマンスの向上によって得られる便益を含む、品質マネジメントシステムの有効性に対する自らの貢献」について認識を持たせろとある。
旧版ISO14001:2004の4.4.2では「標準を守ることの重要性、外れたときどんな問題が起きるか、自分にどんな責任がありいかに貢献しているかを自覚させよ」とあったのだ。規格文言が劣化してきているのが残念だ。

ともかく自分好みとか自分に都合の良いことだけを読み、いい気分になっていてはいけない。自分に都合の悪い意見、研究を調べ対応を考えておかなければならない。
もちろんその結果、相手が正しいなら己の主張を変えることは恥ではない。逃げる恥だが、変わることは恥ではない。

宮本武蔵は「我以外皆師」と語った。誰の教えにも学ぶことはあり、同意できないなら反面教師となる。いずれにしても他人の考えを知ることは重要だ。

注:「我以外皆師」とは宮本武蔵の言葉ではない。吉川英治が大好きだった言葉らしく、小説の中で武蔵に語らせた。

教えることが学ぶことであるように、テキストを作るのが最善の学び方である。
同時に教えるとは口頭での教え、テキストは文書による教えだ。


うそ800 本日の言い訳

テキストその1」とでは内容も要旨も全然違うじゃねえか!
そうおっしゃらずに、もし「その3」があればまた違った切り口で……



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