ISO第3世代 77.岡山動き出す

23.06.08

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

岡山は、磯原から環境監査と環境教育を担当してくれと言われた。環境監査も環境教育も言葉としては分かるが、この部門におけるその言葉が一体どんなことを意味するのかは全く知らない。
岡山一成 とはいえ岡山は知らないことを恐れる男ではない。知らないことを知る、そして知らないことに挑戦することが生きがいだ。
だが岡山は単なる無鉄砲ではない。十分な調査をして体系的なアプローチをするのが身上である。
そして最善と考える方法論が完成した瞬間に興味を失ってしまい、新たな地平を目指すのが彼の欠点である。もちろん手順書に従った業務など、岡山が耐えられるはずがない。彼はパイオニアなのである。

注:pioneerの定義は「someone who is important in the early development of something, and whose work or ideas are later developed by other people」、つまり何事かの初期において活躍するが、それを育てたり成果を刈り取る人ではない。
ゲイツやジョブズは、パイオニアではなく起業家(entrepreneur)なのだ。つまり新しいビジネスでお金を稼ぐ人なのである。
お金でなく名を残したいならパイオニアになろう!


岡山はセオリー通りのアプローチをとる。
まずは現在行われている環境監査の制度そして実態を知る。その定められた制度・ルールと実態、成果、問題点などを洗い出す。成果を伸ばし問題点を解決する、それが課題である。
最初に取り掛かるのは環境監査についての会社規則を読むこと。そして下位規定を読む。岡山は一度読んだら忘れない。
それから計画、実施状況、報告書、フィードバックの実態、それらの文書、計画書、報告書、年度のまとめといったものをかき集めると……実際には電子データであるが……それをひたすら読む。

読んで分からないことや疑問があれば、どんどんとメモる。読み進むうちにその多くは解消するが、それと同時に新たな疑問が現れ、また当初は理解したつもりのことも分からなくなってくることもある。言葉の定義も使い方も書籍によりさまざまであり、読むときも使うときも注意しなければと思う。


また監査とはなんなのかということも改めて勉強する。ネットで監査全般に関する本を探して、柳田に購入してもらう。
1冊目はじっくりと読む。気づいたことをメモする。2冊目は1冊目との差異と1冊目に書いてないことを重点的に読む。3冊目は1冊目・2冊目に書いてないこと、異論がないかを読む。1冊目を読む時間は1冊分の時間がかかるが、2冊目以降は段々と時間が短縮できる。
ある程度読んで、監査とは何ぞやということが分かってきた。もちろん会計監査とかは常識として知っているが、環境管理課ではどういう意味であるかが重要だ。

なんでも聞き取るぞ そもそも監査とは、大昔、3000年かそれ以上前に、中東のどこかで王様が国民は何を求めているか調査して来いと言ったそうな。命じられた者が街で耳を澄まして人々が語るのを聞き、王様に報告したのが発祥だという。
それでその役目はauditor(聞く人)と呼ばれたそうな。時代が下ってauditorは監査員という意味になった。

当然であるがauditorは巷の噂を集めるだけでなく、秘密も探ったろうし、必要な処置(邪魔者は捕縛したり消したり)もしたことだろう。
日本だって御庭番は情報収集だけでなく、手を汚す仕事もしていただろう。もっとも最近では御庭番とは隠密ではなく、隠密を使う立場の人だったという説もある。
まあ、それはともかく……


1990年頃からISO認証という制度が流行して、監査というとISO規格との一致を確認することと、誤解というか勘違いが広まった。特に企業のISO事務局には、監査とはISO規格との適合を調べることと理解している人が多い。それを大間違いとは言えないが、それは監査を太平洋とすれば、東京湾より狭くしか見ていない。

* 企業経営者にとってISOMS規格適合か否かは全く考慮に値しない。
重要なのは、遵法と汚染の予防が達せられるか否かである。

また20世紀末から種々の面において人々の要求水準が上がり、法律だけでなく倫理に反することには厳しい評価がされるようになる。そのため各種監査においても、監査基準であるコンプライアンスが本来の遵法だけでなく、社会規範、道徳、利害関係者の要請なども含むようになってきた。あるいはコンプライアンスの定義が変わったのかもしれない。

注:complianceの原義は「強制力のあるものに従うこと」である。
昔は強制力といえば法律しかなかったのだろうが、今は住民の意見とかマスコミの意見も強制力を持つようになったと考えれば語義は変わっていない。

そのためには社会通念や倫理などを守っているかも、監査に含まれるようになってきている。更に倫理などは時代とともにどんどんと変わってきている。まあセクハラなんて20世紀までは問題にもならなかった。
だが法律だけでなく大勢の見解に反することが非難されるとは、リンチではないかという気もする。リンチ(lynch)とは裁判を受けることなく、私刑を執行すること。それはまさしく罪刑法定主義に相反する行為である。

そう考えるとコンプライアンスなんて崇めることもなさそうだと岡山は思う。
法律以外は守らなくても良いという意味ではない。法律以外でも守らなければならないという裏付けが必要だということだ。
弱者に席を譲るのは義務ではなく善意でなければ価値がない。義務にしたとたん人情も風情も消えてしまう。

岡山が理解したところでは、環境監査とは法令と会社規則を守っているか、事故が起きる恐れがないか、を確認することである。まさに遵法と汚染の予防である。



では監査をする人、監査員に求められる力量は何なのだろう?
岡山は会計監査や内部監査をキーワードにいろいろ本を読む。多くの本では、業務経験とか人格とかあいまいなところに逃げている。岡山は「ISO19011 マネジメントシステム監査のための指針」を読んでこれは素晴らしいと感じた。

だが読んでいて初版が2002年であり、たびたび改定されていることを知り旧版も取り寄せて読んだ。
その結果、当初は「品質及び/又は環境マネジメントシステム監査のための指針」であり、改定版で品質環境が取れて「マネジメントシステム監査のための指針」となっていることに気づく。

更にその差異を見ていくと、違いはタイトルだけではなかった。旧版では品質と環境において監査基準が限定されていたことから、共通なことしか監査員の力量も具体的に記述されていた。しかし複数のMS規格に使えるようにするには、共通なことしか書けなくなった。その結果、監査基準対応でISO19011で記述できなくなり、曖昧模糊になってしまったと気づく。
となると初心者はオリジナル版を参考にしたほうが良いのではないだろうか?

柳田は岡山に頼まれて様々なISO規格やJIS規格の本を買った。最新版を買うのは普通のことだが、過去の何年版と指定されると、発行元に問い合わせたりアマゾンなどで古本を探した。
岡山は大量の書籍を読むことにより、ISOMS規格30年間の歴史を理解した。(ISO9001初版は1987年、この物語は今2018年である)

オリジナルである品質システムが制定されたときは
「ISO10011 品質システムの監査の指針」
があり、
環境マネジメントシステムの規格が制定されたときは
「ISO14010 環境監査の指針-一般原則」
「ISO14011 環境監査の指針-監査手順-環境マネジメントシステムの監査」
「ISO14012 環境監査の指針-環境監査の指針-環境監査員のための資格基準」
という規格があった。
更には認定機関の国際団体であるIAFがISO9001にはguide62、ISO14001にはguide66というものを作成していたことを知る。

学術論文などをひたすら追い続けることをしてきた岡山には、規格の変遷をトレースしてその流れを把握することはお茶の子さいさいである。

そこから感じることは規格の劣化である。最初は限定されたものについて最高のものを作ろうとする。しかし最初に作られたものが流行すると、それを他の分野に広げようとする。そうすると共通を図るためにそれぞれの規格で妥協してもらうことになる。結果としてどれもが最善ではなく事前どころか並みのものとなり、存在価値が大きく損なわれていく。その先にあるものは、制度の崩壊ではなかろうか。

もっとも岡山の使命は我が社の「遵法と汚染の予防」の確立であり、ISO認証がどうなろうと関心の外だ。



半月経った今では岡山の机上は本の山がいくつもできている。とときどき、そばを通る人が触れて、雪崩も起きた。

本の山

席が隣の田中は正直言って気が気ではない。自席でコーヒーを飲むのは止めようと思う。田中側に崩れたら被害甚大である。
もちろん岡山は平気でコーヒーを飲んでいる。それも紙コップでは足りないようで、大きめのマグカップを持ってきている。
彼にとっては書籍の雪崩が起きたら、それはそのときなのであろう。いや一度読んだ本は頭に入っているから気にしないのかもしれない。

田中 「おい、岡山君よ、机の上にたくさん本を重ねておくと危ないから、使うもの以外は書架に置くようにしてくれないか?」

岡山 「いやいや、田中さん、このように手が届くところにないとダメなんですよ。本を読んでいてあの本のあそこに書いてあったなと思ったら、すぐにそれを引っ張り出して参照できること、これが良いんです」

何が良いのかは定かではないが、結局 田中は岡山を説得するのを諦めた。



岡山は2週間の苦闘の後に監査員教育の構想をまとめた。監査員として求められる資質、持つべき知識、期待される力量レベル、ボリュームはA4片面プリントで70ページである。
岡山はまず坂本に相談しようと、前から考えていた。理由はもっとも現場に明るいからだ。ということで、仮製本したものを坂本に渡して読んでほしいと頼んだ。

坂本はうやうやしく押し頂いた。岡山は学者になりたかったと聞いている。まったく知識も経験もないと聞く岡山は、環境監査の教育と言われて学術論文でも書いたのかと思った。

幸いなことに坂本は岡山の隣でもなく向かい側でもない。雪崩の犠牲になることはない。それでまずは給茶機に行ってブラックコーヒーを注いで座る。少しすすって気を静める。それから読み始める。

文章は項目ごとに番号が振られ、更に段落が区切られて、構造化されていて読みやすい。
まずは、現状の環境監査の体制と実施状況を簡単にまとめている。続いてその問題点をあげている。 坂本勇人 坂本は監査の問題を考えたこともなく、じっくりと読む。
問題といっても工数のこともあるし、スケジュール調整もあるし、監査員の力量もあるし……岡山はどんな切り口から見ているのかと興味を持つ。

岡山は不具合を確実に検出しているかどうかという観点で見ている。それこそが監査のレーゾンデートルであることに誰も異議を唱えないだろう……ISO至上主義者を除いてだが。
もちろん勇み足を踏んだ「αの誤り」だけでなく、不具合を見逃した「βの誤り」についても具体的な数字を挙げて論じている。

坂本は頭をひねる。αの誤りは監査報告書が提出されて磯原や関係者が照査する過程でリジェクトされる。実際にそういうものは記録に残っている。だがβの誤りは報告書を読んだだけで指摘できるだろうか? 監査報告書に書いてないことを、見逃したといえるはずがない。悪魔の証明みたいなものだ。

注:「αの誤り」とは「慌て者の誤り」ともいわれ、「正しいものを誤りと判断すること」で、「βの誤り」とは「ぼんやり者の誤り」ともいわれ、「間違いを見逃すこと」である。
「αの誤り/βの誤り」の代わりに、「Aの誤り/Bの誤り」とか「第1種の誤り/第2種の誤り」ということもある。

読んでいくと岡山の方法が分かった。岡山は同じ部署に複数回行われた監査報告書を読み、不具合発生時と監査実施時の前後関係からβの誤りを推定している。そのアプローチは厳密には論理的に不十分だと気になるが、岡山は元データまでトレースしてある程度信頼できるものを計上している。
ただそれにしてもAの誤り/Bの誤りの検出精度が同等かとなると疑問はあるが、かなりの努力をしているのは理解できる。

注:私の表現が拙いせいで意味が通じないかもしれない。
例えばISO審査において、ある時点で不適合とされていないものが、以降の審査で不適合になることは珍しくない。それはISO17021でいう審査はサンプリング(参照:ISO17021-1:2015 4.4.2注記)であるからなのか、それとも審査員の見逃しなのか、大いに議論のあるところだ。

あるとき私は認証機関に「不適合の証拠根拠を上げるように、適合と判断した事項について適合であった証拠と根拠を記述してほしい」と要請したことがある。
ISO審査とはそういうものではないなんて言われることはない。二者間の契約であるから、ISOMS規格要求に関わらないことを、顧客企業と認証機関の審査契約に盛り込むことは違反ではない。
もちろん・・・・対応できないという回答であったが、お金を払って審査サービスを購入する身としては、非常に不満である。

そもそもISO審査における消費者危険、生産者危険を明示していないのだから、ISO17021が「サンプリング」だからと逃げることは商取引としては非常識である。受入検査の合格品質水準を決めずに商取引をする企業がどこにあるのか? 受入検査とか品質管理をしている者にとって、ISO審査は異常である。
もちろん二者間の取引だから、審査側は嫌なら止めろと言えるし、顧客側は嫌だから止めると言える。

ともかく岡山は監査のパフォーマンス指標の一つとして、Aの誤り/Bの誤りの発生率を取り上げている。確かに監査工数(それは費用でもある)、スケジュール調整、監査員の力量も改善すべき課題であるが、監査のエラー率をパフォーマンス指標とすることは、遵法と汚染の予防の直接的な評価であることは間違いない。

監査員の力量を評価しても、それは監査のパフォーマンスの間接的な評価に過ぎない。
いくら速い球を投げても、その投手が勝てるかどうかは分からない。実績がすべてだ。
坂本は岡山の発想と実態を調査して推論したのを素晴らしいと認める。

そこから監査員の力量に入っていく。いかにして監査員の誤判断が発生するのかということを、サンプルの監査報告書の監査員の経歴、保有資格、年齢などから分析している。
つまり岡山は力量を予め経験とか保有資格などに逃げるのではなく、前述した監査のパフォーマンスからリバースエンジニアリングしているのだ。

岡山の結論は、年齢や業務経験、保有資格などよりも、現実の業務においてある程度責任を与えられて自立した判断を行っている者がエラーが少ないと結論している。
坂本はそうなのだろうかと考える。排水処理施設の理屈も仕組みも知っているけど指示されて動いている人と、排水処理施設の理屈は概ね理解しているが日常ほかの仕事の責任者として仕事している人と比較したら、責任者をしているほうが排水処理施設の運用を正しく判断できるのだろうか?
結果として相関があっても因果はないかもしれない。

フィットネスクラブ 注:「相関」とは気温が高い日はアイスが売れるとか、フィットネスクラブに来ている人は健康な人が多いというような関係を言い、「因果」とは原因と結果の関係があることを言う。

本当に気温が高いと人々は涼を求めてアイスを食べるなら因果関係がある。フィットネスクラブに来て運動しているから健康なのか、健康だからフィットネスクラブに来るのかは調べないと分からない。相関だけでは因果関係の有無は分からない。


坂本は岡山の論文(?)を三度読んだ。そして彼の論旨は理解したが、それが正しいのか否かは判断できないと回答した。

岡山は坂本の査読は通ったと理解して、コピーを上西課長以下、田中、坂本、増子、石川に送り、現在の環境監査の課題は、監査時の判断エラーを下げることであると主張した。その改善には監査員の力量向上であるが、分析結果、監査員の責任感、そのためには監査の重要性の理解、また論理的な考え方を教えることであるとしている。
1週間後に各位の意見を求めるために会議を持つので検討願うとしている。



上西 上西は岡山の報告書というのか提言書というのか計画書というのか、真面目に読んだ。だが自分が環境監査に関わったのは、工場にいたとき監査員として参加したことがあるだけだ(第51話)。
そういえばあのとき一緒に監査員をしたのは増子だった。それまで自分が直接仕事に手を下したことがなかったので、自分が質問し回答を吟味したことが新鮮な思いだった記憶がある。

あんな仕事でも理屈を考えたり、改善を考えることもあるのだな。岩手工場ならそんなことできる者はたくさんいるだろう。
上西の頭には自分がやるという発想はなかった。


増子 増子は岡山の報告書を見て、これはすごいと思う。自分が廃棄物処理の課題をまとめるとしても、これほど基本から包括的なことを考えるという発想がない。目についた良し悪しを論じておしまいだろう。現実問題としてその程度で会社の仕事は満たすだろう。論文じゃないのだから「逆は真ならず」なんて厳密なことを言わなくても9割は目的を達する。
でも厳密に推論するということは無駄ではない。いや正しいことだ。
岡山さんは継続して監査を担当するわけでないなら、監査が一段落したら廃棄物についても検討してもらいたいと思う。


石川は岡山の報告書を見て、さすが修士ともなると立派なものを作るのだなと思う。
ただ何事も費用対効果だ。石川は岡山の斜め向かいの席だから、見ようとするまでもなく岡山の様子を見ていた。岡山がこれを作るのに実働で15日かけている。その費用は直接人件費だけでも50万になるだろう。

また柳田さんが愚痴っていたが、頼まれて買い集めた書籍代が10万以上になったという。
石川リカルド ISO規格の対訳本なんて文庫本サイズサイズでも7,000円とか8,000円とか言っていた。更に同じ規格の旧バージョンをすべて買ったそうだ。驚くことに中古本が定価より高かったという。需要と供給の関係だから仕方ないらしい。工場なら絶対に購入許可は出ない。
しかも最新版ならお金を出せば買えるけど、旧バージョンはアマゾンとか楽天で探すのが大変だったらしい。

更にこれを展開して、規則類の改定、監査員教育の実施、そして成果につなげるまでを考えると、総費用は1000万どころではきかないだろう。まして監査員教育は定期的に継続しないと効果が低下するだろうし、新人も毎年あるだろう。
となると監査の教育成果としては監査における不具合摘出によって年1000万以上ないと意味がない。
人件副費を考えるといったいくらになるのだろう。

ところでその効果はどのように測るのか? しなかった場合の失敗コストだろうか。法に反することによる罰金、公表されたときのイメージダウン、株価までは影響はないだろうが……
事故が起きたときの慰謝料、原状復帰費用、いろいろ考えると想像できない。
遵法と汚染の予防はイチゼロではないだろが、失敗コストと予防コストのカーブの交点とかあるのだろうか。石川は考えても分からない。



うそ800  本日のエクスキューズ

四つ葉のクローバー 本日はいささか私の考えを押し付けたようであります。
いつも押し付けているって?
私は押し花が好きで……関係ないか😄


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