学ぶ・教える13・分割

21.10.04

毎回書くことが体系的でないだけでなく計画的でもなく、行き当たりばったりというか、書いていて思い浮かんだことをただただ書いている。どうせたいしたことは書いてない。
前回楽しく学ぶためには、学ぶことや仕事を大きなカタマリでなく小分けすることが良いと書いた。

大きな仕事を小分けするといっても、単に小さく分けるだけでは芸がない。そもそも小分けすることが目的ではない。小分けするメリットがなければならない。
メリットというのは類似の仕事、例えば場所的・種類的・あるいは同じ設備やテクニックを使う作業をまとめることにより、効率が上がるとか理解が進むように、そして仕事に取り掛かりやすく終わりやすくすることだ。
下手に小分けして関連する仕事を分けてしまえば、管理が面倒になるし有機的なコントロールができない。

それは一人の人が勉強とか技能習得するときも同じだ。学ぶ対象によって、例えば数学のように初歩から高度なものになっていくものもあるし、
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人
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「わっ、わかんねえよ!」
歴史のように難易度が高くなるのでなく、学ぶ領域が広がっていくようなものもある。
数学タイプは一定条件下で必要なデータが与えられ、その結果がどうなるかを計算または論理的に考えるこで答が得られる。歴史タイプは記憶が勝負で知らなければお手上げである。もちろん数学とか歴史とは例えである。
ともかく地理は数学と違い、学ぶ順序を変えても支障はない。
学ぶ順序が違っても支障がないとか切り分けるサイズに自由があれば、履修時間に合わて細切れにするなどサイズはある程度自由に決められる。
通勤時に資格の勉強をしているなら、通勤時間に合わせて、学ぶ順を変えても、一度に学ぶ量を変えても良い。


昔のこと、同僚がエネルギー管理士の受験勉強をしていた。彼は通勤電車の中でA4サイズで厚さ数センチの本を両手で持って勉強していた。それって重くて重労働だしA4サイズでは混雑の車内では大変だ。ひょっとしてあれは痴漢冤罪予防だったのかもしれない。
彼の熱心さに感化され、私も通勤列車の中で公害防止管理者の試験勉強をした。公害防止管理者には種類が多々あり、当時持っていないものもあったのだ。但し私は力仕事が嫌いだから、参考書をばらして数ページ単位にホチキスで綴じて、通勤の際はそのひと束をポケットから取り出して読んだ。軽くて良い。
もちろんばらした本はダメになってしまうが、受験の参考書など後生大事に後々までとっておくものではない。試験に合格したらポイだ。
おっと、公害防止管理者試験の科目はいろいろだが、それには数学タイプも歴史タイプもある。

では、数学タイプの場合はどのように小分けするのか?
例えば計算問題なら、初めに計算した指標がどんな意味があるのかを学び、計算問題はやさしい基本から始まり、テクニックを使う、条件を関係するものから計算で求めるとか段階を追っていく。
では段階とはそういうステップで分けるのか?


有名な予備校の先生に細野真宏という人がいる。10年以上前から予備校の先生だけでなく、国のいろいろな会議や委員会のメンバーとしても活躍している。
彼が世に現れたとき、私は既に50代、私の子供たちも大学受験を過ぎていて彼の書いた参考書を利用したわけではない。私は彼の書いた社会制度(経済・銀行・年金など)の解説書を何冊か読んだ。そして彼の説明方法がすごいと感動した。

受験に限らず、学ぶ必要があるとき、いや我々はみな仕事や暮らしや趣味において日々常に学んでいるわけだ。その学ぶとき、どういうスタンスであるべきか、方法/手段の良否をどう考えるかなどなどについて、大いに学ぶことがあったのだ。

小分けするには章単位とか週に勉強する分量と前述したが、果たしてそれでよいのか? 何事かを学ぶとき段々と難しくなる様子を、階段を上っていく姿に表される。
細野氏は人によって理解の早い人もいるし遅い人もいる。だから階段の段差を、その人に合わせなければならないという。彼はそれを「思考の歩幅」と呼んでいる。

階段

注1:真ん中の図は標準のつもり。階段の段差は中間である。
左は標準より段差を低くした分だけ段数が増え、右側は標準より段差を大きくした分段数が減る。

注2:余計なことだが結構大事なこと。木造2階建なら階段の段数は普通13段か14段だ。
足跡 階段にはコーナーがつきものだが、90度回るところが3段のものと4段のものがある。安全上は踏み面が広い3段が好ましいが、3段にしても4段にしてもコーナーの面積は同じだ。もし3段にすると階段部の段数が一つ減り平行部分の段数が増えることになり、平行部分は階段の段数に応じで面積が増える。建売住宅では階段一つの面積でももったいない。そんなわけで建売はコーナー4段回りが多い。
家庭での階段の事故なんて気にもしないでしょうけど、年間数百人が亡くなっているそうです。当然踏み面が小さい4段回りの方が踏み外す事故は多いそうです。
上図を描くとき、参考になる絵を探していて、そんな記事を見つけました。人生最大の買い物ですから安全なものにしたいですね。

一を聞いて十を知る人は、基礎、例題、練習問題、応用問題と段階を踏むのではなく基礎を理解すれば応用問題に進むことができるかもしれない。ならば何段も飛ばすこともある。

私のようになかなか理解できなければ、一段の高さを低くして段数を多くしなければならない。
その結果、進みが遅いのを悲しむ必要はない。日々大きく進もうとすれば理解が不完全になり少しずつ進むより成果がない。凡才は秀才に追いつくためには労を厭ってはならないのだ。

小分けするというと、小分けするにも構造化とか体系化と論理的というか学問的な観点になってしまう。だがこのとき小分けする単位は、参考書の章や項と無関係であるのは当然だ。
我々は学問を極めようとしているわけではない。あることがらを覚える、習熟する、試験合格したい、教え子に覚えてほしい、そんな目的なわけだ。ならば区切りが内容の区分に合わせることはない。
あるところは細かく分けるとか、ある項目は受講者がみな習得していることが確実ならまるごと省いてもおかしくない。

知らないことのみを学べばよいのだから、章立てとか分類に拘らず、学ぶ必要のあるものだけ学べばよい。
例えば公害防止管理者では、受験する資格によって試験科目も内容も異なる。しかし法規制の多くは共通だ。だから法規制は他の公害防止管理者と違うところだけ履修すれば済む。
ともかく目的が目的なのだから、生物の分類のように界門綱目科属種なんて体系に拘ることはない。自分はここが弱い、ここが分からないとはっきりしているなら、それが種レベルのことであっても他の科レベルと同じく扱えばよい。ここはもう十分だというならボリュームが大きくても重要度を落とすことだ。
要するに分割する方法も大きさも自分に合わせることだ。


ところで
勉強は段階を経て行うべき、とか小分けにするべきという説は多々ある。面白いことに言っていることはいろいろである。

マズローのピラミッド

自己実現欲求
尊敬承認欲求
★★愛情所属欲求★★
★★★安全安定欲求★★★
★★★★生 理 欲 求★★★★

まず「勉強の五段階説」というのがある。
おっと、マズローの欲求五段階説とは関係ない。そして「勉強の五段階説」と同名でも唱える人によって中身が異なる。


私がここで語った分割はちょっとそれらとは違い、自分が分からないことがあれば、なにが分からないのか究明し、問題個所を明確にして、それに重点的に取り組めということだ。
問題が分かればその時点で解決じゃないかといわれるかもしれない。そうでもない。

平泳ぎ 平泳ぎを習うとき、「水をかいた手をまっすぐ前に伸ばしてから足を引いてキックするのです」と言われても、なかなか思うようにできない。
もちろん選手ともなればその動作が一連となっていて、手を伸ばすと足を引くのが連続しているけど、同時にしているわけではない。プールで見ていると初心者の多くは手を伸ばすのと足を引くのが同時だ。それでは水の抵抗が大きくて進まない。手足を同時でなく交互に動かすなんて、口で言えば簡単だが体が覚えるのはなかなか難しい。

筆記試験でもいつも同じポカをしてしまう人もいるだろう。楽器の演奏でも同じところで間違える人もいる。分かっていても手が思うようには動かない。
それはスポーツや試験勉強だけでなく仕事の進め方も同じだ。そんなことを書いたウェブサイトがある。

頭でわかっていても体がいうことを聞かないというのはままある。それをできるようにするのが勉強であり訓練だ。


うそ800 本日のまとめ

試験勉強でも技能習得でも、スイスイ進むところもあり、途方に暮れるところもある。
だがそういうことがあっても、多くの人は全体を平均にやろうとする。
そうじゃなくて、できないところを重点的にする、そのためにはできるところ・できないところをはっきり認識することが必要だ。それを把握したら、全体を平板にするのでなく、結果として全体が一定レベルになるように策を練ること。

私は難易度は低いものばかりだが、いろいろな国家試験を受けてきた。試験は合格することが目的だ。よい点数を取ることではない。
公害防止管理者試験の合格基準もいろいろ変わったが、今現在は各科目60%以上で合格だったと思う。一科目が55点で他がすべて満点でも駄目だ。各科目で最低点を確保すればよいなら、それを満たすようにすることだ。


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