三年たちました 2004.08.14
本日は三周年記念日、このつたないウェブサイト(ホームページ)を開設してから三年がたちました。
三年は長いか短いか? 私にとっては大変長かったといえるでしょう。
この三年の間に、職が変わり、三度も引越しをして、娘が結婚し、息子が社会人となった、これだけでもう十分です。
過去ニ回のアニバーサリーには1年たちましたとか、もうすぐ、つき合って2年かぁなどとまあくだらないことを書いておりますが、今年もやはりくだらないことをば、 
sensei.gif
国語学者の銀田一先生です。


今回三周年記念はことわざでいってみましょう。
三年と付くことわざにはたくさんあります。
いろいろなことわざの意味からこのウェブサイトのありようを考えようという、かなり文学的(まさか!)哲学的(ありえない!)考察であります。
  • 石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
    冷たい石の上でも、ずっとすわり続ければ、あたたまって、いごごちがよくなる。何事もしんぼう強く努力すれば、かならずよい結果がえられるものだ、ということだそうです。
    このウェブサイトには分かりきったこと、当たり前のこと、そんなことをただ書き連ねておりますが、しかし根性だけはあるつもりです。その証拠に、もう3年たちました。この間の更新回数は、なんと・・・すみません数えてません 
    データ容量はhtmlファイルだけで5Mバイト、このうちタグが3割文字データを7割としますと、一文字2バイトですから約1,750,000字、400字詰め原稿用紙にぎっしり埋めたとして4400枚、3年間平均して打ち込んだとして毎日平均4枚書いたことになります。実際に文字が埋まるのは原稿用紙の7割程度ですから原稿用紙換算で6枚くらいでしょうか。聞くところによると小説家という人種も毎日書く量は原稿用紙10枚程度だそうです。するってえと私も文筆業と名乗ってもよろしいのでしょうか?
    この間に寿命がきたキーボードが2台、マウスが3個、まああきれてしまいます。
    さらにまた自分のウェブサイトだけでなくあちこちの掲示板にも、無邪気な疑問と発言を書き込み続けております。
    石の上にも3年は間違いなさそうです。

  • 染物屋と鍛冶屋を三年辛抱すれば出世する
    水を使う染物屋は冬、火を使う鍛冶屋は夏がつらいが、これらの仕事を三年も勤めることができる人ならばきっと出世するということ。
    「石の上にも3年」と違うのは、単に努力・精進するだけでなく、厳しい環境下だということでしょうか?
    まあ、私も時間外、出張が多いという環境下で暇を見つけ時間を作ってバカ話を書いておりますので、染物屋程度ではあろうかと
    ・・・よってこのことわざもクリアということで・・・

  • 桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
    芽を出してから実をつけるまで、桃と栗は三年、柿は八年かかるといいます。どんなことでも、それなりに年月をかけなければ、実らないのです。
    このウェブサイトが桃や栗ならばもう実が成るはず、それとも柿なのでしょうか?
    もっとも地域によってはこの後ろに「梅はすっぱくて16年」と付く言い回しもあるようですから・・・・梅でないことを祈るばかり・・・・

  • 三年園を窺わず(さんねんそのをうかがわず)
    三年ものあいだ庭に出て草木をのぞいて見るひまがないほど、勉強に打ち込むこと。
    うーん、これは私とは縁のないことわざのようです。なにせ私は好奇心と雑念の多い人間でして、いろいろな催し物、名所、旧跡、講演会などを暇があれば歩き回っております。とてもまじめに勉学に勤しむ暇はありません。
    といいましてもこの三年間に本を300冊以上読み、資格も3つとりました。

  • 三年先のことを言えば鬼が笑う
    「来年のことを言えば鬼が笑う」とも言いますが、あれこれと未来について予測、あるいは期待したりものを考えても、人は未来を知ることはできないということ。
    3年前に自分の仕事さえ想像もつかなかったのは事実。とても明日のことを思い煩うどころではありません。
    マンギョンボン号
    今も活動中の北朝鮮工作船


    しかしここ3年で北朝鮮による拉致は明らかになり、捏造され偏向報道や教育によって教えられている従軍慰安婦も南京捏造、あるいは百人切り事件にも、少しづつですが日本人は真実に目覚めてきたのでは・・・・と考えております。
    その変化に少しは貢献したのか? といえば寄与してはいないとは思います。しかし枯れ木も山の賑わい。サヨクのウェブサイトが雨後の竹の子のように存在している現在、正論ウェブサイトにひとつ加わるだけでも貢献ではないかと・・・

  • 猫は三月を一年(ひととせ)とす
    cat.gif 英語流に言えばdog yearというのでしょうか? 人間の三月は猫の一年にあたるということで猫の成長が早いこと
    私、おばQはこの3年間で目に見える進歩はなかったようであります。htmのタグにしてもすこしも進歩なく、スタイルシートもジャバも使えるようになりませんでした。
    石の上にも3年で頑張っておりますが、その進歩は猫や犬にも劣るようです。

  • 犬は三日の恩を三年忘れず、猫は三年の恩を三日で忘れる
    犬は三日飼っただけでも三年その恩を忘れない。猫は三年人に飼われていても、三日経てば忘れてしまうということらしく人の恩をすぐ忘れてしまうことのたとえ
    私はYosh様、相方KABU先生、霧衣様をはじめとする多くの方のご指導を受けて今があることを忘れておりません。しかしながら直接ご本人にその恩を返すことはできそうになく、今後も続く長いサヨクとの応酬の中で不特定多数の同志にお返しをしていきたいと考えております。

  • 包丁三日、延し三月、木鉢三年
  • 揉み方三年 切り方三月
    いずれも似たようなもので手打ちそばの技術を習得するには、本鉢で揉む基本的な仕事が一番難しく三年もかかるが、反対に包丁の使い方はやさしく、僅か三月もあれば上手に切れること。
    これをウェブサイトに引っ掛けますと、タグ3日デザイン3月コンテンツ3年とでもなるのでしょうか?もちろん最近ではホームページ作成ソフトが大手を振って歩いております。私のよぅにメモ帳派は恐竜のようにあるいは朱鷺のように滅んでいくのでしょうか?
    オオットお金があればデザインも検索エンジン登録もお金に物を言わせて・・・という手もあります。
    でもね、最後までお金に頼れないもの、それはコンテンツ、もし自分の主張がなければそもそもウェブサイトなんて開設すべきじゃないんです。

  • 松の木柱も三年(まつのきばしらもさんねん)
    腐りやすい松の木の柱でも三年はもつ。どんなものでも一応は当座の役には立つということ。
    このウェブサイトが松の木柱であっても、後に続く人たちになにがしかでも役に立ったでしょうか?
    そうありたいと願っております。
    少なくともこのウェブサイトをご訪問された方から「アサヒのおかしな点に気づいた」とか、「憲法は平和の実現を語っていないことを知りました」というメールなどをいただきますと、松の柱まで行かず、うどの柱くらいにはなったのかと・・・

  • 三年子なきは去る(さんねんこなきはさる)
    家というのが夫婦より大事だった時代は子がいなければ、その家(いえ)は絶えてしまうことになるから、子どもを産めない女性は追い出されてしまうということがありました。
    現代ですのでこのウェブサイトが3年間何も成果がなくとも、インターネットの世界から蹴飛ばされる心配はなさそうです・・・・が、なにも効果がなければインターネットのリソースのムダ使いであることには違いなさそうです。

  • 負うた子を三年探す
    身近にあるのに気が付かず、あちこち探し回ることのたとえ。
    自虐史観で目が見えず、従軍慰安婦、強制連行などウソバッカリ語っている新聞社や政党は真実が見えないようです。
    真実は目の前にあるのにね!?
    bride.gif
  • 結婚して三日目に結婚を讃えるな、三年経ってから讃えよ
    ロシアのことわざであります。
    結婚して初めから良いと思ったらいかん、お互いにお互いを知るには3年くらいかかる
    恥をかいても、間違っても、反省しフィードバックをかけてウェブサイトを3年間も維持するということはけっこう大変なことです。

  • 八年梅干三年味噌(はちねんうめぼしさんねんみそ)
    梅干は漬けてから八年になってもうまく、味噌は仕込んでから三年目がうまいこと。
    前出の結婚と似たようなものであります。もっともインターネットの世界ではコンテンツが3年もたったらもう陳腐化して価値がないようです。私も古いコンテンツを加除修正しなくてはとは思いつつ・・・日々、前に進むだけでメンテナンスの労力が足りなそうです。

  • 商い三年(あきないさんねん)
    商売というものは、開業してから三年たたなければ、利益が出ない。軌道に乗るまで三年間は辛抱せよ、という商売の心得だそうであります。
    まあ、このウェブサイトは利益を求めているわけではありませんが、多くの人に捏造報道や偏向教育に気づいて欲しいということがその目的であるならば、そろそろその効果を期待したいところです。

  • 人の病は3年でも辛抱する(ひとのやまいは3ねんでもしんぼうする)
    他人の苦痛には、何らの同情もないことをいう。
    私の母方は医者の家系でした。私が子どものとき母から母の父親(私の祖父)がいつもそう言っていたと聞かされました。もっとも本当に田舎の医者でしたから、患者から金を取れなくとも診ていたそうですし、財を築いたわけでもありません。
    私が生まれる前にこのじいさんは亡くなってしまいましたが、人の病の痛みを感じつつも、自分がそれに押しつぶされないようにわざと口にしていたのではないかと思っております。
    イラクでもどこでも人の痛みを感じ平和平和と叫ぶ人が良心的と受け止められるご時世でございますが、真に戦争を止めさせるには劣化ウランの調査に危険地帯に行くことではないような気がいたします。
    目に見える人の痛みを救うのではなく、その原因を取り除こう戦争を未然に防ごうとする行動は傍から見ると非情と見えるのかもしれません。

  • 好客三年店を変えず、好店三年客を変えず
    良い客は長年店を変えないし、良い店は長年客が変わらないと言うこと。
    ウェブサイトなんていっても結局はサービス業、その大事なポイントは、清潔感・鮮度管理・商品構成・接客等いくつかあります。私のスタンスは反省だけなら猿にもできるであります。
    その効果は出ているのか?サービスの品質は期待水準なのか?いかがなのでしょう?
    それはご訪問される方が評価判定することであることは絶対間違いありません。

  • 三年三月三日
    ことわざとはちと違いますが、会社がいやになるインターバルを言いまして、三年に一度は会社を辞めたくなり、三月に一度は会社で問題があり、三日に一度は会社に行きたくない・・・まあ人によりところによってその解釈が異なるようですが、
    このウェブサイトを運営していてもいろいろ嫌になるといいますかうつ気味になることがあります。質量とも優れている人様のウェブサイトを拝見しますと「存在意義がない、もう止めちゃおうかな」と思うことはよくあります。
    また私も人の子、アホ、バカといったメールもひとつふたつならともかく一日に10通も来ますとめげます。あるいはいろいろな批判の書き込みをいただきますと「閉鎖しちゃうか」と思うこともあります。
    今現在三年という節目でありますが、現時点止めようかとは考えておりません。


まあ、結論ははじめから出ているのです。
何があっても4年目も突っ走るぞということだけです。
ご批判も、ご声援もすべて飲み込んで、何があろうと石が温まるまで座り続けるつもりです。
この日本を本当に暖かくするまで、私の命が尽きるまで座り続けます。

後に続くを信じて



目次に戻る