平和憲法とは? スローガン検証(4) 2003.07.05


























『平和憲法を守れ!』という人々がいます。
『平和憲法が日本を守る』という人がいます。
平和憲法!いい言葉です。ところで平和憲法とはなんでしょうか?
一説によると平和憲法とは昭和21年に制定された日本国憲法のことを言うらしいのです。

平和主義者とか護憲論者と呼ばれる人々の話によるとこの憲法は『平和を守る憲法』なのだそうです。
本当でしょうか?
なぜ昭和21年憲法は平和憲法といえるのでしょうか?

ここはひとつ、日本国憲法が平和憲法なのかどうか調べてみようじゃありませんか。
さて1万字少々からなる憲法に『平和』という言葉はどこで使われているのでしょうか?
調べてみましょう。
なーに、手間はかかりません。ワードで検索すればアッ言う間、平和という言葉は前文で4回、本文で1回使われています。
前文
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
よくお読みください。
日本国憲法は『平和を守る』と述べているところは一箇所もありません。
★★(1)日本国民は『平和を念願する
★★★★疑問が二つある。
★★★★★日本人が平和を祈願しているという証拠はあるのか?
★★★★★祈願するという文言を憲法に盛り込み意味があるのか?
★★(2)『平和を愛する諸国民
★★★★(1)同様に平和を祈願しているという証拠はあるのか?
★★(3)『平和を維持しようとする国際社会
★★★★国際社会が平和を維持しようとしている証拠はあるのか?
★★(4)『平和のうちに生存する権利を有する』
★★★★北朝鮮にはないもののようです。イラクにもパレスチナにもないようです。
★★(5)日本国民は『平和を希求する
★★★★★日本人が平和を希求しているという証拠はあるのか?
★★★★★祈願と希求の違いはなんだろうか?
と語っているだけです。
平和な世界を作ろうとさえ言っていません。 ご異議のある方、よくお読みくださいね!
唯一表明しているのは『武装の放棄と行使権の放棄』だけです。
そうしますとこれは無意味な文字の羅列なのでしょうか?
昭和21年日本国憲法が平和を守るかどうか以前に、平和を守ると表明していないことをまず確認願います。

日本国憲法は『平和を守ると語っておりません』


さてでは、日本国憲法は平和を守るとは語っていないが、平和を守ってくれるのでしょうか?
紙に書かれた10,122字の文字が日本を守るのでしょうか?
268字の般若心経は人の心に平安を与えるのでしょうか?(ちょっと違うか?)
268万円の方が心をリッチにするかもしれません。 

攻め入る中国人民解放軍の前に平和憲法を投じても敵軍の前方に大きな地割れができて兵士が地の底に吸い込まれていくようなモーゼの十戒のようなシーンは期待できそうありません。
あるいはまた北朝鮮からテポドンが飛んでくる時、日本国憲法を勧進帳のごとく広げても防ぐ力はなさそうです。
紙に書かれた1万字が日本を救ってくれるはずはありません。

平和憲法論者の方々、憲法が平和を守ると語る方々、日本国憲法が平和を守ってくれないことに同意されますでしょうか?

では結論として、
★★日本国憲法は『平和を守ると語っていない』
★★日本国憲法は『平和を守ってくれるとは考えられない』
ことにご同意得られますでしょうか?

いえ、ちょっとお待ちください。大変なことに気がつきました。私の考えが浅はかだったようです。
世界には日本人だけではありません。日本を侵略しようとする国もあります。あるいは日本人を殺そうとする人もいます。そういった人々や国々にとっての平和もあります。彼らにとって日本国憲法は平和憲法であるのは確かです。
なにしろ国際法で認められている自衛権さえ持たないといっているのですから日本に攻めこもうと、日本人を殺そうとしたい放題、好き勝手にできるのです。
これぞ平和憲法といえる根拠でしょう。 

ああ!やっと分かりました。
日本国憲法は間違いなく平和憲法だったのです。
『日本国憲法は平和憲法だ!』と大声で叫ぶ人たちは間違っていなかったのです。
『平和憲法は日本を守る』というのは実は『平和憲法は日本(へ侵略する軍隊)を守る』を略した言い方だったのです。



私から提案します でも日本人にとっては悪夢のような憲法であるようです。 
日本人が殺されたり、日本が占領されたりする前に、『日本国憲法が日本を守る』ように見直そうじゃありませんかね?

私はもう年寄りですが、若い人の未来のために提案します。




守ろう平和憲法  2007.11.10
出張の電車の窓から外を見るとはなしに眺めていると横浜か川崎あたりでしょうか?「守ろう平和憲法」という大きな看板が目に入りました。
私はこれを見てカチンときましたね。正直言ってアホがいる、ゆるさんぞという思いが頭にめぐり、アドレナリンがドバーっと放出されました。
わが師KABU先生などはこんな看板を見ても「相手にするまでもない」と一顧だにしないでありましょうが、心の小さいおばQジジイは泰然自若としていることができません。
そんなたわごとを見かけるたびに私は、平和憲法なんてのはないと発言しておりますが、いまだにこのようなたわごとを大書しているやからがいますので、ひょっとしてそうかなあなんて勘違いする方もいるかもしれません。そんなことになったら一大事です。
最近、いい気になった漫才師が「憲法9条を世界遺産に」なんてわけのわからないことを叫んでおりますので、だまされる人が増えるといけません。私のような年寄りが叫んでも誰も耳を貸さないでしょうが、何もしないよりはましかなと思います。
そんなわけで再度、平和憲法なんてないよ、平和憲法なんておかしいよと書きます。

では分析開始
「守る」とはどういった意味でしょうか?
「憲法改正をさせない」ということでしょうか? 憲法改正をさせないことを守るというのでしょうか?
考えるまでもなく、そのような言い方は日本語の使い方として若干おかしいようです。

守ろう日本国憲法
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なんだかよく分からない

広辞苑によると「守る」とは「保護する」「大切にする」という意味であるそうです。
憲法とは本来国家と国民の契約であるわけですから、「まもろう」という言い方は憲法の位置づけを無視して、憲法とは大事なもの、大切なもの、愛しいものという意味の言い換えをしていると思われる。それにより聞く人に憲法を変えないでいこうというだけでなく、憲法を変えることはいけないこと、というメッセージを伝えようとしているのではないだろうか?
憲法とは何かという基本に戻って考えれば、憲法を変えるか変えないかの基準は憲法が実用的であるか否かであり、実用的でない、役に立たないなら、新たに国民と国家の契約を結びなおすというだけのことである。
廃棄物処理委託契約書は期限を定めないといけないことになっている。契約期限が切れれば内容を再確認して継続するかとりやめるか再検討しなければならない。このように廃棄物の契約書でさえ契約期間を定めて契約の継続を見直ししなければならないというのに、国家の背骨である憲法が時代にあっているかどうかを一定期間ごとにチェックしなくてはまずいのではないだろうか?
ちなみにISO14001でも文書は必要に応じて更新しなければ不合格になるのである。
平和憲法とは詐欺的表現であるとはすでに書いた。
平和憲法というと平和を作ってくれると思い込んでしまう人が多いのではないだろうか?
トンデモナイ
平和憲法と呼ぶ人もいる日本国憲法(正しくはマッカーサー憲法)は平和をつくるとか守るとか約束していません。単に武装を放棄しているだけです。
平和憲法というのは語義的に完全に間違いなのです。正しくは無責任憲法とかダメ憲法と呼ぶのが適切です。

そういった現実を無視して、「守ろう!」とアッケラカーンにアジテーションを叫ぶノー天気さはいかがなものだろうか?
憲法は宝石のように大事にしなければならないよという発想も、そういった主張も完璧に間違っている。
現実世界を生きている人間にとって憲法は「守る」ものでもなく「攻める」ものでもない。
今の憲法が時代にあっているのか、書いてあることが適切なのか、内容に間違いがないのかをまず考えようというのが大人の常識であろう。
大人の常識がない人は大人ではない 
時代にあっているのか、自分の暮らしにあっているのか、国際的に実用になっているのか、子供のために役に立つのかとさまざまな観点で評価し判断を下さなければならない。
そしていろいろ検討した結果、変えないほうが良いという結論ならそれもまたよい。
憲法を変えるか変えないかを検討しようという論議自体を否定する政党が実際に存在するということは、その政党は民主主義でないことは論を待たない。
憲法を変えるか変えないか考えようという叫びこそ民主主義であり、憲法を守ろうというのは論理でない。
論理ではないなら怨念というのだろうか? 

まじめな話、憲法改正に反対なら「改正するな」「変えるな」というべきでしょう。「変えるな」ではゴロが悪いというなら「今がいい」というべきであろう。


本日の結論

「守ろう平和憲法」というのは間違いです。
「だめ憲法を変えたくない」というべきでしょう





タイガージョー様からお便りを頂きました(07.11.24)
拝啓佐為様
大変お久しぶりであります。最近仕事が猛烈に忙しくてインターネットも出来なかったタイガージョーです。久しぶりに佐為様のHPを見ていると大変興味深い表題を見つけました。
私はこのフレーズは大変合理的な物であると考えます。
まず守るべき対象が平和ではなくて平和憲法となっています。これは平安楽土と仏典が必ずしも同一で無いにもかかわらず、仏典経文を守っていれば平安楽土が成就するという宗教家の思考パターンと類似しています。
さらに平和憲法を唱えている方々は政治家や法律家であるにもかかわらず「守ろう日本の主権」とか「守ろう日本の国益」という言葉が滅多に出ません。つまりリアリストとしてのメンタリティを獲得していないわけでありまして、平和憲法を教典とする宗教家の言葉であります。
こうならばいかに上記のスローガンが合理的かと言うことを意味していると愚考している次第であります。ただ唯一の問題はこの集団が宗教集団であると認識されていないという事ではないかと・・・・。(嘆)
  タイガージョー拝
タイガージョー様 ご無沙汰しております。
しかしさすがというか、タイガージョー様の分析は私の拙文をはるかにしのぐものです。
うか 平和憲法を守れということと、平和を守れの違い・不覚でした。
ところで疑問が出てきました。
日の丸君が代に反対する人々は、中華人民共和国の国歌、国旗掲揚には賛成なのでしょうか?
ちなみにアメリカ軍艦寄港に反対デモはたびたびありますが、中国の軍艦寄港反対も韓国の軍艦寄港反対デモも聞いたことがありません。
ああ!人生・・もとい・・平和運動不可解なり


名も無き思想家様からお便りを頂きました(07.12.08)
憲法よりも大事なもの
思うのですが、国家を守る本質的なものはなんなのでしょうか、軍隊ですか?兵器ですか?そうではないでしょう。本質的なもの、それは「命<国家の独立」というイデオロギーです。その考えがあれば例え軍隊をもっていなくても、独立は守れます。それは「ガンジーの非暴力・非服従運動」が証明しています。で、問題なのが日本国民にそのイデオロギーがあるかいなかです。私は返答しかねますね。人は経験、国家では歴史から教訓を学びます。しかし我らが日本国は「みじめな占領」を経験していません。アメリカの占領は国民にとって「ありがたい」ものとして受け止められているので「みじめな占領」には該当しません。つまり日本国民は一度その経験または「危機」に直面しないかぎり、このイデオロギーは根付かないのではないでしょうか。この題名である「憲法より大事なもの」それは国民のイデオロギーです。法律とは国民のイデオロギーでしかありません。ならばその本質である「国民のイデオロギーの推移とその原因」を探れば、もっと深い憲法考察のサイトができると思います。まあ、それを望まなければ別ですが・・・・・
あと最後に、憲法の原文読みぁw)ワした?参考図書になかったので念のために聞いておきます。
名も無き思想家様 お便りありがとうございます。
まず驚いたのはそのハンドルネームです。それほどまでに自信あふれていれば周りには地震が起きるかと・・
私は名も無き市井の一市民でありますが、国家の基本は国民の意識であると以前書いております
私の文のほうが名も無き思想家様の文章よりちょっと格調が高いと自負しております。
憲法の原文を読んだかですか?
原文というのがなにを意味するのか分かりませんが、六法全書に載っているものとか電子政府とか英語正式訳なんてのは読んでおります。
残念ながら墨で書かれたものは拝見したことはありません。


ある高校生様からお便りを頂きました(07.12.09)
名も無き思想家様へ
私はある高校生と名乗り、あなたは名も無き思想家と名乗りました。「ある」と「名も無き」にある種の親近感を覚えつつ、今回のあなたの投稿に対し私なりに考えたことを投稿させていただきたい。
あなたの考え、つまりは人々が自らの命よりも自らの国、文化、歴史、イデオロギーなどを含む共生体を重視するのならば、例え軍事に依存せずともその共生体は存続するであろうとの考え、よく理解しました。しかしこの方式を採るには、日本人の求める、保ちたい共生体、求めたいと思うものは普遍的すぎるでしょう。
と言うのは、その共生体が保ちたいものと、その共生体から奪おうとする側が求めようとするものが違ってこそ、その理論は成り立つからです。
ガンジーは塩(つまり生存権)をよこせ、インドを独立させろ、イギリスの戦争にインド人を駆り出すのはやめてくれ、という要求をしたのです。さて、これが通ったのはなぜか。それは、イギリスが、それを押さえつけるほど、インドに対して力も興味も持たなくなっていたからです。
ガンジーのような人物が、イギリスのインド占領時代100年〜200年にわたって一人も存在しなかったわけではありません。思想は少々違えども、地方に自治を認めろだの、独立させろだの、織物業を奴隷産業化することへの反対運動だの、ヒンドゥーの教えに従って山ほど非暴力の運動はありました。しかし、絶対にそれらは表面化しないし、したとしても軍に鎮圧されました。何故かと言えば、イギリスにそれだけの力があり、逆に民側にそれだけの説得力がなかったからですよ。
イギリスはその100年だか200年だかにわたってインド経営(具体的には中国も含めた三角貿易)によりその栄華を誇りました。要はその繁栄はインド(と中国)なしには成り立たないわけで、だからこそ必死に独立運動を鎮圧しました。2次大戦後は、イギリスはドイツに国力をしこたま削られ、アメリカ(のユダヤ人や世界中のよくわからない団体)に対して途方もない借金を負い、植民地経営どころでは無くなったのです。日本に香港やシンガポールを攻め落とされ、それらが終戦後一時期自らの意思で直接動かせなくなったことも大きな理由ですが。それによって、イギリスはインド経営のメリットを失い、だからこそ撤退したのです。だからこそ、ガンジーの言う生存権だの独立権だの奴隷解放だのをやっても、イギリスにはちっとも痛手ではなく、ここにおいて、ガンジーとイギリス本国では、求めるものが異なっているのは理解されましたでしょうか?
さて、日本、取り分け現在の日本ですが、この国、あるいは地方と言ってもかまいませんが、ここは、このような方式をとるには恵まれ過ぎていると自分は考えます。つまり、この国民が求めるものとはあらかた望みが叶えられた果てに人類が求める共通の望み、言い換えれば世界普遍の望みに近いほどになって来ているのだろう、と。まあ、平和、だの、物質的精神的富の永久追求、だの、ですがね。
両者が求める益、つまり最近ではそれはイデオロギー、主義となって現れますが、それらが対立しなくて初めて非暴力、不服従による独立、つまり互いに戦うのも面倒だから戦わなくて独立してもいいよ、などいうのが実現するのです。求めるもので対立した場合、なんとかして相手を説得して説き伏せる。この最終手段こそが戦争なのです。
persuadeと言う英語をこの前長文読解で見つけたのですけれど、これの日本語訳は「〜を説得する」ですが、これの名詞形persuaderは「銃」と言う意味です。西洋的、すなわち近現代的の世界における説得の感覚を、よく表していると思いませんか?
ですから、日本人が人類普遍的であろう物質的精神的富だの、平和だのを追及しているうちは、どこからでも狙われる恐れがあるわけで、それを非暴力、不服従でしのごうと言うのは非常に危険であると私は考えます。理論の土台と適用されるべき対象の条件が違います。もっとも、日本を、文化的にも物質的にも歴史的にも全く魅力のない、つまり戦争目的になるような対象のない「地域」にしようと言うのなら話は別で、この議論が成り立ちますが、そんなのは私は受け入れられないと言っておきます。
よって日本が幸福を求める限り、自らの身を武装することは必然、でなくて非武装であるのならば、何らかに護られた身であることを証明していることで、であるならば、最低限自らの幸福追求は自らの手によってしていたいと考えるのは、高校生であるが故の若気の至りなのでしょうが、私の願いだと言っておきます。
もう一つ、『日本国民は一度その経験または「危機」に直面しないかぎり、このイデオロギーは根付かないのではないでしょうか。』と言う件がございましたが、これはどう行ったことでしょう。はて、あなたは、日本が一度占領され、惨めな目にあい、悲惨な出来事を経験し、その結果国民意識が出来るまで、日本人が日本に誇りを持つことはできない、とおっしゃるのでしょうか?ああ、残念無念、それでは全く、何故世界史を始めとする歴史を学ぶのか解らないではないですか。
もちろんあなたは、世界史を学んでいますね?そこであなたは一体何を見ましたか?一度占領され、惨めな目にあい、悲惨な出来事を経験した地方や民族などいくらでもいます。現代では、それこそマスゴミ連中が騒ぎたてるフランスやドイツやロシアや日本に在住する外国人(これは疑問ですが)でも良いし、騒ぎ立てない中国の100近い少数民族の話でも良いです。さて、日本人は、それらの民族の歴史を、自らの話として実感できないほど愚かであるとあなたはお考えですか。
もしそうならば、それを自覚する私たちは福沢諭吉に返って国民に呼びかけなければならないでしょう。その点戦後個人民主主義は失敗の境地に達してしまったと言うべきでしょうね。
もしそうでないのならば、我々はそのような惨めな目にあった民族がいると言うことを知るだけでなく、何故そんな事態に至ってしまったのか、そして今どうやってそれを変革しようとしているのか(あるいはあきらめてしまっているのか)を理解し、その二の轍を踏まないよう、歴史を鑑にし、これから如何にして我々の幸福を手にするのか、という問題を真剣に考えて行こうではありませんか。
どちらにせよ、日本人が民族の自覚を持っていないからと言って、それを簡単に民衆の愚鈍さとして解決しようとせず、歴史に学ばずに放り投げ、日本は一回占領されて亡んでみればいいのでは?とおっしゃられては、こちらとしては接点が持てません。
私としては僭越ながら、互いに自分の生を守ろうと言う自覚あるものとして、憂国憂民憂生活の士として、理想を見つめつつも現実を置き去らない施策を共に検討したい次第でございます・・・

ちょっと長くなってしまいました。さい様、お手間をかけます。自分としてはさい様とお話していたころと何か自分の中で変わった覚えは無いのですが、こんな拙文でも良いのならば掲載をお願いします。
ある高校生様、毎度ありがとうございます。
うーん、と唸ってしまいますね。
私が名も無き思想家様の投稿をアップしたのが昼前、ある高校生様が投稿されたのが14時半ですからたった2時間でこれだけ書くということはものすごいことです。私にはできません。
もっともいろいろ書きためていた中で今回のに見合ったものをアップしたということなのかもしれませんが?
私はある高校生様の論にコメントする力もありません。
名も無き思想家様に一言申し上げれば、ガンジーも日露戦争がなければ立ち上がらなかったと語ったというのを見た記憶があります。
東洋人が白人に劣らないという認識、見解を持つには大変なハードルがあったし、白人が非白人も人間であると認めるのは更なるハードルがあったのです。
要するにそこから論じないと、中華思想も国家論も理解できないのでは?

あらま様からお便りを頂きました(07.12.08)
憲法の原文
佐為さま あらまです
年末に来て、急に賑やかになりましたね。
さて、「憲法の原文」という文字を見て、調べてみました。
国会図書館のホームページを辿れば、昭和天皇がサインした「憲法の原文」を見ることが出来ます。
しかし、その内容は、教科書などに記されているものと同じです。
・・・ということは、名も無き思想家様の仰る「原文」とは、下手なアメリカ語で記されているマッカーサー憲法のことでしょうか。
あれは、文法的にもヒドイもので、その醜さはこのホームページでよく示されています。
それとも、最近の映画で、日本国憲法の原案は憲法学者の鈴木安蔵によるというものでしょうか ?
あの映画こそ、事実を曲げるものです。たんにGHQが他の憲法案と同様に参考にしただけのもので、それ以上でも、それ以下でもありません。
あれは、原文でも原案でもありません。
とにかく、憲法はその中に改憲条項があるように可変的なものです。
絶対的なものではないことには「同意」です。
あらま様 毎度ありがとうございます。
国会図書館ですか! 機会を作ってマッカーサー憲法の悪の根源を見てまいりたいと思います。
文法的にも常識的にも文章がどうにもならんと思っております。
あれをすばらしいという人の頭の中を疑います。腐っているのではないでしょうか?
同じご意見の方がいらっしゃってうれしいです。

阿南様からお便りを頂きました(08.01.15)
戦争って・・・
戦争時代、子ども達にも戦争の影響がでていたそうです。「戦争ごっこ」と称していました。この話を聞いて「早く戦争を終わらせればいいのに・・」と思ってました。でも逆らったら処刑や殺されてしまうなんて、身勝手過ぎるんじゃないんですか!?と言いたかったです。
いじめや暴力から、戦争は生まれるんじゃないのか?
他の国をいたぶって、何の得になるんだ?
こんなことが今でも続いているから、平和な世界になって欲しいです。
阿南様からお便りをいただくのは初めてかと思います。
文面から見ると阿南様は戦争当時すでに物心ついていた、ということは私より10歳は上ということでしょうか?
であれば70歳になられるわけで、しかしながらどうも文体からみてそうは思えない?
ネタとか、吊りとかってことはないでしょうけれど・・なんとお応えすればよいのか?いささか迷います。
でも、まあおっしゃることに異議はありまっせん。
ぜひチベットで虐殺やり放題の中華人民共和国の人民解放軍に大声で言ってください。
中国は台湾を狙うのをやめとと言いましょう。
北朝鮮の金将軍に止めろと言ってください。
北朝鮮は核開発を即中止せよ! 国民に自由を与えよ! 人権を認めろ!と一緒に叫びましょう。
でもわが自衛隊は世界の平和と日本の安全に働いているのですから、しっかり声援を送らないといけませんよ。
でないとばちがあたります。
いやあ、お互いに意見が一致して私はすがすがしい思いです。

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