21条1項 2002.05.26
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

『憲法は無制限に改定できるのか?』という疑問に対しては『根本的な理念は変えられない』とするのが正しい回答かと思います。
企業が業種を変えるのはよくある話です。
そのときは定款などを書き換えます。
でも、法を守った活動によって利益を上げるという根本原則は変わりません。
現憲法が未来まで規制している箇所は、
 9条1項『武力による・・・国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
 11条『基本的人権は・・・・現在及び将来の国民に与へられる。』
の2箇所ある。
この条項の趣旨は憲法改正できないと読むのがまっとうだろう。
あるいはまた、独裁制とか三権分立をやめるなんて憲法改正することはできないだろう。
仮に現憲法の手続きによってそれがなされたとしても、それは憲法改正ではなく、憲法の廃止と新憲法を制定するということに違いない。

へたをすると法学の専門家からいちゃもんがつきそうなので、ISO  の世界に逃げることにしよう。
ISOの世界ではいかなる規則・規定も上位規定、下位規定と整合をとることはもちろん、その規定自身が矛盾したものであってはいけない。
もし、ひとつの規定の中で『○○は課長が決裁する』というところと、『部長が決裁する』という所があれば、それは即『不適合』である。
そんな規則を運用できませんもの、、

あるいは部下はそれを悪用して自由気ままができるかもしれない。
実を言ってこのたとえは私のオリジナルではない。
組織論ではよく引用されるお話です。

以上を踏まえると現憲法において『一切の表現の自由は、これを保障する。』というところには『現憲法に反しない限りにおいて』という形容詞句があると考えるのは当然となる。

もし、現憲法に反する行為・思想の『表現の自由まで保障する。』のであれば憲法自身が矛盾を孕んでしまう。

もちろん憲法改正手順を踏まえての論議なら自由の範疇であろうが、武力で政権を倒そうという思想の表現の自由はありえない。

非常識な人たちだわ!
ネットの世界にはいろいろあるんですよね、
  • アナーキーを称する方々がいます。
    国家体制に反対するなら、発言が許されている日本じゃなくて自由のないところでしたらどうです。

  • 日本が滅べばいいという発言があります。
    日本が滅んだ後には、日本独立を叫ぶんでしょうか?
    反政府活動が趣味なのですか?

  • 武力で革命を起こそうとする団体、
    言論の自由の下で、言論の自由を許さない体制を作ろうとする根性がスゴイ
    今なお武力革命を掲げる根性は買うぞ!
    現憲法は武力を使わなくとも憲法改正を認めているんですけど・・・

  • 判決を単なる主義主張で批判する輩、
    裁判官に法に基づかない判決を書けというのは既に憲法違反ですよ。
    判決は法と証拠によってされるべきであって、主義によって行うのは法治国家じゃなさそうです。
    それとも明確な法律に基づかない人治主義の某国を理想としているんでしょうか?

  • 有事の際には超法規的措置を取れという意見、
    その前に憲法改正を叫ぶべきでは???

物事には外部条件によって二つの状態を行き来することのできる可逆反応もあります。
一方から他方に行くことはできても、後戻りはできない非可逆反応もあります。

憲法を語るなら、可逆的であることが前提でしょう。
護憲、護憲と叫ぶ方々、政党ほどこの非可逆的解釈が多いように感じるのは私だけでしょうか?



そこで本日の結論


憲法22条では『公共の福祉に反しない限り』と但し書きがあるのと同様に、
本条項に『憲法に反しない限りにおいて』と追加すべきかもしれない。



もっとも、当たり前の人なら、そのような注記がなくとも理解できるはずだ。
だって、いかなる文章も自らを否定することは論理的に成り立たない。
憲法が保障するのは、自らの枠組みの中でしかない。
それはコンフリクトを避けるための論理的帰結だ。

少なくともこれが理解できなくちゃISO9000は無理ですね (^^)




オレンジ様からお便りを頂きました(2004.06.26)
集会の自由
むだが嫌いなおばQさん、こんにちは。
さて、今日は憲法21条1項についてのお便りです。
21条1項は「価値あり」としています。私が疑問に思ったのは、「集会の自由」という言葉は必要でしょうか?集会の自由⊆表現の自由ではないでしょうか?

なぜ、おばQさんはそこを突っ込まなかったのだろうと思いました。もしよければ、おばQさんお意見を聴かせて下さい。

ご指摘ありがとうございます。・・・内心はギクっとしてます。
英語原文は
Freedom of assembly and association as well as speech, press and all other forms of expression are guaranteed.
意味を再確認しますと「(演説・報道あるいはその他の表現と同様に)集会を持ったり、団体を設立することは保障される」ではないか?と思います。私は英語が得意でありません。どうなのでしょうか?
「 as well as 」でつながるほうが省略可能で末節かと思います。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」のようにそれぞれが並列に並ぶものではないような感じです。

ところで「集会の自由⊆表現の自由」ではないような気がします。
といいますのは、集会は禁じても表現を禁じないことはあるし、集会は認めても表現を禁じることはありです。







憲法第21条1項 言論の自由 2006.11.03
本日は文化の日である。
文化の日とは「国民の祝日に関する法律」では「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」と定めているが、 maru.gif その由来は文化とは関係なく、日本国憲法が公布されたことである。
日本にはたくさんの祝祭日があるが、憲法だけが二つも祝日を保有しているのはおかしいのではないか・・なんて語ってもサラリーマンも学生も休みが多い方が良いだろうから文句を言う人はいないのだろう。
さて、北から沖縄まで日本の多くの新聞は憲法公布60年を称える社説を載せいているが、それを祝って国旗を掲げようという発言がないのが不思議である。
そんなことから本日の発言は、言論の自由とはなんなのだろうか?と考えてみたい。

言論の自由とはなんじゃろか?
言いたい放題しゃべること・・・ではなさそうだ。
大声で叫ぶこと・・・・・・・・でもなさそうだ。
布団を叩いたり、ラジカセを鳴らして逮捕されたおばさんがいたが、ああいったケースを言論の自由とは言わないようである。
本来、言論の自由とは、公序良俗に反しない限り己の意見を発言する自由であったはずだ。
違いますか?

ところが、現在の日本では「言論の自由とは、体制を批判する発言の自由」と理解されていると感じるのは私だけだろうか?
太平洋戦争のとき、「体制を称える発言ができるのだから言論の自由がある」と語った翼賛のオジサンがいたそうだ。
それも勘違いだろうけれど・・・
「体制を批判する発言の自由」でよいじゃないか、何がおかしいのか? とおっしゃる方いらっしゃいますか?
oioi.gif
ええとですね、今の日本で「体制を批判する発言の自由」は保護されていることは認めます。過剰に保護されていると言うべきかもしれません。
でも、それだけで言論の自由といえるのでしょうか?
私は体制を批判する発言、体制に反対する言論の自由がおかしいと言いたいのではありません。

わかる人にはもうわかっちゃいますよね!
今の日本には、「体制を批判する発言を批判する自由」が保護されていないのです。

朝日新聞を御覧なさい。
『社説』からはじまり、カラムである『天声人語』、読者の投稿の『声』、投稿された和歌の『朝日歌壇』、そして記事に至るまで・・・「体制を批判する発言」が溢れに溢れております。「体制を批判する発言の自由」が保証されていることはゼーッタイに間違いありません。
ところが、これに反対する集会の記事、投稿、意見、和歌に至るまでこれまたゼーッタイに掲載されないというまかふしぎな現象でございます。
なにしろお客様である週刊誌の公告に朝日の気に入らないタイトルがあると、それをスミヌリをしてしまうという『検閲』まで行っているのです。

おおっと、朝日新聞に限りません。
北は北海道新聞、南は琉球新報にいたるまで、「体制を批判する発言の自由」が保証されているのですが、「体制を批判する発言を批判する自由」は一切保証されていません。
もちろん中抜けしているわけはありません。ちゃあんと神奈川新聞をはじめとする民主的、いや急進的、いや特定アジア支持の新聞各紙がしっかりと「体制を批判する発言の自由」を謳歌し、「体制を批判する発言を批判する自由」を認めていないようです。
これは言論の自由を保証している、憲法第21条第1項違反ではないのでしょうか?
いや、憲法違反に間違いないような気がします。

本日は憲法にちなんだ日だそうですから、日本全国の新聞社は憲法の精神を改めて理解し、言論の自由を考えて見ませんか。
言論の自由とは、「体制を批判する発言の自由」だけでなく「体制を批判する発言を批判する自由」をも認めなければならないのです。
ジャーナリズム宣言を標榜するならば、民主主義の基本原則くらいは理解してほしいと願いたい。
体制にへつらうことと、体制に歯向かうことは、結局同じことなのである。
是は是、非は非と堂々と語ること、それがジャーナリズムではないのだろうか?

さあ、日本中の報道機関よ!
憲法が公布された今日、
言論の自由を考えて見ないか!


もっとも、それももう手遅れというか、無駄なことかもしれない。
最近は、現在の日本の偏向報道機関、えせジャーナリズムに愛想をつかして、2ちゃんねるとか個人のウェブサイトで情報発信をする人が増えている。
言論の自由を求める人間の意思は、報道機関の権力をもってしても抑えることができないのだ。 




日本国憲法の目次にもどる