ISO審査の再評価 2007.02.25

少し時期遅れだが、不二家の問題に関して考えることを書く。
実を言って、この1件がISOに大変革をもたらすトリガとなることを期待しているのです。

経産省、不二家のISO臨時審査を要請(2007年1月13日 読売新聞)
大手菓子メーカー、不二家が認証を受けている品質・環境管理の国際規格「ISO」に関し、経済産業省が認証機関の関連団体に対して臨時の審査を要請していることが、13日分かった。(中略)
経産省は、財団法人「日本適合性認定協会」を通じて、不二家の認証取得を担当した民間の認証機関に臨時審査を求めた。これを受け、認証機関が事実関係の調査に乗り出した。
臨時審査の結果、問題があると判断すれば、〈1〉是正措置の要求〈2〉認証登録の一時停止〈3〉認証取り消し、のいずれかを決める。

不二家泉佐野工場のISO認証、一時停止(2007年2月22日 読売新聞)
ずさんな品質管理が明らかになった大手菓子メーカー「不二家」の泉佐野工場(大阪府泉佐野市)が、環境保全に関する国際規格「ISO14001」の基準を満たしていないとして、審査登録機関「日本環境認証機構」から認証登録を一時停止されたことが、22日、わかった。決定は21日付。

ISO審査というのは定期的にISO規格要求を満たしているか否かを審査員が来てチェックする。そして規格を満たしていることが確認されると審査登録となり、認証証をいただき(借り受け)対外的にISO規格に適合していると宣言することができる。とまあ、そういった仕組みである。
審査登録とは認証証とロゴマークを使う権利を買うことと同義である。

しかし、今回の事件は製品品質に問題があると内部告発があり、調査した結果確かに品質管理に問題があったことが明白となったという顛末である。だが環境事故を起こしたわけでもなく、公害測定の記録を改竄したわけでもない。少なくとも環境に関しては問題があるという内部告発もなかった。
しかし不思議なこともあるものだ。品質問題を契機に環境についても臨時の審査を行ったら、アットいうまに環境管理においても不具合を見つけたとは偶然なのか、管理が悪い会社はすべてにわたって悪いということなのか?
その結果、環境に関して『も』不適合を発見した審査登録機関は審査登録を停止したというわけだ。
できすぎである。まさにできすぎとしか思えない。

もちろん臨時の審査を行った審査員が、品質管理が悪ければ、環境管理も悪いだろうなんて感情的な先入観など持ってはいなかったとは思う。
だが、不思議は消えない。
突発的に行った環境の審査で不適合が、それも審査登録を停止するレベルの不適合が簡単に見つかったのだが、そうするとなぜ今までの定期的な審査でそのような重大な不適合が見つからなかったのだろうか? と不思議に思わなければ不思議である。
過去に審査を行った審査員は、見つける力がなかったのか? 見つけようとしなかったのか? 見つけても不適合としなかったのか?
今回臨時に行った審査では、なにがなんでも不適合を見つけようとしたのか? 今回は特別に力量のすぐれた審査員が派遣されたのか? 判定を厳格にしたのか? 謎は消えない。
少なくとも私は納得しない。
ところでこの審査機関は過去の見逃しについてはどのようにコメントしたのだろうか? 少なくても過去の審査の不適切についての説明責任を逃れることはできないだろう。
今までのところそれに関しての説明を私は寡聞にして知らない。
ISO審査において間違えた審査結果を出した審査機関の身の施し方・出処進退はどうあるべきであろうか?
建築設計が不適当な建物の審査をした機関、粉飾決算を見つけられなかった監査法人の例を見れば、単に不適合があった組織の審査登録を停止しましたでは済むはずがない。
審査機関自身の落とし前をどうつけるのか?

ちょっと立ち止まって考えてみたまえ!
この審査機関が審査して適合と判定しているあまたの組織は大丈夫なのか?
すべての企業を審査しなおすべきではないのだろうか?

ネットでいろいろなことを語る人がいる。 この問題は単にひとつの組織の認証が取り消されたということではすまない。日本の審査登録のあり方に大きな影響を与えるのではないかと期待するのである。
この一件が利害関係者にいかなる影響を及ぼすのか私なりに考えてみた。
不具合があれば認証は取り消せば認証機関は安泰なのか? そしてその認証機関を認定したJABはお構いなしとなるのではおかしい。ドーピングの結果入賞を取り消すのとは違うのだ。何が違うか?審査登録は審査してから認証するのであって、入賞が決まってからするドーピング検査とは違う。
などなど思いはめぐる。この問題をどうとらえるか、立場によって異なるとは思う。

立場
対応策
顧客・外部の利害関係者ISO審査の信頼感喪失⇒自己防衛行動⇒審査登録を信じずに自分で確かめる
ISO事務局自己防衛行動⇒報告書の信頼性、審査機関の責任の明確化
審査機関自己防衛行動⇒怪しい所の審査取り消し⇒それで済むのか?
認定機関自己防衛行動⇒審査機関に厳しくなる⇒それで済むのか?
コンサルタント簡単に取れますよ⇒しっかりとしたものにします⇒質の向上?

いずれにせよ、この問題はこのままでは終わらないと思う。一番問題意識を持ったのは全国のISO認証を受けている会社や工場の事務局ではないだろうか? 少なくとも私はそう考える。
全国津々浦々のISO事務局担当者は恐怖に駆られ、疑心暗鬼となったのではないだろうか?
もし何も感じない事務局がいたのなら、平和ボケならぬ本当のボケである。
ふつうの頭を持つISO事務局はこの問題をどう受け止めるか?
それはきわめて簡単、明白である。
『もし自分の会社で不祥事があれば、それが原因で問題に関わるマネジメントシステム以外でも、審査機関が不適合を見つけ出し登録を停止される可能性がある』ということだ。この審査機関は単に審査登録の、あるいは自社の名誉を守ったのではなく、今までの審査登録の信頼性を大きく揺るがしたのである。ご自身が気付いているのか、知らないのか、それを覚悟して実施したのか、定かではない。
今後とも、類似事例が発生すれば、審査登録機関は己の身の安泰を図るため、是が非でも不適合を見つけようとするに違いない。そして攻める方(審査側)は守るほう(受査側)よりも容易であることは言うまでもない。欠点なく物を作るより、欠点を見つける方が楽なのは誰でもわかる。
全国のISO担当者は、環境と品質あるいは情報セキュリティの担当部門が異なっていても、一蓮托生、一人がこけたらみなこける・・・いやこけさせられる羽目になる・・・と覚悟したに違いない。
実を言って、私は既にそういう心配のご相談を受けている。

本日は、これに対してISO事務局担当者はどういう対応をとるだろうか? ということを考えたい。
まず、自分の職務をしっかり努めようと改めて心に誓ったことだろう。そう信じたい。
公害測定データ改ざんが報道されたとき、全国の公害防止管理者、統括者は『わが社は大丈夫だろうか?』と再確認したの違いない。
しかしと続くのだが、自分の職務に誠心誠意を尽くして努めても、他の業務の巻き添えを食って不適合を喰らうおそれがあるということも確かである。ではどうするか?
予防処置をとればよいではないか!
予防処置とはなんだ? などと考えるまでもない。わが身と担当しているマネジメントシステムを毎回の審査結果のエビデンスで守ればいいじゃありませんか。それこそがISOってもんですからね、
ご存じない方もいらっしゃるかもしれないが、審査とはそもそも規格適合を確認することなのだが、通常の審査においては適合を立証することはほとんどない。審査報告書において適合を示す事象・証拠・根拠を併記することはめったにない。
現実は逆に不適合を立証することのみが行われている。
また今まで審査を受ける側も適合を立証する記述についてはそう神経質ではなかった。ほとんどの場合、どの企業も担当者の不適合を出すまいとするスタンスであり、不適合を立証する事象・証拠・根拠を目を皿にしてチェックをした。それが事務局の仕事であり、それを明記することが審査側の職務であった。そして双方とも適合を示す証拠には関心がなく、適合を立証する記述がプアだったのだ。
もちろん、本当の審査とは適合についても不適合についても立証責任は審査側にある。適合の立証責任は被審査側にあるという方もいるかもしれない。しかし、受ける側は問われたことに応えるだけであり、質問するのも出されたエビデンスをみて判断するのも審査側であり、論理的にも現実的にも適合を判定するのは審査側なのである。
過去に適合を立証していない審査機関があれば(多いにあるのだが)それは審査機関の怠慢である。
もっとも不適合を立証する記述さえあいまいで、それを強引に押し切ってしまう審査機関も多々あるのだ。

今回の事件で、事務局は担当しているマネジメントシステムの適合の証拠を確保するためには、今まで多く見られる審査所見報告書で要求項番と適合・不適合のVマークだけでは不十分であることを理解したのではなかろうか。適合であっても、何を証拠にどの規格要求に適合と判断したのかのエビデンスを残していってもらわないと困るのである。臨時あるいは次回の審査で、以前の審査で適合と判定された事項について突如不適合とされるのではたまったものではない。適合であれ不適合であれ、証拠と判定のトレーサビリティが必要である。ということで審査を受ける側としては、所見報告書を充実してもらわないと我が身が危なくなったのです。
つまりこれからは審査を受ける側にとって、規格適合の証拠を明示しない所見報告書に価値はない。万が一のときに証拠として提示できる適合を立証した所見報告書でなければならない。
ISO審査に付加価値などいらない。気付きなんて称するコメントもいらない。審査の目的はそんなものではないと、審査の本当の目的に気が付いたのではないか?

そして審査登録の客観性、公平性、判定の精度を確立するためには、今後は所見報告書を常に広く利害関係者に公表することも必要になるだろう。そして審査を受けた組織は審査所見報告書を公にすることこそがわが身の安泰を図る最大の方法となるだろう。誰が見ても審査機関の発行した適合を保証する報告書は認証証だけよりはるかに効果がある。
ついでに言えば、多くの人が各審査機関の報告書を比較検討することができれば、どの審査機関が良いか悪いかが一目瞭然となる。情報公開こそ自由競争の前提条件ではないか。
審査員は自分が書いた所見報告書が広く大衆に見られることになれば、「明確でない」とか「懸念される」などという稚拙な文章を書かなくなるだろう。会社・工場側も広く利害関係者に公開することを考えると基礎的ところで不適合を出すまいとまじめに取り組むに違いない。

そして万が一、不祥事が起きて審査機関が臨時審査を行う場合は、審査機関は過去に己が作成した規格適合を立証した所見報告書とのせめぎあいになる。不適合とするためには、過去に己が適合とした以外の問題を提示するか、過去の己の判定を自ら覆すしか道はない。
もちろん、そうならないように通常の審査で不適合を不適合とする選択肢もある。そうすると現在ほとんど見られない審査においての「不適合」というのがたくさん発生するだろう。でも、それは悲しいことや困ることではなく、規格を満たさないのだから当然のことだと割り切るしかない。いや大変良いことではないのか?
それこそがISO認証の価値を高めることなのだ。
いずれにしても審査において要求事項すべてについて証拠と根拠を明確にして、適合・不適合が議論されることになるだろう。
そして判定が公表されることにより、規格を理解していない審査員、独善的な審査員は広く知られることになり、淘汰されるだろう。
審査後のアンケートで審査員を評価するなんてこざかしいことでなく、審査報告書を公にして、広く社会からの批判を受けることによって、正しい判定をして立派な報告書を書く審査員のみが生き残ることになれば、審査員の力量をどう測るなどと不毛な考えに煩わされることもない。

ともあれ今回、審査機関のとった手段は、第三者審査登録制度の正常化、改善に貢献することになるだろうと期待する。
何事においても評価するということは、その評価する者が評価されることに等しい。例えば他人の文章に赤を入れることはチェック者の力量を示すものであり、人事評価をすることはその人の判断を他人から評価されるということだ。
ISO審査とは、審査機関が会社や工場のマネジメントシステムのできの良さ悪さを評価することであるが、審査機関が発行する所見報告書によって審査機関は評価される。
私はこれをISO審査の評価と呼びたい。

今回の事件は、そのISO審査の評価への第一歩となるだろう。
今回の環境の審査登録停止を契機に、ISO審査は受査側と審査側が竹刀で叩きあう稽古から真剣を用いた果し合いに変わるだろうと予測する。それは第三者審査登録という制度にとって願ってもない転機であろう。
もうお遊びは終わりだ。
審査員は間違えたら腹を切るという覚悟で審査に当たらなければならないだろう。審査所見報告書は規格要求事項ごとに証拠・根拠が列記され、そして適合・不適合がはっきりと記述されるだろう。
おかしな審査結果理解不可能な所見は消え去るに違いない。

従来、審査員の力量ということが言われてきた。しかし審査を良くすることは審査員だけの問題ではない。審査は審査システムを良くしないと向上しない。現在、審査機関の力量という言い方があるそうだ。負のスパイラルを組織の責任だと語っていた審査機関があったが、それはやはり間違いである。

本日は真面目に顔マークも挿絵も一切入れない。真面目に読んで欲しい。
反論をお待ちする。




VEM様からお便りを頂きました(07.02.26)
自由なマーケット
審査機関による不適合の見落としについての評価についての反論をお待ちとのことです。
論点が合致するのか不明ですが、力量において不足する審査機関が多数存在するとすると、規格そのものがマーケットに適合できていないのではないかと心配です。
力量を向上させるためにはコストが必要でしょう。審査を受ける側の会社が登録によって得られる利益と審査料のバランスが、そのコストを負担できないとすれば、規格の設定に問題があるのではないでしょうか?
マーケットの話ですから、佐為様の書かれたように情報開示の問題かも知れません。
これも、論点が違うかも知れませんが、今国会で最低賃金が問題になっています。最低賃金を守らない事業所が多く、生活に困窮している人が多い。だから最低賃金を大幅に上げるべきだ?というものです。賃金に関するマーケットの情報開示の整備と最低賃金調査機関の力量の向上が先に課題となるべきでしょう。
マーケットに逆らう決め事の実行には大変な力が必要ですが、それでも多くのひずみを生むことは周辺国の動静から多く知れることと思います。
VEM様 いつもお便りありがとうございます。
論点が多々ありますが、VEM様がご提示された後半は政治的なものですから、ここでは外させていただきます。
おっしゃるように、現在の審査登録業界は過当競争であろうと思います。しかし過当競争で、安くするために審査の質が落ちたとは思えません。ISO審査が始まった頃から関わっていた人間として言わせてもらえば、審査の質は元からこんなものでした。
良い審査をしますというなら、現状程度の費用では無理なのでしょうか?
しかし費用をかければよい審査ができるのかと考えるとそうばかりとも言えません。業界ひも付きの審査機関、専門性のないデモシカ審査員では審査費用を上げても改善しないかもしれません。
審査とはどうあるべきか?報告書はどうあるべきか?力量をつけるにはどうしたらよいのか?と審査機関も審査員も真剣に考えていたとは思えません。規格の理解ひとつをとっても、私のような一企業にいてただ一人で考えていた者に批判されるような審査機関ではだめです。

VEM様からお便りを頂きました(07.02.26)
佐為様のファンとして
佐為様、しまりの無い文章を送信してしまいました。申し訳ありません。珍しく真面目120%などの言う記述に接してしまいましたので、柄にも無く後半はシャレに挑戦してみたのですが、論点の拡大になってしまいました。
とはいえ、ある評価軸で手詰まりな時に次元の変更が打開策になるのはよくあることだと思います。ハッタリで良いと思います。佐為様はこれだけ努力しているから、こんなに良い暮らしをしているぞと正直に書くことで、世の審査員の質が向上するかもしれません。
組織は規格で品質が決まるかも知れませんが、マーケットはシャレで動かしたいとも思います。私の場合、審査員と事務局に噛み付いて通勤時間が3倍になる異動をしましたが、月収も5万円アップしています。
あまりに不遜な文章で申し訳ありません。ファンのわがままとご容赦下さい。
VEM様 何か勘違いしてませんか?
佐為様はこれだけ努力しているから、こんなに良い暮らしをしているぞ とは一体全体意味不明です。
私は越後のちりめん問屋のご隠居・・いや違った、定年目前の平サラリーマンに過ぎません。ここをご覧になっている方に誤解されるようなことを書いちゃいけません。

VEM様からお便りを頂きました(07.02.27)
よくいのそしりを恐れて
佐為様、申し訳ありません。一度パソコンの前に土下座をしてからキーをたたいております。
シャレを駆使されている皆様があまりにかっこよいので、ついつい狗しか描けない身の程を忘れて虎を描こうとしてしまいました。
言い訳は見苦しいので一言で終えますが、真偽を離れて派手な大見得を張ることがシャレの分野として成り立たないかなと思ってしまいました。ご覧になった方が誤解して「よし俺も」と一念発起してくれたら、瓢箪から駒になるだろうと思いました。
以上が言い訳です。失礼いたしました。
矍鑠たる伏波将軍に教えを受けられる幸せをこれからも大事にしたいと存じます。
VEM様 毎度ありがとうございます。
私はあまりかっこいい文章も書けませんし、見栄を切るのも得意ではありません。
ただ、どう考えてもおかしいなあ〜ということを「おかしいぞお〜」と言っているだけです。
あまり買いかぶられても困ります。

うし様からお便りを頂きました(07.02.28)
ISO審査の再評価、ブログの方も含めきちんと読ませていただきました
「これからは真剣勝負」
「ある意味転換点で,良かったのではないだろうか」

どちらも諸手を上げて賛成です もちろん,遅きに失した感があるにせよ、です

規格そのものは,本当に当たり前で,素朴で,地道なことを言っているに過ぎなくて、しかしそれをいろんな立場の人たちが「妙なもの」に仕立て上げて来た,その虚飾がはげ落ち,万人の興味(ISOは企業の実力を反映しているのか)に対する、実力の無い(もしくは不実な)企業の実態が別の面から暴かれることによって、その存在意義を含めて「本当の意味での,世間の評価」に晒されることになった かの審査機関の取った行動は、その結果においてではないが,今後押し寄せるであろう「「真の顧客=世間」の評価、判決」を、良い意味でも悪い意味でも畏れたことによって引き出されたのでしょう

だから、その行動の善し悪しはともかく,その行動がもたらす周囲への影響は,少なくとも良い方向に向いている(と信じたい)

そんな意味において、おばQ様の問題提起に大賛成です
うし様 ありがとうございます。
信じてほしいのですが(というあたりが私が弱気なところです)私は第三者審査登録というスキームがしっかりと運用され、世間から信頼されるものであってほしいと考えております。それは本当です。
しかし、世の審査機関、審査員の多くは今がよけりゃいいと思っているのか?ご自身の行く末をあまりお考えではないようなのです。そしておかしな規格解釈やあいまいな審査所見を書いて多額の金子(きんす)をいただいているのです。
「目的とは3年後の目標です。3年後の目標値がないので4.3.3に不適合です。」「環境側面の特定方法は数値化することが望ましい(これは論理だけでなく指導までしています)」なんてのをいまだに語っているのです。(証拠あり)
最近お会いして雑談した審査員はなんと、ガイド66の内容を知りませんでした。審査基準を知らなくて審査ができるのでしょうか?
本当に審査員の方々!しっかりしてくださいよ。
こんなことが続けばあなたたちの明日は危ないですよ。


観客X様からお便りを頂きました(08.01.30)
ISOに期待と懐疑
某企業が某省の認可を受けようとして、事前説明をしたいと申し出をしました。
某省担当職員曰く、その企業担当者は「我が社はISO9000を取得しているので認可を受けるに問題はないと思いますと発言したとのこと。
某省担当職員曰く、後日事前審査書類を見ただけで、ISOの認証を国の認可と同等に考えていること自体失格だと言っていた。
それを聞くまでISOの認証は信頼できるものと思っていた自分は「エッ?(?_?)エッ?〜何故!」と感じました。そこで、実態を知りたく情報を集めていたところ「うそ800」を発見しました。
 色々読んだ結果、ISO認証登録を受けた企業が登録された企業活動で行政処分を受けた場合は、当該企業を審査した審査機関名を公表する制度があって良いのではと考えます。今のままでは悪貨が良貨を駆逐することになるでしょう。審査員は、担当する認証の分野毎に実務経験20年以上が求められるべきでしょう。 今後も「うそ800」は当分教材になりそうです。

観客X様 お便りありがとうございます。
国の認可とISO審査は別格ですよ。片方は何事かをする権利を認めるわけですが、ISOは何かをする力があるかもしれないというようなもの。
運転免許がなくては車の運転はできませんけど、英語検定に受からなくても英語を話しても苦情は言われません。
そのような差異があるのです。
でも、うれしいこといってくれるじゃないですか!
「うそ800」は当分教材になりそうです。
あまり信用しないでくださいね、なにしろうそ800ですから


Yosh師匠からお便りを頂きました(08.02.01)
uncle.gif 茶々
とうた様、
運転免許がなくては車の運転はできませんけど
人によりては運転免許がなくても車の運転は出来ます。ただ無免許で罰を受けることになるだけ。
oldman2.gif
師匠!
ガバ(平伏する音)
おそりいりました。
目ざとさ、論理、素早さ、私の及ぶところではありません。
不肖 おばQ、師匠を目標にこれからも精進いたしますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い奉り候


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