*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
磯原はここ2・3日、過去のISO審査の資料を引っ張り出してひたすら読んでいる。数日前の山内参与との話し合いで、明日の朝一からアメリアの研修計画とISO維持審査対応の計画の打ち合わせをする。そのための試案を作らねばならない。
アメリアの研修計画は割と簡単だった。まずはアメリアの希望を出してもらった後に、アメリアと話し合い決めた。それからそれに対応して何をどうするか、山下と奥井と話し合った。
実を言って本社の環境部門の仕事は、特に技術的に高度というか難しいことはしていない。例えば工場や関連会社で環境担当となった新人教育をしてほしいという要望があれば、実施時期や内容についての希望を取りまとめ、会場や講師を確保して実施するというコーディネーターに過ぎない。
それから法改正、業界の動き、外国の環境関連の動向などの情報を定期的にとりまとめ提供すること。工場や関連会社から投資や法規制についての相談事に対応すること。事故などの処置の応援などである。
そういったことについて、項目と主要なことについての手順などを説明すればよいだろう。なにせアメリアの研修は、環境部門のあるべき姿ではなく、今していることの説明なのだから。
とまあそんなことを決めて、それぞれの項目について社内の担当者を見繕って座学と実地見学の予定を立てた。もちろん公害・廃棄物・省エネは課内のメンバーで間に合う。
また環境設計とか環境性能の指標などについては、主要な製品の事業部を訪問して教育を依頼した。工場近辺に宿泊するまでもなく、現在の住所から通勤で対応できるだろう。
オフィスにおける環境活動はこれからISO審査対応で本社各部門や支社を歩くことになるから、その時点で見聞すれば間に合うだろう。
そんなことをWBSにまとめた。
ISOについては簡単ではなかった。もちろん磯原はISO認証と全く無縁だったわけでもない。工場の環境部署にいたから、毎年ISO審査準備とか審査員の案内などに駆り出されていたし、磯原自身も担当しているエネルギー管理については現地での説明もしたし書面審査も受けた。当然ほかの担当が何をしているのかも眺めていた。
とはいえ磯原自身は工場でISO認証の活動をしたことも認証機関と交渉をしたこともなく、だからISO認証とか審査の準備事項などの全体を把握していない。
まず磯原は書面や課の共通サーバーに残っている、企画書、計画書、審査報告、費用処理などのほか、過去の認証機関との交渉記録、内部の打合せ記録などを漁ってひたすら読んで、まずは仕事の概要と実施事項を把握しようとした。
その程度の経験と知識で、これからの短い期間で審査まで持っていけるだろうか?
本社のISO認証は、初回審査が2004年であった。そして今回2016年は4度目の更新審査である。
本社のマネジメントシステムは……いや審査の際にどのような説明をしていたかというと、初回ははっきり言ってバーチャルな仕組みを説明していた。
まず本社のISO認証といっても、本社機能についてはノータッチ、はっきり言えば本社の建物の管理で認証をしたといえよう。つまり本社ビル……借家だが……そこで消費されるエネルギー、紙類、出てくる廃棄物の管理、そして建物内で発生する異常事態への対応である。
その考え方はこの会社だけではない。自治体や病院などでISO認証しているところは多数あるが、多くは庁舎や病院の建屋管理であることがほとんどであった。
市の行政の運営をISO規格に沿って手順を設けるとか、更には市議会の審議において環境配慮をするなんて語る自治体は存在しないようだ。病院の業務に環境配慮を取り入れるというものは見たことがない。せいぜい大学の認証において、環境教育を取り組むというのがあるくらいだ。
おっと、地方自治法などで自治体の運営は定められており、そこにISO規格要求を加えることはあり得ないというご意見があるだろう。私もそう思う。しかし、ならば自治体がISO認証を受ける意味はなんだろうか? 行政機関のISO認証は無意味・無駄と思わないのが不思議である。
どうしてそんなことになったのだろう? 以下は私の想像である。
ISO14001が1996年に制定され、1997年から本格的になったISO14001認証は、大手企業の工場の認証は2002年頃には一巡した。認証件数の加速度、つまり認証件数を二度差分をとると2002年に正から負に切り替わっている。グラフに描くとそこは変曲点になる。
ということはこの時点で、数年後には認証件数の減少が始まることが判明していた。
当然、認証業界はそれを認識していたから、認証件数を伸ばすために非製造業に認証を大いに売り込んだ。それだけではない、製造業の本社にも、官公庁/自治体、流通業、フィットネスクラブから医療機関まで環境保全のための仕組みとしてすばらしいものであると、そして環境配慮のブランドになること、もちろん企業の環境経営に寄与すること。そう煽ったのは認証機関だけでなくISOコンサルも出版も同様である。
このときあまり難しいことを言ったなら、市場が大きくならないという懸念があったのだろう。本来業務などと言わずに建屋の管理であってもなんでも、客が取れればヨシとしたようだ。
ある意味カフェテリア認証ともいえるだろうが、不都合なことに目をつぶるのは大人の対応らしい。
注:カフェテリア認証とは、アジア某国で工場の中のカフェテリアだけISO9001認証をして、対外的には「○○工場 ISO9001認証」と称したことから言われるようになったという。
似たようなものにチェリーピッキングというのもあった。こちらは都合の良い部署とか業務のみをつまみ食いして認証を受けるものである。
いずれも1995年頃の話である。
しかし不思議なことがある。1993年から始まったISO9001の認証件数の加速度がマイナスになるのは奇しくも2002年で8年かかっている。ISO14001の加速度が負になるのに5年しかかかっていない。これはISO9001より早く飽きられたということなのか? マーケットが小さかったのか?
2002年頃、認証範囲(スコープ)とか内容はどうであれ、オフィスや本社のISO14001認証はどんどんと伸びていった。といってもそれを含めても認証件数全体の伸びは低下し続けた。でも非製造業やオフィスの認証がなければ、ISO14001認証件数の減少はより早まり、悲惨だったことは間違いない。
だがそういった認証のための認証ではしょうがないという考えが現れるのも当然である。某審査員が言い出したとされる「紙ごみ電気」と揶揄されたように、環境目標(活動テーマのこと)がどこも
呆れる話だが、当時研究者がISO認証の効果として「紙ごみ電気」活動による費用逓減を指標にしたものさえあった。また裏紙使用に励み、秘密を守るために最初にプリントした面を真っ黒に染めたりするところもあった。主客転倒、まったくISO14001を理解していないという外ない。いやISO規格以前に社会人としての常識、優先順序という理解ができてないのではなかろうか(笑)
当然であるが、非製造業やオフィスであっても、認証のスコープは建物管理ではなく、本来業務にすべきという発想になった。2010年頃から多くの組織でスコープの見直しが行うところが増えた。
とはいえそれで理想が叶ったのかといえばそうではなかった。例えば工場を考えてみよう。カフェテリア認証はいけないということは広く知られていたから、工場の認証範囲は元々、工場の活動全体を含んでいた。構内にあれば売店や健保会館も含んでいたのがふつうである。
では工場のISO認証が実際の工場の規定や記録を見せているかというと、そうではなかった。
例えば、この物語で磯原の勤めるスラッシュ電機の工場が見せている環境目標や実施計画は、ISO審査用、省エネ法対応とか二重帳簿、三重帳簿であったのだ(第7話参照)。
それだけではない。認証開始から21世紀初頭まで、多くの組織は会社本来のルール・規定ではなく、ISO用のルール・規定を見せていたのが事実であった。マニュアルでは立派な規定が並んでいるが、じゃあEMS以外はとなるとその規定体系では文書が存在しないということは多々あった。そして工場の運営も実は隠された本来のルール・規定で動いていたのである。
だから本社のISO認証が、紙ごみ電気から脱却したといっても、仕組みとして……いや現実をそのまま審査で見せていたのではなかったのだ。
「当社はそんなことはない」とおっしゃる人は多いだろう。
ちょっと確認してみたい。御社の品質マニュアルあるいは環境マニュアルの冒頭にマニュアルの位置づけが書かれているだろう。御社ではマニュアルをどういう位置づけにしているだろうか?
「この環境マニュアルは当社の環境に関する最高位の文書である」なんて書いてあれば落第です。もしそうならマニュアルというのは御社の文書体系の最上位にあるはずです。そんな会社見たことありません。
私は「この環境マニュアルは当社の環境関連の規則をサマリーしたもので対外的に提出するためのものである」と書いていた。
だって会社は会社規則・規定で動いている。マニュアルなんて認証するときに認証機関から求められたから嫌々ながら作ったものに過ぎない。それが最高位なんて、笑っちゃうじゃありませんか。
それにそもそも認証機関が求めた環境マニュアルに求めているのは次のような情報である。(某認証機関の「審査を受けるためのガイド」による)
お前は現実を知っているのかと、認証機関とか審査員からお叱りというか疑問を投げられることを予想する。私はいくつもの組織で、そういう二重帳簿のISO認証をなくすことをしてきた。具体的証拠を上げるわけにいかないが宣誓して証言できる。
だがそうしたのは企業の責任ではない。認証機関と審査員の力量が低かったのだ。現実を見て規格適合か否かを判断できなかった。
上記のマニュアルの要素だが、そんなものはISO14001の要求ではない。そもそもISO14001では1996年のオリジナルのときからマニュアルは要求事項ではなかった。それを求めたのは認証機関である。目的は審査員が楽するため以外ない。
企業の現実は、審査員好みのきれいな文書体系ではなく泥臭いものであるわけで、それがISO規格適合であることを理解してもらうために、とんでもない苦労が要ると申し上げておく。正確に言えば、審査員は企業の実際の会社規則や規定が、どのような文書体系になっているか、どのように書かれているかご存じないのだ。
あるいは審査員が勤めた所の文書体系を知っていても、それ以外の方式を理解できず、審査員の勤めていた会社のようにすることを求めることも多かった。なぜ審査員の勤めていた会社の文書体系にしなければならないのか、その書き方に合わせなければならないのか、理解に苦しむ(笑)ところである。
正直言って、審査する側が規格の意図をよく理解していなかったこともあるだろうし、企業の文書体系というものをご存じなかったとしか言いようがない。
まさかISO審査員とは特定の会社の仕組みを広める宣教師だったとは思いたくない。
楽する方法はないのか?
ありますよ、審査員が求めるものが順々に出てくる文書なら大喜びされるでしょう。
そういう文書を各社が作ったということです。現実離れしたものをね、
魚心あれば水心でもないでしょうけど、バーチャルであることは間違いない。
磯原はそんな大局的な視点での感想を持つことはなかったが、本社がISO審査で見せている二重帳簿、かりそめのマネジメントシステムではいけないと思う。
二重帳簿とは改善テーマの計画などだけでなく、多岐にわたっているのである。例えば内部監査を取り上げてみよう。スラッシュ電機では、環境の内部監査をもちろんしている。今どき環境法違反や事故の重大性を認識していない経営者はいない。当然、自分の会社の環境管理状況を知る必要があり、環境監査を行うのが当たり前となっている。その必要性はISO認証していなくても変わりない。
ではスラッシュ電機では環境監査の仕組みはどうなっているのか。監査部の行う業務監査において会計だけでなく、品質や輸出管理あるいは安全衛生など業務全般について遵法と会社規則の遵守状況を見ており、環境についても専門家が工場や本社の各部署の環境管理状況を監査している。
当然、工場なら公害防止関連や廃棄物処理などが重点となるが、省エネもあるしオフィスにおいても環境にかかわることは多い。
本社や支社であれば、建屋内の廃棄物管理や省エネもあるが、より大きなことは所管する工場や販売会社への環境情報の提供とか指導支援、また事故や違反が起きた際の対応の指揮監督もあるだろう。営業であれば顧客への環境情報提供もあるし、運送会社の省エネ対策や返品の処理などの法規制の遵守もある。
部署によって関わる法規制や業界基準があるわけで通り一遍のヒアリングでは意味がない。
ではそれをISO14001の内部監査に充てることはできるだろうか?
ISO審査対応で適合といわれることはないだろう。というのは監査員は環境管理のベテランであり、法律の知識もリスクの感受性も優れていても、ISO規格の講習など受けておらず、また認証機関の行っている内部監査員養成研修なども無縁である。
会社が求める内部監査員は、なによりも遵法確認と事故のリスクの検出であり、ISO規格のshallなどとは無縁なのだ。
とはいえ、内部監査員にISO規格の知識など要求されていない。そもそもISO規格で仕事をしている会社はない。どこでも社内の手順書に展開しているはずだ。ISO規格を展開したものが手順書であるなら、手順書を遵守していればISO規格適合であるのは論理学の基礎の基礎だ。だが多くの審査員は三段論法を知らず、適合にしないだろう。それは私の経験から自信を持って言える。
もっともISO14001の意図をご存じだろうか? 忘れたかもしれないが「遵法と汚染の予防」である。遵法と汚染の予防を達するなら、ISO規格通りでなくても良いような気がするのは私だけか?
そもそもISO規格のすべてのshallを満たしても「遵法と汚染の予防」は保証できないと序文に書いてある
いずれにしてもISO認証するためには、監査部が行う業務監査を無視して、「ISO認証のための内部環境監査」をしているのが普通である。
何はともあれ、磯原の前任者は3年前の本社マネジメントシステムの見直しの際に、内部監査まで手を入れる余裕がなかったのかどうか、従来通り会社規則でない、ISO対応の手順書で定めた(?)「環境監査手順書」なるものでISO対応の内部監査を行っていた。
もし審査員が「環境監査手順書」の位置づけを問えば面白かっただろうと磯原は思ったが、そういうことは言わない約束になっているらしい。
いやいや、内部監査だけではない。(ISO規格に定める)マネジメントレビューとは一体何だ? 会社の定める会議規定にそのような会議は存在しない。
じゃあスラッシュ電機ではマネジメントレビューをしていないのかとなれば、そんなことはない。社内で違反や事故が起きれば即時に、環境法規制の制定・改定、他社の環境事故・違反、当社の新事業や新設備が新しい法律に関わるなら定例の執行役会議で報告される。いまどきは違反や事故があればトップ経営者が謝罪会見をするので真剣に内容を精査するのである。
おっと、それは環境に関してだけではない。品質も人権も労働問題もすべてが会社の死活問題なのだ。
それが本当のマネジメントレビューではなかろうか?
じゃあISOのために行うマネジメントレビューとはなんだろうかといえば、おままごとに違いない。
一度私が指導した会社でそういう実態を示してマネジメントレビューであると説明したら、「環境だけ別に会議を持ってほしい」という意見であった。オイオイ、それじゃ「セクハラのマネジメントレビュー」をして、「不当労働がないかのマネジメントレビュー」などなどしなければならないのだろうか?
注:10年位前、経営者インタビューでのこと、勤め先ではマニュアルの経営者にしていた常務に審査員が「環境第一の経営をお願いしたい」と語った。常務少しも慌てず「我々はすべてが重大です。品質も人権も安全も(その他いろいろ言った)そして環境も大事なのです。皆等しく重要であり環境を第一にはできません」
審査員は嫌な顔をしていた。あの審査員は間違いなく経営なんて知らないよね、
磯原は資料を読んでいて、あまりにも複雑で壮大な二重帳簿に笑ってしまった。
磯原が笑ったので隣に座っていたアメリアが驚く。
「磯原さん、どうかしましたか?」
「あっ、いや大したことじゃありません。今年末のISOの更新審査に何をしなければならないのか調べているのですが、その過程でいろいろなことがわかりました。
中には冗談かと思うようなことも多いのです」
「まあ、どんな冗談なのでしょう? ジャパニーズジョークを知りたいわ」
「ジャパニーズジョークですか……いや、なんといいましょうか、
そうですね、例えばAさんがBさんを説得しようとしてもBさんが納得しない。説得は無理だとしましょう。でもBさんに納得してもらわなければ先に進めない。そういう状況ではAさんはどうしたらよいでしょうかね?」
「私はハーフだけど、考え方はアメリカ人だから、日本人のようにBさんの心情を気にすることはないですね。説明して相手が理解してくれないなら、裁判するしかないです。
ああ、裁判というのは言い過ぎかな、その前にトラブルの種類によって相談する窓口があるはずです。ADRといいますが有識者とか専門家が客観的にどちらが正しいか相談に乗ってくれるのです
「アハハハ、それができれば世話はないというか悩むことはありません。日本では正しいと思ってもそれを主張できないことが多いのですよ」
「まさか政治とか宗教じゃないでしょう。そういうことは個人の良心の問題です」
「いやいやそういうデリケートな問題ではありません。
ISO審査のことです。Aさんは会社の担当者、Bさんは審査員としましょう。Aさんが規格に適合していると説明しても、Bさんが納得しなければ不適合、Non- conformityとされます」
「それなら異議申し立てすることになりますね」
「まあ、それが正しい選択肢なのでしょう。でも日本の場合はしかたなくB氏の理解に合わせることになるのですよ」
「理解できませんね」
「私も理解できません。でも私のような担当者クラスでなく、部長クラスになると鷹揚といいますか、太っ腹なところを見せようと、白黒つけることを避けて審査員の言い分を受け入れることが多いのです」
「それって背任行為でしょう?」
「厳密にいえばそうでしょうね。現実には多くの場合、もめるのを防ぐために審査員が規格にない恣意的な要求しても受け入れることが多いと理解してください」
「そういうことがあるとは理解しましたが、その判断も行為も理解できません。もしそれを受け入れなかったら企業はいかなる損害を受けるのでしょう?」
「損害を受けることはないでしょうね。審査員の心証を悪くするでしょうけど」
「審査員の心証を悪くすると何か困りますか?」
「審査がもめますね」
「審査がもめたら何か支障がありますか?」
「正直言ってISO審査なんて余計な仕事なんです。そんな仕事、パッパッと終わらせて本来の仕事をしたいじゃないですか」
「でもISO審査を受けるのも仕事ですよね。今回相手の言いなりになれば、次回も相手の言いなりになるしかないじゃないですか。もしかすると相手の要求がエスカレートするかもしれない」
「まさしくそういう恐れは多大です」
「4か月後の審査で、磯原さんのお手並みを拝見しますわ」
磯原は前任者のことを言っていられないなと自戒した。二重帳簿を是とするようなスタンスではアメリアに笑われるというより、己の矜持が許さないと感じた。
本日のまとめ
ISO規格を読んで、すぐさまその趣旨を把握できる人は少ないだろう。私も最初にISO9001:1987に出会ったときは右往左往した。
1997年にISO14001に出会ったときは、ISO9001を理解した方法では、審査に対応できないことに戸惑った。
後にそれは私の間違いではなく審査員の間違いであると知った。だが間違えた人が多いことと、審査員が権力をもっていたから間違えた解釈が堂々とまかり通るようになった。それは審査員にとって楽園だったかもしれないが、企業側にとっては地獄であった。
無駄な仕事、無駄な用紙、あげくに遵法にも汚染の予防にも貢献しない、ISO14001の意図に反することきわまりない。
現役を去って10年になるが、いまだ私の怒りは収まっていないようだ。審査で私と激論した審査員たちは、とうの昔に引退して、今はボケてISOなんて忘れただろう。いじめたほうは忘れてもいじめられたほうは忘れない。私の反論に耳を貸さず間違いを強弁した審査員を私は決して忘れない。
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注1 |
ISO14001:2015 序文 0.3 成功のための要因 第2段落の書き始め 「この規格の採用そのものが、最適な環境上の成果を保証するわけではない」 | |
注2 |