平和のつくりかた 2004.08.28
戦争のつくりかたという冊子(小さな本)があるそうだ。
平和主義者の私は戦争のつくりかたなんて怖くて読みたくもない。
それで自分のために平和のつくりかたという話を書きました。
もしこれを読んで、お気に召されたらあちこちにアップしてください。あるいはおすきなように編集してあなたご自身の平和の作り方を書いてください。
みんなで平和のつくり方をひろめ、戦争の作り方なんて怖い話を追いやりましょう。




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「平和のつくりかた」

わたしたちはだれだってみな戦争がきらいです。
でも、平和が大事だ、戦争反対というだけでは戦争を防ぐことはできません。
ではどうすれば、戦争を防ぎ、平和でありつづけることができるのでしょうか。


まず基本的なことから考えましょう。
平和とは形あるもの、たとえば机や椅子やノートのようなものではありません。
平和とは物ではなくて状態、つまり「ようす」や「ありさま」なのです。
だから平和をつくることはそもそもできないのです。
平和とは、作るものではなく、保つものなのです。
たとえば、りっぱなお家を建ててもずっと快適に住むことはできません。
いつも快適に住むためには、毎日お掃除をして、毎年大掃除をして、
そして何年かごとに屋根や壁をぬりかえなければなりません。
それでもやがては壁が腐ってきたり、雨どいがこわれたりします。
そうなれば大工さんにしゅうぜんをたのまなくてはなりません。
平和でありつづけることもそれと同じです。

温度計 もうひとつ、例をあげましょう。
部屋の温度を摂氏20度にしておこうとします。
夏ならばエアコンで部屋を冷やさないとこの温度になりません。
お昼になって外気温が高くなればエアコンは連続的に働かないとこの温度に維持できないでしょう。
冬になれば、暖房をしないとこの温度になりません。
部屋の温度を一定に保つことは部屋の中だけではどうしようもありません。
外の影響を受けると中では暖房とか冷房とかまったく正反対のことをすることが必要なのです。
平和を維持するということは、いつでも同じことをしていればいいとか、時代が変わっても同じでいいということではないのです。
ある時代にはこういう政策をする、時代が変われば別の政策をしなければならない。
外国の外交姿勢が変われば、日本の外交政策を変えなければならないということなのです。

平和を続けていくには私たちが常に努力していく必要があるのです。
憲法の条文を毎日拝んだり念仏を唱えても、平和を保つことはできません。


世界の事実を知りましょう
ある人はコスタリカは武器を放棄した平和な国だといいます。
それは事実とちがいます。コスタリカには軍隊があります
お隣の国、中国は世界最大230万人という軍隊を持っています。
そして今現在チベットに攻め込んでたくさんの人を殺しています。
北朝鮮はなんと人口の5%が兵隊です。
そして彼らはいつでも戦争ができるように準備しています。
これが世界の現実です。
 注)日本の自衛隊は24万人、人口の0.2%です。


わたしたちは人の話を聞いてもそのまま信じてはいけません。
本当かどうか調べ そしてどう行動すべきかを自分で考えなくてはなりません。
「新しい歴史教科書」が戦争をたたえていると語っている人がいます。
その人はその教科書を読んだのでしょうか?
その教科書がいいか悪いかをいうなら、まず本を読んで考え、発言しなければなりません。
日本国憲法は平和憲法だという人がいます。
日本国憲法にはなんと書いてあるのでしょうか。
本当は「平和を守る」と書いてありません。
日本国憲法には「外国が攻めてこないと信じて軍隊を持たない」と書いてあります。
こんな無責任な考えで、日本の平和は保たれるのでしょうか。
「泥棒に入られないと信じる」といって玄関に鍵をかけない人がいるでしょうか。


わたしは嘘つきよ テレビや新聞や街角でたくさんの人がいろいろなことを話しています。
そういった人々がみな本当のことを話しているのではないのです。
なかにはだまそうとうそを語る人もいます。
だから人の話をうのみにしてはいけません。
ひとりひとりが、自分自身で考えて行動すること、
そういうことの積み重ねが、平和を保つことができるのです。


軍隊を持つから戦争が起きるという人がいます。
軍隊がなければ戦争は起きないのでしょうか。
ヨーロッパではこうのとりが多い町ほどたくさん赤ちゃんが生まれています。
では、こうのとりが赤ちゃんを持ってくるおはなしは本当なのでしょうか。
もちろんちがいます。
大きな町にはコウノトリがたくさんいて、そしてたくさんの赤ちゃんが生まれるというだけです。
警官が多いと犯罪が多いそうです。本当でしょうか。
これも間違っています。犯罪が多いから警官を増やしているのです。
国民がみな兵隊になる国は戦争が好きなのでしょうか。
スイスやスウェーデンでは徴兵制といって健康であれば皆は兵隊の訓練を受けます。
でもみなさんご存じのようにスイスやスウェーデンはここ200年戦争をしていません。
現実の社会ではこのように原因でも結果でもないけれど関係がありそうなこと、あるいは原因と結果をとりちがえていることがたくさんあるのです。
軍隊を持つことと、戦争をすることは直接関係ありません。


日本が外国から攻められたときにどう行動するかという法律(有事法制と呼ばれています)ができたとき、戦争が起きると語る人々がいました。
しかし法律ができても戦争は起きていません。
いえ、日本は攻められたら国際法に基づいてきちんと行動するということを知って、今まで日本の領海に侵入していた国もそのような悪さをしなくなりました。
私たちの国、日本が外国から戦争を仕掛けられたりテロが起きたとき、どうするのかということを決めておくことは大事なことです。


ではまとめです。
私たち日本人は、戦争のない未来を築かなければなりません。
そのためには世界の真実を知り、自分で考え、行動していきましょう。
そして戦争の作り方を考えるのではなく、平和のつくり方を考えていきましょう。



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ごろう様からお便りを頂きました(2004.09.06)
平和の作り方を読みました。
はっきりいうと、戦争がない、戦争をしない、ということだけが平和をつくるということなのか、わたしは疑問に思います。
平和のつくりかた、確かに世界中のみんながそれを実行すれば平和になるように思われます。
でも、そんなことは誰しもがわかるかんがえです。
私も中学生頃まではそんな考えを持ったものです。
戦争がないからといって平和になるという考えが短絡的だと思います。
日本では絶対に戦争が起こらないと思っているからこんな安易な考えを書けるのでしょう。

ごろう様、お便りありがとうございます。
なにぶん、私は中学生レベルの頭でございまして、むずかしいことは苦手でございます。
戦争がないから平和かというのは定義の再確認が必要ですね。
私は手持ちの英英辞典などから『戦闘状態でない』と定義しております。
であれば『戦争がない、戦争をしない』ということは私が採用した平和の定義そのものですから、ごろう様に異議申し立てられても困ります。
ごろう様の平和の定義はどういったものでしょうか?
もし、ごろう様の論は『平和を維持しようという前提を更に戻って、平和がよいかどうか再考すべきだ』ということでしょうか?
それであれば、またその土俵で議論できると思います。

私は平和とはエントロピが極小の状態であって、非常に不安定なものであると考えています。
卑近な例をあげれば、お部屋は何もしなければゴミが散らかり、汚れ放題(エントロピの増加)となっていきます。部屋をきれいにしておくにはお掃除をし、物を片付けるなど外部からエネルギーを供給してエントロピを減少させなければなりません。
エントロピが増えるままにしておくことが安定していていいんだ、という論理もあるのかもしれません。
しかし私には受け入れられませんね。

お断りしておきますが、私は『日本では絶対に戦争が起こらないと思っているからこんな安易な考えを書ける』などと言われることを甘んじて受けることはしませんよ。
ごろう様の平和のつくり方を伺うまではね、



おタケ様からお便りを頂きました(2005.02.05)

はじめまして、「おタケ」と申します。
まだ16で高校生の若造ですが聞いてください。
「世界がもし100人の村だったら」から「戦争の作り方」に飛んでそれからここのサイトに来ました。
さっそくですが貴方は「平和の作り方」の冒頭においてこう書いています。
戦争のつくりかたという冊子(小さな本)があるそうだ。
平和主義者の私は戦争のつくりかたなんて怖くて読みたくもない。
それで自分のために平和のつくりかたという話を書きました。
もしこれを読んで、お気に召されたらあちこちにアップしてください。あるいはおすきなように編集してあなたご自身の平和の作り方を書いてください。
みんなで平和のつくり方をひろめ、戦争の作り方なんて怖い話を追いやりましょう。
言ってることはもっともですが、貴方は後に戦争が好きな人はいないはずだと述べられました。
なのに自己を「平和主義者」と呼び、いかにも著者を軍国主義者を蔑むように受け取れました。それも読んでもないのに勝手にグラフィックを使用したり(著者の)話を追いやると宣言するとは、これこそ偏見に富んだ表現だと思います。それにあの本は平和を願った本のはずです。
変な言いがかりはよして下さい。病気が嫌だからこそウイルスを研究するように平和を望むからこそ多少は偏った本を読むべきだと思います。

長々とすみませんでした。
あ、それと「外国人参政権」は僕も反対です(まだ読んでないですが)
この国は我々大和と琉球とアイヌ民族のものです、何で国籍も持たない外国人にそんなものが必要なんでしょう?税金を払ってるから?そんなんこの国で生活してんだから当たり前だっつの!!というか(極端ですが)この国を多民族国家にする気なのか?
まだまだ書きたいことはあるんですが次の機会にします。
ありがとうございました。

おタケ様、お便りありがとうございます。
16歳とおっしゃいますが、敬語も文章もしっかりしておられ感心いたしました。私がそう発言すること自体失礼でしたらお許しください。
さて、本論ですが、
ちょっとお待ちください、平和主義者とか軍国主義者ってなんですか? 言葉の意味(定義)をはっきりしないと議論にならない、といつも私は申し上げております。
そして私が平和主義者と語ってはいけないのでしょうか? そして、そう表現することは軍国主義者をさげすむことなのでしょうか?

「読んでもいないのに」とはひどいですよ  私は戦争のつくり方は10回くらい読みました。批判するためには相手を勉強しないとなりません。
勝手にグラフィックを使うという意味がわかりませんが、足跡の絵でしたら著作権は問題ありません。なぜって、私がペイントで書いたのですからね。私は著作権とか捏造とかあるいは盗作などないようにかなり気を使っています。
朝日新聞を反面教師としています。 

ありがとうございました。またのお便りを待っております。


おタケ様からお便りを頂きました(2011.09.25)

わたしだ
まず最初におタケ様への返事に対する質問をします。
「「読んでもいないのに」とはひどいですよ私は戦争のつくり方は10回くらい読みました。批判するためには相手を勉強しないとなりません。」
とありますが「戦争のつくりかた」も同じ平和について考えている冊子ですので相手では無いと思うのですがどうでしょうか。
そうです。
「あなたはおタケ様と戦争のつくりかたに戦争を挑んだのです。」
これは平和主義者がやる事ではありません。
あなたは自分の事が正しいと言い張ります。そしてお互いで意味のない争いが起こるのです。
これが戦争への第一歩なのです
戦争のつくりかたを考えることでその事をしなければいいという事がわかります。   

おタケ様、お便りありがとうございます。
前回のメールが2005年ですか、そうしますとあれから6年、おタケ様も22歳になられましたか?
そうとう平和と戦争を勉強されたと思います。
それでも考えが前進していないと言うことはすばらしいことです。既に6年前に解脱していたということでしょう。
では、私など意見どころか議論する役は果たせそうありません。
他のところでがんばってください。

私はいかなるお便りでも、アップすることは絶対に約束しております。




坂田白金時様からお便りを頂きました(2012.08.01)
平和とは
平和というものは、見た目が何事も平常で、一切の異変がなく、水面見たく穏やかに推移していて落ち着いた様子を指します。しかし、そのすぐ裏側では、常に激しい激変が渦巻いています。その上で、私たちは束の間の落ち着きの中にいるに過ぎないのです。
つまり平和とは、薄氷の上の不安定な足場のことをそう呼ぶのです。

坂田白金時様 お便りありがとうございます。
おっしゃる通りと思います。
ただし、私個人としては、薄氷のような不安定ではなく、少しでも安定したバランスの平和がほしいと思っております。
そして、現在の平和ボケの多くは、平和とは釣り合いではなく、オブジェクトであるような勘違いをしている人が多いので困っております。
ぜひとも、ネットで、リアルで、大声をだしてください。
ご協力をお願いします。




ぷぅたん様からお便りを頂きました(2012.08.01)

同意!
私はこのホームページの、「平和は初めからあるものでなく、築いていくものなのです。」という文字に感動しました!
ありがとうございました!

ぷぅたん様 お便りありがとうございます。
御礼を申し上げるのは私の方です。
マイナーなウェブサイトをご訪問いただきありがとうございます。
俗に平和ボケとか平和主義者という輩は、平和と唱えると平和になるように信じているようです。
現実の平和は、あるもの(オブジェクト)ではなく、ある状態ですから、平和を保つには多大な努力、場合によっては武力、血、命を投じることが必要なのです。
そうでないとチベットのように、中国人に虐殺されるようになります。
そういう日本にはなってほしくありません。




はなこ様からお便りを頂きました(2012.10.01)

平和のつくりかたについて
「平和のつくりかた」、読みました。
今、平和について学習しています。参考になりました。ありがとうございます。
教科書には「コスタリカは軍隊をもたない」とかいていたのに、本当はもってたんですね。知りませんでした。
あと、おばQさん、一度、「戦争のつくりかた」も、読んでみて下さい。
おばQさんの考えているようなこわい本ではないと思います。
少なくともわたしは、この本を読んでよかったと思っています。
ありがとうございました。

はなこ様 お便りありがとうございます。
まず、お断りしておきますが、私は「戦争の作り方」はもちろん読んでおります。怖いから読まないというのは言葉のあやといいましょうか、まあ、話の言い回しのようなものです。
いくら稚拙なウェブサイトであろうと、他人を批評、批判するに当たっては、その方の書かれた文章を読まなければ失礼であるだけでなく、理屈から言っておかしいですからね
今、まさに中国が尖閣列島に侵略しようとしています。平和が大好きな人たちの平和憲法は、中国の侵略を止めるのに少しも役に立たないようです。ということは、「戦争の作り方」を書いた人たちは、頭の中のお花畑に住んでいるようで現実の世の中では少しも役に立ちません。
中国が武力で来るなら、こちらは武力で追い返すという覚悟と実行力がなければ、私たちの国土はすべてとられてしまうでしょう。
中国の教科書では沖縄も中国領土、韓国の教科書は対馬も福岡も韓国領土だそうです。
「戦争の作り方」は中国や韓国の方がじょうずですね!
アマゾンでこの「戦争の作り方」の批評をチェックしましたが、過半数の人が「妄想だ」「現実的じゃない」「自分の目で見てこい」といった論調で、素晴らしいと書いている人は少なかったです。(2012.10.01確認)
私はそれを読んで安心しました。
はなこ様も、「戦争の作り方」を反面教師として、現実世界を見て考えてください。「戦争の作り方」のくだらなさが良く見えてくると思います。
いっしょに日本を良くするために行動しましょう。
お願いします。




くーここ様からお便りを頂きました(2014.11.09)

提案?です
戦争のつくりかたという冊子(小さな本)があるそうだ。
平和主義者の私は戦争のつくりかたなんて怖くて読みたくもない。
それで自分のために平和のつくりかたという話を書きました。
もしこれを読んで、お気に召されたらあちこちにアップしてください。あるいはおすきなように編集してあなたご自身の平和の作り方を書いてください。
みんなで平和のつくり方をひろめ、戦争の作り方なんて怖い話を追いやりましょう。

昔、このサイトを見て酷く腹がたったのを覚えています。
戦争の作り方の本も読んでいないのに批判するなんて、と思いました。
それから数年、ふと思い出してこのサイトに来ました。
他の方のお便りなどを読み、管理人さんが戦争の作り方を読んでいたということも分かり、管理人さんのお考えも少し分かり、数年越しに誤解がとけ、胸のつかえが取れました。
そこで思ったのですが、私以外にもあの冒頭の文章を読んで誤解される方々がいたようですし、これからも出ると思います。
一度、冒頭の文章を編集し直してみてはいかがでしょうか?

くーここ様 お便りありがとうございます。
そりゃネットで全世界に己の主張を叫ぶわけですから、書いた人に次くらいにはその書物を読みますよ。同様に自分の書いた文章も学校の課題とか作文以上に読みかえし、間違いがないか、誤字脱字がないかは見ているつもりです。
ただ読んでいただいて勘違いしないようにとか、誤解しないように書こうという気はあまりしないんです。
勘違いしやすいくらいがいいかなって意地悪ジイサン的な気持ちもありますが、読む方もしっかり読んでほしいという気はあります。
お便りをいただいて、改めて「戦争の作り方」と「平和の作り方」でネットを検索してみました。やはり、サヨク的発想のものが多いですね。
「10年後の予言が見事に的中」とは笑ってしまいました。
だって大はずれですもんね
戦争って、日本が起こすと限りませんよね、この10年間にいかほどの戦争がありましたでしょうか?
中国はチベットで大殺戮をしていますし、アラブでは国対国、テロ、ISISなる新興勢力、ウクライナ、南米では麻薬勢力対国、いたるところで多様な形態の戦争が多発しています。
「りぼん・ぷろじぇくと」のようなお花畑の住人が考えるような戦争は今では絶滅危惧種となってしまったようです。
私たち日本人は尖閣列島、小笠原諸島、竹島などを守るためにどうするかを真剣に考えなければ、諸外国に戦争を仕掛けられ日本という国を失ってしまうでしょう。
ご存じでないかもしれませんが、韓国では経済不況で日本に攻め入ろうと議論されているのです。いくらなんでも「経済不況だから戦争」ではなくもう少し大義名分、つまり「日本から韓国を防衛するため」くらいのキャッチフレーズをつけなくてはいけませんよね。
最近、韓国では「対馬の日」を設けて対馬奪還をする気でいます。奪還というのはかっては自分たちのものがとられてしまったものを取り返すという意味だと思いますが、過去、対馬は韓国領であったことは古事記の時代から一度もありません。
要するに日本の近隣諸国は泥棒、強盗、詐欺師のような人たちばかりです。サヨクの人々は夢から覚めて、現実を見なければなりません。
あ、私がウヨクと思われても困りません。韓国から見ると竹島を差し上げると言わない人はみな右翼です。従軍慰安婦がいたと言わない日本人はみな右翼です。朝日新聞が間違えた報道をしたという人はみな右翼です。
じゃあ、右翼とは誇るべきことなのでしょうか?
まあ、そんなわけで私はいまだサヨクを茶化し、韓国を叩き、中国に反論することを続けております。
しかしこの駄文を書いたのは2004年8月、もう10年になるのですね
この10年で日本は良くなったのでしょうか
確かに今は従軍慰安婦はないというのが日本国内で主流になってきました。まだまだ共産党やサヨクのみなさんは「あった派」ですが、残念ながら証拠はないようです。
朝日新聞はねつ造新聞と呼ばれ、植村隆、本田勝一などは嘘つきと言われるようになってきました。「美味しんぼ」も評価は地に落ちたようです。
でもまだまだ韓国のジャパンバッシングは衰えません。私はがんばりますよ、子供のため、子孫のため、くーここ様のためにね
ご期待ください。